ラプラタ沖海戦 [ドイツ海軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ダドリー・ポープ著の「ラプラタ沖海戦」を読破しました。
映画「シュペー号の最後」でも有名なポケット戦艦グラーフ・シュペー号の
通商破壊作戦から巡洋艦エクセターなどの英国艦船団との海戦、
そして劇的に自沈するまでをドイツ・英国双方から描いた一冊です。
前半の通商破壊戦においてはラングスドルフ艦長の騎士道精神溢れる戦いで
常に相手側に死者を出すこともなく戦果を挙げていきます。
そして英国艦船団との戦いで50発もの命中弾を受け、傷ついたグラーフ・シュペー号は
中立国であるウルグアイに逃げ込んでしまいます。
英国から圧力を受けるウルグアイ政府との外交的な駆け引きや
戦艦アークロイヤルをはじめとする強力な英国艦船団が
モンテビデオ港から出てくるグラーフ・シュペー号を
てぐすね引いて待ち構えているといった欺瞞情報を流すことによって、
「自沈の道しかない」とラングスドルフ艦長に思わせたことが英国の勝利であるとしており、
「グラーフ・シュペーは自沈する必要はなかった」ということが
この本の真のテーマであることに気づきます。
その後、床に大きく広げられた旧ドイツ帝国海軍の軍艦旗の上で
拳銃自決を遂げた艦長ラングスドルフ大佐の葬儀には、
シュペー号の捕虜となっていた英国人船長も参列し、花輪を添えたという逸話も心に残ります。
同じポケット戦艦として活躍した「アドミラル・シェア」とは対照的なまさに悲運の艦といえます。
ダドリー・ポープ著の「ラプラタ沖海戦」を読破しました。
映画「シュペー号の最後」でも有名なポケット戦艦グラーフ・シュペー号の
通商破壊作戦から巡洋艦エクセターなどの英国艦船団との海戦、
そして劇的に自沈するまでをドイツ・英国双方から描いた一冊です。
前半の通商破壊戦においてはラングスドルフ艦長の騎士道精神溢れる戦いで
常に相手側に死者を出すこともなく戦果を挙げていきます。
そして英国艦船団との戦いで50発もの命中弾を受け、傷ついたグラーフ・シュペー号は
中立国であるウルグアイに逃げ込んでしまいます。
英国から圧力を受けるウルグアイ政府との外交的な駆け引きや
戦艦アークロイヤルをはじめとする強力な英国艦船団が
モンテビデオ港から出てくるグラーフ・シュペー号を
てぐすね引いて待ち構えているといった欺瞞情報を流すことによって、
「自沈の道しかない」とラングスドルフ艦長に思わせたことが英国の勝利であるとしており、
「グラーフ・シュペーは自沈する必要はなかった」ということが
この本の真のテーマであることに気づきます。
その後、床に大きく広げられた旧ドイツ帝国海軍の軍艦旗の上で
拳銃自決を遂げた艦長ラングスドルフ大佐の葬儀には、
シュペー号の捕虜となっていた英国人船長も参列し、花輪を添えたという逸話も心に残ります。
同じポケット戦艦として活躍した「アドミラル・シェア」とは対照的なまさに悲運の艦といえます。
ヴィットマン -LSSAHのティーガー戦車長たち- [武装SS]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
パトリック・アグテ著の「ヴィットマン」を読破しました。
いや~出ました。ヴィットマンです。まさに虎の騎士です。
敵戦車撃破数(138両)や有名なヴィレル・ボカージュの戦いで伝説となった戦車長ですが、
彼が武装SS所属ということを知って、ガッカリしてしまう人もいるようですね。
この本では彼の生い立ちから戦前の陸軍第19歩兵連隊への入隊、バルバロッサ作戦
での突撃砲乗りとして活躍、そして宿命のティーガー戦車長へ・・、と語られ、
また、副題にもある通り、他の戦車長や上官(ヨーヘン・パイパーやクルト・マイヤーも登場)、
ヴィットマンのクルー達(特に砲手として初めての騎士十字章のヴァルタザール・ヴォル)、
の出番も多く、ライプシュタンダルテの戦史の色合いが強くなっています。
とはいえ新婚の奥さんとの微笑ましいエピソードや豊富な写真
(見事な結婚記念写真から若干、イチャイチャ気味まで・・)
などヴィットマンのプライベートも充実しています。
一方、戦場ではロシア戦線での騎士十字章からノルマンディでの柏葉章、
そして剣章受章とヴィットマンの戦いはヴィレル・ボカージュで最高潮を迎えます。
国防軍司令部では英雄となったヴィットマンを最前線から後方へ移動させようとしますが、
今やSS大尉へと昇進し、重戦車大隊長となったヴィットマンは、これを拒否し、
英米連合軍に最後の戦いを挑んでいきます。
とにかくこの本は写真が充実しており、ヒトラーとの写真もさることながら、
ヴィレル・ボカージュから司令部に辿り着いた直後の写真(実は下巻表紙)、
そして何より、最後の写真と呼ばれる、
砲塔上での作戦直前の緊張感溢れる写真が(映像ですが)素晴らしい!
様々な証言などからヴィットマンの人間性をも探った本ですが、
謙虚で仕事には厳格という、ほぼ完璧な人物という印象です。
先入観なく純粋に読み進めれば(自分はいつもそのつもりですが)、
読み終わったときにはヴィットマン・マニアになってしまうこと請け合いです。
誰かヴィットマンを映画化してくれないかな。。と思う今日この頃です。
まぁ、SS隊員がヒーローというのは無理ですか・・。
パトリック・アグテ著の「ヴィットマン」を読破しました。
いや~出ました。ヴィットマンです。まさに虎の騎士です。
敵戦車撃破数(138両)や有名なヴィレル・ボカージュの戦いで伝説となった戦車長ですが、
彼が武装SS所属ということを知って、ガッカリしてしまう人もいるようですね。
この本では彼の生い立ちから戦前の陸軍第19歩兵連隊への入隊、バルバロッサ作戦
での突撃砲乗りとして活躍、そして宿命のティーガー戦車長へ・・、と語られ、
また、副題にもある通り、他の戦車長や上官(ヨーヘン・パイパーやクルト・マイヤーも登場)、
ヴィットマンのクルー達(特に砲手として初めての騎士十字章のヴァルタザール・ヴォル)、
の出番も多く、ライプシュタンダルテの戦史の色合いが強くなっています。
とはいえ新婚の奥さんとの微笑ましいエピソードや豊富な写真
(見事な結婚記念写真から若干、イチャイチャ気味まで・・)
などヴィットマンのプライベートも充実しています。
一方、戦場ではロシア戦線での騎士十字章からノルマンディでの柏葉章、
そして剣章受章とヴィットマンの戦いはヴィレル・ボカージュで最高潮を迎えます。
国防軍司令部では英雄となったヴィットマンを最前線から後方へ移動させようとしますが、
今やSS大尉へと昇進し、重戦車大隊長となったヴィットマンは、これを拒否し、
英米連合軍に最後の戦いを挑んでいきます。
とにかくこの本は写真が充実しており、ヒトラーとの写真もさることながら、
ヴィレル・ボカージュから司令部に辿り着いた直後の写真(実は下巻表紙)、
そして何より、最後の写真と呼ばれる、
砲塔上での作戦直前の緊張感溢れる写真が(映像ですが)素晴らしい!
様々な証言などからヴィットマンの人間性をも探った本ですが、
謙虚で仕事には厳格という、ほぼ完璧な人物という印象です。
先入観なく純粋に読み進めれば(自分はいつもそのつもりですが)、
読み終わったときにはヴィットマン・マニアになってしまうこと請け合いです。
誰かヴィットマンを映画化してくれないかな。。と思う今日この頃です。
まぁ、SS隊員がヒーローというのは無理ですか・・。
高速戦艦脱出せよ! [ドイツ海軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ジョン・ディーン・ポター著の「高速戦艦脱出せよ!」を読破しました。
巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウ、重巡洋艦プリンツ・オイゲンを
フランスのブレストからドーバー海峡を白昼堂々、強行突破を成功させた
「ツェルベルス作戦」の記録です。
当時ブレスト港ではイギリス空軍による空爆が活発であり、
シャルンホルストとグナイゼナウも被弾と修理が相次いで、身動きの取れない状況でした。
そして対ロシア戦線を憂慮するヒトラーはイギリス軍の北方攻略を危惧し、
海軍指令レーダー元帥にブレスト艦隊のノルウェーへの移動を命じます。
しかし、2つのルートのうちスコットランド迂回するルートはスカパ・フローのイギリス艦隊の
餌食になることが明白であることから、結局、ドーバー海峡のルートが選択されます。
ヒトラーの「ブレスト艦隊はガン患者であり、放って置けば必ず死ぬ。
しかし手術をすれば助かるかも知れぬ。ならば手術をしようではないか!」と
「イギリス人というものは、突発的な出来事にまともに対応できるような人種ではない!」の
二言がこの作戦の全てを物語っており、また、結果としてその通りであったことが非常に興味深く、
ヒトラー戦術の代名詞である「電撃戦」のように大胆な発想が
保守的な考え(レーダー元帥をも)を凌駕したと言えるでしょう。
艦隊指令に任命されたチリアックス提督もこの作戦には懐疑的であり、
3隻のうち、1隻失うのはやむなしとの命令を受けていました。
このような事情もあって自ら乗艦している旗艦シャルンホルストが
機雷の被害により停止した際、あっという間に駆逐艦に乗り移ってしまい・・、
というエピソードは状況判断としては個人的に致し方ない気もする次第です。
元々、チリアックス提督というのは人間的に評判が悪いことも手伝って、
このようなことが艦隊指令としてあるまじき行為のように言われています。
また、実はこの本はイギリス軍側からの視点の方が多く、
空軍、海軍のドタバタ振りが詳細に書かれており、
「なぜドーバー海峡突破をさせてしまったのか?」というのが本来のテーマとなっています。
ジョン・ディーン・ポター著の「高速戦艦脱出せよ!」を読破しました。
巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウ、重巡洋艦プリンツ・オイゲンを
フランスのブレストからドーバー海峡を白昼堂々、強行突破を成功させた
「ツェルベルス作戦」の記録です。
当時ブレスト港ではイギリス空軍による空爆が活発であり、
シャルンホルストとグナイゼナウも被弾と修理が相次いで、身動きの取れない状況でした。
そして対ロシア戦線を憂慮するヒトラーはイギリス軍の北方攻略を危惧し、
海軍指令レーダー元帥にブレスト艦隊のノルウェーへの移動を命じます。
しかし、2つのルートのうちスコットランド迂回するルートはスカパ・フローのイギリス艦隊の
餌食になることが明白であることから、結局、ドーバー海峡のルートが選択されます。
ヒトラーの「ブレスト艦隊はガン患者であり、放って置けば必ず死ぬ。
しかし手術をすれば助かるかも知れぬ。ならば手術をしようではないか!」と
「イギリス人というものは、突発的な出来事にまともに対応できるような人種ではない!」の
二言がこの作戦の全てを物語っており、また、結果としてその通りであったことが非常に興味深く、
ヒトラー戦術の代名詞である「電撃戦」のように大胆な発想が
保守的な考え(レーダー元帥をも)を凌駕したと言えるでしょう。
艦隊指令に任命されたチリアックス提督もこの作戦には懐疑的であり、
3隻のうち、1隻失うのはやむなしとの命令を受けていました。
このような事情もあって自ら乗艦している旗艦シャルンホルストが
機雷の被害により停止した際、あっという間に駆逐艦に乗り移ってしまい・・、
というエピソードは状況判断としては個人的に致し方ない気もする次第です。
元々、チリアックス提督というのは人間的に評判が悪いことも手伝って、
このようなことが艦隊指令としてあるまじき行為のように言われています。
また、実はこの本はイギリス軍側からの視点の方が多く、
空軍、海軍のドタバタ振りが詳細に書かれており、
「なぜドーバー海峡突破をさせてしまったのか?」というのが本来のテーマとなっています。
アウシュヴィッツ収容所 [収容所/捕虜]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ルドルフ・ヘス著の「アウシュヴィッツ収容所」を読破しました。
史上、最も悪名高き強制収容所、またはユダヤ人絶滅収容所
「アウシュヴィッツ」の所長であったルドルフ・ヘスの手記であり、死刑直前の回想録です。
自身の生い立ちから始まり、ワイマール共和国時代に政治犯として
収容所に収監されたことが、後の彼に多大な影響を与えることとなります。
やがて兵士を志し親衛隊に入隊するも「トーテンコプフ部隊」への配属となってしまい
いくつかの収容所において、強制収容所システムを創りあげた
テオドール・アイケ将軍のもとで心ならずも出世していきます。
そしてSS全国指導者ヒムラーから直々に
巨大収容所「アウシュヴィッツ」の設立を任されます。
やがてユダヤ人絶滅命令が発せられ、責任者であるアイヒマンと共に
様々な効率的な大量殺害方法を検討する様子や、
実際のガス室での大量殺害の模様に立ち会っていた状況も生々しく語られます。
興味深かったのは、このアウシュヴィッツのような巨大収容所運営という観点から
所長、副所長、或いは各々の部下の役割をいかにもその道のプロの如く
淡々と解説するあたりは、自ら構築した運営方法を見事なものとして
自慢しているようにさえ感じるところです。
また、以前ヘス自身が被収容者であった経験が、
収容者心理を自然に分析できるという強みでもあったようです。
ちなみに彼は、この後「アウシュヴィッツ収容所」で絞首刑に処せられました。
ルドルフ・ヘス著の「アウシュヴィッツ収容所」を読破しました。
史上、最も悪名高き強制収容所、またはユダヤ人絶滅収容所
「アウシュヴィッツ」の所長であったルドルフ・ヘスの手記であり、死刑直前の回想録です。
自身の生い立ちから始まり、ワイマール共和国時代に政治犯として
収容所に収監されたことが、後の彼に多大な影響を与えることとなります。
やがて兵士を志し親衛隊に入隊するも「トーテンコプフ部隊」への配属となってしまい
いくつかの収容所において、強制収容所システムを創りあげた
テオドール・アイケ将軍のもとで心ならずも出世していきます。
そしてSS全国指導者ヒムラーから直々に
巨大収容所「アウシュヴィッツ」の設立を任されます。
やがてユダヤ人絶滅命令が発せられ、責任者であるアイヒマンと共に
様々な効率的な大量殺害方法を検討する様子や、
実際のガス室での大量殺害の模様に立ち会っていた状況も生々しく語られます。
興味深かったのは、このアウシュヴィッツのような巨大収容所運営という観点から
所長、副所長、或いは各々の部下の役割をいかにもその道のプロの如く
淡々と解説するあたりは、自ら構築した運営方法を見事なものとして
自慢しているようにさえ感じるところです。
また、以前ヘス自身が被収容者であった経験が、
収容者心理を自然に分析できるという強みでもあったようです。
ちなみに彼は、この後「アウシュヴィッツ収容所」で絞首刑に処せられました。
ドイツ海軍魂 -デーニッツ元帥自伝- [回想録]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
カール・デーニッツ著の「ドイツ海軍魂」を読破しました。
デーニッツといえばUボート、Uボートといえばデーニッツというほど
Uボート艦隊指令としてあまりにも有名なデーニッツ回想録の第一部です。
そんな訳でヴィトゲンシュタインも第一次大戦時代にデーニッツがUボート艦長であった
という程度のことしか知りませんでした。
この本では自身の生い立ちからじっくり振り返り、海軍への入隊~第一次大戦勃発時の
少尉での巡洋艦「ブレスラウ」の通信長、そしてUボート艦長としての戦闘記録は何か
とても貴重なものを読んでいるような気にさせられます。
ちなみに表紙の写真は1917年、U39における仕官(デーニッツ)による模範的な?見張りの図です。
敗戦後、捕虜生活から再び海軍に戻り、水雷艇艇長を経て、
巡洋艦「エムデン」の艦長となります。
その間にも北海海軍司令部の参謀長も務めるなど
いわゆるUボート一筋ではなかったことが良くわかりました。
また、ヒトラー政権以前が回想の舞台となっており
奥さんとの出会いや英語を磨くためのイギリス滞在のエピソード等
プライベートな話もあって、一個人の成長(青春)の記録的内容となっています。
しかしこの凄いタイトルの本ですが、もちろん廃刊なので古書価格も凄くなっています。
続く後半の第二部は「10年と20日間」に収められています。
まだ未読ですが、近々じっくり読破する予定です。とても楽しみです。
カール・デーニッツ著の「ドイツ海軍魂」を読破しました。
デーニッツといえばUボート、Uボートといえばデーニッツというほど
Uボート艦隊指令としてあまりにも有名なデーニッツ回想録の第一部です。
そんな訳でヴィトゲンシュタインも第一次大戦時代にデーニッツがUボート艦長であった
という程度のことしか知りませんでした。
この本では自身の生い立ちからじっくり振り返り、海軍への入隊~第一次大戦勃発時の
少尉での巡洋艦「ブレスラウ」の通信長、そしてUボート艦長としての戦闘記録は何か
とても貴重なものを読んでいるような気にさせられます。
ちなみに表紙の写真は1917年、U39における仕官(デーニッツ)による模範的な?見張りの図です。
敗戦後、捕虜生活から再び海軍に戻り、水雷艇艇長を経て、
巡洋艦「エムデン」の艦長となります。
その間にも北海海軍司令部の参謀長も務めるなど
いわゆるUボート一筋ではなかったことが良くわかりました。
また、ヒトラー政権以前が回想の舞台となっており
奥さんとの出会いや英語を磨くためのイギリス滞在のエピソード等
プライベートな話もあって、一個人の成長(青春)の記録的内容となっています。
しかしこの凄いタイトルの本ですが、もちろん廃刊なので古書価格も凄くなっています。
続く後半の第二部は「10年と20日間」に収められています。
まだ未読ですが、近々じっくり読破する予定です。とても楽しみです。