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ホロコースト全証言 -ナチ虐殺戦の全体像- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グイド・クノップ著の「ホロコースト全証言」を読破しました。

ドイツのテレビ(ZDF)現代史局長である著者の本はこのBlogを始めた当初から読んでいました。
ヒトラーの共犯者」や、「ヒトラーの親衛隊」など7冊ですね。
かなり勉強になった半面、自虐的過ぎるような構成と結論に違和感を感じたのも事実です。
そんなこともあって、2004年、441ページの本書を読むことに躊躇していましたが、
2週間ほど前に突然、読んでみよう・・という気になりました。
本書は写真タップリなので、このレビューでも負けず劣らず写真を掲載しますから、
もし「ホロコーストの写真は苦手・・、怖い・・」という繊細な方はスルーしてくださいね。
いまコレを書いている時点で、どんなエグい写真になるか、一切不明なんです。

ホロコースト.jpg

それでは第1章、「人間狩り」から・・。
1941年7月、ラトヴィアの都市リバウでユダヤ人47人とラトヴィア共産党員5人が射殺されます。
アインザッツグルッペンはこのあとの1ヵ月の間にラトヴィア人「自警団」とともに、
1000人のユダヤ人男性を処刑。
ソ連侵攻当初は、まだ女性や子供、老人は対象外なのです。
この「バルバロッサ作戦」とは、ヒトラーの思考のありとあらゆるイデオロギー的・戦略的要素が
束ねられ、ひとつの実戦的解答になったものだった・・として、
わが闘争」から具体的に抜粋します。
いわゆる「ユダヤ=ボルシェヴィズム」というヤツですね。

ゲシュタポクリポ(刑事警察)SD(保安防諜部)を中核に武装SSとオルポ(秩序警察)から成る
4個の特別行動隊アインザッツグルッペンも、隊長のシュターレッカーなどが登場しながら
なかなか詳細に書かれ、出動前にはハイドリヒから心構え、
「いかに苛酷で困難な任務であるか」を説かれます。

Franz Walter Stahlecker.jpg

そして非武装の民間人、「扇動者・ビラ撒き」といった嫌疑をかけられただけでも「ゲリラ」とされ、
銃殺や村を丸ごと焼き払うといった決定が現場の国防軍将校にも与えられるのです。

そんなアインザッツグルッペンvs国防軍兵士のエピソードも出てきました。
砂利採取の穴で300人ほどの民間人が銃殺中なのを発見したシュタルク少尉は駆け寄ります。
「この事態は何だ。ここで銃殺を執行せよという当師団司令官の命令はどこにある」。
プロイセン軍人の毅然とした態度にリトアニア人の死刑執行人とSS隊員は気圧され、
「銃を穴へ捨てろ!諸君を逮捕する!」 そして憲兵がやって来るのでした。

einsatzgruppen  execution.jpg

また、オルポの警察予備大隊が虐殺班を支援したという記述では、
ブラウニング著の「普通の人びと」を基準学術書として高い評価を得ている・・と取り上げます。
いや~、あの本は凄かったなぁ。

ウクライナのレンベルク(リヴォフ)でも常軌を逸した虐殺行為が繰り広げられます。
迫るドイツ軍を前にNKVD長官のベリヤが出した命令は「反革命要素はすべて射殺せよ」。
数百人の囚人が後頭部を撃ち抜かれ、大混乱のなか、いまだ人で溢れ返っている監房に
ソ連の看守は手榴弾を投げ込むのです。
ドイツ軍がやってくるとソ連軍が残していった死体の山に、身内を探す遺族と復讐を誓う人々。

execution-nkvd.jpg

反ユダヤ主義の根強いこの地域、スケープゴートとしてユダヤ人狩りが始まります。
ウクライナ人自警団が女性も子供も路上に引きずり出して暴行を加えますが、
「痕跡を残さないポグロムの扇動」もアインザッツグルッペンの任務の一つなのです。

pogrom-lviv-07-1941.jpg

本書はこのように1941年のソ連侵攻から始まるわけですが、疑問に感じる方もいるでしょう。
ホロコーストを記述するなら、1935年に制定された悪法である「ニュルンベルク法」や、
1938年に起きた「水晶の夜事件」、翌年のポーランド侵攻に伴う「ワルシャワ・ゲットー」など、
ホロコーストの前段階とも呼べるこれ等については、単に「ポグロム」としているようです。
ドイツ国内におけるユダヤ人迫害(ポグロム)から、
戦争の拡大によるユダヤ人虐殺(ホロコースト)とを別けて考えているように思いました。

7月30日、ヒムラーはプリピャチ沼沢地域に対する命令をバッハ=ツェレウスキに下します。
そしてこの命令は2個SS騎兵連隊騎馬隊へと伝えられるのです。
「SS国家長官の断固とした命令である。ユダヤ人の男を全員射殺せよ。女は沼へ追い込め」。

Russland,_SS-Kavallerie-Brigade.jpg

第2連隊は命令に従ったものの、第1連隊のやり方は苛烈を極め、
通過した村々に住むユダヤ人全員、女子供も無差別に、機関銃で掃射していくのでした。
このSS騎兵連隊騎馬隊を率いるのは、後のエヴァ・ブラウンの義弟、フェーゲラインです。

Hermann Fegelein.jpg

この時から遂にユダヤ人は男性だけでなく、無差別に殺害されていくことになるわけですが、
リトアニア人の警察志願兵大隊将校で銃撃手だったマレクサナスはこう語ります。
「子供だけは守ろうと、親が子供を腕の中で庇っていることがよくありました。
それで子供がいっそう苦しむことになるとは、その親たちにはわからなかったのです。
射殺できなかった子供は、穴の中で親の身体の下敷きになり、結局は窒息死するのですから。
私はいつも確実に死なせるため、星の付いた部分、正確に心臓を狙うようつとめました」。
まだまだアインザッツグルッペンを中心とした人間狩りは、
バービ・ヤール」の大殺戮などへと続きます。

2boyswithstars.jpg

87ページから第2章、「決定」です。
ヒトラーが署名したホロコーストの命令書は存在しない・・ということはよく言われており、
本書でも口頭で伝えられたり、暗示であったり、或いは同意を示すうなずきであったり・・と表現。
そして「最終的解決」に向けての全権を1941年7月に与えられたハイドリヒ。
1942年1月に、「ヴァンゼー会議」を開き、ユダヤ人絶滅について協議。

heydrich3.jpg

しかしこのホロコーストの頂点に君臨したのはヒムラーです。
ミンスクで行われた100名の処刑に立ち会ったヒムラー。
この後、バッハ=ツェレウスキはこう訴えたそうです。
「この者たちの神経は、もはや残りの人生に耐えられません。
我々はここで神経症患者や無法者を育成しているのです!」

Erich von dem Bach-Zelewski.jpg

ドイツ本土のユダヤ人は「最終的勝利」を収めた後に移送されることになっていましたが、
ソ連がヴォルガ=ドイツ人40万人をシベリア送りにするということが判明すると、
東方占領相ローゼンベルクが「中央ヨーロッパのユダヤ人も可能な限り東の果てへ」と考え、
ハンブルクが爆撃されて600人の市民が焼け出されると、ガウライターのカウフマンは、
「ユダヤ人を移送して、焼け出された人々に住居を与えて欲しい」とヒトラーに訴えます。

個人的には、独ソ戦は軍事的に、ホロコーストは政治的政策として切り分けて考えていましたが、
本書ではモスクワ攻略に失敗したヒトラーが、その責任をすべてのユダヤ人に押し付け、
ホロコーストを加速させていった・・という見解です。
いわゆる絶滅戦争にシフトした感じですが、こうなると切り分けて考えることは不可能ですね。

hitler_Karl Kaufmann.jpg

虐殺行為が加害者にかける負担を軽減することの必要性を感じたヒムラーは、
効率的かつ加害者の神経をいたわるような殺害方法をアルトゥール・ネーベに委託。
ネーベの下には刑事犯罪技術研究所が従い、すでに「安楽死(T4作戦)」の開発を行うなど、
その創造性は折り紙つきなのです。
早速、精神病患者20名を地下壕に閉じ込めて爆殺を試みるも、生き残った者がいたため失敗。
今度は大量の爆薬を使用して成功するものの、バラバラになった死体が飛び散り・・。

やがて研究は進み、「ガス・トラック」へと形を変えるのです。
それでも荷台中の排気ガス濃度が致死量に達するまで時間がかかり、
断末魔の苦しみは15分以上続き、凄まじい叫び声が運転席にまで届いてしまうのです。
部下に与える苦痛を軽減したいと目論むヒムラーの願いも虚しく・・。

hans frank_himmler.jpg

第3章は「ゲットー」。
ポーランドのウッジ・ゲットー、ドイツ語ではリッツマンシュタットと呼びますが、
この人で溢れかえっていたゲットーにウィーン、プラハから5000人づつ、
その他ベルリン、フランクフルトなどから、〆て25000人のユダヤ人が新たにやって来ます。

rad0b.jpg

彼らの家はすでに当局が家財・家具ごと押収しており、そこには事務的な規定が・・。
真っ先に財務行政機関がやって来て、机や書棚、絨毯に椅子などを差し押さえ、
価格の低い物は「国家社会主義国民福祉協会(NSV)」が引き継いで、慈善事業に回すのです。
有価証券は帝国中央金庫が、ミシンはゲットーの管理部が軍服製造のために引き受け、
切手コレクションはどこどこ、書籍類はドコドコと役所の取り決めがあるものの、
実際には値打ちある物はゲシュタポに確保されてしまっていることが多く、
獲物の分配を巡って熾烈な競争が行われるのです。

下はそんな「NSV」のポスターです。
福祉うんぬんだけあって、爽やかなSA少尉とSS軍曹の顔が印象的ですね。

Nationalsozialistische Volkswohlfahrt poster.jpg

このように多くの所有物を残してきたままゲットーに到着しても、少ない手荷物も没収されたり、
食料配給と引換えに取り立てられ、さらにはわざわざ「ゲットー通貨」まで導入されているのです。
そして17万人が暮らすこのゲットーで赤痢が大流行すると、4万人もが命を落とします。

Pologne,_20_Mark_du_Ghetto_de_Lodz.jpg

ヴァンゼー会議の結果を受けて、ウッジ・ゲットーから2万人が「移住」させられることに・・。
選抜するのはゲットー内の「ユダヤ人評議会」、ユダヤ人警察、裁判所などの各責任者です。
特に今回は対象者が65歳以上の老人に加え、10歳未満の子供たち。。
管理部職員や警官、消防署員の子供は除外して、その彼らが1軒1軒しらみつぶしに捜索。
当然、親は子供を隠したりと、ユダヤ人がユダヤ人に悪魔の手を差し伸べ、
労働力にならない老人と子供たちを移送先で待っているものはひとつしかないのです・・。

重要人物と迫害されるユダヤ人の白黒写真が多く掲載されている本書ですが、
下 ↓ の写真はキャプションによると、「ウッジ・ゲットーで食糧配給を待つ子供たち」。

Ghetto Litzmannstadt children.jpg

ゲットーのユダヤ人警察っていうのは、「戦場のピアニスト」にも出てきたかも知れませんが、
まぁ、難しい立場ですねぇ。
人道的な警官もいたでしょうが、特別なバッチを付けた制帽をかぶり、
腕章を付けて威張りくさっていたナチスの犬の如き若造なんかもいたんじゃないかと思います。
ホロコーストを語るとき、ナチス=悪、ユダヤ人=善という図式になるのは当然だと思いますが、
ナチスにも善人はいるし、ウッジ・ゲットーにいる17万のユダヤ人に中にも悪人はいるでしょう。

Jewish_Ghetto_Police_Arm_Band.jpg

ちょうど半分まで来ました。第4章は「虐殺工場」です。
この章タイトルでおわかりのように、「アウシュヴィッツ」を中心とした絶滅収容所の様子。
1941年9月6日、600名のソ連軍捕虜と300名の病気の囚人が人体実験の犠牲になります。
それは初めて「チクロンB」を使用した大量ガス殺人が成功したということです。
これで殺しがより迅速に、かつ安価になったばかりでなく、より「人道的」になったのです。

所長のルドルフ・ヘースは語ります。
「白状すると、わたしはガス殺に安堵の息をついた。
いずれ近いうちにユダヤ人の大虐殺を始めなければならない。
わたしはいつも銃殺には震え上がっていた。でも、もう安心だ。
これで我々は皆、血の海を見なくても済むのだ」。

ツィクロンB.jpg

1940年の4月にテオドール・アイケの教え子、SS大尉ヘースがアウシュヴィッツに到着したころ、
ここへ送られてきた最初の囚人はザクセンハウゼン強制収容所の刑事犯30名なり・・。
彼らは殺されるために送られてきたのではなく、監督囚人、すなわち「カポ」として、
収容所ブロックや房の古参として、他の囚人を監督するのが任務なのです。
肉体労働の義務すらなく、良い食事に革の長靴、特別仕立ての囚人服を身にまとい、
ポーランドからやって来た囚人らを怒鳴り、殴り、蹴りながらバラックへと追い立てるのです。

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このような「カポ」システムっていうのはアウシュヴィッツだけでなく、大抵の収容所でも行われ、
ドイツ人カポの場合もあれば、ユダヤ人カポだったりするんですね。
ですから被収容者からしてみれば、直接手を出してくる外道はカポ、
その上にウクライナ人などの外国人看守、次にドイツ人SS軍曹といった看守長、
最後にSS大尉、またはSS少佐の階級で君臨する所長となるわけで、
この収容所階級社会から見れば、末端の囚人は所長を王様のように感じたことでしょう。
ちなみにカポの腕章もいろいろありますが、カポリーダーというか上級カポもいたようてす。

Oberkapo_-_Armbinde.jpg

1942年になると連日のように、ヨーロッパ全土から数千人が到着します。
アイヒマンの移送計画はアウシュヴィッツだけでなく、トレブリンカ、マイダネク、ゾビボルなど、
計6か所の絶滅収容所に及び、そのガス殺~焼却までの流れ作業も効率化。
本書ではガス室から焼却作業に従事したユダヤ人「ゾンダーコマンド」の回想も挿入しつつ、
私はガス室の「特殊任務」をしていた」からも抜粋していますから、細かい手順は今回、割愛・・。
それから「死の天使」メンゲレも当然、出てきます。でもコレもゲスい人体実験なので割愛・・。

その他、著名な人物としては「ナチ・ハンター」サイモン・ヴィーゼンタールの証言、
イタリア人、プリーモ・レーヴィの回想が随所に登場。
そういえば、プリーモ・レーヴィ著の「休戦」を以前からチェックしていたのを思い出しました。



第5章は「抵抗」。
1943年1月、「ワルシャワ・ゲットー」に8000人の移送命令が下ると、
これまで確実に命令を遂行してきたユダヤ人警官も今度ばかりは協力を拒みます。
自分が最低5人を引き渡さなかった場合、次に移送されるのは自分の家族だ・・
ということを承知しているにもかかわらずです。
このような反抗的態度は4月に始まった「ワルシャワ・ゲットー蜂起」へと繋がっていくのです。

Der-Pianist Jewish ghetto Polizei.jpg

ポーランドの総督ハンス・フランクはベルリンへ状況を大袈裟に報告します。
「この組織的な蜂起と戦うには重砲を動員しなければならない。
ドイツ軍兵士に対する殺戮が恐ろしい勢いで進行している」。
そしてSS指揮官シュトロープがゲットーに火を放ち、廃墟にしていくのでした。

Das Ghetto wurde teilweise mit Flammwerfertrupps in Brand gesteckt.jpg

また、1942年5月には地下の抵抗運動組織によって英国に情報がもたらされ、BBCが報道。
翌月には「デイリー・テレグラフ」紙がホロコーストを記事にし、西側社会に広まります。
「史上最大の大虐殺により、70万人を超えるユダヤ人が殺戮された」。
しかし、外務省の専門化たちも新聞社のトップも、このあまりの人数の多さに内心では、
ユダヤ人が拡張しているのだろう・・と考えていたとします。
それでも実際はこの時点での犠牲者数は、ゆうに2倍になっていたと。。
確かにゲーリングも戦後、「あの数字はあり得ないと思った」と語ってましたねぇ。

Libau execution 1941.jpg

11月には新たな証人がロンドンに到着します。非ユダヤ人の彼の名はヤン・カルスキ。
ポーランド亡命政府のエージェントとして、占領下のポーランドに3年間潜伏した彼は、
ウクライナ兵士の軍服を着てルブリンの収容所に潜入したりと、逮捕、尋問、脱走という
修羅場を何度となく、くぐり抜けてきた人物なのです。
本書に掲載されている彼の写真を見て、すぐにピンときました。
2012年に出た、「私はホロコーストを見た: 黙殺された世紀の証言1939-43」の著者ですね。
いや~、そういうことなら読んでみようかなぁ。



ユダヤ人組織の代表者たちは外部から救援を組織しようと努力しますが徒労に終わります。
ローマ教皇に働きかけようとしても、ピウス12世は新ドイツ派であり、
正面切ってヒトラーに対抗するつもりはなく、また、カトリックの因習的な反ユダヤ主義も・・。

もうひとつドイツ国内で道義的中心となるべき機関はドイツ赤十字(DRK)です。
しかしナチスに「同質化」されていたこの機関に期待するのはお門違いであり、
事務局長はSS大将エルンスト・グラヴィッツ医学博士で、「T4作戦」では
精神障害者の殺害を自ら買って出た「SS国家医師」なのです。
それにしてもこの人の名前で、「手榴弾2個」をイメージした方はマニアですねぇ。
ヒトラー 最期の12日間」で、ベルリンからの退去を許されず、家族もろとも自爆したあの人です。

DRK-Geschaeftsfuehrer Grawitz.jpg

ユダヤ人を守った人物としてオスカー・シンドラーや、アプヴェーアのハンス・オスターらも紹介。
カナリス提督シュテルプナーゲル将軍トレスコウシュタウフェンベルクらも取り上げ、
彼らの過去の反ユダヤ主義的発言を踏まえたうえで、
1944年のヒトラー暗殺計画へと進んでいった経緯についても検証します。
関与者にはクリポ局長で、アインザッツグルッペンの隊長を務めたネーベも含まれるのです。

ただ個人的には国家元帥ゲーリングの弟、アルベルト・ゲーリングの話が印象的でした。
リスボン経由で脱出するユダヤ人のための資金を準備したり、
ハイドリヒに働きかけてチェコの抵抗活動家をプラハのゲシュタポ監獄から釈放させたり・・。

Hermann_Albert göring.jpg

最終章は「解放」。
1944年4月になって、アイヒマンはいまだ非ユダヤ化されていないハンガリーに手を伸ばします。
一日あたり1万4000人にのぼるハンガリー・ユダヤ人が故郷を追われ、アウシュヴィッツへ直行。
3ヵ月間で43万人の強制輸送をやってのけると、所長を退任していたヘースが
最後の大仕事をやり遂げるため、アウシュヴィッツにカムバック。。

Zug.jpg

しかし、連合軍がノルマンディに上陸し、ブダペストが空爆され、ルーズヴェルト大統領が
「この蛮行に加担した人間は、1人として刑を逃れることは出来ない」と宣言すると、
ホルティは保身のためにユダヤ人の輸送停止を命令し、それに激怒するアイヒマン。
そして10月、ハンガリーのファシスト、「矢十字党」がクーデターを起こし、ホルティは失脚。
ブダペストに戻って来たアイヒマンはユダヤ人指導者に冷酷に告げます。
「どうだね。わたしはまた帰って来たぞ」。

この部分は早い話、「パンツァーファウスト作戦」のことですね。
本書では触れられていませんが、並行してスコルツェニーがホルティの息子を誘拐したり・・と、
有名な話ですが、今回は「矢十字党」に興味をそそられました。

Arrow Cross Party.jpg

1945年1月、アウシュヴィッツはとうに絶滅作業を終了し、東から迫るソ連軍から逃れるため、
9000人の病人を残して、5万人が西へ向かいます。
痩せ衰え、消耗しきった囚人たちは雪と寒さのなかバタバタと倒れては監視兵が射殺。

death marchs 1945.jpg

苦しい旅の果てにようやく辿り着いたのは ベルゲン・ベルゼン強制収容所
いまや看守の暴力も、ガス室も、銃殺も行われないここで、ただ朽ち果てるのみ・・。
アンネ・フランクも若い命を落とした、この不衛生な強制収容所。
監視兵が仕事を放棄した結果、囚人医師が戦後証言したところによると、
仲間の死体を食べるカニバリズムが、少なくとも200件あったということです。

本書ではこのあたり、痩せ細った死体の山の写真が多くなってきますが、
一番印象に残ったのは、「ベルゲン・ベルゼン解放後、仲間の死体の前で食事をする女性たち」。

Bergen-Belsen 1945.jpg

ダッハウでは解放された収容者の歓声が、午後には野蛮な無政府状態へと変化。
怒りに任せて監視兵に襲い掛かる囚人たち。
米兵がSS看守をまとめて銃殺しただけでなく、囚人服を着て変装したり、身を隠した看守も
あちこちで正体を暴かれて、その場でリンチ。身体が裂け、内臓がはみ出るほど激しく・・。
米軍の従軍ラビはこう書き記します。
「1人の痩せ細った囚人が、死んで硬直した監視兵の顔に小便をかけていた」。

Dead SS soldier and another man at Dachau.jpg

気の良いGIは、あちこちで囚人にコンビーフやチョコレートを配って回ります。
しかし極度の脱水症状を起こしていた彼らの身体は、大量のカロリー摂取に耐えきれず、
数百人が命を落としてしまうのです。う~ん。ヨーロッパ中で起こった話ですね。

最後にアイヒマンは1960年に発見され、メンゲレは捕まらずに1979年に溺死。
所長のヘースは1947年、アウシュヴィッツの敷地内で絞首刑に処せられます。

Hoess.jpg

2007年に本書のドイツTVシリーズ版がDVDになって発売されていました。
6枚組のDVD-BOXで、各章ごとに1枚になっているようですね。
タイトルは「ヒトラーとホロコースト -アウシュビッツ」、計300分の大作です。
ヒストリー・チャンネルで放送したかなぁ??



単純なホロコーストものでは、極悪非道のナチス、その首領ヒトラー、
悪魔の所業を推進した子分ヒムラーと、進んで命令に従ったヘースやアイヒマン・・といった
加害者側と、生き残った被害者ユダヤ人の回想という構成が多いですが、
本書はこのように加害者側にも様々な考えを持った人間がおり、
それは敗戦へと向かって行く過程で起こす行動にも変化が見られます。

Holocaust.jpg

また、中立の人間、一般のドイツ市民やナチス占領地の市民が何を考えていたのか??
と、幅広い証言からも成り立っています。
見て見ぬ振りをしたことが、ホロコーストに加担したことになるのか、
ユダヤ人がスウェーデンに逃亡するのを助けたデンマーク漁船の漁師たちが
大金をはずんでもらったことが、恥ずべき行為なのか、
こういった複数のケースに、単純に善悪では切り分けられない問題の難しさも認識しました。
もっと早く、3年前にでも読んでおけばよかった・・と後悔する一冊でした。
そうか。今年は「アウシュヴィッツ解放70周年」だから読もうと思ったのか・・。












私はガス室の「特殊任務」をしていた [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

シュロモ・ヴェネツィア著の「私はガス室の「特殊任務」をしていた」を読破しました。

3年ほど前に発刊された256ページの本書は以前からかなり気になっていたものですが、
古書価格がだいぶ安くなってきましたので490円で買ってみました。
タイトルは「私はヒトラーの秘書だった」や、「ヒットラーを焼いたのは俺だ」的な感じですが、
原題は「ゾンダーコマンド」。これは「特殊任務部隊」という意味で、
①アウシュヴィッツに到着したユダヤ人をガス室へと送り、
②死体をガス室から引き出し、
③髪の毛を切り、金歯を抜き、
④迅速に焼却する
という任務を遂行するユダヤ人被収容者の部隊のことです。

私はガス室の「特殊任務」をしていた.jpg

第1章は「収容前-ギリシャでの生活」です。
1923年、ギリシャ生まれのシュロモ・ヴェネツィアの生い立ちが語られ、
その昔、スペインにいた先祖がユダヤ人追放政策によってギリシャに落ち着く前、
イタリアに住み、その街の名前「ヴェネツィア」が家族名となったそうで、
これはスペイン系ユダヤ人には当時、家族名がなかったことが理由ということです。
そんなことからギリシャでもイタリアの市民権を持っていた「ヴェネツィア」家。
しかし父が亡くなり、戦争の足音が近づく1938年には
2つ上の兄がイタリアの学校からユダヤ人を理由に追放されて帰国・・。

1940年にイタリアがギリシャに宣戦を布告すると、兄はギリシャ警察に逮捕されますが、
進撃してくるはずのイタリア軍は逆に撃退される始末。。
結局、やって来たのは助っ人のドイツ軍なわけですが、ユダヤ人であることよりも、
同盟のイタリア人であるために、彼らはドイツ軍からも守られるのでした。

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しかし1943年にイタリアが降伏すると、事態は悪化します。
1944年4月1日には「ユダヤ人」ヴェネツィア家も遂に強制収容され、
アウシュヴィッツ行きの列車に乗り込むことに・・。
この11日間にも及ぶ「死の列車の旅」は大概、壮絶なもので、
水も食料もなく、ギュウギュウ詰めのなか、排泄用の空き缶がある程度で、
到着した時には死人もわんさか・・というのが知られていますが、
彼らの場合には赤十字が食料と毛布を配ったことで、なんとか生き延びることに成功します。

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本書はインタビュー形式によって進みますが、ひとつの質問に対してシュロモは
1ページから8ページほども一気に語りますので、
細々したやりとり(例えば、Q:「~だったのですか?」 A:「そうです。」)はなく、
彼の話をジックリと聞いている感じです。

第2章からはアウシュヴィッツの生活が始まります。
列車を降りると、鞭とビンタで2列を作らされ、選別で残ったのは男性320名。
この時に着いた2500名のうち、同様に選別された女性328名以外は、
そのままガス室行きだったということです。
また、「右、左!」と指示するドイツ人将校も「あのメンゲレだったかも知れないが、
確かじゃない」というこの部分を読んだだけで、彼がコトを大げさに、
センセーショナルなものにしようとしていないことがわかりました。

Mengele8.jpg

そして「アウシュヴィッツⅠ」へと送られ、腕に登録番号の入れ墨を入れられたのち、
兄や従兄たちと再会するものの、母や妹たちの運命は知れず・・。
小部屋の3段に分かれた「簡易ベッド」ひとつには、少なくとも5人が寝ます。
上段は割れた窓に近すぎて風が入ってきますが、
下段も頭から「ありがたくない物」がたくさん落ちてきます・・。

Selection for Gas Chambers by David Olère.jpg

やがて「特殊任務部隊」に選抜された20歳のシュロモ。
悪名高い「アウシュヴィッツⅡ」こと、ビルケナウのバンカーへと向かいます。
ガス室から死体を引っ張り出し、墓穴へと運んで燃やす仕事を命ぜられますが、
死体を墓穴に置くのは経験のある先輩ゾンダーコマンドで、
死体を詰め過ぎて空気が通らずに火が消えるのを防ぐようにしてうまく落とします。

Burying the Remains of Children by David Olère.jpg

「アルバイト!仕事だ、ユダヤの犬どもめ!」と、たけり狂った動物のようにわめき散らし、
理性を失って死体を持ったまま動けなくなった者を射殺する「死の天使」、
恐怖のオットー・モル曹長が登場します。
焼却棟の責任者として君臨したというこの人物は初めて知りましたが、
とんでもないサディストです。。。

Moll, Otto.jpg

24時間、地獄の作業を行った翌日、職業を床屋と偽っていたシュロモは、
ガス室から引き出された死体の髪を切る作業に従事・・。
そのうち死体を引き出す作業もやらされるようになりますが、
手で引っ張っても汚れて滑るため、杖を首に引っ掛けて運んだそうです。
老人はガス室送りですから、杖が不足することはありません。

Gas-chamber and furnace.jpg

巻頭に写真が数枚、掲載されていますが、本文では、彼の語る「特殊任務」を
わかりやすく見せるために、所々に挿絵(スケッチ画)が出てきます。
そしてこれが非常に印象的なもので、ダヴィド・オレールという「ゾンダーコマンド」の
生き残りの画家によって、戦後、描かれたものだそうです。
あくまでイメージ画のようですが、迫力がありますね。
彼はこの白黒のスケッチ画以外にも、カラーの絵画も描いてますが、
印象が変わりますね。個人的にはスケッチ画のほうが生々しくて、ゾクっときます。。

Unable to Work by David Olère.jpg

新しい焼却塔では地下の脱衣所とガス室で髪を切り、金歯を抜き終えると、
死体はリフトに乗せて、1階にある焼却炉へと運ばれます。
このような作業も詳細に語り、作業が遅れてドイツ人に怒られることを恐れ、
実に手際よく、プロフェッショナルと呼べるほど効率的で迅速に行われています。

The Oven Room by David Olère.jpg

さらに血や汚物で汚れたガス室の掃除・・。「シャワー室」と騙して入れるこの部屋に
そんな跡が残っていれば、次に入れられた人たちが半狂乱に陥ってしまいます。

Nos cheveux, nos dents et nos cendres.jpg

「ゾンダーコマンド」はあまりに重要な仕事に就いているため、食事の量も多く、
ベッドもひとり一台と特別扱い。またSSも「最悪中の最悪」のオットー・モル以外は
そっとしておいてくれます。
特にひとりのオランダ人SS隊員はより人間的で、「ドイツ人は有能と信じてSSに入ったのに
本当のことを分かったときには遅すぎた」と後悔します。
東部戦線行きを恐れ、何も言わずに、出来るだけ人を殺さないように努めるオランダ人のSS。。

Dans la chambre à gaz.jpg

ガス室に入る前の脱衣所任務では、「シェロモ!」と声を掛けられると
その声の主は、父の従兄弟のレオンです。
ここまで肉体労働で生き延びていたものの、膝の怪我で用無しとなってしまった彼は、
「死ぬまでにどれくらいかかるんだい?すごく苦しむのか?」と質問攻め・・。
本当は空気を求めて10分~12分はかかるのに、「長くかからないし、苦しくもないよ」と
ウソをついて安心させるシュロモ・・。

Undressing cellar.jpg

やがて大規模な反乱が計画されますが、これは失敗に終わり、多くのゾンダーコマンドが処刑。
シュロモはうまく立ち回り、この危機も乗り越えます。
10月には列車が到着することもなくなり、その存在を消すために焼却棟の解体命令が・・。
そして遂にアウシュヴィッツは、東から迫るソ連軍から逃れるために撤退を開始。
しかしこの収容所のすべてを知るゾンダーコマンドが生き残ることは許されません。
それでも他の5000人の囚人たちに紛れ込んだシュロモは、真冬の「死の行進」で西へと向かい
10日以上歩き続けて、1月末オーストリアのマウトハウゼン強制収容所にやっと辿り着くのでした。

Gassing by David Olère.jpg

大きく分けて3部構成ですが、メインの「ゾンダーコマンド」の部分だけではなく、
前半のアウシュヴィッツに辿りつくまでの部分、
後半の「死の行進」から米軍に解放されるまでの部分も大変興味深く読みました。
基本的には彼の実体験だけが書かれており、せいぜい兄や従兄弟から聞いた話まで・・。
質問に対しても、見聞きしなかったことには「知らない」とはっきり答えます。
度々、彼もこのような世界で生き延びることを自問自答しますが、
もし自分がその立場だったら、果たしてどうするのか?
そんなことを考えざるを得ない、迫力のある良書でした。



トレブリンカ -絶滅収容所の反乱- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャン=フランソワ・ステーネル著の「トレブリンカ」を読破しました。

本書を吉祥寺の古書店で900円で購入したのが、ほぼ3年前です。
いわゆる「ホロコースト」もの・・、数ある絶滅収容所のなかでも、このトレブリンカが
アウシュヴィッツに次ぐ70万人もの人々を葬った収容所であることを考えると
なかなか読破しようという勇気が起きず、ズルズルと時間が経ってしまいました。
ただ、トレブリンカの特徴である、収容者たちの反乱による集団脱走というテーマが
今回、やっとこさ手をつけた理由でもあり、この収容所の所長でもあったシュタングルの
人間の暗闇」も読破したことで、双方を客観的に理解できる自信もついたことが、
今回の独破に至った経緯です。

トレブリンカ.jpg

「千年帝国の建設者たちは、厄介払いしようとしたユダヤ人を残らず移住させることが
遂にできなかったので、皆殺しにすることを決めた」。から始まる本書は、
この「最終的解決」の第1段階である「ゲットー」の様子とそのシステムを解説します。

そして、その「ゲットー」から「収容所」への移送と「処理」方法・・、当初の銃殺にしても
古典的な12歩離れた銃殺隊によるものから、首筋に一発ぶち込むだけ・・
という新しく効率的な方法が優勢となりますが、執行人にとっても耐えがたいものでもありました。
このようなことから、世界で初めて「百万単位の人間をどのように消すか」という問題に
真剣に取り組むこととなり、その発明は「ガス・トラック」として1942年春に登場します。

gas van.jpg

しかしこの方法も、扉が開いた際の光景があまりに恐ろしいことからSS隊員たちは、
その衝撃に耐えるため、酒に酔っていなければならない・・など、問題点も多いものです。

1942年7月、いよいよポーランドのワルシャワから完成したトレブリンカに向けて、第1陣が出発。
20両編成の列車から降ろされたユダヤ人たち・・、女性と子供は、そのまま「シャワー室」へ、
男性たちは丈夫な者を選び出そうとする、マックス・ビエラスSS少尉の
容赦ない暴力的な選抜テストを受けることに・・。

Max Biala.jpg

2つの区画から成るこのトレブリンカは、ガス室から死体を取り出し、金歯を抜き、
壕へ運ぶ作業に従事する200名のユダヤ人たちの第2収容所と、
到着したユダヤ人たちの品物や衣類の選別したり、収容所内の建築に関わる者たち、
SS隊員の身の回りの世話や靴や衣料品の製造班、そして医師といった
収容所の運営に必要なユダヤ人たちの住む第1収容所に分かれています。

前者は衣食住、すべてにおいて非常に劣悪な環境で、「最終的解決」の目撃者でもある彼らは
どちらにしても生き残ることは許されず、また、彼らの交代要員はいくらでもいるという
常に死の1歩手前で生き延びている状況です。

Some of Treblinka staff members.jpg

それに引き替え、幸運にも後者に選ばれた者たちは、その技術と体力が
トレブリンカを維持するためにも、運営にあたる20名程度のドイツ人SS隊員と
100名程度のウクライナ監視兵とともに必要とされる存在であり、
そして、このような組織作りと人員の選抜を行うのは、クルト・フランツSS曹長です。

KurtFranz.jpg

やがて第1収容所の3名のユダヤ人によって密かに組織された「トレブリンカ抵抗委員会」。
ここからは、脱走モノのサスペンス小説のような展開になるので
あまり細かいことは書きませんが、列車での脱走や
極悪人のSS隊員マックス・ビエラスSS少尉を刺し殺し、
宿敵であるはずのウクライナ監視兵との交流など、様々な話が興味深く、楽しめます。

Treblinka Ukrainian guard.jpg

ドイツ側の主人公はクルト・フランツで、途中、彼の生い立ちからも紹介されます。
トレブリンカの所長、イルムフリート・エベールと、続くフランツ・シュタングル
単に司令官とい名で登場するだけで、事実上、クルト・フランツが取り仕切っており、
最終的にはSS少尉として、所長としてもトレブリンカに君臨します。

Kurt Franz à Treblinka.jpg

ガス室も13戸へ増やし、熟練したユダヤ人によって完璧に調整された殺人工場と化した
トレブリンカ・・。ヨーロッパ中から莫大な数のユダヤ人を率先して受け入れ、
適切に「処理」していきます。
しかし、1943年には訪れたヒムラーから「閉店」の命令が・・・。

Treblinka station.jpg

アウシュヴィッツのような焼却炉を持たないトレブリンカの大地には、すでに70万人もの
死体を埋蔵しており、証拠隠滅のためには、これらも消し去る必要にクルト・フランツは迫られます。
1日千体を処理しても、まるまる2年はかかるという窮地・・。
掘り返した壕の死体にガソリンをかけたところで、すべてを燃やし尽くすことはできません。

そこでヘルベルト・フロスと名乗る、死体火葬の専門家が派遣され、彼によって
巨大なクレーンを使って死体が掘り起こされ、人海戦術を用いた流れ作業によって
積み上げられた死体が連日、燃え続け、壕は空になっていきます。

treblinkagrab.jpg

反乱を計画していたユダヤ人たちは、単に逃げ出すことだけが目的ではなく、
この絶滅収容所の生き証人になることも重要な使命です。
しかし、そうこうしているうちにトレブリンカはそれ自体の痕跡すら消そうとする、時間との闘い・・。
そして、遂に彼らは「武器庫」を襲い、反乱に成功します。

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前半は、毎夜バラックで起きる首つり自殺など、悲惨な話で気が滅入りますが、
後半は、クルト・フランツによって提案されたリクリエーション・・、
音楽好きの彼のためのオーケストラや日曜日のボクシングなどの催し、さらに結婚までと
あくまで「奴隷」ではあるものの、意外な絶滅収容所生活を知ることができました。

1938年にパリで生まれた著者は、ユダヤ人であった父親を強制収容所で亡くした過去を持ち、
本書を書くにあたって、脱出して生き残った生存者を訪ね歩くなどして、
ドラマチックな小説のような雰囲気に仕上げています。



捕虜 -誰も書かなかった第二次大戦ドイツ人虜囚の末路- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

パウル・カレル、ギュンター・ベデカー共著の「捕虜」を再度、読破しました。

パウル・カレルを紹介するのも今回が最後になりますが、
その最後となる本書を再読するのは、4年ぶりくらいになるでしょうか。
いつものカレルのように多彩な人物たちが登場し、テンポ良く
ショートショートのような展開で飽きることなく読ませてくれます。
覚えている話もありましたが、数日かけて読んだ今回でも、
時間切れでページを閉じるのも切ない気持ちになりました。

捕虜.JPG

5章から成る本書はまず、開戦から間も無い1941年のUボート捕虜にまつわるものからです。
客船「アセニア号」を撃沈したことでも有名なレンプ大尉と、そのU-110の最後が紹介されると
続いてU-570のラームロー大尉があっさり降伏した末に
秘中の秘であるUボートとエニグマ暗号機を、敵に受け渡すという
Uボート艦長としてのあるまじき愚行を犯した挙句、捕虜となります。

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しかし彼と先任が送られた英国の捕虜収容所で待っていた先輩Uボート捕虜仲間により
「有罪」となり、先任は名誉回復の脱走の末、射殺され、ラームローは最後まで
彼ら仲間と交わることが許されず、ひとり寂しく生きてゆくことになるのでした。

大エース、オットー・クレッチマー少佐のカナダでの捕虜生活は実に楽しく書かれています。
1942年の英加コマンドー部隊による、デュエップ奇襲作戦に端を発した
捕虜の手を縛るという問題では、ヒトラーにより連合軍捕虜の手を束縛する命令が出され
その報復によって、ボウマンヴィル収容所のクレッチマーたちも束縛されることに・・。
ここにドイツ人捕虜対カナダ人監視兵による戦争が勃発します。
この話、クレッチマーの伝記「大西洋の脅威U99」にも出ていましたが、
ほとんどスポーツのような、ほのぼのした戦いで実に楽しめます。

U-Boat Commanding Officers imprisoned at the Bowmanville POW Camp.gif

他にも地中海で空母アーク・ロイヤルを撃沈した、U-81のグッゲンベルガーの
捕虜生活と脱走も描かれ、その最後にはアーク・ロイヤルに乗船していた英国人将校から
「あの時は実にお見事でした」と手を差し出されます。いや~、感動的です・・・。

Friedrich-Guggenberger Kommandant von U 28, U 81, U 847 und U 513.jpg

第2章は仮装巡洋艦「コルモラーン」の戦記から、彼らが捕虜となったオーストラリア大陸での話、
アフリカ軍団のエジプトでの捕虜生活の様子と続き、終戦後、
英国での労働に駆り出されたドイツ人捕虜と、英国娘との恋と結婚の話などが紹介されます。
36万人という驚くべき人数の捕虜がアメリカ本土の収容所にばらまかれていたという話は、
意外な感じがしましたが、英国を含めて、ドイツ人捕虜のナチズムからの更生を図る過程は
なかなか興味深いものでした。

基本的に戦局の早い時期に捕虜となった者、例えばアフリカ軍団の兵士たちなどは
ドイツの攻勢の中心であった世代であり、1944年以降の旗色が芳しくなくなってきたことを
知らないことから、捕虜のなかでもいわゆるナチズム信奉者が多かったとしています。

Afrikakorps member.jpg

第3章はライン川からフランスまでの西ヨーロッパでの収容所の様子です。
終戦直後の西側連合軍に投降したドイツ兵たちは、想定しないほどの酷い捕虜生活を
強いられます。これは以前に紹介した「消えた百万人」そのものの悲惨な例が紹介され、
子供から老人、病院から引きずり出された病人から手足を失った者まで、
野ざらしのキャンプに数ヶ月間放置。。。

German POW. He was only 16 years old.jpg

フランスでの捕虜は連合軍の上陸を防ぐために仕掛けられた、ロンメルの遺産とも言うべき?
一千万個という地雷除去作業に4万人の捕虜が駆り出されます。
もちろん全員が元工兵などということはなく、シロウトの彼ら捕虜が
棒や素手で一個一個地雷を探り当てては除去するわけですが、
その失敗による損害も部隊によっては10%を超えています。

第4章は見方によっては中心部分となる章でしょう。
終戦時スウェーデンで捕虜となった3000名のドイツ人捕虜。
しかしソ連からの要請でスウェーデン政府は引き渡しを決定してしまいます。
これに猛反対するのは捕虜だけではなく、スウェーデン市民と監視に当たっていた軍。
スウェーデン将校はドイツ兵との連帯の証に、ベルトに白いハンカチを巻き、
国王へ陳情の手紙を送ります。が、結局は警察が投入されてしまい・・・。

バルカン方面で捕虜となったドイツ兵の運命は実に恐るべきものです。
捕虜に対する、あまりの残忍さにあまり細かいことは書きたくありませんが、
さわりだけをちょっと紹介すると・・
188機撃墜のエース・パイロット、ヨアヒム・キルシュナーはセルビア上空で
パラシュート脱出しますが、捜索隊が発見した彼の姿は、
ノド元を掻き切られ、両目をえぐられた遺体に柏葉騎士十字章が掛けられて・・。

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降伏した武装SS「プリンツ・オイゲン」の兵士1600名が射殺されたり、
通信隊助手の女性は「体を杭に串刺しにされて殺された」。。。
この陰惨なバルカンの戦法については、なにもドイツ軍相手や今次大戦で起こったことではなく、
過去の好戦的なトルコ支配の残影であると詳しく分析しています。

以前に紹介したポール・ブルックヒルの「大脱走」もその経緯が書かれていて、
特に終戦後、捕えた捕虜たちを射殺したゲシュタポに対する裁判まで・・。
他にも「トーテンコープフ」のクネヒラインSS大尉が、降伏して来たロイヤル・ノフォーク連隊の
97名を機関銃で殺害した話と、その当事者クネヒラインの最後までが書かれていました。

Fritz Knöchlein2.jpg

最後の章はロシアの捕虜です。
悲惨ではあるものの最も良く知られた、かの地での捕虜生活ですが、
その悲惨さと絶望ゆえ、ロシア側に転向してしまうドイツ兵たちも紹介されます。
しかし武装SSの兵士と小柄な日本兵は、民族の誇りと団結を守り、
日本人将校が「切腹」した話までも披露しています。

飢えの問題は実に深刻で、スープなどの配給係は最も信頼のある者がなり、
さらに鑑定委員会が配られた食料・・豆の個数から葉っぱの長さまで厳格に測ります。
犬や猫は当然のこと、ネズミやトカゲも調理し、一度食べたものを胃から口に戻すという
「反芻テクニック」なるものも解説。。。

GermanPOWsRussia1944.jpg

やがてバイカル湖沿岸の収容所では「森で死んだ戦友の遺体を・・・」という
カニバリズムまでが報告されています。
エーリッヒ・ハルトマンの「不屈」ぷりが紹介されているのが救いですね。

ヘルマン・ビーラーが単身脱走に成功し、無事故郷へ辿り着いた話など
これらそれぞれが一冊書けそうなテーマであり、優れたドラマでもあります。
また、ルーマニアで捕虜となった国防軍婦人補助員たちの運命・・といった
特に女性の捕虜というのも本書でもいくつか紹介されていますが、
その運命が語られるだけ、まだマシというもので、
悲惨な最期や未帰還となってしまうことも多かったようです。

Queen of Luftwaffenhelferin.jpg

序盤は思わず目元が緩むような楽しい「捕虜生活」も紹介されますが、
読み進むにしたがって、徐々に眉間に皺が寄って来るという構成も見事です。
特に後半の3章~5章にかけては、単に「捕虜」という問題だけではなく、
「戦争」そのものの悲惨さを改めて感じる方もいるのではないでしょうか。

もともとはフジ出版から「捕虜―鉄条網のむこう側の1100万の生と死」というタイトルで
発刊されましたが、自分のは学研のハードカバーです。
数年前に文庫でも発売されたようで、全ての方に読んでもらいたい名作です。




救出への道 -シンドラーのリスト・真実の歴史- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ミーテク・ペンパー 著の「救出への道」を読破しました。

先日インターネットで何気なくオスカー・シンドラーを調べていた際に、
ロードショーで観たっきりだった「シンドラーのリスト」で最も印象に残った
レイフ・ファインズ演じる収容所所長アーモン・ゲートが
収容者を狙撃するシーンが事実であったということを知りました。
当時は「これは残虐性をアピールした演出だろう」と思っていたので、
かなりショックを受けました。
そしてさらに調べていると、アーモン・ゲートの速記者を務めていた著者による
本書を知りましたので、早速、三○堂へ繰り出し、
使う機会を伺っていた¥1500分の図書カードも利用して、購入。
順番待ちさせることなく、そのまま一気読みしました。

救出への道.JPG

まずは本書の舞台であり、著者の生まれ育ったポーランドのクラクフについて
語られます。第一次大戦後から1939年に至るまでのこの地でも顕著化してきた
反ユダヤ人感情を少年時代のユダヤ人著者と同様に味わうことになります。
なかでも左利きという著者が「当時は左利きというのは、立派な身体障害で・・」
というのはとても印象的な話でした。

ドイツに占領されたクラクフは総督ハンス・フランクが「ダヴィデの星」の着用や
ゲットーの設置と次々に宣言していきます。
今まで3000人が住んでいた区画に15000人のユダヤ人を閉じ込め、
その居住面積は窓1つあたり4人というもの。
1つの部屋に窓が2つという珍しくない場合でも、1部屋に8人、2家族が住むことになります。

Hans_Frank stamp.JPG

総督ハンス・フランク以外にも、ヒムラーとこの地でのSS最高責任者である
フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーやオスヴァルト・ポールという面々が登場し、
フランク対SSという構図を解説してみせます。

1943年、ゲットーのユダヤ教団事務所で働いていた著者は、
ここで2m近い巨大な親衛隊少尉と出会います。
彼がゲットー破壊の専門家であるアーモン・ゲートで、
容赦なく住民を駆り立て(2000人も殺害)しながらゲットーを解体し、
生き残ったユダヤ人を「クラクフ・プワシャフ強制労働収容所」へ収監して
自らがその司令官として君臨するのでした。

Amon Göth.jpg

ポーランド語はもちろん、ドイツ語も堪能で速記や事務処理にも長けた著者ペンパーは
収容所でも引き続き事務処理を任され、こともあろうに司令官ゲートの執務室で
働くことになります。
ここからは映画「シンドラーのリスト」そのままの虐殺行為が報告され、
ゲートの人間性も詳細に分析しています。
毎日、自ら3人も4人も好き勝手に射殺し、殺した人間の名を調べさせては
不満分子を残さないという理由で、その家族も皆殺しにするという残虐さです。

Ralph 'Raef' Fiennes as Amon Goeth in Schindler's List.jpg

一応、特進を果たして階級は大尉となりますが、自己中心的で上官とも争いが絶えません。
押収した品々や収容者の食料などを闇市で売りさばいて私腹を増やし、
豪勢な食事とコニャックとを毎晩嗜む王様であるゲートに、
東部戦線でドイツ軍の敗走という事態から、収容所の閉鎖の危機が訪れます。
これはすなわち糖尿病持ちの一介のSS大尉として最前線行きということであり、
収容者たちにとっても、噂で知られるアウシュヴィッツ行き=死、に直結します。

amon_goth2.jpg

著者の機転も手伝って、この労働収容所が軍需物資を大量生産しているかのような
報告書を作成し、なんとか閉鎖を阻止することに成功します。
そしてゲートと同い年のオスカー・シンドラーが登場して
「ぼくのユダヤ人」たち1000名を有名なリストと共に救うことになります。

Plaszow.jpg

そして1944年1月、労働収容所から強制収容所へと変わると
ゲートのやりたい放題の虐殺も落ち着くことになります。
これは、強制収容所での囚人の処罰にはベルリンの正式な許可が必要になったからで
鞭打ち刑にしても、所定の書類に「裸の尻に鞭打ち何回」と記載して
ポールのSS経済管理本部に送り、強制収容所総監リヒャルト・グリュックスの部下、
D局2部ゲルハルト・マウラーの処罰許可証が必要となったそうです。

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ゲートとシンドラーという悪魔と天使を間近で見てきた著者は交互に2人のその後を語ります。
ゲートは1944年9月、不満を抱いた部下たちに密告され、ウィーンで逮捕、
一方のシンドラーは映画そのもの。ここからは本書のタイトル通りの展開です。

無事、生き延びた著者は戦後、ゲートやマウラーの裁判に証人として出廷します。
収容所内だけで8000人を殺したかどなどで告発されたゲートは、
「尻尾も残らない」と言われていたユダヤ人の証人が多いことに驚きます。
囚人であった著者が機密書類をも盗み見して、シンドラーに報告までしていたことなど
知る由もなかった彼は、その詳細な証言の前に屈服し、絞首刑に。。。

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上官のマウラーも「囚人がそんなことを知りえるハズがない」としていたものの、
強制収容所司令官がユダヤ人囚人を速記者として1年半もの間、
採用していたという前代未聞の事実を知ると、
「ゲートの奴、とんでもない規則違反をやりおって!」と声高に罵る始末。。

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非常にマジメな著者がゲートと直面し、常に死を意識して不安に駆られながらも
収容所生活を送った過程を感情的になることなく、謙虚に伝えています。
最近、いろいろと言われているらしいシンドラーについても尊敬の念は失っておらず、
「多数の命を救ったこと、それが全てです」と擁護しています。

SchindlersList.jpg

「シンドラーのリスト」の原作も読んでみたくなりましたが、とりあえず、
1度観たっきりの映画のほうはDVDで購入しました。
今、観たら、だいぶ違う印象になるでしょうね。



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