SSブログ
収容所/捕虜 ブログトップ
前の5件 | 次の5件

最後のナチ メンゲレ [収容所/捕虜]

ジェラルド・アスター著の「最後のナチ メンゲレ」を読破しました。

「死の天使」メンゲレ・・。この名前をはじめて聞いたのは中学生のころだったでしょうか。
確かメンゲレが発見されたとかいうニュースだったような。。。
ということは、ひょっとすると一番最初に名前を覚えた親衛隊員なのかも知れません。
本書はアウシュヴィッツ絶滅収容所の医師として、残虐で非人道的な人体実験を繰り返し、
南米へ逃亡後、最後まで戦犯としての追及を逃れた・・とされる男の記録です。

最後のナチ メンゲレ.JPG

正直、このヨーゼフ・メンゲレやアドルフ・アイヒマン、またはクラウス・バルビーなど
逃亡したSSの戦犯として名の知れた人物たちにそれほど興味がありませんでした。
彼らが有名な理由は、戦後、連合軍に捕らわれることなく、首尾よく南米へ逃亡し、
そしてナチハンターやモサド等による追跡、逮捕という、戦後数十年経ってからの
マスコミの大騒ぎがその大きな要因であると感じていたためです。

Mengele78.jpg

本書の中でもメンゲレについて「所詮、1つの絶滅収容所で悪名を馳せたSS大尉であり、
一歩、収容所の外に出れば、何ものでも無い」という記述があります。
これが今まで自分が彼らに対して抱いていた印象であって、
アイヒマンSS中佐にしたところで、彼がいてもいなくても、結果的に起こったことは何も変わらない
と考えていますので、未だに「アイヒマン本」も買ったことがありません。

そんなヴィトゲンシュタインが本書を購入した理由は先日、
DVDで「リヨンの屠殺人」の異名を取った男のドキュメンタリー
「敵こそ、我が友 ~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~」を観たことが大きいですね。
たいぶ前置きが長くなってしまいましたので、チャッチャと本題に進みましょう。

Klaus Barbie.jpg

まず、このようなサディストの極悪人を理解する上でとても大事な生い立ちは。。というと、
バイエルンの比較的裕福な経営者の父親を持ち、厳しい母親に育てられたそうで、
本書では基本的に、この2点がメンゲレを理解するカギとしているようです。

長男にもかかわらず家業を継ぐことを拒否し、ワイマール共和国時代の
混沌とする時代のなか、大学で医学や生物学などを学ぶ一方では
鉄兜団に入り、その後SAへ、そしてナチ党、親衛隊と脱退、入隊を繰り返します。
このようなことから、自らの思想や理想というものを持っておらず、
ナチのイデオロギーに感銘を受けたわけでも無い、ただ、慎重に勝組を選んでいたのでは・・
と推測されています。

mengele_016.jpg

1939年に結婚し、息子を儲けますが、戦線の拡大とともに
第5SS装甲師団「ヴィーキング」に配属され、東部戦線へ送られます。
メンゲレの従軍記録はほとんどないようで、彼が軍医として従軍したのかも
良くわかりません。それでも、2級、1級鉄十字章を受章した上、戦傷章まで貰い、
治療のため帰国すると前線勤務は無理との理由で、1943年5月、
遂にアウシュヴィッツ絶滅収容所の医師としてその門をくぐることになります。

auschwitz.jpeg

ここからはアウシュヴィッツがホロコーストの中心地となっていった過程が詳細に書かれています。
強制収容所総監のアイケと髑髏部隊から、アインザッツグルッペンのオーレンドルフ
ハイドリヒとアイヒマンのヴァンゼー会議やアウシュヴィッツの所長、ルドルフ・ヘースの物語。

初期の大量虐殺方法から完成したガス室での様子まで、克明に解説されます。
なかでも本来、害虫駆除用として開発された「チクロンB」の輸送の説明では
「アウシュヴィッツ害虫駆除消毒課なる部署に送りつけられ・・」。

auschwitz10.jpg

22名の医師たちと共に着任したメンゲレ。
早速、有名な列車で到着したばかりの収容者たちの選別に腕を揮います。
温厚な顔で老若男女を「右、左」と振り分け、片方はそのまま「ガス室」へ直行・・。
しかし、なにもこの作業はメンゲレの特権という訳ではなく、他の医師も行っていたそうで、
この件でメンゲレが有名なのは、他の医師たちは泥酔しつつ挑んだのに対し、
メンゲレはシラフで、また自分の重要な任務として率先し、またその回数も多かったとの
理由によるものです。

josef-mengele-rudolf-hoss-josef-kramer.jpg

双子の人体実験もメンゲレの名を有名にしたもののひとつです。
これらの詳細についても被収容者で実験をサポートした医師や、
小間使いのユダヤ人少年、あるいは通訳などの証言から書かれており、
やはり10代の頃に読んだ、日本の731部隊を描いた「悪魔の飽食」を思い出しました。

auschwitz01.jpg

ここではその悲惨な実験の詳細は書きませんが、個人的に1つ挙げると
簡単な断種を目指した実験での「睾丸を・・」というのは、読んでいて実にキツイ場面でした。
メンゲレがこのアウシュヴィッツでどの程度の権力を持っていたのかに興味がありましたが、
所長のヘースも特に絡んでこないので、やや消化不良です。
その代わり、イルマ・グレーゼという若く美人で残虐という女看守が登場してきます。

Irma Grese 09.jpg

ロシア軍の最後の攻勢が始まった1945年1月になると、
メンゲレは突然その姿を消してしまいます。
首尾よくアルゼンチンへ逃亡を果たしますが、それまでの経緯については不明な点も多く、
本書では様々な説を挙げて検証しています。

その後、パラグアイやブラジルと隠れ家を転々とし、彼を助けるために
南米でナチの顔として知られていたルーデル大佐のサポートも受けることに・・。
バルビーのいるボリヴィアを進められるものの、コレを断りルーデルとは険悪な関係となり、
アイヒマンや「人間の暗闇」の主役、トレブリンカ絶滅収容所所長シュタングルの逮捕と
メンゲレの周辺も怪しくなってきます。

Adolf Eichmann7.jpg

最終的にはよく知られた最後を1979年に向かえますが、
このあたりは以前に紹介した「ヒトラーの共犯者」でも詳細です。

結局、メンゲレが悪魔のような人間だったのか・・は本書では判断していません。
いろいろな証言からその人間性を探ってはいますが、やはり捕まらずに死んでしまった以上、
彼の口からその真意を知ることはできませんし、
また、反ユダヤ主義を含む彼の生きた時代と戦争と強制収容所、そして医学という
特殊な環境下を理解しなければ、その彼の行った行為だけで判断はできないと
個人的には考えています。

mengele_014.jpg

戦争犯罪というのは非常に難しく、ニュルンベルク裁判の判決だろうが、
アイヒマンやバルビー裁判だろうが、誰が有罪で無罪なのか、
または死刑か、禁固刑かの意見は分かれるところです。
特に戦勝国や占領国での裁判では、感情的に贖罪の羊が必要となるのもわかります。
なので、その犯罪性は、個人的には、本書もそうですが、
その人物の立場に自分を当てはめて読んでみます。
自分の心の中でも存在する善悪と照らし合わせて、「これはやってしまうかも知れない・・」
などと考えて、自己完結しています。

THE BOYS FROM BRAZIL.jpg

グレゴリー・ペックがメンゲレを演じた1978年の有名な映画「ブラジルから来た少年」は
映画少年だったわりには観ていないな~と思ったら、日本未公開でした。
DVDを買おうか、それよりも原作も面白そうだな~と、ちょっと悩みますね。。






nice!(5)  コメント(3)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

人間の暗闇 -ナチ絶滅収容所長との対話- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ギッタ・セレニー著の「人間の暗闇」を読破しました。

トレブリンカ・・。この名称をご存知のかたは、どのようなイメージをお持ちでしょうか?
ナチの収容所でユダヤ人が反乱を起こし、脱走した物語、
また実はあの「アウシュヴィッツ=ビルケナウ」に匹敵するほどの
数少ない「絶滅収容所」として・・。
どちらも事実であり、その100万人とも云われるユダヤ人をガス室で葬った
トレブリンカ絶滅収容所の所長であったフランツ・シュタングルとの70時間におよぶ
インタビューを中心とした本書は、そのホロコーストだけには留まらない
非常に重く、鋭く、丁寧に調査された読み応えのある一冊です。

人間の暗闇.JPG

1908年、オーストリアに生まれたシュタングルは1931年に警官となりますが、
後にヒトラーによってオーストリアが併合されると、その警察の任務や
警察内部での立場も微妙に変化していきます。
これはもちろん、警察組織がSS配下へとなったことと同時に、
オーストリアは併合された側であり、大ドイツ帝国の属国という立場であって、
その組織の中で出世し、生き残るには、ある程度の汚い仕事や策略が必要だったと感じました。
ヒトラーの外交官」でオーストリア人はドイツ人よりも悪人という書きっぷりが
ありましたが、彼らの置かれた環境が要因なのかも知れませんね。

Franz Stangl .jpg

このような弱肉強食の世界で生きるシュタングルは1940年、
ホロコーストの始まりとも言える、精神病患者と身体障害者の「安楽死計画」
に関わることとなり、その特殊施設の警備監督者に任命されます。
この有名な計画についてはあまり書かれたものは読んだことがなく、
かつ、その現場レベルでの話というのもあって、興味深く読みました。
また、この事実を容認していたカトリック教会の存在が後半にも
大きなウエイトを占めることになります。

hands.jpg

そしてドイツ軍のソ連への侵攻が始まると、アインザッツグルッペンによる
ユダヤ人らの大量虐殺が戦線の後方で繰り広げられ、
本格化したユダヤ人絶滅計画、いわゆる「ラインハルト作戦」によって
ポーランド国内に4箇所の絶滅収容所(単に殺すことが目的)が造られ、
シュタングルはその内のひとつである「ゾビボール(ソビボル)絶滅収容所」の
所長となり、その後「トレブリンカ絶滅収容所」を任されることになります。

Treblinka.jpg

本書の中核を成すこの部分、シュタングルの解説のみならず、
当時の親衛隊員のインタビューから、生き残った被収容者のユダヤ人が語る
収容所生活と各々の看守の違いは特に勉強になりました。
所長のシュタングルはそこそこの評判ですが、副所長クルト・フランツは
残虐な人物で有名だったそうです。

Kurt Franz Lalka.jpg

ドイツ人の親衛隊員は20名ほどであり、看守は主にウクライナ兵で構成されていたこと、
また、収容所までの輸送における警備はリトアニア兵であり、彼らが最も残虐であったという話。
そしてポーランドを含む東側のユダヤ人の悲惨な家畜列車に比べ、
オランダやフランスなど西ヨーロッパからの移送は特別扱いだったという
話も興味深いものです。

Ukrainian guards.jpg

ユダヤ人が反乱を起こして脱走した経緯も、シュタングルと脱走当事者双方が語ります。
それにしてもこのような絶滅収容所の所長がSS大尉という階級であったことが
驚きです。大佐クラス(最低でも少佐)だというイメージがありましたが・・。
まぁ、あくまで現場監督という位置づけであって、上官である
絶滅収容所総監のクリスティアン・ヴィルトSS少佐やポーランドのルブリン地区の責任者、
グロボクニクSS中将の存在が大きかったのかも知れません。

Odilo Globocnik.JPG

終戦と同時にシュタングルはアメリカ軍の捕虜となりますが、
まんまと脱走。イタリアのローマからヴァチカンの助けを借り、シリアへ、
その後ブラジルへ家族と共に逃亡します。

この終盤は本書のもう一つのテーマであるナチスとヴァチカンとの関係を徹底追求しています。
戦犯の海外への逃亡を手助けしたのはオデッサやクルト・マイヤーらのHIAGではなく、
ヴァチカンと国際赤十字がほとんどであったという「ヒトラーの親衛隊」でも書かれていた
ことと同様の結論ですが、その逃亡に関わる問題だけではなく
当時のローマ教皇、ピウス12世のナチス寄りとも言われた姿勢とその理由・・、
ナチス批判によって起こるかも知れないドイツ人のキリスト教脱会の危惧や
ヴァチカン内部、或いは教皇自身にあったであろう反ユダヤ感情などを挙げています。

嫁さんらのインタビューも豊富で、シュタングルの発言の裏付けも充分です。
そしてブラジルで逮捕、終身刑を言い渡されたシュタングルのインタビューの最後は
劇的な展開を見せます。

Franz Stangl 1971.jpg

本書では組織としての評価、例えば、ナチ政権、親衛隊、収容所看守はもとより
被収容者のユダヤ人、教会関係者、さらにはドイツ、オーストリア、ポーランドといった
国と国民性に至るまでをひと括りとして判断し、善だ悪だと評価を下すことはありません。

タイトル通り、あくまで人間、個々の考え方とその置かれた状況から、
さまざまな意見を受け入れているようです。
単なるホロコーストの悲惨さのみを扱ったものではなく、
いろいろと考えさせられ、また、グッタリと勉強になった良書でした。
定価はちょっと高いですが、古書で1000円で買えました。
これならガッツィリお釣りがきますね。



nice!(2)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

消えた百万人 -ドイツ人捕虜収容所、死のキャンプへの道- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジェームズ・バクー著の「消えた百万人」を読破しました。

最近なんやらバダバタしてて、久しぶりになりました。さすが師走ですね。

1945年、東西の戦線で敗戦を覚悟したドイツ軍兵士たちは、
最終的に西側連合軍に投降することを目標とし、
西部では予想を上回るドイツ兵が捕虜となり、
東部ではソ連の手から逃れようと西への必死の敗走が続きます。
しかし、首尾よく西側連合軍の捕虜収容所に送られたものの
そこは、ナチスの絶滅収容所に匹敵するほどの悲惨なものであった・・
という一冊です。

消えた百万人.JPG

アメリカの財務長官であったモーゲンソーによる
「終戦後はドイツを牧農国家にすべし」という計画が良く知られているように
同じ西側連合軍でも、アメリカのドイツに対する情け容赦のないやり方は
捕虜問題についても「ジュネーブ条約」を無視したものだったと著者は暴露しています。

これは「ジュネーブ条約」によるところの戦時捕虜-Prisoner of war「POW」に対しては
自国兵士と同等の食料を割り当てなければなりませんが、
1945年3月、アイゼンハワーは新たに武装解除された敵国軍人
-Disarmed Enemy Foces「DEF」という身分を適用し、
その扶養はドイツの責任として、公表も禁止します。

Eisenhower.JPG

スイスや赤十字も完全に無視し、一般のPOWに対しても残酷なほどの待遇で
テントすらなく、雨が吹きさらしの泥土の上に数万から十数万人のドイツ人が
身を寄せ合って耐え忍び、アメリカ側の収容所では食料どころか
飲み水さえも満足になく、死亡率は年間30%という数字を挙げています。
その生存者が語る生活は凄まじいの一言につきます。

POWs camps.jpg

DEFに至ってはさらに酷い扱いで、このような状況でアメリカ軍によって都合よく操作された
数字上、捕虜はタイトルのように百万人が消えてしまった(死亡、または行方不明)そうです。
そのアメリカが撤退するにつれ、ドイツ人捕虜はフランスと英国の管理下へと
移管されていきますが、「DEF」の適用を認めなかった英国は、悲惨な状態の捕虜を
人道的に扱い、数多くの捕虜が救われたとのドイツ兵は証言しています。

またフランス管理下では最近まで占領されていた恨みからか、
英国よりも厳しい待遇だったようです。
有名なフランス外人部隊に強制的に徴集された捕虜も多かったとか・・。
しかし、フランスの一般市民たちはドイツ人捕虜に対して同情的であったようです。

POWs Rhine meadow camps.jpg

同じアメリカ軍でもパットンはこのようなアイゼンハワーのやり方に大反対であったらしく、
ゲシュタポと同じ」だとして、自軍の捕えた50万人の捕虜もさっさと解放してしまいます。
まるでスポーツフィッシングのキャッチ・アンド・リリースのように考えていたのかもしれませんね。
実際、パットンは自軍の兵士たちにも「激しく戦った後は、捕虜に対して
自分が捕らわれたときに受けたい待遇をするように」と指示していたそうです。

この本ではアイゼンハワーを徹底的に断罪しており、そのイメージはほとんど
「アメリカ版ヒムラー」、或いは「アメリカ版ハイドリヒ」と言えるほどで
これほどまでにアイゼンハワーが悪役な本は初めて読みました。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

ヒトラーの贋札 -悪魔の工房- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アドルフ・ブルガー著の「ヒトラーの贋札」を読破しました。

スロヴァキア人の著者の体験談です。同名の映画の原案ともなりました。
親ナチとなったスロヴァキア政府のドイツSSを模範としたフリンカ親衛隊に逮捕された
印刷工の著者は、いきなりアウシュヴィッツへ収容されてしまいます。
同じアウシュヴィッツ強制収容所でも、そのそばに新たに建設された
アウシュヴィッツ=ビルケナウはまったく別の次元の巨大収容所であったことを知りました。
中盤までこの死の収容所の凄まじい生活の様子を豊富な写真と共に振り返ります。
安易に「贋札作り本」と思って買ってしまうとホロコーストの凄惨さに
度肝を抜かれてしまいますので注意して下さい。。。

ヒトラーの贋札.JPG

そして1944年、ベルリン近郊のザクセンハウゼン強制収容所へ移送され、
ここでいよいよ被収容者による贋札作りチームに加わることになります。
ここでの責任者であるベルンハルト・クリューガーSS少佐にちなんで
「ベルンハルト作戦」と名付けられた紙幣偽造は
ポンド紙幣から、最も難しいとされるドル紙幣への挑戦と移って行きます。

Bernhard Krüger.jpg

もともとこの外国紙幣偽造計画を立案したのは、
SDのスパイ指導者として名の知られたアルフレット・ナウヨックスSS少佐で
1939年にはSD長官のハイドリヒから正式に責任者に任命され、
計画自体もヒムラーからヒトラーへと認知されました。
しかしその後、ナウヨックスはハイドリヒの不興を買い、
武装SSのライプシュタンダルテに転出となり前線に送られ、
そのハイドリヒはプラハで暗殺されてしまいますが、作戦は続行されていきます。

Naujocks_Heydrich.jpg

偽造計画は外国紙幣には留まらず、パスポート等の書類も手掛けていますが、
個人的には連合軍との「ニセ切手戦争」がとても楽しめました。
バリエーションは色々あるものの、ナチのデザインはドイツらしいというかアイデアが硬く、
それに比べると、ニセ切手の先手を打った連合軍側の
ヒトラーの肖像をヒムラーにしたり、ヒトラーを骸骨にしたりとセンスはあります。

himmler Stamp.jpg
Hitler Stamp.jpg

他にも、贋ポンド紙幣の刷版を作った秘密工場の責任者が
オットー・スコルツェニーSS少佐という新たな発見もあり、充実した内容の一冊です。
「ヒトラー・マネー」もそのうちに読んでみたいと思います。





nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

脱出記 -シベリアからインドまで歩いた男たち- [収容所/捕虜]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

スラヴォミール・ラウイッツ著の「脱出記」を読破しました。

1939年のドイツ侵攻、そして東からはソヴィエトが・・という状況のもと、
スパイ容疑でNKVDに捕らえられ、25年の刑でシベリア送りとなった
ポーランド騎兵が主人公の壮大な脱出劇です。
その過程でヒマラヤの雪男に遭遇したという話から、有名かつ真偽も不明といわれているようですが、
そんなことを除いても、個人の体験記として素晴らしいものであることは間違いありません。

脱出記.JPG

前半の拷問シーン、シベリアの強制収容所までの死の行軍という絶望的な状況を経て、
仲間との脱走、同じように別の収容所から一人逃げてきた少女クリスティーナとの出会い、
さらにモンゴルからゴビ砂漠の縦断、ヒマラヤ山脈を踏破してインドへ・・・。
ユーラシア大陸を1年かけて徒歩で縦断するという逃走劇です
(草刈正雄主演の「復活の日」を思い出しました)。

常に追われているという恐怖、そして飢えと渇き、
さらに怪我に悩まされながらという展開ですが、
彼らにとってのオアシスとなった(読者にとっても)クリスティーナが花を添えてくれます。
しかし、それも束の間、灼熱のゴビ砂漠では非情な現実が待ち受けています。
それはとてもここで書けるものではありません。ぜひ読んでください。

いわゆる戦記ものではありませんが、第2次大戦初期のソヴィエトを含む東欧が舞台であり、
当時のバルト3国やフィンランド、ユーゴスラヴィアの情勢を
理解している人ならば、更に楽しめるでしょう。
とは言ってみるものの、正直、今のところ2度と読みたくありません。
「ゴビ砂漠」があまりにも辛い・・・。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:
前の5件 | 次の5件 収容所/捕虜 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。