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大西洋防壁 -ノルマンディ要塞の真実- [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

広田 厚司 著の「大西洋防壁」を読破しました。

今年の7月に出た322ページの本書は、珍しいテーマだと思いつつも、
過去に読んだ著者の本の記述にムラがあるので、どうしようかと見送っていました。
しかし先日、本屋さんで手に取ってみると、小さいながらも写真が2~3ページに1枚と
盛りだくさんということで購入。
結論を先に書いてしまうと、「当たり」です。
ドイツ高射砲塔」と同レベルの、費用対効果に優れた一冊でした。

大西洋防壁.jpg

第1章は「沿岸防衛」と題して、1940年の西方電撃戦の勝利から、
英国本土上陸作戦の策定など、ドイツ軍が大西洋まで進出した経緯を簡単に解説。
しかしまずはブレスト、ロリアン、サン・ナゼール港に出撃基地を獲得したUボート戦隊のために
英国の爆撃に堪えうる大規模かつ、強固なUボート・ブンカーの建設が優先されます。

u515 Bunker Scorff in Lorient.jpg

第2章は巨大な大西洋防壁を担当した「軍事建設組織」の紹介です。
砲台、対爆壕、歩兵陣地など、総合的な築城面を担当した陸軍技術専門部隊に、
障害物や爆薬運用、地雷設置担当の歩兵師団工兵大隊、
コンクリートの厚さが1mを超えない堡塁や構造物に責任を持った陸軍建築大隊、
要塞の兵器類とトンネル掘削、図面など監督的な仕事の要塞工兵と要塞大隊。
そして大戦中、このような要塞工兵の指導者であり続けた
工兵総監アルフレート・ヤコブ中将を写真付きで紹介します。
ただ、「騎士十字章の保有者であり・・」と書かれていますが、
正しくは「戦功騎士十字章」の保有者だと思います。
コレは結構、大きな違いなんですよねぇ。しかし、ハルダーに似てる人だなぁ。

General de Ingenieros Alfred JACOB ( Hitler Keitel)_Kriegsverdienstkreuz 1.Klasse mit Schwertern.jpg

沿岸砲台建設に投入された「RAD」と、その総裁であるコンスタンチン・ヒールルも詳しく。
第三帝国のスポーツVol.2」で紹介した、この若者による労働奉仕団と
ヒールルについて、これだけ触れられている和書は珍しいですね。
ただ、本書に書かれている「労働戦線」という和名は違うでしょう。
ロベルト・ライの「DAF」が労働戦線であり、「RAD」はその配下の労働奉仕団です。

RAD squad, 1940.jpg

最後の組織が「トート機関(OT)」です。
アウトバーンの建築総監であったフリッツ・トートによって、軍事建築組織となり、
1938年から翌年にかけて「西方の壁(ジークフリート・ライン)」の
有名な「竜の歯」を10万名のRADの若者と、35万名のトート機関の労働者が建築。

Siegfried-Linie.jpg

1943年には100万名を超えるまでになりますが、ドイツ人労働者以外にも、
女性も含む外国人労働者に、戦争捕虜や軽犯罪者までが多く存在します。
そんな莫大な数の労働者を指揮するトート機関の官僚や技師、指揮官に通訳は、
チェコ陸軍の軍服を転用して、独自の制服と階級章を着用したそうです。

Todt Organization T-O.jpg

トート博士は1942年2月に飛行機事故で死亡し、後任にはシュペーアが選ばれます。
ここで著者はシュペーアも一緒に乗るはずだったのに、直前に中止した件に触れていて
遠回しに「トート暗殺説」を展開しています。

しかし実際に大西洋防壁建築の実務的責任を果たしたのは、
トート機関の副総裁ともいえるフランツ・シャーバー・ドルシェという人物です。
工科大学で土木技術を学び、ミュンヘン一揆にも参加した古参ナチ党員で
ボルマンと組んで上司のシュペーアの追い落としも図ります。
そんな彼は終戦後は起訴されず、米軍欧州戦史部でトート機関の1000ページの報告書を
作成し、それが本書の基礎データになっているそうです。

Franz Xaver Dorsch,Speer,Dönitz.jpg

ここまでの51ページもなかなか面白い内容ですが、第3章「大西洋防壁」からがメインです。
本格的な建築作業は1940年8月にフランス防衛に任じたD軍集団参謀長であり、
後に陸軍参謀総長となったツァイツラーによって認可され、
「奴隷商人」と紹介されるザウケルが、100万人以上のフランス人を徴募する指令を発します。
そんな彼らも写真付きで、もちろん建築中の巨大な壕や、円形の砲床の写真も。
通常サイズの壕の屋根と壁は2mのコンクリートで、重砲台なら3m以上にもなります。
1943年以降に規格化された壕シリーズ複数も図版を用いて詳しく解説します。

Atlantikwall.jpg

完成した壕を運用するのはドイツ3軍です。
陸軍は上陸した敵軍との戦闘を交えるための、沿岸砲兵陣地と、強固な陣地壕に責任を持ち、
海軍は重砲である海軍沿岸砲の運用と、捜索レーダー設備に責任を、
空軍は対空砲陣地と対空監視レーダー、陸軍と共に戦う「空軍地上師団」も配備されます。
まさにこれぞ有名なドイツ軍の分業制ですね。
要は、侵攻してきた連合軍の大船団に対して攻撃するのは、海に責任を持つ海軍であり、
敵戦闘機や爆撃機は空軍が、上陸した歩兵と戦車を陸軍が狙う・・ということです。。仲悪いなぁ。

A German anti aircraft gun on the Westwall..jpg

さらに瀕死の東部戦線に人員を持っていかれますから、35歳以上の年寄り兵や傷病兵、
志願した捕虜のロシア兵、さらにインド人義勇兵も守備に就くのです。
映画で言えば、B級映画どころか、C級、D級映画ってところかな。。

Atlantikwall,_Soldat_der_Legion__Freies_Indien_.jpg

第4章は「大西洋防壁の背景」という、やや不明な章が・・。
早い話、東部戦線が大変なヒトラーが、なぜ西方の防衛に力を入れたのかの検証ですね。
ダンケルクから撤退した英軍は、北はノルウェーから、度々、コマンド部隊を送り込み、
サン・ナゼールに駆逐艦キャンベルタウンを突っ込ませた「チャリオット作戦」に、
ディエップに奇襲上陸した「ジュビリー作戦」を紹介します。

One of the four 38 cm SK C34 guns in BSG-39 mountings at Battery Hanstholm II.jpg

そして第5章は「ノルウェーからチャンネル諸島まで」の防衛施設の状況へ。
ナルヴィク港を防衛するのは、「ハーシュタ・トロンデンスヘイム岬砲台」で、
40.6㎝という最大のアドルフ砲を4門、38㎝砲も4門を擁したノルウェー最大の沿岸砲です。
このアドルフ砲は戦艦ビスマルク級に続く、H級超弩級戦艦の主砲で
超弩級戦艦自体は建造中止になったものの、主砲は完成していたんですね。
現在も美しく保存されているようですが、「ナヴァロンの要塞」の巨砲を彷彿とさせます。

Adolph Gun Harstad.jpg

ノルウェー南部のベルゲン港を受け持つのは、巡洋戦艦グナイゼナウの28㎝3連装B砲塔です。
ヒトラーに「役立たず」と言われて、廃棄された巡洋戦艦の成れの果て・・。

three 28 cm guns in a single turret from the battleship Gneisenau.jpg

デンマークにも38㎝砲を装備する巨大砲台が2ヵ所、
ドイツ本土と、オランダ、ベルギーにも数々の防衛拠点ができ、
小さなヘルゴラント島にも海軍砲兵派遣隊と、海軍対空派遣隊が1個づつ置かれます。
おっと、この島はいつもコメント戴くドイツ在住のIZMさんの見事なレポートがありました。

Atlantic Wall 1943 is not 1918.jpg

ルントシュテットの西方軍は、B軍集団司令官のロンメル、G軍集団のブラスコヴィッツがおり、
ザルムートの第15軍、ドルマンの第7軍、クルト・フォン・デア・シュヴァルリーの第1軍が
それぞれフランス沿岸の防衛を担当します。
もちろん統括して指揮するロンメルも、アスパラガスを植えたりと、忙しい日々。。

Dunkirk, Rommel for inspection of the mounting '43.jpg

ブローニュ~カレー~ダンケルク間は27ヵ所の重砲台が設置され、
大西洋防壁でも最も良く防御された地区となります。
なかでも40.6㎝アドルフ砲3門を装備した「リンデマン砲台」は、
1943年の完成当初、「グロースドイッチュランド砲台」と呼ばれていたものの、
戦艦ビスマルクのリンデマン艦長にちなんで、「リンデマン砲台」になったそうです。
なにか「ドイツ海軍の力」を珍しく感じさせるエピソードですね。

Atlantikwall Lindemann.jpg

1940年に設置された38㎝砲4門の「ジークフリート砲台」も同様に、
1942年に亡くなったトート博士の名を頂戴して「トート砲台」に変更・・。

英国領だったチャンネル諸島を占領したドイツ軍はジャージー島
ガーンジー島にも多くの沿岸砲台を設置します。
30.5㎝砲の「ミルス砲台」の写真は面白いですね。
農家に偽装して、傾いた煙突だと思わせたいのか、なんなんだ??

Guernsey_No 1 Gun of the Mirus Gun Battery.jpg

現在も遺跡の残った観光地みたいです。行ってみたいっす。

bunker gun Dollmann guernsey_jersey_Channel Islands.jpg

ラ・ロッシェルの20.3㎝砲「コラ砲台」は重巡ザイトリッツの主砲・・・という話は興味深かったです。
そもそもこのBlogでも紹介したことのない未完成のアドミラル・ヒッパー級重巡で、
有名な3番艦プリンツ・オイゲンに続く、4番艦がザイトリッツでした。
本書ではこの重巡について詳しく書かれていないので、ちょっと調べてみました。
艦名はフリードリヒ大王の騎兵大将として知られる
フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・ザイトリッツですが、第2次大戦のザイトリッツと言えば、
その子孫であり、スターリングラードで降伏し、反ヒトラー派となった
第6軍第51軍団長のヴァルター・フォン・ザイトリッツ=クルツバッハを思い出します。

そして重巡ザイトリッツの建造が中止になったのは1943年1月、
第51軍団長のザイトリッツが降伏したのも同じく1943年1月です。
なにか因縁があるのか、ヒトラーが縁起が悪いと考えたのか・・。

Gun Battery Karola(Seydlitz Battery).jpg

第6章は「兵器」。
今まで登場した巨大な沿岸砲を40.6㎝から詳しく性能を解説します。
先に書いた「戦艦ビスマルク級に続く、H級超弩級戦艦の主砲で・・」というのも
この章で書かれており、38㎝の「ジークフリート砲」がビスマルク級の主砲であるなど、
話が細切れであんまり章分けする必要性は感じません。

Batterie Todt consists of four 380mm guns.jpg

ただし、「戦車砲塔」を用いた要塞陣地は印象的で、
ベルギーのリゾート地、オステンドでACG-1戦車の砲塔から海を見つめるドイツ兵が笑えました。
このACG-1とは、ルノーAMC35戦車のベルギー版のようで、主砲は47mm戦車砲です。
同じ写真ではありませんが、この2人のドイツ兵は何を思っているのでしょう・・。
もし連合軍の史上最大の大船団が見えてしまっても、とりあえず戦闘準備するのかなぁ。

Atlantikwall  Oostende ACG-1.jpg

だいぶ錆び付いてきたなぁ。
たまには掃除でもすっか。

Atlantikwall  Oostende ACG-1_2.jpg

何ヶ所かに設置されていたんでしょうか。
カワイイ砲塔ですから、チビッ子にも大人気。

Atlantikwall  Oostende ACG-1_3.jpg

ドイツのⅠ号戦車からⅣ号戦車もこの方式で使用され、
Ⅴ号パンターの陣地砲塔は山岳防衛前線で連合軍の戦闘車両を撃退したそうです。
ちなみに砲塔下は鋼鉄の箱になっていて、3~4人の戦闘員が入れるそうな・・。

Panther bodenturm.jpg

あ~、ベルリン攻防戦で道路にティーガーの砲塔置いたのも、同じシステムなんですね。

berlin_germany_boys_on_tiger_tank.jpg

まだまだ「列車砲」まで出てきました。
28㎝、シュベーレ・ブルーノ砲など写真も豊富ですが、
沿岸砲台として配備されなかった最大の列車砲、80㎝の怪物ドーラまで紹介。
まぁ、著者は「ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」も書いてますから、勢いでしょう。

Kurze Bruno-Kanone.jpg

第7章は「ドーバー海峡砲撃戦」。
これまで登場してきた巨砲や列車砲たちが、40㌔離れた英国南部の
ドーバーの町を目掛けてブッ放し、2284発が着弾。市民200人以上が死亡します。
一方、英国側にも沿岸砲があり、1942年2月のドイツ艦隊によるドーバー海峡白昼突破の
ツェルベルス作戦」に対して砲撃をしますが、命中弾を与えられず・・。

最後の第8章は「結末」として「史上最大の作戦」のメルヴィル砲台と、
彼らは来た」のマルクフ海岸砲を巡る攻防戦を紹介します。
メルヴィル砲台はそれ自体が博物館になっているようですね。

batterie_de_merville.jpg

ハルダーが「1944年7月まで陸軍参謀総長」とわざわざカッコ書きで書かれていたりと
(正しくは1942年9月)、相変わらず、記述に雑な部分もありますが、
それらを割り引いても、本書はとてもマニアックで、この方面に興味のある人間には
充分満足できる一冊でしょう。
同じようなテーマを扱った本として、2006年発刊のハードカバー、
「第三帝国の要塞―第二次世界大戦におけるドイツの防御施設および防衛体制」がありますが、
定価4500円と高いですし、内容の比較はしてませんが、本書はお買い得だと思います。

また、洋書では「柏葉騎士十字章受勲者写真集」のPour Le Meriteからカラー写真集、
「Atlantikwall」が2冊出ていて、これは欲しくなっちゃいました。

atlantikwall1942-44.jpg







戦艦ティルピッツを撃沈せよ! [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レオンス・ペイヤール著の「戦艦ティルピッツを撃沈せよ!」を読破しました。

以前に紹介した「ロンメル将軍」と同様に、子供の頃からハヤカワNF文庫のコーナーに
必ず陳列されていた、個人的に有名な一冊です。
最初の翻訳版は1970年で、この473ページの文庫版は1980年の発刊ですが
ドイツの誇る巨大戦艦の割には何もすることなく撃沈されたという実績??を持ち、
タイトルどおり、英国寄りと思っていた本をやっと読んでみようという気になったのは
去年の10月に独破した「極北の海戦 -ソ連救援PQ船団の戦い-」で
大魔神のごときティルピッツの存在が非常に印象的だったのと、
リデル・ハートの「第二次世界大戦」での戦艦武蔵の件・・。
いわゆる2番艦というのが子供の頃から好き・・というのと同様、
ビスマルク級の2番艦がティルピッツだという、No.2繋がりなんですね。

戦艦ティルピッツを撃沈せよ!.jpg

1942年1月、ロンドンの首相官邸で物思いにふけるチャーチル・・。
半年前にドイツの巨大戦艦ビスマルクを大追跡の末に屠ったものの、
その姉妹艦「ティルピッツ」の存在が彼を悩ませます。
英本国艦隊の最大艦艇群をスカパ・フローに釘付けにしているだけではなく、
そもそも英海軍の最強の軍艦を上回る強力な敵の戦艦が遊弋している事実が面白くなく、
腹にもすえかねているのでした。

Battleship Tirpitz in Fetten-ferd.jpg

そのティルピッツを指揮するのは、巡洋艦エムデンの航海長だったカール・トップ大佐です。
精悍で厳しい、この海軍軍人は2400名の乗員を載せた強力戦艦の初代艦長にうってつけです。
そして彼も半年前に起こった姉妹艦の壮絶極まりない運命に思いを馳せ、
ただの「一発」でフッドを撃沈させた火器を思えば、ティルピッツの威力も心強く感じています。
それは4基の38㎝口径8門の砲。
前部砲塔は「アントン」と「ブルーノ」、後部砲塔は「シーザー」と「ドーラ」。
う~ん。。陸軍の巨大砲も大抵こんな名前ですね。しかもちゃんとABCD順です。。

Battleship Tirpitz_Dora.jpg

戦艦ビスマルクを知らない方でも「ビスマルク」という名はご存知だと思います。
日本で一番有名なのは、ヴェルディ川崎とか鹿島アントラーズにいたビスマルク・・?
じゃなくて、やっぱり「鉄血宰相」と呼ばれたオットー・フォン・ビスマルクでしょうかね。。

では「ティルピッツ」というと、さすがに授業では習わなかったと思いますが、
ドイツ帝国海軍元帥で第一次大戦では海軍大臣を務めたアルフレート・フォン・ティルピッツで、
彼の名の付いたこの戦艦の大きな食堂にも、ヒトラーの肖像画とともに飾ってあり、
英海軍ではこの戦艦のことを「アルフレート・フォン・ティルピッツ」と口頭でも文書でも
長ったらしく呼ぶことにいら立ちを隠せない、第一次大戦時の海軍相チャーチル。。

Alfred von Tirpitz.jpg

ノルウェーのトロンハイムに投錨するティルピッツの情報は、英国および、ノルウェーの
協力者(スパイ)たちによって英国本土へと伝えられます。
トップ艦長がドーヴァー海峡を突っ切って、フランスのブレスト艦隊と合流しようという作戦を
本国に提案するのと同様に、英側もその危険を想定して、ティルピッが収容できる
ただ一つの乾ドックである、サン・ナゼールのドックの破壊を命じます。
しかし逆にドーヴァー海峡を突っ切ったのはシャルンホルストらのブレスト艦隊。。
こうして北方艦隊が強化され、名実ともにその旗艦となったティルピッツ・・。

The Channel Dash.jpg

60ページほど読んで思いましたが、本書はまったく英国寄りではなく、
英、独、ノルウェーの3ヶ国の話が短い章で交互に、公平に書かれています。
登場人物たちの会話も豊富で、まるで小説のよう・・というか、
映画を観ている感じすらしますね。

7月には「PQ17船団」に対して出撃しますが、すでに空軍とUボートによって狩りは終了・・。
なんの戦果もなければ、2級鉄十字章すら貰えずに士気も下がり始めると
暇をもてあました水兵が脱走する事件が起きてしまいます。
「ココではさっぱりなので英国か、米国の海軍で服務したかった」と
馬鹿正直に語る彼にトップ艦長は死刑を宣告。
ティルピッツの艦上で、食卓仲間の銃殺隊によって一斉射撃が・・。

Friedrich Carl Topp.jpg

ベルリンでは一回の作戦で大量の油を喰う、レーダー元帥の水上艦艇をヒトラーが
「くその役にも立たない」とののしり、すべて解体して、砲塔は陸上の堡塁にすべし・・。
すったもんだの挙句、レーダーが辞任して、デーニッツが後任になりますが、
Uボート男デーニッツでも、戦艦の存在が敵に与える恐怖を充分理解しているのでした。

HitlerundRaeder.jpg

少将へ昇進したトップ艦長はティルピッツに別れを告げ、後任にはハンス・マイヤー大佐が着任。
その間にも英国は、地中海のアレキサンドリアで戦艦クイーン・エリザベスとヴァリアントが
イタリアの人間魚雷によって大破したことにヒントを得て、
小型で4人乗りの潜航艇「X-艇」を開発。訓練に勤しんでいます。

X-craft_submarine.jpg

1943年9月、いよいよX-5号からX-10号までの6隻がそれぞれ親潜水艦に曳航されて出航。
X-5号~X-7号はティルピッツを、X-9号とX-10号はシャルンホルストを、
X8号はリュッツォーを攻撃するこの計画ですが、X-9号が途中で行方不明に・・。
X8号もトラブルに見舞われて断念。
結局、親潜水艦から切り離された4隻のX艇がソールオイ水道へ突入することに・・。

X-5_.jpg

X-6号艇長キャメロン中尉を中心としたこの「ソース作戦」の様子はかなり細かく書かれています。
首尾よく、魚雷防御網をくぐり抜けて、
ティルピッツの艦底に時限式爆雷を仕掛けることに成功するものの、
発見されて捕虜となった彼ら・・。じきに爆雷も爆発します。
英語を話す少尉が疲れ切った彼らにコーヒーとチョコレートを振る舞い、
キャメロンも愛用の曲がったパイプに煙草を・・。その時、凄まじい爆発が・・。

Lieut_D_Cameron.jpg

ティルピッツは戦死者1名、負傷者40名を出し、本国で大修理をしない限り、
本来の速力は取り戻せないほどの重傷を負いますが、マイヤー艦長は
「捕虜は静かに眠らせてやれ。彼らはそれに値するだけのことをやってのけたのだ・・」

英軍のさらなる攻撃を避けるため、入り組んだフィヨルド内をゆっくりと移動するティルピッツ。
しかし1944年4月、今度は空母から飛び立った英国機の襲来を受け、
マイヤー艦長も爆風で吹き飛ばされ、両耳もちぎれた血まみれの顔で艦橋に倒れるのでした。
今度は戦死者122名、負傷者は316名にも達し、その多くが重傷です。

Hans Karl Meyer.jpg

それでも浮かび続けるティルピッツはヴォルフ・ユンゲ大佐に艦長が交代。
意地でもティルピッツを沈めたい英国は、重さ5トンの大型爆弾「トールボーイ」を開発し、
爆撃機軍団長のアーサー・ハリスによって作戦が立てられます。
9月に「トールボーイ」を積んだランカスター爆撃機33機がティルピッツを発見しますが、
一発が右舷前甲板に命中したのみ・・。

Lancaster_Tallboy.jpg

しかし大穴の空いたティルピッツは、戦闘不能の片輪者に過ぎません。
トロムセへと隠れるように移動して、ロベルト・ヴェーバー砲術長が艦長に昇格。
これはすなわち、もはや軍艦ではなく、浮かぶ「ティルピッツ要塞」と化したことを意味します。

tirpitz_5.jpg

1944年11月12日、遂に最期の日を迎えたティルピッツ。
ランカスターの襲来を察知し、アントンとブルーノの両砲塔が火を噴きます。
しかし高高度から落とされた巨大な爆弾が一発、二発とティルピッツを貫きます。
3分余りで10度も傾き、やがて135度に達して、上下が逆さに近い状態に・・。

28_tirpitz_nov_12_1944.jpg

ヴェーバー艦長は司令塔に閉じ込められて戦死。
その後の数日間に及ぶ、生存者救出作戦までが詳しく語られます。

実はこうして読み終えるまで、本書は「X艇」の活躍に特化したものだと思っていたので、
「トールボーイ」でティルピッツがひっくり返るところまで書かれていたのは予想外でした。
なぜ、そう思い込んでいたのかは良くわかりませんが、
フジ出版の「怒りの海 -X艇 戦艦ティルピッツを奇襲-」とゴチャゴチャになっていたのかも・・。

Tallboy_Lancaster.jpg

ティルピッツの艦長が計4人もいたとか、海軍としてのプライドの高い英海軍とチャーチルが
「わが国よりも凄い戦艦をもってるのはけしからん」とばかりに
戦略を度外視したような執念ともいえる執拗さ・・。
ビスマルクの追跡もかなり執拗でしたが、ティルピッツに対しても
ここまでやっていたのか・・と、初めて知ったことも多くありました。

29_wreck_of_tirpitz.jpg

またビスマルクについても以前に読んだ「巨大戦艦ビスマルク」以外に
やっぱりフジ出版から「決断」という本が出ています。
こんなタイトルだけだと、どんな本だか、わかったものじゃありませんが、
副題が「ビスマルク号最後の9日間」というんですね。最近、知りました。
いずれ、この2冊もやっつける予定です。

著者のペイヤールはフランス人で、実は以前から本書よりも「潜水艦戦争」を
読んでみようと思っていた海戦専門の方です。
いま調べてみたら「大西洋戦争」という上下巻の本もありますし、
翻訳されていないようですが、「ラコニア号事件」なんて本まで書いています。。。
うぅぅ~。コレ読みたい・・。









極北の海戦 -ソ連救援PQ船団の戦い- [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

木俣 滋郎 著の「極北の海戦」を読破しました。

「極北の海戦」と書くと、かなりアバウトな感じのする本書ですが、
副題の「PQ船団」が示すとおり、7月の「海戦 連合軍対ヒトラー」で詳しく書かれていた
ソ連に物資を送る連合軍の「PQ17船団」が、ドイツ海軍によって壊滅的な打撃を受けた
という海戦をクライマックスに、英米ソの海軍vs大戦艦ティルピッツを中心とした
ドイツ海軍との攻防を最初のPQ1船団から詳細に描いたものです。

極北の海戦.jpg

1941年6月のドイツ軍によるソ連侵攻「バルバロッサ作戦」の猛攻の前に
必死の防衛を試みるスターリンは英国に援助を求め、早くも10月には
膨大な物資の供給が約束されます。
それは毎月、爆撃機100機、戦闘機300機、戦車500両、アルミニウム2000㌧を海路
送り届けるというもので、英国から北ロシアへ向かう船団記号「PQ」と呼ばれる船団が
ハリケーン戦闘機やヴァレンタイン戦車を積んで、アルハンゲリスクやムルマンスクを目指します。

Valentine Mark II tanks are readied for shipment to Russia.jpg

当初のこじんまりした商船6隻程度のPQ船団は順調な航海を続けます。
しかしノルウェーに基地を持つ、ドイツ北方艦隊のポケット戦艦アドミラル・シェア
北太平洋をうろつき出した・・との情報に
英本国艦隊司令長官ジャック・トーヴェイ大将は出航を中止することもしばしば・・。
12月にもなるとドイツ側も、このソ連への軍事物資を満載したPQ船団の存在を知るようになり、
レーダー提督は新鋭の駆逐艦とデーニッツのUボートも派遣します。
PQ7船団の貨物船1隻がU-134に撃沈されるなどの被害も出始めますが、
スターリンとの約束を絶対に守り通したい英首相チャーチルの強気の指示によって
多少の損害は承知で、その後もPQ船団は規模を大きくしながらもロシアへ向かい続けます。

admiral-scheer-38.jpg

こうして登場するのは総統ヒトラー。。。
英国によるノルウェー奪回とソ連向け船団を危惧し、バルト海の戦艦ティルピッツにも出撃命令を・・。
さらにはフランスのブレスト港に釘付けにされている巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウ、
重巡プリンツ・オイゲンもドーヴァー海峡を白昼突破して、ノルウェーへ。

これに喜びを隠せないのが、ドイツ空軍の第5航空艦隊司令のシュトゥンプ大将です。
すで航空艦隊を指揮して名を挙げた、シュペルレケッセルリンク
コンプレックスを持っていた彼は、いよいよ出番が回ってきた・・と言わんばかりです。

Hans-Jürgen Stumpff.jpg

しかし前年にも戦艦ビスマルクに魚雷を命中させた雷撃機を持つ英艦隊も一歩も引きません。
今回も空母ヴィクトリアスから発進した雷撃機がティルピッツを狙いますが、
ティルピッツ艦長トップ大佐の見事な操艦で見事に回避。
この事件にレーダー元帥もドイツが空母を持っていたら・・と憤慨しますが、
遂にヒトラーも叫びます。「空母グラーフ・ツェッペリンの建造を再開したまえ!」

Graf Zeppelin.jpg

ちなみに「行きの船団」はPQですが、もちろんロシアからの「帰りの船団」も存在します。
これらは「QP船団」と呼ばれ、通常は空っぽの船団ですが、ソ連は武器の代金を支払うため、
いやいやながらQP15船団に金塊400本(約135億円相当)を積み込みます。
しかしこの船団がUボートと駆逐艦の攻撃にさらされ、金塊を積んでいた軽巡エディンバラが沈没・・。
このエディンバラは39年後の1981年に発見され、宝船として有名になったそうで、
「スターリンの金塊」という本になってるようですね。

また、「第2次大戦の沈没船から200㌧(180億円)の銀塊発見、回収へ」なんてニュースも
つい3日ほど前にありましたね。
これは1941年、インドから英国に向かう船団から逸れた英国の蒸気船「SSゲアソパ」が
アイルランド沖でUボートの餌食になったそうですが、TVのニュースでは、
一言も「Uボート」って言っていませんでした。。
誰が撃沈したのか、ちょっと気になるところです。。。

U-boat attacked a convoy.jpg

いよいよ悲劇のPQ17船団、商船36隻の出航の時・・。
連合軍の船団護衛も3本立てからなり、駆逐艦6隻に潜水艦2隻の直接護衛の他に
トーヴェイ大将が直率の間接護衛は英戦艦デューク・オブ・ヨークに米戦艦ワシントン、
空母ヴィクトリアスの他、巡洋艦、駆逐艦あわせて20隻の大艦隊で途中まで護衛、
さらにその中間にもハミルトン少将率いる4隻の巡洋艦隊が追随します。

Tovey.jpg

対するオットー・シュニーヴィント中将のドイツ北方艦隊は、ティルピッツを筆頭に、
重巡アドミラル・ヒッパー、ポケット戦艦シェアとリュッツォーと強力な布陣で待ち構えますが、
濃霧と流氷の前にPQ船団のうち2隻が衝突、追突によって引き返します。
そんな船団をU-408が発見。すぐさま6隻のUボートによる狼群作戦の開始です。
当然、ドイツ空軍も負けじとHe-111とJu-88爆撃機が出動しますが、
この爆撃機隊では「ヒトラーの特攻隊」を考案した、ハヨ・ヘルマンも頑張ってました。。

Junkers Ju-88A4 in die Kämpfe eingreifen.jpg

それでもPQ17の護衛艦はドイツ軍の海空からの攻撃をなんとか撃退。
しかしロンドンの軍令部には恐ろしい情報がもたらされます。
「ティルピッツが出てきた・・」。
船団を追随する護衛の巡洋艦4隻は、ポケット戦艦と駆逐艦への対策でしかなく、
戦艦の装甲には巡洋艦の砲など役に立たず、それは海戦というより「虐殺」を意味します。
「巡洋艦隊は高速を持って西方へ退却せよ!」
「ドイツ艦隊の脅威あり。船団は分散し、各自ロシアの港湾に向かうべし!」
34隻の商船は海軍から見放されたも同然の緊急電です。。

Arctic convoy PQ-17.jpg

唖然とする商船の乗組員たちをさらに驚かせる事態・・、直接護衛の駆逐艦隊までも
巡洋艦隊に追いつけとばかりに逃げ出してしまうのでした。。

戦艦2隻を擁するトーヴェイ大将の間接護衛戦隊は、「ドイツ艦隊と一戦交えるべきか・・」
しかし船団はあまりに遠く20ノットで突っ走っても11時間、ティルピッツまでは20時間です。
そんな状況を一変させたのが見張りの役で哨戒していたソ連潜水艦です。
ルーニン中佐のK-21は魚雷2本をティルピッツの命中させたと報告し、大騒ぎになりますが、
結局は誤報と分かって、ロンドンもがっくり・・。

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ティルピッツとシェアが現場へ進撃を続けるも、すでに駆逐艦もなくバラバラとなった商船は
Uボートと爆撃機の格好の餌食でしかありません。
沈没寸前の商船から船員たちが乗り移った救命ボートに接近するUボート。
ドイツ士官は「怪我人はいないか?」と尋ね、陸地の方角を示して「元気で行けよ」

U-boot attack.jpg

一方、レーダー元帥は前年に味わったビスマルク撃沈の件もあり、かなり慎重です。
深追いしすぎて、怪我でもしたら元も子もない・・すでに空軍からは「PQ17は全滅」の報告も・・。
ということで、わずか9時間の航海の末、ティルピッツは基地へと引き返すことになります。
PQ17は最終的に11隻が逃げ切ったものの、23隻がUボートと爆撃機によって沈められ、
実に2/3が北極海の藻屑と消えるという未曾有の犠牲となったのでした。

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なかなか楽しめた1冊でした。
文庫の375ページっていうのもボリューム的にちょうど良かったですしね。
主役は英海軍ですが、並行して語られるドイツ海軍と空軍も決して悪役ではなく、
せいぜいヒトラーが「ワーワー」言ってる程度・・。
そのぶん、度々登場するソ連艦隊が情けない脇役に徹していて、
ドイツ軍陸戦モノでいうところのイタリア軍のような扱いでした。。

もともと本書は1985年に「朝日ソノラマ」から出ていたモノの再刊で、
さすが日本人の著者というべきか、「戦艦『比叡』の最期と同様な・・」といった例えが
所々に出てくるんですが、これが太平洋戦争に無知な自分にとっては余計に分かりずらい・・
というか、普通、この本を読むような人は、「なるほど~」となるのか・・と思うと、
ちょっと寂しい気持ちにもなりました。。







海戦 連合軍対ヒトラー [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ドナルド・マッキンタイア著の「海戦 連合軍対ヒトラー 」をやっと読破しました。

ハードカバー上下2段組みで450ページのこの大著を購入したのは、ほぼ3年前のこと。
以来、10ページほど読んでみては「こりゃ無理だ・・」ということで、撃沈していましたが
今回こそは、元英海軍だった本書の著者に一泡食わせてやりました・・。
もともと本書を購入したのも、このマッキンタイアという人が「Uボート・キラー」として
名を馳せた人物であり、駆逐艦ウォーカーの艦長として、かの大エース、
U-99のオットー・クレッチマーを仕留めた男・・ということを聞いたからでもあります。。

海戦.jpg

「プロローグ」は1939年、ドイツのポーランド侵攻により始まった「海戦」。
陸上では英仏との「まやかし戦争」の真っ只中ですが、海上ではUボートとポケット戦艦による
通商破壊作戦が行われており、艦長ラングスドルフ大佐グラーフ・シュペー号
英海軍の重巡洋艦エクゼターやエイジャックスとの砲撃の末、
モンテビデオ港で自沈するまでが語られます。

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こうして第1章の「ノルウェー侵攻」へ・・。
ドイツがスウェーデンの鉄鉱石をノルウェーから運び出すことに懸念を感じていた英国海軍省の
チャーチルにより、中立国ノルウェーを占領してしまおう・・という情報を手にしたヒトラーによって
先手を打つべく「ヴェーザー演習作戦」が発動されます。
この「海戦」は本格的な第二次世界大戦の序章とも言えるものですから、さまざまな書物に
書かれています。しかし、本書の内容は徹底していて、レーダー元帥指揮のこの作戦に参加する
6つのドイツ艦隊も各艦名も明記し、実に詳しく解説しています。

Raeder.jpg

英海軍との戦闘だけではなく、ノルウェー海軍とも戦うドイツ海軍部隊。
軽巡カールスルーエが魚雷によって致命的な損害を被ると
同じケーニヒスベルクも航空機によって沈没した初の大型艦となり、
先頭を行く重巡ブリュッヒャーは早々に海底に葬り去られ、
ポケット戦艦リュッツォーも1年間は動けなくなる損害を・・。
もちろん英海軍出身の著者ですから、英側の記述はさらに詳細です。

Schwerer Kreuzer Blücher.jpg

そして著者はこのようなノルウェーでドイツ海軍が受けた大きな損害がなければ、
その後の「ダンケルク」での英大陸派遣軍の大撤退の情勢は遥かに悪くなっていただろう・・
としています。

続いては大西洋の戦い。「HX船団」や「SC船団」の略称の解説から、
Uボートを助けるために登場してきた英沿岸航空隊のどの飛行機よりも長い航続力を
持っていたというFw-200、通称「コンドル」も厄介者といった雰囲気で紹介されます。

Focke-Wulf_Fw_200_C_Condor.jpg

ポケット戦艦アドミラル・シェアや重巡アドミラル・ヒッパーの単独艦での活動や
戦艦ビスマルクの「敵味方を問わず、素晴らしい艦につきまとう苦悩に満ちた痛ましい最期」
の物語が語られます。
しかし通商破壊作戦の主役、Uボートがここから幅を利かし始めます。

lutjens salute_battleship Bismarck.jpg

U-48のレージング少佐という珍しい話も出てきますが、ここからはやはり、3大エースである
U-47のプリーン、U-100のシェプケ、そしてU-99のクレッチマーが主役です。
特にクレッチマーはやはり特別扱いで、当時のU-99の航海日誌までも掲載。。

Hans Rudolf Rösing.jpg

そして運命の狼群vs駆逐艦の戦い。プリーンとシェプケは戦死し、クレッチマーは捕虜となります。
この有名な海戦もさすが当事者だけあって、詳しく書かれていますが、
駆逐艦ウォーカーの「艦長」はこれ見よがしに登場することなく、
捕虜となったクレッチマーとの対話などは出てきませんでした。
ひょっとすると未訳の「Uボート・キラー」には書かれているのかも知れませんね。

Kptlt. Kretschmer (right) after patrol on U-99_Walker V & W-class Destroyer.jpg

巡洋戦艦シャルンホルストとグナイゼナウに重巡プリンツ・オイゲンがドーヴァー海峡を突破する
ツェルベルス作戦」では、当時のドーヴァーの英海軍部隊の兵力を検証し、
このようなスタンスです。。
「このような弱い兵力が自力で、強力なドイツ艦隊の海峡突破を阻止できる可能性は少なく、
ドイツ艦隊を阻止する第一の責任は英空軍にあったということを、
はじめにハッキリさせておく必要がある」。

The 203 mm Guns of the German Heavy Cruiser 'Prinz Eugen'..jpg

中盤は個人的にメインな部分と感じた「地中海の戦い」です。
「この新しい急降下爆撃機の、その攻撃技術と正確さにはまったく感嘆せざるをえなかった」
と紹介されるドイツ空軍の戦いは、それまでの相手だったイタリア軍とはワケが違います。。。
クレタ島の戦い」に続いて「マルタ島の戦い」へ。
北アフリカのロンメル軍団に対する補給を切断するため、ドイツ空軍怒涛の空爆から
必死に島にしがみつき、さらには補給も送ろうとする英艦隊。

Luftangriff der Achse auf britische Kriegsschiffe im Seegebiet zwischen Cyrenaika und Malta.jpg

しかし空母アーク・ロイヤルがグッゲンベルガー大尉のU-81に撃沈され、
戦艦バーラムもフォン・ティーゼンハウゼン少佐のU-331の魚雷によってバラバラに・・。
この話は知りませんでしたが映像も残されているみたいですね。

von Tiesenhausen.jpg



ドイツの水上艦隊が出てこない代わりにイタリア艦隊が終始、及び腰で
ちょくちょく出てくるのは笑えましたが、特別に印象的だった話は、
「イタリア軍が得意とする個人作戦」という、2人乗の有人魚雷でのとんでもない活躍でしょう。
この不敵なイタリア人たちはアレクサンドリア港に侵入し、戦艦ヴァリアントと
クイーン・エリザベスの艦底に時限爆薬をセットし、見事、爆沈させたということです。
いずれにしても、ロンメルにケッセルリンクも登場する、このボリュームたっぷりな
地中海の章だけでも一冊の独立した本であってもおかしくない・・と思います。

Maiale manned torpedo.jpg

後半は暖かい地中海から一転、厳寒の北海での戦いです。
スターリンの要請により、ソ連へ軍事物資を運ぶための「PQ船団」。
なかでも最も知られた「PQ17船団」の興亡が非常によく、書かれています。

戦艦ビスマルクで戦死したリュッチェンス提督の後任の新司令官オットー・シュニーヴィントと
そのドイツ海軍の戦力、Uボートのみならず、アドミラル・シェアとリュッツォー、
ヒッパー以外にも、戦艦ティルピッツが常にバレンツ海に睨みを利かせています。

tirpitz.jpg

そして40隻にも及ぶ大船団「PQ17」の非情な航海が語られ、
まるで昔話のようなこのお話、狼たちが崇める大魔神ティルピッツが目覚めたと思い込み、
恐れおののいた羊飼いらは大慌てで家路についてしまい、残された羊たちは
次々と狼と大鷲の餌食となって、生き残ったのは1/3・・そんな展開です。

ここまで詳しいものは初めて読みましたが、
もっと詳しく勉強しようと「極北の海戦―ソ連救援PQ船団の戦い」も早速、買いました・・。

最後には、その悪魔のような存在であったティルピッツも戦わずして葬り去られ、
Uボートも劣勢のまま、新型Uボートの開発も間に合わずに・・・。

kriegsflagge_white ensign.JPG

序文では著者マッキンタイアの「感謝のことば」として、引用した文献が掲載され、
そこには「デーニッツと灰色狼」のヴォルフガンク・フランク著の「Uボート作戦」と
デーニッツ回想録」も含まれていますが、
特に「私がクレッチマーをやっつけたのだ」的なことは書かれていません。訳者あとがきにも・・。

Donald MacIntyre.jpg

まぁ、完全に2冊分のボリュームのある本書でしたが、
あくまで英海軍目線で書かれた本ではあるものの、上記のようなドイツ側の資料も用い、
レーダー、デーニッツをはじめとするドイツの提督たちやUボートや水上艦の艦長にも触れて、
さすが海の男らしく、フェアに書かれたものという印象です。
ヘタをすると「英空軍」よりは、「ドイツ海軍」の方が好き・・とも取られかねない??

ただし、英海軍の戦艦から無数の駆逐艦まで聞いたこともない艦名でしっかり登場するので、
ウッカリしていると、撃沈されたのが戦艦なのか小型舟艇なのかもわからなくなるので、
とんでもない集中力が要求されるのは間違いないでしょう。。

最後に、ちょうどこのレビューに取り組んでるタイミングで、強烈なUボート本が発売されました。
「Uボート部隊の全貌―ドイツ海軍・狼たちの実像」という600ページ越えの大書ですが、
翻訳は、以前に紹介した「大西洋の脅威U99―トップエース・クレッチマー艦長の戦い」と
Uボート戦士列伝―激戦を生き抜いた21人の証言」を訳され、
この「独破戦線」にも度々コメントを戴く「訳者」さんこと、並木 均氏です。
並木さん、いろいろとお世話になり、ありがとうございました。







ドイツ海軍戦記 [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

C.D.ベッカー著の「ドイツ海軍戦記」を再度読破しました。

原著は1955年発刊という古いものですが、朝日ソノラマらしい読みやすい一冊の紹介です。
ここのところ「仮装巡洋艦」が出てくるものを2冊読破したこともあり、
結構前に読んだ本書を読み返してみました。
ひょっとしたら、初めて読んだドイツ海軍モノだったかも知れません。

本書はポケット戦艦「アドミラル・シェア」の艦長をはじめ、連合軍のノルマンディ上陸当時、
西部方面の海軍司令官も務めたテオドール・クランケ提督も携わっているようです。

ドイツ海軍戦記.JPG

終戦から半年も過ぎた1945年のクリスマス。数少ない生き残りのドイツ艦、
軽巡「ニュルンベルク」が英国兵監視の元、ソ連側へ引き渡される話から始まります。
艦長ギースラー大佐を中心に、ラトヴィアの港まで無事に航行するこのプロローグは
既に英ソ関係の方が怪しいなか、3ヶ国の海の男たちには、笑顔があります。

ドイツ海軍(クリークス・マリーネ)の誇る、有名な戦艦、ビスマルクやティルピッツ、
ポケット戦艦のシュペー号ブレスト艦隊のドーバー海峡突破などの話は
当然のように出てきますが、これらはドイツ海軍戦記として以前に
呪われた海」と「ヒトラーの戦艦」を紹介していますので
実は本書の裏の主役である地味な艦隊をここでは紹介してみます。

Flotten-Kriegsabzeichen.jpg

1943年11月、クリミア半島奪還を目指し、橋頭堡を築いたソ連軍を食い止めるため
黒海のケルチ海峡では、艦隊と呼ぶのも恥ずかしい貧弱な
Rボート(掃海艇)とSボート(高速魚雷艇)を中心とした「ドイツ黒海艦隊」が
10倍もの戦力差のあるソ連艦隊に挑みます。

raeumboot.jpg

第3掃海隊は、海峡の機雷による封鎖を試みるものの、
橋頭堡に物資を届けるため、夜間にありとあらゆる船舶で海峡を渡るソ連艦船に
Rボートが攻撃を仕掛けます。
目と鼻の先、10mを横切る、拳銃の射程内での敵味方入り乱れる海上の白兵戦・・。
かつての海戦を彷彿とさせるこの戦いは、速力と操縦性に優るドイツ艦隊に軍配があがります。

Kriegsabzeichen für Minensuch.jpg

しかし翌日の夜、長射程で一挙にカタをつけるべく、ソ連艦隊は大型の砲艦で待ち伏せます。
コレを見たドイツ艦隊はソ連砲艦に全速力で突撃。
甲板面より俯角をつけられず、せっかく陸軍から借り受けた”カチューシャ”ロケット砲
手も届くほどの近距離の相手に浴びせることも出来ないソ連艦隊は
逆にドイツ艦艇が接近して投げ込む機雷攻撃の前になす術なし・・。
見事、ケルチ海峡の制海権を取り戻し、ドイツ軍は補給不足となったソ連軍を
クリミア半島の橋頭堡から追い出すことに成功します。

kol10.jpg

その後のソ連の猛攻により、クリミアから撤退する第3掃海隊800名が
ブルガリア、ユーゴスラヴィアという既に危険となった国々を陸路横断し、
本国へと向かう最後まで描かれていて、本書のなかでも最も楽しめました。

ちなみにSボート(Schnellboot)は一般的には(本書でも)Eボートと言われますが、
これは特に英仏海峡を巡回していたドイツ艦艇を英海軍が"Enemy boat"と
呼んでいたことに起因しているようです。

Schnellboot-Kriegsabzeichen.jpg

ノルマンディ沖に現れた連合軍の大船団に立ち向かうのも、
たった3隻の水雷艇(Torpedoboot)です。
指揮艦T-28を筆頭に英戦艦ウォースパイトめがけて突進しますが、
ウォースパイトは一向に攻撃してくる気配はなし・・。
訝しがる水雷艇の砲術士官に「おかしくって撃てないんだろ」と誰かが一言。。。

Torpedoboot Möwe. Baugleich mit Kondor und Albatros und ebenfalls zur Kriegsschiffsgruppe 5 gehörig !.jpg

このような自暴自棄の悲しいジョークはベルリン攻防戦にも確かありましたね。
路上に築かれたバリケードを突破するのにソ連軍は30分の時間を費やす、というジョークで
「みんなで大笑いするのに25分、戦車で吹き飛ばすのに5分・・」。

やっぱり幽霊船とも言われた補助巡洋艦(仮装巡洋艦)も1章割かれていて
1940年に初めて海洋に乗り出したアトランティスから、「捕虜」にも登場した
コルモラーン、その他初めて聞いた名前のオリオンやコメットなど・・。
この章では夜間戦闘機を搭載した最後の幽霊船、コロネルの1943年の任務が描かれますが、
帰れなかったドイツ兵」のトール(トオル)の名もチラッと出てきました。

Auxiliary Cruiser Badge.jpg

1944年のクールラント・・。ソ連の大攻勢に押されっぱなしで追い詰められたドイツ軍を
プリンツ・オイゲンやアドミラル・シェア、アドミラル・ヒッパーが正確無比な艦砲射撃で援護します。
後にグディニア港では無事に撤退した陸軍兵が海軍兵を見つけては「ありがとう・・」。
陸軍参謀総長グデーリアンがデーニッツに送った海軍に対する感謝の言葉も紹介されています。

prinz_eugen_firing.jpg

まるでドイツ版ダンケルクとでもいうような撤退作戦も
東バルト海の司令官ティール提督を中心に紹介され、
このバルト海を巡る最後の攻防は終戦まで続きます。

August Thiele.jpg

もちろんUボート話もいくつか紹介されており、小型Uボートのゼーフントやネガー
新型Uボートに乗るU-2511のシュネー艦長が終戦に伴い降伏し、
英提督らとの尋問に対して自信満々に答える勇姿まで・・・。

Adalbert Schnee3.jpg

まぁ、肩の凝らない気軽に楽しめるドイツ海軍戦記で、戦艦から仮装巡洋艦、
Uボートに水雷艇の活躍までをありがちな悲惨な終焉ではなく、
逆にユーモアと尊敬を交えて、連合国側とも接した逸話を盛り込んでいます。

また、怪しい・・と思っていま、調べてみたところ、著者のC.D.ベッカーは
やはり「呪われた海」の著者であるカーユス・ベッカーのようですね。

300ページの本書は、初めてドイツ海軍モノを読んでみようという方や、
パウル・カレルような戦記がお好きな方にも、息抜きがてらにオススメできる一冊です。



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