SSブログ

反逆部隊〈下〉 [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ガイ・ウォルターズ著の「反逆部隊〈下〉」を読破しました。

予想していたよりも遥かに面白かった上巻。。
ヒトラーの希望する30名の英国人部隊を編成するため、ドイツ国内の捕虜収容所を巡って
祖国を裏切る兵士を徴集することとなった主人公の「イギリス自由軍」指揮官ロックハートSS大尉。
仲間集めっていうのは子供の頃、映画「荒野の七人」を観て以来、好きな展開ですし、
祖国を裏切ってドイツ軍にっていうのも「幻影」でのロシア人義勇兵の話を彷彿とさせます。

反逆部隊下.jpg

そのロックハートの収容所巡りでは、数人の裏切り者が確保できたものの、
野次と罵声と混乱のなか、出口へと向かう途中に襲撃され、入院する羽目に・・。
SS本部長のベルガーは、効率の悪い「説得工作」を中止して、現在の隊員たちの訓練を命じ、
1944年の4月には、精鋭SS師団「ダス・ライヒ」のシュトラッサーも満足するまでのレベルに
鍛え上げられるのでした。

British Free Corps.jpg

そんな裏で上巻に出てきた「サリン」を阻止すべく、情報収集するロックハートは、
偶然見つけた書類に「A4計画」と「ハンス・カムラーSS少将」と書かれていたことから
この2つが繋がって、サリンを弾頭に乗せたV2ロケットをロンドンに向けて発射する・・
と推測するわけですが、まぁ、このあたりはひょっとすると
著者がこの2つの秘密兵器について書かれている「V1号V2号 -恐怖の秘密兵器-」を
読んで思いついたのかも・・。

V2_.jpg

ベルリンではシュトラッサーが足繁く通う「サロン・キティ」の娼婦、レニとも知り合いますが、
SD(SS保安部)のスパイでありながらも、ソ連の軍情報部GRUのスパイも兼務する2重スパイで
ユダヤ人の父を救うべく、あらゆる手段を使っている彼女は、ロックハートに協力を・・。
レニにうっかり秘密を漏らしていたシュトラッサーも、「SDに報告するわよ」と脅されて、
しぶしぶロックハートに従うことを約束させられます。

そういえば「サロン・キティ」は昔、映画になっていたなぁ・・と調べてみると
1976年のイタリア映画でした。しかもあの「カリギュラ」の監督です。。
当時は結構流行ったこのカリギュラですが、「カリギュラ」って口に出すことがイヤラシイ・・というか、
子供にとっての「エロの代名詞」だったことを思い出します。。。

POSTER Salon Kitty.jpg

で、この映画「サロン・キティ」は日本でも公開されていて、DVDも出てるんですねぇ。
DVDは「サロン・キティ」ですが、公開当時は洋ピン扱いですから、タイトルがスゴイ・・。
「ナチ女秘密警察 SEX親衛隊」。そして、<若い隊員の"エキス"を集めよ!>
果たして、ホントにそんな映画なのか・・??

ナチ女秘密警察 SEX親衛隊.jpg

ノルマンディに連合軍が上陸し、このままでは「裏切り者」のまま終戦を迎えることになると、
隊員たちに彼の立てた無謀な「計画」を打ち明け、参加を要請するロックハート。
「SSルーンの入った袖なしTシャツ」を着た彼らは、「俺たちを皆殺しにする気ですか?」

このTシャツは結構知られたものですが、実は池袋のミリタリー・ショップで手に入るんです。
何枚かドイツ軍関連のTシャツ持っているヴィトゲンシュタインですが、コレはちょっと・・。
今年の夏はコレを着て街を闊歩したいと思われる方は、
「ビンテージ・タンクトップシリーズ”SSルーンマーク”」でググってみてください。

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また「イギリス自由軍」が出てくる小説としては「鷲は舞い降りた」のプレストン少尉が
真っ先に思い浮かびますが、本書のろくでもない隊員たちを鍛え上げ、
ナチスの基地を襲おうとする展開になると、1967年の映画「特攻大作戦」を思い出しました。
「服役中の12人の兵士たちによる特殊部隊を組織し、ドイツ軍司令部を壊滅させる」・・
という内容ですが、指揮官にリー・マーヴィン、その他にアーネスト・ボーグナイン、
ジョージ・ケネディ、チャールズ・ブロンソン、テリー・サヴァラス、ドナルド・サザーランドといった
一癖も二癖もある超個性派俳優揃い踏み・・という大好きな映画です。
本書はこの映画にもインスパイアされているのかも知れません。

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厳しい訓練を課してきたとはいえ、部下13人の「イギリス自由軍」に心もとないロックハートは、
生粋のドイツ人SS将校である、シュトラッサーにすべてを話し、
彼の理性に訴えかけて、作戦への協力を求めます。

最終的にはV2ロケット組立工場でもあるミッテルバウ=ドーラ強制収容所
武装して乗り込み、地下の奥深くにあるサリン保管施設を強襲しようとするものの、
収容所警備兵である髑髏部隊との激しい銃撃戦に・・。
一目散にサリン保管所を目指すロックハート・チームと
彼らの背後を守るシュトラッサー・チーム。

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己の信じてきたナチスに対して心揺らぎ、ロックハートを信じることにしたシュトラッサーは、
イギリス自由軍を指揮し、続々と応援に駆けつけてくる髑髏部隊を相手に、
ロシア戦線で戦い抜いてきた百戦錬磨の「ダス・ライヒ」将校の実力を見せ付けるのでした。

原題が「裏切り者」であるように、英国人ロックハートらの「裏切り者」としての苦悩が
充分に書かれた本書ですが、それまで冒して来た罪を悔い改め、
ドイツや英国といった国のためではなく、多くの一般市民の命を救うために
自らの命を捨てることにしたシュトラッサーもまた、「裏切り者」でもあるわけです。

Poster British Freikorps.jpg

ラスト・シーンはさすが英国の作家だけあって、超人的な能力で首尾よくミッションを完了し、
愛する妻と抱き合うようなハッピーエンドにならないのが良いですね。
ロックハートが流全次郎、シュトラッサーが高柳秀次郎という、
男組」の彼ら2人の最期をも髣髴とさせ、もちろん第三帝国ネタと
ヴィトゲンシュタインの好きな要素がたくさん詰まった、とても面白い冒険小説でした。







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反逆部隊〈上〉 [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ガイ・ウォルターズ著の「反逆部隊〈上〉」を読破しました。

「悪名高きアイヒマン、メンゲレなど、「ナチ・ハンター」による執念の追跡劇の真相とは?」 
という興味深い内容の『ナチ戦争犯罪人を追え』が、今年の3月に出ましたが、
この著者について調べていたところ、デビュー作であるこの小説にに辿り着きました。
「1943年、イギリス軍情報部員がドイツ占領下のクレタ島に潜入するも捕らえられ、
武装SSの外国人部隊≪イギリス自由軍≫の指揮を執らされることに・・」。
まぁ、コレだけの情報があれば、もう読まざるを得ません。。
2003年発刊で419ページの表紙を見てみると、そういえば何年か前に本屋さんで見たような・・。
同じハヤカワ文庫でクリス・ライアンの「襲撃待機」や「偽装殱滅」、「孤立突破」といった
漢字四文字シリーズを読み倒していたときだったようです。

反逆部隊上.jpg

1943年11月の深夜、小型ボートでドイツ軍が占領しているクレタ島に上陸をするのは
主人公の英陸軍大尉ジョン・ロックハートです。
学生時代にこの島で遺跡の発掘調査を行い、この島の住人であるパルチザンとも
友人であることからの特殊工作員としての任務です。
ドイツ軍の武器集積所を破壊する・・という作戦ですが、あえなく失敗・・。
捕虜となり、冷酷なディートリヒ中佐の執拗な拷問の前に、スパイとなって
パルチザン壊滅の手伝いをするか、然らずんば死か・・、の選択を与えられます。

Cretan Guerillas attacking German soldiers.jpg

祖国の裏切り者となることを良しとはせず、死も恐れないロックハートですが、
彼には大きな心配事があるのです。
それはオランダで捕えられ、ベルギーの強制収容所送りとなっている最愛の妻・・。
その妻の釈放を条件にドイツのスパイになることを了承するのでした。

ドイツ側の主人公は、第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」の兵士として1941年からロシアで戦い続け、
怪我を負ってベルリンに召喚されてきた、カール・シュトラッサーSS大尉です。
いきなりSS本部長のゴットロープ・ベルガーSS大将から呼び出しを受け、
英国人捕虜から成る部隊を編成し、武装SSに編入して共産主義との戦いに参加させるため、
シュトラッサーを指揮官兼ベルガーの連絡将校に任命する・・というものです。

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ベルガーSS大将は実際に武装SS義勇兵部隊の編制の中心人物ですから、
ここまで違和感ない展開です。
架空のシュトラッサーSS大尉は、いかにも悪人のドイツ人でございます・・
という感じの名前ですが、なかなか男前のようで
小説を読むときは、映画を撮っている監督になりきるヴィトゲンシュタインは
ヴィーキング」のヴァルター・シュミットSS大尉の風貌をイメージして読み進めます・・。

Walter Schmidt.JPG

ベルリンにオフィスを確保したものの、すでに20名のメンバーが集められているという
通称「セント・ジョージ部隊」が、たった6人しかいないことに驚くシュトラッサー。。
総統命令では30名の部隊を編成するということになっています。
彼ら英軍捕虜と顔を合わせますが、まず部隊名にクレームが・・。

「セント・ジョージは英国の偉大な英雄ではないか」と語るシュトラッサーに
「英国といってもそれはイングランド人だけです。スコットランド人やウェールズ人、
アイルランド人はセント・ジョージのために武器は手にしません」。
すったもんだの挙句、ようやく「イギリス自由軍(British Free Corps)」で全員が納得・・。

post- British Freikorps.jpg

英国の歴史に詳しい方やサッカー、ラグビーがお好きな方はご存じのとおり、
イングランドは白に赤の「セント・ジョージ・クロス」、
スコットランドなら青に白の「セント・アンドリュース・クロス」など、
いろいろと別れていますし、対抗心も旺盛ですから、こういう細かいところが楽しいですね。

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同じころ、ゲシュタポによってベルリンへ連行されていたロックハート。
尋問するのは長官のハインリッヒ・ミュラーです。
デスクのペーパーナイフを奪って、首筋に突き立ててやれば、
英国にとっては「ハイドリヒ暗殺」に次ぐ勝利となる・・。
しかし今の彼にとっては妻との再会ために無謀なことを犯すことは出来ません。。
そしてやっと受け取った妻からの手紙・・。独房で何度も読み返し、
隣りの独房のソ連GRU情報部員からの壁を叩く暗号によって、
ドイツ軍が毒ガス「サリン」を用いた新兵器を開発していることも知るのでした。

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こうしてこれまで平行に語られていた英独の主人公同士が対面。
シュトラッサーはロクなやつのいない「イギリス自由軍」の指揮をロックハートに依頼します。
真新しい武装SSの軍服には「イギリス自由軍」のカフタイトル、
前腕盾形徽章にはユニオン・ジャックが描かれ、左襟は金属製のピプが3つに2本の線。
シュトラッサーと同じSS大尉であることを表します。

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しかし右襟には「SSルーン」ではなく、英国王旗のデザインである「スリー・ライオン」が・・。
自分は裏切り者ではないと心に誓いつつ、王や祖国に対する侮辱にまみれた、
この軍服に袖を通すロックハートSSハウプトシュトルムフューラー。
本書はこのような徽章類の描写がこまかいのも良いですね。
ヴィトゲンシュタインもロンドンで買ったスリー・ライオンのTシャツを持っています。
サッカーのイングランド代表もコレなんですね。
もうすぐ、EUROも始まります。楽しみだなぁ。関係なくてスイマセン・・。

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ところどころでロックハートの妻、アンナの強制収容所での様子も出てきます。
政治犯のために赤い三角マークを付けているなど、
先日の「母と子のナチ強制収容所」を思い出しました。

また、シュトラッサーは独身ですが、こちらの女関係といえばベルリンの娼婦、ニナです。
お互い惹かれあっているものの、SS将校としてのプライドが許さず、客と娼婦の関係のまま・・。
でもホモとか変態じゃないので、Hシーンはとても助かります。。
彼女の勤める娼館は、ゲシュタポもので有名な「サロン・キティ」。
ハイドリヒが内外の要人をこの娼館でもてなし、ウッカリ重要な情報を喋らせるように仕組んだ
SD(SS保安部)が経営する売春宿です。
そして厳選された50名の若い女性の中から選抜され、様々な訓練を受けたニナは
やっぱりSDのスパイなのでした。

salon-kitty.jpg

1944年になると、いまだ10名程度の「イギリス自由軍」はヒルデスハイムの
「ゲルマン人の家」へと移動。ここは「アーネンエルベ協会」の一部で、
この施設でSS隊員として、アーリア人種についての知識と訓練を積むのです。
各捕虜収容所から集まった隊員たちの志願した理由も様々。
日和見主義者に問題を抱えていたり、虐められていたり・・。
なかでも一番多いのが、オズワルド・モズレー率いる英国ファシスト同盟党のメンバーです。
そしてこのような黒シャツを着て、暴力にモノを言わせていたような連中を
ロックハートはまったく信用できません。

British Union of Fascists Sir Oswald Mosley.jpg

敵同士であるロックハートとシュトラッサーはお互いを理解し始めますが、
ベルガーからの突っつきもあって、宣伝ビラを作っての捕虜収容所を巡る
大々的なリクルートを指示するシュトラッサー。
その代わりに妻に合わせろと要求するロックハート。
これまでは強気だったシュトラッサーも、任務が不首尾に終われば即刻東部戦線行き。。
いやいやながらもロックハートに頼らざるを得ないのでした。

著者は英国人ですが、「英国人はドイツ人と同じく国を裏切ることをしない。
フランス人は得意だが・・」と、国防軍所属のフランス義勇軍に触れ、
「武装SSが引き取る話もある」など、武装SSの「シャルルマーニュ」も絡めた
英仏の義勇兵についての考え方も楽しめます。

原題は「裏切り者」で、主人公のロックハートが祖国への裏切り行為と
妻への想いの狭間で苦しむ展開はとても人間味があって、感情移入してしまいますし、
シュトラッサーとニナもとても良く描かれていて、もう下巻が楽しみです。
このあとすぐに読みますよ。







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第10戦車師団戦場写真集 -東部および西部戦線、アフリカ戦線1939‐1943年- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

J.ルスタン、N.モレル共著の「第10戦車師団戦場写真集」を読破しました。

久しぶりに大日本絵画の大判の写真集をやっつけました。
著者の大判写真集は、「クルスクの戦い―戦場写真集」と「ハリコフの戦い―戦場写真集」を
過去に紹介済みで、2004年発刊、327ページの本書は
カレコレ5年前から読みたかったものですが、まぁ、定価6000円というのが・・。
でも3月に独破した「ドイツ機甲師団」の表紙がほとんど同じこともあって本格的に検討。
結局、新品同様の綺麗な古書を半額で手に入れました。
特別に有名な師団ではないという、確かにマニアックな一冊ですが、戦車に詳しくない方でも
後半に有名人が登場しますので、ど~ぞ、最後までお付き合い下さい。

第10戦車師団戦場写真集.jpg

最初の36ページは帯にも書かれている「車両のカラー側面図約90点」が掲載。
Ⅰ号戦車からⅥ号戦車ティーガーまでなのは当然ですが、ポーランド軍戦車や
英国軍、フランス軍の戦車、戦車以外にも榴弾砲にクルップ製のトラックまで
バリエーション豊富ですね。

Polish military unit,The 10th Cavalry Brigade.jpg

続いて本文の第10戦車師団の歴史。といってもわずか3ページで概要というレベルです。
1939年4月に動員された師団は当初プラハに司令部が置かれ、
コレは占領任務も兼ねたものだったということです。
そして半年も経たない9月にはポーランド戦に参加。
編成表は細かく書かれていて、1個戦車連隊(第8戦車連隊)、1個歩兵連隊、
その他、対戦車部隊と偵察部隊、通信中隊に工兵大隊です。

8個中隊に分かれた戦車連隊の戦車戦力の表では、
後にクルップ製スポーツカーと呼ばれたⅠ号戦車が圧倒的に多く91両、
Ⅱ号戦車が20両、Ⅲ号12両、Ⅳ号戦車は4両というもの。
ポーランド戦にⅣ号戦車って出動してたんですねぇ。

さらに「おいおい、今更そんな・・」と言われることを承知で書きますが、
上部支持輪というキャタピラの上の転輪の数が3個なのがⅢ号戦車、
4個だとⅣ号戦車である・・・ということに気が付きました。。

PanzerIII_PanzerⅣ.jpg

そしていよいよ写真の出番です。
編成当初のプラハでの行進の様子に、初代師団長ガヴァントゥカ少将のポートレートが・・。
しかしこのガヴァントゥカ師団長は7月に死亡しています。
死亡原因は書かれていませんが、2代目師団長となったのはフェルディナント・シャールです。
お~、この将軍の名は聞いたことがありますねぇ。

Ferdinand Schaal.jpg

ポーランド戦ではブレスト要塞攻略に参加。
東から攻め込んできたロシア軍と出会い、グデーリアンが協議の末、
この土地の管理をロシア側に移管する有名な写真も出てきました。

Polen, deutsch-sowjetische Verhandlungen_General Guderian.jpg

翌年のフランス電撃戦
第7戦車連隊が加わり、2個戦車連隊編成となった第10戦車師団。
その第7戦車連隊の編成はⅠ号戦車は20両に激減し、Ⅱ号戦車が77両、
Ⅲ号25両、Ⅳ号戦車は18両というもの。第8戦車連隊もほぼ同数ですが、
この時点でも中心となるのは、まだⅡ号戦車なのが良くわかります。
進撃する写真ではⅠ号戦車の車体を流用した「自走15㎝重歩兵砲」の姿が微笑ましいですね。

10th panzer division sig-33-pzkpfw-i-b-self-propelled-gun.jpg

ムーズ川を渡河し、ストンヌでの激しい戦闘の写真とグロースドイッチュランドの突撃砲が出てくると
思い出しました。「電撃戦という幻〈下〉」で印象的だった戦いのことですね。
そしてクライスト装甲集団の証である「K」のマークを車両に描いた師団は、
カレーでの激戦からリヨンまで進撃・・。
この町のルノーの工場を使って消耗した車両の整備を行い、軍隊式パリ観光も実施するのでした。

この戦役終了後に本書の表紙の有名な写真と、「ドイツ機甲師団」のカラー写真が、
本国の雑誌の巻頭ページを飾ったということですが、
砲塔部分に描かれている「バイソン」が第7戦車連隊のマークなんだだそうです。

ドイツ機甲師団.jpg

続く章は「ロシア侵攻」です。
再度、編成表を確認しますが、遂にⅠ号戦車は姿を消し、Ⅱ号戦車が40両、
Ⅲ号104両、Ⅳ号戦車は20両というもの。
Ⅲ号戦車が中心となったのは良くわかりますが、Ⅳ号戦車はほとんど増えてません。
それどころか第8戦車連隊が無くなって1個戦車連隊に逆戻り・・。
コレは「バルバロッサ作戦」に向けて、ヒトラーが装甲師団を増やすように要請したことによるもの
なんでしょうね。紙の上の装甲師団数は増えても戦力は変わらず・・というヤツです。。

Russland, Panzer III in Steppe.jpg

フランス戦での「K」のマークから、グデーリアン集団の証である「G」のマークに変更した
第10戦車師団。
架橋大隊がブグ川に橋を架けると、その橋には「グデーリアン大将橋」との看板が・・。
そして戦死者の墓には十字架にヘルメットがかぶせられますが、
その脳天に大穴がパックリ開いて、ひび割れているヘルメットの写真は印象的です。
いったい彼は、どんな死に方をしたのでしょう・・。

PzKpfwT-34-747r of 10th Panzer Division.jpg

8月、シャール師団長が軍団長へと転出し、旅団長だったフィッシャー大佐が後任に選ばれます。
お~と、この人も知ってます。「グリーン・ビーチ」に出てきた将軍ですね。
10月には遅ればせながらモスクワを目指す「タイフーン作戦」に参加。
ヘプナーの第4装甲集団のシュトゥンメの第40軍団に配属されます。
このシュトゥンメも聞いたことある名前ですが、
北アフリカでロンメルの代わりに心臓発作で死んでしまった人ですか・・。

Rommel and Stumme in North Africa 1942.jpg

夏から冬へと変わっていく写真の数々。。
第10戦車師団と連携して作戦した武装SS「ライヒ」師団の若い兵士が、
負傷した陸軍兵士をおんぶして運んでくる写真も良いですね。
酷寒のロシアの土地は凍りつき、「第10戦車師団(Panzer-Division)」は
第10ソリ師団(Panje-division)になってしまった・・」と言い合うほど、
重宝するのは馬橇です。。

7th Tank Regiment at the headquarters of the 10th Panzer Division outside Moscow. Moscow region in 1941.jpg

1942年4月の春休み、第10戦車師団は再編成のためにフランスへ。
夏には英加軍による「ディエップ奇襲」が起こり、海岸に乗り捨てられたチャーチル戦車に対して
ちょうど良いとばかりに射撃訓練をする様子が・・。

師団長フィッシャーも中将へ昇進して、北アフリカで後退中のアフリカ軍団を救うため、
マルセイユからナポリを経て、イタリア海軍の駆逐艦の船旅をする兵士たちや
車両は超大型輸送機「ギガント」に乗ってチュニジアまで。

me323-Gigant.jpg

早速撃破した英軍のクルセイダー戦車の検分をするのはロンメル元帥です。
そしてティーガー戦車を揃えた第501重戦車大隊も登場し、後に連隊に配属となるわけですが、
こういうのが出てくると、「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」を買わなくちゃって気になりますね。。

501. Schwere Abteilung was incorporated as the 7th and 8th companies of the 7. Panzer-Regiment, 10. Panzerdivision on 26 February 1943.jpg

しかしキチンと標識を設置していなかったイタリア軍の地雷原に
誤って入り込んだフィッシャー師団長が爆死・・。
後任にフォン・ブロイヒ少将が・・。
この人はなんとなく聞いたことがある・・と調べると、シュタウフェンベルクとの写真を思い出しました。

Claus Schenk Graf von Stauffenberg (rechts) im Frühjahr 1943 in Tunesien im Gespräch mit Friedrich von Broich,.jpg

本書にもこの ↑ 写真が掲載されていましたが、ロンメルと参謀長のバイエルライン
顔の写っていないブロイヒと第10戦車師団作戦参謀シュタウフェンベルクになにやら語る・・という
初見の写真も登場。
こんなところでロンメルとシュタウフェンベルクは会話してたんですねぇ。
そして1ヶ月後には、連合軍の航空機攻撃によって片目、片腕を失うこととなり、
シュタウフェンベルクは「ワルキューレ」へと突き進んで行くのです。。

Valkyrie 2008.jpg

カセリーヌ峠の戦いにおけるシディ・ブー・ジッドで第7戦車連隊に撃破された
米軍シャーマン戦車の一連の写真もとても印象的でした。
開けた土地で行軍隊形のまま大破した初陣の米第1機甲連隊・・。
経験豊富なⅣ号戦車とティーガーの恰好の標的となったようです。
また、米軍捕虜たちの写真も何枚かありますが、ニヤニヤ、チャラチャラした連中も多く、
これじゃ総統大本営が「米軍は弱い」と考えたのも無理はないと思いました。

facing the fox shermans.jpg

ですが、戦局は物量に勝る連合軍が優勢。
ティーガーも自らの手で破壊し、鹵獲したヴァレンタイン戦車も遺棄して後退を続け、
最後の写真ではチュニジアの戦時捕虜収容所がドイツ兵で溢れ返っています。

A captured British Valentine Mk III in use by Panzer-Regiment 7.jpg

初戦のポーランドからフランス、ロシアと戦い続けてきた第10戦車師団は、
この北アフリカの地で全滅し、2度と再編されることはありませんでした。
タイトルが「写真集」となっているとおり、ありがちな戦記や個人の日記は一切ありません。
しかし時系列で豊富な写真と、そのキャプションを読むだけで、
この師団の歴史がキチンと理解できるものでした。

5時間ほどかけて読みましたが、満足度の高い一冊でした。
次の大日本絵画の大判の写真集としては、「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」を
まずやっつけるつもりですが、本書の著者J.ルスタンのもう一冊、
「続・クルスクの戦い―戦場写真集北部戦区1943年7月」が先になるかも知れません。。

などと考えながら、昨日たまたま立ち寄った本屋さんの入り口に貼っていたポスター・・、
DeAGOSTINI の「隔週刊 コンバット・タンク・コレクション」。。
今週から発売で初回は890円也!
小走りに入って立ち読みしてみると、グロースドイッチュランドのティーガーE型の
1/72のコレクション・タンク付きでした。詳しくはコチラをどうぞ。
いや~、でも数年前に「鉱石」のシリーズを買いましたけど、1週買いそびれて挫折した・・
という苦い経験があるので、コレは悩みます。。









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水晶の夜 -ナチ第三帝国におけるユダヤ人迫害- [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

H‐J・デッシャー著の「水晶の夜」を読破しました。

「水晶の夜 = クリスタルナハト」というのはとても有名なキーワードですが、
コレについて詳しく書かれたものはほとんどありません。
ヴィトゲンシュタインが今まで読んできた書物に書かれていたことを思い出しても
・若いユダヤ人がどこかでドイツ外交官を暗殺した。
・それを受けてゲッベルスがユダヤ人商店に対する報復的な暴動をSAに指示した。
・警察長官でもあるヒムラーとハイドリヒは、事前に知らされずに乗り遅れた。
・総統は当初ゲッベルスを支持したものの、外国からの批判にゲッベルスの行為を非難。。
と、だいたいこんな程度のザックリした知識しかありません。。
1990年発刊で267ページの本書を読まれた方のレビューが良かったのもあって、
今回、しっかりと勉強してみたいと思います。

水晶の夜.jpg

最初に本書の立ち位置を理解するため、「訳者あとがき」から読んでみました。
それによると「水晶の夜」について一般的に理解されているのは1950年代後半に
出版された古い書物に依存しており、1943年生まれのドイツ人現代史家である著者が
東西ドイツの公文保管所から多数の新史料を発掘し、当時の証人を探し当てて、
重要な証言も引き出し、1988年に出版したということです。

第1章は「水晶の夜」事件が起こる前のナチスのユダヤ人政策を検証します。
1933年に政権を取ったナチスは、早々に反ユダヤ人主義の新聞、シュテュルマーを発行する
シュトライヒャーがユダヤ人商店や、ユダヤ人弁護士、医師の活動に対するボイコットを指導し、
その首唱者が宣伝大臣ゲッベルスであったこと。
1935年には悪名高き「ニュルンベルク法」が公布され、ユダヤ人と非ユダヤ人の結婚と
結婚外の「性交」を禁止するなど、徹底的な排除政策が始まります。

Julius Streicher.jpg

翌年はベルリン・オリンピック開催のために控えめな態度を取ったナチス政府。
1938年に併合したオーストリアでも「ポグロム(ユダヤ人迫害)」は激しくなりますが、
この大ドイツから離れるユダヤ人は少なく、同じく5年以上外国に住むユダヤ人に対して
公民権を取り消して帰国を阻止しようとするポーランド政府・・という
ユダヤ人国外移住問題が大変こじれたものに・・。
このあたりは「ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間- 〈上〉」にも書かれてました。

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このような内容の本文に続いて、各章の後半部分は「ドキュメント」としてページを割きます。
例えば、SA(突撃隊)の屈強部隊が裁判所からユダヤ人裁判官などを追い出しにかかったという
新聞記事に、ベルリンからスイスへ追放されたユダヤ人医師の公使館宛ての手記。
「ボイコットに対する一切の宣伝は行わないよう・・」とする副総裁ヘスによる
全国指導者および大管区指導者に宛てた文書。
「ニュルンベルク法」の詳細に、SAやSSの関連写真、反ユダヤ・ポスターなどです。

この本書の構成はとても変わっていますね。
実は本文は、章後半のドキュメントを整理/解説したものであり、それを理解してから、
各々のドキュメントで詳細を確認する・・という流れです。

Jude.jpg

第2章は17歳のユダヤ人少年グリューンシュパンがパリ駐在の外交官、フォム・ラートを
拳銃で暗殺するという、俗に「水晶の夜」の発端となった事件に焦点を当てます。
ハノーファー生まれのグリューンシュパンはベルギーのブリュッセルを経由して
仕立業を営むパリの叔父に引き取られ仕事を手伝う少年です。
しかし不法入国者である彼にフランス内務省は1938年、国外退去を決定。

一方、犠牲者となるフォム・ラートは高級官吏の息子として1908年に生まれ、
1932年には多くの若者と同様にナチ党に入って、SA隊員となります。
外交官としてカルカッタ総領事館で勤務しますが、「腸疾患」のために帰国。
治療の後、1938年、パリのドイツ大使館の公使館書記官に任命されるのでした。

Ernst vom Rath.jpg

こうして11月、ポーランド国境へと追放され、苦境を訴える家族の手紙を受け取っていた
グリューンシュパンは、パリのドイツ大使館を訪れ、フォム・ラートに発砲。
事件を聞いたヒトラーはすぐさま侍医のカール・ブラント博士とマグヌス教授を派遣しますが、
その甲斐もなくフォム・ラートは死亡。。

Brandt with Professor Magnus.jpg

一般的に「迫害されている家族らユダヤ人に対する抗議のため、ドイツ大使ヴェルチェック狙った」
とされているグリューンシュパンの行動ですが、
本書では撃たれたフォム・ラートの「腸疾患」が、同性愛行為による淋病性腸炎であったとし、
ユダヤ系医師に治療を任せたのも、アーリア系医師に密告されて
経歴を失うことを怖れたためとしています。
さらにグリューンシュパンが「大使」ではなく、「公使館書記官」に面会を求めたという証言から、
同性愛行為を見返りとした、出国手続き援助の約束が反故にされたことによる暗殺・・
と仮定しています。

Der Stuermer, of Herschel Grynszpan, the Jewish assassin of Ernst vom R.jpg

11月9日夜、「フォム・ラート、暗殺に斃れる」の報がベルリンにもたらされると、
いよいよゲッベルス指揮の元、SA隊員を中心とした「水晶の夜」が始まります。
「煮えたぎる民族精神の正当な蜂起」という自然発生的なものを強調したこのポグロムですが、
ヒトラー自身は無関係を装ったり、SS指導部、とりわけハイドリヒによって実行された・・という
もろもろの説についても検証。

kristallnacht_2.jpg

ドイツ全土の100以上の「シナゴーグ(ユダヤ教教会堂)」に火が放たれ、
ユダヤ人商店のショーウィンドウは割られて、家を荒らされ、暴行を受けるユダヤ人たち・・。
この章のドキュメントではハイドリヒSS中将が全州の警察本部とSDに流した特別至急電信や
ゲシュタポのミュラーの電信などがおそらく全文の形で掲載されていて、興味深かったですね。
「ユダヤ人商店や住居はただ破壊するだけにせよ。略奪は禁止する。裕福な者は逮捕し、
シナゴーグなどに保存されている文書を速やかに押収すること。・・」などなど。。

Synagoge in der Bergstraße in Hannover.jpg

しかし、多くのナチ党員と、その尻について略奪を働く暴徒の存在のために
副総裁ヘスは翌日の11月10日には「放火は厳禁」の司令を全国に出し続ける羽目に。。
そしてこの日から12月までに逮捕されたユダヤ人3万人は、ダッハウブッヘンヴァルト
ザクセンハウゼンの強制収容所送り。。
それを免れたユダヤ人はわれ先にと国外移住を図るのでした。

SS guards force Jews.jpg

11月12日に開かれたゲーリングを議長とする、ユダヤ人問題会議の議事録が
ほぼ20ページに渡って掲載されていました。
この会議における反ユダヤの最先鋒を自負するゲッベルスが
「ユダヤ人が劇場や映画館、サーカスに行くことを禁止する必要がある」と言い出し、
「列車の座席も要求してはならない」と要望をエスカレートさせると、
ゲーリングと押し問答が繰り広げられます。

Goebbels and Goering.jpg

ゲーリング-「その場合は、最初からユダヤ人専用の車室を・・」
ゲッベルス-「だけど列車が満員の場合はダメでしょう」
ゲーリング-「ちょっと待って!一両だけユダヤ人専用というのは・・」
ゲッベルス-「しかし、こうゆう場合もありますよ。・・」
ゲーリング-「特別室を2、3と言ってるわけではなくて・・」
ゲッベルス-「反対だ。そんな処置では・・」

そして会議の最後には、ハイドリヒによって「特定のユダヤ人章」着用の提案がなされます。

jewishfamilydeportation.jpg

話は「水晶の夜」の起因となった2人に戻ります。
ヒトラーも出席し、国葬されたフォム・ラート。
逮捕されていたグリューンシュパンは1939年秋にパリで裁判にかけられることに・・。
ゲッベルスの宣伝省は、グリューンシュパンの背後には「世界ユダヤ民族」が控えているとし、
ユダヤ民族の意図的な陰謀であると主張しようとしますが、戦争の勃発により、結局中止。
フランスの少年刑務所からザクセンハウゼン強制収容所へと送られたグリューンシュパン。

Trauerfeier für Ernst vom Rath.jpg

1942年になると、強制連行されているユダヤ人に対する潜在的な「同情心」を骨抜きにしようと、
外国の特派員を傍聴人として招待し、再度グリューンシュパン裁判を開くことが検討されますが
暗殺の裏には「ドイツ人外交官」との同性愛が絡んでいたことを持ち出して、
ナチの宣伝裁判の全戦略をぶち壊してしまうグリューンシュパン。。

Herschel Grynszpan, right after his arrest.jpg

このグリューンシュパンくんについてはその後の消息はハッキリしていないそうです。
第2次大戦を生き延びて、素性を偽ってパリに行方をくらました・・という説があるものの、
ザクセンハウゼンで絞首刑に処せられたというのが本書の見解です。

1939年11月9日から10日にかけて起こった「水晶の夜」については
まぁまぁ、知っていたことと大きく変わりがありませんでしたが、
その起因であるグリューンシュパンとフォム・ラートの関係・・、
一般的ではない「同性愛」という仮説を深く追及しているところが印象に残ります。
また、ドキュメント部分の文書や写真も特に興味深く、
全体としてこの事件の前後関係を詳しく知ることが出来たのも大きかったですね。



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大砲撃戦 -野戦の主役、列強の火砲- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

イアン・V.フォッグ著の「大砲撃戦」を再度、読破しました。

実は「第二次世界大戦ブックス」を買い集める前、本書を読んだことがあります。
1985年発刊の「第二次世界大戦文庫」で、この「大砲撃戦」を読んだんですが、
あまり印象に残っていませんでした。
「~文庫」とは「~ブックス」を文庫化したものですが、
「~ブックス」の面白さを理解しているヴィトゲンシュタインとしては、ちょっと疑問・・。
そんなことで改めて1972年発刊の「~ブックス」を購入し、読み比べすること決意しました。

大砲撃戦.jpg

まずは、第1次大戦の塹壕戦の主役として活躍した各国の火砲と砲兵の歴史を紹介。
英米が陸軍主導で設計・開発が行われたのに対して、ドイツは火砲メーカーに頼り、
射距離と弾丸、火砲そのものの重量についてを要求するだけで、
メーカーが思うように研究開発を行っていた・・と、その違いにも触れ、
ヴェルサイユ条約によって、クルップ社は口径17cm以上の火砲の製造を禁止され、
ラインメタル社に至ってはソレ以下の火砲さえ禁止されたということです。

第2章ではカノン砲(加農砲)や榴弾砲、臼砲、迫撃砲といった火砲の種類と用途などを
詳しく解説。う~ん。知ってたようで、結構知らないことが多いですねぇ。
まるで新米砲兵になって授業を受けているような感じで、とっても勉強になります。

10,5-cm Kanone 18 Field Gun.jpg

第3章からいわゆる「野戦砲」の運用についての解説が始まりますが、この野戦砲という名称は
各国がそれぞれの見解に従って分類しているに過ぎず、「意味のないもの」だそうで、
それでも野戦砲としては口径150㎜までの機動力のある「歩兵砲」、「野砲」、「中砲」に
分類できるそうです。

基本的には種類ごとに英米、続いてドイツ、最後にソ連、日本という流れで紹介。
ここではヴァレンタイン戦車の車体に25ポンド砲を載せた「英軍初の自走砲」の写真がありましたが、
この英軍の「ビショップ自走砲」って初めて見ました・・。確かにあってもおかしくないですが・・。
「~文庫」の記憶を失っているのも恐ろしいですね。
ソ連、日本はほとんどオマケ・・というか、特筆に価する砲はそれほどありません。

bishop.jpg

第4章「戦車をやっつけろ!」では、各国の対戦車砲を紹介します。
いつも「第二次世界大戦ブックス」の紹介では、タイトルや副題をイジりますが、
本書はこの章タイトルが笑っちゃいます。。

火砲の開発に後れを取っていた感のあるドイツですが、
ラインメタル社が37㎜PaK35/36を開発し、スペイン内戦で試用されて、
第一線兵器として各国をリードします。

Operation Barbarossa 37㎜PaK.jpg

ドイツ軍の誇る「ハチ・ハチ」。
88㎜高射砲はこの「独破戦線」でも何度も登場し、対戦車兵器としても活躍していますが、
この章では高射砲としての「ハチ・ハチ」(FraK)ではなく
対戦車砲(PaK)として開発された「ハチ・ハチ」が紹介されます。

アフリカ軍団の砂漠という遮るもののない特殊な場所での戦いに
対戦車砲として使われた88㎜高射砲。
しかし精密な高射砲が対戦車砲として使われることを空軍の高射砲部隊は快く思っていません。
そして75㎜対戦車砲がすでにソ連軍戦車の装甲に対応できなくなったことから
対戦車砲PaK43/41が開発されたということです。

88pak43.jpg

この対戦車砲である「8.8cm PaK」の話では、ドイツ軍が自走砲にも乗せたとして
「ホーネット」という名前で登場。
正確には「ホルニッセ」、どちらを訳してもスズメバチですが、
名称変更した「ナースホルン」も、「リノセロ」とサイを英語読みしています。
よくケーニッヒスティーガーを英語読みしたキングタイガーやロイヤルタイガーというのは聞きますが、
連合軍はホーネットなんて呼んでたのでしょうかねぇ。英語の翻訳ですからわからなくもないですが、
いまでは米戦闘機としてのほうが有名なので、なんともいえない違和感があります。。

Nashorn.jpg

しかし、対戦車砲に疎いヴィトゲンシュタインとしては8.8cm PaKも含め、
大変勉強になりました。
徹甲弾や徹甲榴弾の2種類から始まる、対戦車用弾薬の開発の歴史についても同様です。

The crew is feeding the Nashorn's PaK 43 gun with an 88 mm (3.46 in) projectile.jpg

第5章は「飛行機をやっつけろ!」。。
言わずもがなの高射砲ですが、やっぱりそうきましたか・・。
88㎜高射砲が表紙と同様、この章の主役ですが、米軍の120㎜高射砲の写真も出てきますし、
ドイツ軍も「ハチ・ハチ」を凌ぐ128㎜二連装高射砲というのを作っていました。
いや~、コレはまったく知りませんでした。

12.8 cm FlaK 40 Zwilling.jpg

それにしても88mmも8.8cmという表現もあったり、
英国ではインチのポンドと、統一されていないのが「砲」を比べるときの難点ですが、
本書ではこれらについても「37㎜砲に相当するのは2ポンド砲である」とか
「75㎜(3インチ)の寸法・・」とある程度書かれているので助かります。

21-cm-Kanone 12 (E).jpg

次の章はお待ちかね「巨人砲」です。
運用の面から言うと、ここまでは歩兵、砲兵、高射砲部隊といった師団に属する砲でしたが、
「重砲」や「超重砲」は、軍団ないしは軍に属する独立大隊が運用します。
英軍の重砲は主に第1次大戦での遺物に、せいぜい改良を加える程度・・。
一方、再軍備で新たに開発を始めたドイツは150㎜砲に210㎜カノン砲と続き、
124㌧の怪物「カール自走臼砲」も登場。

A Dud shell fired by Karl Gerat during the Warsaw uprising Very lucky for everyone inside the building..jpg

「海岸砲」の章には列車砲も含まれます。
1940年、ドイツ軍の本土上陸を危惧する英軍は、海岸線への列車砲配置のため、
将校を派遣します。鉄道幹線に近い理想的な谷に行くと地図にも載っていない古い線路が
森へと延びており、その奥の風雨にさらされた小屋には9.2インチ列車砲が・・。
そこへ1918年からこの火砲を手入れし続けていた「砲の番人」である老人が姿を現し・・、
という寓話のようなエピソードが楽しいですね。

BL9.2inchRailwayGunFiringSomme.jpg

ドイツは第1次大戦での有名な「パリ砲」を海軍が運用したことから、その影を薄くすべく、
陸軍が長距離砲の開発に勤しみ、「テオドール・ブルーノ」を筆頭とした列車砲を開発します。
最終的には800㎜砲の怪物、「グスタフ/ドーラ」がセヴァストポリ要塞ワルシャワ反乱に投入。

The 24 cm Theodor Kanone (E).jpg

フランス海岸に設置された海岸砲シャルンホルストやグナイゼナウの主砲として開発された
38㎝の「ジークフリート艦砲」に、リンデマン砲台に3門据えられた
40.6㎝の「アドルフ艦砲」がドイツ軍最大の海岸砲だったということです。
海岸砲について書かれたものは初めて読んだ気がしますね。

atlantic-wall.jpg

著者は砲兵の専門家で、原著の発刊当時、英陸軍内に16人しかいない「一級砲術家」の
称号を持つプロだそうですが、、英米寄りでもなく、ドイツ軍の砲も充分に評価し、
「ドアノッカー」と揶揄されたドイツ軍の37㎜PaKが「たいしたものではないというのは酷いよ」と
当初は充分に役に立ったのだとしていたり、
ドーヴァー海峡をブレスト艦隊が突破したことでも、「追撃中の英艦艇に危険を与えるため、
射撃禁止されていた」として海岸砲兵の彼らに責任はないと擁護しています。

大砲撃戦文庫.jpg

無反動砲や変り種のムカデ砲、「ホッホドルックプンペ」が紹介された後は、
訳者さんが書く、「日本陸軍の火砲」です。
本文ではあまり日本の火砲に触れられていないのがよほど悔しかったのか、
良いのもあるんだよ的な感じで書かれていますが、
この訳者さんは只者ではなく、第2次大戦中は砲兵将校として戦闘に参加し、
無反動砲やロケット砲の研究開発に参与した経歴の持ち主です。

そして大戦末期に驚異的な15㎝高射砲が高度1万mで飛来するB-29に対して開発され、
東京の久我山に2門据えられてたものの、すぐに終戦・・。
米軍の専門家がコレを観て驚嘆し、1門が米国に送られたという運命を語ります。
気になってちょっと調べてみましたが、制式には「五式十五糎高射砲」というもののようです。
同人誌も出ているみたいですね。

五式十五糎高射砲.jpg

読み終えて「第二次世界大戦文庫」と見比べてみましたが、
まぁ、写真も同じように掲載されていますが、大きさが違うので
インパクトは「~ブックス」のほうがありますね。
それから最後の訳者さんの書かれた日本の章はまるまるカットし、訳者さんも変更。。
章のタイトルも「戦車をやっつけろ!」や「「飛行機ををやっつけろ!」が
それぞれ「対戦車砲」と「高射砲」に変更されていました。
あくまで趣味の問題ですが、「~ブックス」のセンスが好きだなぁ~。





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