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卵をめぐる祖父の戦争 [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デイヴィッド・ベニオフ著の「卵をめぐる祖父の戦争」を読破しました。

いつの間にやらamazonの「ほしいものリスト」に登録していた本書。
ひょっとしたら4月の「レニングラード封鎖: 飢餓と非情の都市1941-44」のときに見つけて 
そのままにしていたのかも知れませんが、無性に小説が読みたくなったので
2011年に文庫化された469ページの本書を選んでみました。

卵をめぐる祖父の戦争.jpg

LAで脚本を書いている「私」がロシア系の祖父母から
戦争の話を聞き出そうとするところから物語は始まります。
1942年の最初の一週間、祖母に出会い、親友ができ、ドイツ人を2人殺したことを語る祖父。
このようにして始まる戦争小説や戦争映画は、もはや定番ですね。

1941年の夏に侵攻してきたドイツ軍によって包囲されたレニングラード。
母と妹はすでにヴャージマに疎開し、暗殺されたセルゲイ・キーロフの名に因んで付けられた、
「キーロフ」という集合団地に住む17歳の若き祖父、レフが主人公です。
彼がこの地元の都市のことを「ピーテル」と愛称で呼ぶあたりはいいですね。
ペトログラードの名残りなんでしょうか。
そんな大晦日の夜、パラシュートで落下してきたドイツ兵の死体からナイフを盗んで、
逮捕されてしまったレフは、拘置所で20歳の脱走兵コーリャと一緒になります。

Leningrad fortified region.jpg

こんな理由でも死刑になったり、拘置所で餓死してしまうという当時のレニングラード。
2人はNKVDの大佐から特別任務を授かります。
それは来週金曜日に結婚する娘のために奥さんが造るケーキに必要不可欠な
「卵」を1ダース見つけてこいというもの。。
一般市民は飢餓に苦しんでいるなかで、砂糖に蜂蜜、小麦粉などは貯め込んでいるものの
「卵」だけはどうしても見つからないのです。
元ボクサーのような風貌のNKVDの大佐は、粛清の拷問を受けた傷跡が残る、
タフでおっかないオッサンで、こんな ↓ イメージ。。

Полковник НКВД.jpg

命にかかわる「配給カード」と引き換えに、
半年前なら1000個の卵が買えた400ループルもの大金と
このNKVDの大佐の署名の入った絶対的な許可証を渡されて、いざ出発です。
まぁ、「鷲は舞い降りた」のヒムラーのヤツと同じようなモンですね。

leningrad.jpg

闇市の露店が並ぶセンナヤ広場では、「ウォッカ」の名をした「メチルアルコール」に、
本の製本糊を煮詰めて棒状にした「図書館キャンディ」に金を払ってしまう2人。。
「図書館キャンディ」は蝋のような味がするものの、命を繋ぐ蛋白質が含まれているそうで、
以前、壁紙を剥がして糊を・・というのは読みましたが、そんな理由なんですね。

そして「卵を売ってやる」と言う大男に連れられて、そのアパートに行くと、
鉤爪に引っ掛けられた子供の胸郭、皮を剥いだ女性の太腿が・・。
命からがら逃げだす2人。いや~、食人鬼夫婦、こわいですねぇ。。
「悪魔のいけにえ」を思い出しました。キャ~!

texas-chain-saw-massacre_1974.jpg

続いて、噂に聞いた鶏を飼っている爺さんのもとを訪れて、なんとか最後の一羽をゲット。
ダーリンと名付けて、卵を産む瞬間を今か今かと待ちますが、
雄鶏であることに気づき、スープに変身・・。

「ピーテル」には一個の卵もないことを悟った2人は、戦線の向こう側、
50㌔離れたムガの集団農場に向かうことを決意します。
ムガを占領しているドイツ兵だって、卵を食べるだろう・・と推測するわけですが、
レニングラードに卵がない理由は、犬、猫、ネズミまで食べてしまうくらいですから、
卵を産む鶏なんて、とっくに食べちゃってるんですね。

防衛陣地では白い網がかけられ、カモフラージュされたKV-1戦車に、
ドイツ軍が「スターリンのオルガン」と呼んで恐れるカチューシャ・ロケットのトラックが・・。
大佐の許可証の効力は絶大で、それを見た軍曹は、
「すべてわかってる。パルチザンの組織化、だろ?いいねぇ」。

katyusha_2.jpg

そして郊外では背中に木製の箱が取り付けられ、死にかけた牧羊犬の姿。
気が付けはそんな犬の死骸がそこらじゅうに・・。
地雷犬に気づいたドイツの狙撃手に仕留められた犬たちなのです。

dog mines.jpg

ムガへの方角も間違え、夜になって辿り着いた一軒の農家。
そこにいたのは元気な4人の女の子たちです。
村の男たちは虐殺され、女はドイツの工場へ労働者として送られ、
彼女たちは侵略者の快楽のためにここに残されていたのです。

russian girls 1941.jpg

さらにここに来るドイツ人は国防軍兵士ではなく、「アインザッツグルッペン」。。
クラースナヤ・ズヴェズダー「赤い星」でも、この殺人部隊によって殺害された
ロシア人で埋められた塹壕の写真を掲載しており、すでに有名なのです。

1939-po-wkroczeniu-wehrmach.jpg

襟に4つの星を付けた、アインザッツグルッペン最年少の少佐であり、
首から騎士十字章を下げたアーベントロートはチェスと14歳のゾーヤが好み。
彼女たちが語るところによれば、逃げ出したゾーヤを捕まえてきて戻ると、
両手両足を押さえつけさせて、彼女の両足首をノコギリで・・。
イメージ的にはこんな感じの ↓ ヤツですかね。。

SS-Sturmbannführer Rafael Wolfram.jpg

このような悪いドイツ人が沢山出てくることで知られる1985年のソ連映画、
炎628」のDVDが年末に再発売されるようです。
観たくても廃盤でプレミア価格だったので、買っちゃおうかな。。



そんな極悪非道を絵に描いたようなアインザッツグルッペンAのゾンターコマンド隊長の
アーベントロートの命を狙っているパルチザン一行と行動を共にすることになった2人。
そしてリュドミラ・パヴリチェンコの記録を狙う、若い女性狙撃者のヴェラに
レフは淡い恋心を抱いてしまうのでした。

Soviet partisans.jpg

いまだ「卵」を求める2人とパルチザン一行は、アインザッツグルッペンAと行動する
エーデルヴァイスの部隊章を付けた第1山岳師団に追われると
敢えて彼らの捕虜になる道を選びます。
目的はドイツ軍の「卵」と、アーベントロートの「命」。
生き残った3人、レフとコーリャ、そしてヴェラの作戦は・・。

Gebirgsjäger-Division.jpg

いや~、最後の1行まで楽しめた戦争小説でした。
というより、青春ドラマというか、戦争ファンタジーと言っても良いかもしれません。
休日の朝っぱらから読み始めて、2回の食事休憩を挟みながら、
469ページを夕方までに読み倒してしまいました。

祖父である主人公のレフは小柄で痩せた、でか鼻で童貞のユダヤ人。
相棒のコーリャは背も高く、美男子で話の巧さも天下一品ですが、
後半に語られる彼が脱走兵となった理由も笑えます。とんだポコチン野郎で・・。
下品な会話が散りばめられた凸凹コンビの珍道中でもあります。
もちろん男の子のようなヒロインの狙撃者ヴェラも良い味出してますね。

著者は2004年の映画「トロイ」の脚本を手掛けているそうです。
監督が「Uボート」のウォルフガング・ペーターゼンだからってわけじゃありませんが、
この映画、結構好きなんですよねぇ。

Troy.jpg

そうそう、映画っていえば、8月の「戦争の世界史 大図鑑」で観たい、と書いていた
「高地戦」をWOWOWで観ました。
本書のヴェラのように若い女性狙撃手が登場するんですが、
コレが個人的な好みで、なかなかよろしい・・。
映画自体も非常に非情な戦争モノで、今年観たなかでNo.1です。

TheFrontLine-2011.jpg

最後の「謝辞」では、ソールズベリーの名著「攻防900日」は現在でも、
レニングラード包囲戦について英語で書かれた最も素晴らしい本であり、
「いつもそばにいて助けてくれた」と、著者は感謝しています。
もう一冊、クルツィオ・マラパルテ著「壊れたヨーロッパ」のドイツ軍vsパルチザンにも触れ、
「本書の物語を構成する上で不可欠だった」と述べています。
後者はまったく知らない本ですが、amazonにありました。5000円超えですけど・・。

壊れたヨーロッパ.jpg

また、世の中には「Twitter文学賞」なるものがあるそうで、
本書が2010年にハヤカワ・ポケット・ミステリとして出た際に、
「ツイートで選ぶ2010年ホントに面白かった小説」の第3位になっているようです。
なるほど・・。確かに戦争小説ファンじゃなくても楽しめる一冊かもしれませんね。
ソ連を舞台にした小説、「チャイルド44」と、「グラーグ57」 も読んでみたくなりました。



















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HHhH -プラハ、1942年- [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ローラン・ビネ著の「HHhH」を読破しました。

今年の6月に出た393ページの本書をご存知でしょうか?
「HHhH」ってなんのこっちゃ・・、というか、何と読めば良いんだい・・というタイトルですが、
副題の(プラハ、1942年) がヒントです。
チェコの首都で1942年に起きたこと・・それはハイドリヒ暗殺ですね。
以前に「暁の七人」というこの事件を追った本を紹介していますが、本書もテーマは同じ。
ただ、一風変わった「小説」スタイルだということで、興味津々で読んでみました。

HHhH.jpg

昔の父との会話を思い出す本書の主人公の「僕」。
父の書斎で見つけたジャック・ドラリュの「ゲシュタポ・狂気の歴史」を数ページ読んだところで
ヒムラーや右腕のハイドリヒ、それからチェコスロヴァキアの特別攻撃隊のことを説明する父。
そして1996年にフランス語教師としてスロヴァキアにやってくると、
このハイドリヒの襲撃事件について徹底的にのめり込んでいくことに・・。

インターネットでヴァンゼー会議を再現した映画、「謀議」を発見し、さっそく注文。
ケネス・ブラナー演じるハイドリヒの演技も「見事なものだ」という感想です。
他にも「チャップリンの独裁者」に、「死刑執行人もまた死す」、「戦場のピアニスト」、
ヒトラー 最期の12日間」、「ヒトラーの贋札」、「ブラックブック」と次々と鑑賞し、
アパートの書斎は第2次大戦に関する本で溢れかえるのでした。
最初の23ページはこんな感じで進みますが、「ゲシュタポ・狂気の歴史」とか、「謀議」とか、
ヴィトゲンシュタインが独破戦線で読んだり、観たり、感想書いたりしたことを彷彿とさせます。

CONSPIRACY  Kenneth Branagh_Heydrich_2001.jpg

こうしてハイドリヒの襲撃事件をテーマにした小説を書くこととなり、それがそのまま話の展開。
金髪のかわいい少年ハイドリヒは甲高いしゃがれ声のため、最初のあだ名は「山羊」。。
1922年にキールの士官学校へと進んで、巡洋艦「ベルリン」では副艦長のカナリスと出会い、
ドイツ帝国海軍の颯爽たる士官にして、ヴァイオリンとフェンシングの名手

Reinhard Heydrich.jpg

このようなハイドリヒの生い立ちからも著者の知識で紹介していきますが、
うら若き18歳のリナ・フォン・オステン(リナ・ハイドリヒ)との出会いになると、
この時のハイドリヒの連れの士官がフォン・マンシュタインという名ということで、
「最初、あのフォン・マンシュタインと同一人物かと思った」と驚いています。
いやいやヴィトゲンシュタインも「デーニッツと「灰色狼」」で
Uボート艦長のフォン・マンシュタインで同じ経験をしています。
著者は「甥か、一族の誰かでは??」と推測していますが、
ひょっとすると、この海軍士官とUボート艦長は同一人物のような気もします。

彼女の回想録は英語版もフランス語版が出ていないことから、
著者は購入を見送っていますが、う~ん、確かに読んでみたいですね。
この気持ち、よ~~くわかります。。

Lina Heydrich_Leben mit einem Kriegsverbrecher.jpg

そしてヒトラーが美術学校で不合格となり、浮浪者となったのと同じように、
将来を嘱望された海軍中尉のハイドリヒも性懲りもない女好きが災いして、
レーダー提督の友人の娘を手籠めにした廉で不名誉除隊となって、失業者に・・。
もし、あの時、ヒトラーが合格していたら歴史は変わっていただろうと云われるのと同様に、
もし、1931年にハイドリヒの一夜の遊び相手がいなければ、
すべてがまったく違っていただろう・・と、著者は語ります。

過激な反ユダヤ主義者のリナの頑張りで、日増しに評判の高くなる「SS」のヒムラーと面会。
SD(保安部)を立ち上げて評判をとるハイドリヒですが、
古株のナチ党員であるグレゴール・シュトラッサー
ハイドリヒの父親のユダヤ人疑惑を持ち出し、
慌てたヒムラーは党から追放するべきでは・・とヒトラーに相談。
しかし、ハイドリヒと直接話し合ったヒトラーは、ヒムラーに説明します。
「あの男はとてつもなく才能があり、とてつもなく危険だ。
彼の仕事なしで、何事かやれると思ったら馬鹿を見るぞ」。

Himmler, Wolff, Hitler & Heydrich.jpg

1934年の「長いナイフの夜」事件。
遂に総統が折れ、心待ちにしていたSA幕僚長のレームの処刑命令が届きます。
ヒムラーの直属の上司であるレームとSA指導部を壊滅させることによって、
SSをヒトラーに直属する自立的な組織へと改編することを目指す30歳のSS中将。
レームが長男の名付け親であることなんてお構いなし、
ついでにユダヤ人の息子疑惑をかけたグレゴール・シュトラッサーも処刑するのでした。

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1937年のトハチェフスキー事件の関与、1938年のフリッチュ事件とエピソードは続きます。
それでもハイドリヒが関わった陰謀を全て語っていたらキリがないと、
信憑性に欠けるとか、同じ話なのにいくつものヴァージョンがあるとか・・と、まったくですねぇ。
しかし119ものシナゴーグが放火され、2万人のユダヤ人が逮捕された「水晶の夜」事件では
こんなエピソードが・・。
36人のユダヤ人死者と同数の重傷者が報告されますが、強姦事件の報告も届きます。
この場合はニュルンベルク人種法で定められた扱いが必要であり、
ユダヤ人女性を強姦した犯人は逮捕され、党から除名されたうえで裁判。
一方、殺人を犯した者は起訴もされません。。う~ん。これぞナチス・・。

サロン・キティ」のネタも豊富です。
頻繁な売春宿通いでならす、ハイドリヒの自分のための娼館実現に
信頼のおける部下たちが駆り出されます。
シェレンベルクはベルリン郊外に一戸建ての家を見つけ、
社交界での経験が長いクリポ長官のネーベが娼婦の採用を担当、
そしてナウヨックスが屋内設備担当で、各部屋に隠しマイクとカメラを設置・・。

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そんな女好きの国家保安本部(RSHA)の長は、空軍予備役大尉でもあり、
戦争が始まると、正真正銘のチュートン騎士団の騎士として戦わなければ・・ということで、
Bf-109に乗り込んでノルウェー戦に挑むものの、離陸の際の不手際により腕を骨折。。
バルバロッサ作戦が始まると、撤退するソ連兵を機銃掃射でなぎ倒し、
部下に腕前を見せようと、ヤク戦闘機の追尾にかかります。
しかし敵機によって敵高射砲陣地におびき寄せられていたことを悟った時、すでに遅し。。
ナチの諜報機関の責任者が「あちら側」で撃墜されたことを知ったヒムラーはパニックです。
2日後、無事パトロール隊に発見されたハイドリヒ。
救出したのは45人のユダヤ人と30人の人質を粛清したばかり彼自身の部下たち。
その名は「アインザッツグルッペD」なのでした。

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7月にはゲーリングから「ユダヤ人問題の最終的解決」の全権委任を受け取り、
9月にはこの時点でSS全国指導者に次ぐ、2番目の階級であるSS大将に昇格し、
ノイラートに代わって、ボヘミア・モラヴィア(ベーメン・メーレン)保護領総督代理に任命されます。

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ロンドンのチェコ亡命政府のベネシュ大統領
ハイドリヒが統治するようになってからチェコ国内の非合法活動はゲシュタポによって
次々に摘発され、すっかり骨抜きの状態に・・。
フランスではレジスタンスが活発に活動しているだけに、ここで一発、
連合国にチェコを侮ってはならないことを証明しつつ、
国内の愛国心を刺激するミッションが必要・・。
こうしてハイドリヒ暗殺の「類人猿作戦(エンスラポイド作戦)」がロンドンで始動します。
英特殊作戦部(SOE)から特殊訓練を受けるヨーゼフ・ガブツィクと
ヤン・クビシュの2人の軍曹が中心。

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ハイドリヒが支配するチェコ(ボヘミア・モラヴィア)にも大統領がいます。
それはナチス傀儡政権のハーハ大統領。
大統領とはいっても所詮、副総督ハイドリヒの操り人形に過ぎません。
ここではチェコの国宝とも云われる「聖ヴァーツラフの宝冠」見学にまつわるエピソードが・・。
宝冠には、それを頭上に載せた簒奪者には1年以内に死が訪れるという伝説があり、
ハイドリヒが罰当たりなことに、この宝冠をかぶったことで死んだのだ・・というヤツです。
マニアックな著者が調べた結果、確かな証拠はないようですね。

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それから、軍需相のシュペーアがチェコ人労働者供給のためにプラハを訪れた話も・・。
クラシックが好きな者同士、オペラ座を見学するなど、観光案内をするハイドリヒ。
しかしシュペーアは「教養のあるケダモノ」としか見ておらず、
一方、ハイドリヒも「マニキュアをした気取り屋の民間人」としか見ていません。
は~、いま気が付きましたが、2人は同年代。ハイドリヒが1歳上なんですね。

heydrich_a_speer_v_praze.jpg

まるでおとぎ話に出てくるような街で「私はお姫様」と浮かれるのは、奥さんのリナです。
ゲッベルス家、シュペーア家との親交も深め、ナチ上流社会の仲間入り。
総統も2人の姿を見て、「素晴らしいカップルだ!」と喜んでいます。
そんな反面、郊外のユダヤ人から没収した豪邸の整備にご熱心。
収容所の労働力を活用して、乗馬服に鞭という姿で作業を監視。
常に恐怖とサディズム、エロティシズムを漂わせていたとか・・。

heydrich und Lina.jpg

1941年12月の暮れ、ガブツィクとクビシュは死地へと飛び立つ前に遺書をしたためます。
自分が死んだら英国での下宿先の2人の娘、ローナとエドナのエリソン姉妹に
それぞれ知らせて欲しいと書き残し、軍人手帳には写真も挟まっています。

Lorna (left) and Edna Ellison, friends of Josef Gabčík and Jan Kubiš.jpg

こうしてハリファックスの巨体からパラシュートで飛び出したガブツィクとクビシュですが、
1960年に書かれたアラン・バージェスの「暁の七人」の内容にも触れながら進んでいきます。
すると突然、ハイドリヒを題材にしたフィクションTV映画、「ファーザーランド」が紹介されたり・・。
「主役はルトガー・ハウアーが演じている。『ブレードランナー』のレプリカント役で
一躍スターダムにのし上がったオランダ出身の俳優だ」と書かれていますが、
ヴィトゲンシュタインも3年前にそんな風に書いてました。
この映画、いまだに観ていないのが悔しいですが・・。

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ハイドリヒ暗殺の計画を練るガブツィクとクビシュですが、なかなかチャンスは訪れません。
1942年4月20日の総統誕生日。チェコ国民を代表して贈り物をするハーハ大統領。
それは医療専用列車であり、プラハ駅での贈呈式にはハイドリヒが視察に訪れます。
しかし1回限り催しでは暗殺の予行演習にすらなりません。

Emil Hácha_Reinhard Heydrich.jpg

ウクライナの「バービイ・ヤール」で極めて熱心に任務を遂行しすぎて
正気を失おうとしていたゾンダーコマンド4aを率いるブローベルSS大佐の話になると、
慈しみの女神たち」を書いた同じフランス人の若手作家であるジョナサン・リテルが
「ブローベルがオペルに乗っていたことをどうやって知ったのか」と気にします。
「リテルの資料集めがボクのを上回っていることは認める。
でも、ありうるということと、まぎれもない事実であることは違う。
みんな何が問題なのかわかっていない」。
本書は"徹底的に事実に即した小説を書く偏執的な作家の小説"であり、
著者の言う「問題」とは、戦史マニアや戦車マニア、
いわゆる"セッチャン"ならわかるでしょう。
あそこで戦った戦闘団の戦力は? Ⅳ号戦車は何型が何両稼働していたのか?
という「問題」と同じですね。

遂にハイドリヒの乗ったメルセデスを襲撃する2人。
傷を負ったハイドリヒは病院へと運ばれ、チェコ人の医師が診察。続いてドイツ人医師が・・。
病院の廊下にはSS隊員が溢れ、窓はペンキで塗りつぶされ、重機関銃が据えられます。
入院患者は追い出されて、カール・ヘルマン・フランクを初めとする要人も集まってきます。
「ベルリンの外科医に執刀してもらいたい!」というハイドリヒですが、一刻も早い処置が・・。

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報告を受けたヒトラーは怒り狂ってヒムラーに喰ってかかります。
「するとなんだ。チェコ人はハイドリヒを嫌っているということなのか?
ならばもっとひどい奴を見つけてやろうじゃないか!」
そう言ってみたものの、「金髪の野獣」よりも恐ろしい人間を見つけるのは至難の業。。
そこでちょうど医療上の理由でプラハに来ていたクルト・ダリューゲが後釜に選ばれます。
数日後、ハイドリヒは傷口からの感染により死亡。

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報復として「リディツェ村」が選ばれて、96戸の住宅の住民のうち15歳以上の男性は全員射殺。
女性はラーヴェンスブリュック強制収容所送り、子供はドイツ人家庭の養子となる少数を除いて
ヘウムノで毒ガスによって殺され、村は瓦礫となった後、ブルドーザーで痕跡すらなくなります。

lidice movie.jpg

DVDの出ていないティモシー・ボトムズ主演の1975年の映画「暁の7人」は
3年位前にTVで観ましたが、上下の写真のように
2011年には「Opération Lidice」という日本未公開映画が製作されていました。
ハイドリヒは笑っちゃうほど似ていますが、ちょっと爺むさいですねぇ。。
38歳には見えないなぁ。

Opération Lidice (2011).jpg

最終的に裏切りによってプラハの正教会に追い詰められたガブツィクとクビシュたち。
古参の警視バンヴィッツが指揮する警官、SS隊員の突撃に応戦するも、
ガス攻め、水攻めに遭い、やがて力尽きるのでした。

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「HHhH」とはHimmlers Hirn heiβt Heydrich(ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる)
の略語で、訳者あとがきによると、「エイチ・エイチ・エイチ・エイチ」と英語読みでも、
「アッシュ・アッシュ・アッシュ・アッシュ」とフランス語読みでも、
「ハー・ハー・ハー・ハー」とドイツ語読みでも、読者のお好みでど~ぞ・・ということです。
それにしてもこの日本語版の表紙はちょっと、どうなんでしょうねぇ・・?
個人的にはこのセンスは理解できません。
各国の表紙を見てみましたが、まぁ、やっぱりハイドリヒ・・というか、
タイトルからも表紙からも何の本か想像つかないってのは、残念な気がします。

HHhH_2.jpg
HHhH_3.jpg

フランス人の新人作家による原著は2009年の発刊で、いくつかの賞を受賞したそうです。
「小説を書く小説」というユニークな一冊ですが、
戦争小説などを書かれている方なら、特に興味深く読むことができるでしょう。
またアラン・バージェスの「暁の七人」は古書でも6500円と高値が付いていますから、
ハイドリヒ暗殺について詳しく知りたい方にはモッテコイでしょう。
そしてハイドリヒにまつわる数々のエピソードは、彼に興味のある方なら必ず読むべきです。







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若い兵士のとき [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンス・ペーター・リヒター著の「若い兵士のとき」を読破しました。

あのころはフリードリヒがいた」、「ぼくたちもそこにいた」に続く、
著者リヒターの自叙伝的小説、第3弾です。
翻訳版は1995年、そして2005年に新装版として出た245ページの本書ですが、
原著は3部作とも1960年代に書かれたものです。
前作、「ぼくたちもそこにいた」のラストがラストでしたから、
友人のハインツとギュンターの運命が気になります。

若い兵士のとき.jpg

出だしは「志願するまで」の章で、14歳から17歳の「ボク」のエピソード。
ヒトラー・ユーゲント時代に空襲を経験したり、防空壕でいつも会う女の子・・。
そして焼夷弾によって燃えるビルの消火活動。

第2章は「入隊後の訓練」です。
前2作と違って、19XX年(XX歳)というのが章のアタマに書かれていませんが、
1925年生まれで、17歳で志願した「ボク」ですから、1942年~43年の話ですね。

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上級曹長による半分イジメのようなシゴキと嫌がらせ。
初めての外出の直前に、「おい、豚!」と上級曹長が怒鳴ります。
「貴様、髭も剃らずに宣誓したのか!」
「上級曹長どの、自分はまだ髭を剃ったことがないんであります!」
「貴様、豚は豚でも雄じゃないな。雌豚だ!」
「上級曹長どの、自分はまだ大人ではないということで、髭剃り用の石鹸を戴いておりません」
「貴様、大勢の前でこの俺に忠告を与えようってのか?後悔するなよ」
こうして新兵の期間中、一度の外出も許されないのでした。

german-soldiers-slaughtered-pigs.jpg

士官候補生の「ボク」にはまだまだ厳しい訓練が続きます。
銃を両手で持ったまま、砂場で匍匐前進。
下士官は「銃身の中を見せろ!」
そして「砂!砂が入っておる!それが貴様の銃の扱い方か!」
それから半時間、閲兵式の行進をし、走り、跳び、匍匐前進をし、捧げ銃。。
立っているのがやっとのボロボロの姿を見て、下士官はカラカラと大笑い。
「貴様のような弱虫が、将校になろうってのか!」

Nazi troops.jpg

そんな訓練も終わり、いよいよ前線へ。
しかし早々にロシア狙撃兵の銃弾が・・。
「肺および左腕の貫通」と衛生兵が診断を下します。
「喜べ!故郷送りの弾だぞ!」
しかし「ボク」は、「くそーっ、少尉になるのがまた遅れる」と歯ぎしり。。

負傷者たちがヒイヒイ泣いている野戦病院に送られると、
軍医は「・・腕は切断せざるを得ない・・」。
「ボク」は懇願し、身をもぎはなそうともがきますが、衛生兵に頭を押さえられ、
軍医がノコギリで引きはじめます。
脳髄が轟音を立て、足が震え、全身が揺さぶられ、まるで獣のように吠え・・。
そして古い弾薬箱に「ボク」の腕が放り投げられるのでした。

German medic and comrades help a soldier who just had his arm blown off on the East Front.jpg

後方の病院。
右のベッドには燃える機体から飛び降りたときに背骨を折った空軍一等兵。
左には凍傷によって両足を失った砲手。
向こうのベッドでは頭に弾を撃ち込まれた機甲兵がひっきりなしに喋っています。
やがて文書係が「おめでとう!」と箱を投げて寄こします。
その中には「銀の戦傷章」と、「2級鉄十字章」が入っていたのです。

名誉戦傷章(銀章).jpg

退院して久しぶりの実家へ。
母は片腕のない「ボク」を見て、ぐっと息を呑み込み、唇をかみしめて、
空っぽの袖に視線が行かないように懸命に堪えています。
てっきり除隊になるかと思っていたものの、士官学校へと移籍。
毎日、大勢の将校が死んでいる今、片腕が無いくらいではお話になりません。

そして訪れたポーランドでは父が歩哨任務に就いています。
夜はレジスタンスがドイツ兵を襲って武器を奪う危険な場所です。
父の兵員室では、第1次大戦に従軍し、再び、一等兵か上等兵として招集された
男たちが大勢。
父が「ボク」を紹介すると、彼らは飛び上がって挙手の礼をとり、
座りもせず、直立不動の姿勢で突っ立ったまま。。
前大戦の鉄十字章を下げ、白い口髭を生やした下士官が巡回に来ますが、
「失礼しました。軍曹どの」と言うと、後ずさりで出て行くのです。
「ボク」はまだ18歳。。

german dog soldier.jpg

この時点で気がつきましたが、前作の「ぼくたちもそこにいた」の続きではないんですね。
ということは、あの2人の友人の話には続きが無い・・、
すなわち、あそこで死んでしまったんでしょう。。

フランス戦線では、包囲網から抜け出るために2台の戦車を従えて、
大渋滞となっている唯一の道から、無理やり脱出に成功します。
ハッキリとした時期と地名はわからないんですが、
ファレーズ・ポケット」からの決死の脱出を想像しました。

Falaise.jpg

占領下のデンマークでは接収された獣医の家に住み、
新しい当番兵によってベッドが模範的に整えられ、窓ガラスは曇りひとつなく、
ブラシをかけた軍服に、まるで鏡のような長靴が・・。
早速、この当番兵を呼び出し、今後も当番兵を引き受けるかを訪ねる「ボク」。
「はい、喜んでやらせていただきます。自分は大家族なんであります。
でありますから、習い覚えたんですよ。自分には子供が8人おります。
一番上は、もう20歳です。少尉どの」。
「ボク」はまだ19歳。。

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朝早く、17歳、18歳の若い新兵たちが寝間着姿で整列。
「さて、それでは貴様らがもう売春婦から何かモラッてないかどうか、
診察するとしよう!」と宣言するのは軍医大尉です。
「ボク」には将校としての同席する義務が・・。
「俺の前に出るときは、左手で寝間着を持ち、右手でペニスを持つ!一番の者!」 
こうして抜き打ち検査が開始。
「包皮をめくる・・、押す・・、包皮、もとへ・・、咳をする・・、よし。次!」 
は~、咳をする・・ってのはどうゆう理由なんでしょうか・・??

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再び、東部戦線。
真夜中に「ドーン」という音で叩き起こされると、バラックの宿舎の一部が壊れています。
集まって来た下士官たちは瓦礫の死体を見て、なにやら満足げな様子。
死んでいたのは部隊と一緒に行動していた、とびきり美しいロシア女と、
皆が憎々しく思っていた嫌われ者の曹長。
ロシア女を巡る嫉妬の争いの中、2人はベッドで発見されたのです。
弾が上からではなく、バラックの真横から撃ちこまれたことがバレそうになると、、
下士官たちは突然、壊れたバラックの残りの部分を力を合わせて取り壊し始めるのでした。

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戦局はさらに悪化。
司令官に呼ばれて炊事方のロシア女がやってきます。
「わたし、要りますか?」
司令官は途方に暮れたように顔を赤らめて、一息ついて言います。
「お前に出て行ってもらわなければならないのだ。
命令がきたのだ。ロシア人の手伝いは、全員、集合施設に送ること。
そこから船でドイツへ運ばれる」。

「それ、本当じゃない!」 とロシア女は叫びます。
「あなた達、船、一隻も持ってない!ドイツの女を送る船だってないのに!」 
「いや!少尉さん、たすけて!」と「ボク」の腕を掴んで、哀願します。
「わたし、なんでもします。お願いだから、そこへ送らないで! ねぇ、お願い!」
ひざまずき、両手を組み合わせて拝む、ロシア女・・。
う~ん。言うまでもありませんが、捕虜もドイツ協力者も赤軍に解放された後は、
裏切り者として処刑か、良くても矯正収容所行きなんですね。

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縞の服を着た憔悴しきった男たちの列。
ソ連軍の手に落ちないよう、強制収容所から撤退する収容者を見ながら、
20歳の誕生日を迎え、伝令兵から髭剃り用の石鹸、
そして板チョコひとかけらをプレゼントされる「ボク」。

港から救命ボートもない貨物船が出航。バルト海かも知れませんね。
立ったまま、大勢の避難民とギュウギュウ詰めで乗り込みます。
そんな最後の最後に最大の試練が・・。
用を足す必要に迫られたのです。しかも大きい方・・。
手すり沿いの仮小屋の便所まではとても進めません。
隣りの者が「ここですればいいじゃないですか」。
「ボク」は涙が溢れ出ます。。

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本書はこのようなエピソードの積み重ねで進み、「訳者あとがき」によると、
本書ではヨーロッパのどこかから、船で帰ったことになっていますが、
実際は敗戦後に、著者はシベリアに抑留されているそうです。
ひょっとすると中立国スウェーデンに船で着いた後、
ソ連に引き渡されたのかも知れませんね。

左腕を失ったというのは、事前情報で知ってはいましたが、それでもねぇ・・。
その他、女性との出会いもいくつかありますが、そこは児童文学ですから、
読んでて思わず興奮してしまうような、エッチなシーンはありません。
名作の誉れ高い「忘れられた兵士」を思い出させるような雰囲気もありましたが、
正直、大人向けに書かれていたら、もっともっとキツイ本になっているでしょう。
雪の中の軍曹」のような印象もありました。

あのころはフリードリヒがいた」と、「ぼくたちもそこにいた」、それから本書。
どれが一番かと言われても、これは実に難しいですね。
「フリードリヒ・・」は客観的な要素が大きかった気がしますし、
「ぼくたちも・・」は青春ドラマの雰囲気、
そして本書は前2作と違って、淡々とした、切ない思いに包まれてるというか、
著者が身も心も傷ついたことが、よく伝わってくる一冊でした。







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ぼくたちもそこにいた [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンス・ペーター・リヒター著の「ぼくたちもそこにいた」を読破しました。

先月の「あのころはフリードリヒがいた」に続く、著者リヒターの自叙伝的小説、第2弾です。
前著は反ユダヤ主義を少年の目で描いたものとして有名でしたが、
本書は熱心なヒトラー・ユーゲントであった自分たち少年の姿と、その生活を描いたもので、
翻訳版は1995年、そして2004年に新装版として出た302ページの児童文学です。

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1933年のドイツ、夜中に殺し合い。殺されたのは茶色、やったのは赤。
人ごみの中で女が言います。
「この政治、いまいましいったらありゃしない! 
ヒトラーか、でなきゃ、テールマン。茶色か赤か。どっちもどっち、似たり寄ったりなのに!
馬鹿を見るのは私たちよねぇ!」 
すると中年の男が口を挟みます。
「政権を取るのが共産主義者か国家社会主義者かで大違いだ。
共産主義者は俺たちから個人の財産を奪おうとして・・」。

8歳の「ボク」は友人のギュンターとアパートの前で歌を唄っています。
しかし帰ってきた父はビックリし、「お前たち、気がおかしくなったのか!」 
「母さん、この子たちったら大声で『インターナショナル』を唄ってるんだ」。
そして「新しい首相はああいうのが嫌いなんだ、赤は禁止になったんだよ・・」と
汗をかきかき説明し、どうしても唄いたければこの歌をとばかりに、
旗を掲げて(ホルスト・ヴェッセル・リート)』を推奨するのでした。

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夏には新しい政党の結成が禁止され、10月には国際連盟から脱退。
11月にはまたもや総選挙・・。
大統領ヒンデンブルクと首相ヒトラーのポスターが至る所に張られ、
「アドルフ・ヒトラーで平和を!」と、横断幕の投票所。
息子に『インターナショナルを教えたギュンターのお父さんが騒いでいます。
投票用紙には「諸君は帝国政府が行う政治に同意し、それを諸君自身の見解と
意思の表明であると宣言して、自らそれに属することに誠意をもって認める用意がありますか?」
と書かれ、ナチ党以外からは何も選べない、形だけの総選挙なのです。

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そんななか、「ドイツ少年団」入りした2歳年上のハインツは、よぼよぼのお婆ちゃんに説明。
「白い用紙の『国家社会主義ドイツ労働者党』の横にある丸になかに印をつけてね、
緑の用紙には『賛成』の丸のなかに印を書き入れてください」。
それを見ていた「ボク」の父は、「お前、ああいう子を友達にしなくちゃ!」 

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翌年、祖母に買ってもらった茶色の開襟シャツを着て、
ドイツ少年団の最年少団員として街中での大行進に初参加する「ボク」。
ハインツに助けてもらうも、長い行進にフラフラになって涙を流しながら市電で帰るハメに・・。。
SA(突撃隊)、ヒトラー・ユーゲントドイツ少女同盟にドイツ少女団
そして「ボク」のような14歳までの年少男子が所属する「ドイツ少年団」ですが、
ドイツ語では"deutsche-jungvolk"、マークもハーケンクロイツではなく、
「ジークルーン」なんですね。

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冬季救済事業での募金集めも年上のハインツは「ボク」と違って絶好調。
共産主義者の父を持つギュンターは学校でも除け者扱い。
そして街中で「きったねぇユダヤのブタ野郎!」と罵倒されているのは
あの「フリードリヒ」です。
ひとりの団員が飛んできて、「やれよ、いっしょに!」 

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1938年、13歳となって、49歳を迎える総統誕生日の準備に向かいます。
「貯金帳がいっぱいになったら、フォルクスワーゲンでアウトバーンを走れるようになる。
そしたらドイツ中、オストマルクまで旅行できるぞ」と父も喜んで送り出します。

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迎えに寄ったハインツの大きな家では、ガラスの額に入った大きな総統の写真が
少年団へプレゼントされます。ハインツの父は2人に語ります。
「君たちが羨ましい。君たちの味わうことのできる未来が羨ましい」。

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続いて強制的にドイツ少年団へ入団したギュンターの家へ・・。
一度、投獄もされたギュンターの父は「ヒトラーは我々を戦争に引きずり込むぞ!」と
怒りを爆発させ、「出ていけ!」
そして玄関の外でお母さんが子供たちにすがるように言うのです。
「お願いだから、あなた達、今のコト、聞かなかったことにしてね」。
う~ん。ヒトラーの悪口を言った親を、子供が密告したって話、ありますからね。。

供給物資として、各家庭から中古品や古鉄回収にみんなで繰り出し、
ボクも自然に参加してしまった「水晶の夜」事件を巡って、ハインツは
「ドイツ少年団とヒトラー・ユーゲントは参加しないことに決まっていたんだ」と告白します。
「ぼく、親父がそのことで電話で話してるのを偶然、聞いてしまったんだ」。

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1939年、ついに14歳となり、晴れてヒトラー・ユーゲントとなった「ボク」。
新しい小刀に刻まれた「血と名誉」、黒い柄に掘ってある「HJ」の印も磨き上げ、
これまでと違う赤と白の腕章はしっかり縫い付けないとずり落ちたり、
ぐるぐる回ってハーケンクロイツが内側になってしまうのです。。

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しかし、ポーランド侵攻によって英仏との戦争も始まっています。
年上の分団長ハインツは、17歳になったらすぐに志願すると宣言。
すると団員たちも口々に言い始めます。

「ぼくは空軍が良いなぁ。格好良い制服を着てるしなぁ。急降下爆撃機に乗って・・」。
「ばか!そんなにぶくぶく太ってて、あの急降下爆撃機に乗り込めもしないだろ」。
「ぼくは参謀本部の将校になるんだ。危険性が無いしね。
金のボタンに金の飾り紐。襟には騎士十字章。女の子が振り返って見るよ」。
「この卑怯者!危険のないポストを探しておいて、騎士十字章もないもんだ」。
「ぼくは海軍に行くんだ。潜水艦さ。これこそ本命だよ。どんな船だって寄せ付けないんだ」。
「水の中ばっかりいてどうするんだい。ぼくは陸軍だ。フランス人を皆殺しにしてやる!
それにさ、フランスには男狂いの綺麗な女の子がいるんだって。ヒヒヒッ」。

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そして翌年、17歳となったハインツは志願兵となり、彼の後任の分団長には、
ヒトラー・ユーゲントは嫌だけど、みんなと一緒にいたいと考えている程度の
やる気のないギュンターが選ばれてしまいます。
「ボク」は父親から、なんでお前が選ばれないで共産主義者の息子が・・と叱責。。
1年後、下士官となり2級鉄十字章のリボンを付けたハインツが負傷して帰還します。
「英雄の話」をせがむ団員たちに彼が見た、たった一人の英雄の話を・・。

それは手榴弾訓練場で出来事で、穴に下りた1人の兵が導火線を引いた後、
掩蔽地の他の兵が待機している方に投げてしまい、その瞬間、
教官の上等兵が駆け寄って、手榴弾の上に腹這いに身を投げた・・。
ナチのエリート養成学校を描いた「ナポラ」という映画で、同じようなシーンがありました。
とても印象的だったので良く覚えていますが、本書のパクリなんですね。

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ヒトラー・ユーゲントの訓練もカービン銃の組み立てや、射撃訓練と
軍事教練の色が濃くなってきます。
そんななかで天才的な狙撃の才能を現すのは、
「急降下爆撃機に乗りたい」と言っていた「ふとっちょ」です。

Teenager an Kanonen.jpg

しかし、街を襲った空襲によって「ふとっちょ」は瓦礫に埋まり、死んでしまうのでした。
あ~、この名前もない「ふとっちょ」は良い味出してましたがねぇ・・。

HJ-Angehörige löschen nach einem Bombenangriff.jpg

1942年、17歳となり、徴兵検査を自ら受ける「ボク」とギュンター。
志願兵として兵科を自由に選べるにもかかわらず、彼らの希望は「歩兵」。
ただし、「2人揃って同じ部隊」という条件付きです。
その結果、補充兵として送られた先は、地獄の東部戦線・・。
「ギュンター!」 と叫んで、突進してくる少尉の姿。
「君たちじゃないか!君たち2人!信じられない!」と力任せに肩を叩くのはハインツです。 

Hitler Youth Belts and Buckles.jpg

そんな再開も束の間、敵の捕虜を捕まえる任務に出かけたハインツが
絶体絶命の危機に。
榴弾と弾丸が飛び交う地獄の真っ只中に、胸壁を飛び越えて走り出すギュンター。
「ハインーツ!」 とギュンターの叫びが響き渡るのでした。

え~、本書はコレにて終了です。
いつも小説はネタバレになりますから、最後の最後までは書かないんですが、
ホントにこのシーンで終わります。表紙の絵と同じ状況だなぁ。。
3部作の最終巻、「若い兵士のとき」に続くんでしょうか。
まるで「スター・ウォーズ 帝国の逆襲」をテアトル東京で観て、
「なんだよ。ハン・ソロはどうなっちゃうんだよ!」と思ったのと同じ感じです。
まさかアレもパクリだったりして・・。
そういえば「ダース・ヴェイダーとプリンセス・レイア」良かったっス。ほろっと・・。

ダース・ヴェイダーとプリンセス・レイア.jpg

端折りましたが、ドイツ少女同盟(BdM)の色っぽいネーチャンも出てきたりと、
エビソートは豊富で、キャンプも含めた彼らの活動や、
それぞれの考え方、またそれぞれの家庭の状況などの違いも面白いところです。
15歳の時、同級生たちと高尾山へ内緒で一泊しに行ったことも思い出しましたし、
登場人物の誰かしらには共感を持つんじゃないでしょうか。

hj-road-bike tour.jpg

あのころはフリードリヒがいた」ともリンクしていますし、
巻末の「注」では、ユーゲントの単位、例えば最少が15人の「班」で、
それが3つ集まって「分団」、分団が3つで「団」、団が4つで「大隊」、6大隊で「連隊」と
細かい情報も掲載されていて、非常に勉強になりました。
ヒトラー・ユーゲントに興味のある方は読んで損はありません。
第二次世界大戦ブックスの「ヒトラー・ユーゲント -戦場に狩り出された少年たち-」と
合わせて読めば、より理解できるでしょう。











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あのころはフリードリヒがいた [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハンス・ペーター・リヒター著の「あのころはフリードリヒがいた」を読破しました。

いつもコメントしていただくドイツ在住の日本女性であるIZMさんが、先月、帰国され、
お目にかかる機会がありました。そのときのお話はコチラから・・。
そしてその際に、ナント本書をプレゼントしていただきました。
以前から本書のことは聞いていただけに、一度ページをめくると、2時間程度で一気読み!
もともとは1977年に、改定版である本書は2000年に出た255ページの
岩波少年文庫の読みやすい一冊です。

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「生まれたころ(1925年)」で始まる本書。
ドイツのインフレがようやく終わろうとする時代で、主人公の「ぼく」の父親は失業者。
アパートの2階に住み、上の階には郵便局員のシュナイダーさん一家が住んでいます。
そして「ぼく」の一週間後に生まれたのがフリードリヒ・シュナイダーです。

そんなことから仲の良い付き合いが始まった両家。
もちろん「ボク」とフリードリヒも大の仲良しです。
しかし1930年になると、訪ねてきた国鉄職員の祖父がシュナイダー家のことを知り、
「この子がそのユダヤ人の子と付き合うのは承知せんぞ!」
1階に住む家主のレッシュ氏も「ユダヤ野郎め!」とフリードリヒには冷たい態度・・。

Friedrich.jpg

そんな反ユダヤの雰囲気は1933年にナチスが政権を取ると、激しさを増します。
アブラハム・ローゼンタール文具店の前には鉤十字の腕章を巻いた男が立ちはだかって
「ユダヤ人の店で買わないように」と立札でアピール。

Four Nazi troops sing in front of the Berlin branch of the Woolworth Co. store during the movement to boycott Jewish presence in Germany, in March, 1933.jpg

一方、「ボク」は両親に内緒でヒトラー・ユーゲントの集まりに
親友のフリードリヒを新入団員として連れて行きますが、
「ユダヤ人はわれわれの災いの元だ!」と連呼する地方管区本部から来た小男の前に
彼がユダヤ人であることがバレてしまうのでした・・。

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翌年にはクラスのノイドルフ先生が苦しそうにみんなに告げます。
「フリードリヒくんはもうこの学校に来られなくなった。
ユダヤ教徒だから、ユダヤ人学校に転校しなければならなくなったのだ」。

このようにユダヤ人迫害が進む中、「ボク」の父親はナチ党員となります。
そして家にシュナイダーさんを招き、自分がとても良い職につけたことを語ります。
「初めて家族揃って休暇旅行に行けるんです。<喜びを通じて力を>という、アレですよ。
私がナチ党員になったのは、家族のためになると思ったからなんですよ」。
やがて2人の話は本題へ。
「あなたたちの生活はますます酷くなるんです。家族のことを考えて、
シュナイダーさん。早くドイツから出ておいきなさい!」

Reiseführer für KdF-Reisen nach Hamburg.jpg

1938年には「水晶の夜(クリスタルナハト)」が起こってしまいます。
アブラハム・ローゼンタール文具店のガラスは割られ、
ユダヤ人開業医の診察室が荒らされたばかりではなく、
好奇心から皆と一緒にユダヤ人寮に侵入し、ガラスを叩き割って楽しむのは「ボク」です。

しかし、帰ってくると3階に住むシュナイダー家も暴徒の標的に・・。
新聞配達のおばさんが「くたばれ、ユダヤの野郎ども!」と金切り声をあげ、
絵や本はズタズタに、ソファーも窓から放り投げられるのを見て、
母と一緒に、「ボク」も泣くのでした。

Hans Peter Richter - Damals war es Friedrich.jpg

1940年には、国民全部がこの映画を観るように・・と言われていた
「ユダヤ人ジュース」をコッソリとフリードリヒと観に行きます。
髭を生やし、こめかみまで巻き毛で覆われたユダヤ人の顔が看板。
コレは先日の「映画大臣 -ゲッベルスとナチ時代の映画-」にも紹介されていた
ゲッベルスが脚本から参加した肝いり「反ユダヤ主義映画」ですね。

しかし、身分証明書でユダヤ人であることが年配の案内係にバレて大騒ぎに・・。
その背後では電灯が消え、「ドイツ週間ニュース」の
勝利のファンファーレが鳴り響くのでした。

Jud Süss.jpg

翌年、ラビを匿っていたシュナイダーさんが逮捕されてしまいます。
たまたま家にいなかったフリードリヒは難を逃れますが、
すでに彼のお母さんも病死していてひとりぼっちに・・。
姿を消してしまったフリードリヒは、1年後にすっかり汚れた姿で戻ってきます。
そんなとき、空襲警報、続いて連合軍の爆撃機が街を襲いますが、
共同の地下防空壕へとユダヤ人を連れて行くことはできません。
爆撃は激しさを増し、ひとり屋外へと取り残されたフリードリヒが
「ぼくも入れてください!開けてくれーっ!」と絶望的に叫び、地下室のドアを叩く音が。。

Friedrich by Hans Peter Richter. Puffin Books.jpg

本書はいわゆる児童文学というものなんでしょうが、
だからってハッピーエンドではありません。
それどころか大人のヴィトゲンシュタインが読んでも、暗い気持ちになるラストです。
う~ん。確かに反ユダヤ主義とナチスの社会を理解するのには
児童向けということではなく、日本人の大人も一度は読んでみるべきですね。
ユダヤ人から描いたものではないのが素直に入りやすい感じがしますし、
「ボク」も、両親も決して聖人ではなく、我が身可愛さに
友人にしてあげられることには限界があることがリアルに伝わってくる良書でした。

ヒトラーやナチスに興味があって、いま、コレを読んでいる少年少女諸君!
とりあえず図書館で本書を借りて、読んでみるべし!
アウシュヴィッツのガス室での何十万人と云われる大量殺戮が
実際にあったにせよ、無かったにせよ、ホロコーストに繋がる根本があります。

1925年生まれの著者リヒターによる自叙伝と思わせる本書でしたが、
本書に続いて、熱心なヒトラー・ユーゲントであった自分たち少年の姿を描いた
「ぼくたちもそこにいた」と、志願して従軍した時の実態を書いた
「若い兵士のとき」の2冊も書いており、彼の3部作となっているそうです。
コレは読むしかないなぁ。







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