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パンツァータクティク -WW2ドイツ軍戦車部隊戦術マニュアル- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴォルフガング・シュナイダー著の「パンツァータクティク」を読破しました。

2002年に大日本絵画から出た、定価6200円の423ページ大型本。
ドイツ軍戦車部隊の「戦術運用マニュアル」という専門的な内容ということもあり、
コレに手を出すことはないだろうな・・と思っていましたが、つい手が出ました。
ドイツ連邦軍の戦車大隊長を務めた経歴を持つ、「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」と、
重戦車大隊記録集〈2〉SS編」の著者ですから、悪いことはないだろう・・と。。
正直言って、「西方電撃戦: フランス侵攻1940」読んだら怖いモン無しです。 
それでは気合を入れて、以前に紹介した「赤軍ゲリラ・マニュアル」に続く、
独破戦線マニュアル・シリーズ第2弾を早速いってみましょう。

パンツァータクティク.jpg

「序章」では、最初に留意しなければならないこととして、
「戦車は何より攻撃的に使用してこそ、卓越した戦果をあげる」と、
マンシュタインが総退却の一環として、「反攻攻撃」に戦車部隊を投入して、
目覚ましい成功を収めたことを一例として紹介します。
コレは「第3次ハリコフ攻防戦」のことでしょうか。

von Manstein.jpg

そんな第1章は「攻撃」です。
かなり本格的な本文を少し抜粋してみましょう。
「大隊は「逆楔形」(Breitkeil)隊形で応急攻撃を遂行する例が非常に多い。
攻撃中は中隊の前進継続のため、援護射撃が確実に行わなければならない。
付け加えれば、中央の中隊は戦区から戦区を移動して前進する。
先頭とそれに続く部隊の繋がりは崩されてはならない」。

本書は特定の名詞は"英語/ドイツ語"でも表記されていてマニアには嬉しいところ。
章タイトルである「攻撃」も、英語の"Offensive Operation"と、
ドイツ語の"Der Angriff"が併記されています。
そういえば「デア・アングリフ」っていうゲッベルスの新聞がありましたねぇ。

Der_Angriff.jpg

そして「緊急攻撃の例」、「要塞化陣地攻撃の例」、「防御地域への浸透の例」といった
"略図"が所々に掲載されており、コレはドイツ語の「第16戦車師団史」やら、
第4、第5戦車師団史からのものですが、キチンと日本語の解説付きです。
「小隊の前進方法」も、"尺取り虫方式"と、"馬跳び方式"などわかりやすいですね。

panzertaktik_1.jpg

また、写真も数多く掲載されており、本文の作戦状況に応じた写真が選ばれています。
すべて白黒ですが主に1940年の「西方電撃戦」、そして1941年以降の東部戦線が中心で、
戦車の鮮明さよりも、「見事な逆楔形で展開したパンター大隊」といった具合です。
キャプションも「クルスク戦における武装SSトーテンコープのⅢ号戦車」など、
可能な限りの情報が書かれています。

panzertaktik_2.jpg

攻撃の進路、遭遇戦、夜間攻撃、渡河、地雷原、追撃、指揮統制と詳しく書かれた後、
この章の最後は「兵站業務」について触れられます。
攻撃における弾薬と燃料の消費量は凄まじく、戦車戦での兵站計画は最も重要であると強調。
攻撃の最中に燃料不足で動かなくなる前、50%程度の燃料が消費された時点で、
折を見て給油を行うしかない戦車部隊。
しかし兵站部隊から攻撃部隊まで距離は遠大で、補給車両の運転手は寝る暇もないほど、
明けても暮れても走り続ける・・という大変な苦行を強いられるそうです。

Ladungsleger Pz1.jpg

そして1940年にクライスト装甲集団が極めて早く前進できたのは、
ベルギーとフランスのガソリンスタンドが発展していたからだそうな・・。
章の後半は10数ページの写真特集。
上のⅠ号戦車車体の爆薬敷設車、下の赤外線暗視装置付きパンターの写真など、
8割くらいは未見の写真で楽しいですね。

panther-g.jpg

こうして83ページから第2章「防御」。
戦車中隊長たる者、陣地に到達した敵を可及的速やかに粉砕することに
全精力を傾けなければなりません。
担当戦区の奥行きを利用して相手の不意を衝き、その後、強力な突き返しを繰り出すのです。
まさにマンシュタイン戦術の戦車中隊版のようですね。
ですから、「防御」というより、「反攻攻撃」がこの章の主眼なのです。

窪地に身を潜めるヘルマン・ゲーリング戦車師団のパンターG型といわれる写真もいい感じ。
まさに今か今かと獲物を待つ豹のような凄味を感じます。

Hermann Göring Division PANTHER.jpg

第3章は「行軍」、英語はユニット・ムーブメントですが、ドイツ語なら、"Der Marsch"。
あの「パンツァー・マールシュ!」ですね。
舗装道路の場合、ティーガーは昼間なら10~15㌔、夜間は7~10キロ走破。
ポントゥーンブリッジを渡ったり、列車移送の写真、あるいは、船舶輸送で・・。
トリポリで船から積み下ろされるⅡ号戦車を見つめるロンメルの写真も。

WW2-Chronology Pontonbrücke .jpg

次の章は「偵察」。
同じように舗装道路を進むのでも、いつ接敵するかもわからない状況では、
戦車の行軍の仕方も違ってきます。
戦車同士の車間距離は約100mで、接敵時の回避運動の空間的余地を残しつつ、
互いに援護可能な距離。また、道路の日陰側を走行し、主砲は反対側に向け、
千鳥隊形で進む・・と、パンターやⅢ号戦車といった数枚の写真からも解説します。

panzertaktik_3.jpg

木の枝を使った偽装についてもこの章で解説。
ぞんざいに済ませたり、怠ったりする「たるんだ」乗員は懲戒対象と厳しいですね。

Camouflaged Panzer V.jpg

第5章は「指揮統制」で、戦車大隊の指揮・戦闘要領の最後の一文を強調します。
「敢然と部隊を集中投入し、一気呵成に決定的な地点を突破すること」。
各種指揮戦車や、兵員輸送車Sd Kfz 251の指揮車両などが登場すると、
「ヴィーキング」の戦車連隊長であるミューレンカンプといった戦車指揮官の写真も。
そういえば、「ヴィーキング写真集」と同じ写真も何枚かありました。でもこちらが先か・・。

「無線交信」のあり方については、具体的な階級や職位はNGですべて暗号化が原則。
しかし、個人のファーストネームを使うなどの違反が実際に行われていたことから、
戦車兵総監グデーリアンによって、コレを非難する命令が出されます。
「司令官、部隊長、個人の実名並びに公然たる部隊名の使用を即刻中止せよ」。
おそらく全文だと思いますが、細かく書かれてますねぇ。そして、
「違反者はすべての階級職位の如何を問わず即刻調査の上、
有罪が認められる場合には何らかの懲戒処分が下されよう」。
いや~、怒ってんなぁ。。ちなみに本書にはこの"戦車の鬼"の写真はありません。

General Oberst Heinz Guderian.jpg

続いて「兵站と整備」の章が出てきました。
第1章でも書きましたが、「兵站」って興味があるんですよね。
ここでは冒頭に警句から始まります。
「補給がすべてではない。しかし、補給がなければ、すべてがない!」。

大量の燃料携行缶(ジェリカン)に、200㍑のドラム缶から補給する戦車兵たち。
珍しい写真では「軍用に転用されたフォルクスワーゲン」。
自動車化砲兵部隊の1両のようですが、キューベルワーゲンじゃないのがあったとは。。

panzertaktik_4.jpg

その他、FAMO18㌧牽引車の活躍もタップリです。

Sdkfz 9 FAMO towing Panzer III Russia 1941.jpg

後半に入って291ページからは「共同作戦」。
本書の主役である戦車部隊と共同作戦に従事するのは、「装甲擲弾兵」です。
ドイツ語でパンツァーグレネーダーと呼ばれるこの兵科は、自動車化歩兵から発展し、
戦車部隊に所属。管轄も戦車兵総監部であり、米軍の機械化歩兵や、
ソ連軍の自動車化狙撃兵とは一線を画していたと述べられます。
彼らは単に「歩兵」から、「擲弾兵」に名称変更になった兵士とは別物ですね。

Sd Kfzシリーズの装甲兵員車に重火力を搭載し、高度な機動性、全地形走破力、
装甲防御力をもって、可能な限り乗車して戦い、降車戦闘はできるだけ短時間で・・。
具体的にはスピードと奇襲をもって、障害物、防壁を制圧。
見通しのきかない地域や、戦車の通過が困難な地域を奪取。

Narva 1944.jpg

それから「戦闘工兵」も重要な兵科です。
装甲兵員車が配備された「機甲工兵」部隊も誕生し、戦車攻撃に随伴。
架橋用器材に爆薬、地雷で戦車の前進を直接支援します。
いや~、敵の砲火のなか、職人魂を発揮する工兵というのは実に男らしい。
もしヴィトゲンシュタインが戦争小説を書くとしたら、主役は彼ら戦闘工兵でしょう。

Ⅳ号架橋戦車というのが1940年に20両ほど作られたそうです。

Brückenlegepanzer IV.jpg

大隊の対空小隊にも言及していますが、数が充分ではなく、
特定地点の防空が可能なだけであり、その場合、補給部隊が優先となります。
ヴィルベルヴィントの写真も掲載され、このような車両は有益だったとしています。

Wirbelwind_carefully_disguised_branches.jpg

第8章は「戦車兵の日常」。
何故、兵士は戦うのか? 勲章と名誉のためか。それとも自由、または祖国のため?
兵士が戦う真の動機は下級部隊の連帯感のなかに存在する・・。
このような出だしで始まるこの章は、死と隣り合わせの極限状態によって、
固く結束した中隊、小隊、分隊の戦友意識を説明し、
こと戦車部隊の場合に分隊は、すなわち戦車の乗員を指すとします。

panzertaktik_5.jpg

興味深いのは、例えば、小隊長が少尉、中隊長が中尉、大隊長なら大尉ないしは少佐と
部隊のなかに階級は存在するものの、将校であっても自身の搭乗車の車長でもあり、
いざ戦闘においては、曹長の車長と同様、自分を証明する必要があるということです。
大隊長といえども本部で地図を見ているばかりでなく、
前線で車長として、部下の4人の乗員と結束して戦う必要があるのです。

Oberst Richard Koll german tank commander_Panzer-Regiment 11/6.Panzer-Division.jpg

彼らの役割、砲手は軍曹が多く、副長も兼ねているということに、
操縦手は走るだけでなく、整備にも関わるため、歩哨任務からは外されます。
装填手は技術的には簡単ながらも、肉体を酷使し、
無線手は暗号解読など特殊技術を持つものの、「何でも屋」を引き受けるのです。
有名どころではオットー・カリウス中尉の初見の写真もありましたし、
戦車砲に洗濯物を干している写真など、戦車兵の日常生活の数々を紹介。

panzertaktik_6.jpg

「訓練と射撃法」では、当初の2年に及ぶ訓練から、1943年以降の短縮訓練。
特にグデーリアンによる短縮訓練計画要求では「射撃訓練に重きを置くべし」と書かれ、
夜間戦闘やカモフラージュの訓練を優先することとし、
教室演習、パレードのための行進練習は禁止されます。
また、シュヴァッペンブルク将軍によるさらに詳細な訓練の基本原則も・・。

panzertaktik_7.jpg

最後の第10章は「戦車戦術 -その現在と未来」と題して、
最新のレオパルト2A6戦車の写真を掲載しながら、
現在の戦車訓練では高価な砲弾を使用する代わりに
シミュレーターを使った訓練が行われていることなどを簡潔に紹介します。

Leopard-2A6.jpg

あ~~、疲れました。。
マニュアルを読むにあたっては、当事者に成りきる・・というのが個人的楽しみ方で、
赤軍ゲリラ・マニュアル」でも「新米パルチザン」になった気分で読みましたが、
本書の場合は戦車大隊長から、中隊長、小隊長、そして車長と、
様々な視点から解説されているため、一介の戦車兵に成りきることがことができませんでした。

german panzertruppen panzer beret map reading discussing strategy black uniform.jpg

大隊長視点になろうとも、訓練中の新米がソレを理解出来るはずもなく、よってどうしても、
写真とキャプション、または小隊レベルでの簡単な戦術に注意が行ってしまいました。
もちろん、それは戦車運用に関する読者の知識によって大きく左右されるものであって、
興味のある方はチャレンジしても良いのではないでしょうか。
古書価格が高いのがイタイですが、「ドイツ軍戦車写真集」としても大変立派な一冊で、
独破後には「パンツァーリート」を熱唱したくなること請け合いです。




未読の大日本絵画の大型戦車写真集では、「フンクレンクパンツァー」というのもありますね。
コレは副題が「無線誘導戦車の開発と戦歴」というだけあって、
クルスク戦でも活躍したボルクヴァルトIVといった無線誘導戦車の未公開写真集です。
定価6000円ですが、 447ページで1000枚の写真・・という危険な雰囲気。。
さすがにこんなマニアックな本には手を出さないつもりですけど、
人生、何が起きるかわかったもんじゃありません。








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軽駆逐戦車 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴァルター・J. シュピールベルガー著の「軽駆逐戦車」を読破しました。

ラスト・オブ・カンプフグルッペ」でお馴染みの高橋慶史さんの新作でも出ないかなぁ・・と、
淡い期待で検索していたら、翻訳されているシュピールベルガーの本書に辿り着きました。
以前に「特殊戦闘車両」を読んでいるこの大型本シリーズですが、すっかり忘れていました。
「重駆逐戦車」という、もっと面白そうなタイトルもありますが、
フェルディナンドにヤークトティーガーについては「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」、
ヤークトパンターも「第654重戦車駆逐大隊」を読んでいますし、 
1996年、191ページの本書で紹介されるのは、あまり知らない「ヘッツァー」と、
Ⅳ号駆逐戦車」です。
特にⅣ号駆逐戦車は、あの何とも言えないシルエットに妙な魅力を感じているんですね。

軽駆逐戦車.jpg

1ページ目は「著者による序文」ではなく、「訳者から読者へ」です。
高橋さんがシュピールベルガーの「装甲戦闘車両シリーズ」に出会ったのが学生時代であり、
ドイツ留学の際、教科書より先に購入したのが「ティーガー戦車」で、
学生寮の机の上に、誇らしげに置いた・・と、相変わらず楽しいお話から始まります。
そして本書は、その原著の「装甲戦闘車両シリーズ」の14巻目にあたるそうです。




本文はまず「概要」から・・。
ここでは「駆逐戦車」という、恐ろしくややこしい名称についての解説があり、
戦争後期には必然的に防衛を重視することから、攻撃用戦車よりも強力な装甲と火力を持つ、
防御用戦闘車両を造らざるを得ない状況となり、このようにして誕生した戦闘車両は、
砲兵が名付けた場合は「突撃砲」、戦車部隊の場合は「戦車駆逐車」と称し、
さらに旧式な軽装甲の対戦車自走砲である「戦車駆逐車」とは違う、
新式の重装甲戦車駆逐車を「駆逐戦車」と称し、これを本書のタイトルとしたということです。

Panzerjager Marder III.jpg

最初に紹介される軽駆逐戦車は、「駆逐戦車38」です。
一般にチェコ製の38(t)戦車の足回りを流用した「ヘッツァー」として知られていますね。
1943年11月のベルリン大空襲によってアルケット社のⅢ号突撃砲生産が完全に中断され、
チェコのプラハにあるBMM社に生産を移行しようとすることで開発が始まります。
しかし工場では24㌧のⅢ号突撃砲を生産する能力がないことから、
旧新38(t)戦車のコンポーネントから成り立つ、13㌧の新型突撃砲を生産することに・・。

Jagdpanzer 38(t).jpg

本書では様々な角度から撮られた木製モックアップの写真に、
1944年1月7日の「軽戦車駆逐車38(t)型」から、「軽突撃砲38(t)型」など、
1944年11月まで16回くらいの名称変更の推移が掲載され、
最終的には「Jagdpanzer 38(駆逐戦車38)」となります。

前面装甲は60度の傾斜角で60㎜の厚さ、側面は40度~50度で20㎜。
そして48口径7.5cm PaK39は中心部から、かなり右寄りに設置されます。
指揮戦車仕様の最初の1両が工場から出てくる写真に、
試験走行中の写真、詳細な設計図なども含め、かなり細かく解説します。

Jagdpanzer 38_ Hetzer.jpg

ヒトラーは1944年における軍需メーカーの最重要任務として、
「駆逐戦車38」生産の重要性を強調し、すぐに1000両の生産が決定。
4月20日の総統誕生日にはヒトラーの査閲を受け、
計画では1945年3月には、「月産1000両」という極めて野心的な目標が・・。
BMM社だけでなく、シュコダ社も生産を開始しますが、連合軍の爆撃に遭いながらも、
1945年1月には434両を生産するという大奮闘・・。

Hetzer_hitler.jpg

生産開始から3ヵ月後の7月、第731軍直轄戦車猟兵大隊が編成され、
45両を装備した最初の戦闘部隊として北方軍集団に配属されます。
しかし本来、駆逐戦車は敵の突破の際の反撃や、歩兵援護のために投入すべきであり、
大多数は歩兵や国民擲弾兵師団などの戦車猟兵中隊に配備されます。



そんな1944年の西部戦車集団司令部の戦訓報告はとても興味深い内容です。
ちょっと抜粋してみましょう。
「新しく就役した戦車猟兵中隊が残らず潰滅するというケースが発生している。
兵器の特性を考慮せず、また中隊長や戦車猟兵大隊指揮官の提案や、
当然とも言える抗議を受け入れず、出撃命令を下した戦術上の指揮官にも連帯的な責任がある。
特に歩兵大隊の管轄下では、初めから実行不可能な任務を要求される危険性があり、
例えば、局地防衛のために命令された夜間出撃は、明らかに拒否すべきものであった。
砲身の旋回範囲が狭いため、駆逐戦車の出撃準備のためにはエンジンを
動かしておかなければならず、そのため戦車は自らの存在をその騒音で暴露してしまう・・」。

German tank destroyer Hetzer.jpg

いや~、火消し役として無理やり投入させられる駆逐戦車・・。
まさに「続ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の世界です。。

その他、1200mの距離でスターリン重戦車(JS-Ⅱ)と戦い、
側面直撃弾を喰らわせて、見事炎上させた話も・・。
また、回収戦車や火炎放射戦車といった改良車両も写真と共に解説しています。
現存数の多いヘッツァーですが、個人的にはこの ↓ ロシアのクビンカの1両が好きですね。

Hetzer_Kubinka.jpg

本書に掲載されている写真はヘッツァー単独か、せいぜい兵士などが一緒に写っているだけ。
表紙の写真なんて、良く見ないとなんだかわかりませんが、
コレはヘッツァーの斜め後姿です。どんな写真なんだか・・。
そこで軽駆逐戦車ってどれくらいの大きさなのか、
ケーニッヒスティーガーと一緒の写真を見つけました。確かに大人と子ども。。

Tigre royal Hetzer_Saumur Museum.jpg

さぁ、続いては「Ⅳ号駆逐戦車(Jagdpanzer IV)」です。
戦車戦におけるⅢ号突撃砲の驚くべき戦果によって、1942年9月には、
Ⅳ号駆逐戦車構想が具体化します。
ヘッツァーと同じ、48口径7.5cm PaK39が搭載できるように改修したⅣ号戦車F型のシャーシを
流用することが計画され、軟鉄製試作型は1943年12月にヒトラーの査閲を受けます。

当初の「新型突撃砲」といった名称はやっぱり何度も変更されて、
特に「突撃砲43とは記載しないこと」という注意もあり、
「総統による紀元年号の禁止と、すべての型式番号43は従来の8.8㎝砲に用いられる」
というのがこの理由のようです。8.8cm PaK43のことかな??
正面からの写真がありましたが、コレも若干、右に寄ってるんですねぇ。

Jagdpanzer_IV.jpg

上部車体は新設計で、前面装甲は50度の傾斜角で厚さ60㎜、側面は30度で40㎜。
フォルマーク社によって1944年1月から生産開始されますが、毎月のように改造が行われ、
例えば、5月には前面装甲の厚さが60㎜から80㎜に増強されます。

最初に「Ⅳ号駆逐戦車」を受領したのは戦車教導師団です。
その他、ヘルマン・ゲーリング装甲師団の3個中隊に10両ずつ、
ヒトラー・ユーゲントやゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン 、ホーエンシュタウフェン、
フルンツベルクといった西部戦線の武装SS師団と、思っていたより広く配備されています。
ノルマンディの戦いだけでなく、バルジの戦いでも投入され、
東部戦線でも陸軍の各装甲師団の他、武装SSもトーテンコップやヴィーキングが・・。

Jagdpanzer IV.jpg

1944年11月の東部戦線における「戦車部隊ニュース」での考察は面白いですね。
「連隊のような小規模の歩兵部隊へ配属された場合、安易に少数車両が個別に投入され易く、
往々にしていらざる損害を招いた。このため、Ⅳ号駆逐戦車の部隊指揮官たる者は、
部隊の集中投入と指揮権を手放すつもりがないことを明確に申し入れることが肝心である。
走行不能の駆逐戦車を固定対戦車砲陣地にせよ、という上官の命令が下されることがあるが、
Ⅳ号駆逐戦車の部隊指揮官たる者は、機動性のない駆逐戦車の投入は無意味であること、
つまり、エンジンが掛からない車両は方向転換が不可能であり、その機動力を奪うことによって
敵に容易に鹵獲される状況に陥る旨、全精力を傾けて上官を説得しなければならない」。

まずは歩兵部隊の中佐や大佐と戦わなければならない、戦車部隊の中尉や大尉という構図・・。
う~む。やはり「ラスト・オブ・カンプフグルッペIII」の世界です。。

Jagdpanzer IV Panzermuseum Thun.jpg

続いては「Ⅳ号戦車/70(V)」です。
第2次大戦の対戦車兵器の中では傑出した存在である「70口径7.5㎝戦車駆逐カノン砲42」を
搭載した「Ⅳ号駆逐戦車」で、70は口径、(V)はフォルマーク社を現します。
そしてヒトラーは1944年7月、この駆逐戦車の名称を「Ⅳ号戦車ラング」とすることを命令。
「ラング」は長砲身という意味ですが、通常のⅣ号戦車にも長砲身が存在し、
名称からも「駆逐」を外すモンですから、余計にややこしくなってしまうのでした。

Panzer IV 70 (V).jpg

そしてこの「Ⅳ号戦車/70(V)」こそが最初に書いたように、
何とも言えない「巨大な虫」のようなシルエットに妙な魅力を感じているわけですが、
1944年4月にこの車両の写真を見たヒトラーが、
「これこそ戦車工学が生んだ究極的形態である」と確信したんだそうです。。
うへ~、総統と趣味が似ているというのはちょっと複雑・・。

本書でも度々「ノーズヘビー」と書かれているⅣ号戦車/70(V)。
ライプシュタンダルテに配属され、バルジの戦いで投入された写真も良い感じです。

View of German soldiers aboard a Jagdpanzer IV-70 tank destroyer from the SS Panzer Division during the Battle of the Bulge.jpg

そんな1944年後半には月産100両を超え、総計では930両が製造。
補助転輪の数が「Ⅳ号戦車の証の4個」から、3個に減らされているのがポイントですね。
そして次々と襲来するT-34/85とSU-85を片っ端から撃破する戦闘日誌に燃えるのです。

Panzer IV/70(V) is in a museum in Ottawa, Canada.jpg

さらに「「Ⅳ号戦車/70(A)」というバリエーションも存在します。
アルケット社によるこのⅣ号戦車/70(A)は、生産を中断せずに転換するために
Ⅳ号戦車シャーシに改修を加えることなく製造されたもので、
様々な理由によって、上部車体の高さがフォルマーク型の620㎜に対し、
1020㎜と背が高くなってしまっています。

Panzer IV 70 (A).jpg

1944年8月~1945年3月までの計画数は510両ですが、製造されたのは278両のみ。
主に突撃砲旅団に配備され、「グロースドイッチュランド」は3個中隊分も受領します。
そして第311突撃砲旅団のハルトマン中尉が騎士十字章を受章した1945年3月の戦いで
ISU-152など13両の敵戦車を撃破するという戦記に再び、燃えるのです。

Panzer IV 70 (A)_Saumur Museum.jpg

ヴィトゲンシュタインは自動車にも乗らないので、エンジン、その他については
あまり興味がありませんが、それでもなかなか楽しめるシリーズです。
特に戦争の末期に向けて、様々な形式の戦車を計画、生産する過程、
そこには防御優先で、敵の重装甲をぶち抜くことが可能な砲を搭載することを基本とし、
各メーカーの思惑と、既存シャーシの流用に生産台数の増加を目指すなか、
連合軍による生産工場への空襲、ヒトラーの細かい口出し・・というドラマがあるのです。

「パンター戦車」、「ティーガー戦車」、「重駆逐戦車」も読んでみたくなりましたが、
一番、興味があるのは「捕獲戦車」ですね。
しかし、その前にやっつける必要のある大日本絵画の大型本は、
「西方電撃戦: フランス侵攻1940」です。まぁ、重いですよ・・。








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ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集 -第654重戦車駆逐大隊- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

カールハインツ・ミュンヒ著の「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集」を読破しました。

2010年に登場した大判の627ページ、8925円の本書。
ようやく古書価格が6000円を切ったところで購入しました。
こんなところが妥当でしょう。。
姉妹大隊の「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」をやっつけたのが2年前ですから、
予想以上に時間が経ってしまいましたね。

ヤークトパンター戦車隊.jpg

1ページ目からはいつものように「装備車両の塗装とマーキング」がカラーで・・。
ツィタデレ作戦のフェルディナンドを中心に、もちろんヤークトパンター、
それから大隊本部中隊のパンター指揮戦車、回収小隊のベルゲパンターに、
Ⅳ号対空戦車のヴィルベルヴィントなどがカラーイラストで紹介されます。
カラー写真も3枚。そのうちヴィンターベルクで乗り捨てられたヤークトパンターは
有名なヤツですね。
この写真 ↓ 死んだ巨大未確認動物に一瞬見えるんです。

Knocked Out Jagdpanther.jpg

大隊の歴史が簡単に語られた後、本文が始まります。
「第654戦車駆逐大隊の創設と作戦行動」で、1939年8月-1940年7月まで。
この創設当時は「ただの戦車駆逐大隊」で、「重」は付いていません。
最新兵器である3.7㎝対戦車砲(PaK35/36)を36門、
弾薬輸送用トラックで牽引するという、
タイトルのヤークトパンター戦車隊とは似ても似つかぬ独立大隊です。

西方電撃戦ではヘプナーの第16軍団として第3装甲師団に隷属し、オランダへ侵攻。
ベルギー領内に入ると第4装甲師団に配属され、フランスへ・・。
歩哨が深夜、テロリスト(レジスタンス)に背後から撃たれたり、
避難民にはパンやチョコレートを与えたり、フィールドキッチンの食糧を提供したりと、
興味深い話も多くて楽しめます。

A 3.7cm Pak 36 covering a intersection somewhere in France, May 1940.jpg

2級鉄十字章を受章したマイヤー少尉の後に、マイヤー伍長も同章を授かりますが、
彼は「マイヤーⅡ号伍長」と呼ばれています。
これはマイヤー姓が多く、ファーストネームもあまり使われなかったためだそうで、
ドイツ軍では「ドライ」と紛らわしい「ツヴァイ」を使わないから、
「ゲフライター・マイヤー・ツヴォーであろう」と親切な注釈付きです。
写真はフランス軍のオチキスH35や、ソミュアS35、
撃破したルノーB1bisの前での記念撮影・・など。
あ~、「西方電撃戦: フランス侵攻1940」、モ~レツに欲しくなってきた!

German soldiers and a knocked out french heavy tank Char B1 bis, France 1940.jpg

続く「東部戦線における第654戦車駆逐大隊」は1940年7月-1943年3月まで。
ポーランドへ移動後、第12軍団に配属されて、1941年6月のバルバロッサ作戦に参加。
T-26BT-7、、T-35多砲塔戦車にといったソ連戦車の撃破された写真が続きますが、
T-34相手には大隊の3.7㎝砲ではまったく歯が立たないことが判明します。
そして第512戦車駆逐大隊の10.5㎝自走対戦車砲
「ディッカー・マックス(ふとっちょマックス)」が突然、出てきました。
本書によるとわずか2両しか生産されなかった貴重な車両で、
Ⅳ号戦車の車体に10.5㎝ 18式カノン砲を搭載したものだそうです。

Dicker Max.jpg

1942年12月になって、第654戦車駆逐大隊にも待望の自走砲が到着。
Ⅱ号戦車の車体に40式7.5㎝対戦車砲を搭載した「マーダーⅡ」です。
装甲が薄いことが欠点ではあるものの、優れた砲、機動性に富んだ素晴らしい車両に
誇らしい気持ちになったのも束の間、「ロシア戦車!」と叫んでは
失禁するほど怯え、武器を捨てて逃げ出すイタリア兵の姿。。
いや~、このあたり「雪の中の軍曹」を思い出しました。。
このマーダーⅡ戦記も楽しめますが、残念ながら肝心の写真は一枚も無し・・。

MarderII.jpg

2年目のロシアの冬で消耗した大隊はハンブルクへと戻って再編成です。
ここから「第654重戦車駆逐大隊の創設と作戦行動」で、1943年4月-1944年1月まで。
当初大隊は「ホルニッセ(ナースホルン)」自走砲を装備するはずが、土壇場で覆され、
フェルディナンド重駆逐戦車が支給されることとなり、
部隊名にも遂に「重」の文字が付与されます。

6月初頭には装甲兵総監であるグデーリアンを迎えての大規模演習。
「フェルディナンドの主な役割は、巧みに要塞化され、確立した戦線を打ちのめし、
後続の戦車部隊のために敵後方へと進路を啓開することである」。
といった言葉を述べるものの、グデーリアン本人の写真はありません。
過去の本の印象ではフェルディナンドに懐疑的だったグデーリアンですから、
この怪物との2ショットもほとんど見たことがないですね。
本書では代わりに、ポルシェ博士らを乗せて運転する、シュペーア軍需相の写真が・・。

The Ferdinand with Ferdinand Porsche on its left front corner and Albert Speer.jpg

これと同時に柏葉章拝領者のカール・ハインツ・ノアク大尉が大隊長となり、
第653重戦車駆逐大隊とともに「第656重戦車駆逐連隊」が編成されて、
クルスクの戦いへと向かいます。
しかし第2中隊は地図上に記載のなかった自軍が敷設した地雷原にはまり込み、
ほとんどのフェルディナンドが戦闘不能に・・。

Panzerjäger Ferdinand.jpg

写真はフェルディナンド中心ですが、ブルムベアパンターⅢ号突撃砲
ボルクヴァルトⅣを無線でコントロールする「Ⅲ号親戦車」など、初見のものが多いですね。
読み応えのある戦記部分では、「マイヤーⅣ号2等兵」も出てきます。
またフェルディナンドの車長は、車長と言わずに「砲班長」と言うんですね。
まぁ、兵科的にも戦車ではなく、砲兵が装甲車に乗っているということなんでしょう。

Brummbär of a Sturmpanzer.jpg

機銃がないので手榴弾や地雷の肉薄攻撃にやられたという話もよくありますが、
大隊長の戦闘報告書では、次の一文が印象的です。
「フェルディナンドが敵歩兵の攻撃に極めて脆弱なのではという懸念は
まったくの杞憂であった。発砲時の凄まじい爆音や、敵歩兵に与える心理的影響により、
戦闘中に近づいてきた者は唯一人としていなかった。
よって歩兵の前にフェルディナンドを投入してはならないという原則に根拠はないようである」。

ちなみにドラゴンアーマーの1/72のエレファントが我が家に飾ってあります。
ジオラマになってるんですが、ソ連兵が1人いるのが絶妙な雰囲気で。。

Dragon_Armor_Elefant1.jpg

247ページからの章は、1944年1月から6月22日まで。
再度、東部戦線で消耗した大隊は、フランスで休養、訓練、再編成を行います。
軍事法廷で郵便物の小包1個を盗んだ第3中隊のリンド伍長が禁固9か月、
上官を侮辱したライトナー先任曹長は禁固3ヵ月の刑を言い渡されながらも大隊は、
本書の主役、ヤークトパンターを受領します。

sPz Abt 654_Jagdpanther.jpg

しかし6月6日、連合軍がノルマンディに上陸
大隊の保有するヤークトパンターは6月22日になっても規定数の45両よりも遥かに少ない25両。
3両のパンター指揮戦車、2両のベルゲパンターも受領できません。。
それでも翌日から移動を開始しますが、配属先が目まぐるしく変わります。
当初は第10戦車旅団だったのが第7軍団へ、SS第Ⅱ装甲軍団に配属されたかと思えば、
西部装甲集団のエーベルバッハからは第47装甲軍団の作戦指揮下にあると言われ、
第276歩兵師団の支援に差し向けられることを知らされます。

Jagdpanzer V Jagdpanther.jpg

戦闘の推移は日々の報告書そのものの細かさです。
敵のシャーマン戦車1両、チャーチル戦車10両を破壊。
大隊のヤークトパンターも「311号」が爆破処分、戦死5名、負傷者27名・・など。
そして劣勢のドイツ軍は撤退を開始し出すと、セーヌ河の渡河点を探すのに四苦八苦。。
橋はすでに爆破されており、ヤークトパンターを乗せて渡れる60㌧フェリーが必要なのです。
第503重戦車大隊のティーガーと一緒に渡河したり、
隊員たちの手記のなかにも、「どうせまた爆撃されるだけだ」と言って、
壊れた橋を一向に修理しようとしなかったルーアン港湾司令官が
介入してきた武装SSによって射殺され、橋がたちどころに修繕された・・など、
こういうドタバタ感は好きなんですね。

Schwere Panzerjager Abteilung 654_Jagdpanther.jpg

整備班が西部戦線用の迷彩塗装を施している写真も良いですが、
一息ついた10月には新しい大隊章のデザイン・コンテストも。
巻頭に優勝を含む上位3作品がカラーで紹介されていましたが、
退廃芸術」風の下品な作品もあったそうで、
どれくらいの退廃っぷりか見てみたかったですね。
採用された大隊章 ↓ 「N」はノアク大隊長の「N」です。

Unit Insignia sPzJgAbt 654.jpg

ヴィルベルヴィントとメーベルヴァーゲン各4両から成る装甲対空小隊が本部中隊に組み込まれ、
ヤークトパンター5両と対空戦車1両の「戦闘団」単位に編成されます。
いかにも敵に制空権を握られた西部戦線という感じですね。
ヴィルベルヴィントの写真も出てきましたが、
土砂降りの中、コウモリ傘をさしてのヤークトパンター路上行軍の写真が一番のお気に入りです。
シュールですよねぇ。。

sPz Abt 654_Jagdpanther-Crew-With-Umbrellas.jpg

ノアク大隊長の「実戦投入に関する報告」もとても興味深い内容です。
「果樹に覆われ、低木の生垣に隔てられ、一段低くなった狭い道路の一帯では
200mを超える射程をほとんど確保できない上に、至る所に潜む敵戦車猟兵に
その身を晒すことになる。
車内からの視界は限定的であり、加えて、ヤークトパンターは旋回式砲塔を持たず、
道路上では照準ため車体の方向転換も出来ないことも多い。
この地形において、歩兵支援なしの戦闘は、ほとんど絶望的な任務と言えよう」。
すなわち「ボカージュの戦い」はヴィットマンたちに任せましょうということですか。

Jagdpanther_sPz Abt 654.jpg

いよいよ1945年1月から4月までの戦闘日誌です。
1月20日にはあのカール・デッカーの第39軍団と連絡。
ナースホルンを装備した第525重戦車駆逐大隊第1中隊を第4中隊として編合し、
3月、マントイフェルの第5装甲軍に隷属すると、作戦指揮機能のみを有する
バイエルライン軍団司令部に配属されます。
しかし翌日にはマントイフェルがハルペ上級大将と交代し、
バイエルライン軍団司令部も第81軍団司令部と交代したので今度はそっちへ・・。
再び、バイエルライン軍団の予備となりますが、第53軍団と改称・・。
もう、なにがなんだかわかりません。ヤークトパンターの戦闘状況よりも、
この日誌を書いている大隊長の心労の方が気になります。

Karl-Heinz Noak.jpg

3.7㎝対戦車砲の大隊として始まり、フェルディナンド大隊と進んでいった時には、
ひょっとしてヤークトパンターはオマケ程度か?? と焦りましたが、
半分以上はヤークトパンター戦車隊でホッとしました。
そもそもヤークトパンターの写真がこれほど掲載されているとは想像していませんでしたから、
嬉しい誤算ですね。

これで大日本絵画の大型写真集は「西方電撃戦」を残してやっつけたつもりでしたが、
まだ、「武装SS戦場写真集」が残っていました。
さらに出版社は違うものの、同じ武装SSの写真集では
「第5SS装甲師団「ヴィーキング」写真集 大平原の海賊たち」が出てしまいましたので、
これまた買わざるを得ないです。。ひぇ~・・。











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ウォッチ・ザ・パンツァー -博物館に現存するドイツ戦車実車写真集- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

笹川 俊雄 著の「ウォッチ・ザ・パンツァー」を読破しました。

4月に靖国神社内にある「遊就館」に初めて行ってきたという話は、
桜花―極限の特攻機」の記事でも書きましたが、
いろいろと興味深い展示物もあり、また、考えさせられることも多く、
全部見て回るのに、端折ったつもりでも2時間半かかりました。
そんな展示品のなかでも、九七式中戦車を見て、結構、デカいなぁ~」とビックリ。
良く考えてみたら、展示されていたゼロ戦とか、回天なんかもそうですが、
本物の戦車を見るのは初めてだったのでした。
という経緯で、以前から気になっていた2008年に出たオールカラーで127ページ 、
定価4000円の本書の綺麗な古書をちょうど半額で購入してみました。

ウォッチ・ザ・パンツァー.jpg

2ページには目次、3ページには早くもⅠ号戦車のカラー写真が登場します。
この手の本では、まず最初にドイツ軍戦車開発の歴史・・みたいなのが
3ページほど続くのが常ですが、そういうメンドクサイのは一切なし!
本書を読むのは戦車マニアか、モデラーであるという前提のようです。
そして目次にも写真が4枚あり、第1次大戦時の最初のドイツ戦車「A7V」のカラー写真。
これはかの有名なドイツの「ムンスター戦車博物館」の展示品だそうです。

A7V im Panzermuseum Munster.jpg

そしてⅠ号戦車の解説も簡単に・・。面白いのは仕様や性能、生産台数の他に、
「A型が3両、B型が3両、B型ベースの指揮戦車が1両・・」と、
現存数を細かく解説しているところですね。

約650両が生産されたⅡ号戦車も現存するのは8両のみ。。
同じⅡ号戦車でもL型ルクスは別扱いで、紹介される2両のうち1両は
英国軍に鹵獲された英国ボービントンの「RAC戦車博物館」のもの、
もう1両はノルマンディ戦線のスクラップヤードに放置されていたものを
走行可能なまでにレストアした、フランスの「ソミュール戦車博物館」のものだそうです。

ウォッチ・ザ・パンツァー_ルクス.jpg

続いてⅡ号戦車の自走砲。
7.5㎝ Pak40を搭載したマーダーⅡと、10.5㎝榴弾砲を積んだヴェスペ
自走砲は外見だけではなく、オープンな戦闘室の状態もマニアには重要のようです。

Ⅲ号戦車は5300両も生産されたのに、現存数はわずか15両。
ただし、1つの博物館がガメているわけではないので、米国の「パットン戦車博物館」、
「アメリカ陸軍兵器博物館」、そして写真はないものの「デンマーク軍事博物館」に
「ノルウェー軍事博物館」など、あちらこちらで展示されています。

Ⅲ号突撃砲はドイツ軍戦闘車両では最多の1万両以上が生産。
しかし初期の短砲身型になると現存するのは3両のみ。
359両作られた43口径7.5㎝砲を搭載したF型は「ブリュッセル戦車博物館」にあるのが
世界で唯一の1両で、迷彩も良い感じです。これぞまさにⅢ突!
でも側面にシュルツェンを付けた「ソミュール戦車博物館」や、
ドイツの「コブレンツ国防技術博物館」のG型も全然、負けていません。

StuG.III_Wehrtechnisches_Museum_Koblenz.jpg

8500両が生産されたドイツ軍の主力、Ⅳ号戦車
現存数はD型2両、G型3両、H型10両、J型12両ということですね。
「ムンスター戦車博物館」のG型は、北アフリカ戦線で英軍に鹵獲され、
長く「RAC戦車博物館」に展示されていたものが1960年にドイツに寄贈されたもので、
鹵獲されたときのダークイエローの塗装そのままに、
第15装甲師団第8中隊のマーキングも描かれ、状態とても良いそうです。
ちなみに表紙のⅣ号戦車は、ブリュッセル戦車博物館」のJ型です。

Panzerkampfwagen IV_Munster.jpg

8.8㎝砲のナースホルン、15センチ重榴弾砲を搭載したフンメルと、こちらも自走砲。
前者が2両、後者は4両と、ホント現存数って少ないんですねぇ。
しかし砲塔が自力で着脱可能な、あのホイシュレッケが、
「アメリカ陸軍兵器博物館」に現存しているのには驚きました。
でもせめて例のアームを使ってる状態にしてほしい。。

Heuschrecke 10_Aberdeen.JPG

Ⅳ号戦車の車体を使ったシリーズはまだまだ続きます。
突撃戦車ブルムベアは3両が現存し、対空戦車もメーベルヴァーゲンにヴィルベルヴィント。
オストヴィントは残念ながら絶滅してしまったそうです。

Wilberwind_Borden Military MUSEUM.jpg

Ⅳ号駆逐戦車は4両が現存しています。
特にムンスターの1両はツィンメリットコーティングに、側面にはシュルツェンも装着。
オリジナルではないものの3色迷彩が施され、実に完成された美しさを感じます。

Jagpanzer IV_Panzermuseum Munster.jpg

さぁ、70ページ目からはⅤ号戦車パンターの登場です。
ここまで一気読みしてきましたが、後半の盛り上がりに向けて、敢えて一休み・・。
III号戦車って全長6.4m、重量22t。II号戦車が全長4.8m、重量9tということは
「遊就館」で見た九七式中戦車は全長5.5m、重量15tですから、
ちょうどII号、III号戦車の半分の大きさなんだなぁ・・などと妄想してみます。。

Type 97 CHI-HA _United States Army Ordnance Museum.jpg

6000両作られたパンターの現存数は18両で、オランダやスイスでも展示されています。
ドイツの「ジンスハイム博物館」のA型は走行可能なまでレストアされ、
パレードなどに参加しているそうな・・。
また「ソミュール戦車博物館」のA型も、夏の軍事パレードで軽快な姿を見せるとか。

Panther_musee-des-blindes-de-saumur.jpg

このようにスクラップ同然の戦車を新品同様にまでレストアする博物館もあれば、
ヴィルベルヴィントの写真、カナダ「ボーデン陸軍博物館」のように広い敷地に野外展示し、
管理人すら存在せず、塗装も落ちて保存状態が悪くなるところも・・。
ただ、コレはコレで戦車の上に乗ったり、「触れ合い」は可能ですね。

「ソミュール」の完璧で唯一のベルゲパンターが紹介された後は、ヤークトパンターです。
作られた417両のうち、6両が現存。これも「ソミュール」は良い仕事しています。
あ~「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録​集」買わないと・・。

Jagdpanther_musee-des-blindes-de-saumur.jpg

86ページからⅥ号戦車ティーガーⅠ
生産された1354両のうち、わずか5両が残っているのみです。
ジンスハイム、RAC、クビンカ、ソミュールと独英仏ソの博物館に、
ノルマンディ海岸にモニュメントとして展示されているそうですが、
コレは以前に写真をUPしていますね。

そうそう、ノルマンディといえば、日曜に何年振りかで見た「パネルクイズ アタック25」で
『ノルマンディ上陸作戦の連合軍司令官で、第34代米大統領といえば誰?』
という問題が出題されました。そして、ピッピッピッピッブー!と誰も答えられず・・。
ちょっと唖然としつつ、寂しいような、不思議な気持ちになりました。。

Tiger I E aus Saumur.jpg

ティーガー派生形では、個人的に好きなシュトルムティーガー
クビンカとジンスハイムに2両、現存していますが、
12.8㎝カノン砲を搭載した自走砲、通称シュトゥーラー・エミールというのが1両、
クビンカに展示されています。最強の対戦車兵器とありますが、なんだコリャ??

12.8cm sf. l61 sturer_emil_kubinka.jpg

77両が生産されたヤークトティーガーは、クビンカ、アメリカ陸軍兵器博物館、RACに展示。
個人的趣味ではRACの迷彩が好きですが、ドイツにはないってことですね。

こうしてようやく大御所、ティーガーⅡの御姿が・・。
生産数489両で8両が保存・展示されています。
うちRACに展示されているものが唯一のポルシェ砲塔であり、その他はヘンシェル砲塔です。
ベルギーのラ・グレースの1両は、「バルジの戦い」で紹介しましたね。
ソミュールの1両は、パンターと同様、式典で豪快に走り回り、
米国から帰ってきたムンスターの1両は、SS第501重戦車大隊の121号車なのに、
なぜか321号車に変身。



コレがトリを務めるかと思いきや、まだフェルディナンドがありました。
1944年2月に呼称がエレファントに変更されたのは知っていましたが、
この時期に前方機銃の装備など改修が施されたことから、
初期型をフェルディナンド、後期型をエレファントと区別する場合も多いそうです。
こちらは90両のうち、生残りは2両です。

それから35(t)と、38(t)戦車
「たくさん打ちこまれたリベット。モデラー泣かせの部分でもあり、
最大の見せ場でもあるだろう」というキャプションが泣けますねぇ・・。

PzKpfw. 38(t).jpg

と、くれば続くのは38(t)軽駆逐戦車ヘッツァーです。
その優秀さゆえ、戦後もチェコ陸軍やスイス陸軍でも使用されたようで、
各国で見ることができるそうです。

自走砲のマーダーⅢが3両、同じく15㎝歩兵砲搭載のグリレが1両現存。
最後の最後にはクビンカに展示されている「ヴァッフェントレーガー」が紹介されます。
大戦末期に実戦投入された8.8㎝ Pak43を搭載したその名の通りの武器運搬車で、
こんなのは知りませんでしたが、ロシア軍に丁寧に鹵獲されたようです。

Waffenträger 8,8 cm Krupp Ardelt.jpg

と、このような世界各国の戦車博物館16ヵ所を住所や展示車両と共に紹介。
しかしいきなり「クビンカに展示されているマウス」の写真が・・。スゲ~な、クビンカ・・。
ただし、写真によっては1997年の日付が入っている場合もあり、
Webで調べてみると、その後、綺麗にレストアされていたりと同じではありません。

maus_Kubinka tank museum.jpg

最初はドイツの「ムンスター戦車博物館」で、戦車はパンターを除く、Ⅰ号からティーガーまで。
自走砲はフンメル、Ⅲ突、Ⅳ号駆逐戦車、ヘッツァーなどです。
英国の「RAC戦車博物館」もパンターにティーガーⅡの他に、
ヤークトパンターにヤークトティーガーと魅力的です。
フランスの「ソミュール戦車博物館」もブルムベアにパンツァーヴェルファーがあったりと
かなり充実してますね。
「アメリカ陸軍兵器博物館」もホイシュレッケにエレファントが・・。
そしてやっぱりロシアの「クビンカ戦車博物館」。写真はありませんでしたが、
あのカール自走臼砲まで展示されているそうです。クビンカ・・スゴ過ぎるぜ。。

karl_Kubinka tank museum.jpg

ソミュール博物館も凄いと思ってたら、「パンツァーズ・アット・ソミュー​ル」ってありましたね。
まぁ、でもとりあえずは本書で大満足しました。
ドイツ、フランス、ロシアに行くことがあれば上記の博物館にはぜひ足を運んでみたいですし、
なにかのついでではなく、コレを本命にしたいくらいです。
以前に「ヒトラー戦跡紀行―いまこそ訪ねよう第三帝国の戦争遺跡」を書かれた齋木伸生氏の
「ドイツ戦車博物館めぐり」という本も出ましたので、その際にはコチラも必読ですか。













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続・クルスクの戦い -戦場写真集北部戦区1943年7月- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャン・ルスタン著の「続・クルスクの戦い」をようやく読破しました。

南部戦区を扱った「クルスクの戦い―戦場写真集 南部戦区1943年7月」を読んだのが
3年半前ですから、かなり時間が経ってしまいましたが、
ようやく古書を3800円で購入しました。
2007年に出た 367ページの大型写真集ですが、マンシュタインやホト、武装SS、
プロホロフカの大戦車戦、といった有名なキーワードもあまりない「北部戦区」というのは
逆にあまり知らないので、新鮮で楽しめそうな気がします。

続・クルスクの戦い.jpg

まずはいつものように20ページほどカラーイラストで始まります。
Ⅲ号戦車にⅣ号戦車マーダーⅢフンメルといった自走砲に
第3戦車連隊、第35戦車連隊、第33戦車連隊などのマークもカラーで・・。
特に第33戦車連隊は「プリンツ・オイゲン」。
武装SSの山岳師団や、重巡にもこの名前は使われていますね。

prinz eugen 33. panzer rgt.jpg

本文は「準備段階」として、この「ツィタデレ作戦」が発動された経緯が解説されますが、
グデーリアンモーデルマンシュタインはいずれも、戦略上、用兵上の観点から
この作戦には反対であったものの、楽観的なクルーゲによるヒトラーヘの進言、
そして「当時すでにリッベントロップがモロトフと接触するなど、
ソ連との単独講和への道が探られつつあり、交渉が開始されていた」としています。
このような噂は聞いたことがありますが、本書は言い切ってますね。。

General_Model_at_Kursk.jpg

そしてモーデルの第9軍の戦力を表も使って細かく分析。
6個装甲師団のⅢ号、Ⅳ号戦車中心で、自走砲と突撃砲も以外にも
第505重戦車大隊のティーガー31両に
第656重戦車駆逐連隊はフェルディナンド91両、ブルムベアが42両
この準備期間の写真もいくつかありますが、「ティーガーの車上での結婚式」
という写真 ↓ が笑えます。

Pz.Abt. 505 Tiger.jpg

7月5日から始まった「ツィタデレ作戦」の様子をドイツ側の戦闘記録で紹介しつつ、
場合によっては2ページぶち抜きの大きな写真も登場しながら進みます。
野原で第9装甲師団の礼拝が従軍牧師によって行われている写真の反対には、
跪いて軍旗に忠誠を誓う、ソ連軍第4親衛戦車旅団・・、良い構図ですね。
いくらナチスといっても軍人には神が大切な存在でありますが、ソ連では・・。

このように本書は度々、ソ連側の写真も出てきます。
そして最初にカラーで紹介されていた第2装甲師団第3戦車連隊の連隊章である
「双頭の鷲」のマークがハッキリと写ったⅣ号戦車の写真も良い感じです。

2PzDiv fighting in the summer 1943.jpg

表紙の写真もキャプション付きで出てきました。
こんなタイトルの写真集の表紙ですから、一瞬、フェルディナンドかと思ったものの、
第2装甲師団第74機甲砲兵連隊所属の、ヴェスペ自走砲でした。
「女性兵士も多数投入していた」とソ連の女性兵が写った写真も出てきましたが、
彼女は衛生中隊のようですね。

soviet-russian-soldier-nurse-kursk.jpg

あのルーデル大佐も出撃したシュトゥーカ急降下爆撃機部隊もちょこちょこと・・。
特に対戦車用に搭載された37㎜機関砲でKV戦車を仕留めるガンカメラからの
連続写真ていうのは、不鮮明ながらも生々しい。。
擲弾兵や空軍連絡員、砲兵などの写真も印象的なものが多くて、
"クルスク戦 = 戦車" ではないのも実感できます。

battle_kursk_0085.jpg

Ⅲ号突撃砲G型の主砲の交換シーンも珍しい写真です。
「師団長の乗った指揮戦車が立ち往生」というちょっとした回想が出てきますが、
書いているのは第4装甲師団の師団長、片眼鏡フォン・ザウケンです。
そうですか・・。ココで戦ってましたか。

Dietrich_von_Saucken.jpg

装甲弾薬運搬車の写真も鮮明でした。
整備員が現地改造した砲塔を撤去した戦車ですが、
手榴弾避けの金網カバーが設置されていて、まるで野鳥の罠のような雰囲気ですね。

Kursk.jpg

「赤十字」のマークのついたホルヒ製のワゴンを検分するソ連兵の写真は印象的です。
「東部戦線では赤十字のマークさえ安全保障にならなかった」と書かれているとおり、
100発以上の弾痕が見受けられます。
とある衛生兵の報告もあったりして、やっぱり独ソ戦はキッツイなぁ。。

独ソ双方の"戦闘"という意味では、どっちが残酷・・なんてことはないと思いますね。
本当にルールのない、殺るか、殺れるかの戦い。。
そんな極限状態に何週間も身を置けば、それまでの彼らの常識も吹き飛ぶんですね。
「赤十字」のマークを目にしたら、敵であっても今まで人間として心配していたとしても、
例えば、弱った奴らを簡単に殺せる・・、看護婦さんを強姦できる・・、といった具合。。

battle_kursk_14.jpg

フンメルや装甲兵員車など、各種戦闘車両の写真もバラエティに富んでいて
楽しめましたが、なおさらティーガーっていうのは、存在感が凄いと思いました。
フェルディナンドやブルムベアの写真も出てきますが、
ティーガーには斜め前から見た姿など、全体像に凄味があるんですね。
こんなBlogを読んでいる方は、タイガー・ウッズ(Tiger Woods)のことを
心の中ではついつい「ティーガー・ウッズ」と呼んでいるハズです・・。

opération Zitadelle_Sturmpanzer IV.jpg

最後には「結論」として、北部戦線の戦闘をドイツ軍側から総括します。
「第9軍は、ジャブを打つように戦車部隊を投入した。
素早く、小出しに、針で突くように。
南方軍集団が楔形隊形での投入を実施したのと対照的である。
結果として、ソ連軍の戦線を打破する力は失われた。
過度に慎重な攻撃手法を採用したのは、グデーリアンの有名な金言・・
"平手で打つより、拳で殴れ!"に背くことだった」。

battle-of-kursk-german-elefant.jpg

そして独ソ双方の損害を事細かに洗い出し、7月18日にヒトラーが「作戦中止」を宣言せず、
南方軍集団が圧力をかけ続けたまま、もしも続行されていたらとして・・、
「マンシュタインは正しかった。それが勝利をもぎ取る唯一の方法だった。
彼は「ハンマー」になろうとした。そして彼の南方軍集団がハンマーならば、
第9軍は、たとえ弱くても「鉄床」でなければならなかった。
だが、前提条件として最初の2日間を過ぎた時点で、
北部戦区における攻勢は即座に中止されるべきだったのである」。

konec kurské ofenzívy.jpg

このように南部、北部の攻勢作戦を合わせて、この「ツィタデレ作戦」が理解できるわけですが、
最後の最後になって、真っ先にこの失敗の責めを負うべき人物・・として
中央軍集団司令官のクルーゲが写真付きで紹介されます。
「彼が戦況に関する現実的な知識を全く欠いていたことにある」。
いや~、めちゃめちゃ厳しいなぁ。。

von Kluge.jpg

本書の最初にグデーリアン、モーデル、マンシュタインが触れられた際に、
彼らが装甲兵総監、中央軍集団の第9軍司令官、南方軍集団司令官であることなど
一切、書かれていないことからも、本書はそれなりの知識を持っている人向きだと思います。
朝日ソノラマの「クルスク大戦車戦」を一度、読まれていると良いですね。
端折りましたが、日ごとに変わる戦局の様子、攻勢から防御へ・・も詳しく書かれ、
写真以外の部分でも勉強になりました。

こりゃ、「南部戦区」を今一度、読み直さないといけませんが、
大日本絵画の大型写真集は、「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集」もありますし、
今年の3月に出たばかりの「西方電撃戦: フランス侵攻1940」 もまだ。。
そしてウカウカしていたら、今月の22日には「ナチス親衛隊装備大図鑑」が・・。
コレは以前に紹介した「ドイツ軍装備大図鑑: 制服・兵器から日用品まで」のシリーズで
「日本軍装備大図鑑」に続く、原書房の大型本です。
おそらく原著は「Meine Ehre Heisst Treue: Inside the Allgemeine SS」でしょう。
むひ~、もうダメだ、こりゃ。。

Inside the Allgemeine SS.jpg

クルスク戦のオマケ動画です。ど~ぞ。



















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