SSブログ

ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間- 〈下〉 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アンソニー・リード, デーヴィッド・フィッシャー共著の「ヒトラーとスターリン〈下〉」を読破しました。

上下2段組で326ページという結構なボリュームのあった上巻よりも
「こっちの方が厚そうだなぁ」と後ろのページをめくってみると、676ページ・・?。
なんとページは上巻から引き続いているんですねぇ。
この下巻の1ページ目が327ページになっていますが、こんな上下巻システムは初めてです。。

ヒトラーとスターリン下.jpg

1939年9月1日、上巻ですでにスターリンとの「死の抱擁の瞬間」を迎えていたヒトラーは
ポーランドへ侵攻を開始します。
しかし予想に反して英国からの「最後通告」を受け取ってしまい「さて、お次は?」と
自分を間違った方向へと導いた外相リッベントロップに物凄い表情で問いかけるヒトラー。。

ポーランドへ向かう総統専用列車「アメリカ号」に続くのは、国防軍総司令部の「アトラス号」と
カール大帝が乗ったという古い装飾を施した車両から、最新式流線型サロン車両まで
まるで鉄道車両発達史のような驚くべき列車の「ハインリヒ号」。
この車両の主はハインリヒ・ヒムラーですが、ヒトラー曰く、「気ちがい急行」・・。

Reichsfuehrer-SS_Heinrich_Himmler_shakes_hands_with_Wilhelm_Keitel_on_a_train_platform.jpg

早々にポーランドを席巻するドイツ軍ですが、協定に基づいて「分け前をいただく」ため、
「ポーランド領内に生活し、運命の慈悲にすがるしかないウクライナ人と白ロシア人同胞」
の生命財産を保護下に置くことを理由に、スターリンの赤軍もポーランド国境を越え、
1920年にポーランドに喫した敗北の復讐を楽しむのでした。

Soviet_invasion_on_Poland_1939.jpg

そして東西から進撃してきたドイツ軍とソ連軍が遭遇・・。
ドイツ軍がポーランド軍と見誤ったことにより、銃撃戦が始まるものの、
誤認に気づいて両軍は仲良く握手。。
至る所で交歓と乾杯が始まり、めでたし、めでたし・・。

german-army-russian-army-poland-1939.jpg

ポーランドの死の苦悩はコレで終わりではありません。
ポーランド総統府となったドイツの占領地には「インテリやくざ」のハンス・フランクが総督に任命され、
「ポーランド人はドイツ帝国の奴隷たるべし」と宣言。
東のソ連側でも内務人民委員部(NKVD)によって、実にSSと似通った処置が取られ、
大量の政治家や地主、弁護士、聖職者がシベリア送り・・。軍人将校には「カティンの森」が・・。

Polen,_Krakau,_Polizeiparade,_Hans_Frank.jpg

続いてスターリンは、第2の首都レニングラードに近いフィンランドの国境問題に勤しみますが、
この「冬戦争」へと向かうソ・フィンの外交はとても詳しく書かれています。
しかし「勇敢な小国」を相手に無様な戦いを世界に披露してしまったスターリンは、
数か月前に「ヤク1号機」の設計を終えた若き航空機設計技師、ヤコブレフを呼び出し、
航空機産業人民委員代理という、航空機開発の事実上のトップの地位を提示します。
「私は設計の専門家であり、若輩です」と、この名誉を懸命に辞退しようとするヤコブレフ。
「ひょっとしてもっと上の地位が欲しいのかね?」と残忍そうな笑いを浮かべるスターリン。

alexander-s-yakovlev.jpg

一方ヒトラーも英仏との「まやかし戦争」が続くなか、
いつかは倒さねばならない相手であるソ連から食料と原料、そして石油を輸入し、
スターリンはいつか攻めてくるであろうドイツを撃退するため、
そのドイツから機械、武器、装備を輸入するという滑稽きわまる状態に・・。
ヤコブレフもメッサーシュミットドルニエハインケルの最新型を見るために派遣されますが、
なにを見せられても「最新型」とは信じずに文句を言う、ソ連の兵器視察団・・。

Bf 109G-6s in a German aircraft factory.jpg

1940年の春、最終的に冬戦争がソ連の勝利で終わると、
今度はドイツ軍の西方電撃戦の出番です。
「独ソ不可侵条約」の効力もあって、東部にわずか7個師団を残しただけで、
西部にほとんどの戦力を展開し、わずか2ヶ月でフランスを破り、
英国を島へ追い返してしまったヒトラーに対して、恐れを抱くスターリン・・。

事実上、ソ連の従属国でありながら、イデオロギー上はモスクワよりベルリン寄りであるバルト3国が
ソ連への絶好の跳躍台となっていることを危惧して、慌てて侵攻するスターリン。
ここではスターリンと出身が同じグルジア・マフィアで「バクーの絞殺者」の異名を持つ、
強力な権力を持ったNKVDの外国部長で、身長150㎝あるかないかという
デカノゾフが印象に残りました。↓ のリッベントロップの後ろを歩く小人です。。

Soviet Foreign Minister Molotov and Dekanozov is greeted by Ribbentrop in Berlin, November 14, 1940..jpg

う~む。ここまで読んだ印象では、スターリンはヒトラーより一枚上手のように感じますし、
デカノゾフが「それはモロトフじゃないと答えられない」と言うと、
カーテンの後ろからモロトフが早速、現れたり、
そのモロトフが「それはスターリンしか答えられない」と言うと、
やっぱりスターリンがカーテンの後ろから登場・・。
こんなマンガのような話が何度も出てきます。。

Stalin.jpg

新たに74万㎢の領土と2000万人以上の人口を獲得し、
ドイツの攻撃から緩衝地帯を数百㌔作り出したスターリン。
あとは自らが「粛清」してしまった赤軍の再編成を急ぐのみ・・です。
新しい労働法で生産の向上を目指さねばならず、それまでソ連では
日曜日を無くそうという意図から「1週間が6日だけ」。
それも月曜、火曜といった曜日は数字に置き換えられ、第1日、第2日・・と労働日が続き、
第6日が休日だったものが、労働時間も延長したうえで、
週労働日数は7日に増やして、休日は廃止です。
医師の証明書なしに20分遅刻するのは、「犯罪行為」とみなされ、禁固刑や強制労働に・・。
ソ連邦労働英雄」が誕生するのもなんとなくわかりますね。

ussr-stalin-voroshilov-rkka-salute-military-parade.jpg

ヒトラーは英国本土上陸の「あしか作戦」の策定をレーダー提督とOKWを中心に進めるものの、
遂に将軍たちに向かって語ります。
「英国の最後の希望はロシアと米国であり、ロシアという希望が絶たれれば、
米国という希望も絶たれる。
なぜならロシアの抹殺は、極東における日本の重要性の増大を意味するからだ」。

こうして来るべきソ連侵攻作戦へと戦略目標を切り替え、油田を持っているルーマニアが
アントネスク将軍の独裁となり、ルーマニア軍の参加も確実、
ウクライナへの跳躍台の役目も果たします。
ハンガリーもドイツ寄り、伝統的にロシア支持とドイツ支持に分裂しているブルガリアには
スターリンが友好相互援助を目論みますが、ヒトラーは武器供与と軍事的な後ろ盾として、
3万人のドイツ軍人を観光客としてブルガリア入りさせるのでした。

Adolf Hitler with Rumanian Marshal Ion Antonescu. In the background we can see Hitler's interpreter Gustav Paul Schmidt with General Wilhelm Keitel.jpg

1940年11月、ソ連の首相兼外相のモロトフ一行がベルリンを訪れます。
出迎えるリッベントロップはゲッベルスローゼンベルクなどナチ党のイデオロギー指導者たちが
誰ひとり来ていないことに肝をつぶします。。
ヒトラーを買収してギクシャクした独ソ関係を改善することは可能なのか・・?
スターリンの目的はソコですが、モロトフの頑固な態度にヒトラーは爆発寸前・・。
報告を聞いたスターリンは直系のスパイの専門家でもある、ちっちゃいデカノゾフを
ベルリン大使として派遣するのでした。

Molotov, left, meets with Nazi German chancellor Adolf Hitler in Berlin, on November 13, 1940.jpg

いよいよ1941年を向かえると、イタリアのムッソリーニギリシャへ、そして北アフリカで暴れ出し、
ヒトラーも予想外の展開ながら慌てて助け舟を出しますが、ユーゴでも軍事クーデターが勃発・・。
これによって「バルバロッサ作戦」は5週間遅れとなりますが、本書では、
「どのみち、この年の春は例外的に雨が多く、6月初旬までは装甲部隊は行動できなかった」
としていますが、このような解説は最近よく読みます。

nazi_propaganda_anti-bolshevik poster europas.jpg

このバルカン半島でドイツ軍が泥沼に嵌るのを見たい・・というスターリンのはかない希望は
またしても蹂躙突破するドイツ軍の軍事力に対する恐れを増大させただけ・・。
5月、モロトフに代わってソ連首相に就任し、遂に中央の舞台に登場することにしたスターリン。
モロトフとヒトラーの不仲に終止符を打つべく、国境にソ連部隊が集結しているなどの報道を
強く否定するなど、ドイツへの信頼と善意のサインを送り出します。

Germany invaded Yugoslavia and Greece in April 1941.jpg

しかし、「ヒトラーの代理人」であるヘスがメッサーシュミットで英国に旅立った
というニュースがスターリンを苛立たせることに・・。
「ヘスはヒトラーの密令を受け、ドイツが自由に東部進出できるよう、
西部での和平交渉をしに行ったのだと思います」と語るフルシチョフ・・。
スターリンは答えます。「そうだ。その通りだ。」
かつてチャーチルが、「自分はボルシェヴィズムの不倶戴天の敵だ」と宣言したことも思い出します。

Khrushchev_Stalin.jpg

ドイツ軍の攻撃開始は6月20日ごろ・・という正確な情報が赤軍情報部(GRU)から
スターリンの元に送られ始めます。
それは有名なスパイ網「赤いオーケストラ」であり、東京のゾルゲでもあります。
スターリンは「あのXX野郎は日本の売春宿に居続けて、片手間にしか仕事をやっていないクセに
ドイツ軍の攻撃開始は6月22日だとほざいているそうだ。この私が信じると思うかね?」と
ヴォロシーロフの後任のティモシェンコ元帥に語るのでした。

timoshenko.jpg

本書では、この不可解なほどに英国も含めた世界各国から寄せられる情報に目をつぶった理由を
GRUの部長で参謀本部次長のゴリコフ中将の責任が大だとしています。
スターリンの子飼いで40歳そこそこの、この小柄でずんぐりし、どんな帽子も収まりそうもない
丸い大頭の人物が作成した報告分析をスターリンは読むだけで、
ゴリコフは参謀長である自分とティモシェンコにさえ報告しなかった・・とジューコフは語ります。
戦争が間近いという情報は英国のでっち上げと見なし、スターリンが望む情報をのみを提供する・・。
生き延びるための手段ですが、その後はヒトラーとその周辺も同じようになりましたね。。

Golikov.jpg

ヨードルに暗号「ドルトムント」を発信するよう命ずるヒトラー。
遂に「バルバロッサ作戦」の開始です。
ベルリンではリッベントロップがデカノゾフを前に「軍事的対抗措置を取らざるを得なくなった」と
尊大に語り、モスクワでは苦悩するシューレンブルク大使がクレムリンに向かいます。
モロトフはうわずった声で尋ねます。「これは宣戦布告なのか?」
そしてスターリンに電話で各戦線の状況を報告するジューコフ。
電話の向こうから聞こえてくるのは、激しい息遣いだけです・・。

German panzers in Russian road.jpg

669日ののち、史上最もありうべからざる同盟は終わりを告げた・・と締めくくられた本書。
それにしても、スターリンの代理であるモロトフと、ヒトラーの対談の詳細はもとより、
スターリンを中心としたソ連政治がここまで書かれているものは初めてです。
ヒトラーが何を考えていたか・・は、様々に研究され、色々な説があるにしろ、
それらを読んできましたが、スターリンが何を考えていたか・・となると、不気味でしたね。。

開戦当初はスターリンが神経衰弱に陥って、なにも出来なかった・・という話が一般的ですが、
本書では、そうではなく、指示を出していたという説も挙げています。
もちろん、最後にはスターリンがヒトラー相手だけではなく、西側諸国に対しても笑うことに
なるわけですが、良いも悪いも、より強く「疑心暗鬼」を持っていた人間が勝ったという気もしました。

Stalin_076.jpg

ヴィトゲンシュタインの今の知識で、やっとこさ独破することが出来た、
大変なボリュームのある本書でしたが、ソ連側に興味をそそられたこともあって、
大御所ヴェルナー・マーザーの「ヒトラーVS.スターリン 独ソ開戦―盟約から破約へ」や
「スターリン時代―元ソヴィエト諜報機関長の記録」も読んでみたくなりました。

そういえば今回で「独破戦線」はナント、4年目に突入しました。
この1年で独破した本は108冊・・。まぁ、我ながら良く続いてます。
まだまだ読みたい本がありますので、あと1年は続けられそうです。







nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。