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Uボート・コマンダー -潜水艦戦を生きぬいた男- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ペーター・クレーマー著の「Uボート・コマンダー」を再度読破しました。

実はこの本、初めて読んだ「Uボート物」です。
その意味では「バルバロッサ作戦」と並んで、この世界に入るキッカケとなった
1冊とも言えるかも知れませんね。

Uボート・コマンダー.JPG

開戦当初、駆逐艦の砲術長としてノルウェー作戦に参加したクレーマーは
その後、デーニッツから直々にUボート部隊に勧誘されます。
やがて1941年のプリーンクレッチマーといった大エースたちが撃沈されたと時同じくして
U-333の艦長として出撃しますが、この本の表紙にもある
「3尾の魚」のマークの由来は忘れてしまったそうです。

Peter Cremer.jpg

アメリカ沿岸でのパウケンシュラーク作戦にも参戦しており、ハルデゲン艦長も登場。
この辺りではUボートにおける独特のエピソードに溢れていて、
例えば「魚雷1本の価値は、中程度の家1軒分」だとか、
男の子が生まれたという無線も「潜望鏡のついた水兵誕生」といった具合です。
「艦長の白い帽子は規則違反である」ことを知ったのがこの本だったと思い出しました。

First welcome to the base. Kptlt. 'Ali' Cremer of U-333.jpg

駆逐艦に激突され、さらに艦長のクレーマー自身も重症を負い、なんとか寄港するものの
傷が癒えるまで司令部の幕僚として地上勤務に就くこととなります。
Uボート・エースがその経験を買われ、幕僚になることは多く、この本でも空襲の際に
避難した防空壕は「騎士十字章に溢れてた」と回想しています。

The heavily damaged U-333 returns to base.jpg

そして1943年、Uボートの撃沈数が膨大な数になると、その理由を探るため
クレーマーを含む3名のベテランUボート乗りに出撃命令が下ります。
レーダーや制空権、船団方式の強化など、Uボート暗黒の時代が訪れており、
ここでもクレーマーのU-333のみは、なんとか帰港。
「"アリ"クレーマーは生命保険」と言われるほどの強運を発揮します。
1943年時点で唯一の2年以上の艦長経験者であり、
44年にフランス西岸のUボート基地から出撃して生き残ったのも
クレーマーのみというしぶとさです。

U-333.JPG

ノルマンディーでのUボート戦も終え、新たに最新の「エレクトロ・ボート」と呼ばれたXXI型Uボート
U-2519の艦長となりますが、この時のUボートの保養所に空軍パイロットの保養所も建てられ、
エーリッヒ・ハルトマンと語り合ったという話も紹介されています。

Erich Hartmann2.jpg

しかし終戦間際には、そのU-2519も身動きすらできなくなり、
クレーマーもパンツァーファウストを持って海軍対戦車部隊を率い、
最後には「クレーマー警護大隊」としてデーニッツらの警護を勤めることになります。

降伏に伴うデーニッツの有名な「Uボート自沈すべからず」命令に対しては
多くの艦長が独自の判断で命令に背いて自沈したことや、
最後までU-2519の艦長の立場にあったクレーマーも電話で自沈命令を出したということで、
これらの報告を聞いたデーニッツは「当初ビックリしたものの、やがて微笑んだ」と
その場に居合わせたクレーマーは証言しています。

ヒトラーにより、後継者に指名されたデーニッツの内外の敵との戦いも最後まで描かれ、
東方占領地の責任者としてニュルンベルク裁判で死刑となった
ローゼンベルクらもデーニッツに取り入ろうとしますが、
「ローゼンベルクを近づけるな」と命令していたそうです。
そういえば、ヒムラーも寄って来たという有名な話もありましたね。

Rosenberg.jpg

自身の回想録、または自分善がりなUボート戦記としてだけではなく、
大局的な戦術の変化やU-333と戦った相手は誰だったのか、までを
戦後、公開された英国側の資料を分析することで解明もしています。

以前に読んだ際には映画「Uボート」のようなものを想像していたので
若干、拍子抜けだった記憶があります。
今回読み返してみると、一人のUボート艦長の回想録という枠を超えたもので
例えばデーニッツの、「10年と20日間」を補填するものでもあり、
破滅に向かっていくUボート部隊を見事に描いた一冊だと感じました。



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武装親衛隊外国人義勇兵師団―1940‐1945 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリス・ビショップ著の「武装親衛隊外国人義勇兵師団」を読破しました。

独破戦線でもすっかりお馴染みとなった、リイド社出版の
武装SS師団シリーズものの番外編的1冊です。
近頃、独破した本にSS義勇兵がたびたび登場するので、ちょっと勉強してみました。
タイトルには「師団」と付いていますが、内容には良い意味で裏切られました。

外国人義勇兵師団.JPG

まずは例によって「武装SSとは何か」的な概説から始まってドキドキしますが、
ここは外国人義勇兵が誕生するに至る最低限の説明に留まっていてホッとします。

続く本章は、西ヨーロッパの各国の当時の状況などを義勇兵の多い順に紹介していきます。
最初に登場するのは5万人の義勇兵を出したオランダ、そして4万人のベルギー、
なんと2万人もいたフランスと続いていきます。
デンマークやノルウェーより多いんですね。

Danmark.jpg

ここで理解できることは武装SS発足当初のヴェストラント連隊、ゲルマニア連隊
その後のヴィーキング師団と活躍したオランダはさておき、
このフランス人の2万人というのが興味深く、それはいきなりSS入隊ではなくて
もともと右派としてドイツ陸軍に志願したものなどのようです。
有名なフランス外人部隊からも入って来たりと、武装SSとしてはそれらを吸収した義勇兵旅団として、
やがて1944年に第33SS武装擲弾兵師団 シャルルマーニュとなっていく訳ですが、
面白いのは「ライプシュタンダルテ」にフランス人が2名いた記録があるそうです。

SS skijager batalion Norge.jpg

このように西側各国におけるファシズムの党の存在や、
ゲルマンやノルディックといった人種的問題、
ナチスの反共をアピールした、ボリシェヴィキとのヨーロッパにおける聖戦という
プロパガンダ効果など、様々な要因によって志願兵が存在したことがわかります。

Vi kæmper for Europas frihed og kultur.jpg

東ヨーロッパの章ではソ連領であったバルト3国やウクライナ、
イスラム教徒のクロアチアのハントシャール等は若干、その理由が違ってきます。
興味深いところでは、義勇兵のなかには日本人もいたとの話がありました。

Handschar_Poster.jpg

このような内容を経て、やっと第5SS装甲師団ヴィーキング、
第7SS義勇山岳師団 プリンツ・オイゲン、
あのフェーゲラインが師団長を務めた第8SS騎兵師団 フロリアン・ガイエル、
レオン・デグレールの第28SS義勇擲弾兵師団 ヴァローンと
義勇兵師団の紹介が始まります。

Waffen-SS Wallonie Poster -Come With Us-.jpg

また、師団までは拡張できなかった旅団規模の部隊(或いは師団昇格以前)も
最後にまとめられていて、インドやイギリスといった正式な部隊とならなかったものまで
少ないながらも紹介されています。

Waffen-SS Russian Helpers Recruiting Poster.jpg

個人的にはバルト三国や北欧、西欧の国々の当時の立場が理解できることで、
後半の各義勇兵師団単位の説明よりも非常に楽しめました。
良い意味で裏切られたということでは、終戦間際で情報の少ない
これらの義勇兵師団の詳細を無理やり書くよりも、
このような整理の仕方が妥当であると思います。
逆に言えば、義勇兵師団の戦闘記録などの詳細を知りたい方は
「やられた!」と思うかも知れませんね。

これまで読んだリイド社のもののなかでは1番の出来で、
今後も参考資料的に活躍しそうです。



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