SSブログ

ヨーロッパで最も危険な男 -SS中佐スコルツェニー- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

チャールズ・ホワイティング著の「ヨーロッパで最も危険な男」を読破しました。

最近、お気に入りの「第二次大戦ブックス」シリーズもので、
大虐殺 - リディツェ村の惨劇」、「ワルシャワ反乱」に続いて
「ヨーロッパで最も怪しい男」と個人的に思っていたオットー・スコルツェニー伝です。

ヨーロッパで最も危険な男.JPG

はじめの紹介文には「第1次大戦を通じてゲリラ戦(特殊部隊)の指揮官として
最も活躍したのは「アラビアのロレンス」ことT.E.ロレンスであるが、
第2次大戦でその栄冠に値する活躍をしたのはオーストリア人のスコルツェニーである」
と述べられています。
これがこの本の立ち位置で、基本的にスコルツェニーに好意的に書かれたものとなっています。

1908年に生まれたスコルツェニーはウィーン大学で学び、
そこでは歴史のあるサーベルを用いた決闘が盛んに行われていました。
スコルツェニーのトレードマークとも言える左頬の傷は、この時代のもので
彼の回想録を引用して、この自己鍛錬が後々まで役に立ったと説明しています。

Otto_Skorzeny2.jpg

オーストリアが併合され、第2次大戦が勃発すると31歳のスコルツェニーは
志願したルフトヴァッフェからは、歳を取り過ぎていると言い渡され、
やむなく第1SS師団ライプシュタンダルテに志願し、
しかし見事このエリート部隊への入隊を果たします。
のちに第2SS師団ダス・ライヒに転属となると東部戦線でカチューシャ・ロケットの攻撃により負傷。
その後、後方での補給任務という退屈な仕事を続けていたスコルツェニーに
英国のようなコマンド部隊の編成をするよう命令を受け、1943年春、
「フリーデンターラー駆逐戦隊」の隊長に就任することになります。

防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクが上官のこの部隊は当初、
装備もままならない1個中隊ほどでしたが、空挺部隊やブランデンブルク大隊などから
補充を受け、2個大隊規模まで拡大します。
そして遂に運命とも言える「ムッソリーニ救出作戦」をヒトラーから
直々に命令されることになるのでした。

Gran_Sasso__Skorzeny and Mussolini.jpg

あまりに有名なこの作戦ですが、非常にドキュメンタリー・タッチに描かれ、
ムッソリーニの所在を突きとめ、グライダーによるグラン・サッソへの強行着陸、
イタリア軍の守備隊との戦い、シュトルヒ連絡機での救出、
そして一躍ヒーローへ、とその過程が詳細に書かれています。
よく、スコルツェニーは大した貢献もしておらず、この作戦を成功させたのは
「降下猟兵」たちであるという話もありますが、そういうことには一切触れられません。
なんと言ってもこの本の主役はスコルツェニーであり、そのハイライトですから・・。

skorzeny star.jpg

このようにナチ/SSのプロパガンダ説があるにしても、
政治的に内外に大きなインパクトを与えたことから、スコルツェニーは騎士十字章、
ゲーリングからもパイロット章金賞、ムッソリーニからもイタリアの勲章を授かって
SS少佐へと昇進を果たし、このコマンド部隊の第1人者にはさらなる作戦、
ソ連と和平を結ぼうとしているハンガリーのホルティ提督のバカ息子を
カーペットで包んで誘拐することにも成功。
そしてこの本のタイトル「ヨーロッパで最も危険な男」と呼ばれるに至った作戦、
即ち、アルデンヌ攻勢における「グライフ作戦」をヒトラーより任されます。

Skorzeny in Budapest.jpg

この「グライフ作戦」は名作?映画「バルジ大作戦」でも登場することで良く知られています。
アメリカ兵に偽装して後方かく乱を狙うといったもので、
兵士だけではなくパンター戦車や突撃砲も無理やり悲しい偽装を施されます。。。
この章は一番楽しく読めました。ヤンキーの立ち振舞いを仕込むのは大変だったようで
いくらガムをクチャクチャやらせても、将校が命令すると、
すぐに飛び上がって「気を付け」の姿勢をとってしまう、などなど・・。

panther-fake-Ardennes Offensive.JPG

アルデンヌ攻勢が始まると「グライフ作戦」で捕えられた特殊部隊員は銃殺されてしまいます。
しかし、この偽装ドイツ兵の噂でアメリカ軍は持ちきりとなり、
ドイツ兵のロングブーツを履いていた(鹵獲品?)アメリカ兵や、
食事の際に「うまい」と言った兵士も、炊事係の作ったこんなものをうまいと言うとは怪しい・・
との理由で捕えられたりと、その疑いの目は将軍までに及んだそうです。
遂にはドイツ軍が計画すらしていない「アイゼンハワー殺害計画」まで勝手に噂は発展し、
パリのアイゼンハワーは大量の護衛兵に守られ、司令部に軟禁状態にされることに・・。
このような想定外に進展したグライフ作戦はある意味成功したとも言えるようです。

Skorzeny and Hitler.jpg

SS全国指導者ヒムラーがヴァイクセル軍集団司令官となった1945年、
スコルツェニーは「オーデル川に橋頭堡築け」という命令を受けます。
これは特殊任務ではなく、通常の防衛戦として駆り出されたスコルツェニーの最後を飾る戦闘です。
自ら率いてきたフリーデンタール部隊を軸に国民突撃隊や、敗残兵、傷病兵、
ヘルマン・ゲーリング師団やデンマーク、ノルウェー、ベルギー、フランスの義勇兵たちから成る
混成師団を作り上げ、必死の防衛戦に挑みます。

Otto Skorzeny 1945.jpg

最後はアルプス要塞、投降、裁判、脱走してスペインへ・・と、
まだまだ物語は続きますが、ぜひ、彼の回想録を読んでみたいですね。



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第二次世界大戦 -ムッソリーニの戦い- [イタリア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

B.パルミーロ・ボスケージ著の「ムッソリーニの戦い」を読破しました。

「独破戦線」初登場となるイタリアものです。
ドイツ戦記から見たイタリア軍というのは「北アフリカ」しかり、「ロシア戦線」しかり
貧弱な装備で兵士たちはやる気なしという「お荷物」的扱いです。
今回はイタリア人の歴史家である著者のこの一冊で
出来る限り先入観なく、公平にイタリア軍を勉強してみました。

ムッソリーニの戦い.JPG

内容はタイトルどおり、1940年の宣戦布告から1943年にムッソリーニが失脚するまでを
ヒトラーとムッソリーニの間で交わされた書簡や演説、
また、娘婿のチアーノ外相の日記などを中心にイタリア軍の戦いを追ったものです。

まずはドイツ軍のフランスへの電撃戦に遅れまじ、と
すでに死に体のフランスの背後に一撃を加えるという有名な場面です。
当時の参謀総長バドリオ元帥は「あまりに卑劣な行為である」として
反対を表明したものの、ムッソリーニに説得された経緯が語られます。

mussolini.JPG

続くイタリア独断でのギリシャ侵攻も、良く言われるように
相談なく既成事実を突きつけるヒトラーのやり方に憤慨したムッソリーニの政治的な思惑が大きく、
ここでも軍上層部からは反対されるものの
それを押し切って作戦を進めた結果、ギリシャ軍の反撃に遭い、
にっちもさっちも行かなくなるとヒトラーには叱責を受けた挙句、
バドリオ元帥の参謀総長の座を解任して、責任を転嫁するという状況です。

Pietro Badoglio.jpg

北アフリカ戦線も楽しめました。いつもドイツ/アフリカ軍団から見た戦いでしたが、
ガリボルディや後任のバスティコ将軍といったロンメルの敵役を中心に戦局が描かれ、
その若干、子供扱いぎみとも思えるロンメル評や
退却の際にドイツ軍がイタリア軍の車両を強奪した等の恨みつらみが述べられています。

gariboldi&rommel.jpg

あまり知られていないイタリア海軍の戦いも登場します。
しかし、悲しいほど弱く、常に惨敗です。。。
これは海軍だけの問題ではなく、イタリア軍全般に対して思ったことですが、
基本的に軍という組織の考え方・・戦術も含めて・・が前大戦から抜け切っておらず、
さらに連合軍の最新の兵器や装備の前に敗れるのは仕方がないと思い込んでいるようです。

外相チアーノ日記は反ドイツ感情に溢れていて、
1941年の時点で「イタリアはドイツの属国に成り下がった」として
東方戦線でドイツが負けるか和平でしか、イタリアの独立は守られないと書き記しています。
また、ムッソリーニのヒトラーに対する本音も書かれていて
この日記、ぜひ全て読んでみたいものですね。

Ciano and Ribbontrop.jpg

この日記で思わず笑ってしまったのは、独伊軍事首脳会談の様子で、
ヒトラーがのべつ幕なしに、歴史や芸術のことまで延々に喋りはじめると、
「ムッソリーニは慣れっこになっていたが、可哀想なのはドイツの将軍たちで
毎日、こんな切ない思いをしなければならないとは・・。ヨードル将軍
睡魔と闘った挙句、とうとう机に突っ伏し、カイテル元帥も体をぐらつかせたものの
さすがに頭だけは真っ直ぐ持ちこたえていた」。

mussolini jodl Hitler keitel.JPG

ムッソリーニは(ヒトラーより)なかなか人間味があるという印象で、
戦果を出してヒトラーに「どうだ!」と言ってやりたいのに、やることなすこと
ことごとく裏目に出てしまい、段々アタマが上がらなくなる・・という
知れば知るほど可哀想になってくるオヤジです。
さらにムッソリーニものを2冊ほど購入しましたので、近々、読破してみます。



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遥かなる橋 [戦争映画の本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

コーネリアス・ライアン著の「遥かなる橋」を再度読破しました。

先日、好きな映画の1つ「遠すぎた橋」を久しぶりに観ましたが、いや~、やっぱり面白いですね。
そこでこの「マーケット・ガーデン作戦」の全貌を描いた原作も、久しぶりに読み返してみました。
著者のライアンは徹底的なリサーチと当事者へのインタビューから構成し
しかし読んでいて面白いということは「ヒトラー最後の戦闘」でもわかっていましたが、
あらためてそれを認識しました。

遥かなる橋.jpg

なんせ、ドイツ軍、連合軍双方の登場人物が多いですから、今回は映画での役者さんや
実際の写真などを思い浮かべたり、確認しながら読んでみました。
※有名なテーマ曲を追加してみました。



ストーリーは有名なので割愛しますが、そこで、まず映画のはなしを少し・・。
監督はサー・リチャード・アッテンボローでこれも、もっと大好きな「大脱走」の
脱走を指揮する「ビッグX」こと、バートレット中隊長を演じてた方です。
主役はショーン"007"コネリー演じるマーケット作戦の英国第1空挺師団アーカット少将と
アンソニー"ハンニバル"ホプキンズが演じるフロスト中佐。
個人的にはガーデン作戦のエドワード"ジャッカル"フォックス演じる第30軍団ホロックス中将と
マイケル"シュタイナー"ケイン演じるバンデラー中佐とても好きです。

Major-General Roy Urquhart.jpg

日本公開当時は当時人気のあったロバート・レッドフォードの顔が脇役ながら大きいですね。
DVDパッケージもレッドフォードの名前が一番上、次がジーン"ポパイ"ハックマン、
ジェームズ"ソニー"カーンと続いています。しかしみんな脇役です・・。

遠すぎた橋.jpg

ノルマンディー上陸後の連合軍は、パットンとモントゴメリーのライバル争いのなか、
アイゼンハワーがモントゴメリーのマーケット・ガーデン作戦を承認するまでを
映画では実写を使ったプロローグで語られます。
この上巻ではこの部分がキッチリ書かれていて、特にアイゼンハワー対モントゴメリーの様子が
克明に描かれ、非常に楽しめました。

Patton Eisenhower Montgomery.jpg

ドイツ軍側もルントシュテット元帥がヒトラーにより西方軍司令官に再度選任されるまでの過程や
B軍集団司令官に降格となったモーデル元帥、第2SS装甲軍団のビットリッヒSS中将
といった司令官達の人間関係や、戦術の違いによる摩擦が
本人たちの回想も含めて紹介されており、こうなると、その後自決したモーデルには不利で、
ルントシュテットとビットリッヒからは言いたいように言われてしまっています。

Model Bittrich Harmel.jpg

また、突然に「第1空挺軍を創設せよ」と言われて奔走するドイツ降下兵部隊の父、
クルト・シュトゥーデント将軍も登場し、頭上を大群で通過して行く連合軍の編隊を見上げ、
その姿に感動し、羨ましがっています。このシーン、映画ではビットリッヒになっているんですね。

Kurt Student.jpg

「こんな楽な戦いはなかった。英国軍が弾薬、チョコレート、たばこまで
タダで補給してくれるんだから・・」と語る
第9SS装甲師団ホーエンシュタウフェンのハルツァ中佐は
第10SS装甲師団フルンツベルク師団長のハルメル少将と同様に活躍しますが、
この2人は映画ではマージされて、架空人物のルートヴィック将軍として登場します。
演じるハーディ・クリューガーが怖いぐらいハマッてますね・・。

Market-Garden_-_Landings.jpg

下巻での戦闘では原作/映画ともに出てくるエピソードは一緒で、
軍医に手術を強要するドーハン軍曹や決死の渡河作戦を実行するクック少佐も映画そのままです。
しかしアーンエムで孤立するフロスト中佐の戦いは本の中ではさらに熾烈で
夜間の暗闇における市街戦は、敵味方入り乱れる肉弾戦を数限りなく繰り返しており、
当時のSS隊員のインタビューまで引用して、その死闘を再現しています。
そこには虐殺行為もあれば、負傷者をドイツ軍側の病院に引き渡すための休戦協定などの
騎士道的な話も多く登場します。

Tiger I at the Arnhem Bridge.JPG

特に本でのみのエピソードでは次のような楽しいものもあります。
フロスト中佐の部隊が野戦病院としていた家にドイツ軍戦車が攻撃を仕掛けてくると、
「なんてことをしやがる」怒った衛生兵が飛び出して行き、
「この赤十字の旗が見えんのか!この間抜け!」と戦車指揮官に怒鳴り散らし、
ドイツ兵は「すいません」と言って、早々に立ち去った・・。

John Frost & Anthony Hopkins.jpg

最後に、あのアーンエムの遠すぎた遥かなる橋は、
現在、「ジョン・フロスト橋」という名前がついているそうです。







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ニュルンベルク・インタビュー (下) [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(下)」を読破しました。

独房での話し相手のいない生活、
準備した裁判の弁論を著者であるゴールデンソーンに話して反応を伺おうとすることなど
このような被告たちの心理は理解できます。
特に正式な検察/裁判での発言では、語りたいことも語れず
言い訳や自己弁護が許されなかったようで、「なんでも好きなように話してください」
と言うゴールデンソーンのこのインタビューを受けることを
被告たちは基本的に楽しみにしていたようです。

ニュルンベルク下.JPG

ヒトラーの顧問弁護士からポーランド総督を勤めたハンス・フランクは、
ゲーリングについて「彼が美術品の収集よりも、飛行機の収集にもっと
時間をかけていれば、今頃、こんなところにいなかったのに・・」と語り、
ポーランド総督であった自身の立場については、
「1942年に強制収容所とSSに反対した講演をしたことで、党のすべての役職を解かれたが、
ヨーロッパで最もひどい場所であるポーランドに留め置かれた。
権力はなく、SSは狂気の集団のごとく振舞った」としながらも
既に死刑となることを覚悟している様子です。

Frank&Himmler.jpg

内務大臣だったヴィルヘルム・フリックは、ダリューゲ副総督の後、
ベーメン・メーレン保護領の総督も兼任しますが、
ここではカール・ヘルマン・フランクとリディツェ村についてコメントしています。
「彼にはいいところもある。ハイドリヒ暗殺後、
ヒトラーは報復に5万人のチェコ人を殺すように命じたが、
チェコ人にも家族がいると言って、規模を縮小するように遠回しに提言したのだ」。

Wilhelm Frick2.JPG

証人として出廷したロシアの対パルチザンの責任者バッハ=ツェレウスキは、
1944年のワルシャワ蜂起における鎮圧部隊の責任者だったときのことを
「すべての女性と子どもを射殺しろと言うヒムラーの命令に反攻し、
この命令を実行しようとした旅団長を射殺させたのだ」証言しています。
この旅団長というはカミンスキーのことかも知れませんね。
「狡猾でヒトラー以上の悪人だったが、弱腰で臆病な人間だった」というヒムラー評も印象的で
1万人のユダヤ人を救った自分には責任が無く、彼らやフランク、ローゼンベルクといった
東方問題の責任者の血が汚れているとしています。

Erich von dem Bach-Zelewski.jpg

ヒトラー暗殺未遂事件に関連したとして強制収容所に収容されていたハルダー
その収容所生活について語り、同じく収容され、処刑された国防軍防諜部のカナリス提督と
ハンス・オスター将軍にも触れています。

SS経済・管理本部長官オスヴァルト・ポールのインタビューは
この本の全般を通してもっとも面白く読めました。
強制収容所を管理下に置く部門のトップだったポールは、
「自分は虐殺についてなにも知らされておらず、
部下のリヒャルト・グリュックスの局で実施していたことだ」
とする責任逃れをゴールデンソーンにさんざん突っ込まれ、四苦八苦します。
ヒムラーからの指示は、カルテンブルンナー、ゲシュタポのミュラーを経て、
D局のグリュックスから収容所所長へ伝達されたと説明しています。
グリュックスが行方知れずとなっていることから、責任を部下に転嫁している気もしますね。

Oswald  pohl&Richard Gluecks.JPG

証人としてフォン・マンシュタインも登場します。
スターリングラードの第6軍に対するヒトラーの死守命令について聞かれ、
「それは正しかった」と語ります。
「もし、第6軍が早々に降伏していたら、戦線が崩壊していた」。
ただし、初期のうちに独自の判断で撤退するチャンスがあり、
それを出来なかったパウルスを「彼は強い人間ではなかった」と評しています。

その他、この下巻ではフォン・パーペン、ハンス・フリッチェ、ヴァルター・フンク、
ルドルフ・ヘス、ヨードル、リッベントロップ、ローゼンベルクといった
被告のインタビュー。
証人としては、アウシュヴィッツ所長だったルドルフ・ヘース、ルドルフ・ミルドナー、
エアハルト・ミルヒが登場します。

Göring, Hess, von Ribbentrop, Keitel,Nuremberg trials.jpg

「原爆というものが出来てしまった以上、もう今までのような戦争は起こらないだろう」とか、
「ソ連に対抗すべくヨーロッパ合衆国にようなものを創設すべきだ」ということを
語る被告や証人も何人かおり、やはり大したものだなと唸らせる場面も多々あります。

この本の真髄は訳者あとがきに集約されていると思います。
「歴史的事実を詳細に知らなくても、彼らの葛藤、苦悩、自己正当化などは、
充分に読み応えがあり、また、彼らの弱さを通して、自分自身の弱さを見つめることも
出来るのではないだろうか」



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ニュルンベルク・インタビュー (上) [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(上)」を読破しました。

1946年の有名なニュルンベルク裁判の公判期間中にアメリカ人の精神科医であった著者が、
拘留されていたほとんどの被告(21人中19人)との面談でのやり取りを
ノートに残しておいたものを編集/出版したものが本書です。
被告とのインタビューもさることながら、個人的には主に検察側の証人として
ニュルンベルクにやってきた十数人の「証人」たちのインタビューが
特別、興味をそそられました。

ニュルンベルク上.JPG

まずはどんな本でも散々にこき下ろされているヴィルヘルム・カイテルです。
ヒトラーを評して「彼は天才だった。また、悪魔のような人物であった」とし、
自らについては「自分は元帥などではない。軍隊を率いたことも無いし、
戦術家でもない」。さらに「5回に渡って辞任を申し出たが、厳しい言葉で
拒否され、後ろめたさから仮病も使えなかった」とイメージどおりの人間性のようです。
ルントシュテット元帥だけは、わざわざ玄関まで出迎えるほど
ヒトラーが尊敬していたという話は楽しめました。

Keitel2.JPG

「私は第2のヒムラーだと思われている。誰も殺していないのに・・」と語る
カルテンブルンナーは国家保安本部(RSHA)の構造についてレクチャーを始めます。
RSHAの長官自らが率先して講義するという貴重な内容で、
特に「ケチな男」と評するヒムラーとボルマンのライバル争いと、
その両者を行ったり来たりしつつ、権力を強大にしていったハイドリヒ
「権力マニア」の裏話のくだりはワクワクします。
また、ハイドリヒ暗殺へのヒムラーの関与は、
「なかったが、彼にとって吉報だったことは確かだ」としています。

Ernst_Kaltenbrunner Nuremberg trials.jpg

インタビュー中にヒステリーを起こしたゲーリング
「ヒトラーが後継者にデーニッツを指名したから、私が嫉妬しているなんてとんでもない。
私はドイツのシンボルであり、ヒトラーにとってあまりにも
重要な存在なので指名できなかったのだ。デーニッツがなんだというのだ。
たかが提督で和平交渉ができただけではないか!」。
美術品のコレクションについて訊ねられると「ヘルマン・ゲーリング師団から
公式のルートで収集した」と話しています。モンテ・カッシーノの品々も
一部ゲーリングに届いたという話もありますね。

Hermann Goering Nuremberg trials in 1946.jpg

証人といってもその後、死刑判決を受けるような強烈な面々が登場します。
アインザッツグルッペンの隊長として1年間に9万人を殺害したオットー・オーレンドルフは
悪いのはハイドリヒで、自分はなにもしていないという態度を崩しません。

Otto_Ohlendorf2.JPG

防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクは1943年にヒムラーから
ヒトラーの殺害を相談されたという話や、終戦直前、
「自分がこれまで他の人々にやってきた卑劣な行為を悔やんでいる。そのことを謝る」
とヒムラーが語ったという話はとても印象的です。

Walter_Schellenberg2.JPG

警察長官とベーメン・メーレン保護領でハイドリヒの後任を務めたクルト・ダリューゲ。
ライバルであったヒムラーとは反目しあっていたと語るダリューゲには著者もお手上げで
「武力や暴力を行使し、他人の生命を安易に奪ってきただけに、彼が生命全般、
とりわけ自分自身の生命も尊重しているかどうかも疑わしい」と分析しています。

Kurt Daluege.jpg

国防軍の証人ではフォン・クライストが自らを「フランスで誰よりも活躍した司令官」と語ります。
これをグデーリアンが聞いたらなんと言うでしょうか?
ヒトラーの対しては、「怒鳴られたら、倍の声で怒鳴り返したし、
最高指揮権の返上を求めたことで罷免された」いきさつを述べています。
しかし、「やましい事はなにもない」と自信満々の彼も、
1954年に引き渡されたソ連の収容所で最後を迎えていたというのは、
かわいそうな気がしますね。

Ewald von Kleist.jpg

ケッセルリンクのロンメル評もとても参考になりました。
曰く「彼は優れた軍団司令官だったが、気まぐれ過ぎて、熱中したかと思うと
次の瞬間にはやる気を失い、エル・アラメインでは神経衰弱で、もはや
かつてのロンメルではなく、それ以降、任務に耐えられなくなった」。

その他、この上巻ではフリッツ・ザウケル、ヒャルマー・シャハト、ユリウス・シュトライヒャー、
アルベルト・シュペーア、フォン・シーラッハ、カール・デーニッツ、フォン・ノイラート
といった被告のインタビュー。
証人としては、ヒトラーの通訳だったパウル・シュミットと
ゼップ・ディートリッヒが登場します。



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