ニュルンベルク・インタビュー (上) [ヒトラーの側近たち]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(上)」を読破しました。
1946年の有名なニュルンベルク裁判の公判期間中にアメリカ人の精神科医であった著者が、
拘留されていたほとんどの被告(21人中19人)との面談でのやり取りを
ノートに残しておいたものを編集/出版したものが本書です。
被告とのインタビューもさることながら、個人的には主に検察側の証人として
ニュルンベルクにやってきた十数人の「証人」たちのインタビューが
特別、興味をそそられました。
まずはどんな本でも散々にこき下ろされているヴィルヘルム・カイテルです。
ヒトラーを評して「彼は天才だった。また、悪魔のような人物であった」とし、
自らについては「自分は元帥などではない。軍隊を率いたことも無いし、
戦術家でもない」。さらに「5回に渡って辞任を申し出たが、厳しい言葉で
拒否され、後ろめたさから仮病も使えなかった」とイメージどおりの人間性のようです。
ルントシュテット元帥だけは、わざわざ玄関まで出迎えるほど
ヒトラーが尊敬していたという話は楽しめました。
「私は第2のヒムラーだと思われている。誰も殺していないのに・・」と語る
カルテンブルンナーは国家保安本部(RSHA)の構造についてレクチャーを始めます。
RSHAの長官自らが率先して講義するという貴重な内容で、
特に「ケチな男」と評するヒムラーとボルマンのライバル争いと、
その両者を行ったり来たりしつつ、権力を強大にしていったハイドリヒの
「権力マニア」の裏話のくだりはワクワクします。
また、ハイドリヒ暗殺へのヒムラーの関与は、
「なかったが、彼にとって吉報だったことは確かだ」としています。
インタビュー中にヒステリーを起こしたゲーリングは
「ヒトラーが後継者にデーニッツを指名したから、私が嫉妬しているなんてとんでもない。
私はドイツのシンボルであり、ヒトラーにとってあまりにも
重要な存在なので指名できなかったのだ。デーニッツがなんだというのだ。
たかが提督で和平交渉ができただけではないか!」。
美術品のコレクションについて訊ねられると「ヘルマン・ゲーリング師団から
公式のルートで収集した」と話しています。モンテ・カッシーノの品々も
一部ゲーリングに届いたという話もありますね。
証人といってもその後、死刑判決を受けるような強烈な面々が登場します。
アインザッツグルッペンの隊長として1年間に9万人を殺害したオットー・オーレンドルフは
悪いのはハイドリヒで、自分はなにもしていないという態度を崩しません。
防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクは1943年にヒムラーから
ヒトラーの殺害を相談されたという話や、終戦直前、
「自分がこれまで他の人々にやってきた卑劣な行為を悔やんでいる。そのことを謝る」
とヒムラーが語ったという話はとても印象的です。
警察長官とベーメン・メーレン保護領でハイドリヒの後任を務めたクルト・ダリューゲ。
ライバルであったヒムラーとは反目しあっていたと語るダリューゲには著者もお手上げで
「武力や暴力を行使し、他人の生命を安易に奪ってきただけに、彼が生命全般、
とりわけ自分自身の生命も尊重しているかどうかも疑わしい」と分析しています。
国防軍の証人ではフォン・クライストが自らを「フランスで誰よりも活躍した司令官」と語ります。
これをグデーリアンが聞いたらなんと言うでしょうか?
ヒトラーの対しては、「怒鳴られたら、倍の声で怒鳴り返したし、
最高指揮権の返上を求めたことで罷免された」いきさつを述べています。
しかし、「やましい事はなにもない」と自信満々の彼も、
1954年に引き渡されたソ連の収容所で最後を迎えていたというのは、
かわいそうな気がしますね。
ケッセルリンクのロンメル評もとても参考になりました。
曰く「彼は優れた軍団司令官だったが、気まぐれ過ぎて、熱中したかと思うと
次の瞬間にはやる気を失い、エル・アラメインでは神経衰弱で、もはや
かつてのロンメルではなく、それ以降、任務に耐えられなくなった」。
その他、この上巻ではフリッツ・ザウケル、ヒャルマー・シャハト、ユリウス・シュトライヒャー、
アルベルト・シュペーア、フォン・シーラッハ、カール・デーニッツ、フォン・ノイラート
といった被告のインタビュー。
証人としては、ヒトラーの通訳だったパウル・シュミットと
ゼップ・ディートリッヒが登場します。
レオン ・ゴールデンソーン著の「ニュルンベルク・インタビュー(上)」を読破しました。
1946年の有名なニュルンベルク裁判の公判期間中にアメリカ人の精神科医であった著者が、
拘留されていたほとんどの被告(21人中19人)との面談でのやり取りを
ノートに残しておいたものを編集/出版したものが本書です。
被告とのインタビューもさることながら、個人的には主に検察側の証人として
ニュルンベルクにやってきた十数人の「証人」たちのインタビューが
特別、興味をそそられました。
まずはどんな本でも散々にこき下ろされているヴィルヘルム・カイテルです。
ヒトラーを評して「彼は天才だった。また、悪魔のような人物であった」とし、
自らについては「自分は元帥などではない。軍隊を率いたことも無いし、
戦術家でもない」。さらに「5回に渡って辞任を申し出たが、厳しい言葉で
拒否され、後ろめたさから仮病も使えなかった」とイメージどおりの人間性のようです。
ルントシュテット元帥だけは、わざわざ玄関まで出迎えるほど
ヒトラーが尊敬していたという話は楽しめました。
「私は第2のヒムラーだと思われている。誰も殺していないのに・・」と語る
カルテンブルンナーは国家保安本部(RSHA)の構造についてレクチャーを始めます。
RSHAの長官自らが率先して講義するという貴重な内容で、
特に「ケチな男」と評するヒムラーとボルマンのライバル争いと、
その両者を行ったり来たりしつつ、権力を強大にしていったハイドリヒの
「権力マニア」の裏話のくだりはワクワクします。
また、ハイドリヒ暗殺へのヒムラーの関与は、
「なかったが、彼にとって吉報だったことは確かだ」としています。
インタビュー中にヒステリーを起こしたゲーリングは
「ヒトラーが後継者にデーニッツを指名したから、私が嫉妬しているなんてとんでもない。
私はドイツのシンボルであり、ヒトラーにとってあまりにも
重要な存在なので指名できなかったのだ。デーニッツがなんだというのだ。
たかが提督で和平交渉ができただけではないか!」。
美術品のコレクションについて訊ねられると「ヘルマン・ゲーリング師団から
公式のルートで収集した」と話しています。モンテ・カッシーノの品々も
一部ゲーリングに届いたという話もありますね。
証人といってもその後、死刑判決を受けるような強烈な面々が登場します。
アインザッツグルッペンの隊長として1年間に9万人を殺害したオットー・オーレンドルフは
悪いのはハイドリヒで、自分はなにもしていないという態度を崩しません。
防諜部長官のヴァルター・シェレンベルクは1943年にヒムラーから
ヒトラーの殺害を相談されたという話や、終戦直前、
「自分がこれまで他の人々にやってきた卑劣な行為を悔やんでいる。そのことを謝る」
とヒムラーが語ったという話はとても印象的です。
警察長官とベーメン・メーレン保護領でハイドリヒの後任を務めたクルト・ダリューゲ。
ライバルであったヒムラーとは反目しあっていたと語るダリューゲには著者もお手上げで
「武力や暴力を行使し、他人の生命を安易に奪ってきただけに、彼が生命全般、
とりわけ自分自身の生命も尊重しているかどうかも疑わしい」と分析しています。
国防軍の証人ではフォン・クライストが自らを「フランスで誰よりも活躍した司令官」と語ります。
これをグデーリアンが聞いたらなんと言うでしょうか?
ヒトラーの対しては、「怒鳴られたら、倍の声で怒鳴り返したし、
最高指揮権の返上を求めたことで罷免された」いきさつを述べています。
しかし、「やましい事はなにもない」と自信満々の彼も、
1954年に引き渡されたソ連の収容所で最後を迎えていたというのは、
かわいそうな気がしますね。
ケッセルリンクのロンメル評もとても参考になりました。
曰く「彼は優れた軍団司令官だったが、気まぐれ過ぎて、熱中したかと思うと
次の瞬間にはやる気を失い、エル・アラメインでは神経衰弱で、もはや
かつてのロンメルではなく、それ以降、任務に耐えられなくなった」。
その他、この上巻ではフリッツ・ザウケル、ヒャルマー・シャハト、ユリウス・シュトライヒャー、
アルベルト・シュペーア、フォン・シーラッハ、カール・デーニッツ、フォン・ノイラート
といった被告のインタビュー。
証人としては、ヒトラーの通訳だったパウル・シュミットと
ゼップ・ディートリッヒが登場します。