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誰がムッソリーニを処刑したか -イタリア・パルティザン秘史- [イタリア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

木村 裕主 著の「誰がムッソリーニを処刑したか」を読破しました。

前作「ムッソリーニを逮捕せよ」は、なかなか勉強になった一冊でしたが、
本書はその続編、スコルツェニーに救出されたムッソリーニが復権を目指すものの、
最終的には、パルチザンによって処刑・・そして、ヴィトゲンシュタインが30年前に
初めて見た「ムッソリーニの写真」・・有名な逆さ吊りにされた姿となるまでが描かれています。

誰がムッソリーニを処刑したか.JPG

イタリア本土は既に南部から連合軍が上陸し、ドイツ軍はいまだ支配下にある北イタリアで
ムッソリーニを首班とした「イタリア社会共和国(サロ政権)」を樹立します。
首都ミラノにはカール・ヴォルフSS大将の親衛隊本部を置き、
ローマにはケッセルリンク元帥率いるイタリア占領軍が本陣を置いて、
イタリア全土のドイツ軍20個師団を指揮します。

Albert Kesselring in uniforme bianca.jpg

そんなローマ市内中心部で1944年3月23日の午後、
突如、市内全域で聞こえるほどの大爆発が起き、このスペイン広場に近い
ラセッラ街を行軍中のドイツ親衛隊156人が吹き飛ばされてしまいます。
このパルチザンによる12㎏と6㎏の2つの爆弾テロによって、現場は血の海となり、
散乱した肉片、ちぎれた軍服など酸鼻の極み・・即死したSS隊員は32名だそうです。

Via Rasella bomba.jpeg

激怒したヒトラーは「24時間以内にドイツ兵1人に対し、イタリア人50名を処刑せよ!」。
更には「ラセッラ街まで全域爆破」という命令まで出され、最終的な死者33名の50倍、
1650名もの処刑対象者をどのように集めるかに困窮したケッセルリンクは
ロシア戦線での「1対10」の割合を適用することでなんとかヒトラーの了解を得ます。

この命令を遂行するためローマのゲシュタポ長官、37歳のヘルベルト・カプラーSS中佐が登場し、
大急ぎで「処刑者リスト」が作成されますが、ゲシュタポが監禁している反ナチ・ファシストや
刑務所の政治犯や死刑囚だけでは330名に遥かに届かず、
不足分にはユダヤ人があてがわれます。

Kappler dopo la cattura.jpg

食肉運搬車に詰め込まれたイタリア人をローマ南郊の「アルデアティーネの洞窟」へと運び、
次々に銃殺し、証拠隠滅のため、入り口を爆破・・。
戦後のカプラーの裁判の様子まで書かれていて、少年をも含めた死を待つイタリア人の様子や
逆にカプラーから叱咤激励を受け、コニャックをラッパ呑みしながらこの命令を実行した
若いSS隊員たちの証言などは印象的でした。

なお、本書ではカプラーが処刑現場で指揮を取っていますが、
実際にはエーリヒ・プリーブケというSS大尉が実行したようです。

Erich Priebke.jpg

この「アルデアティーネの虐殺」というのは、なんとなく聞いたことがあったものの、
その発端となったパルチザンによる爆弾テロはまったく知りませんでした。

ローマのこの町の住人たち、すべてがパルチザンであったろうハズもなく、
静かに戦争をやり過ごしたかった人たちや、335人の犠牲者からしてみれば
「なんちゅうことをしでかしおって!」と思っていたのかもしれませんね。。
実際、戦後、この爆弾テロ実行犯は遺族から訴えられたそうです。

Fosse Ardeatine_44.JPG

本書のようなパルチザン活動は、最近でも中東のある国でアメリカ軍に対して行われ
連日、日本のTVニュースでも報じられる、「爆弾テロ行為」となんら変わりがありません。

占領軍や占領政府からしてみれば、このようなテロは容認出来るものではありませんが
では、どうすれば円満な「占領」や「統治」が可能か・・という問題は
アメリカをみても未だに解決不能な難しい問題だと思います。

ムッソリーニ政権を転覆させた娘婿チアーノのその後も出てきました。
妻エッダとともにスペインへ逃亡するところをドイツ軍に捕えられ、
その後、ドイツではなく「サロ政権」によって死刑判決を受けます。
これは裏切り者チアーノの処遇をムッソリーニに押し付けたヒトラーの意思であるとして、
その裁判と続く銃殺のシーンも非常に詳細です。

striscia_ciano_1944.jpeg

また、チアーノから彼の「日記」の場所を探り出すため、ヒトラーの命により
美貌のSS隊員「ビーツ夫人」が囚われのチアーノの世話を焼く場面がありますが、
女好きとして知られるチアーノもこれを賢明にも適当にはぐらかし、
逆に「ビーツ夫人」はチアーノの人柄に負けて、遂には任務放棄・・。
しかし、この話はちょっと出来すぎの感じがしますね。

Frau Beetz.jpg

連合軍がローマを開放し、日本人3人がパルチザンに殺されるという話が続き、
「マルツァボット虐殺」という初めて聞く話が出てきました。。
1944年8月、ドイツ軍の防衛戦「ゴシック・ライン」の背後を襲うパルチザンに
業を煮やしたヴァルター・レーデルSS少佐の指揮するSS部隊が
マルツァボット村での1800人を頂点に複数の村落を次々と焼き払い、
計3000人の村人を殺害した・・というものです。

LA STRAGE DI MARZABOTTO.jpg

このSS部隊が気になって調べてみると
「第16SS装甲擲弾兵師団 ライヒスフューラー・SS」のようです。
また、このヴァルター・レーデルSS少佐は写真の通り、元「トーテンコップ」ですね。。。
「パルチザンが潜伏、利用すると思われる村々」というのがこの虐殺の理由と書かれていますが、
いくらなんでも、もうちょっとマシな理由がありそうなものです。

Walter Reder 3.SS-Panzer-Division Totenkopf and the 16.SS-Panzergrenadier-Division Reichsführer-SS.jpg

後半はタイトルどおり、誰がムッソリーニを処刑したかを大きな組織となっていった
パルチザン組織と、この傀儡政権におけるムッソリーニの生活、
そして愛人クラレッタ・ペタッチとの逃避行の様子を描きます。

clara_petacci.JPG

追い詰められたムッソリーニは戦いつつも名誉ある降伏を模索しますが、
ヴォルフSS大将は”カール・ハインツ”(ムッソリーニの暗号名)には内緒で
連合軍側と降伏交渉を行います。

Karl Wolff.JPG

スイスへの逃亡も護衛に付くSS隊員と偶然に合流した撤退するドイツ軍一行。
ムッソリーニは泥酔したドイツ兵に変装させられますが、パルチザンに見破られ、
山の一軒家に監禁されてしまいます。
そして4月28日、処刑人として登場して来たパルチザンによって、クラレッタと共に銃殺・・。
その他の側近たちも同様の運命を辿り、ミラノのロレート広場で晒しものにされ、
群集が数千から数万へと膨れ上がると、良く見えるようにと、
ガソリン・スタンドの屋根から吊るされることに・・。

Mussolini et sa maîtresse Clara Petacci.jpg

このムッソリーニ処刑の下手人は様々な説があり、本書でもいろいろと紹介しています。
また、クラレッタまで処刑したことには「やりすぎ」との声も多く、
気の毒に思った市民のなかには、ムッソリーニの頭をクラレッタの胸に乗せてあげたり・・と、
自分が見た吊るされる前の写真でも、2人が腕を組んでいるショットもありました。
新聞を読んだ英首相チャーチルも「ショックだ!」と憤慨していたそうです。

パルチザンやレジスタンスと呼ばれ、英雄視される彼らも
対する占領軍からしてみれば、軍服も着ずに一般市民のフリをして
背後から襲ってくるという、まったく卑怯な連中であり、
まして、昨日までの友であったイタリア人がそのような行動に出てきた場合
報復が報復を呼ぶ展開になることは想像できます。

結局、パルチザンやレジスタンス活動は、それによる「報復」というのも
充分に考慮に入れて置くべきもので、それゆえ第二次大戦中でも政府レベルな作戦は
ハイドリヒの暗殺以外あまり知られていません。

The_place_where_Reinhard_Heydrich_was_killed.jpg

このドイツ目線から見たブログとしては、本書の真逆な視点も楽しめ、
その結果、三国同盟の数十年経った日本人という微妙な客観的立場からして、
今まで以上に、このパルチザン・・或いはテロ行為、
それに伴う報復処置というものを改めて考えさせられました。



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シュトラハヴィッツ機甲戦闘団 -“泥まみれの虎”の戦場写真集- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マイケル・H. プルット著の「シュトラハヴィッツ機甲戦闘団」を読破しました。

以前に紹介した「ティーガー戦車隊 -第502重戦車大隊オットー・カリウス回顧録-」で
中心とも言うべき戦役であった1944年春の「ナルヴァの戦い」の
新たに発見されたドイツ軍宣伝部隊によって撮られた、140枚を掲載した写真集です。

シュトラハヴィッツ機甲戦闘団.JPG

序文を書くのはオットー・カリウスで、この序文も2008年という新しいものです。
ただし、このようなカリウス・ファンをドキドキさせる出だしですが、
この白い夏の軍服に柏葉騎士十字章という有名なポートレート以外には一切出てきません。

個人的にはカリウスよりもシュトラハヴィッツ大佐に興味があったので、
彼の未見の写真がバンバン出てきたり、
就寝前の如何にも伯爵然としたシルクのパジャマ姿があったりして・・
という淡い期待がありましたが、こちらも残念ながらそれほどではありませんでした。

Graf Strachwitz GD.jpg

まずは1944年1月に包囲されていたレニングラードをソ連軍が突破を果たし、
その後、エストニアの古都、ナルヴァでの戦いとなっていく過程が簡単に解説されます。
そして、この1次~3次まで続く、いわゆる「シュトラハヴィッツ作戦」に参加した部隊、
「装甲擲弾兵師団"フェルトヘルンハレ"」、「総統警護大隊」、「第502重戦車大隊」が紹介されます。

本書はフェルトヘルンハレⅢ号突撃砲やⅣ号戦車、第502重戦車大隊のティーガーや
撃破されたソ連のSU-76自走砲なども随所に登場します。
「オットーの橋」と言われる、「ティーガー戦車隊」で書かれていた、
カリウス中隊が対戦車壕を超えるための丸太・・を
工兵の装甲トラックに大量に詰め込んでいる写真は、特に印象的でした。

Otto Carius _ Himmler.JPG

まぁ、しかしタイトル「シュトラハヴィッツ機甲戦闘団」のように、かなりマニアックな
写真集であることには変わりなく、一般向けというより、
やはりよほどの戦車マニアや軍装フェチのかた、またはモデラー向けの内容でしょうか。

第502重戦車大隊はカリウスの回想録でそれなりに知っていましたが、
残る2つの部隊、「装甲擲弾兵師団"フェルトヘルンハレ"」と「総統警護大隊」は
簡単に紹介されていますが、相変わらず、よくわからない部隊です・・。

「フェルトヘルンハレ」は、もともとエリート隊員で編成されたSA(突撃隊)連隊であり、
戦局の悪化後に、国防軍に編入されて第60自動車化歩兵師団「フェルトヘルンハレ」、
後に装甲擲弾兵師団「フェルトヘルンハレ」、
最終的には2個師団のフェルトヘルンハレ軍団となった・・
という話を聞いたことがありますが、あまり自信がありません。

SA-Mann of SA-Standarte Feldherrnhalle.jpg

総統警護大隊(Führer begleit battalion)は、総統護衛大隊とも訳されますが、
1930年代後半は、ロンメル大佐が指揮した部隊のようです。
歩兵連隊「 グロースドイッチュランド」と空軍の連隊「ゲネラルゲーリング」からの分遣隊により
編成後に、旅団から師団と拡大し、「バルジの戦い」などで、あのレーマーが率いることになります。

本書の説明でも「ヴォルフツシャンツェ」から派遣され、5月には帰還したと書かれており、
いわゆる映画「ワルキューレ」で爆弾を炸裂させ、車で逃走を図るシュタウフェンベルク
「通せません!」と言って、足止めを喰らわす軍曹?は「ナルヴァ帰り」なのかも知れませんね。

また1943年には総統擲弾兵大隊(Führer Grenadier Battalion)という別の部隊も編成され
こちらも「グロースドイッチュランド」から補充を受け、旅団から師団となったようです。
イメージ的には「グロースドイッチュランド」の分遣隊のようですね。

Führer-Begleit-Division.jpg

この2つの部隊は大隊と旅団規模のときは"FBB"と"FGB"と略して書かれ、
師団となると"FBD"、"FGD"と書かれているみたいですが、いずれにせよ、
和訳も含め、実にややこしくて大変です。。。

さらにはラッテンフーバーを中心とした警護部隊RSD(Reichssicherheitsdienst) や
SSのFührerbegleitkommandoもあるので、調べれば、調べるほど混乱してきます。
まぁ、こちらは前身と前線勤務は「ライプシュタンダルテ」のようですが・・。
こういうのが整理された本があると、とても助かるんですがね。。

ふと思いましたが、国防軍防諜部の直轄のような特殊部隊で知られる「ブランデンブルク」も
カナリス提督の失脚に伴うSDへの吸収によって、
スコルツェニー率いるSS特殊部隊に移管されていったなどという話もあり、
スパイの要素や特殊任務、ドイツらしからぬ洒落た「部隊マーク」もセンスがあり、
ヒトラー暗殺未遂にまつわる解体と再編成というドラマティックさからも
「ブランデンブルク装甲擲弾兵師団史」なんか発売されても良いんじゃないかと思うんですけどねぇ。

Division Brandenburg 1943-1944 Fallschirm-Jäger-Bataillon „Brandenburg“.JPG

それが無理でも武装SS師団史があるように、国防軍のこのような「番号」以外の師団を集めた
(終戦間際のやっつけ的な師団のクルマルクとかミュンヘベルクは別にしても)
「ヒトラーの秘密部隊」とかいうタイトルの本が一冊あっても面白いんじゃないでしょうか?

なにか話の方向がズレていってしまいました・・。
ちなみに本書の帯には「泥まみれの虎の続編?!」とデカデカと書かれていますが、
「泥まみれの虎―宮崎駿の妄想ノート 」はいまだ未読につき、その真相は不明です。



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国防軍とヒトラー〈Ⅱ〉 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

J.ウィーラー=ベネット著の「国防軍とヒトラー〈Ⅱ〉」を読破しました。

下巻である、この〈Ⅱ〉は、第2次大戦へと突き進もうとするヒトラーと
それを危惧し、彼をクーデターにより排除しようとする国防軍の様子から始まります。

国防軍とヒトラーⅡ.JPG

参謀総長ルートヴィッヒ・ベックを中心としたヒトラー抵抗派・・、
ハンマーシュタイン、ヴィッツレーベン、シュテルプナーゲル、ヘプナー、アダムといった将軍連。
ベックは陸軍最高司令官となったフォン・ブラウヒッチュにも、協力を求めますが、
彼は「軍人は服従することが義務」であるとして、ベックと共に辞任することを拒否。

Ludwig Beck.jpg

ブラウヒッチュは1938年に再婚した奥さんが熱烈なナチ党の支持者であり、
この「200%凶暴な妻の影響力」下にあったことが、
ヒトラーに抵抗できなかった要因のひとつだとしています。
そしてベックの息のかかった後任、フランツ・ハルダー新参謀総長も
チェコでの危機が回避されると、陰謀からはとりあえず手を引いてしまいます。

Franz_Halder_und_Walther_v__Brauchitsch.jpg

ここでは国防軍最高司令部(OKW)の「3羽ガラス」が紹介されていて、
「第3級の人物であることが明らかなハノーバー人、カイテル元帥は
ゼークトのもとであったなら、彼が少佐以上昇進できたかは疑問である・・」。

バイエルン人のヨードルは「彼が士官候補生のころからのナポレオン崇拝者であり、
ヒトラーに同様のものを感じ取ったことで、偉大な作戦指導者としての自分を意識した」
としています。

Alfred Josef Ferdinand Jodl.jpg

ラインラント人らしい軽妙で垢抜けした物腰のヴァーリモント
その社交技術の巧みさから陸軍(OKH)の翼を切る、OKW構想を練り、
ヒトラーに提出したということで、
総じて彼ら「3羽ガラス」がプロイセン軍部の伝統・・プロイセン人でない限りは
真に対等な立場を受け入れようとしない将校団に対する、劣等感と敵意が
「ドイツの軍事力に対するプロイセン人の支配が破壊されるのを見たい・・」という
欲望からも総統に気に入られるように努めた・・としています。

ポーランドをあっという間に占領し(ちなみに本書では作戦的な話はほとんど出てきません)、
海軍のレーダーローゼンベルクにより、ノルウェーとデンマークを占領するという
計画が出されると、陸軍はまたしても「カタストロフィだ!」として反対します。
しかし、その結果は再び総統の「直観」が専門家の職業的慎重さに勝利します。

ここに至ってヒトラー信奉者は一層熱狂的となり、懐疑的だった者は動揺し、
少数の反対派は、絶望して、表舞台から退いてしまいます。

Hitler_Wehrmacht.jpg

挙句の果てには続く西方作戦が電撃的な大勝利を収めたことで
ブラウヒュッチュ、カイテル、ルントシュテット、ライヒェナウ、
ボック、レープ、リスト、クルーゲ、ヴィッツレーベンが元帥の大盤振る舞いを受けて、
骨抜きにされてしまった感もありますね。

この〈Ⅱ〉は前半から、後の1944年、ヒトラー暗殺未遂事件と繋がっていく、
様々な人間と勢力が代わる代わる登場してきます。
カナリス提督を筆頭にハンス・オスター大佐の国防軍防諜部(アプヴェーア)。
ゲルデラーやドホナーニといった政治家たち・・。
そしてトレスコウやシュラーブレンドルフなどの参謀将校団。

Schlabrendorff  Tresckow.gif

特に面白かったのがこれら抵抗派が政権を握った際のヒトラーに代わる候補者問題です。
帝政復古を目指す一派はヴィルヘルム2世の孫、ルイ・フェルディナントを
候補者とすることで、ほぼ意見の一致をみていたそうです。

この帝政復古へのドイツ人将校の想いは次のエピソードにも現れています。
オランダへ亡命していたかつての大元帥ヴィルヘルム2世が
小さな城の周りを散歩する姿をひと目でも見ようと何百人という国防軍将校が
現れたことから、SSの警備兵を配置して、彼らを遠ざけるものの、
その場の雰囲気に打ち負かされてしまったそのSS将校は、
靴の踵をカチリと鳴らして、プロイセンの近衛将校よろしく、大元帥に頭を下げた・・。

1931,_Doorn,_Kaiser_Wilhelm_II__mit_Gattin_und_Tochter.jpg

東部戦線・・。冬将軍の前になすすべなく敗れ、ヒトラーに罷免された師団長や
軍団長の数は35名にも上り、この普通の犯罪者並みの司令官の扱われ方に
将校団の名誉と誇りが再び燃え上がります。
しかし、やる気マンマンの重鎮たち・・既に退役したベックやハンマーシュタイン、
西方司令官だったヴィッツレーベンも入院している間に
その椅子をルントシュテットに取って変わられ、
気が付けば指揮すべき兵士のいない、単なる個人となっているのでした。

Berlin,_Olympiade,_Hitler,_v__Witzleben,_Dietrich.jpg

そこでキュヒラー、クルーゲマンシュタインら、東部戦線の現役司令官たちが
共謀の打診を受けることになります。

ここからは割合良く知られた有名な話が最後まで続きます。
大の付く「優柔不断」元帥クルーゲとロンメルのヒトラー暗殺未遂事件への関与、
白バラのショルの運動と処刑から、SSヒムラーの傍観姿勢も推測、
フランス軍政官シュテルプナーゲルによる、SSとSDの逮捕/監禁事件も詳細です。

General Karl Heinrich von Stülpnagel.jpeg

特に西方の海軍司令官である前アドミラル・シェアの艦長、テオドール・クランケ提督が
この反乱鎮圧を目指し、自ら海軍部隊を率いて片をつけると脅迫したというくだりは、
一歩間違えば、陸軍vsSSから、陸軍vs海軍(SS)となっていたかも知れません。。
そしてもちろんシュタウフェンベルク大佐の爆弾が破裂して、ベルリンが大混乱となる様子も。

Admiral Kranke, General der Infanterie Walter Buhle, Hauptmann Lang, Generalfeldmarschall Erwin Rommel.jpeg

実際読み終えて、「ドイツ軍部の政治的動向について」が主題の本書がこれほど
ヒトラー暗殺計画を中心としたものであったことに驚きました。
付録ではこの1944年7月20日事件の犠牲者の詳しい名簿が載っているほどです。

確かにヒトラー政権の誕生を自ら望んで援助し、その後の暴挙を見逃し、
挙句、クーデターの失敗によって、最良の人間を絞首台に送り込むという形で
天罰を受けた国防軍・・というのが原著のタイトルに込められた意味でもあります。
しかし本書における「戦犯」の2人、〈Ⅰ〉のシュライヒャーと〈Ⅱ〉のクルーゲの断罪ぶりは、
訳者あとがきでも「極論過ぎる・・」と2人を擁護しています。

Plotzensee_nooses.jpg

翻訳版の経緯は面白く、もともと1961年に、このタイトルと分冊で発刊されたものの
1984年には原著のスタイル、「権力のネメシス」という分厚い合本版として再出版、
そして2002年に再び、元の翻訳版の姿に戻った・・ということです。
個人的には〈Ⅰ〉と〈Ⅱ〉の内容と展開の大きな違いからも、この分冊スタイルが良いと思います。





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国防軍とヒトラー〈Ⅰ〉 [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

J.ウィーラー=ベネット著の「国防軍とヒトラー〈Ⅰ〉」を読破しました。

著者はドイツ現代史専攻の英国の歴史家であり、戦前からドイツを訪れ、
ニュルンベルク裁判でも英国代表団の随員であったという人物です。
1年半ほど前に2巻セットで¥2800で購入しましたが、有名な本ながら主題が
「ドイツ軍部の政治的動向について」なので、難しそうだなぁと読む機会を伺ってました。

国防軍とヒトラーⅠ.JPG

第一次大戦後のドイツ国内情勢から始まる本書は
1920年代、世間から皮肉な沈黙の王として「スフィンクス」と呼ばれた
10万人国防軍司令官、ハンス・フォン・ゼークトの経歴や
彼が築こうとする国防軍の考え方、政治姿勢などが紹介されます。

特に「軍は国家に奉仕する。それは党派を超越する。」という新しい国防軍の
政治的原則は、市民としての投票権も兵役期間中は停止するほど徹底的です。

General von Seeckt.jpg

1921年、レーニンからの要請によりソ連赤軍再編成の援助を依頼されると
既に国防省内に設置していた秘密組織「R機関」を動かして
赤軍参謀本部との協力を図ります。
この機関の推進者はクルト・フォン・シュライヒャーや
フォン・ハンマーシュタインといった後の大物連中です。
やがてこの両国の参謀本部は密接に交流し、互いに使節団を送り合い
そのなかには、あのソ連が誇るトハチェフスキー元帥も含まれます。

General von Hammerstein.jpg

また、興味深かったのはヴェルサイユ条約により削減、あるいは規定されてしまった
人員以外にも、軍需という面から取り壊され、破壊された軍需工場と大量の機械。
しかし、ゼークトの方針により、巨大なクルップ社は、匿名の有限会社を
海外に設置することで、キールのゲルマニア造船所の中核スタッフがオランダ/ロッテルダムの
造船所を支配したり、トルコ、フィンランド、スペインなどでも同様に行われたことで、
「熟練した」工員たちも確保され続けたというところです。

PaulHindenburg.jpg

1925年、老元帥ヒンデンブルクが大統領に就任し、ゼークトが失脚すると
国防次官シュライヒャー少将が台頭してきます。
彼は実は本書の主役級の中心人物で、
「ワイマールにおける悪の天才であり、政治に介入する将軍の最も悪い体質を体現し、
自惚れが強く、無節操で不誠実、錯乱状態なほど陰謀に取りつかれており、
その野望は、責任よりは権力を、地位よりは力を求めることにあった」
と紹介されるほどです。ほとんどゲッベルス並みの人物評価ですね。

Kurt von Schleicher.jpg

大統領の息子やフランツ・フォン・パーペンなどを旧知の友人として持ち、
国防省の、そして後に国防大臣となる彼の情報網をフルに活用し、
この1920年代後半から1933年にかけて、混沌とするワイマールの政治情勢に
ゼークトの教えに背き、介入して行きます。
ブリューニング首相の解任に動き、左派や右派のナチ党らにも積極的に接触し、
策略を巡らせては党の分裂を狙ったりと、陰謀の網を広げます。
パーペンの首相就任に尽力したかと思えば、今度は裏切り、
しまいには、自らが望まない首相の座に就いてしまうこととなって、
逆に今までの陰謀の相手から総攻撃を受けてしまいます。

このようなことから国防軍の最高司令官となっていたハンマーシュタインも
ナチ党を一切信用していないにも関わらず、国防軍に対する脅威「突撃隊=SA」問題や、
一方の国防軍を味方につけたいヒトラーの思惑という、相思相愛の結果、
最終的にヒトラー首相が誕生することに・・。

Hitler and Von Hindenburg.jpeg

そして1934年には「長いナイフの夜」によって、エルンスト・レームを含む多数のSAの他に、
シュライヒャーも軍人として唯一、殺害されてしまいます。
その後、オーストリア首相のドルフスが暗殺され、ヒンデンブルク大統領も死亡。

それまでは軍拡政策など国防軍に都合の良いナチ党に「試験的に政権を取らせてみて」、
希望にそぐわなくなれば、力で退けられると踏んでいた国防軍も
気が付けば「総統」に対して忠誠を誓わされているといった状態に。。。

また、ゼークトのあるいはビスマルクの教えによる国防軍の対外政策とは
「ロシアと中国に対しては友好的な態度を、日本に対しては疑惑、イタリアには軽蔑、
英国とフランスには油断のない中立、ポーランドに対しては尽きることのない憎悪」を
基本とするもので、ポーランド以外はナチの政策と真っ向から対立しています。

Hitler, von Papen y von Blomberg - 1933.jpg

本書は注訳も侮れません。例えば・・
1934年に著者がライヒェナウにした質問、「次の戦争でのイタリアの役割は?」。
「イタリアが開戦時にどちらについているかは問題ではありません。なぜなら、
その戦争が終わる頃には”ヨーロッパの淫売婦”の役割を演じているでしょうから・・」。

Hitler und Reichenau.jpg

ヒトラー寄りの国防大臣、ブロムベルクの再婚に伴う、一大スキャンダルのくだりは
マジメな本書のなかでも特別変わった書きっぷりもあって、思わず笑ってしまいました。
ベルリンの警視総監ヘルドルフは、この国防大臣の新妻の過去の秘密を発見してしまいますが、
第一次大戦の騎兵将校であり、名誉心もいくらか残っていた彼は、
陸軍に対する攻撃を画策中の上司ヒムラーに書類を渡すことをせず、
良かれと思って選んだのはブロムベルクの娘婿である国防軍のとある局長・・その名も
ヴィルヘルム・カイテルという最も頼りない相手に渡し、破棄するよう示唆します。。

Heinrich Himmler, italienischer Polizeioffizier, Wolf-Heinrich Graf von Helldorf, Kurt Daluege.jpeg

案の定、このような重大な証拠を隠滅することなど、彼の道義的勇気では出来ないことから、
これをさっさとゲーリングに渡し、ゲーリングもまた、そうするのが義務と思ってヒトラーに・・。
こうしてヒトラーはヒステリーの発作に襲われた・・。

率直に言うと、この〈Ⅰ〉は「ドイツ参謀本部興亡史」の下巻を7倍程度濃くしたような内容です。
またハンマーシュタインがこれだけ登場するものは初めて読みました。
以前から気になっていた「がんこなハマーシュタイン」を買う気になってきました。
まぁ、しかし当然その前に「国防軍とヒトラー〈Ⅱ〉」へと続きます。





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ウィンザー公掠奪 [戦争映画の本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハリー・パタースン著の「ウィンザー公掠奪」を読破しました。

リッベントロップ伝「ヒトラーの外交官」を読んだときに知った本書は、
個人的戦争小説No.1「鷲は舞い降りた」のジャック・ヒギンズが
別名で書き下ろした小説で、主役はSD少将、"ワルター"・シェレンベルクです。
ようやく綺麗なものを見つけましたので、早速、読破しました。

ウィンザー公掠奪.JPG

本書のストーリーは1940年のフランス侵攻後の対英作戦・・・、
「バトル・オブ・ブリテン」から英国本土上陸の「あしか作戦」を控え、
英国占領後のナチ傀儡政権の君主とすべく、
英国民にも人気のあるウィンザー公を誘拐しようとするもので、
シェレンベルクの回想録も参考にしつつ、実話に基づいたという小説です。

まずは良く知らなかった、タイトルでもある「ウィンザー公」が如何なる人物かというと・・。
1936年1月、英国王ジョージ5世の後を継ぎ、
エドワード8世として王位を継承したのちのウィンザー公は、かねてからの恋人、
ウォリス・シンプソンとの結婚を検討しますが、彼女が人妻であることから、
離婚の禁じられているイングランド国教会首長兼務という立場もあって、政府や
一般市民の反発もあり、結局は即位から1年もしないうちに王位を返上することになります。

The Duke and the Duchess are greeted by Adolf Hitler on their visit to Germany in 1937..jpg

この「王冠を賭けた恋」と知られる出来事のあと、めでたくウォリスと結婚を果たし、
ウィンザー公の称号を与えられて、海外を歴訪しますが、
1937年にはベルヒテスガーデンに滞在するほど、親ドイツとなり、
英国政府からも煙たがれる存在となっていきます。

1940年のドイツによるフランス侵攻後はスペイン、ポルトガルと滞在し、
この波乱の時代に元国王としての己の存在をアピールしたいウィンザー公に
英国政府はバハマ総督という島流し的な扱いを打診。
それを知ったヒトラーはウィンザー公に接触を図ろうと画策・・。

このような状況下で本書は始まります。
外務大臣リッベントロップから特別な要請を受けたシェレンベルクですが、
直属の上司、SSのハイドリヒとヒムラーからも当然、
このウィンザー公に対する任務についての説明を求められます。

Heydrich & Himmler.jpg

それと平行して本書のヒロインであるドイツ生まれのアメリカ人女性をスパイ容疑から庇い、
ヒムラーとハイドリヒからはその女たらしぶりを責められますが、
シェレンベルクを実の弟のように可愛がるハイドリヒは容認気味・・。

一方、シェレンベルクを仕事の出来る男と買いつつも、誰も信用しないヒムラー
補佐を名目に屈強なゲシュタポ2人をシェレンベルクに付け、
リスボンでのウィンザー公との接触についても監視と報告に当たらせます。

schellenberg179.jpg

「シャンパン商人と鶏養家」とリッベントロップとヒムラーを陰で呼ぶほど
上官の彼らを信用していないシェレンベルク。

30歳にしてSSの少将、優男で頭が良く、その上ナチの思想は興味なし、
拳銃の名手であり、格闘も見事な腕前という、
ナチス・ドイツにおけるジェームズ・ボンドという役柄を思う存分演じています。

事実に基づいたストーリーですから、歴史的に有り得ない展開はありませんが、
最後までシェレンベルクは「イイ男」っぷりを見せつけています。
ですが、前半のヒムラーとハイドリヒたちとの絡みのシーンが最も楽しめました。

Himmler talking with Ribbentrop.jpg

ヒギンズの戦争小説としては「鷲は舞い降りた」には遥かに及びませんが、
シェレンベルク・ファンなら、そこそこ楽しめるでしょう。
案の定、ロバート・ワグナー主演で映画にもなっていますが残念ながら未見です。
いろいろ調べてみましたが、全体的に出演者の年齢が高い、
渋めのロマンティック・スリラーといった雰囲気の映画ですね。

TO CATCH A KING.jpg

ハリー・パタースン名義では他にも、ベルリンからの脱出に成功した
マルティン・ボルマンが登場するという「ヴァルハラ最終指令」や
ジャック・ヒギンズ名義でもノルマンディ上陸前夜を舞台に
ロンメルも登場するという「狐たちの夜」もあるようなので、
今度、読んでみようと思っています。





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