SSブログ

抵抗のアウトサイダー -クルト・ゲルシュタイン- [SS/ゲシュタポ]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ソール・フリートレンダー著の「抵抗のアウトサイダー」を読破しました。

この70'sのロックンロールの名曲を彷彿とさせるようなタイトルの本書と
クルト・ゲルシュタインという名のSS中尉をご存知の方はどれくらいいるのでしょうか?
自分はまったく知りませんでしたが、たまたま見つけた本書の帯に書かれている
「ナチ親衛隊に潜入、ユダヤ人虐殺阻止を企てたゲルシュタインの抵抗と悲劇」
に惹かれ、この40年前の発刊のわりに綺麗な一冊が、たったの100円だったこともあって
騙され半分的な気持ちで読み始めてみました。

抵抗のアウトサイダー.JPG

原題では「善と悪の狭間で」という副題が付いている本書は、
ゲルシュタイン自身の書いた個人的な手紙やSS所属時代の「報告書」、
そして彼の知人たちの証言などから組み立てられた、
敬虔なキリスト教徒である彼が、ナチスのユダヤ人虐殺という犯罪を内部から目撃し、
それを世に知らしめるため、進んで武装SSへ入隊、やがて絶望へと変化していく
精神をも検証したゲルシュタインの伝記です。

1905年ヴェストファーレンに判事の父、7人兄弟の6番目として生まれたクルトは
幼少の頃から敬虔な家政婦の娘から神について教えられ、国民学校でも
理想的な宗教教育を受けたことから、プロテスタント青年団体でも指導者的な立場となります。

しかし1933年、ヒトラー首相が誕生し、国家青年指導者シーラッハによって
すべての青少年団はヒトラー・ユーゲントに吸収されることになると、
80万人を擁するプロテスタント青年団もクルトの抵抗空しく、他の団体と同じ運命に・・。

Baldur Benedikt von Schirach.jpg

興味深いのは、このキリスト教徒のクルトが1933年早々にナチ党へ入党していたことです。
この入党の理由は解明されていませんが、逆に、いかに当時のドイツでは
ごく普通の人々がヒトラーに好意を持ち、また、ナチ党もまだまだキリスト教を必要としていたか・・
を感じさせます。

それでも徐々に宗教活動に対する締め付けを強化するナチ党に反して、
クルトは違法で挑戦的な宗教活動を続けたことで1936年と1938年の2回に亘り、
ゲシュタポにより逮捕。ナチ党からも除名され、収容所生活も経験することになります。

Kurt Gerstein 1935.JPG

1940年、後のユダヤ人虐殺への序章とも言える、精神病患者などに対する
「安楽死計画(T4作戦)」が実行に移され、その噂もドイツ中に密かに知れ渡ります。
義妹がこの「安楽死計画」の犠牲者になったことから、ナチの犯罪の究明のため、
武装SSへの入隊を決意し、工業技術の仕事の経験や医療も学んでいたクルトは、
1941年に武装SS「保険局・衛生部」に配属され、自ら「捕虜収容所と強制収容所の
消毒装置をつくる任務」を選びます。

時同じくしてドイツ軍はソ連への侵攻、「バルバロッサ作戦」を開始し、
ヴァンゼー会議ではハイドリヒが1千万人のユダヤ人に対する「適切な処置」を宣言。
各戦線の後方ではアインザッツグルッペンによって大量のユダヤ人が無残な銃殺刑に遭い、
やがて銃殺の執行者であるSS隊員らの精神的負担を軽減することを目的とし、
殺人トラック・・・後部に閉じ込めたユダヤ人を排気ガスによって殺害する方法が発明されます。

Einsatzgruppen.jpg

さらに組織的に効率的な大量虐殺を目指してガス室を備えた絶滅収容所が開設されていきます。 
青酸と消毒の専門家として、武装SSの消毒部門の長に任命され中尉に昇進していたクルトに
100kgもの青酸をポーランドに運ぶという極秘任務が与えられ、
そこではSS中将グロボクニクが「この最高機密の任務の内容を喋った者は銃殺」と
語ったあと、「膨大な量の衣料品の消毒」と、ガス室で使われている排気ガスに代わる
「青酸などのもっと強力で早く効くガスによる改善」という任務が・・。

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ゾビボール、トレブリンカ、そしてベルツェク(ベウジェツ)という絶滅収容所を
初代所長であり、「安楽死計画」の責任者でもあったヴィルトと共に観察し、
そこで裸にされてガス室へと送られるユダヤ人と
全員死亡するまでの35分にも及ぶ、一部始終を目撃することになります。
クルトは「彼らと共に祈り、どんなにか彼らと運命を共にしたかったか」という、感想を残しています。
しかし「目撃者として生き残る」という誓いも立てるのでした。

Christian Wirth.gif

そして早速、大量の青酸「チクロンB」を各絶滅収容所に送る任務に着手しますが、
「運搬中に分解した」との専門的な理由を用いては、途中で廃棄することも数回、
収容所に対しても、劣化しているために消毒剤として使用するように指示するなどの
サボタージュも行います。

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スウェーデン公使館の書記官や教会の反ナチ抵抗運動指導者らに、
このユダヤ人大量殺害の現状を伝え、外国からの援助も求めます。
しかし、英国やその他の西側各国はすでにこの事実を掴んでいながらも
戦争が「ユダヤ人戦争」へとなっていくことを危惧し、
また、救出したユダヤ人をどこが受け入れるのか・・という問題のため、
教会も含め、誰も傍観姿勢を崩そうとはしません。

孤立無援の戦いを続けるクルトは、巨大なナチの殺人機構の歯車に巻き込まれ、
逃れることのできない、がんじがらめの状態に肉体的にも、精神的にも病んでいきます。

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ユダヤ人を助けることを目的としながらも、アウシュヴィッツなどへもチクロンBを発注するという
「犯罪を阻止するために、犯罪に加担せざるを得ない」という二重生活も
終戦間際の1945年4月にフランス軍へ出頭することで、終わりを告げます。

自らの「ユダヤ人大量虐殺の真相を知る告発者」の立場を当初は尊重したフランス軍当局も
その後は戦犯としてパリの劣悪な環境で知られる、
シェルシェ=ミディ軍刑務所の独房へクルトを収監します。
そして7月25日、独房で自殺を遂げたクルト・ゲルシュタインの姿が発見されるのでした。

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遺書は残されていないため、彼の自殺の動機と死の真相は推測するしかありません。
戦時中の行為に対して「戦犯」とされたことや、
彼の精神状態が劣悪な独房に順応できなかったのかも知れません。
ナチスによる自殺と見せかけた口封じという推測もありそうですが、
本書ではそんな説は一切ありませんでした。

5年後の非ナチ化裁判においても、故人である被告、クルト・ゲルシュタインに有罪判決が・・。
これは彼のサボタージュの行為は認めるものの、
彼個人の力では虐殺行為を阻止することが不可能であること、
また、己の調達したチクロンBの僅かな量を遺棄したところで、
人々の生命を救い得ないことは明白だ・・という理由によるものです。
簡単に言えば「彼の努力が有効ではなかったために、有罪」ということです。

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また、この判決では、クルトが虐殺行為から遠ざかるという行動をとらなかったことも
有罪の理由に挙げています。
これも早い話が、「何もしなければ良かったのだ」ということであり、
裁判官も含めた見て見ぬふりのドイツ人が罪に問われず、
抵抗しようという精神は有罪になったわけです。

なお、1965年には有罪判決は取り消され、彼の名誉は回復させられました。
そして、先ほど知った話ですが、このゲルシュタインの物語が
2002年にドイツ映画「Amen.」として公開され、
日本でもDVD「ホロコースト アドルフヒトラーの洗礼」のタイトルで発売されていました。
不明な点も多い彼の具体的な行動や考えと苦しみが
どのように解釈されて映像化されているのか・・ぜひ、観たいですねぇ。

Amen.jpg

多彩な人物たちが登場する戦記や、組織の興亡史も好きですが、
このような一個人の物語も大好きです。
これは小説のように主人公になりきって、自分もその当時の置かれた立場で物事や
善悪を考えることが出来るからですが、
今回も大いに考えさせられることのあった一冊でした。





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ヒットラーと鉄十字の鷲 -WW2ドイツ空軍戦記- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

サミュエル・W. ミッチャム著の「ヒットラーと鉄十字の鷲」を読破しました。

「ドイツ空軍、全機発進せよ!」に続いて、近頃、勉強中のルフトヴァッフェ第2弾?です。
本書は以前、朝日ソノラマから出ていた「ドイツ空軍戦記」と
「続ドイツ空軍戦記」の合本で、600ページの大作です。
1988発刊の原題「ルフトヴァッフェの男たち」というタイトルどおり、
著者の前書きでも「飛行機の背後にいた人物たちを論じる」といったものです。

ヒットラーと鉄十字の鷲.JPG

ヒトラーが首相に就任した1933年1月30日、この日をドイツ空軍誕生の日とする本書は
まず当然のように航空担当全権委員であるヘルマン・ゲーリングから紹介されます。
当時、様々な役職を兼ねるゲーリングですが、ドイツ空軍を建設するという
地味な仕事をこなす能力と性格を持っていないことから、
民間航空会社ルフトハンザの重役、エアハルト・ミルヒを航空次官として登用します。

Milch.jpg

しかし、ナチスの反ユダヤ政策のなかで、父親がユダヤ人というミルヒを庇う為に
ゲーリングは、彼が不倫の末に生まれた子であるというストーリーをでっち上げます。

一方、航空省指令局長という実質的な初代空軍参謀総長には
「信じがたいほどの洞察力と天賦の才能を持った」ヴェーファーが就任しますが、
1936年に事故死、その後任にはケッセルリンクが選ばれるものの、
進められていた四発重爆開発を原材料が掛かり過ぎるとして中止してしまいます。

Hermann Göring, Adolf Hitler, Walther Wever.jpeg

そのケッセルリンクも空軍内の争いに嫌気がさし、1年で辞任。
人事局長シュトゥンプが後を継ぎますが、これまた1年で終わります。
この1937年、ケッセルリンクの後の候補者には最初ハルダーヨードルが挙がったそうですが、
2人はミルヒとの仕事を嫌い、辞退したということです。いや~、初めて知りました。

結局は若く、ゲーリングも扱いやすいハンス・イェショネクがこの職についたことで、
参謀総長の座は落ち着きますが、技術局にウーデットが就任したことで、
ミルヒ、イェショネク、ウーデット、そして彼らの権力を分散し、
No.1の座を安定させたいゲーリングという図式が生まれます。

「最初の戦い」として丁寧に書かれている、スペイン内戦の章では
コンドル軍団を率いるシュペルレから、ガーランドメルダースといった名パイロットも登場。
「ゲルニカ」で気になっていたフォン・モローの活躍も紹介されますが、
ここからヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェンが本書の中盤までの主役となります。

Generalfeldmarschall Wolfram Freiherr von Richthofen, chief officer of Legion Condor on its return from Spain, 6 June 1939.jpg

コンドル軍団で急降下爆撃を多用した、地上部隊への近接航空支援戦術を編み出した
リヒトホーフェンはポーランド、フランス、そしてバルバロッサ作戦でも
この戦術で大成功を収め、大佐から、一気に元帥まで駆け上がっていきます。

クレタ島攻略戦では、地中海英国艦隊との空海戦が詳細で楽しめました。
リヒトホーフェンの爆撃機により、軽巡洋艦「グロスター」と「フィジー」を撃沈し、
駆逐艦も6隻沈没、戦艦と航空母艦にも打撃を与え、そのうち一隻は、
後にノルマンディ沖に現れる、あの「ウォースパイト」です。

しかし、そのリヒトホーフェンの道のりは決して順風満帆ではありません。
ワルシャワ空爆では爆撃精度の低さから、味方陣地を誤爆してしまい
(焼夷弾をジャガイモよろしく、スコップですくって、輸送機のドアからばら撒いたり・・)、
ブラスコヴィッツ上級大将から「責任を取れ!」と迫られ、
ダンケルクに追い詰めた英仏軍壊滅という大仕事がゲーリングの暴言によって
いきなり空軍にまわって来た際にも、
「航空兵力だけで出来るわけがない。すぐに命令を撤回させろ!」
慌ててイェショネクを怒鳴りつけてます。

Blaskowitz Frank.jpg

「奇跡」とも云われるスウェーデンの中立・・。デンマーク、ノルウェーと同様、
この北欧の国スウェーデンに対し、何度も侵攻を計画したヒトラーですが、
その都度、ゲーリングから激しい、真剣な反対に遭います。
「奇跡の中立」の理由を本書では、そこがゲーリングの最初の亡き妻、カリンの故郷であり
1920年のある晩に一人の怪しげなドイツ人飛行士が、ある美しいスウェーデン女性と
恋に落ちたというだけのことだったとしています。

Carin _ Hermann  1922.jpg

ウーデットが自殺に追い込まれていく過程では次世代の双発高速爆撃機、
Ju-88を急降下させるという無茶な注文により、ドイツ空軍の最も優秀なパイロットのひとり、
フォン・モローが、その急降下テスト飛行で殉職してしまいます。
同様に開発しては失敗となっていく新型機たち・・エンジン火災が頻発したHe-177は
「ドイツ空軍のライター」と仇名され、墜落事故が続発したMe-210は「殺人機」呼ばれます。

Berlin,_Beisetzung_von_Ernst_Udet.jpg

クリミア半島攻略を目指すドイツ第11軍司令官、フォン・マンシュタイン上級大将は
1942年、巨大な列車砲を含む、ありとあらゆる火砲を集め、セヴァストポリ要塞に挑みます。
そこに爆撃機11個、急降下爆撃機3個、戦闘機7個、合計21個飛行隊という
大航空部隊を率いてリヒトホーフェンが支援に当たります。
攻撃初日に723機が作戦に参加したと・・いうこの章を読むと、
またパウル・カレルを読みたくなりましたね。

Севастополь 1942.jpg

その後、スターリングラードでも包囲された第6軍を救うために、
地上からは装甲集団を率いるマンシュタインが、空中補給をリヒトホーフェンが・・
という、戦術家として尊敬し合う2人の最強タッグが復活します。
共に「こんな馬鹿な考えはやめさせろ!」イェショネクに対して進言しますが、
結果はご存知の通りです。

1943年、東部戦線でドイツの敗走が始まると、マンシュタインですら罷免されたように
ルフトヴァッフェにおいても苦難のときが訪れます。

近接航空支援戦術を提唱するリヒトホーフェンも、広がった前線の火消し役としては
とても対処し切れず、東部戦線からも引き上げてしまいます。
疎開しているウラル山脈を超えた軍需工場や石油施設への戦略爆撃を展開しなかったとして
リヒトホーフェンに責任があるような書き方にも感じますが、それはどうでしょうか?
そして終戦間際には脳腫瘍を患い、重態のなかで終戦を向かえます。

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策略を張り巡らし、ゲーリングさえ追い落とそうとしたミルヒも、1943年にお目見えした
ジェット戦闘機Me-262をヒトラーが爆撃機に転換しろという要求を無視したかどで
不興を買い、一気に権力を無くして辞任してしまいます。

ヒトラーを信奉あまり、短期決戦を信じ、優秀な教官パイロットたちも前線勤務に召喚して
将来に対する恐るべき犠牲を出してしまったイェショネクは、戦争が長期化するなかで
取り返しの付かない負債を抱えてしまったことに気づきます。
そして連合軍の無差別爆撃がドイツ本土を襲うと、皮肉屋の仮面をかぶった、
この繊細な若い参謀総長もピストル自殺を選びます。

Hans Jeschonnek.jpg

後任には同世代のギュンター・コルテンが選ばれますが、
彼は総統司令部での会議中、机の地図を指差してヒトラーに説明している際、
1.5m離れた場所でシュタウフェンベルク大佐の仕掛けた爆弾が炸裂し、
5日間、生死の境をさまよった末、1944年7月25日に死亡してしまいます。

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シュタインホフリュッツォウら大エース戦闘機パイロットたちによる
ゲーリングに対する反乱・・・、この話は以前にも紹介しましたが、
本書ではさらに、バルカン北部空軍司令官、ベルンハルト・ヴァバー大将が
闇取引と略奪で資産を得たかどで、ゲーリングの命令により銃殺刑に処せられます。
しかし、この事件でゲーリング自身が占領地で大量の美術品を押収し、
貯蔵していることを知っている空軍全体が怒りをあらわにし、士気も一気に落ちていくのでした。

Reichsmarschall Hermann Göring and Luftwaffe generals.jpg

最後には「ヒトラー 最期の12日間」で知られる、フォン・グライムがゲーリングの後任として
ヒトラーに指名され、ハンナ・ライチュとともに、ヒトラー後継者、デーニッツの元を訪れます。
シュタインホフとリュッツォウからも信頼されていた”パパ”グライムは
デーニッツが「素晴らしい軍人であり、深く感動した」と語るように、捕虜となったあと、
自殺を遂げ、ここにドイツ空軍の歴史に幕が下ります。

Robert Ritter von Greim, Generalfeldmarschall.jpg

数十人登場する重要人物は、都度、生い立ちからが紹介され、例えば
ゴードン・ゴロップがスコットランドの家系でもともとは「マックゴロップ」という名で・・、
などと面白い話も出てきます。

また、イェショネクが遺書で「葬式に呼んでくれるな」と書いた、2人のうちの1人
ゲーリングの副官が、あの陸軍総司令官ブラウヒッチュ元帥の息子、
ベルント・フォン・ブラウヒッチュ大佐だったというのも興味が沸いた話のひとつです。

ドイツ空軍興亡史としては「ドイツ空軍、全機発進せよ!」とは、また違い、
リヒトホーフェンとイェショネクが軸となっている雰囲気の一冊でなかなか楽しめました。







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重戦車大隊記録集〈2〉SS編 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴォルフガング・シュナイダー著の「重戦車大隊記録集〈2〉SS編」を読破しました。

ボリュームたっぷりのティーガー戦車写真集です。
著者のシュナイダーは、ドイツ連邦軍、機甲部隊の現役士官という人物で
その専門知識と人脈を活用して、本書の執筆と写真の収集をしているようです。
本書は〈2〉SS編であり、当然、〈1〉陸軍編も出ていますが、
なぜかこのSS編は本屋で見当たらず、amazonでもプレミア価格となっていたので、
以前になんとか定価の¥6000で購入していました。

重戦車大隊記録集〈2〉SS編.JPG

まずは1942年11月から編成が始まった武装SSの3個師団の各重戦車中隊からです。
第1SS師団"ライプシュタンダルテ"は「第13中隊」、初代中隊長はクリングSS大尉、
2代目は言わずと知れたヴィットマン、3代目はヴェンドルフと、その期間や
騎士十字章受章者もしっかり載っています。
写真も初見のものがほとんどで、「装甲兵総監」グデーリアンが訪れた際の
ティーガーの砲塔にいるのがヴィットマンだというのは初めて知りました。
また、本書は日ごとの戦闘日誌がページ下部に紹介されていて、これが結構楽しめます。

Guderian during an inspection to Leibstandarte Tiger at the Eastern Front, April 1943b.jpg

第2SS師団"ダス・ライヒ"は「第8中隊」です。
ハリコフ近郊での航空写真・・。数10メートル上空から写したティーガーの姿も素晴らしい。
SS全国指導者ヒムラーが砲塔に納まっている写真も初めてです。
また、この中隊は各車に独自のマーキングをしていることも紹介され
有名な逆さに書かれた「福」の字、「倒福」もしっかり出てきます。
ちなみに表紙の写真もその車両(S33号)で、良く見るとキチンと帯の上に写っています。

Charkow 1943.jpg

空軍将校を交えた飲み会で「渡れる」賭けをした中隊長が、氷結した小川に
ティーガーを乗り入れた結果、水没・・。この件が総統大本営にも報告され、
中隊長は罷免・・。そして懲罰人事で訓練課程に転属・・という記録が出てきます。
この中隊長は本書の時期によるとヘルツィッヒSS大尉という人物のようです。

Tiger Tiger.jpg

第3SS師団"トーテンコープフ"の重戦車中隊は「第9中隊」です。
ソ連軍のM3グラント戦車で記念撮影・・やパンツァー戦記で良く読む、
戦車の下に潜り込んで熟睡中のクルーたち、という写真も面白いですが、
この重戦車中隊は終戦まで戦っていたこともあってか、はたまたトーテンコープフらしい
別の理由があってか、戦闘日誌が非常に興味深いものとなっています。
撃破されたティーガーの戦車長がロシア兵にスコップで撲殺されたり、
SS第4警察師団とおぼしき味方対戦車砲が命中し、SS大尉が即死・・、
その他、ワルシャワ蜂起にも駆けつけています。

Kübelwagen of the Totenkopf Division.jpg

続いては1943年7月から編成された本書の主役、SS重戦車大隊です。
SS第101(後に501)重戦車大隊はフォン・ヴェスターンハーゲンSS少佐が
大隊長に任命されるものの、傷が癒えずに合流が大きく遅れます。
この大隊にも当然ライプシュタンダルテの戦車キラー、ヴィットマンが移籍してきたこともあって、
ヴィレル・ボカージュの戦い、そして彼の最後まで多数の写真とともに紹介されています。

TigerⅠ.jpg

その後の「バルジの戦い」こと、アルデンヌ攻勢でのケーニッヒスティーガーも暴れまわる
パイパー戦闘団も出てきますが、印象的だったのは
大隊長ヴェスターンハーゲンが病気による衰弱でその任を解かれ、
ピストル自殺を遂げた・・という日誌でしょう。

heinz von Westernhagen.jpg

他にも終戦間際には、国防軍兵士によるパンツァーファウストの誤射により、
戦車長とクルー3人が死亡。そしてこの国防軍兵士は逃亡しますが、
後日、射殺されたそうです。

Volkssturm, Übungsschießen mit Panzerfaust.jpg

SS第102(502)、SS第103(503)重戦車大隊も続いて紹介されますが、
さすがにこのティーガーⅠ、ティーガーⅡが数両いるだけで、その戦果もハンパじゃありません。
ノルマンディではカナダ軍の50両からなる戦車を迎え撃ち、完膚無きまでに叩きのめしたり、
ベルリン攻防戦でもJS戦車中隊と100両を超すT-34戦車の群れが
密集しているところに襲い掛かり、このソ連戦車旅団を殲滅します。
しかもケールナーSS上級曹長という戦車長だけで39両も撃破・・!
ヒトラーが自殺しようという4月28日には、この総統官邸付近の防衛司令官である
モーンケSS少将から騎士十字章を授与されたそうです。

Hongrie-Budapest-Konigtiger-1945-1.jpg

ティーガーの砲身内に敵弾が命中するという珍事も書かれていて、
この結果、装填手は「肉片と化した」そうです。。。
また、ダス・ライヒで懲罰を喰らった、先のヘルツィッヒと思われるSS少佐が
1945年からこの503重戦車大隊の大隊長に就任しています。良かったですねぇ。

SS-Sturmbannführer Friedrich Herzig.JPG

SS師団シャルルマーニュを支援しながらベルリンの中心で戦い続ける
第503重戦車大隊の残余は、5月2日に突破作戦では、凄まじい砲撃を受け、
車外の政府高官らもやはり「肉片と化す」。。
ゲッベルスの副官であったSS少尉によると、この政府高官はマルティン・ボルマンのようであった
と明かす・・など、本当に戦闘日誌がおもしろいものです。
戦車兵たちが見た、ベルリン攻防戦ですから、それも当然ですね。

最後には武装SS以外のティーガーを擁する部隊が紹介されます。
グロースドイッチュランドの「第13中隊」~「第Ⅲ大隊」では、やっぱり有名人も登場です。
戦車伯爵シュトラハヴィッツラングカイトマントイフェル師団長の初見の写真も数枚。

Langkeit & Hassom von Manteufell.jpg

とにかく写真が素晴らしい1冊で、意味の無いものはほとんどありません。
イマイチだな~と思うティーガーの写真も、その撮影者が実はヴィットマンだったりと
いちいち感動したり・・。
それでも「写真集」ではなく、「記録集」であるわけで、これら部隊ごとのティーガー保有数などの
情報も細かく記されていて、写真、情報、戦記のすべてが充実した見事な本じゃないでしょうか。

Michael Wittmann_hitler.jpg

〈1〉の陸軍編も買うことにしました。
しかし、その前にさらにボリュームたっぷりな
「第653重戦車駆逐大隊戦闘記録集」をやっつけねば・・。




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輸送船団を死守せよ [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・リーマン著の「輸送船団を死守せよ」を読破しました。

先日の「U‐ボート977」や、過去に何冊も読破した「Uボート戦記」でその相手を務める
「輸送船団」モノには以前から興味があり、今回、34冊目という2000年に発表された
海洋冒険小説のベテランによる本書を勉強がてらに読んでみました。

しかし個人的なことで恐縮ですが、本書が記念すべき?「200」記事めです。。
相変わらず、このようなタイミングでドイツ軍関係の名著とかに当たりませんね。
「100」のときはコレでしたし、「2年め突入」のときも、こんなのでした。

輸送船団を死守せよ.JPG

英海軍の駆逐艦「ハッカ号」。トライバル級という大きな駆逐艦が主役です。
「北アフリカで神と呼ばれる男、ロンメル・・」の話が出てくるように
地中海で戦い、母国で次なる任務を待つこの艦に、ヴィクトリア十字勲章拝領者
マーティノー中佐が新任の艦長として着任します。

早速、油槽船の護衛任務やUボートとの戦いも繰り広げ、「ハッカ号」でのベテラン、
副長のフェアファックス少佐や航海長のキッド大尉らからも認められます。

ちなみに駆逐艦は英語で「デストロイヤー」と言いますが、自分は幼少の頃、
この「デストロイヤー」に忘れもしない、屈辱的な攻撃されたことがあります。
場所は大西洋ではなく、「後楽園球場」のバックネット裏。カードは「巨人-中日」戦です。
昭和50年から中日ファンであるヴィトゲンシュタインの期待通り、中日が見事勝利を収め、
大ハシャギしていると、その愛用のドラゴンズの帽子を後ろから取り上げられ、
振り向くと、そこにはマスクをつけたザ・デストロイヤーが。。。
「ほ~ら、ほら、取り返してみろ~」と苛められ、「返せよー!」とぴょんぴょん・・。
まぁ、馬場さんも元巨人だし、デストロイヤーも当然、巨人ファンだったんでしょうね。

Destroyer of the Tribal class_nubian_g36.jpg

余談はさておき、本書はさまざまな階級の乗組員も各自取り上げられ、
提督の息子であるがゆえに苦悩する若いシートン士官候補生や、
特に3等水兵ウィシャートは実に可愛い純粋な少年兵で、
後半、彼が死なないことを祈りながら読み進めました。

ドイツ海軍の駆逐艦との戦いもあり、撃沈後、わずかなドイツ兵の救出に成功します。
帰港したリヴァプールで捕虜を引き渡す場面では、ドイツ人艦長が歩み寄り、
マーティノー艦長に無言の敬礼を送ります。
本書ではUボートを中心とした通商破壊作戦に命をかけるデーニッツ提督
「スカパ・フローの牡牛」ことギュンター・プリーン艦長の名が出て来る以外、
対戦相手のドイツ軍の様子や艦長の名が出てくることはありません。

Prien at lunch with Hitler.jpg

しかし駆逐艦のライバル、Uボートを爆雷で仕留めて、大喜びする水兵たちを尻目に
マーティノー艦長は、いま、海の藻屑となって消えていくUボート乗組員たちに対しても
勇敢な海の男たち・・・という気持ちを忘れません。

駆逐艦といえば、映画「眼下の敵」で、Uボート艦長クルト・ユルゲンスに
執拗な攻撃を仕掛ける駆逐艦艦長のロバート・ミッチャムがすぐに頭に浮かびますが、
確か、奥さんの乗った客船がUボートに沈められたという「復讐心」に満ちた人物だったと・・。

The Enemy Below (1957).jpg

本書では女性も多く登場し、マーティノー艦長を筆頭に、
キッド航海長などのロマンスも大きなテーマです。
特にこのマーティノー艦長の恋の相手、カナダ女性補助部隊のアナは
とても魅力的で可愛い女性に描かれています。

Women's Royal Naval Service.jpg

スカパ・フローからロシアへ向かう、37隻の大船団を護衛するクライマックスでは
ドルトムント号とリューベック号という名のありそうな、なさそうなドイツ巡洋艦との死闘・・。

海の男の戦記というよりも、原題「For Valour」、
勇気を意味するというこの言葉がヴィクトリア十字勲章にも刻印されており、
マーティノーのこの略綬に恋人アナが触れるシーンが度々登場するように、
英国のみならずカナダなどの連邦国、また、女性も充分勇気を持って戦っていた・・
というメッセージが込められているのかも知れません。

Victoria_cross.jpg

残念ながらまだドイツには行ったことがありませんが、英国には2回、リヴァプールにも
数年前に4日間滞在したこともあって、本書の舞台となる中心がこの街ですから
なにか、リヴァプール港や繁華街を思い出しながら読破しました。
実にショボイ「中華街」もあって、コレが ↓ 中華料理とビールを飲み食いした後の図です。

Liverpoolの街角でガマンできなかったヴィトゲンシュタイン.JPG

同じ船団ものの小説では「女王陛下のユリシーズ号」と
英国側からドイツ海軍との戦いを描いた戦記「海戦 -連合軍対ヒトラー-」も買いましたので
そのうち読破する予定です。
なぜかいつも買いそびれる「バレンツ海海戦」も読みたくなりましたね。。





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U‐ボート977 [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

H・シェッファー著の「U‐ボート977」を再度読破しました。

先日、晩酌しながらTVをつけたところ「U-900」という映画が放送中・・。
「なんだ、こりゃ?」と思って観ていると、ドイツのコメディ映画でした。
しかし、Uボート内での描写はなかなか真に迫っていて
名作「Uボート」のパロディのようでもあり、特に機関長のじいさんは
とても味のある演技で、ちょっと感動するシーンもありました。
悪役である陸軍の将軍がこのU-900でアルゼンチンへ逃亡を図ろうとする展開になると、
なにか以前にそんな話の本を読んだな~、と本棚を物色すると、「おっと、これだ」。

U‐ボート977.JPG

著者は本書のタイトル「U‐977」の艦長であったハインツ・シェッファーその人で、
1950年に書かれたこのまえがきでは、本書を執筆するに至った理由のひとつとして、
Uボート乗組員の体験談は戦時中のプリーンのを除けば
一冊も出版されていないことを挙げています。
これは「スカパ・フローへの道―ギュンター・プリーン回想録」のことを指していますが、
さすがにゴーストライターによる、プロパガンダ本として知られるこの本は読んだことがありません。

シェッファーの少年時代からの回想は青春ドラマのような雰囲気でとても楽しめます。
アメリカのハイスクールで学び、帰国後は海軍兵学校へ・・。
1920年生まれの彼は第2次大戦が勃発した、この1939年~41年にかけても
ひたすら訓練に勤しみ、さまざまな失敗や悪戯のオンパレードです。

An U-boot on surface navigation in the Atlantic, winter 1941-42..jpg

いよいよ少尉候補生としてUボート勤務が命ぜられますが、その艦長からは挨拶代わりに
「君たちは本艦においてゼロに等しい存在であり、無意味な重量物、
そして無用な空気消費者に過ぎない」と言い渡されます。

記念すべき初の帰港を果たし、デーニッツ提督が乗組員全員と握手を交わして、
労いの言葉をかける場面でも、少尉候補生は無視された挙句、
「今のところ諸君は艦では厄介者に過ぎないのだ」。
シェッファーもこれにはフテクサレた感じです。

Admiral Donitz and U-boot.jpg

それでもこの名前の不明なUボートと艦長と共に、護送船団に攻撃を仕掛けて
大きな戦果を挙げたりと、実戦での経験がモノをいい、
艦長の友人である別のUボートに先任将校として引き抜かれることになります。
Uボートにおける先任将校とは、いわゆるNo.2の副長ですが、
そうはいっても少尉になりたての弱冠22歳の若者です。

常に死と直面している彼らは、「戦功十字章」といったデスクワークなどで授章した勲章を
これ見よがしに付けている連中を軽蔑していたようで、
そのような連中は、悪戯の格好の標的とされてしまいます。

Ritterkreuz des Kriegsverdienstkreuzes in Gold ohne Schwertern.jpg

でっぷりと太った、とある市長殿がUボートをご覧になる際には、艦長も含め、
若いUボート乗りたちが完璧な準備のもと、壮大な悪戯を仕掛けます。
突然、爆雷を受けたかのように手榴弾を爆発させ、通常の倍の俯角60度で急速潜行。
バケツの水がぶちまけられ、細工済みの深度計は一気に200mを指し、
水兵たちは「もう、ダメだ」と迫真の演技で、めそめそ泣き出します。
大混乱の艦内で生きる望みを失い、みにくい姿となった市長は浮上後の緊急脱出で
自ら海へ飛び込み、一大アトラクションは見事成功。なにも知らない市長殿は、
この連合軍の攻撃を凌いだUボート乗組員を褒め称え、大満足です。

Heinz Schaeffer.jpg

1944年クリスマス、すでにUボート艦長となっていたシェッファーに
シュノーケルを装備した「U-977」が与えられます。
この時期、Uボートでの出撃は自殺行為に等しい状況が続き、
母の住むベルリンも空襲に晒された終戦間際の1945年4月末、
遂に「U-977」はキールからノルウェーへと向かいますが、その直後、
ドイツ敗戦の知らせがもたらされます。
しかし「最後のひとりに至るまで我々は決して降伏せず」をモットーとしていたデーニッツが
連合軍に降伏するような命令を出したことを信じられない「U-977」の士官たち・・。

U977.jpg

協議の末、家族を持つベテラン士官らはノルウェーからドイツへの帰国の道を選び、
艦長シェッファーは若い水兵たち30人と共に、過去にポケット戦艦グラーフ・シュペー号に対し
騎士道的な態度を示した友好国である、アルゼンチンを目指すことになります。

一路、大西洋を南下する「U-977」は連合軍に発見されることを恐れ、
シュノーケルでの潜行を66日間続けます。
実はこれが史上最長記録という本書の原題である「潜行66日間」のエピソードであり、
その不快で絶望的な生活の様子と、やがて浮上したあとの南国の気候と爽快な気分との対比・・。

U-977.jpg

無事アルゼンチンに辿り着き、想像通りの騎士道的な雰囲気で迎えられますが、
尋問ではいきなりヒトラーとエヴァ・ブラウン、そしてボルマンを乗せているという
嫌疑がかけられていることを知らされます。
それは引き渡された英米軍の執拗な尋問でもなかなか晴らされず、
数年後にはヒトラーやボルマンの逃亡の噂が世界中で賑わうことに・・。

u977schaeffer.jpg

本書のタイトルである「U-977」が登場するのは、2/3が過ぎたところからです。
しかし、バルト海での訓練の様子が語られたり、ブレストの巨大なブンカーの説明もあったり、
今回久しぶりに読みましたが、ニヤニヤしてしまうシーンも多く、
また、終戦間際の若きUボート艦長の回想録という点では、
ヴェルナーの「鉄の棺」との比較も楽しめます。

U-Boot_Bunker.JPG

ヴィトゲンシュタインのは昭和59年発刊の「朝日ソノラマ」版ですが、
最初に日本で発刊されたのは、昭和29年という大昔だそうです。
今では「学研M文庫」からも再刊されている、
誰でも楽しめる古典的名Uボート戦記といえるでしょう。







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