SSブログ

バルジの戦い (上) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャン・ポール・パリュ著の「バルジの戦い (上)」を読破しました。

パンツァーズ・イン・ノルマンディ」と同様のシリーズ?もので、
原題に「THEN AND NOW」とあるように、当時と戦後の写真を大量に用いて
この「前線なき戦い」のどこで何が起こっていたのかを解明しようともしています。

先日読破した「バルジ大作戦」が思っていたより連合軍中心のものでしたが、
こちらはほとんど真逆です。ドイツ軍:8、連合軍:2の割合ですね。

バルジの戦い上.JPG

まず、この上巻では「ラインの守り」作戦におけるドイツ3個軍、
ゼップ・ディートリッヒのSS第6戦車軍、フォン・マントイフェルの第5戦車軍、
ブランデンベルガーの第7軍の戦闘序列が詳細に解説されます。

攻撃の先鋒を務めるのはヘルマン・プリースSS大将のSS第Ⅰ戦車軍団。
ライプシュタンダルテとヒトラー・ユーゲントという精鋭2個戦車師団から成り、
当然ここには「パイパー戦闘団」が含まれています。
ここでは実際パイパー戦闘団のみならず、北部の5本の道路が
各戦闘団に割り振られていたことが良くわかりました。

Hermann Prieß.JPG

特にヒトラー・ユーゲント師団における「パイパー戦闘団」とも言える
SS第12戦車連隊を中心としたヘルベルト・キュールマンSS少佐の率いる
「キュールマン戦闘団」の存在が非常に勉強になりました。

Herbert Kuhlmann.jpg

イメージ的に先陣を切るのはヘスラー大佐・・・じゃなく
「パイパー戦闘団」だけかと思っていましたが、この2個SS戦車師団からは
同じような編成でそれぞれミューズ川への路を突破することとなっており、
結果的には「パイパー戦闘団」が爆走したものの、
「キュールマン戦闘団」はエンゼルボルン峠から突破に成功しなかったことで、
汚名を残したということです。

「パイパー戦闘団」の左翼に位置するライプシュタンダルテ第1装甲擲弾兵連隊から成る
「ハンゼン戦闘団」というのも印象的です。
このマックス・ハンゼンSS大佐という人も異様にかっこ良いですね。

Max Hansen.jpg

こうして突破作戦が始まると平行して、フォン・デア・ハイデ大佐の降下部隊による
「シュテッサー作戦」とスコルツェニーSS中佐による「グライフ作戦」も発動されます。

このスコルツェニー率いる第150戦車旅団のアメリカ兵に変装した戦闘団が
捕えられ、アメリカ軍により銃殺される一連の写真も掲載されています。

Operation Greif.jpg

ここでは物資の乏しいドイツ兵が奪ったアメリカ軍のコートを着ていただけのケースも多く
一体どこまでが特殊部隊による変装であったのかとしています。
確かにこの想像以上に降り積もっている雪のなかで戦っている兵士たちの
写真を見れば、アメリカ軍の捕虜や死体から装備を奪うのは
当然なような気もしますね。

「パイパー戦闘団」による「マルメディの虐殺」の様子についても詳細に解説しています。
公式に言われる86名もの捕虜殺害よりも、実際にはもっと少なく、
また、この虐殺が起こった経緯についても3つの説を挙げて検証し、
戦後のダッハウ裁判に至るまで追求しています。

Joachim Peiper7.jpg

この上巻ではやはり最も進出した「パイパー戦闘団」の出番が多くなっていますが、
ダス・ライヒホーエンシュタウフェンという戦車師団で構成された、
ビットリッヒSS中将のSS第Ⅱ戦車軍団や
第116戦車師団や戦車教導師団を中心とした第5戦車軍の戦いも紹介されています。

not Peiper.jpg

ほとんど写真集とも言えるような量の写真に溢れおり、
その掲載している写真に対しても非常に細かく分析しています。
例えば、この「マルメディを目指すヨッヘン・パイパー」と一般的に知られる有名な写真も
「まったくの別人である」としています。へ~・・そうでしたか・・。



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