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ヘルマン・ゲーリング戦車師団史 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

フランツ・クロヴスキー著の「ヘルマン・ゲーリング戦車師団史」を読破しました。

初めてこの師団の名前を知ったときは、一瞬、何かの冗談かと思いました。
ドイツ空軍の降下戦車師団?・・戦車と共にパラシュート降下する様を思い描いてしまったので・・。

原題は「Fallschirmpanzerkorps ”Hermann Göring”」で
「降下装甲軍団ヘルマン・ゲーリング」という感じでしょうか。
この「panzer」をどう訳すかについては、いろいろな解釈と表現があり、
「戦車」、「装甲」、「機甲」と書物によって異なっていて、当然、この独破戦線にも
そのシワ寄せが来ています。。個人的には「装甲」がベストだと思いますね。

ヘルマン・ゲーリング戦車師団史.JPG

まずは上巻で1933年にプロイセンの内務大臣、ゲーリングによって創設された
警察大隊「ヴェッケ」が、その後ゲーリングの空軍司令官就任に伴い、
「ゲネラール・ゲーリング連隊」として拡大していく様子が詳細に述べられます。

おそらくゲーリングの大のお気に入りであり続けたこの部隊は、当然のように
エリート部隊として組織され、ゲーリング個人の警護大隊の存在など、
有名なヒトラーのエリート部隊である「ライプシュタンダルテ」の
ゲーリング版といったイメージを持ちました。

Paul_Conrath.jpg

降下猟兵の母体のような存在の部隊でもあり、88mm高射砲を中心とした編成で
開戦後もフランスやロシアで活躍し、やがてコンラート少将が師団長となって
「ヘルマン・ゲーリング戦車師団」としての戦いが始まります。
しかし、チュニジアにおいてドイツ・アフリカ軍団の支援に派遣されるものの
師団としては壊滅的な損害を受け、再編成を余儀なくされます。
さらにこのHG師団の最も有名な戦いであるシチリア防衛戦でも
連合軍に寝返ったイタリア軍とも戦いながらの撤退戦を繰り広げます。

Me323 Gigant.JPG

この辺りでは珍しく、通称ギガント(巨人)こと、Me323超大型輸送機が登場しますが、
悲しいかな、スピードも武装も足りないこの輸送機は連合軍の格好の餌食となり、
第5輸送飛行隊は全滅したとのことです。

下巻ではイタリア本土での熾烈な戦いから始まり、特に気に入ったのは
モンテ・カッシーノの戦いにおける、修道院宝物庫にかかわる章です。
敬虔なキリスト教徒である、整備大隊長のユリウス・シュレーゲル中佐は
この西暦529年に創設された西洋の修道院制度の総本山である
モンテ・カッシーノのベネディクト修道院に空爆の危機が迫っているとのことから
聖ベネディクトの聖遺骨をも含む、絵画や書物などの宝物を疎開させるべく
大僧院長グレゴリウスに直談判し、120両のトラックで140km離れたローマへの
輸送を独断で実行しました。

Julius Schlegel.jpg

その後、1944年2月、連合軍爆撃機229機の猛爆により、モンテ・カッシーノ修道院は
瓦礫と化してしまったのは有名です。

Monte Cassino.jpg

そしてHG師団は昇格したヴィルヘルム・シュマルツ師団長のもと、
ソ連の大攻勢により崩壊した東部戦線へ送られ、カール・ロスマン少佐の
パンターを中心に貴重な火消し役として戦い続け、
新設された「ヘルマン・ゲーリング第2降下装甲猟兵師団」と共に
最終的には「降下装甲軍団」へと昇格します。
しかし、いくらエリート軍団といえども大幅に定数を欠き、圧倒的な戦力差の前には
なすすべなく、そのほとんどがソ連の捕虜となってしまいました。

wilhelm schmalz.JPG

師団史というものは、だいたいがマニアックなほど詳細に書かれたものというのが
一般的で、決して読みやすいものではなく、それはこの本も例外ではありません。
楽しく読書するというよりは勉強に近い感じですか。

第2次大戦ドイツ軍装ガイドで気に入った、白の襟章にドクロの徽章の戦車服ですが、
この本に掲載されている写真を見る限り、必ずしも白の襟章ではないようです。
物資不足や目立ちすぎるなどの理由もあったのかも知れませんね。





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バルバロッサ作戦 -独ソ戦史- (下) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

パウル・カレル著の「バルバロッサ作戦(下)」を再度読破しました。

この下巻では、いきなりクライマックスにもなりそうな1942年の「セヴァストポリ要塞攻防戦」から
始まります。が、この戦いをバルバロッサ作戦と位置づけるかは微妙ですね。。

バルバロッサ下.JPG

再度、セヴァストポリ要塞攻略に燃える第11軍司令官フォン・マンシュタイン
ありとあらゆる火砲を集めること、その数1300門。
88ミリ高射砲の一個中隊だけでも18万発打ちまくり、
ロケット砲(ネーベルヴェルファー)連隊も初めて投入され、
空からもフォン・リヒトホーフェンの第8航空軍団シュトゥーカ急降下爆撃機が参戦。

Karl _Feuer!.jpg

このような攻撃のなかでも口径615mmの「自走臼砲カール」と
砲身長32.5m/口径800mmの「列車砲ドーラ」が印象に残ります。

特にドーラ(別名:グスタフ)は射撃指揮と操作だけで1500名もの人員を要し、
長さ7.8m、重量5トンの榴弾、または7トンの徹甲弾を40キロ先に叩き込むという
実に壮大で、化け物と呼んでいいような代物です。

Ready to fire_Dora.jpg

ソ連軍10万名が守るセヴァストポリ要塞は強力な堡塁郡から成り
なかでも特別なのは、305mm砲の「マキシム・ゴーリキー」でしたが
連日の昼夜に及ぶ攻撃に、ついに屈服し、1ヶ月に及んだ要塞攻防戦は終了します。

Maxim Gorki.jpg

一方、南方軍集団には1942年の夏季攻勢「ブラウ作戦」が発動されますが
そのヒトラーはクリミア戦を終え、スターリングラードとカフカス戦への準備をしていた
マンシュタインの第11軍の主力5個師団を包囲中のレニングラードへ送り、
精鋭のSSライプシュタンダルテとグロースドイチュラントの2個師団も
休養のためフランスへ移動させてしまいます。

ただでさえ南方軍集団を2分割して、その戦力の低下を危惧していた
陸軍参謀総長ハルダーもこの決定にはガックリ。
もし、あの7個師団を南方軍集団で使用していたら、スターリングラードは
陥落できたのではないか?と著者と語っています。

Caucasus_elbrus.JPG

スターリングラード戦の陰に隠れた形のカフカス線戦ですが、
第1山岳師団がカフカス山脈の最高峰であり、標高5000mを越える「エルブルス山」を
本来の作戦とは関係ないままに登頂してしまった(アルピニスト魂が出てしまった?)話など
とてもしっかり書かれていて、改めてこの本を見直しました。

そして結局はカフカスで行き詰ったA軍集団のリスト元帥とハルダーをヒトラーは解任し、
さらにはカイテルとヨードルも罷免して、ケッセルリンクとパウルスを
後任にしようと考えたとか・・。まぁ、この2人もイエスマンぽいですね。。

Stalingrad_Luftwaffe.JPG

最後はスターリングラード戦。気になったのは包囲陣への補給のために
その3分の1が犠牲になったという空軍の、決死の使命感に燃えたという活躍ぶりです。
これについてはあまり書かれた本に残念ながら出合えていません。

そして新たにドン軍集団司令官となったマンシュタインの救出計画を
第4装甲軍司令官のヘルマン・ホト上級大将が実行に移しますが・・。
実はこのホト将軍、カフカス戦線や上巻の中央軍集団の中核として
グデーリアンとともに結構頻繁に登場しては、実にシブイ活躍を繰り返しています。

Hermann Hoth.jpg

いや~、月並みなツマラナイ感想ですが、面白かったです。さすがの名著。
結構新しい発見もあり、こんなことまで書かれていたのか・・と思ったりと。
また、数年後に読み返してみても良いかと思いました。
今度は「焦土作戦」も文庫本で再度、読破してみるつもりです。



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バルバロッサ作戦 -独ソ戦史- (中) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

パウル・カレル著の「バルバロッサ作戦(中)」を再度読破しました。

モスクワ目前で停止した上巻に続いて、この冬(1941年冬~42年春)の
ドイツの3個方面軍集団の激闘が記されています。

バルバロッサ中.JPG

北方軍集団はいざレニングラード攻略という直前になって、
装甲集団をモスクワ攻略のために引き抜かれ、
結局はレニングラード包囲という戦略に甘んじることになります。

南方軍集団では地雷原に突っ込み粉々となった第11軍司令官ショーベルト将軍の後任に
突然、第56装甲軍団長のフォン・マンシュタインが選ばれ、クリミア戦に挑むこととなります。
しかし、この第一次クリミア戦も第11軍の兵力不足もあって、
セヴァストポリ要塞を陥落させるまでにはいきません。

model.JPG

ヒトラーに反抗した南方軍集団司令官ルントシュテット元帥と
中央軍集団ではフォン・ボック司令官、
モスクワ前面からの撤退を進言し続けたグデーリアンが解任され
代わって主役は新たな中央軍集団司令官となったクルーゲ元帥や
第9軍司令官モーデルへと移って行きます。

Otto_Kumm.JPG

突破された第9軍の戦線の防御をそのモーデルから任された
オットー・クムSS中佐率いるSSデア・フューラー連隊の戦いも壮絶で、
最後にはわずか35名しか残っていません。

Walter Graf von Brockdorff-Ahlefeldt.JPG

山場は2ヶ月半にわたって包囲されたことで有名なデミヤンスク包囲戦ですが、
包囲された5個師団/10万人の将兵の指揮を取ったのは第2軍団司令官、
ヴァルター・グラーフ・フォン・ブロックドルフ=アーレフェルト歩兵大将で
この伯爵の名にちなんでこの包囲陣内を「伯領」と呼んだそうです。

von Seydlitz-Kurzbach.jpg

また、この包囲戦では空軍による空輸作戦が見事に成功したことで
その後のスターリングラードでも同様の作戦が承認~全滅へとなった布石としても有名です。
そしてデミヤンスクへ救援に向かった4個師団を率いたのが
スターリングラードで捕虜となったフォン・ザイトリッツ・クルツバッハだったというのも
何か運命的な気もします。



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バルバロッサ作戦 -独ソ戦史- (上) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

パウル・カレル著の「バルバロッサ作戦(上)」を再度読破しました。

自分がこの独破の世界に足を踏み入れるきっかけとなった本で
何の気なしに、文庫版で久しぶりに読み返しています。
昔読んだ際には、登場する将軍たちの名前を憶えるだけで辟易し、
○○師団、××軍団、△軍、◎◎装甲集団、□□軍集団・・・???という有様でした。
しかし、今こうしてみると非常に読み易く、かつ面白いバランスも取れた本・・という印象です。
最初にドイツ軍の組織/編成などが系統図となっているのですぐに確認できますし、
兵器や戦車(地雷犬まで!)が必要な場所に図解で出てきます。
実に素晴らしいですね。こうでなくちゃあいけません。。。

バルバロッサ上.JPG

まずはいきなりのブレスト要塞での攻防ですが、戦況図もあってドラマティックに理解できます。
要塞攻防戦というは中世の城や日本でも戦国時代に当然のように行われた戦いですが、
様々な戦術や新兵器を使って攻め落とそうとする攻撃側と、
過酷な状況に追い込まれながらも一発逆転を目論む守備隊というのは、
読んでいてどうしても血沸き肉踊ってしまいます。
このブレスト要塞攻防戦はもっと詳細な本がないですかね?

Guderian.jpg

この上巻での主役はモスクワを目指すフォン・ボック元帥の中央軍集団/第2装甲集団の
ハインツ・グデーリアン上級大将です。
とにかく突撃あるのみで、ヒトラーにも果敢に立ち向かう様が印象的ですが、
著者はグデーリアンの戦術的素質も大いに評価しています。

またスターリンの救世主はジューコフではなく、この時点ではイェレメンコ元帥です。
しかしブリャンスクの激戦で重症を負って退場してしまいます。

Andrey Yeryomenko.jpg

最後の章では、なぜバルバロッサ作戦開始当初はドイツ軍の侵攻が成功したにも関わらず
モスクワ攻略ができなかったのか?について検討しています。

面白いのは1937年、スターリンの赤軍大粛清により「赤いナポレオン」と呼ばれた
トハチェフスキー元帥をも含む、大佐以上の高級将校の実に65%が粛清されたことから
赤軍自体が立ち直っておらず、その結果が開戦当初のドイツ軍の進撃を
なすすべなく受けた要因であるとして、そのトハチェフスキー元帥の生い立ちから
SD長官ラインハルト・ハイドリヒの策謀までを検証していることです。
こんなことまで書いてあったなんて、憶えていませんでした。

Mikhail Tukhachevsky.jpg

そしてクルーゲ元帥の名言「死せるトハチェフスキー、モスクワ前面の戦闘を指揮す」
で締めくくります。



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