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バルバロッサ作戦 -独ソ戦史- (下) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

パウル・カレル著の「バルバロッサ作戦(下)」を再度読破しました。

この下巻では、いきなりクライマックスにもなりそうな1942年の「セヴァストポリ要塞攻防戦」から
始まります。が、この戦いをバルバロッサ作戦と位置づけるかは微妙ですね。。

バルバロッサ下.JPG

再度、セヴァストポリ要塞攻略に燃える第11軍司令官フォン・マンシュタイン
ありとあらゆる火砲を集めること、その数1300門。
88ミリ高射砲の一個中隊だけでも18万発打ちまくり、
ロケット砲(ネーベルヴェルファー)連隊も初めて投入され、
空からもフォン・リヒトホーフェンの第8航空軍団シュトゥーカ急降下爆撃機が参戦。

Karl _Feuer!.jpg

このような攻撃のなかでも口径615mmの「自走臼砲カール」と
砲身長32.5m/口径800mmの「列車砲ドーラ」が印象に残ります。

特にドーラ(別名:グスタフ)は射撃指揮と操作だけで1500名もの人員を要し、
長さ7.8m、重量5トンの榴弾、または7トンの徹甲弾を40キロ先に叩き込むという
実に壮大で、化け物と呼んでいいような代物です。

Ready to fire_Dora.jpg

ソ連軍10万名が守るセヴァストポリ要塞は強力な堡塁郡から成り
なかでも特別なのは、305mm砲の「マキシム・ゴーリキー」でしたが
連日の昼夜に及ぶ攻撃に、ついに屈服し、1ヶ月に及んだ要塞攻防戦は終了します。

Maxim Gorki.jpg

一方、南方軍集団には1942年の夏季攻勢「ブラウ作戦」が発動されますが
そのヒトラーはクリミア戦を終え、スターリングラードとカフカス戦への準備をしていた
マンシュタインの第11軍の主力5個師団を包囲中のレニングラードへ送り、
精鋭のSSライプシュタンダルテとグロースドイチュラントの2個師団も
休養のためフランスへ移動させてしまいます。

ただでさえ南方軍集団を2分割して、その戦力の低下を危惧していた
陸軍参謀総長ハルダーもこの決定にはガックリ。
もし、あの7個師団を南方軍集団で使用していたら、スターリングラードは
陥落できたのではないか?と著者と語っています。

Caucasus_elbrus.JPG

スターリングラード戦の陰に隠れた形のカフカス線戦ですが、
第1山岳師団がカフカス山脈の最高峰であり、標高5000mを越える「エルブルス山」を
本来の作戦とは関係ないままに登頂してしまった(アルピニスト魂が出てしまった?)話など
とてもしっかり書かれていて、改めてこの本を見直しました。

そして結局はカフカスで行き詰ったA軍集団のリスト元帥とハルダーをヒトラーは解任し、
さらにはカイテルとヨードルも罷免して、ケッセルリンクとパウルスを
後任にしようと考えたとか・・。まぁ、この2人もイエスマンぽいですね。。

Stalingrad_Luftwaffe.JPG

最後はスターリングラード戦。気になったのは包囲陣への補給のために
その3分の1が犠牲になったという空軍の、決死の使命感に燃えたという活躍ぶりです。
これについてはあまり書かれた本に残念ながら出合えていません。

そして新たにドン軍集団司令官となったマンシュタインの救出計画を
第4装甲軍司令官のヘルマン・ホト上級大将が実行に移しますが・・。
実はこのホト将軍、カフカス戦線や上巻の中央軍集団の中核として
グデーリアンとともに結構頻繁に登場しては、実にシブイ活躍を繰り返しています。

Hermann Hoth.jpg

いや~、月並みなツマラナイ感想ですが、面白かったです。さすがの名著。
結構新しい発見もあり、こんなことまで書かれていたのか・・と思ったりと。
また、数年後に読み返してみても良いかと思いました。
今度は「焦土作戦」も文庫本で再度、読破してみるつもりです。



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