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深海からの声 -Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐- [第三帝国と日本人]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

富永 孝子著の「深海からの声」を読破しました。

4月の「Uボート総覧」に書かれていた、終戦間際の謎を秘めたU-234の話・・。
それは日本人士官2名と560㎏の「ウラン酸化物」を乗せたU-234がキールを出港したものの
ドイツの降伏の知らせに、日本人士官は自決、降伏したU-234は米軍に捕えられ
「ウラン酸化物」はそのまま行方不明・・という事件でした。
本書はこの事件にスポットを当て、特に日本人士官2名のうちの一人、
表紙を飾るイケメン、友永英夫海軍技術中佐の人生を大きく取り上げたものです。

深海からの声.jpg

「序章」では著者が本書の執筆に至る経緯・・、昭和も終わろうとする頃、
吉村昭著の「深海からの使者」を読み、そこに登場する2人の技術士官の秘話に胸を打たれ、
偶然、友永海軍技術中佐の遺族が身近にいることがわかったことから
取材を進め、U-234の乗組員たちにインタビューを行うために、北ドイツのキールも訪れます。
ウラン酸化物や日本人士官2名の自決の件など、この時点でダイジェスト的に書かれていて
おぉっと、という感じですが、これは本書がそれを前提としているということなんですね。

次の章から本格的に36歳の潜水艦設計のベテラン友永技術中佐と、
42歳の航空機エンジン開発リーダー庄司技術中佐がU-234に乗り込み、
その艦内での生活・・ドイツ人の若きボート乗組員たちとの交流の様子が語られます。
1945年2月末から始まるこの章は、このU-234に乗り込むメンバーが非常に興味深く、
あの仮装巡洋艦アトランティスの拿捕士官という経歴を持つ25歳の新人Uボート艦長
フェラー大尉に始まり、ミサイルの専門家である空軍大将ケスラーもお客として日本行き。
これは前年のヒトラー暗殺未遂に賛同していたことから、ゲシュタポの追及を逃れるため・・
というのがその理由です。
さらにはメッサーシュミット社から民間のトップ技術者など、日本人の2人を入れると
12人のお客と海空の各種新兵器、そして「ウラン」を乗せて、いざ日本へ向けて出航。

Gen_Kessler.jpg

しかし直前には「出航中止」命令が総統司令部から届くと、これを覆す命令・・、
「U-234は私の命令で即時出航せよ」がデーニッツ司令官から届くなど、
終戦間際のドタバタに、装備の故障、さらに敵機からの空襲に急速潜航を余儀なくされたりと
出だしから問題山積です。

無事に大西洋へ進出したものの、そこで送られてきた無電は「ヒトラー総統死去」、「ドイツ降伏」、
そして「日本はドイツとの同盟関係を放棄した」というものです。
フェラー艦長にケスラー大将らは対策を協議し、このまま帰国するか、アルゼンチンへ向かうか・・。
まるで「U‐ボート977」とそっくりの展開ですが、このU-234には頑固な日本人も乗艦していて
もちろん彼らは、執拗に当初の目的どおりの日本行きを進言し続けます。
しかし、その願いが叶わないことを悟った二人は、遺書をしたため・・。

fehler_johan--heinrich u234.jpg

この二人の最期と同時に米海軍に拿捕されたU-234の物語が終わった段階で
150ページを過ぎたところです。
ちなみに本書はハードカバーの448ページという結構なものなんですが。。

U234.jpg

そしてここからは友永中佐伝が始まり、幼少の頃から妻との出会い、
呉の造船部に実習士官として配属、その後、佐世保で潜水艦設計で大きな注目を集め、
昭和15年(1940年)には「自動懸吊装置」と「重油漏洩防止装置」の2大発明によって
海軍技術関係のノーベル賞ともいわれる「海軍技術有功章」が2度も与えられます。
ちなみに勲章好きのヴィトゲンシュタインはこれをちょっと探してみましたが、
綺麗な物は見つかりませんでした(空襲で無残に焼けたものだけ・・)。
七宝焼きで、とても美しいもののようです。

このような活躍が認められて東京の海軍艦政本部勤務となり、友永一家も東京へ。
住所は「東京市小石川区賀籠町102番地」。。ヴィトゲンシュタイン家と結構ご近所さんですね。
そして1943年、彼の発明をドイツに伝達することと、Uボートの調査/研究のため、
いよいよドイツへと旅立ちます。
家族共々と過ごす最後の休日では上野広小路の写真屋や上野動物園のエピソードと
その写真も掲載され、よりヴィトゲンシュタインの地元でのこの場面は不思議な気持ちになりました。
そういえば「象の花子」の話もこんな時かなぁ。。

上野動物園 象の花子.jpg

洋上で「伊29」から「U-180」に乗り換え、カレーライスの作り方も伝達して、人気者になる友永。
また逆に「U-180」から「伊29」に乗り換え、日本へと向かうのが
インド独立を目指してドイツへ亡命していたチャンドラ・ボースです。
この話、何かで読んだなぁと探してみたら「Uボート戦士列伝」のU-180元機関員の話でした。
ちゃんと友永中佐についても触れられていましたねぇ。

印象的だったのが、乗艦時、日独両語で一文を添えて日本刀をU-180の艦長に贈呈した話です。
「私の命を預けた男。U-180潜水艦長、ムーゼンベルグ海軍少佐殿へ」。
もちろん、艦長はいたく感動・・。読んでるこっちも感動・・、友永中佐、カッコ良過ぎるぜ・・・。

Werner Musenberg u180.jpg

こうして無事、ボルドーへ入港し、陸路、ベルリンへ向かう友永。
彼の発明を半信半疑にに聞いていたUボート関係者もそれを理解すると、
畏怖の念を込め、われ先にと握手を求めます。
三国同盟の話では、イタリアをまったく信用していないドイツ軍の態度が面白く、
機密兵器に関する時には「イタリア海軍には内密に・・」と日本海軍に念を押す始末です。

「あとがき」ではキールのUボート記念碑メモリアルホールに、日本の両中佐を顕彰した
記念板があり、「勇士たちよ!・・・」と刻まれている詩が紹介されます。
そして、あの降伏交渉を成し遂げた後、自決したフリーデブルク提督の名がもう一枚の額に・・。
さらにドイツ政府は二人の命日には駐日大使を通して、
毎年、献花や供物を手向け続けていた・・ということです。

Admirał Karl Donitz_admirał Hans Georg von Friedeburg.jpg

全体的に友永英夫海軍技術中佐、そしてもうひとつの主役であるU-234と乗組員たち、
さらにはUボートそのもの、例えばシュノーケルの解説など、非常に良く調査され、
わかりやすく丁寧に書かれているなぁ・・と感心しました。
友永中佐の奥さんと娘さんが1992年のU-234の会合に出席する話は
帰れなかったドイツ兵」を彷彿とさせるものでしたし・・。

ただ、これはあくまで個人的な趣味による見解ですが、
本書の構成は果たしていかがなもんでしょうか?
ヴィトゲンシュタインが一番知りたかった部分はあっさり前半で終わってしまい、
その後は半分以上が友永中佐伝(これはこれで面白いですが・・)。
もうちょっと、どうにかならんもんかなぁ・・という印象です。

自分だったら、友永中佐が初めてUボートブンカーのU-234を訪れた際に、
彼がここに至った経緯を回想形式で紹介するとか、
自決を決意するところで奥さんと娘さんの話が出てくるとか、
独立した章ではなくて、うまく混ぜ合わさっていたら、たぶん、涙ボロボロだったと思います。

実際、友永伝の後半では、ちょっと「うぅ・・」となりましたしねぇ。
なにかもったいない・・構成次第で「名著」と呼ばれるものになった気もするのが残念です。。



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