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切手が語るナチスの謀略 [切手/ポスター]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

伊達 仁郎 編著の「切手が語るナチスの謀略」を読破しました。

「切手シリーズ」第2弾は、先日の「切手が伝える第二次世界大戦」が
第二次世界大戦全般が対象だったのに対して、今回はタイトル通り、
第三帝国の切手類に特化した、190ページの大判の1冊です。
本書は1995年の発刊ですが、編著者である伊達氏はその2年前に他界されていて
その伊達氏の遺品によって構成されたものです。

切手が語るナチスの謀略.jpg

まずは切手コレクターである伊達氏がナチス・ドイツの切手に魅せられた経緯や
そのコレクションを切手展覧会に出品した話から・・。
ヒトラーやゲッベルスが切手収集を激励し、これを国民の教育や啓発の手段に
利用したとして、それが他国に比べ、その時代をハッキリと映し出していると述べています。

このようなナチス切手を絵葉書や解説文などをレイアウトしたアルバム・リーフという形式で
数十枚にまとめて展示することで、1983年、「JAPEX」という展覧会で金賞を受賞。
2年後の国際切手展では銀銅賞を受賞という有数のコレクターのようです。

切手が語るナチスの謀略_1.jpg

続いて、1933年にナチ党政権が確立してから発行された切手の簡単な説明では、
その年の11月に早くもヒトラーの大好きなワーグナーのオペラ切手を発行し、お得意の
「血の信仰」を象徴するものとして、サラブレッドの血統を重視する競走馬切手を16種も発行。

Tristan und Isolde aus der Walküre_Das Braune Band von Deutschland.jpg

1938年からはヒトラー自身の誕生日記念切手を1944年まで連続で・・。
国家元首が自分の誕生日に拘って、このように発行した例は見当たらない・・ということです。
そして最後のナチス切手は1945年4月21日、まさにベルリンが陥落しようとするその時まで
郵便局で数時間販売されますが、その2種の切手の図柄は「SA隊員」と「SS隊員」です・・。

Briefmarken-Gedenkausgabe Parteiformation SA und SS.jpg

ここから本書のメインである「JAPEX'89」に伊達氏が出品した「ねつ造されたナチスのイベント」
というタイトルのアルバム・リーフ36枚が1ページづつ、カラーで紹介されます。
「国民の労働祭」や、ニュルンベルクの「党大会」に「英雄記念日」。
ヒトラー・ユーゲント強制加入を祝う「青年の義務の祭典」、もちろん1936年のオリンピックも登場。

Heldengedenktag 1942_Tag der Verpflichtung der Jugend_1943.jpg

歓喜力行団(KdF)の「余暇とリクリエーション」では、
当時、労働者への豪華海外旅行に使われた
あの、「ヴィルヘルム・グストロフ号」の切手まで・・。

Briefmarke Deutsches Reich- Wilhelm Gustloff.jpg

「母の日」を祝う子宝キャンペーンでは「造形芸術家は家族を描く場合、
少なくとも4人のドイツ児童を描くことを目標とすべき・・」という御触れも紹介されます。
そして最後には「戦争開始」。シュトゥーカ急降下爆撃機と進撃する自動車化装甲部隊・・。

Jahre Winterhilfswerk_Kradmelder im Einsatz.jpg

次の「謀略切手」の章は、ヴィトゲンシュタインが大好きな切手です。
ナチス・ドイツではユーモアのセンスが欠けているためか、あまり作られていませんが、
英国は、まぁ、皮肉を込めて、いろいろと楽しくやっています。
ヒトラーの肖像切手をヒムラーやポーランド総督のハンス・フランクに変えてみたり、
1923年のミュンヘン一揆の「一揆20年記念」切手を
1944年7月20日の「ヒトラー暗殺未遂事件記念」としてヴィッツレーベン元帥に変更・・。

20. Jahrestag des Hitlerputsches_witzleben.jpg

イタリアで発行された、ヒトラーとムッソリーニが向かい合う、
「2つの民族、1つの戦争」切手は、
「2つの民族、1人の指導者」となって、リーダーは私だ!と叫ぶヒトラー。。

The British Parodies hitler_mussolini.jpg

初めて見たものでは、「顔面破壊の兵士」とゲーリングにシュトライヒャーという切手。
そして個人的最高傑作は「冬季貧民救済」切手のパロディの
にこやかな表情をしつつ、銃と毒ガスで募金集めをするヒムラー切手でしょう。
ちなみに、このような「謀略切手」をどのように使用したのか・・・ということでは、
この切手を貼った封筒をドイツ本土上空から、英空軍機が爆弾よろしく、ばら撒いたり・・
という程度の謀略だそうですが、その効果は不明のようです。。。

The British Parodies winterhilfswerk himmler.jpg

ここから暫くは各国の絵葉書が紹介され、ほとんどがプロパガンダ中心ですが
いつものように真剣な図柄で訴えるナチスに比べ、
連合軍側は徹底的にヒトラーとドイツ軍をこき下ろすという構図が極端に違いますねぇ。

GB-Hitler-maneater-totenschaedel-1942-1943.jpg

後半は1991年の世界切手展に出品され、銀賞を獲得した「ヒトラーとナチス・ドイツの興亡」。
ここから白黒になってしまうのが残念ですが、切手としては
前半とダブっているものも多いので、しょうのないところでしょうか。
ただ、こちらにはナチス・ドイツ切手だけではなく、各国の切手も登場し、
1944年にもなると「パリ解放」でドゴールが、ルクセンブルクの切手ではパットンも登場。
一方のドイツの英雄と言えば「国民突撃隊」という、まことにせつない切手で奮起しています・・。

deutsches-reich-briefmarke-ein volk steht auf.jpg

いや~、実に楽しい一冊で、一度も休憩することなく一気読みしてしまいました。
特に本書の大きな特徴である伊達氏が作成した「アルバム・リーフ」という形式が素晴らしく、
大きなテーマと1枚毎に整理されたレイアウトの美しさも申し分ありません。

Briefmarke Deutsches Reich- hitler.jpg

このような見事なコレクションを拝見してしまうと、沸々と湧き上がっていたコレクター熱が
逆に冷めてしまった感もありますが、今もいろいろと相場などを調べているところです。
当時と違い、Webで海外からも購入出来るので、収集はしやすそうですね。
値段も1枚、1ユーロとか、結構、手の出しやすいものですが、
コレクターというのはある程度集まってくると、どうしても珍しい、レアなものが欲しくなります。
そして、こういうのがとんでもない値段だったりするもんなんですよねぇ。



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ドイツ第三帝国 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヘルマン・グラーザー著の「ドイツ第三帝国」を読破しました。

2008年に285ページの文庫で発刊された本書、
元々は「ヒトラーとナチス -第三帝国の思想と行動-」というタイトルで、
日本でも1963年から読まれ、「ナチスの思想を論じた古典」とされている有名な一冊です。
著者のグラーザーは1928年、ニュルンベルク生まれ。
本書の発刊以降、1990年までニュルンベルク市の教育文化局長を勤めたという方です。

ドイツ第三帝国.jpg

第1章で第三帝国とヒトラーが簡単に説明され、第2章はナチスの「世界観」です。
ユダヤ人については、キリスト教徒には長い間宗教的理由から禁じられていた「金貸し業」が
ユダヤ人には許されており、それが激しい迫害を受けなければならなかった理由として、
また、ユダヤ人住民のゲットー生活は外部から強制されたものであるだけではなく、
少数民族としてのユダヤ人自身の意思であった・・ということです。

A group of teenagers in the Warsaw Ghetto.jpg

本書の一番の大きな特徴は、ヒトラーの「わが闘争」をはじめとして、ナチの重要人物の著書、
あるいは、彼らの演説を多数引用しているところでしょう。
それも他の書物にありがちな、ポイントなる一言二言を論ったり、
せいぜい2~3行などというものではなく、1ページ~2ページにも渡って、
細かく掲載するという徹底振りです。

強烈な反ユダヤ主義者シュトライヒャーの「性的に歪められた空想」もちょっと抜粋すると、
「アーリア人種の女がユダヤ人の男と一度交わっただけで、彼女は「異質のタンパク質」に毒され、
もう2度と、純粋なアーリア人の子供をもうけることができず、雑種を作るだけである」

julius-streicher.jpg

このようなシュトライヒャーが発行した週刊新聞「シュテュルマー」からもその内容を紹介し、
そのメチャクチャな反ユダヤ論も知ることが出来ました。

Der Stürmer.jpg

また、ヒトラーがこれを「唯一、最後の1行まで読むに値する新聞」と語っていたという話も、
ヘルマン・ラウシュニングの有名な「ヒトラーとの対話」から抜粋しています。
これは今でも「永遠なるヒトラー」として手に入れることが出来る本ですが、
プレミア価格なので、まだ読んだことがありません。。

Hitler smiles while reading newspaper.jpg

第3章「宣伝機構」では行進曲の重要性を取り上げ、
「行進曲はとりわけ、困難で重大な局面をどんちゃん騒ぎで誤魔化そうという使命を持っていた」
として、スターリングラードの特別報道などを例にして、
敗戦の際は「葬送行進曲」が鳴り響いたということです。
また、視覚的手段としては照明灯が大きな役割を果たし、夜間のサーチライト
SS隊員らによる松明による行進も好まれ、ヒンデンブルク大統領も「感動して眺めていた」と
ゲッベルスの日記から紹介。

52rg1.jpg

1週間も続く、ニュルンベルク党大会の様子も、批判的なフランス大使、ポンセが記したものから
「数十万の人々が陶酔に浸り、歓喜と魔法にかけられた町となって、催し物の素晴らしさも
外国人に強い印象を与える」と・・。

nazi-germany-second-The play  Night of the Amazons  in progress at Nymphenburg Castle park, Munich. 1939.jpg

第4章はメインとなる部分でしょうか。
有名な「焚書」について、ユダヤ人以外にも禁止された作家の名前も列挙し、
「頽廃芸術」として近代的芸術である、表現主義、シュールレアリズムやキュビズムなどが
ヒトラーの憤怒の対象となるわけですね。
具体的にはゴーギャン、ピカソ、シャガールは認められず、ゴッホはギリギリ・セーフ??
ちなみにヴィトゲンシュタインは子供の頃から「ダリ」好きで、シュールな絵に挑戦も・・。

Berlin, Opernplatz, Bücherverbrennung.jpg

音楽にももちろん厳しく、近代音楽、特にジャズがダメなのは有名ですね。
それでも以前に読んだ本では、「これは黒人ジャズじゃないから大丈夫・・」とか
Uボート内で持ち込んだジャズのレコードを掛けたり・・なんて話も良くあります。

そしてこのようなドイツの音楽生活に生じた真空状態を埋めるべく、
「ワーグナー崇拝」が大掛かりな演出によって始まります。
ヒトラーの愛したリヒャルト・ワーグナーを周りの連中も媚びへつらうように賞賛し、
古典ではバロック音楽のモーツァルトは好まれず、一方、ベートーヴェンは
ラジオで「第九」が大晦日の晩に流されるなどなかなかの評価です。

Richard Wagner en el Festival de Bayreuth..jpg

モーツァルトは映画「アマデウス」を多分、4回は観ているので、彼の曲は知っていますが、
ワーグナーはほとんど聞いたことがないので、よく、ヒトラーが夜会の席で
ワーグナーのレコードを掛けさせる・・なんてシーンがあっても、今までイメージが沸きませんでした。
ところが今回、このワーグナーについて細かく書かれていることで、思い出しました!
映画「地獄の黙示録」で武装ヘリが攻撃を仕掛けるシーンで流れる「ワルキューレの騎行」。
これはロードショーに行きましたが、実はベトナム戦争も良く知らず、長いし、最後もグニャグニャで
おそらく”中一”だったヴィトゲンシュタインには結構、難解な映画でしたが、
この「ワルキューレの騎行」は前半だったし、70㎜スクリーンかつ、大音響はすごい迫力で、
いまだに印象に残っています。確かに、この曲を聴くと血沸き肉踊りますね。。



最後の章ではフライスラー裁判長やオーレンドルフアインザッツグルッペンなども登場し、
ドイツ国内外での「テロ」の様子も詳しく解説しています。

本書は特に「イデオロギーのげっぷ」と党幹部連中にこき下ろされ、
読書家ヒトラーですら、読破できなかったと云われるローゼンベルクの有名な
「二十世紀の神話」からの抜粋がなかなか興味深いものでした。
また、ヒトラーの演説もイメージしやすく書かれていて
1938年のナチス主義者を如何に育てるか・・という演説では
「青少年は10歳で我々の組織に入り4年後にヒトラーユーゲント、それから4年後にSS等に入れる。
そこに2年いて、まだナチス主義者に成りきれない様だったら(笑)、労働奉仕団に入って揉まれる。
すべては1つの象徴、すなわちドイツの鋤をもって行われるのだ(喝采)」
というような感じです。(笑)っていうのが良いですね。

Löwenbraukeller, Munich during the Putsch commemoration.jpg

本書は文庫で280ページ程度というボリュームですが、それほど簡単な本ではありませんでした。
翻訳も1963年当時のもののようで、そのせいかちょっと堅苦しいというか、
思っていたよりスラスラ読めるものではなく、
また、当時のドイツ文化にもある程度精通していないと、眠くなったりもします。
「ナチス問題入門書として適した作品」と書かれていますが、それはどうかなぁ。
ドイツ人にはそうかもしれませんが、いまの日本人には・・。













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ヒトラーのスパイたち [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリステル・ヨルゲンセン著の「ヒトラーのスパイたち」を読破しました。

2年半ほど前に発刊された本書は、当時から気になっていたものですが、
その1年前くらいに似たようなタイトルの700ページの大書、「ヒトラー暗殺計画とスパイ戦争」を
読破したばかりだったので、内容も似てたらなぁ・・ということで見送っていました。
今回は500円で手に入れられたし、ボリュームも半分程度の370ページということで、
久々に諜報の世界にドップリと浸かってみました。

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第1章は、歴史的にプロイセン陸軍内に存在しなかった諜報活動機関が、1889年、
「陸軍保安情報局」、通称「ND」がヘルムート・フォン・モルトケによって創設され、
その後、第一次世界大戦に向けて、「シュリーフェン・プラン」に関わるフランス軍情報部との
スパイ戦が紹介されます。
さらに、フランス軍によって銃殺刑に処せられた、悪名高き悲運の女スパイ「マタ・ハリ」も登場。

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続く第2章は、ワイマール共和国時代のドイツ諜報機関の歴史です。
「陸軍保安情報局(ND)」は、1921年に国防軍情報部(アプヴェーア)として生まれ変わりますが、
ヴェルサイユ条約により「10万人軍隊」と大幅削減されてしまったワイマール共和国軍ですから、
その規模は将校9名と事務職員数名という、かなり小規模なものに・・。
そしてこの軽視され、将来性と出世も期待できないアプヴェーアに興味を示す陸軍将校など
当然おらず、欠席裁判の末、トップには海軍将校が就き、
1935年にはヴィルヘルム・カナリス大佐が着任します。

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第3章では第三帝国のスパイ組織と、そのボス、いわゆる「スパイマスター」を解説します。
まずは前途のカナリス提督の国防軍情報部(アプヴェーア)。
これはカナリス自身が海軍の提督であるように、3軍を統括した国防軍(OKW)に属します。
続いてハイドリヒが築き上げた親衛隊保安部(SD)があり、元々はナチ党の情報機関だったこのSDも
戦争と、それに伴う勢力拡大のなか、アプヴェーアと激しいライバル争いを繰り広げるわけです。

そして唯一、弱肉強食の第三帝国を生き残り、戦後もその手腕を発揮した3番目のスパイマスターは
東方外国軍課のゲーレンです。ちなみにこの課が属するのは陸軍総司令部(OKH)であり、
このように大きな諜報機関が国防軍、SS、陸軍と3つも存在していたことがよくわかります。

Reinhard Gehlen_Fremde Heere Ost.jpg

この前半で特に興味深かったところがハイドリヒとカナリスらの当初の関係です。
1922年に海軍に入隊したハイドリヒが、勤務する巡洋艦でカナリス艦長と出会い、
その後、通信将校になるものの、レーダー提督に近い娘さんとの交際のもつれから、
軍法会議に掛けられて不名誉除隊。
その後、コネを使って「情報将校」を探していたSS全国指導者ヒムラーと面会する機会を得ますが、
「通信将校」と「情報将校」を勘違いしたヒムラーによって、めでたくSS情報部を設立する・・、
というのが一般的に知られているストーリーですが、本書では違います。

それは第1次大戦時代から1流のスパイだったカナリスによって育て上げられたハイドリヒを
海軍統帥部長官レーダー提督の意向もあって、海軍のスパイとして新興勢力SSに潜入させた・・
というものです。
しかし結局、己のことしか考えない「金髪の野獣」の姿を現したハイドリヒは、さっさと裏切り者に・・。
さぁて、いかがでしょうか、この展開。。。面白いと言えば面白いですが、
いくらスパイ本と言えど個人的には、やり過ぎ解釈だと思います。
ハイドリヒがスパイマスターに教え込まれて一人前になるものの、SSの暗黒面に落ちていく・・・
という感じですから、これはもう、完全に「スターウォーズ」の世界ですよね。
カナリスがオビ=ワン・ケノービだとすると、ハイドリヒはアナキン(=ダースベイダー)、
レーダー提督はさしずめメイス・ウィンドゥかな? 元帥杖もライトセーバーに見えてきます。。
確かにスターウォーズの帝国軍とかダースベイダーのヘルメットって
ドイツ軍がモデルって話もありましたねぇ。

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第2次大戦が近づいてくると、このようなドイツの諜報機関以外にも、英国秘密情報部(SIS)や
ポーランド情報部(PIS)などについても言及され、各国の諜報機関との実力差も検証。
デンマークでの諜報活動では「名前の特定できない」情報将校の活躍が紹介されますが、
彼はひょっとすると「父の国 ドイツ・プロイセン」のあの「HG」じゃ・・?
そしてオランダではシェレンベルクの「フェンロー事件」も詳しく書かれていますが、
彼の幻の回想録「秘密機関長の手記」が先日、amazonで売ってました。価格は2万円也・・!
足元見てんなぁ・・と思ってたら、翌日にはすでに無く・・。

中盤はスパイマスターたちに代わって、いわゆる「エージェント」と呼ばれる第1線で活躍する
各国のスパイたち・・名もなきスパイから、2重スパイ、ルドルフ・レスラーのような大物や、
赤いオーケストラ」を摘発していく過程も詳細で、ソ連の軍情報局であるGRUや
CIAの前身である米国戦略事務局OSSのアレン・ダレスといった、
この世界でも名の知られた組織や人物も登場。

Allen Dulles.jpg

伝統的な「プロイセン紳士の戦法」ではない「不正規戦闘部隊」をアプヴェーア内に創設しよう
という話から始まる、第8章の「特殊作戦」は個人的に大いに楽しめました。
ドイツ系ルーマニア人やバルト諸国のドイツ人らで編成された「ブランデンブルク隊」の発足です。
4個中隊が編成され、英語やポルトガル語、チェコ語などを操れるのはもちろんのこと、
ロシア人にウクライナ人、ベラルーシ人、ポーランド人からなる中隊も存在しています。
そして、彼らは射撃術、爆発物の製作、ゲリラ戦法にサバイバル術、偽装技術に
暗殺術といった厳しい「特殊任務」訓練を受けるのでした。

Canaris & Von Hippel, inspect a Brandenburger unit.jpg

しかしカナリスはこの部隊に「国際法の遵守」を求めます。
すなわち、敵の軍服を着て戦ってはならず、戦闘時には偽装の軍服を脱ぎ捨て、
ドイツ陸軍の制服で戦うこと・・。ブランデンブルク隊ではありませんが、
映画「鷲は舞いおりた」の教会のシーンを思い出しますねぇ。
まぁ、よく考えてみれば、もともとこのお話もカナリスが指示した作戦だし、
最後は偽装のポーランド軍の軍服を全員脱ぎ捨て、
ドイツ空軍の制服姿で死んでいく降下猟兵ですが、ヒギンズは
このブランデンブルク隊などをイメージしていたのかも知れませんね。。

The eagle has landed.jpg

本書では、この知られざる部隊の西方作戦でのオランダ、ベルギーでの活躍や
バルバロッサ作戦で、装甲集団を率いるグデーリアンから直々に
橋の奪取を命令されたという話なども出てきます。

そんなブランデンブルク隊ですが、1943年にもなり、戦局が芳しくなくなると、
「特殊部隊」を目の敵にしていた国防軍の人々によって解体を迫られ、
その代りに別の「特殊部隊」の創設を託されるのは「ヨーロッパで最も危険な男」となるSS隊員、
オットー・スコルツェニーです。
彼の「フリーデンタール隊」はムッソリーニの救出劇で華々しくデビュー戦を飾りますが、
これに調子に乗ったヒムラーからは
「UボートにV1ロケットを搭載して、ニューヨーク目掛けて発射せよ」との発案を受けたり、
彼自身も操縦士がV1ロケットに乗り込んで、英国の国会議事堂に突っ込む・・
という作戦をハンナ・ライチュの熱心な支援を受けて練り上げるものの、
高名な女流パイロットが命を落とすのを危惧した、ミルヒ空軍元帥によってギリギリで却下された
などというエピソードも出てきました。

Gran_Sasso_Mussolini_vor_Hotel.jpg

バルカンではチトーを捕えるための降下作戦もなかなか詳細に解説。
さらにギリシャでは悪名高き「ワルシャワ蜂起」鎮圧の任務を終えたシュトロープSS少将
到着するものの、ギリシャの枢軸国協力政府を侮辱して、軍司令官レーア将軍の怒りを買い
上司カルテンブルンナーにチクられて、さっさとベルリンへ召還・・。

「その他の機関」の章では、リッベントロップの外務省の諜報機関「INFⅢ」という
たいした効果を上げてない機関や、ゲーリングの支援で創設された「調査局(F局)」など
相変わらず、第三帝国のあっちこっちで様々な人物たちも諜報活動をしています。
特に「調査局」は有名な郵便の検閲から電話の盗聴に熟練していて、
ゲーリングにとって国内外の敵と立ち向かう、大きな戦力だったそうです。

Ribbentrop, Goering, Hitler, Keitel, Jodl.jpg

ロンメルが英軍をエジプトまで追い払ったのが1940年4月・・とか、
名誉SS少将の制服をビチッと着込んだ、リッベントロップ"大佐"の写真やら、
狼群のUボートと紹介される写真が、小型水上艦群だったりと、
多少、気になるところもありましたが、まぁ、これらはギリギリ許容範囲でしょう。
でもアルフレート・ローゼンベルク"元帥"にはさすがにビックリしました。。。

この出版社だったら、もうちょっとしっかりチェックして欲しいですけどね。。
ただでさえ後半にも「ハイドリヒ=ダースベイダー説」(勝手に命名・・)が出てくるので、
こういう出来だと、全体的な信憑性も怪しく感じてしまいますから・・。

とにもかくにも本書は、ヒトラーによって第三帝国内に乱立してしまった諜報機関と
その長の思惑などが戦争に及ぼした影響も考察し、
戦争における諜報機関の重要性も再検証しています。
個人的には「ブランデンブルク隊」だけでも、もっと細かくして1冊の本にして欲しかったくらいです。





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Uボート部隊の全貌 -ドイツ海軍・狼たちの実像- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ティモシー P.マリガン著の「Uボート部隊の全貌」を読破しました。

前回の「ヒトラーの最期」に続き、同じく今年6月に発刊された最新のUボート物の紹介です。
600ページオーバーで3990円という大作である本書は
Uボート艦隊司令官デーニッツ提督や大エースのUボート艦長、
あるいは、Uボートという兵器そのものに焦点を当てた既存のUボート物とは一線を画し、
タイトル通りの「Uボート部隊の全貌」・・、18歳の新米水兵からUボート内での生活、
また、彼らエリートと呼ばれたUボート乗組員たちが何処から来て、
何のために最後まで戦い続けたのか・・をこれ以上ないほど余すところなく調査した、
他のドイツ軍部隊が書かれたものにも類を見ないほど、見事な「研究書」です。

ちなみに結構なお値段のする本書は運の良いことに"タダ"で読むことが出来ました。
例によって図書館で借りた訳ではありませんが、この経緯はレビューの最後で・・。

Uボート部隊の全貌.jpg

第1章「運命共同体」では、Uボート乗組員とは、水夫、技術者、武器専門家から成る
相互依存チームという前提で、艦長から、機関長、先任、次席といった将校、
通信兵から魚雷整備兵らの任務を解説しつつ、彼らの生活の場であるUボート内の
構造にも触れ、さまざまな階級の乗組員が真に平等になれる場所である
「便所」についても詳しく書かれています。

「雷箱」と呼ばれた高圧便所は、特別な訓練が必要なほど操作が複雑で、
誤ったレバーを引こうものなら、便器の内容物と海水の噴流が
不運な操作者の全身に降り注ぐ・・という、まことに恐るべきもので、
実際、U-1206はレバーの不手際によって、排泄物と海水が噴出し、蓄電池に侵入。
発生した塩素ガスを換気するため浮上した結果、連合軍機の爆撃を受けて
傷ついた艦を自沈せざるを得なかった・・という第2次大戦中、
最も恥ずべき失われ方をしたUボートとして紹介されます・・。

U 461 Toilette.jpg

また、個人的に興味のある「烹炊所」もしっかりと解説され、
民間職ではパン屋や肉屋の烹炊員は2等水兵であるものの、
「艦長を含めて、艦内で一番重要な乗組員だった」という談話も載せています。

シュノーケルが登場するまでは、Uボートは通常、浮上をしたまま航行し、
蓄電池に充電もするわけですが、この時に最も重要なのは
四方八方を双眼鏡で監視する「見張員」です。
しかし映画「Uボート」のシーンにもあったように、荒天時には荒波に叩きつけられ
非常に危険を伴うものでもあります。
そしてこのような「見張員」が舷外に流されて死亡した事故は25件もあり、
特に4人の「見張員」全員が流された・・という、U-106の最悪のケースも・・。
また、当直中の「居眠り常習犯」で仲間からも嫌われていた乗組員が、
自ら海へ飛び込み、苦難に終止符を打った・・という話もありました。

bridge of U-564.jpg

次の章「第一世代」ではデーニッツを含む、第1次大戦のUボート乗りも紹介され、
ここでは第2次大戦でも補給用Uボート、U-459で出撃した
48歳の老艦長フォン・ヴィラモーヴィツ・メレンドルフにも触れられていますが、なにより凄いのは
巻頭に、このUボートが伝統的な「赤道祭」を行っている写真が掲載されていることでしょう。
微笑むメレンドルフ艦長と、乗組員が仮装した「ネプチューン」が新参者を清める写真ですが、
いろいろな戦記に登場する、この様子を写したものは初めて見ました。

U-459.jpg

中盤からは米国立公文書館員にして、史学博士の著者が実施した
本書の大きな特徴である、元Uボート乗組員1100人以上によるアンケートと、
その集計結果を元にした、今まで知られることのなかった「実像」に迫ります。
ちょっと紹介すると、出身地は北部(当時のプロイセン州)が優勢であり、
水兵科、機関科、航海科、通信科ごとの分布まで細かく「表」で解説します。

その兵種についても、彼らの役割から学歴や前職までに言及していて、
個人的には「各科徽章」の解説は興味深く、「水兵科の兵卒は星1個」、「機関科なら歯車」
などは参考になりましたが、出来れば、少なくとも"絵"などで紹介して欲しかったですね。

U boot Abzeichen.jpg

訓練課程も非常に興味深いもので、方向転換可能な実物大の司令塔を
巨大な水槽に浮かべたシミュレータ「哨戒装置」による訓練では
対船団襲撃ミッションを15回成功することで修了。
また、海面下20mでのトイレ内容物排出ミッションもあり、
これを使いこなせるようになった者には「便所免許状」が与えられたそうです・・。
そして彼らに訓練を施すのは、トップにズーレン、メルテンなどの元Uボートエースたちですが、
バルト海での最終訓練では、その期間中に30隻が最期を遂げるという危険なもの・・。
しかし、このような訓練もその期間は、戦局の悪化とともに削減傾向に・・。

Teddy Suhren_Karl-FriedrichMerten.jpg

このような1943年以降のUボートが劣勢となった時期において、人員不足から
艦長や乗組員の年齢が若くなっていった・・と一般的に云われている件についても
いくつかの表を用いて、事実がどうであったのかを分析。
また、ヒトラー・ユーゲント育ちの新兵と年長の水兵の違いも述べています。

給与についても徹底的なほど詳しく書かれていて、基本給は国防軍全体で統一されていても、
Uボート乗組員には「閉所加棒」、「潜水加棒」などの特別給付に、
休暇の際には「総統からの小包」と呼ばれる、貴重なバターやコーヒーなどが受け取れます。
このようにかなりの貯蓄も可能だったUボート乗組員ですが、なかには
ガールフレンドやらビールにパーッと使ってしまう連中もいたようですね。
海軍兵学校の校長まで務めた宝剣付き柏葉騎士十字章のリュートなんかは前者で、
鉄の棺」のヴェルナーは後者だろうなぁ。ヒドイ遊び人でしたからねぇ。。

GeorgScheweflowers-1.jpg

Uボート艦橋に描かれる「紋章」も検証しています。ふぅ・・凄いなぁ・・。
U-47の「鼻息荒い雄牛」が第7潜水戦隊の、U-96の「笑うノコギリエイ」
第9潜水戦隊の紋章に採用されたという話以外にも、人気の図柄も紹介します。
「悪魔」と「魚」が14隻に、「犬」が13隻、「狼」10隻で、
栄えある人気No.1は「象」の16隻・・だそうです。

u552.jpg

ここまでくると、もちろん「勲章」についても書かれています。
Uボート艦長は撃沈㌧数によって、騎士十字章が授けられるというのは良く知られていますが、
先任将校や下士官、兵の受章資格はけっこう曖昧です。
高名なU-48艦長のブライヒロート大尉が、先任のズーレン中尉が騎士十字章を授けられるまで
同章の受章を拒否した・・というのは印象的な話ですね。

Heinrich_Bleichrodt.jpg

Uボート総覧」に書かれていたU-505のツシェック艦長の自殺や、
U-154のクッシュ艦長と先任アーベルの戦い、U-852のエック大尉の虐殺事件も登場し、
U-156のハルテンシュタイン艦長の「ラコニア号」事件と、それと前後した
撃沈した船舶の乗組員の救助問題をU-99のクレッチマーU-333のクレーマー
そしてU-181のリュート、その他、数多い救出措置のケース、
なかには黒海でのソ連兵の救助の例も紹介しながら、
デーニッツがニュルンベルク裁判で問われた嫌疑を検証し
ヒトラーの「乗組員殲滅命令」に反対するデーニッツの言葉を記しています。
「お言葉ですが、我が総統、難船者を銃撃するなど船乗りの名誉にもとります・・」。

Donitz_10.jpg

Uボート乗組員の政治性ではプリーンとトップがナチ党員であったことが書かれていて
特に1933年、19歳で入党したトップが翌年には一般SS隊員となったものの、
海軍士官として、そしてUボートエースとして輝かしい軍歴を送った後、
ヒトラー体制の犯罪的性格を認め、デーニッツまでも批判し、元戦友たちとも
戦争の大義を巡って激論を交わすようになった・・というのは初めて知った話でした。
どなたか撃沈㌧数No3を誇るこの人物の自伝かなにかを翻訳してくれないですかねぇ。
タイトルは「トップになれなかったUボートエース -エーリッヒ・トップ自伝-」。。ダメですか?

ErichTopp10.jpg

また、ズーレンも長い哨戒から帰港してきた際、メガフォンで「ナチはまだ国の舵取りをしているのか」
と叫び、群衆の「そうだ」の声を聞くと、エンジンを後進にして遠ざかって行った・・とか、
U-515のヘンケもゲシュタポを「チンピラ」と罵倒・・。デーニッツがヒムラーに直接謝罪をしたことで
無罪放免になったという楽しいエピソードも。

Kapitänleutnant Werner Henke U-515.jpg

相変わらず気になった部分をダラダラと書いてしまいましたが、
コレが本書の本質を付いているとは、我ながらとても思えません。。。
それでもUボート部隊やデーニッツを決して賛美している訳ではない本書は、
名著「デーニッツと「灰色狼」」を好まれるような「Uボート好き」なら、
最新の調査による研究という別の視点から深くこの部隊を見つめる意味でも、
一読することをオススメ・・というより必要だと思いました。

U-805's crew lines up for the photographers before boarding busses for Portsmouth Naval Prison.jpg

最後に前半で書いた、本書を"タダ"で読むことができた経緯ですが、
本書の訳者さんであり、以前紹介した「Uボート戦士列伝」や
大西洋の脅威U99―トップエース・クレッチマー艦長の戦い」も訳され、
この「独破戦線」にも度々コメントをいただく「某訳者」さんこと、
並木 均氏からご連絡をいただき、「新作を一冊贈呈したい・・」との突然のお申し出に
スッカリ甘えたうえ、「できれば表紙に一筆・・」という我がままを聞いてくださり、
「灰色狼」らしいブルーグレーの美しい表紙の上に「ヴィトゲンシュタイン殿へ」の文字も・・。
こんなBlogでも真面目にやっていると良いこともあるもんだなぁ・・と
感動したというお話でした。



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ヒトラーの最期 -ソ連軍女性通訳の回想- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

エレーナ・ルジェフスカヤ著の「ヒトラーの最期」を読破しました。

今年の6月に発刊された、いわゆる「ヒトラーの最期」モノの最新の一冊です。
556ページで4200円という立派な本書は、ドイツ語通訳として従軍した著者が
ヒトラーの遺体と歯形X線写真探索にも関わり、意外な真相が明かされる・・という内容で、
個人的にはヒトラーの死の真相などにはそれほど興味がありませんが、
本書を図書館で思わず予約してしまった理由は、「ソ連軍女性通訳の回想」という
若干いかがわしい雰囲気を持った副題と、表紙も飾る著者の写真に惹かれた・・という
まことに男らしい不純な動機です。。

ヒトラーの最期.jpg

まず「はしがき」を読んでみると、本書はやや特殊な構成をしていて
250ページ程度の中心部分となる第4章「1945年5月、ベルリン」は1965年に出版されたもので、
日本でも「ヒトラーの最期―独ソ戦の裏面」というタイトルのダイジェスト版が翻訳されています。
今回、著者によって最新版に増補されており、さらに著者がベルリンに辿り着くまでの従軍記録が
3章に渡って設けられ、最後には引退した「ジューコフ元帥との対話」も収められています。

ということで、1941年10月、ドイツ軍の攻勢に脅えるモスクワの様子から始まる本書。
ベラルーシ生まれでモスクワ育ちの21歳の著者は、以前に紹介した「モスクワ攻防1941」に
書かれていたのと同様、動員計画により、女友達と看護師速成講習会へと赴きますが、
ここでは前線勤務に派遣されません。
そこで軍の通訳養成所が緊急に生徒を募集していることを聞きつけ、
子供時代にドイツ語も多少学んでいたこともあって、最初の修了生として「中尉」の襟章を受領。

Elena Rzhevskaya.jpg

しかし軍の通訳たるもの、通常の会話が出来るだけでは当然ダメで、
指揮官がドイツ人捕虜を罵倒する際に、通訳がどう訳すか知らなければ困りものです。
「いかさま師」、「コソ泥」、「食人種」、「青二才」、「ヒトラーの犬」、「ケツ野郎」、
SS隊員に対しては「てかてかのクソッタレ」と書かれた「罵詈雑言辞典」が作成され、
ドイツ兵と遭遇した時には「止まれ!」では威嚇が足りないことから、猛烈な罵倒も学びます。
「いいか、大人しくしないとすぐにお前の頭を壁にぶち込んで、脳みそをスプーンですくわせてやる」

こうして最初に派遣されたのは第8空挺旅団。ドイツ軍の背後に落下傘降下する任務ですが、
そのような訓練もしていない女性通訳が派遣されてきたことに憤る旅団長。。
そして参謀本部に戻された彼女の元に、その旅団長戦死の報がもたらされます。

Воздушно-десантные войска.jpg

その後は無事立派な通訳として、捕虜のドイツ兵とも接する彼女。
前線の向こう側にいるのは敵、しかしこちら側にいる捕虜は犠牲者・・と
ドイツ兵に対する複雑な感情も語りながら様々なエピソードが書かれています。
まるで「戦争は女の顔をしていない」のエピソードを彷彿とさせる展開です。

特にポーランドのブロンベルク解放の様子はとても興味深いものでした。
まずフランス軍捕虜収容所が解放されると、ベレー帽をかぶった身だしなみの良い
ジロー将軍の副官が登場し、捕虜のポーランド人や収容所から出てきた各国のユダヤ人たちも。。
米軍飛行士と長身の英兵、つばの広い緑色っぽい帽子をかぶっているのはアイルランド兵です。
彼らは抱き合い、歌を唄い、ヒソヒソ声で成長した子供たちも喉も破れんばかりに声を張り上げ、
これまで知らなかった声の力を堪能する一方で、とっくに逃亡したドイツ兵に取り残された
ドイツ人女性は大きな荷物を持ち、罵声を浴びながら、西へと向かって行きます。

Elena Rzhevskaya_Berlin1945.jpg

そんななか、動揺している一団が・・。
それは同じくドイツ軍の収容所から解放されたイタリア兵たちです。
「自分たちは彼らの目に敵と映っているのか・・?」
さらには、ドイツの軍服を着た一団も彼女の前に現れ、申告します。
「我々はオーストリア人です!」
しかし彼女は仕方なく彼らに告げるのでした。
「皆さん、残念ながら、あなたたちは敵軍兵士です」

ドイツ軍兵士たちの手紙を翻訳するのも彼女の仕事のひとつです。
本書では、戦争末期のドイツ兵や家族が書いた手紙も何通か紹介されていて、
特に最後の望みである「新兵器」についてはいろいろ書かれています。
兵士の父は「"国民突撃隊"が新兵器だと言われている・・」と書きしるし、
兵長の妻はガソリンが無いことを皮肉り、「その新兵器は乗員53名の戦車で、
操縦士1人に射撃手2人、そして50人は戦車を押すのです!」

Deutscher Volkssturm.jpg

メインとなる「1945年5月、ベルリン」の章は、ジューコフ元帥の第1白ロシア方面軍に属する
第3突撃軍の通訳として当時、彼女が見聞きしたことにとどまらず、
戦後、苦労をして集めた資料を元にヒトラー最期の数日間をドキュメンタリー・タッチで
なかなかの迫力をもって書かれています。
ネタとなっているのは総統ブンカーで発見され、彼女が翻訳したゲッベルスの日記
残されたボルマンのメモ。「私はヒトラーの秘書だった」のユンゲ嬢やハンナ・ライチュの女性陣、
さらに総統警護隊長ラッテンフーバーに、侍従長リンゲや副官ギュンシェ
運転手ケンプカらの供述調書などです。

Otto Günsche.jpg

ハンス・エーリッヒ・フォス海軍中将とブンカーの医師や料理人、車庫技手などの証言から
ゲッベルス一家の遺体を発見/確認しますが、ヒトラーの遺体は行方知れず。
誰かが誰かに語ったところによると、完全に火葬されたヒトラーの遺骨は、
モーンケ戦闘団に加わったヒトラー・ユーゲント全国指導者アクスマンが持ち去った・・というもの。
5月3日にはヒトラーに似ているという人物の死体が総統官邸の玄関ホールに置かれ、
ドイツ人たちが全員「総統ではない」と確認するまで長時間放置されて、その間に報道カメラマンが
この死体を撮影し、「ヒトラー」として出回ったという裏話も・・。

Hitler_Artur Axmann.jpg

また、このベルリン滞在の様子も女性らしい観点から非常によく観察していて、
歩道で生活するドイツ兵や、瓦礫を片づける女性などのベルリン市民たち。
一方のソ連占領軍の様子も善悪織り交ぜて伝えつつ、友達が張り切って交通整理する姿や
軍服から解放されて、ワンピースをやっと着れた・・という喜びなど・・。

Wounded German soldiers line Unter den Linden.jpg

本来、第5突撃軍の管轄区域である総統官邸でヒトラーとエヴァの遺体と思われるものを
発見した彼女たちのチームは、手柄とばかりにコッソリと運び出し、残っている顎骨から
特定するためにヒトラーの歯科医も探し出して、遂に確証を得るのでした。
しかし、この大手柄もなぜかスターリンは世界に発表することはありません。。。
ここはあまり詳しいことは書きませんが、ヒトラーや参謀総長クレープスの死因も
青酸カリなのか、拳銃によるものなのかについても彼女なりに結論を出しています。

In this trench Kempka burned the bodies of Hitler and Eva Braun.jpg

個人的に一番楽しめたのが「ジューコフ元帥との対話」の章です。
1965年、彼女の発表した「1945年5月、ベルリン」の原稿を読んだジューコフから突然の電話。
そして家に招かれ、「当時、ヒトラーが発見されたことを知らされなかった・・」と告白されます。
それが今なぜ問題なのかというと、彼はいま、自身の回想録に取り掛かっており、
ちょうどベルリンに達したところ・・、
このことについてどう書くべきか・・知っていたフリをするのか、恥を忍んで認めるのか。。
こういうわけで、彼女に情報提供を求めるジューコフなのでした。

Montgomery and Zhukov.jpg

「なぜスターリンは私に教えなかったのだろう?」と語るジューコフに
彼女は逆にスターリンについて尋ねます。
「彼は恐ろしかった。彼がどんな目をしていて、どんな視線を持っていたか、わかるかな?」
そして赤軍大粛清にも触れて、彼が「我がロシアの軍事巨星団の一等星」と呼ぶ
トハチェフスキー元帥への仕打ちについても
「どうして話もせず、言い分も聞かずにいられたのか、これに関しては彼を許すことが出来ない!」と
熱く語りますが、彼の回想録にはそんな感じはまったくありませんでしたね。
しかし、読んでいて感じたこの疑問も読み進むうちにハッキリとします。

оминания и размышления.jpg

戦後、英雄ジューコフはスターリンによってウラル軍管区などの司令官に左遷されたものの、
スターリンの死後、国防相として復権しますが、1957年に党中央委員会の策謀で再び失脚。
こうして彼は本の仕事に没頭するわけですが、美化された「大祖国戦争史」を強烈に批判し、
「私は全てをありのままに書いている」という情報がスパイによってフルシチョフにももたらされ・・。
完成した彼の回想録はフルシチョフが失脚しても発行は許されず、4年の時が過ぎ、
削除、書き込み、補足を無理強いされ、力点を変えさせられて、ようやく陽の目を見ます。

そして彼の死から15年経った1989年から、ようやく彼の草稿通りに刊行されるようになった・・
ということで、自分の読んだ日本版は1970年の翻訳ですから、
当然、ジューコフの思い描いていた内容とは違うわけなんですね。。

Georgi Konstantinovich Zhukov.jpg

巻頭の写真ではクレープスの法医学解剖の写真が載っていますが、
まるで宇宙人の解剖のようです(別にグロい写真ではありません)。。
その他、本文には一切写真が無い本書ですが、これらは「KGBマル秘調書」に
ゲッベルスやヒトラーの顎骨のカラー写真が載ってましたね。
本書を楽しまれたなら、あちらの本もオススメします。
しかし、そのメインとなる前後の章は、ヒトラーの最期とは別の楽しみをもたらしてくれるもので、
タイトル通りの単なる「ヒトラーの最期」モノとは一線を画した、読み応えのある1冊でした。

と、偉そうに書いたものの、実は有名な「ヒトラーの最期」モノ2冊を読んでないことに
気づきましたので、勢いで購入しました。それは・・
ゲルハルト・ボルトの「ヒトラー最後の十日間」と、トレヴァ・ローパーの「ヒトラー最期の日」です。





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