SSブログ

ヒトラー戦跡紀行 -いまこそ訪ねよう第三帝国の戦争遺跡- [ドイツの都市と歴史]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

齋木 伸生著の「ヒトラー戦跡紀行」を読破しました。

今年の2月に発売された315ページの本書ですが、タイトルのヒトラーうんぬんはともかく、
副題の「いまこそ訪ねよう第三帝国の戦争遺跡」の方が気になっていました。
一度はドイツを訪れてみたい・・と思っているヴィトゲンシュタインですが、その際の参考に、
または、本書を読破することで、その想いが強烈なまでに高まってしまって、
とりあえず今年の夏休みにでも行ってみよう!という気持ちになることも期待しながらの読破です。
なお、著者の齋木氏は「チェルカッシィ包囲突破戦」などの訳者さんでもあるようです。

ヒトラー戦跡紀行.jpg

最初の遺跡は、この「独破戦線」でも何度も登場した、ヒトラーの山荘「ベルヒテスガーデン」です。
この山荘が作られた経緯・・特にマルティン・ボルマンが仕切って・・が解説され、
著者による観光ガイドと続く展開です。
ミュンヘンからより、オーストリアのザルツブルクからの方が遥かに近いなどの情報、
また、ベルヒテスガーデンというのは地名であり、山荘自体は「ベルクホーフ」と呼ばれ、
ここは終戦時に米軍によって破壊され、その後もドイツ政府によってナチスの痕跡を抹消しようと
再開発されているようです。

To deter tourists, sight-seers, and neo-Nazis, the Bavarian government blew up the ruins of the Berghof on 30 April 1952.jpg

博物館もつくられているそうですが、著者によると「いかにも私たちは反省していますよ、という
とってつけたような施設にしか見えない」ということですが、
ボルマンがヒトラー50歳の誕生日にプレゼントとして建てたことで知られる、
ケールシュタインのティーハウス(イーグル・ネスト(鷲の巣)のほうが一般的??)は健在で、
SS副官フェーゲラインエヴァの妹、グレートルの結婚披露宴が行われたこともあるこの場所は、
ヒトラーの城砦のなかでも美しさでは最高傑作としています。

Kehlsteinhaus.jpg

続いては「ゲルマニア建築計画」で、ベルリンを世界首都にしようというヒトラーの野望と
若き建築家シュペーアとの共同計画が解説されますが、結局は戦争の勃発により、
ほとんどが計画倒れなわけですが、いったい、何を紹介するんでしょう??

答えを先に書くと、せいぜい1936年のオリンピック向けに建てられた
オリンピア・シュタディオンくらいです・・。
後はブランデンブルク門に修復された国会議事堂。かつての官邸街は完全に姿を消し、
アパートなどが立ち並んで、有名なプリンツ・アルブレヒト通りのゲシュタポ本部
完全に取り壊されてしまっています。
そんななかで写真だけの紹介ですが、旧陸軍総司令部(OKH)は残っていて、
現在は「抵抗博物館」になっているというのは気になりました。
シュタウフェンベルク大佐の「蝋人形」がお出迎えしそうな感じですが、
個人的にはグデーリアンらの歴代参謀総長が、ソ連とヒトラーを相手に、
ここで苦悶を続けていたということを感じ取りたいですね。

Military demonstration at Hitler's 50th birthday celebration in Berlin. April 20, 1939.jpg

お次は、またまた南に戻ってナチ党の聖地であるニュルンベルクとミュンヘンです。
エヴァ・ブラウンの実家は極々「普通の家」・・。
ミュンヘン一揆」でヒトラーたちが行進した足取りをたどりますが、
あの「ビュルガーブロイケラー」はすでにありません。
最初のナチ党本部「褐色の家(ブラウン・ハウス)」も同様ですが、
その後に建てられた党本部は健在です。

Braunes Haus.jpg

ニュルンベルク党大会の壮大な建築物はいくつか残っていて、シュペーアの手による、
会場となった「ツェッペリンフェルト」も今も原型をとどめ、
「SS兵舎」は1992年まで駐留米軍が使用していたために、綺麗に残っています。

Reichsparteitag der NSDAP in Nürnberg.jpg

読み進めていくと自然に気づくと思いますが、本書はジャンルとしては「フォトエッセイ」のようで、
かなり気楽にいろいろ言いたいことを書いています。
すべて白黒なのが残念ですが、もちろん「フォト」も当時の写真と著者の撮った現在の写真も
多く掲載されています。

対ソ戦の総統大本営で有名な「ヴォルフスシャンツェ」の紹介では、
当時の東プロイセン、ラステンブルクにあったこの地が、現在はポーランドであり、
東プロイセンの中心地であったケーニヒスベルクは、カリーニングラードとして
ロシアの領土となっているという、話は興味深いものでした。

wolfsschanze_hitler_bunker.jpg

カイテルゲーリングらの専用ブンカー、ヒトラーを狙った爆弾の炸裂した軍ブンカーの跡地には
記念碑が建てられ、1992年のセレモニーにはシュタウフェンベルクの息子たちが参列したそうです。
なかなかの観光地となっている「ヴォルフスシャンツェ」に日本から行くには、
アエロフロート・ロシア航空が便利なようですが、
「いまやサービスは社会主義時代に逆戻りしていて、そのレベルは最低にまで転落した」と、
けちょんけちょんにこき下ろしています。。
ヴィトゲンシュタインはまだ乗ったことありませんが、こんな客を馬鹿にした不謹慎な態度かな・・。

Flight attendant Aeroflot.jpg

ただ本書は、どのレベル(第三帝国の知識)の読者をターゲットにしているかが良くわからず、
その「遺跡」にまつわる当時の話、例えばヒトラー暗殺未遂事件の顛末など・・・、
が多いのも気になりました。
本書に興味を持つのは、そうゆうことはある程度知っている人なんじゃないかなぁ。。

相変わらず目次は読まずに本文へと突き進むヴィトゲンシュタインですから、
本書になんの第三帝国の戦争遺跡が登場するのか、知らないまま、
「次はなんだろう・・?アレは出てくるかな?」と期待しながら読み進めましたが
(実は表紙に書いてありましたね・・。すぐにカバーを付けてしまうので。。)
後半は「第三帝国の戦争遺跡」ではなく、まさに「ヒトラー紀行」といった感じでした。

特に「西方電撃戦」からは、ベルギーの総統大本営、「ヴォルフスシュルフト」が出てきたまでは
良かったですが(ここも博物館に・・)、フランスの遺跡としては「ヒトラーの電撃パリ観光」が主題で、
エッフェル塔やら凱旋門やらが紹介されてしまいます。
ベルギーだったら「エーベン・エメール要塞」だったり、フランスなら「大西洋の壁」のトーチカや
Uボート・ブンカーなんかが知りたかったなぁ。。

U-Boot Bunker.jpg

オーストリアへ行くとヒトラーの生まれ故郷であるリンツや、青年時代を過ごしたウィーンが紹介され、
1938年のオーストリア併合までの、ヒトラーの足跡を辿るものとなり
(ヒトラーの両親の墓を探すものの見つからず・・)、チェコでもプラハ城などの紹介程度です。
個人的にはハイドリヒがそのプラハ城への通勤途中で暗殺の襲撃を受けた「トラムの停留所」とか、
リディツェ村」なんかの方がヒトラーが演説したホテルのバルコニーよりも、
「第三帝国の戦争遺跡」と言っても良いのでは?と考えますが、どうでしょう。

Liditz.jpg

最後のページにコッソリ書かれていましたが、本書は書き下ろしではなく、
月刊「丸」 に2009年~2010年にかけて連載されていたものを加筆/訂正したものだそうです。
そういうことであれば、本書のヒトラー好きの気ままな一人旅エッセイというのは、
ある程度納得できますが、本当の旅行ガイドのように「予算」と「現地調査」がしっかりしたものを
イメージするとちょっとガッカリしてしまうかも・・。
ヒトラーが泊まった高級ホテルも「値段が高くて泊まれなかった」という展開なので・・。
ただ、個人旅行の好きな人なら、「なるほど~」とその「エッセイ」部分を楽しめるでしょう。

rodina-mat-volgograd.jpg

読み終えてみて、本書に紹介された遺跡に関わらず、行ってみたいなぁという場所を
初めて真剣に考えてみました。
ベルリンのゲシュタポ本部やヒトラーの地下壕のように、現在は存在していない場合もありますが、
ロシアだったらスターリングラードセヴァストポリ、イタリアではモンテ・カッシーノ
ドレスデンの聖母教会・・ちょっと考えただけでもいろいろありますねぇ。



nice!(1)  コメント(2)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。