SSブログ

第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈9〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈9〉」を読破しました。

1945年2月、クリミア半島のヤルタで開かれた連合軍による3ヶ国首脳会談。
ルーズヴェルト、チャーチル、そしてスターリンが会場に到着する過程から
連日の会議と夕食会に至るまでが最初の100ページに渡って詳細に書かれています。

ヒトラーの戦い⑨.jpg

まずは午前中から始まる軍事会議の様子からです。
30分も遅刻してきた米国代表団に怒りの眼を向ける英国代表団。。
前巻の最後でも、このヤルタ会談の直前に行われた、英米によるマルタ会談が書かれていて
そこでは英軍参謀総長のアラン・ブルック元帥と、米軍参謀総長ジョージ・マーシャル元帥が
意見を対立させて睨み合う・・・という場面もありましたが、
さすがにソ連の参謀総長アントーノフやクズネツォフ海軍相が出てくると、
その嫌味たっぷりで探りを入れた発言に、英米の軍事代表団も顔を紅潮させます。

Ernest J. King_ George C. Marshall_Alan Brooke.jpg

「人間、腹が減ると平静さを失う」という典型となった、この昼食抜きで進む軍事会議の一方、
午後から始まった3ヶ国外相会議では、しっかり昼食会も兼ねており、
ソ連の外相モロトフによる「乾杯」の音頭で幕が上がると、それぞれの「外相に」や
「勝利に」など、延々16回も「乾杯」は続き、討議開催の宣言時には
一同すっかり「デキあがって」いるという有様です。

さらにはスターリン主催による夕食会・・。45回ないしは50回にも及ぶ「乾杯」攻撃の前に、
20皿のコース料理は冷める一方です。
なにも、このような会議の裏話ばかりではなく、ちゃんとした首脳会談もあります。
特に印象的だったのは、ドイツ軍の敗走に伴う、連合軍捕虜の本国送還問題です。

Yalta Conference.jpg

「捕虜となった将兵は例外なく、一日も早い帰国を希望している」と想像する西側ですが、
実際は、英米軍によって解放されたソ連軍捕虜の大部分が帰国を拒否します。
捕虜を「准英雄」視する英米と違い、敵前逃亡や裏切り行為として「投獄、銃殺」するソ連。。。

その頃、ヒトラーが移ってきたベルリンの総統官邸には、B-17爆撃機から
25発の爆弾が投下され、しぶしぶヒトラーも完成したての地下壕へ避難します。
そこではデーニッツがバルト海からの避難がはばからず、「ヴィルヘルム・グストロフ号」が
撃沈された件を挙げ、「空軍の援護の必要性」をヒトラーに訴えます。

BERLIN bomb.jpg

総統より先に地下壕へと逃げ込んでいたゲーリングは、その理由を
「反逆者」によるものだとして、将軍を含む12人の空軍将校を「銃殺刑」に処したと報告・・。
逃亡、戦意不足、腐敗に対する処置ですが、部下を戦意不足で処刑した空軍最高司令官が
いち早く地下壕へ逃げ込んでいることに怒るヒトラーから、逆に叱責されてしまいます。

そして連合軍の都市爆撃は遂にドレスデンへ・・。
ドイツ軍東部移送の中継地や集結地である・・とのソ連側の情報により、
その目標になったとされるこのベルリン南方の古都、ドレスデンですが、
実際は東方からの避難民の都と化しています。

Lancaster_formation.jpg

3時間の間隔をおいた2波によるアブロランカスター爆撃機、773機による夜間爆撃です。
高性能爆弾で建物を破壊し、焼夷弾で焼き尽くすこの作戦、
編隊の隊員たちは事前にドレスデンについての説明を受け、そこが「要塞都市」や
「化学兵器を製造する中心工業都市」、「主要補給都市」など様々な表現で首をかしげます。

bombing-Dresden 14_15 February 1945.jpg

猛烈な「ファイヤー・ストーム」によって建物も人も灰となり、
伝来の家具や財産と敢えて運命を共にした市民も多かったようです。
夜が明けて、廃墟となってもまだ火が燻り続けるドレスデン。
するとそこに第3波である米軍のB-17 300機がとどめとばかりに襲来・・。
しかし、その4発重爆よりも、護衛戦闘機「P-51」により地上掃射が
生き残り、必死に親族を探す人々を恐怖に陥れます。

dresden1945.jpg

勇敢に火をくぐって救出活動を行っていた兵士も、
この銃弾の雨を降らしながら降下する戦闘機の姿を見て、思わず泣き叫びます・・。
本書では死者数を13万5千人とし、参考に、その1ヶ月後の東京大空襲が
8万3千人という数字も挙げています。
ここら辺りは、以前にTVで観た映画「ドレスデン-運命の日」を思い出しますねぇ。

B-17 Flying Fortress.jpeg

ヒムラーが司令官を務めるヴァイクセル軍集団へ補充兵を送れ・・との話から始まった
女性大隊の編成と15歳の少年を動員せよというヒトラーの発言に
OKWの作戦室は静まり返ります。
作戦部長ヴァーリモントは「ヒトラーを除き、全員の顔が蒼白となった。我々が戦っているのは
愛する弱い者たちのためであり、それは女性と子供を意味するはずだ」。

A Hitler youth soldier with a Panzerfaust.jpg

中盤はライン川を巡る戦い。もちろん詳細なのはレイマーゲン鉄橋です。
最後の100日」とそれほど違いはありませんが、一か八か、この橋を奪取するために
いやいや任命された、米軍突撃隊の様子が笑えました。
いざ、突撃・・と合図を送ろうとした瞬間、対岸のドイツ軍工兵フリーゼンハーン大尉によって
なんとか点火され、爆音が轟きます。
フリーゼンハーンは「やった。これで助かった。もう米軍は来ない」。
しかし米軍の突撃隊長も「やった。これで橋を渡らずに済む」。

こんな展開だと、ちょっと独破を中断して、映画「レマゲン鉄橋」のDVD観るか・・、
と一瞬思いましたが、昔1回観ただけだし・・、DVD持ってなかったし・・・。

bridge at remagen_ROBERT VAUGHN.jpg

各地でライン川を越えた連合軍ですが、アイゼンハワーにはまたしても問題が報告されます。
解放された強制労働収容所の外国人女性との「交歓」による性病の蔓延、
「強姦」によって軍法会議にかけられた米兵が3月だけで128名、
さらには行く先々での戦利品と記念品の「略奪」・・。

Liberated Jewish women.jpg

そして最も重要な問題についてもアイゼンハワーは結論を出します。
「ベルリンへの競争はやめだ」。
これに双眼を充血させるのは英首相のチャーチルです。「ナチズムから救ったヨーロッパを
ソ連に与えるのでは、何のために戦争したのかが分からなくなる」。
英軍参謀総長ブルックも辛辣に「アイクの未熟な頭脳のおかげで、対独勝利は、
対日勝利よりも遅れるのでは・・」。
チャーチルは政治的解釈をルーズヴェルトに求めるも、その大統領は極秘のうちに死去。

eisenhower-churchill.jpg

西のルール地方ではB軍集団が包囲され、東部では参謀総長グデーリアンが解任。
SSのカール・ヴォルフはイタリアとスイスで和平交渉に明け暮れ、
空軍はMe-109で体当たりの「特攻」に踏み切ります。
ヘスは気がふれたし、ゲーリングは人望がない」と後継者にも悩むヒトラー。
秘書の「ではヒムラーは?」の問いに、「彼には芸術的センスがない」と一言。

Goring, Keitel,Donitz, Himmler, Hitler.jpg

最後はカナリス提督の処刑です。
直接証拠がないにも関わらず、ヒトラー暗殺未遂事件に関与したかどで逮捕されたカナリスを
釈放するようヒムラーに求めるのはOKW長官カイテルです。
しかし、4月5日、そろそろ危険な証人を始末するべきだとするボルマン
ヒムラーは連合軍との和平のために活用すべきと反論しますが、
RSHA長官のカルテンブルンナーとゲシュタポのミュラーは上司に背き、ボルマンに同意します。

Canaris_19.jpg

カナリス処刑の報告を受けたカイテル元帥。
この正式裁判抜きの処刑に「単なる殺人であり、国防軍の名において責任者の処罰」を
直接ヒトラーに要請するのでした。
本書はカイテルが、未だかつて読んだことがないほど男らしいです。







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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈8〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈8〉」を読破しました。

ノルマンディ上陸以来、パリも開放し、順調に進軍してきた西側連合軍。
しかし補給困難から完全な停止状態に陥ります。
第21軍集団を率い、再三に渡って最高司令官アイゼンハワーに注文を付ける
英国のモントゴメリー・・、そして第12軍集団を率いる米国のブラッドレーは
モントゴメリーの傲慢さを耐えているものの、隷下の第3軍、パットンは爆発寸前です。

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その米第3軍では落ちた士気や衛生面についての注意が伝達され、
疲れた兵士たちの間では、それに対する批判めいた「小話」が流行します。
兵士が汚れた手でパンを掴まないようにフォークを胸ポケットに入れ、
"ナニ"を引っ張り出すために、ズボンの前に紐をぶら下げていることに満足する規律にうるさい将軍。
「用を済ませて"ナニ"をしまうとき、手は使わんのかね?」
「使いません、閣下。そのときには、このフォークを使いますんで・・」。

11月にはマレーネ・ディートリッヒが慰問に訪れます。
彼女らと食事し、ショーも堪能したかのパットンですが、その感想は
「酷い低俗なショーだ。人間の知性に対する侮辱だ」。なんともパットンらしいですね。
このようなパットンの標的となったのはドイツG軍集団のヘルマン・バルク
参謀長のフォン・メレンティンが守るメッツ(メス)です。
しかし米軍の攻撃の前に敗走を続けるドイツ西方軍に起死回生の作戦が。。

Balthasar Woll &Hermann Balck.jpg

「ラインの守り」作戦。3個軍でアルデンヌからベルギーのアントワープを目指すこの作戦を
ヒトラーから聞かされた西方軍司令官ルントシュテットは4年前に同じ方面の作戦・・
電撃戦」を実施したことと比較し、「悪天候を選び、空軍の支援もなく、
たった1ヶ月の準備期間とは・・」と諦め気味。
ヒトラーのお気に入りの若き元帥、B軍集団のモーデルを「おべっか使い」と批評する
ルントシュテットですが、そのモーデルも老元帥を「前世紀の遺物」視しているという
ソリの合わない両元帥・・。それでも今度ばかりは意見の一致をみます。

Gerd von Rundstedt.jpg

この「超」がつくほどの「極秘」作戦計画ですが、
スコルツェニーによる米軍背後への「グライフ作戦」のために
「極秘挺身作戦」として英語を話せる参加希望者を各軍司令部に募集してしまいます。
連合軍のスパイにも知られかねない、この大っぴらな部下募集にスコルツェニーは
中止を進言しますが、「白痴的ミス」としながらも、ヒムラーは首を横に振ります。

結局、募集で集まった志願兵のうち「A級」とされる英語のスラングまで話せるものは僅か10人・・。
しかも全員水兵であり、「E級」のYes,Noしか喋れないものは100人にも及びます。
そして「ムッソリーニ救出」の離れ業を演じた指揮官に夢が膨らむ彼らは作戦内容を
「パットンの誘拐だ」、「最高司令官の殺害だ」、「ドイツ人捕虜の解放だ」と語り合います。

こんな展開だと、映画「バルジ大作戦」のヘスラー大佐と若き戦車長たちによる
「パンツァーリート」の大合唱シーンが頭の中では流れ続けますねぇ。
ちょっと独破を中断して、DVD観るか・・、でも今回もガマンです。。。



遂に始まったドイツ軍、起死回生の「アルデンヌ攻勢」。
順調なスタートの報告を聞いたヒトラーは上機嫌でデーニッツに語ります。
ゼップ・ディートリッヒのSS第6戦車軍がアントワープを攻略したら、
港内にいる連合軍艦艇を逃さぬことだ」。

American Sherman M4 Tank at the Battle of the Bulge.jpg

バルジ大作戦」並みに書かれたこの作戦は、当然主役のひとり、パイパー「大佐」や
総統護衛旅団」のレーマーが攻撃命令を受けたものの、損害が多いと見込み、
独断で迂回した話なども出てきますが、どちらかと言えば「バストーニュ」の攻防戦が中心で、
有名な「Nuts!」が英米軍将兵にも広く伝わり、
士気も高揚し、ブラッドレーも使った・・など、防御側の連合軍が中心です。
さらに窮地に陥った米軍を救うために、モントゴメリーが指名されると、
この英米間のドロドロ話がこれでもか、と続いていく展開です。

Joachim Peiper4.jpg

特に英国の新聞各紙が、アルデンヌ戦線の「退勢」はアイゼンハワーとブラッドレーの責任であり、
モントゴメリーはその「敗勢」を食い止めた「アルデンヌの英雄」である」という論調から、
モントゴメリーも自分を「連合軍地上軍司令官にせよ」との書簡をアイゼンハワーに送りつけたことで
腹に据えかねたアイゼンハワーが「解任する」と言い出したくだりが楽しめました。
これを聞いたパットンも、もちろん日記に記します。
「モントゴメリーの下で働くことなど絶対に御免だ。そうなったら辞任する」。

Montgomery Patton.jpg

英米連合軍である以上、英国人の自分が解任されることはない・・と
タカをくくっていたモントゴメリーですが、後任が同じ英国元帥であるアレキサンダーになりそうだ
という情報が入ると、一転、大慌てで、アイゼンハワーに「詫びの電報」を送ります。
とりあえずは一件落着し、年も明け1945年を迎えます。
いよいよドイツ本土への侵攻作戦へと移る西側連合軍ですが、ここでも
北部のモントゴメリーか、南部のブラッドレーのどちらが攻勢をかけるのか・・という問題が・・。
元々は英国vsドイツの戦争であって、主役は自分たち・・、
米国はそれを補佐する程度という立場の英軍。
しかしすでに米軍の戦力は英軍を大きく上回っており、これに納得できない米軍という図式です。

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すると、この消えかかっていた問題に「火に油を注ぐ」人物が登場・・。
英軍参謀総長のアラン・ブルックです。
米軍指揮官の「経験不足」を懸念するブルックは、リッジウェイ中将などは
「同階級の最良の英将軍以上ではないにしても同等だが、より上級の指揮官は
未経験者ばかりだと」して、「ブラッドレーは第12軍集団司令官になる前に、わずか数週間、
軍団長勤務をしただけであり、アイゼンハワーに至ってはそれほどの経験もない」。

Alan Brooke.jpg

また、「バルジの戦い」とそれに続く「ボーデンプラッテ作戦」でスケジュールの狂った連合国空軍は
粘り強いドイツ空軍と生産能力から、登場してきたMe-262ジェット戦闘機
Ar-234ジェット爆撃機が量産されると、6月にはドイツ軍に制空権が移るとまで危惧し、
一方、ヒトラーはジェット機の生産を2倍にするようハッパをかけ、
ガーランドジェット戦闘団も承認します。

me 262_J.jpg

鳴りを潜めていた東部戦線では、チャーチルの要請に答える形で、最後の大攻勢が始まります。
すでにかつてのソ連領土を取り返していたソ連軍ですが、ポーランドを含め、
ドイツまで侵攻するための「名分」として「復讐」を掲げます・・。

そして「東プロイセンこそ、ヒトラーの食人種ども、ドイツの野獣の棲家だ」との合言葉のもとに
解き放たれた狼群が羊群が襲うが如く、無慈悲で非道な行為が行われ、
撤退した第4軍のホスバッハや中央方面軍司令官のラインハルトも解任。。

Ostpreussen 1945.jpg

1月27日にはソ連軍がアウシュヴィッツに辿り着きます。
本書は戦争が中心ですから、ここまでホロコーストや強制収容所、ユダヤ人問題にはほとんど
触れられていませんでしたが、ここに至って、このアウシュヴィッツの絶滅システムが
所長ルドルフ・ヘースの証言とともに詳細に解説されます。

Rudolf Hoess_7.jpg

この第8巻は全体的に西側連合軍が中心でした。
かと言って、東部戦線がお座なりにされているわけではなく、
ドイツ陸軍参謀総長として奮戦するグデーリアンや彼に情報を提供するゲーレンなども
随所に登場しては、東部戦線の危機を訴え、西部の兵力を回すよう進言するものの、
ヒトラーからは「東部は東部で戦え!」と叱責されてしまいます。

いよいよ1945年の最終戦ですが、あと2巻・・、結構、濃そうで楽しみですね。





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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈7〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈7〉」を読破しました。

ノルマンディへ上陸を果たし、橋頭堡を築いた連合軍に対し、必死の反撃を繰り返すドイツ西方軍。
しかし、その反撃の核というべきB軍集団司令官のロンメルが瀕死の重傷を負って倒れ、
その情報に「新生ドイツの基礎が失われた」と愕然とする、シュタウフェンベルク大佐と
元参謀総長のベックら、「ワルキューレ作戦」の計画者たち・・。

ヒトラーの戦い⑦.jpg

この有名な7月20日のヒトラー暗殺未遂事件は、映画も含めて、本も何冊か読んでいますが、
シュタウフェンベルクが机の下にの置いた爆弾の入ったカバンを
邪魔だとばかりに足の先で押し込み、その結果、ヒトラーは助かったという話では
その足で押し込んだ人物が陸軍参謀本部作戦課長ハインツ・ブラント大佐であり、
彼が前年にもそれとは知らずにスモレンスクで「酒瓶爆弾」をトレスコウらから受け取り、
ヒトラー搭乗機に持ち込んでしまった人物ということに気が付きました。
まったくツイテないブラントは、この2回目の爆弾の犠牲者となってしまいます。

Hitler alights from a plane in Smolensk.jpg

同様に怪我を負った参謀次長のホイジンガーの代行にヴェンクを当て、
兼務していた参謀総長にグデーリアンを任命すると語るヒトラーに
OKW長官のカイテルは「彼は急に弱気になった」と観察しています。
そしてクーデター派に貴族の称号である「フォン」が多かったことからOKW、OKH内の
全「フォン」族の厳重チェックも指示します。

Guderian as TIME cover.jpg

正式名称「大ドイツ帝国対ヴィッツレーベンその他に関する人民裁判」が開廷し、
フライスラー裁判長とヴィッツレーベンヘプナーの審理も詳しく書かれています。
「そこの薄汚いじじい!」と叫ぶフライスラーの元帥に対する非礼に
傍聴席の国防軍将校からはざわめきが起こります。
その後の絶命するまで通常の3~4倍もかかったという陰惨な絞首刑の様子も
ここまで詳細に書かれているものは初めて読みました。
また、ヒトラーがこの様子を映画や写真で喜んで観たとされる件では、
アーヴィングの「ヒトラーの戦争」と同様の解釈です。

Volksgerichtshof, Dr.Carl Goerdeler.jpg

膠着する西部戦線では、連合軍爆撃機編隊がドイツ軍の前線に向けて飛び立ちます。
しかし、誤爆によって米軍第30師団に死傷者150人以上という被害が・・。
これにもメゲない連合軍は翌日に仕切り直し。
そして再び誤爆・・。今度の死傷者は600人にも及びます。。。

ファレーズ・ポケット」が閉じられようという危機を迎えたドイツ西方軍。
司令官の「フォン」・クルーゲ元帥が行方不明との急電がヒトラーの元へ飛び込んできます。
このクルーゲが西側連合軍との接触を試みたのでは・・とされる事件も検証しています。
罷免されたクルーゲの様子を参謀長だったブルーメントリット
「目はくぼみ、顔色は蒼黒く沈んで・・、兼務するB軍集団との2つの司令官との重責に
押しつぶされたのだ」とその時の様子を語ります。

Hans-Günther v. Kluge.jpg

そのクルーゲが自殺した日、パリではレジスタンスが蜂起します。
やがてヨードルに向かって「パリは燃えているのか?」と繰り返すヒトラーですが、
大パリ司令官のコルティッツは破壊命令を無視して、降伏。
パリ市民は4年間の怨念を晴らすため、投降してきたドイツ兵に襲い掛かり、撲殺、射殺。。
それよりも激しい怒りはドイツに協力した同胞に向けられ、髪を剃られ、素っ裸にされ、
「ドイツ兵の娼婦でした」と書かれたプラカードをぶら下げて街を引き回します。

After France was Liberated 1944_2 ABUSE OF FRENCH WOMEN.jpg

ルーマニアでは首相のアントネスクが王宮で国王によって逮捕/監禁されてしまいます。
まさにムッソリーニと同じ展開ですね。
「もうパリどころではない。ルーマニアの石油が問題だ!」と興奮するヒトラー。

Marschall Antonescu, Dictator of Rumania.jpg

西方軍司令官に再度ルントシュテットを起用し、B軍集団にはモーデル・・となると、
お馴染み「遠すぎた橋」が始まる予感です。
そして遂にモントゴメリーによって下令された「マーケット・ガーデン」作戦。
大破した1機のグライダーから押収した完全な命令書にシュトゥーデントビットリッヒらも狂喜し、
「3ヵ所に1個師団ずつ、そして北上してくるのが英軍か・・」と
モーデルは「それなら叩ける」と自信をのぞかせます。

Walter Model with General der Panzertruppe Hermann Breith.jpg

しかしヒトラーの司令部では情報の少なさから空軍の出動を求めますが、
案の定、ゲーリングは行方知れず・・。そして「こういうときにリヒトホーフェンが必要なのに・・」と
脳腫瘍で倒れ、再起が見込めない、ヒトラーが信頼する空軍元帥の不在を嘆きます。
こんな展開だと、頭の中では「遠すぎた橋」のテーマが流れ続けますねぇ。
ちょっと独破を中断して、DVD観るか・・、でも今回はガマンです。。。



そのヒトラーの心配をよそに大失敗に終わった「マーケット・ガーデン」作戦について
ルントシュテットは冷ややかに論評します。
「逃げ場のない一本道で作戦しようとするのは、ただ生命と血の浪費に過ぎない」。

Arnheim, britische Gefangene.jpg

その頃、東部戦線では「ワルシャワ蜂起」が始まっており、ディルレヴァンガー
カミンスキーの極悪SS鎮圧部隊に劣勢となったポーランドのコモロフスキー将軍は
ロンドンの亡命政府に空挺部隊の派兵を要請します。
ところがポーランドの空挺部隊は、当然「マーケット・ガーデン」作戦に駆り出されていて・・。
このように1944年も夏を過ぎると、あちこちで様々な問題や出来事、事件が発生して、
それらが少なからずリンクしていることを本書では理解できますね。

Warsaw_Uprising_-_Kaminski_(1944).jpg

この「ヒトラーの戦い」では全般的にヒトラーの体調の変化に度々触れていて、
都度、モレル医師の治療法に不審を持つ人物が登場しますが、
この巻では遂にSS全国指導者ヒムラーに睨まれて、観念したモレルは
恒常的に投与してきた整腸剤が毒性の強いものであることなどを告白します。

Morell hitler.jpg

左こめかみの骨折と眼の損傷により、左半分がひしゃげたような顔となったロンメル
7月20日事件の関与をヒトラーから疑われ、死を強要されます。
海軍副官プットカマーから最期の報告を受けたヒトラーは、「またひとり、古い戦友を失った・・」。
また、同じく関与が判明したカナリス提督が「ブランデンブルク師団」で総統本営を強襲する計画を
立てていたという話も初めて聞くものです。

Rommel_44.jpg

80万人ものユダヤ人に一切、手をつけなかったほど気を使っていたハンガリー
ソ連の圧力の前に枢軸から脱落寸前・・。
これを阻止するためのスコルツェニーによる「パンツァーファウスト」作戦もなかなか詳細で、
この作戦の指揮官がバッハ=ツェレウスキであったのは初めて知りました。

しかしマンネルヘイムのフィンランドはソ連に屈服します。
レンドリックの駐留ドイツ軍3個軍団は、形式的なフィンランド軍の攻撃を受けながらも
スウェーデンを経由して、ノルウェーへの大移動を実施します。

Generaloberst Lothat Rendulic (t.h.)(sjef for 20. Gebirgs Armee.jpg

そしてドイツ本土・・。ケルンの西方の小都市アーヘンが陥落し、
東部でも東プロイセンにソ連軍が侵攻・・。
ヒトラーの司令部ヴォルフスシャンツェも避難準備を始めますが、
ヒトラーの元副官で、いまや第4軍司令官である、「男」ホスバッハが逆襲に成功。
とりあえずは、ソ連軍をドイツ本土から駆逐し、総統本営は喜びに沸き返ります。

Friedrich Hoßbach.jpg

最後はヨードルに西部での攻勢作戦を指示するヒトラー・・。
作戦名「ラインの守り」、もちろん「バルジ大作戦」です。







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