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ロンメル戦記 -第一次大戦~ノルマンディーまで- [ドイツ陸軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

山崎 雅弘 著の「ロンメル戦記」を読破しました。

次に何を読むか・・。いつも1日2日は悩みます。
しかし、まだ「ヒトラーの戦い」の後遺症から抜け出せないのか、
全然考えられません。。。
往復3時間という通勤時間のいま、カバンを持って仕事に向かおうとした際に、
狐たちの夜」があと、50ページで読み終えてしまうことに気づき、
慌てて、本棚を確認・・。そして、とりあえず手に取ったのが本書です。
人間慌てるとこんなもんで、まぁ、やっぱり「ロンメル」繋がりになってしまいました。

ロンメル戦記.jpg

400ページの本書は、ロンメルの生い立ちから始まり、第1次大戦での活躍、
地元のヴュルテンベルク山岳兵大隊の中尉としても名を挙げます。
そのハイライトはロンガローネで知られるイタリア軍との戦いで戦功を挙げて、
プール・ル・メリット章」を受章。
副題どおり、生い立ちなどは必要最低限で済ましていますね。

Rommel_Pour le mérite.jpg

戦後はドレスデンの歩兵学校で教官勤務に就きます。
ここでは後の元帥フェルディナンド・シェルナーも教官をしていて
好対照なこの大柄のバイエルン人との友人関係は、最後まで続いたそうです。

LeutnantFerdinandSchoerner.jpg

1930年代には大佐としてヒトラーの身辺警護責任者を務め、
1940年のフランス電撃戦では第7装甲師団を率い、快速を信条に
「幽霊師団」と呼ばれるほどの神出鬼没ぶり。
ここでは戦車連隊長のカール・ローテンブルク大佐を取り上げ、
彼が翌年に戦死しなければ、マントイフェル並みの戦車部隊指揮官になったのでは・・
と高く評価しています。

またフランス陸軍の頑強な怪物戦車「シャールB1」に遭遇し、
この最強の戦車部隊に勝利する過程もなかなか楽しめます。
そして首尾よく終わったフランス戦。
上官のヘルマン・ホト軍団長のやや辛辣なロンメル評も紹介されます。

CharB1b.jpg

いよいよ中盤は「ドイツ・アフリカ軍団」長としての戦いですが、
まぁ、これは以前にも数多く紹介していますので、本書の特徴のような
ロンメルvsだれだれ・・といった話を書いてみましょう。
まずは第5軽師団シュトライヒ少将です。フランス戦からの因縁がある同い年の2人、
上官ロンメルの攻撃命令を燃料不足で拒否したことで「卑怯者」呼ばわりされたシュトライヒは
激高し、「今の言葉を取り消さなければ、騎士十字章を貴官の足元に叩きつけますぞ!」。

Italian General Gariboldi、 Erwin Rommel and Johannes Streich to Tripoli, Libya, 12 Feb 1941.jpg

「軍団」から「アフリカ装甲集団」、さらに「アフリカ装甲軍」と昇格し、ロンメル自身も
トブルク要塞を攻略したことで、一気に元帥にまで上り詰めます。
しかし「エル・アラメイン」では第21装甲師団長のビスマルクが戦死し、
アフリカ軍団長のネーリングも重傷を負い、参謀長のバイエルラインが代理となるものの
結局、英第8軍モントゴメリーの前に敗北・・。

Rommel_with_Fritz_Bayerlein_&_Albert_Kesselring_at_North_Africa,_February_1942.jpg

チュニジアまで撤退するもそこはすでに連合軍が上陸し、
フォン・アルニム上級大将の第5装甲軍が奮戦中・・。
ここでも指揮権を巡る争いが発生し、双方が勝手に作戦を立案/実行し、
互いの軍から師団を取り合うというイザコザに発展します。

feb-12-1943-Gen. Hans-Jurgen von Arnim.jpg

ロンメル最上の時は終わり、著者はこの北アフリカでのロンメル敗北の理由を
良く言われる補給と兵站に対する視野の狭さであったとして
前線の部隊指揮は素晴らしいものの、軍団長や軍司令官としては疑問符が付く・・という感じです。

最後はB軍集団司令官として「ノルマンディのロンメル」が語られます。
国民や一般の将兵からは英雄として絶大の人気を誇るものの、
最高司令部からは以前から「厄介者」として嫌われ、1944年7月20日の
シュタウフェンベルクの仕掛けた爆弾によって、唯一の味方だった
総統副官のシュムントが死亡・・。

Rommel_&_Eugen_Meindl.JPG

挙句の果てにはロンメルにも嫌疑がかけられ、有名な自殺の強要が・・。
このような軍歴を送ったロンメルを最後に評価します。
それは、もし彼がヒトラーの知遇を得ていなかったら・・という解釈で終わりますが、
その評価は納得がいく反面、人によっては、「もし」などという評価に
どんな意味があるのか・・と思うかもしれません。

Adolf Hitler awarded Marshal's baton to Erwin Rommel in 21 June 1942.jpg

まぁ、社長に可愛がられている課長が、部長や専務の指示を聞き入れず、
自分の仕事のやり方を直接、社長に訴える・・というのが、ロンメルであり、
そうなれば上司にとっては、とんでもない「厄介者」となりますね。

ロンメル入門編としてなかなか整理された1冊だと思います。
読みながら感じた印象としては、「狐の足跡」をダイジェストにして、
その他のロンメル戦記のネタでちょっと肉付けしたと言えば良いでしょうか。
ココで以前に紹介したものを読まれている方には、あまりにダイジェスト的過ぎて
物足りないと思われるでしょうが、自分は久しぶりにロンメルと向き合いました。

Rommel died.jpg

あとがきでは「参考文献」について述べられていて、
「日本でも有名なドイツ人著者の文献がリストに挙がっていない」理由が書かれています。
その著者の記述内容の偏向や思想的背景がドイツ本国で疑問視されている・・ということですが、
これは「パウル・カレル」の「砂漠のキツネ」と「彼らは来た」を指していると思います。

また、同様に問題のある著者の有名な文献・・すなわち「ホロコースト否定論」で逮捕され、
歴史家としての信用が失墜したアーヴィングの「狐の足跡」は
「信用に足るもの」であり、参考文献としてOKだということです。

Die Wüstenfüchse Carell.jpg

まぁ、個人的にはどちらも面白かったので、本書よりはオススメですが、
特にカレルが最近、こんな言われ方しているのは残念ですし、
すでに亡くなっているのに可哀想ですねぇ。
著者はあえて名前は挙げていませんが、だったら別に書かなくても良いんじゃないでしょうか。
参考に"しなかった"ものの理由を中途半端に書く、という姿勢がわかりません。

カレルはドイツ軍、またはドイツ人から見た「戦記」を書く人・・と思っていますので、
ドイツ軍が好きな人は読んで面白いですし、
当然、「砂漠のキツネ」も英雄ロンメルのアフリカの戦いを
ワクワク、ニヤリとさせながら読ませてくれるものです。

Rommel_pushes_his_His_staff_car_who_was_stuck_in_the_sand.jpeg

そう思うと、カレルが「最終戦」を書き上げることがなかったのは、
ひょっとしたら良かったのかも・・と思ったりします。
「彼らは来た」や「焦土作戦」ですら、やられっぱなしのドイツ軍の戦いを
局地的には互角であるかのような書きっぷりで、なんとか救われていましたが、
「最終戦」はどうやっても救いがないですから・・。
たぶんハインリーチだけで318ページは書かないと・・。

自分は歴史研究家ではなく、単なる読書愛好家ですから、読んで面白いのが一番です。
歴史と戦争を客観的に評価したものも読みますが、
そういうのは勉強にはなりますが、大概に読んでいて楽しいものではなく、
片方の視点から描いたものは主役がハッキリして、肩入れしながら楽しく読めるものです。
なんせジューコフの回想録読んでいて、しっかりジューコフに肩入れするくらいですから・・。
第三帝国時代のドイツの人々が何を考えていたのか・・が自分が最も気になることなので、
カレルが好きなのは当たり前ですね。
以上、なんだか自己分析してしまいました。



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