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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈6〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈6〉」を読破しました。

やっと半分が終わった「ヒトラーの戦い」との戦い・・。
当初の不安をよそに、正直、かなり面白いので、ガンガン読み進めてます。
この第6巻は1943年のイタリア情勢から始まります。
シチリア島に連合軍が上陸し、ヒトラーの盟友、ムッソリーニのファシスト体制にも
崩壊とイタリア降伏の危機が迫ります。

ヒトラーの戦い⑥.jpg

ムッソリーニを救出すればイタリアは息を吹き返し、連合軍はショック受けて気力も失うだろう」
という、ヒトラーの発言に沈黙するOKW統帥局長ヨードル
「イタリア贔屓」の南方方面軍司令官のケッセルリンク・・。
一方、シチリア島では上陸した米第7軍司令官のパットンが、
メッシーナへの英第8軍司令官モントゴメリーとの競争に勝つべく、
部下の兵士たちを叱咤激励します。
しかし、訪れた野戦病院で「神経がやられました・・」と語る兵士をビンタ。
大好きな映画「パットン大戦車軍団」そのままのエピソードが詳しく語られます。

PattonSlap.jpg

ローマではヒトラー直属としてムッソリーニの行方をひたすら追い求めるスコルツェニー
ムッソリーニの娘で外相チアーノ夫人でもあるエッダの父親へ宛てた手紙をゲットした
ゲシュタポのカプラーの活躍もあって、徐々にその行方を突き止めていきます。
最終的には有名なグラン・サッソへのグライダーによる救出作戦に成功するわけですが、
この全世界を驚かせたスコルツェニー一世一代の活躍もなかなか詳細です。

Skorzeny met de bevrijdde Mussolini.jpg

並行して語られるバドリオのイタリア新政権が連合軍と降伏交渉を行う過程も
ムッソリーニを逮捕せよ」に負けず劣らず書かれていますが、
あちらがイタリア寄りだったのに対して、本書はあくまでヒトラーが主役ですから印象も違いますね。
イタリアの「裏切り」によって引き起こされたケッセルリンクの容赦のない命令によって
イタリア兵の武装解除も行われます。
燃料や装備一式をそのままドイツ軍に引き渡し、夜逃げ同然のように姿を消す部隊もあれば、
ドイツ軍と共に戦い続けることを宣言する部隊も僅かながらにも存在するのでした。。

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無事救出されたムッソリーニを温かく迎えたヒトラーですが、まずは新政府の初仕事として
「誰よりも4倍も悪質なチアーノの処刑」を求めます。
しかし外相リッベントロップからドイツ側が協力したチアーノ脱獄計画がヒトラーに知らされます。
これはRSHA長官ハイドリヒの後任、カルテンブルンナーによる作戦であり、
チアーノの妻が隠し持つ秘密資料「チアーノ日記」をドイツ側に引き渡すのと交換に
夫共々チアーノ一家を亡命させる・・というエッダの要望に乗ったもので、
誰がムッソリーニを処刑したか」の美貌の情報員ビーツ夫人も登場。
本書では、彼女はチアーノよりも、エッダ夫人に同情的で、
この作戦の中止命令を受けて「残酷だ・・」と泣き崩れてしまいます。

Edda Ciano_Italian military officer.jpg

ヒトラーが中心となった第三帝国興亡史ですから、どうしても政治や陸軍の話が多くなりがちな
本書ですが、たまには空軍、海軍が小話程度に出てきます。
1943年11月、空軍の新兵器展示会・・。ジェット戦闘機Me-262やV1飛行爆弾、V2ロケット
そして空対地ミサイルのHs 293といった最新兵器が勢揃いです。

hs293.jpg

これらをヒトラーに説明するのは航空機総監のミルヒ元帥・・ではなく、いいところを見せようと
「自分がやる」と言い出したゲーリング空軍総司令官兼帝国元帥です。
しかし故障により戦闘機一機が急遽不参加となっていたことなど知る由もないゲーリングは
一機づつプログラム通りに読み上げながらヒトラーに解説・・。
「次は高高度戦闘機、FW Ta-152、乗員一名」と読み上げた場所には、
双発爆撃機Ju-88の改良型が・・。そして、その後もズレたまま進んでしまい・・。

Göring hitler.jpg

東部戦線では3度目の冬を迎え、チェルカッシィの包囲陣から脱出の様子などが語られたのち、
ソ連の圧力の前に、A軍集団司令官のクライスト元帥、南方軍集団司令官のマンシュタインも罷免。

続く1944年4月のクリミア半島の防衛戦はかなり詳しく書かれていて楽しめました。
特に第17軍司令官イェネッケ上級大将がセヴァストポリが包囲されたことは
前A軍集団司令官のクライストの責任であるとして、撤退を進言した結果、
解任どころか「軍法会議」という憂き目にあう展開や、ブラウヒッチュ解任後、
陸軍総司令官をも兼務してきたヒトラーがこの時期、フーベを高く評価し、
彼を陸軍総司令官の第1候補と考えていたことなど
苦境に立った東部戦線も司令官の交代が頻繁に行われます。
ちなみに本書では「上級大将」という階級は存在しません。。。

Erwin Jaenecke.jpg

西側連合軍の上陸の噂がドイツ国内に流れ始めると、兵員不足を心配する市民たちは
ちょっとしたジョークを囁き合っていたようです。
ある老人が招集され、第1次大戦に参加した時の所属兵科を聞かれて、こう答えます。
「いや、第1次大戦には参加しませんでした。年を取りすぎていましたんで・・」。

For freedom and life, popular storm! 1944.jpg

そして噂通り、西側連合軍による「史上最大の作戦」が始まります。
ここでも「パットン大戦車軍団」を彷彿とさせる、「ビンタ事件」で首になりかけている
パットンを温存するといった、連合軍による欺瞞工作がこれでもか・・と解説され、
このような連合軍の裏話では、「性の処理」問題がとても勉強になりました。
モスクワ攻防1941」に書かれていたソ連の司令官たちの「陣中妻」。
本書では西側連合軍の司令官たちも同様であったことが書かれていて、
アイゼンハワーが英国女性運転手サマーズビー大尉と公然と交際していたり、
副官のブッチャー大佐も婦人部隊士官と、参謀長のスミス中将は従軍看護婦で、
パットンも女性運転兵、そのパットンの参謀長ヒューズ少将は女性秘書・・、
この調子だと、米軍の将官はほぼ全員、こんな感じじゃないでしょうか?

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モンテ・カッシーノを廃墟と変え、一路、ローマへ進軍する連合軍。
「ローマを破壊した男として歴史に記録されたくない」と語ったというヒトラーの話は、
ちょっと驚きでした。その数ヵ月後には「パリは燃えているか?」と言うんですからね。
やがて無防備都市となったローマに連合軍が到着する場面では、
「フレデリク准将の第1特別部隊が・・」という記述が・・。
これは「悪魔の旅団」ですね。危なく見逃すところでした。
さすがの荒くれ部隊だけあって、この夕暮れ迫るローマで同士討ちをやっています。

Liberation of Rome, June 1944.jpg

遂にノルマンディに上陸した連合軍を迎え撃つドイツ軍の主役は、
第21装甲師団のフォイヒティンガー少将です。
連合軍からもその存在を誤魔化していた、戦車70両を揃えた唯一の装甲師団であり、
第12SS装甲師団「ヒトラー・ユーゲント」バイエルライン率いる戦車教導師団が到着する前に
連合軍を追い落とす任務を西方B軍集団司令官のロンメルから命ぜられます。
ですが、3個師団の増援を求め、到着したクルト・マイヤー(本書ではフリッツ・ヴィットではなく
最初から師団長です)からも「一緒に突撃すべし!」と訴えられ、困惑します。

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ノルマンディの海岸を艦上から眺める連合軍首脳たち。
「ジュノー」、「ソード」の各ビーチから砂塵をあげて内陸へ向かう英軍戦車・・。
モントゴメリーは皮肉たっぷりにアイゼンハワーに語りかけます。
「オマハとユタからの連携はゆっくりでも構いません。我が軍はお待ちします」。

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シェルブール陥落の責任を問われた、第7軍司令官のドルマン中将は青酸カリで自殺。
西方装甲軍司令部は爆撃を受け幕僚17人が死亡し、司令官シュヴァッペンブルク中将も負傷。
西方軍司令官ルントシュテットも解任され、後任のクルーゲと言い争うロンメル。。

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このようなドイツ軍の現状にも関わらず、粘り強いドイツ軍によって思うように進展しない作戦と
ロンドンを襲い始めた「V1」による大きな被害に、チャーチル首相は、
「ロンメル暗殺」作戦を陸軍特殊部隊 SASに命じるのでした。
そういえば、そんな小説もありましたねぇ。アフリカ戦線でしたけど・・。





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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈5〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈5〉」を読破しました。

遂に発動された1942年の夏季攻勢「青」作戦。
ドイツ南方軍集団がヴォルガ川のスターリングラードと、カフカスからバクー油田を目指すこの作戦。
A軍集団とB軍集団に分かれて順調に進撃を進めますが、
その反対側・・フランス沿岸に西側連合軍による「ディエップ奇襲」作戦も起こります。

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カフカス山脈の最高峰であるエルブルス山の山頂にドイツ軍旗を掲げたと発表した
A軍集団のリスト元帥。
「馬鹿げた山登りの趣味を満足させろと命令した覚えはない!」と怒り狂うヒトラーに
「ソ連の最高峰の征服は、我が軍のソ連制覇を象徴するものでは・・」と擁護するヨードルですが、
「そこに石油はないではないか!」と逆に火に油を注ぐ格好です。

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しかも険しい山越えに車両も通れないA軍集団から撤退要請が届くと、
怒りに震えるヒトラーはリスト元帥の解任だけでなく、OKW長官のカイテル、統帥局長ヨードル、
そして陸軍参謀総長のハルダーまで解任すると宣言します。

カイテルの代わりにはケッセルリンクを、ヨードルの代わりにはスターリングラード攻略後に
第6軍のパウルスを考えていたというヒトラーですが、結局、実現したのは
ハルダーに代わるツァイツラーの人事だけです。
リストの後任にはセヴァストポリを攻略したばかりのマンシュタインを・・とカイテルは進言しますが、
ヒトラーは首を振り、自らA軍集団司令官も兼務。

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リヒトホーフェン率いる第4航空軍がスターリングラード市内に爆撃を繰り返すものの、
パウルスの第6軍はなかなか前進しません。
やがては包囲し、建物一軒一軒を奪取する白兵戦を繰り広げながらも
徐々にソ連軍を追い詰める第6軍ですが、
11月、リヒトホーフェンは盟友ルーマニア軍に対する攻撃準備を進めるソ連軍の姿を察知します。
しかしヒトラーは進言された先制攻撃案を聞き流してしまいます。

stalingrad- The German bombers appeared over the sky. And the bombs fell.jpg

そしてソ連の「天王星作戦」の前に逆に包囲されてしまった第6軍。
このスターリングラード攻防戦はソ連側の話も多く、なかなか充実しています。
ここで登場するのは「ヒトラー以上のエゴイスト」という陸軍内の評判を持つ、マンシュタインです。
本書は結構マンシュタインに辛辣で、「彼はあまりにも野心と自信が強すぎる」という
ブラウヒッチュの話も紹介しています。

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以前から詳細なものを読みたいと思っていた「包囲された第6軍首脳」についても
第14装甲軍団長のフーベなどの各軍団長たちや第51軍団長のザイトリッツ=クルツバッハ
独断で撤退した話など、いろいろ興味深い話が続きます。
第24装甲軍団長のアイベル中将が後退するイタリア軍から手榴弾を投げつけられ、
片足を失った・・という話は特に印象的でした。

Top German officers at Stalingrad, General Paulus, the Freiherr von Weichs Generaloberst and General der Artillerie von Seydlitz.jpg

マンシュタインの救出作戦「冬の嵐」と第6軍が脱出を図る「雷鳴」作戦。
そしてその一方でソ連軍の「土星作戦」が計画され、独ソ双方の攻守が入り乱れます。
特にマンシュタインとパウルスの疑心暗鬼とも言えそうな、責任のなすり合いと不信感、さらに
空軍の補給が足りないことで、その責任を押し付けようとする両者・・。

心臓萎縮による突然死も多くなり、師団長でさえ、雪原を小銃を発砲しながら戦死。。
自殺や投降する師団長も出るなど、「第6軍の心臓」そのままの状況です。
そんな彼らが家族に書いた手紙が最後の空軍機で運び出されますが、届けられた国民の
反戦気分が高まることを恐れたゲッベルスによって、すべて破棄されてしまいます。

These men did not have a chance to surrender.jpg

1943年1月、いよいよとなったパウルスは傷病兵への食糧配給を停止。
重傷者は凍死させるため、より風雪が襲う戸口に近いところへ移され、
また、死亡による体温低下を敏感に察知した「シラミ」は、とたんに死者から離れ、
まるで「灰色のじゅうたん」が押し寄せるかの如く、生者に移動した・・。
このような傷病兵には降伏後も悲惨な運命が待ち受けており、
ソ連兵によって地下室にガソリンが注ぎ込まれ、室内の数百人が燃え上がります。。。

Februar 1943. Niederlage in Stalingrad.jpg

4月、ベルリン放送が世界に向けて「カティンの森」事件を放送します。
ドロドロになったポーランド将校数千人の遺体を発掘するのは、もちろんロシア人労働者です。
ポーランドと国際赤十字から代表団が呼ばれ、この虐殺がソ連によるものとして
反ソ宣伝を行いますが、同じ連合軍であるポーランド亡命政府も苦しい立場に立たされます。
この遺体発掘の経緯など、実は初めて読みました。

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ドイツ軍の捕虜となっていたウラソフ将軍を担ぎ出して、ソ連軍から脱走兵を誘発させ、
ロシア人部隊を作ろうとする「ウラソフ工作」も詳しく書かれています。
この工作を危惧したソ連側は、ウラソフ暗殺を目論み、内務人民委員部(NKVD)の刑務所で
禁固刑を受けていたカプスチン少佐をウラソフ陣営へスパイとして送り込みますが、
この少佐はペラペラとドイツ軍に、自らこの使命を報告してしまいます。
これは「使命達成が出来ずとも、帰ってきた際には英雄として迎え、大佐に昇進させる」という
NKVDの約束が全く信用できない・・というのが理由です。

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1943年の夏と言えば「クルスク大戦車戦」です。
この「ツィタデレ作戦」の実施を悩みに悩むヒトラー・・。一旦は「中止」を命令するものの、
ついに参謀総長ツァイツラーに「決断した」と宣言します。
本書ではその「決断」をさせたのが参謀次長ブルーメントリットによる工作だとしており、
OKHが作戦を管轄する東部、OKWの西部という図式が出来上がったいま、
危惧される地中海方面に戦力を動かすと、ドイツ陸軍の指導権をOKWに掌握されかねない・・
といったことによるものです。

Juli 1943. Die größte Panzerschlacht. Im Kursker Bogen startet die Wehrmacht eine Großoffensive gegen die Rote Armee.jpg

そして始まった「ツィタデレ作戦」。
北部のモーデル率いる第9軍は地雷原の前に思うように進捗しません。
そこで投入したのが新兵器「ゴリアテ」とその大型版ともいえそうな「ボルクヴァルトIV」です。
この「ボルクヴァルトIV」はまったく知りませんでしたが、450㎏の爆薬を積んだ装甲車で、
半径40~50mの地雷をすべて誘爆させられるものですが、
地雷原まで操縦したあと、無線誘導で深入りさせて爆発させるこの兵器、
しばしば運転手が逃げ遅れることもあって、8両のうち4両の運転手が運命を共にしたということです。

SdKfz 301 Ausf C Borgward B IV.jpg

南部ではホトの第4装甲軍がハウサー率いる第2SS装甲軍団にハッパを掛けつつ、
「プロホロフカの大戦車戦」を繰り広げますが、シチリア島に英米軍が上陸・・。
海軍総司令官デーニッツは集まっている艦艇300隻を叩きのめすチャンスとばかりに、
イタリア海軍総司令官リカルディに全艦隊の出撃を要請し、威勢の良い返事をもらいます。
しかしイタリア艦隊はいつまでたっても母港に停泊したまま・・。

Operation Husky - Landing beach on the invasion of Sicily.jpg

最後はそのイタリア首相、ムッソリーニに対するクーデターです。
参謀総長アンブロージオを中心に国王や、あのカステッラーノまで登場する
ムッソリーニ逮捕/監禁事件が非常に詳細に書かれています。
新首相バドリオ元帥が誕生すると、ローマ市民も喜びに沸き返ります。
「これで戦争も終わりだ」と喜びすぎた兵士はコニャックを2本を一気飲みして、「即死」・・。

しかし、そのころ、総統護衛主任のオットー・ギュンシェがムッソリーニ救出作戦指揮官候補6人を
ヒトラーに紹介し、選ばれたのは後に「ヨーロッパで最も危険な男」となるスコルツェニーです。
早速、ローマへと旅立ったスコルツェニーは、この地でのゲシュタポ隊長、
カプラーに協力を求めるのでした。

この巻で最も印象的だったのは「スターリングラードのシラミ大移動」の部分です。
まぁ、シラミの大群はおろか、シラミ一匹すら見たことがないヴィトゲンシュタインとしては、
子供の頃、放映される度に家族揃って観せられた、チャールトン"ベンハー"ヘストンの
「黒い絨氈」を思い出しました。。。
この「絨毯」は、人喰い蟻マラブンタの大群ですが、子供には実に嫌な映画でしたねぇ。

THE NAKED JUNGLE.jpg





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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈4〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈4〉」を読破しました。

ドイツ空挺部隊の名を知らしめた「クレタ島攻略」を実施した1941年5月、
同じときにドイツ海軍は、未だ秘密のヴェールの包まれている日本海軍の「大和」と「武蔵」を除けば
当時の最新鋭で最強艦であった戦艦「ビスマルク」を通商破壊作戦に送り出します。

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重巡「プリンツ・オイゲン」と共に英海軍の誇る「フッド」を瞬く間に撃沈するものの、
旧式複葉機「ソードフィッシュ」の雷撃の前に舵が利かなくっなったビスマルクは
まさに「虎狩り」のような英海軍の戦艦8隻、空母2隻、巡洋艦12隻という執念の追跡の前に
「焼けただれた巨大な鉄塊と化し」ていきます。。。

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「ソ連は巨大なシャボン玉かも知れないが、違うかも知れない」と語るヒトラーは遂に
ソ連侵攻の「バルバロッサ作戦」を発動します。
東プロイセンの松林のなかにつくられた、平屋の集落「ヴォルフスシャンツェ」。
ここから独ソ戦の指揮を執るヒトラーですが、あまりの蚊の多さに秘書のシュレーダー夫人が
苦情をあげます。「ふむ・・。それは空軍の仕事だ。ゲーリングに指示しよう」、
そして空軍総司令官は「ハエ叩き」を・・。

Hermann Goering  Wolfschanze.jpg

快進撃を見せるドイツ軍。7月にはスモレンスクで「これ以上の抵抗がバカバカしいことを悟った」
として投降してきたスターリンの息子、ヤコブ・スターリン中尉まで捕虜にします。
極東では枢軸の日本が、「日ソ戦」に踏み切るか否か・・意見は分かれますが、
結局のところ、「ソ連が崩壊に瀕し、日本が絶対に勝てるとき以外は戦わない」という
まるで前年のイタリアのような結論に達します。

Into Russia! June 22nd 1941,Panzergruppe_Guderian.jpg

とにもかくにも、主力であるフォン・ボックの中央軍集団で一気にモスクワを取りたい将校団に対し、
「元伍長」ヒトラーは突然「ゆっくりやれ」だの、クラウゼヴィッツを持ち出して
「包囲戦」を説いたりし始めます。憤慨する前線指揮官たち・・ボックだけではなく、
グデーリアンホトといった装甲集団の指揮官以外にも南方軍集団司令官の
ルントシュテットも異を唱え、当然、ブラウヒッチュハルダーも説得を試みます。
面白かったのはOKHだけではなく、OKWもカイテルを除き、ヒトラー戦術には反対をしていて
特にヨードルが「冒涜だ。クラウゼヴィッツという偉大な先輩に対する非礼は、
我々、国防軍将校に対する侮辱に等しい」と声を荒げますが、
その相手はもちろんヒトラー本人ではなく、部下のヴァーリモントです。。。

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本書でも大いに活躍する「ハルダー日記」ですが、ヨードルとの話し合いやグテーリアンに対する
憎悪を剥き出しにした陰険な記述もやっぱり出てきました。
他にもエンゲルら副官たちの回想も大いに活用して、ヒトラーの周辺の様子を再現しています。
そんな作戦会議の様子も随所にあり、例えば、
ヒトラーの悪夢の様な話術の前にまともに発言すらできない将軍たちは、
徐々にその役目を総統付き副官たちに押し付け、その副官たちも互いに譲り合い、
大抵は空軍副官のフォン・ベロー少佐が出席を余儀なくされていた・・。

OKHとOKWの陸軍将校団が団結して書き上げたモスクワ奪取の「覚書」も
あっさりヒトラーに退けられ、陸軍総司令官のブラウヒッチュも心臓発作で倒れます。
「すぐにモレル博士を呼べ!」、「いや!モレルはいかん!あんなヤブ医者じゃ総司令官は助からんぞ!」。

Hitler, von Brauchitsch, Keitel bei Besprechung.jpg

しかし8月末、ヒトラーもモスクワ進撃を決意します。この変化については
彼が耳を傾ける少ないひとりである秘書のシュレーダー夫人によるもの・・という話が・・
「10月になったら私たちは寒くて凍えてしまいます。考えてください」。

キエフでの大包囲。ここでは脱出を求める南西方面軍司令官キルポノス大将が主役で印象的です。
モスクワの死守命令に涙するキルポノスは、最終的に脱出は叶わず、戦死・・。
ソ連軍の捕虜は、一度の会戦では記録がないほどの「40万人」にもなります。

Colonel-General M.P. Kirponos.jpg

いよいよモスクワ侵攻の「台風」作戦が発動・・というこの時期、チェコでは温厚な老紳士である
ノイラートの代行としてRSHA長官のハイドリヒがベーメン・メーレン保護領副総督に任命されます。
この人事はボルマンの推薦によるものだとしていますが、さらに
ヒトラーがお気に入りのハイドリヒを後継者として考えていたとまで書かれ、
そのハイドリヒの暗殺による最期、その葬儀で涙した人物・・カナリス提督まで語られます。

一路モスクワを目指すドイツ軍ですが、10月半ばには早くも「冬将軍」が到来し、
雨から雪へと変わり、日中帯は泥に阻まれ、進軍も遅れ出します。
グデーリアンの第2装甲集団は最後の総攻撃の準備をしますが、
同じくモスクワを目指すクルーゲの第4軍からは「進撃の目途がたたず・・」との連絡が・・。
これに軍集団司令官のボックは「クルーゲがサボっているからだ!」。

Panzer Unit on the way to Moscow, presumably Winter of 1941.jpg

フォン・レープの北方軍集団はすでにレニングラードを包囲し、市内ではドイツ軍の狙い通り、
飢餓が発生しています。配給切符の偽造も横行し、印刷局で着服した女工は銃殺刑・・。
大人よりも成長期の少年が真っ先に餓死。犬、猫、ネズミは無論のこと、
大学のホルマリン漬けの臓器標本まで、いつの間にか姿を消します。

この悪天候で出動もままならないドイツ空軍では、ウーデットが自殺・・、さらに
その葬儀に駆け付けようとしたエースのメルダースの墜落死するという、呪われた時を過ごします。

Hauptmann Mölders errang seinen 20. Luftsieg..jpg

南方軍集団にも冬が訪れ、進撃停止も検討されます。
ライヒェナウの第6軍はとっととストーブ付きの兵舎にこもって大ヒンシュクを買い、
軍集団司令官ルントシュテットもヒトラー命令に反抗・・。
しかし、OKH、OKWの誰もルントシュテットを擁護し、ヒトラーに立ち向かう者はなく、解任・・
そして後任には、ヒトラーの昔からお気に入りである、あのライヒェナウが・・。

Adolf Hilter,Gerd von Rundstedt.jpg

力尽きつつある中央軍集団でも司令官フォン・ボックが解任され、
第4軍のクルーゲが後任になると、仲の悪いグデーリアンも彼によってクビになり、
第4装甲集団のヘプナーも罠にかけられ、陸軍から追放・・。ヒトラーの「死守命令」の前には
北方軍集団のレープも辞任し、就任したてのライヒェナウも心臓発作で死亡。

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前線では「明らかに身体の一部を喰われた戦友の遺体が散乱していた」という報告や
ソ連軍に襲われた野戦病院では、引きずり出された負傷者が生き埋めにされたり、
ガソリンを掛けられて、生きながら焼かれた・・」という異常な戦いも紹介されますが、
持ちこたえた戦線では春を迎えようとしています。

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早くも1942年の対ソ作戦を策定した参謀本部。作戦名は「ジークフリート」です。
しかし、バルバロッサに続いて英雄ジークフリートで名前負けすることを懸念したヒトラーによって
以前の伝統「青」作戦に改名されます。

最後は「砂漠のキツネ」の戦いです。
遂にトブルクを攻略し、3万人の英連邦軍守備隊を捕虜にしたロンメル
「白人兵と黒人兵を分けて収容して頂きたい」との申し出が・・。
「肌の色の違いは問題にならない。貴下らの将兵は同じ軍服で戦ったではないか」とあっさり、拒否。

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このまま勢いに乗ってエジプトのカイロまで・・と目論む昇進したロンメル元帥に
ロシア侵攻が停滞し、暗い気分のドイツ国内は大いに盛り上がり、
英国を毛嫌いするエジプト国民もドイツ・アフリカ軍団の侵攻を心待ちにしています。
ヒトラーもロンメルの要請を許可しますが、北アフリカの先輩、ムッソリーニ
イタリア軍も同じ兵力で進軍し、白馬でカイロ入りすることを希望します。しかし、ここでも
「ロンメルは良いが「イタ公」だけは勘弁・・」という、英国以上に悪いイタリアの評判が・・。
ホント、イタリアはどこでも評判が悪くて、笑ってしまいます。。

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結局、この攻勢が「エルアラメイン」で力尽きたところで、この第4巻は終わりますが、
ヒトラーの寵愛を受け、ドイツ陸軍最年少元帥となったロンメルに対する「妬み」も紹介されます。
過去にココでもいくつか紹介した「ロンメル戦記」・・例えば「砂漠のキツネ」や「ロンメル将軍」など
北アフリカにおける「ロンメル主役本」では、特にアフリカ軍団に対する補給問題で
南方軍司令官のケッセルリンクやOKHのハルダー、
OKWのヨードルらが悪役的な扱いを受けますが、
確かに「妬み」もあったにしろ、本書の展開のように東部戦線で「バルバロッサ作戦」という
未曾有の戦いの前には、拡大したとはいえ、
わずか1個軍の戦いである北アフリカ戦線が軽んじられるのは致し方ない気がしました。
裏庭で遊んでいるご主人のやんちゃ坊主が、オモチャが壊れたと言って駄々をこねている・・
という感じだったのかもしれません。

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それにしても、いまの北アフリカ・・、エジプトやリビアのニュースが連日流れる状況で
このような戦記を読むというのも、なんだか複雑な心境です…。



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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈3〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈3〉」を読破しました。

ポーランド戦も終わり、宣戦布告した英仏との「まやかし戦争」の真っ只中・・。
ただし、ドイツ海軍だけは英国に対する通商破壊作戦を開始し、
プリーン艦長のU-47は難攻不落のスカパ・フローにおいて見事、戦艦ロイヤルオークを撃沈。
800人以上の犠牲者を出した英海軍ですが、U-47の偉業を賞賛し、
「艦長の勇気と果断に敬意を表する」声明まで発表します。

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この有名なスカパ・フローの戦いはちょっとしたUボート戦記並みに詳しく書かれていて、
その後のポケット戦艦、グラーフ・シュペー号の最期も詳細です。

一方ドイツ陸軍はというと、ヒトラーから指示を受けた西方作戦を絶望視し、
再び、クーデター計画を進めます。
しかしリーダー格であったベックハンマーシュタインもすでに退役・・。
「陸軍総司令官のブラウヒッチュには命令を出す勇気はなく、参謀総長のハルダー
上司を無視して行動する勇気はない」として、
特にハルダーについては「本気でクーデターを決意していたのかも、実は不明である」としています。

Adolf Hitler, Jodl, and Walther von Brauchitsch.jpg

そんな折、勇気のないドイツ将校団をあざ笑うかのようにミュンヘンのビアホール
「ビュルガーブロイケラー」でヒトラーを狙った爆弾が破裂します。
時計職人のエルザーが仕掛け7人が死亡したこの爆弾、ヒトラーは幸運にも
演説を早々に切り上げたために助かりますが、
63名の負傷者のなかには、愛人エヴァの父親が含まれていたそうです。

英国によるノルウェー占領の噂が伝わると、先手を打つ「ヴェーザー演習」作戦が計画されます。
海軍主導の計画ですが、上陸部隊となる5個師団の司令官にファルケンホルスト大将が任命。
しかし「西方作戦が忙しいだろう」とOKH(陸軍総司令部)には何も知らされず、
OKW(国防軍最高司令部)だけで進めるこの計画を知ったハルダーはまたもや大激怒・・。
同様に無視されたゲーリングも「空軍は1機も参加させん!貴様らOKWで勝手にやれ!」
このようなOKWの創成期は主幹がどこかということは大変だったことがよく伝わってきます。
カイテルヨードルヴァーリモントも苦労が絶えなかったようです。

Generaloberst von Falkenhorst mit Schwestern der finnischen Lotta Svard.jpg

盟友イタリアに対して、西方作戦への参戦を打診するヒトラーですが、
ムッソリーニは国内情勢から「参戦を拒否せざるを得ない」との結論に達します。
しかしヒトラーに対しては「参戦には同意するが、その時期を選ぶ権利は保留する」として、これを
「絞首刑目前の罪人が、最期の頼みを聞いてやると言われて、首を吊らされる樹を選ばせてくれ
と言って許可された。そして結局は、どの樹も気に入らぬ・・と言い続けて、生き延びた」
という昔話をチアーノ外相に苦笑しながら語るのでした。。。

Mussolini, Hitler, Ciano, Ribbentrop.jpg

いよいよ1940年4月9日、ノルウェー、デンマーク侵攻の「ヴェーザー演習」作戦が発動されます。
この戦いは海空の興亡史には良く出てきますが、
本書では占領される側の情勢についても詳しく書かれていて勉強になりました。

まず、デンマークは首都攻略のドイツ軍1個大隊の前に無抵抗で降伏・・。
国王クリスチャン10世は「ドイツ人の偉業」を褒め称えます。しかし彼の弟であるノルウェー国王、
ハーコン7世は一転して占領軍に対しての徹底抗戦を呼びかけます。
英軍部隊も上陸して、「ヒトラーの戦争」でもあったディートル将軍がナルヴィクで包囲され、
ヒトラーが「救出しろ!見殺しにはできん!」とヒステリーを起こすと、ヨードルも興奮し
「最高司令官は神経を冷静に保持せねばなりません!」。

Deutsche Truppen im Kampf um Narvik.jpg

また、第2次大戦における英軍との初めての戦いが「リレハンメル」であったというのは
スポーツ好きの自分にとって驚きを与えてくれました。
ジャンプの団体で「原田~!、落ちた!落ちてしまった~!」のリレハンメルです。。
ちなみに金メダルはバイスフロク擁するドイツでしたね。

リレハンメル 原田雅彦.jpg

こうして遂に5月10日、西方作戦、いわゆる「電撃戦」の幕が上がります。
この西方作戦は「黄色」作戦として良く知られていますが、
ベネルクス3国を占領後、フランスを攻略する作戦名が「赤」作戦・・であったというのは
初めて知りました。実はいろいろな本にも書かれていたのかも知れませんが・・。
いわゆる「ダンケルク」後、ライン川からドーヴァー海峡まで展開したドイツ軍が
一気にフランスを南下する作戦の部分です。

Französische Gefangene werden gesammelt.jpg

ポーランド侵攻が「白」作戦、1942年の第2期ソ連への夏季攻勢が「青」作戦、
そして第2巻に書かれていた、チェコへの侵攻作戦計画が「緑」作戦と、
「色」のついた作戦名が多いですが、どうもこれは陸軍参謀本部が策定した作戦が該当するようで、
ノルウェー、デンマーク侵攻の「ヴェーザー演習」作戦や英国本土上陸の「あしか」作戦のように
「色」じゃないものは陸海空3軍合同作戦であり、
主幹がOKHではなく、OKWの場合の作戦名のように感じました。

それはともかく、オランダのロッテルダム爆撃やベルギーのエーベン・エメール要塞攻略と続き、
フランス軍総司令官ガムラン大将が神経梅毒に脳を侵されていて、
不決断、無気力、支離滅裂な言動・・といった話や、
首相レイノーが選んだ後任のウェイガン大将らの内閣と軍首脳のゴタゴタぶり、
さらに英国の大陸派遣軍との軋轢からダンケルクまでが非常に楽しめました。

Deutsche Panzertruppen rollen ohne Widerstand nach Valkenburg (Holland) hinein.jpg

勇敢に戦ったベルギー軍・・国王レオポルド3世が遂に降伏すると、
仏首相のレイノーが「裏切り」と非難。しかしベルギーからしてみれば、
本格的に援助をせず、ベルギーには隠して英仏がグルになって撤退。
土壇場になってさっさと見捨てる、大国の身勝手さ・・。

Einmarsch deutscher Truppen in Brüssel 1940.jpg

それでもとにかく成功したダンケルクの奇跡といわれる「ダイナモ作戦」を総評して
「不屈の「英国魂」の他に、英国の「身勝手さ」、「悪天候」と
ドイツ側の「迂闊」と「誤判断」によって生み出された」と締め括っています。

仏艦隊がドイツに引き渡されることを恐れる英首相チャーチルは「仏艦隊の無力化」を目指し、
「カタパルト作戦」を発令します。
この英空母「アーク・ロイヤル」まで参加した、英仏海戦もほとんど読んだことがありませんでしたが、
仏戦艦「ブルターニュ」が沈没するなど、フランス側の人的損害は戦死1300名にも及びます。

mers-el-kebir.jpg

SDのシェレンベルクが登場する「ウィンザー公誘拐」作戦も詳しく書かれていますが、
もちろん彼の007バリのアクションシーンなどはなく、
双眼鏡を握りしめ、「チッ!」と舌打ちすることに終始しています。。。

「このまま英国との戦争を続けていれば白人種の自殺となる」と語るヒトラーは、
バトル・オブ・ブリテンを空軍にやらせる一方で、対ソ戦を目論み始めます。
このOKH、OKW共同の「バルバロッサ(フリードリヒⅠ世 = 赤ひげ)」という作戦名について
ヴァーリモントは、「赤に対する十字軍」としての意義を持つものと記録しているそうです。

Walter Warlimont.jpg

しかしその前に「ひまわり」作戦の必要に迫られ、ヒトラーはこの指揮官候補を提出するよう
ブラウヒッチュに命じ、その第1候補はマンシュタイン、第2候補はロンメル・・。
総統本営警備司令としても馴染み深いロンメルが選ばれ、窮地に陥っているイタリア軍を救うために
後の「砂漠のキツネ」は早速、北アフリカへ旅立っていきます。

Hitler &  Erwin Rommel in Eichenlaub ceremony.jpg

旅立つ・・といえば、副総裁のヘスがひとりメッサーシュミットで英国に旅立って、
この第3巻は終わりますが、本書では、これがヘスの案だとしながらも、
ヒトラーは「了解していた」と推測しています。

一番面白かったのがギリシャ戦です。
ギリシャ首相コルジスが自殺したこともあってか、降伏の際にも勇戦ぶりを賞賛し同情するヒトラー。
第12軍司令官リスト元帥には「敬意を表して捕虜はすべて釈放」するように命令します。
そして現れ始めたギリシャ軍使は「ドイツ軍だけに降伏する。イタリア軍には降伏しない」と語り、
ヒトラーは「その気持ちはよくわかる」としながらも、もともと勝手に侵攻したイタリアの面子も・・。

German forces in Yugoslavia.jpg

ドイツ軍が救援に来るまで連戦連敗だったハズのムッソリーニはこの情報に怒り狂い、
「イタリアは攻撃を続ける!」と息巻き、逆にドイツの将軍たちは
「イタリアに降伏させるために、降伏したギリシャ軍をもう一度戦わせろというのか」。
ゴネるギリシャ軍とムッソリーニをなんとかなだめては説得するものの、
イタリアは勝手に「ギリシャ軍がイタリアに降伏」と公式に発表・・。
OKW司令部には「汚い!」、「イタリア人は狂ったバカだ!」と怒声が巻き起こり、
カイテルも「もう沢山だ。奴らは手柄を横取りすることしか考えてない・・」。

この調子だと、北アフリカのロンメルの前途は多難ですね・・。



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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈2〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈2〉」を読破しました。

この第2巻は、1936年、英国のエドワード8世の「王冠を賭けた恋」として知られる話からです。
親独の英国王は許されぬ恋の末、王冠を返上し「ウィンザー公」となるわけですが、
英国との協調を図りたいヒトラーは、この知らせに「英国に味方はいなくなった・・」としつつも、
「まさか女性のために王座を捨てる人物がこの世にいるとは・・」と外相リッベントロップに語ります。

ヒトラーの戦い②.jpg

そのヒトラー自身は菜食生活のせいか、胃痙攣と不眠症に悩まされ始めます。
特に「統制不能な放屁癖」も手伝って、エヴァには死を予告し、そのエヴァの紹介によって
あのモレル医師が登場・・。しかし、彼の治療による効果は絶大です。

Hitler with his personal physician Dr. Theo Morell and Morell's wife Hannelore.jpg

ヒムラーハイドリヒのSS親衛隊が権力の拡大を模索するこの頃。
まずは、ソ連赤軍に壊滅的な打撃を与えるべく偽造書類を作成し「赤軍大粛清」に貢献し、
国防相ブロムベルクのスキャンダルも非常に詳しく書かれています。
59歳の大将と24歳のグルン嬢とのロマンスは、結婚後に新夫人の「いかがわしい過去」を暴露して
辞職に追い込もうとするものとして紹介されています。

von Blomberg_erna-gruhn.jpg

続く陸軍総司令官フォン・フリッチュに対する「男色容疑」作戦。
ゲシュタポの「男色撲滅課」課長のマイジンガーのでっち上げ捜査によるこの事件も
当時のヒトラーの陸軍副官、ホスバッハ大佐が中心となって、サスペンスが展開されます。
最終的にはヒトラーの副官の立場にありながら、
裏でフリッチュを助けるべく工作したホスバッハも解任・・。
「反抗姿勢」がその理由ですが、この副官ホスバッハは実に男らしくてファンになりました。。

Friedrich Hoßbach1.jpg

後任の陸軍総司令官にはフォン・ブラウヒッチュが突然任命されますが、
彼は「一身上の問題が片付かなければ・・」と愛人の存在と、
離婚に伴うまとまった慰謝料という問題を国防軍統帥局長カイテルに語ります。
これにはカイテルも絶句し、「またか・・、よりによってなぜそういう将軍ばかり登場するのか・・」。

オーストリア併合(アンシュルス)は、オーストリアの内相から首相となるザイス=インクヴァルトや
熱狂的にドイツ軍の進駐を迎えるオーストリア市民の様子も描いています。

Anschluß 1938.jpg

第1巻でもヒトラーの初めての訪伊の際、ムッソリーニから屈辱的な扱いを受け、
本書では逆にムッソリーニの訪独でやり返したものの、再度の訪伊では
ローマで出迎えたイタリア国王エマヌエーレ3世との対決が楽しめました。
レセプション会場では自分より長身の皇后エレナの介添えをさせられ、ムッとしたヒトラー・・。
夕食の際には大好きなポテト料理が出されたものの、
国王が猛烈な勢いで食べ終えてフォークを置いたことで、2口も食べていないヒトラーの皿も
給仕によって下げられてしまうことに・・。

Mussolini, Hitler, Vittorio Emanuele III e la regina Elena.jpg

中盤はチェコの併合を目論み、ヒトラーはチェコ攻略の「緑」作戦の準備を命じます。
しかし参謀総長ベック大将が反対と阻止のために立ち上がり、
第3軍管区司令官ヴィッツレーベン中将とともにクーデターを計画・・。
これは以前に紹介した「国防軍とヒトラーⅡ」並みに詳しく書かれています。
結局は「ミュンヘン協定によって戦争は回避され、特に英首相チェンバレンには
「ノーベル平和賞を・・」という声まで・・。
そしてグデーリアン中将のドイツ装甲軍団によってズデーテンラントへの
平和的な無血進駐がオーストリアのときと同様に行われます。

Konrad Henlein speaks in the marketplace in Eger during the time of the German invasion of the Sudetenland.jpg

最終的にはボヘミア=モラヴィア地方も強引に占領し、地図からチェコを消してしまったヒトラーは
次にリトアニアのメーメル地方をターゲットにします。
ドイッチュラント号」でメーメル港へ上陸し、ここでも市民の熱狂的な歓声に迎えられるヒトラー。
さらなる目標はダンツィヒとポーランド回廊です・・。

ここからのポーランド戦までの政治的駆け引きの様子は、特に詳細を極めていて、
「ドイツがポーランドを攻撃しても英仏は参戦しない」というリッベントロップ
伊外相チアーノとの賭けから始まり、劇的な独ソ不可侵条約締結までの様子まで・・。
この独ソ不可侵条約に大きな打撃を受けたのが、敵国ソ連と枢軸ドイツという関係である日本です。
大島駐独大使は外務次官ヴァイツゼッカーに「日本に対する背信行為だ」と抗議・・。

Josef Stalin _von Ribbentrop.jpg

開戦の口実のためにハイドリヒの計画した、国境近くの放送局を襲い、
10数人の死刑囚の死体にポーランドの軍服を着せて放置し、
ポーランド側の挑発行為と見せかけるくだりでは、
その8年前、関東軍による「満州事変」も鉄道爆破の現場に中国軍服を着せた
「アヘン患者の射殺体」を残置した策謀・・というのを紹介して
このアイデアについても検証しています。いや~、勉強になりました。

Nazi Forces in Poland, 1939.jpg

1939年8月25日、開戦を翌朝に控える国境近くの司令部に夕食中「作戦中止」命令が届きます。
「冗談じゃない!」とルントシュテットが叫べば、
「とんでもない!」とマンシュタインがフォークを投げ捨てて喚き、
「ベルリンは何を考えているんだ!」とブルーメントリットも呻きます・・。
ちなみに本書ではマンシュタインは「F・マンスタイン」です。これは初めてですねぇ。
「F」だし、最初は別人かと思いました。ホルスタインみたいです。

Warschau__Rundstedt__Reichenau__Blaskowitz.jpg

強気のポーランド、そして英仏伊の首相、外相、大使らが戦争回避に駆けずり回り、
9月1日に延期になった作戦も、「ロンドンとの交渉によっては翌日に延期、
2日以降は中止」という指示を受けたベックの後任の陸軍参謀総長ハルダー大将は、
「なにぃ、冗談じゃない!」と怒声を浴びせ、「戦争は商取り引きとは違うぞ!」。

halder_6.jpg

遂に開戦・・。しかし本書はこのポーランド戦の詳細な戦闘記録は書かれていません。
そのかわり、ドイツに宣戦布告した英仏が言い訳を並べては、
一向にポーランドの救援に向かわない様子が述べられています。
例えば、仏軍ガムラン将軍は「優秀なポーランド軍は6ヶ月は持ちこたえられる」とし、
戦争準備が・・とか、市民の疎開が・・とか・・。それでも結局は
英国がフランスを戦わせようとしている・・とフランス側が考えていたことが大きい感じがします。

首都ワルシャワをも攻めるドイツ軍ですが、突如、ソ連軍が参戦してきたとの情報が入ります。
こんな秘密情報を知らないドイツ軍は「ポーランド軍、ドイツ軍のどっちに向かってきているんだ?」。
ソ連兵はポーランド兵に向かって「撃つな!味方だ。一緒にドイツ軍と戦おう!」と呼びかけたそうです。

The German and Soviet soldiers. Poland, Semptember 1939.jpg

最後に男色容疑が晴れて、第12砲兵連隊の名誉連隊長として最前線で戦い、
戦死したフリッチュについては一般的に云われている「死に場所を求めた」ということに異を唱え、
スケジュール通りの行動中に胸に被弾した・・としています。

Von_Fritsch.jpg

そしてこのようなときにヒトラーはボルマンや主治医のブラント博士らと会議を開き、
「戦争遂行の必要上、不足している病院のベッドと施設を開放するため」に
精神病患者を処置する「安楽死計画(T4計画)」を指示します。
その必要な処置数は「25万のベッド」です。。。

この巻では、何度も読んだことのあるフリッチュ事件が一番印象的でした。
ホスバッハが大変魅力的だったのもそうですが、ナチが禁止していた「男色」取締りに
ゲシュタポ「男色撲滅課」という凄い名前の課があったというトコですね。。
ヴィトゲンシュタインは、うら若きころ、「男色」の方から数回怖い目にあったことから、
この手の方々は、いまだに大の苦手です。
それゆえ日本の芸能界に蔓延している状況がどうも・・。
この第三帝国時代に「LOVE注入」なんてやったら、ゲシュタポの拷問の末、死刑ですよ。




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