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ドイツ装甲師団 [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

加登川 幸太郎 著の「ドイツ装甲師団」を読破しました。

1990年発刊の有名な「朝日ソノラマ」ですが、なぜか今まで持っていませんでした。
まぁ、これは日本人より、外国の著者に目が行ってしまう・・という体質によるものですが、
以前に紹介した名作「ドイツ装甲師団とグデーリアン」と第二次世界大戦ブックスの
スターリングラード」を訳された加登川 幸太郎氏の書かれたものということで
今回、購入し、早速読んでみました。

ドイツ装甲師団.jpg

このタイトルと帯を読む限り、各ドイツ装甲師団の連戦連勝の痛快な1冊をイメージしましたが、
「はじめに」では、本書がドイツ装甲師団の盛衰の様相と、独ソ両国を対比しつつ
その両装甲部隊の興亡の足取りをたどる・・といったものです。

まずはドイツ装甲師団が生まれるキッカケでもある、第1次大戦に登場した戦車から・・。
塹壕戦を打開すべく、英軍が開発した「菱形の怪物」MKI型戦車の登場に、
ドイツ軍が「戦車パニック」を起こすものの、落ち着いてみると
大きな図体で時速6㌔でノソノソやってくるこの戦車は砲兵の良い目標になったという話や、
フランス軍の二人乗り軽戦車ルノーFT17、そしてドイツ軍も大急ぎで作った
18人乗りの怪物、A7V戦車などが写真と共に紹介されます。

Westfront,_britischer_Panzer_A7V.jpg

そして「ドイツ装甲部隊の父」、明治21年生まれのハインツ・グデーリアンの経歴が
簡単に書かれ、彼の交通兵監部時代の上司、オズヴァルト・ルッツに触れ、
グデーリアンが有名すぎて知られていないが、このルッツこそが
「初代のドイツ装甲部隊の育ての親」と評価しています。

General_der_Panzertruppe_Oswald_Lutz.jpg

ここから暫くは、グデーリアンの回想録を度々引用して、この創成期の苦労・・、
花形兵科である歩兵と騎兵や陸軍参謀本部の抵抗・・が語られ、
ヴェルサイユ条約によって1台の戦車を持つことも許されない状況の中で、
自動車にキャンバスを張った模造戦車での野外演習を繰り返すのでした。

s podobnými maketami tanků cvičili Guderianovi vojáci.jpg

一方、トハチェフスキー元帥がソ連の「戦車部隊の父」として紹介されると、
独ソの違い・・ドイツのグデーリアンがせいぜい佐官であるのに対してソ連では、
先見の明があるトップの将軍によって軍の機械化が推進されていった・・ということです。

戦車開発の元祖である英国の状況も解説されます。
ビッカース軽戦車に始まり「クルセイダー」や「マチルダ」など
ドイツ・アフリカ軍団と戦った戦車たちも写真つきで登場。
しかし全般的には、英国は最後までロクな戦車を作ることが出来なった・・という論調です。

続くフランス戦車界も1930年代にルノーFT17に代わってR35やソミュアなど
防御重視で装甲は厚いものの、火力と機動性がなく、そのまま1940年を迎えてしまうのでした。
その結果はご存じのとおりですね。

SOMUA S35.jpg

このようにして各国が機械化していくなか、スペイン内戦が勃発し、
特に独ソは新兵器の実験の場として、戦車部隊も派遣します。
しかし、その結果はドイツのⅠ号、Ⅱ号戦車、ソ連のT-26やBT戦車が「役に立たず」という
結論に達してしまいます。

který kdy spatřili... PzKpfw I.jpg

このような低い評価を頂戴してしまったグデーリアンですが、その心配をよそに
ドイツにはヒトラーが台頭しており、オーストリアからチェコに至るまでを
機械化部隊を見せつけながら占領・・・。オマケにチェコでは38(t)戦車まで手に入れて、
軽戦車中心の装甲部隊としては、この優秀なチェコ製戦車は頼りになるものです。

panzer38t.jpg

ポーランド戦が終わっても、まだ全軍的には「補助的な兵種」とされてしまったドイツ装甲部隊。
このドイツの快進撃に慌ててポーランドに侵攻したソ連では、
「ポーランド侵攻」という言葉はなく、「西ウクライナと西白ロシア解放」と都合よく呼ぶそうで、
その後の「フィンランド侵攻」が惨めな結果に終わると、
「無敵赤軍」という思い上がった看板を書き直し、突如、2年間で機械化軍団29個を
編成することを決定・・。その中心となる戦車はT-34とKV重戦車です。

Guderian88.jpg

このあたり、著者の書きっぷりが独特で、思わずニヤニヤしながら読んでしまいました。
例えば「赤軍大粛清」によって、機械化部隊構想が消滅した結果、
「幕下」フィンランドのスキー兵の餌食になっしまった「横綱」ソ連軍・・。
そのうえ、ドイツ装甲部隊がフランスを一蹴するに至って、「シュン」としてしまった・・
といった感じです。

Russian tank soldier in light tank T-26 B surrenders.jpg

ともかく機械化軍団29個を編成するという大計画のためには、
1940年に工場を出始めた新兵器であるT-34を1万3千両作る必要があり、
また「全軍団同時編成完了」という恐ろしい建前によって、
1941年にドイツ軍侵攻された際には、前線の機械化軍団はひとつとして
編成を完了していなかったということで、
ロコソフスキーの回想録から彼の名ばかりの機械化軍団の現状を紹介します。
古ぼけたT-26などの戦車だけではなく、「機械化」のために馬もない・・。
そして紙の上にしか存在しない自動車もなく、迫撃砲などの重火器も担いでテクテク歩くのです。

kol13.jpg

イタリアの装甲部隊についても触れられていますが、著者はこのイタリアとムッソリーニ
なにか恨みでもあるのか・・と想像させるほど辛辣です。
まぁ、第2次大戦に従軍された「中佐」ですから、枢軸の裏切り者・・という心境かもしれません・・。
どんな具合かというと、1940年9月、エジプトのシディ・バラーニに侵攻したイタリア軍が
そこに腰を下ろし、敵国領土内でのんびりと12月まで過ごした・・として、
「いったい、どんな量見であったものか、不思議である」。

続く「ムッソリーニが大いに意気込んだギリシャ侵攻」でも、「その軍隊がまことに不甲斐ない」として
「撃退された挙句、アルバニアに逃げ帰り、さらにこの国の半分ほどを占領されてしまった・・」。
もちろんイタリア戦車も紹介して、イタリア軍最良の戦車と書かれた本もあるという「M-13-40」では
とある戦いで、英国戦車82両が4両の損害だったのに対し、
イタリア軍は新鋭戦車「M-13-40」を含む101両が撃破されたとして、
「こんな戦闘をしていては戦争には勝てない」と一刀両断です。。。

Italian tank crew in front of their M1340.jpg

それとは対照的なのが「敬服に値する」ロンメルとドイツ・アフリカ軍団の戦いざまです。
特に具体的な戦記が書かれているわけではありませんが、
砂漠という思いもよらぬところで戦わなくてはならなくなった彼らの適応能力を賞賛しています。

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中盤以降は東部戦線の独ソ双方の装甲部隊戦記となっていきます。
バルバロッサ作戦からキエフの大包囲、モスクワへの「タイフーン作戦」とその終焉・・。
スターリングラード包囲救出作戦。そしてクルスクの戦車戦と一気に続いていきます。

stalingrad_Destroyed Soviet T-34s.jpg

ここでも疎開したソ連の軍需工場の恐るべき生産能力を検証し、特に「ノルマ競争」では、
「ノルマ300%完遂労働者」や「500%完遂」に、「1000%完遂労働者」も出現したということで、
こうした男女の労働者には「ソ連邦労働英雄」や「レーニン勲章」が授与されたそうです。
この「ソ連邦労働英雄」というのは良く知らなかったので、ちょっと調べてみましたが、
位置付け的には、有名な「ソ連邦英雄」の金星記章と同じようです。
軍人と労働者の違いのようで、デザインもほぼ同じ、そして「ソ連邦労働英雄」は中央に
鎌と槌が描かれ、正式には「鎌と槌記章」と言うそうですが、こんなのを3つも4つも付けた、
ジューコフ元帥の如き、スーパー1000%完遂労働者もいたのでしょうか?

Gold Hammer and Sickle Medal.jpg

最後は参戦してきた米軍戦車・・シャーマン戦車や、
それに17ポンド砲(76.2mm)に載せ替えた英軍の「ファイアフライ」なども紹介。
グデーリアンが装甲兵総監として復帰してからはお馴染み、ティーガーパンターも登場。
そして、その後の独ソによる怪物戦車競走として、JS重戦車にSU-122やSU-152自走砲、
ケーニッヒスティーガーヤークトパンター
「大戦中随一の怪物」ヤークトティーガーの駆逐戦車と続きます。

СУ-152.jpg

いや~、読み物として純粋に面白かったです。
特に本書の書きっぷり・・良いものは良い、悪いものは悪い・・といったことをハッキリと書く、
江戸っ子気質のような雰囲気が、自分にはピッタリ合いましたし、
確かに有名な会戦部分はダイジェスト的ですが、
それらが次々と出てくるので、「やめられない止まらない」という
まさに「かっぱえびせん」状態に陥ってしまいました。
この390ページの本書は4年~5年前にに出会っていても、凄く身になってただろうな~と思います。
もちろん今読んでも、疎かった英米仏伊といった各国の戦車紹介はかなり勉強になりました。



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密告者ステラ -ヒトラーにユダヤ人同胞を売った女- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ピーター・ワイデン著の「密告者ステラ」を読破しました。

1年前に偶然本屋で見かけて以来、このタイトルといい、副題といい、表紙の写真も含めて、
どんな内容なんだろう・・と気になっていた一冊ですが、1000円で綺麗な古書が売っていたので
早速、読んでみました。
ユダヤ人の著者が美貌のユダヤ人を告発するということから、
スキャンダラスで大げさな内容も予想しましたが、
500ページとなかなかボリュームある本書は、しっかりした調査に基づいたもので、
それは著者とステラの関係が明らかになるにつれて、真実味を増していきます。

密告者ステラ.jpg

1923年のベルリン生まれの著者の思い出から始まります。
その10年後にはヒトラーが政権を握り、反ユダヤ政策を実行に移しだすという子供時代、
彼の通っていたユダヤ人学校でのマリリン・モンロー・・、ステラとの出会いです。
一人っ子でお姫様のように甘やかされて育ったステラは、金髪でスラッとした長い脚・・と
典型的なアーリア人風、ドイツ系ユダヤ人です。

ヒトラーによるユダヤ人排除のための法制が加速すると、
著者の母親は早くもアメリカへの移住を決意します。
この1935年当時でも、国外移住というのは大変な計画で、米国領事館への長蛇の列に並び続け、
「帝国逃亡税」などという、大金もナチス国家に納めねばなりません。
それでも、まだ可能であったこの早い時期に著者の家族はベルリンの友人たちと別れ、
無事にニューヨークへ旅立つことが出来たのでした。

Nazi Boycott Against Jews Begins April 1, 1933.jpg

「避難」、「移送」、「移住」、「一掃」、「整理」のスペシャリスト、アイヒマンが登場してくると
助手であるアロイス・ブルンナーの活躍が紹介されます。
これは即ち、集められたユダヤ人の秩序を守るための「ユダヤ人による保安業務」という
アイディアであって、特定のユダヤ人をナチスの協力者として活用するものです。
自分は助かりたいという心理を突いたこの作戦は、
ゲットーでもユダヤ人の保安チームが目を光らせ、
強制収容所でも、悪名高い「カポ」と呼ばれる「囚人頭」がドイツ人看守に気に入られようと、
同胞のユダヤ人に対し、率先して虐待したことも良く知られています。

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1938年に起こった「水晶の夜」事件。
ユダヤ人の商店や住宅などが次々と襲われた暴動ですが、
ステラの通う、ユダヤ人学校の周りにもヒトラー・ユーゲントが暴徒となって取り囲む状況です。

そして1940年、ステラの家でもアメリカ移住を計画しますが、すでに時は遅く、
アメリカは著名な芸術家や科学者などでなければユダヤ人の受け入れは認めなくなっていました。
さらに翌年からは有名な「ダビデの星」を服に縫い付ける法令が出されます。

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ステラと両親は地下に潜って・・これを「Uボート生活」と言うそうですか゛・・、
偽造書類を手に入れての非合法生活を送ります。
しかし、あるとき知り合いのユダヤ人であるインゲに密告され、
遂にゲシュタポの手に落ちることに・・。
以前に読んだ「ナチ将校の妻 - あるユダヤ人女性:55年目の告白」も
このような「Uボート生活」と言うんでしょうかね。

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そこでは床に水を張った狭い独房に入れられ、座ることも寝ることもできず、
厳しい尋問では「偽造書類」を作った友人の家を聞き出そうと執拗に攻め立てます。
拳銃をこめかみに当てられ、口、耳、鼻からも出血したステラ。
彼女の両親も捕まり、アウシュヴィッツ行きのリストに載せられていることを知り、
ゲシュタポへの協力を余儀なくされます・・。

ゲシュタポにとっても、ステラのルックスとセックスアピール、Uボート生活者の習慣や隠れ家を知る
ブロンドの青い目のユダヤ女、ステラは、スター候補でもあります。
こうして、ブロンドの悪魔こと「密告者ステラ」が誕生し、彼氏であったユダヤ人とのコンビで
ゲシュタポの身分証明書と拳銃を携えて、次々と旧友たちを探し出しては、逮捕していくのでした。

Stella Goldschlag.jpg

やがて、ステラの奉仕によって輸送を免れていた両親もテレージエンシュタットへ
輸送されてしまいますが、戦況はドイツにとって不利になっていきます。
そして終戦、ステラを使っていたゲシュタポのSS大尉ドッバーケらはソ連軍に捕えられ、
妊娠しているステラはベルリン郊外の隠れ家で過ごします。
しかしここにもソ連軍が押し寄せると、お馴染み「もはや病気だった」というレイプ・・。

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なんとか難を逃れたステラは無事、女の子を出産しますが、結局、地元で逮捕され、
「裏切り者」の烙印を押されたユダヤ人コミュニティでブロンドの髪を刈られ、
最終的にはソ連占領軍による裁判で、10年の強制労働という判決を受けるのでした。

そして10年後、西ドイツに戻ってきたステラを待っていたものは、
「毒のブロンド」に対する怒りが未だ収まらない
ユダヤ人の証人に溢れた、西ドイツ当局による裁判です。
堂々としたステラは怯むことなく、すべてを否定し、自分も被害者であったかのように語ります。

本書では先に書いた強制収容所の「カポ」のように、ナチに協力したユダヤ人も
いろいろと紹介します。それは、アウシュヴィッツのタイピストの女性であったり、
メンゲレなどの医者の助手として働いた、ユダヤ人医師ら・・。
拒否すれば、無用な人間として、即刻、ガス室行き・・という状況で、
協力を断れる人間がいるのでしょうか??

Auschwitz doctor Josef Mengele (second left).jpg

著者は「密告者ステラ」の犯罪性をこのように比較しながら検証もしていますが、
最後には1990年、彼女の口から真実を語ってもらうべく、直接ステラの元を訪れます。
古い友達との再会・・しかし、2人の立場は大きく違います。

原著は1992年に発刊され、TVなどでも話題になったことが書かれていますが
(こんな女は殺してしまえ!など・・・)、
このステラについて、ちょっと調べてみると、2年後の1994年に自殺しているようです。

Stella.jpg

500ページすべてが「ステラ」に関するものではなく、その他のユダヤ人の友人たちの生活なども
多く書かれ、ホロコーストという意味でも、ハイドリヒヴァンゼー会議も詳しく登場。
最終戦ではシュタイナーSS大将ヨードルのやり取りなんかも出てきたり・・と
バラエティにも富んでいて、
特にベルリンに潜伏したステラのようにアーリア人の風貌をしたユダヤ人が、
堂々とした態度で振る舞うことでゲシュタポの手から逃れた・・という
いくつかの例は、なんとも爽快でした。



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秘密機関長の手記 [回想録]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

シェレンベルグ著の「秘密機関長の手記」を読破しました。

昭和35年(1960年)に発刊された、ヴァルター・シェレンベルクSS少将の有名な回想録です。
シェレンベルクは過去に何度もこの「独破戦線」に登場した人物ですが、
さすがのナチSSのスパイのボスだけあってか、本書も姿を消したかのように
今まで実物を見たことがありませんでした。
原著の発刊は1956年のようで、この翻訳版はドイツ語版ではなく、表紙のタイトル通り
フランス語版の翻訳で、持った感じは薄いですが340ページで2段組みにびっしり書かれた1冊です。
また、訳者あとがきによると完訳ではなく、いくつかの章や全体的な「刈り込み」もしているそうです。

秘密機関長の手記.jpg

本書がいつ、どのようにして書かれたのかは全く書かれていませんが、
シェレンベルクが終戦とともに米軍に逮捕され、ニュルンベルク裁判の証人や
被告として拘留されていた1951年までの間に書かれたようで、
このような回想録はグデーリアンも同様ですね。
しかしこのような拘留中の回想録というものは、一歩間違えば、
自分にとって「死」を意味するほどの内容となりかねないわけで、
逆に自分にとって有利な内容になるのは必然だと思います。
その意味では、本書の内容は「怪しい・・」とされているようですが、過去に読んだSSモノなどで
頻繁に引用されている本書を、なんとか一度読んでみたいと思っていました。

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7人兄弟の末っ子として1910年に生まれたシェレンベルク。ボン大学で法律を学ぶものの、
実家の財政が不安定となったことから、給費を獲得しやすくするため、
ヒトラー政権が誕生した1933年、ナチ党へ入党し
ビアホールでバカ騒ぎを繰り返すSAとは違い、SSの黒い制服というのも魅力に映った彼は
SS隊員を選択します。

sa-ss1933.jpg

ここではアイヒマンと同様、軍事訓練に嫌気がさし、大学生の活動として認められていた
講演を行うこととなると、キリスト教の教育を母から受けていた彼ですが、
カトリック教会を攻撃しつつゲルマン法の発展を論じ、これがハイドリヒの目に留まります。
SS隊員の義務から解放される・・ということで躊躇なくSD(親衛隊保安部)入ったシェレンベルクの
周りには局長のヴェルナー・ベストハインリッヒ・ミュラーなどが次々と姿を現します。

Gestapo-Chef_Heinrich Müller.jpg

やがてSD本部勤務となると、SD長官ハイドリヒと親密な関係を築き上げていくわけですが、
まず彼のハイドリヒ評が数ページ書かれ、こういうのはとても興味深いですね。
要約すると「絶えず警戒を怠らず、危険に際しては迅速に仮借なく行動する肉食獣の本能を持ち、
異常な野心家であり、あらゆる点で一番すぐれた人間でなければならず、
敵対し合う者がいると、その双方に相手の不利な情報を売りつけて、互いに戦わせる手腕では
達人の域に達していた」。
また、「ヒトラーの気ちがいじみた計画を実現させることで
「薬箱」の中のような必要不可欠な人物となった」としています。

ReinhardHeydrich.jpg

こんなハイドリヒに好かれた理由を、彼がベルリン社交界の知的文化的サークルという
ハイドリヒが入り込むことの出来ない世界に精通していたことも理由のようだと語っています。
ここではハイドリヒ夫人との「不倫疑惑」によって毒を盛られたという例の話が出てきましたが、
「ドライブに行っただけ」という展開で、ハイドリヒも納得したようです。

フリッチュに対する男色容疑トハチェフスキーに対する陰謀なども紹介され、
1939年、RSHA(国家保安本部)が発足し、ポーランド侵攻となると、
IV局 E部(ゲシュタポの国内防諜部)の部長となった若干29歳のシェレンベルクSS少佐は
SS全国指導者ヒムラーの専用列車で働くことになります。

朝から晩までの前線視察に同行するこのポーランド戦の最中、
お腹が減ったと言うヒムラーに、幕僚長カール・ヴォルフはシェレンベルクのサンドウィッチを取り、
2人でパクつきますが、前日の残り物であったそれに「緑色のカビ」が生えているのに気が付くと、
ヒムラーの顔はカビよりも緑色になり・・・。

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続くオランダ国境での「フェンロー事件」はさすが当事者だけあって、とても詳細に書かれています。
特に英国諜報員2人の拉致に伴う、SS隊員たちとの銃撃戦に巻き込まれ、右往左往する様子は
「命拾いをした」という感想からもわかるのでないでしょうか。
また「ウィンザー公誘拐」に関する章は、ヒギンスの小説そのままの感じです。
要はアクションシーンが無いだけですね。

Walter Schellenberg5.jpg

戦争も激しくなろうとすると、ハイドリヒから再編した第VI局(国外諜報)の局長に任ぜられます。
しかし、この任務にはカナリス提督の国防軍情報部(アプヴェーア)以外にも
リッベントロップの外務省というライバルとの戦いをも意味します。
そして反ヒトラー派として、徐々にヒトラーの信用を失っていったカナリスよりも
最後までヒトラーの庇護を受けたいと願うリッベントロップが強力に邪魔な存在となっていくのでした。

Müller (front left),Schellenberg (second from left),.jpg

日本とゾルゲに関する章では、最近気になっている人物の一人、
ゲシュタポのマイジンガーが登場しました。
ゲシュタポ長官のミュラーの親友ですが、実はミュラーの後釜を狙う、恐るべき不倶戴天の敵で、
シェレンベルクも弱みを握られ、ハイドリヒに報告すると脅迫されます。
この窮地にアインザッツグルッペンの司令官代理として「ワルシャワの殺人鬼」という異名を持つ、
「この人間以上に獣的な、随落した、非人間的なことがわかる大変な書類を作成した」彼は
これをさりげなくミュラーに回し、報告を受けたヒムラーが「軍法会議に引き出せ」と命じます。
しかし、ここを執成したのはハイドリヒ・・。シェレンベルクでさえもわからないと言う、この展開の末、
日本酒を何升も浴びるように飲むという能力を買われてか、
警察関係の大使館員という資格で東京へ派遣されます。

Josef_meisinger.jpg

ヒムラーが日本に非常に興味を持ち、SS候補生に日本語を学ばせて40名を日本陸軍や
スパイとして送り、同様にこちらも受け入れる・・という計画があった話や、
日本大使館の一人がドイツ娘と結婚を熱望しているという件では、
人種的問題からヒトラーとヒムラーは反対するものの、リッベントロップは賛成・・。
数ヵ月に渡る喧嘩の末、専門家によって人種法の抜け穴が見つけ出されて、
結婚の許可が与えられた・・という初めて聞く話もありました。

Hitler_Himmler.jpg

対ソ戦を前に週に数度もカナリスと乗馬談義するシェレンベルクは、参謀本部でさえ
数週間で終わってしまうという楽観論に反対するカナリスの意見を紹介します。
上官であるカイテル元帥がソ連の軍事力を認めず、「カナリス君、きみの所属は海軍なんだから
政治や戦略のことで我々に講義しようとしないでくれ」。

ロシア人捕虜をスパイとして教育し、ロシア領土の真ん中に降下させるという「ツェッペリン作戦」や
ウラソフ将軍と彼の部下を誰の権限下に置くかで紛糾・・。
まず、陸軍、次にローゼンベルクの東方省、そしてヒムラー、
最後には「不思議なことに」リッベントロップまでが主張します。

Alfred Rosenberg.jpg

1941年の冬、モスクワ面前で立ち往生する夏服のドイツ陸軍。
この物資納入の極度の不足に憤慨するのはハイドリヒです。
「寒さのために死んだ兵士100人ごとに、経理部員を上の方から一人づつ銃殺すべきだ」。
そして翌年、ハイドリヒがベーメン・メーレン保護領の副総督に任命され
(「任命されたよ!」と嬉しそうに報告するハイドリヒを初めて可愛らしく感じました・・)、
その政策が成果を上げると、ヒトラーが彼と二人だけで協議するようになったことで、
ヒムラーの嫉妬やボルマンの陰謀にハイドリヒは困惑し始めます。
そこでヒトラーの側近にシェレンベルクを送り込む・・という案を提示するハイドリヒですが、
その直後、暗殺・・。
シェレンベルクは、この事件に使われた武器が英国製であることを認めたうえで、
我々も入手していたものとし、さらに最上の名医たちにかかる重体のハイドリヒに
ヒムラーの従医が施した治療法が他の医師たちから非難された・・として、
暗にヒムラーによる暗殺説としているようです。

Heydrich-Attentat.jpg

1942年になると、早くもシェレンベルクはヒムラーの専属マッサージ師ケルステンの後ろ盾を得て、
和平工作の道を探り出そうとします。
しかしヒムラーは「リッベントロップの白痴が総統の耳を奪っている限り、何も出来ない!」。
そこでリッベントロップといつも仲たがいしている「略奪王」ゲーリングを利用しては・・。
まさにハイドリヒ直伝の作戦ような感じがします。

Hitler with Ribbentrop before Hitler's train.jpg

そしてここでも不気味なのはボルマンです・・。しかしそのボルマンから愛人問題で党の金、
8万マルクを借りてしまうという失態を犯すヒムラーに、納得のいかないシェレンベルクです。
それでも彼はヒトラーの耳と腕となって四六時中張り付くボルマンについて、
「極めて複雑な問題を明瞭で的確な言葉に要約し、簡潔に説明する技術を持っていた」
として、その手際の良さに感心し、自分の報告においてもこの方法を採用しようと決心したそうです。

R.Ley und Martin Bormann.jpg

側近の中でも最年少ということに気後れしつつも、英国とのパイプラインを維持しながら、
ヒムラーへ和平を説くシェレンベルク・・。「総統の意に反する仕事をするのはもう御免だ。
私は総統と協力したいのだ!」といきり立つSS全国指導者・・。

カルテンブルンナー・・。ハイドリヒの死後、ヒムラーが兼務していたRSHA長官に任命された男。
同郷のオーストリア人という理由でヒトラーが指名したこの人物との戦いがここから始まります。
先日の「ゲシュタポ」に書かれていたのと全く同じ、最低の人物像が語られますが、
とにかく最大の敵、リッベントロップを追い落とすため、やはりオーストリア人の
ザイス=インクヴァルトを外相に・・とご機嫌をとって味方につけようとします。

Seyss-Inquart_portret.jpg

いわゆる「最終戦」という状況になってくると、そのリッベントロップから呼び出しを受け、
ヒトラーからの極秘計画を打ち明けられます。
それはドイツを救うために、スターリンとの会談を計画し、その席で殺す・・というものです。

カナリスのアプヴェーアを吸収し、その長官の逮捕に向かうシェレンベルク。
この尊敬する先輩に「逃走」を示唆しますが、カナリスは拒否し、
「君は最後の希望なんだ、さようなら、若い友よ」。そして二人は2度と会うことはありません。

canaris2.jpg

最後はスウェーデンのベルナドッテ伯爵らとの和平に明け暮れる様子。
ここら辺は、SS興亡史での終焉と同じですが、元ネタは本書ですね。
デーニッツの新政権ではヒムラーはのけ者にされ、結局自殺しますが、
シェレンベルクは、新外相候補のフォン・クロジックとデーニッツの信任を得て、
「特派大使」としてデンマークとスウェーデンへの停戦交渉へと向かいます。

あとがきに書かれている「刈り込み」箇所は次の通りです。
防諜に関する技術的な3章とオットー・シュトラッサー暗殺の使命に関する章、
そして外務省との勢力争いの関する章、の5章です。
また、シェレンベルグが人から与えられた「賞賛」を書いている箇所も
「内容とは無関係に自画自賛を繰り広げられて、訳しながら、
まことに付き合いきれない」ということで「刈り込まれた」ようです。

目次.jpg

これらの「刈り込み」対象になったかとうかは不明ですが、この回想録に書かれている、と
なにかの本に書かれていたココ・シャネルとの話は一切ありませんでした。
原書に書かれているのかどうかもわかりません。
それにしても、ヒムラー、ハイドリヒ、ミュラーにカルテンブルンナーについて、
これほど会話も含め、生々しく書かれたものを読んだことはありませんでした。
また、ボルマンとミュラーについては共産主義者であったとし、ソ連へ逃亡したという認識で、
ある意味、ライバルでもあったゲーレンの回想録と同じような見解ですね。

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その他、海外での諜報活動に関する部分も非常に具体的に書かれていますが、
やはり、この第三帝国における、弱肉強食の争い・・、ライバルや敵を貶めて、
自分がのし上がる・・という油断も隙もない世界であったことが良く伝わってきます。
そして、結構読んだことのある話も多いことからも、逆に本書が如何にネタ本となっているかを
証明していると思います。

hitler's secret service by shallenberg.jpg

今回、意識的にいつもよりも細かく書いたんですが、それには理由があります。
本書は「独破戦線」で初めて、購入したものではありません(定価は430円!!)。
実は「図書館」から借りたものです。なので、ちょっと読み直し・・というわけにいかないんですね。
この図書館・・、小学生以来利用しましたが、現在のシステムは凄いですねぇ。
この話は長くなりそうなので「独破リスト」で・・。
今まで、全く知らなかったこの図書館システムは、たまに利用してみようと思っています。



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Uボート総覧 -図で見る「深淵の刺客たち」発達史- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デヴィッド・ミラー著の「Uボート総覧」を読破しました。

これまで、何冊かのUボート戦記やUボート興亡史、そしてデーニッツの回想録などを
紹介してきましたが、今回の大判の1冊は、「Uボートそのもの」に焦点を当てたもので、
有名な「Ⅶ型」や「XXI型」などの性能から、その派生型、また魚雷などの兵器までを
大量の珍しい写真とイラストで分析したものです。
ジャーマンタンクス」のUボート版・・といった感じをイメージしながら読んでみました。

Uボート総覧.jpg

3部からなる本書、まずは第1次大戦時、草創期のUボートの紹介からです。
この1910年代のUボートの写真が何枚も出てくるのも凄いですが、
ここでは「デーニッツと「灰色狼」」に登場した、U-9のヴィディゲンではなく、
アルノー・ド・ラ・ペリエール大尉とU-35が詳しく紹介されていて印象に残りました。

思いっきり、フランス系の名前のド・ラ・ペリエールですが、16回の哨戒で、
合計194隻を撃沈という、今後もまず破られない記録を持つ、途方もない艦長です。
後に巡洋艦エムデンの艦長にもなったようですが、
このエムデンはデーニッツも艦長になりましたねぇ。

Lothar von Arnauld de la Perière.jpg

第2部は本書の中核部分であり、1932年から始まったUボート軍備再開を受けて、
建造の始まったUボートが「IA型」から詳しく紹介されます。
「IIB型」でもそのうちの1隻、U-23が1940年3月まで、かのクレッチマーが艦長であった・・と
ところどころで有名艦長の名も出てきます。

「潜水艦史でも最も重要な艦のひとつ」と紹介される「Ⅶ型」。
1936年~1945年まで709隻が建造されていますが、「性能のどれをとっても
群を抜いたものはなかったが、充分な折り合いをつけ、デーニッツの意図するところへ
良く適合していた」というのがその理由です。

A German submarine crew loading a torpedo into their sub.jpg

「IIB型」が戦車で言えば「II号」や「38(t)」戦車であり、
この「Ⅶ型」は「Ⅳ号」戦車といったところでしょうか?
本書を読んでいると、今まで比較したことのない、こんなことを考えてしまいました。

もちろん「司令塔」から「発令所」、「後部居住区」なども詳しく書かれていて、
特に小型コンロが2台あるだけの狭い「烹炊所」もその主はたった1名であって
その彼が年中無休24時間をカバーするという話は、料理好きのヴィトゲンシュタインでも
ちょっと想像しただけで、とても耐えられそうにありませんね。
50人近くの乗組員に数ヵ月続く、哨戒任務・・。
20時間にも及ぶ、爆雷攻撃を受けても、冷静にチョコ配ったりとか・・。

Das ist die Kombüse des U-Bootes!.jpg

この「艦型」では主な「実戦記録」もあり、例えばU-977がアルゼンチンへ・・など。
そして「IX型」ではU-505という恐ろしくツイテいないUボートが登場し、
「実戦記録」でそのすべてを明らかにします。
出撃するたびに発見/攻撃を受けて損傷。その後も得体のしれない騒音やら故障やらで
ロリアンへの帰投を繰り返し、挙句、激烈な対潜攻撃に曝されると、
このいつ終わるともしれない不幸の前に、なんとツシェック艦長が拳銃で自殺・・。
「先任」のマイヤー中尉がなんとか攻撃をかわしますが・・まだまだ、運命はU-505を翻弄します。

Peter Zschech u-505.jpg

補給用Uボート「ミルヒクー」で知られる「XIV型」と続き、遂に「真」の潜水艦、
「XXI型」エレクトロ・ボートの登場です。
しかし、この「奇跡のUボート」もその登場があまりにも遅すぎ、過大な量の
新機軸を一斉に導入してしまったことで、完成後も問題点が続発し、
終戦間際になんとか実戦哨戒できたのは、シュネーのU-2511を含む、わずか2隻に留まります。

U2511 Bergen.jpg

「外国艦」では海外の潜水艦をUボートとして使用したことが細かく書かれていて、
大変勉強になりました。
トルコがドイツに「発注」していた潜水艦のうち1隻を大戦勃発に伴い、ドイツが徴発し、
これが外国艦第1号を示す「UA」となったということです。
仮装巡洋艦アトランティスを救出したエッカーマン艦長のUボートが
なぜ「UA」という艦名なのかがやっとわかりました。
英国なら「UB」、ノルウェーが「UC」、オランダが「UD」、フランスなら「UF」です。
「UE」はないのかなぁ。

魚雷や機雷、対空砲に潜望鏡、敵のレーダーを受信する「メトックス」なども
写真つきで次々と紹介され、もちろん「エニグマ」もその使用方法がガッチリと・・。

Enigma.jpg

最後の第3部「作戦史~Uボートの戦い~」は機械より、人間好きのヴィトゲンシュタインが
最も楽しめた部分です。
「Uボートの士官たちも十人十色」というさまざまな艦長の話は知らないものがほとんどで、
U-572のヒルザッカー艦長は、あの「処女のように狭い」ジブラルタル海峡突破に失敗、
さらに連合軍の北アフリカ上陸作戦の大艦艇に対して「怖気づいた」とされて、
「死刑」判決を受け、1943年に「銃殺刑」。

hirsacker_U-572.jpg

U-154のクッシュ艦長は、「艦からヒトラーの写真を撤去」させるなどの振る舞いを
ナチ党員の先任アーベルから告発されて、やっぱり死刑・・。
このようなナチ党員の士官と反ナチ艦長となると、映画「Uボート」を思い出しますね。
ちなみに、このナチ党員の先任アーベルも乗艦が撃沈されて、戦死しています。

U-154_kusch_abel.jpg

U-852のエック大尉は違う意味で死刑となった艦長です。
ギリシャの貨物船ペレウス号を撃沈した彼は、救命艇や筏に乗る生存者を見つけては
殺し続け、その場を立ち去ります。
やがて捕虜となった彼は、Uボート士官として唯一の「戦犯」として処刑されています。

The defendants in the U-852 trial_Kapitänleutnant Heinz Eck _left.jpg

U-505のような艦長自決もまだあり、U-604艦長ヘルトリンク大尉の感傷を誘う話も・・。
連合軍による攻撃を受けて大破し、塩素ガスが艦内に広がると、
艦首にいる負傷した部下2名をなんとか助けようとしますが、
それが叶わないことがわかると、彼らの嘆願を聞き入れ、2人を射殺・・。
そしてヘルトリンク艦長は、自分に銃口を向けるのでした・・。

holtring_U-604.jpg

最後は「極東向け輸送作戦」。すなわち枢軸国である日本との交流です。
U-180がマダガスカル島付近で日本の潜水艦「伊29」と会合、双方の物資を交換するものの、
「日本軍はゴキブリやダニまで寄越し、これらが共謀して愉快ならざる状態にした」という
U-180の日誌も抜粋。

また、興味深いU-234の謎・・。
終戦間際、日本人士官2名と560㎏の「ウラン酸化物」を乗せてキールを出港。
しかし、ドイツの降伏の知らせに、日本人士官は自殺、降伏したU-234は米軍に捕えられますが、
「ウラン酸化物」はそのまま行方不明のまま・・という事件です。
これはいまだに「ウラン酸化物」が日本に送られた理由と、米側がどのように扱ったのか・・は
秘密のままだそうです。

「深海からの声―Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐」という本があるので
今度、読んでみようと思いますが、本書は以上のように、いままで読んできた
Uボートものとは一線を画した、まさにUボート辞典ともいえる充実した一冊でした。





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危うし空挺部隊 [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

A・ロイド著の「危うし空挺部隊」を読破しました。

「朝日ソノラマ」と、この時代を感じさせるタイトルだけで、つい購入してしまった1冊です。
原題は「ザ・グライダーズ」で、空挺部隊モノでも一般的な「落下傘兵」や「パラシュート兵」、
「降下猟兵」と呼び名は様々な彼らの戦いではなく、「グライダー兵」と呼ばれる
かなり特殊な兵士たちの戦記です。

危うし空挺部隊.jpg

1940年、フランスを電撃的に制し、英国本土進攻の「あしか作戦」を控え、
副総裁ルドルフ・ヘスが兵員200名、或いは、戦車も輸送できる巨大な「空飛ぶ兵舎」を
検討するところから本書は始まります。
このようなアイディアをヘスに吹き込んだのはメッサーシュミット教授であり、
「ギガント」と呼ばれる巨大グライダー、Me-321を作り出します。

Messerschmitt Me 321 Gigant.jpg

しかし、この化け物グライダーを曳航する機は・・?
という問題にHe-111を繋ぎ合せた、これまた化け物のような5発機、
He-111Zが開発されるというワクワクするような展開です。
いや~、しかし「ギガント」のグライダーがあったというのは、まったく知りませんでした。

He111z_Me321.jpg

ここからは戦前におけるドイツのスポーツとしてグライダーが発展していった経緯などが
ハンナ・ライチュクルト・シュトゥーデントらが登場しながら解説され、
エーベン・エメール要塞を見事攻略し、クレタ島の大空挺作戦へと話は進みます。
実はこの前半30ページほどでドイツ空軍の空挺作戦が終わりを告げると、
それを肥やしにしたかのように英空軍の空挺部隊が創設され、
本書の主役、英国グライダー兵が誕生します。

Kreta,_Gefangennahme_britischer_Soldaten.jpg

ノルウェー山中にあるドイツの水素工場の破壊任務に2機のホーサ・グライダーが
曳航機ハリファックスと共に飛び立ちますが、この初陣は完全な失敗に終わります。
ちなみに、この作戦発動日は1942年11月19日・・、東部戦線でソ連軍による「天王星作戦」が
発動された日と同じですね。

続いては、連合軍初となる大空挺作戦である「降下目標、シシリー」です。
チュニジアから130機のグライダーが兵員1200名と重砲やジープの輸送を託されますが、
英米連合軍とはいっても、グライダー・パイロットは、ほぼ全員英兵であり、
それらを曳航するパイロットは米兵という役割分担が・・。
夜間のシシリー海岸では猛烈な対空砲と風によって、位置を見失った米軍の曳航機が
負担になるグライダーを暗い海の上にばらまき、
海に着水した68機ものグライダーはパイロットと乗員と共に、跡形もなく消え去ります。。。

dak-c-47-horsa.jpg

続く大作戦は「ノルマンディ」。
ここでは特に「メルヴィル砲台」を巡る戦いが中心で、
重要な武器を搭載した11機のホーサ・グライダーのうち、5機がなんとか着陸したものの、
ロンメルのアスパラガス」の餌食となります。
これによってこの砲台をを巡っての肉弾戦が始まるわけですが、
こういうのを読むと、またしてもパウル・カレルが読みたくなってきますね。

Airspeed AS-51 Horsa afire.jpg

その後もいたるところで着陸地点に植えられた「アスパラガス」と格闘する工兵部隊・・。
「アスパラガス」に爆弾を結び付け、それに銃弾を撃ち込む・・という作業を繰り返します。
そして無事着陸したグライダー・パイロットは、その瞬間から戦闘員に変身し、
他の空挺部隊員たちに交じって、手榴弾も投げつけるのでした。

Rommelspargel,Fallschirmjäger mit Fla-MG.jpg

300ページの本書、真ん中前の137ページからメイン・イベントのゴングが鳴ります。
プロモーターは英軍の誇るモントゴメリー元帥
モーデルビットリッヒのドイツ軍に挑むのは、アーカット少将とフロスト中佐の空挺部隊。。
とくれば、もちろんマーケット・ガーデン作戦こと、「遠すぎた橋」ですね。

アーネム市の司令官クッシン少将が路上で殺された話もしっかり出てきたりと、
かなり詳細に書かれています。
そういえば「 ドイツ武装SS師団写真史〈2〉​遠すぎた橋」読まないとなぁ。

General Kussin death in 1944.jpg

しかし、ここでも主役を務めるのはグライダー・パイロットたち。
米軍空挺部隊を率いるギャビンの悩みは米軍のパイロットが一旦、着陸してしまうと何もできず、
「部隊に属していない彼らは、役に立ちたいと思っても、当てもなくウロウロし、
混乱の原因となって、結局は邪魔になったりしました」と語る一方で、
グライダーが輸送するあらゆる兵器の使用を訓練されている英軍パイロットは、
状況の悪化するアーネムにおいても、将校たちを失った歩兵大隊の指揮を取ったり、
対戦車砲でティーガーを撃破したりと大活躍を続けます。
これにはビットリッヒSS中将も「アーネムの英兵ほど、猛烈に戦う兵士を見たことがなかった」と
語るほどです。

Major-General Roy Urquhart3.jpg

しかし、結局はグライダー・パイロットだけでも捕虜、死傷者730名という大損害を負った英空軍。
続く、ライン川への大空挺作戦に向けた新たなグライダー・パイロットの育成は問題を抱えます。
1500名のパイロットが配属されますが、多くの者が反抗的・・。
それはグライダーは「翼のついた箱」であって、空軍に志願した彼らにとっては
「陸軍の仕事」という認識があったことのようです。

Rough landing of a Horsa glider.jpg

このように本書は「危うし空挺部隊」というより、「危うし英軍グライダー兵」というのが
正しい内容ですが、出だしの「ギガント」グライダーといい、
良い意味で期待を裏切る、実に楽しい読み物でした。



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