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第二次世界大戦 ヒトラーの戦い〈9〉 [ヒトラーの戦い]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

児島 襄 著の「ヒトラーの戦い〈9〉」を読破しました。

1945年2月、クリミア半島のヤルタで開かれた連合軍による3ヶ国首脳会談。
ルーズヴェルト、チャーチル、そしてスターリンが会場に到着する過程から
連日の会議と夕食会に至るまでが最初の100ページに渡って詳細に書かれています。

ヒトラーの戦い⑨.jpg

まずは午前中から始まる軍事会議の様子からです。
30分も遅刻してきた米国代表団に怒りの眼を向ける英国代表団。。
前巻の最後でも、このヤルタ会談の直前に行われた、英米によるマルタ会談が書かれていて
そこでは英軍参謀総長のアラン・ブルック元帥と、米軍参謀総長ジョージ・マーシャル元帥が
意見を対立させて睨み合う・・・という場面もありましたが、
さすがにソ連の参謀総長アントーノフやクズネツォフ海軍相が出てくると、
その嫌味たっぷりで探りを入れた発言に、英米の軍事代表団も顔を紅潮させます。

Ernest J. King_ George C. Marshall_Alan Brooke.jpg

「人間、腹が減ると平静さを失う」という典型となった、この昼食抜きで進む軍事会議の一方、
午後から始まった3ヶ国外相会議では、しっかり昼食会も兼ねており、
ソ連の外相モロトフによる「乾杯」の音頭で幕が上がると、それぞれの「外相に」や
「勝利に」など、延々16回も「乾杯」は続き、討議開催の宣言時には
一同すっかり「デキあがって」いるという有様です。

さらにはスターリン主催による夕食会・・。45回ないしは50回にも及ぶ「乾杯」攻撃の前に、
20皿のコース料理は冷める一方です。
なにも、このような会議の裏話ばかりではなく、ちゃんとした首脳会談もあります。
特に印象的だったのは、ドイツ軍の敗走に伴う、連合軍捕虜の本国送還問題です。

Yalta Conference.jpg

「捕虜となった将兵は例外なく、一日も早い帰国を希望している」と想像する西側ですが、
実際は、英米軍によって解放されたソ連軍捕虜の大部分が帰国を拒否します。
捕虜を「准英雄」視する英米と違い、敵前逃亡や裏切り行為として「投獄、銃殺」するソ連。。。

その頃、ヒトラーが移ってきたベルリンの総統官邸には、B-17爆撃機から
25発の爆弾が投下され、しぶしぶヒトラーも完成したての地下壕へ避難します。
そこではデーニッツがバルト海からの避難がはばからず、「ヴィルヘルム・グストロフ号」が
撃沈された件を挙げ、「空軍の援護の必要性」をヒトラーに訴えます。

BERLIN bomb.jpg

総統より先に地下壕へと逃げ込んでいたゲーリングは、その理由を
「反逆者」によるものだとして、将軍を含む12人の空軍将校を「銃殺刑」に処したと報告・・。
逃亡、戦意不足、腐敗に対する処置ですが、部下を戦意不足で処刑した空軍最高司令官が
いち早く地下壕へ逃げ込んでいることに怒るヒトラーから、逆に叱責されてしまいます。

そして連合軍の都市爆撃は遂にドレスデンへ・・。
ドイツ軍東部移送の中継地や集結地である・・とのソ連側の情報により、
その目標になったとされるこのベルリン南方の古都、ドレスデンですが、
実際は東方からの避難民の都と化しています。

Lancaster_formation.jpg

3時間の間隔をおいた2波によるアブロランカスター爆撃機、773機による夜間爆撃です。
高性能爆弾で建物を破壊し、焼夷弾で焼き尽くすこの作戦、
編隊の隊員たちは事前にドレスデンについての説明を受け、そこが「要塞都市」や
「化学兵器を製造する中心工業都市」、「主要補給都市」など様々な表現で首をかしげます。

bombing-Dresden 14_15 February 1945.jpg

猛烈な「ファイヤー・ストーム」によって建物も人も灰となり、
伝来の家具や財産と敢えて運命を共にした市民も多かったようです。
夜が明けて、廃墟となってもまだ火が燻り続けるドレスデン。
するとそこに第3波である米軍のB-17 300機がとどめとばかりに襲来・・。
しかし、その4発重爆よりも、護衛戦闘機「P-51」により地上掃射が
生き残り、必死に親族を探す人々を恐怖に陥れます。

dresden1945.jpg

勇敢に火をくぐって救出活動を行っていた兵士も、
この銃弾の雨を降らしながら降下する戦闘機の姿を見て、思わず泣き叫びます・・。
本書では死者数を13万5千人とし、参考に、その1ヶ月後の東京大空襲が
8万3千人という数字も挙げています。
ここら辺りは、以前にTVで観た映画「ドレスデン-運命の日」を思い出しますねぇ。

B-17 Flying Fortress.jpeg

ヒムラーが司令官を務めるヴァイクセル軍集団へ補充兵を送れ・・との話から始まった
女性大隊の編成と15歳の少年を動員せよというヒトラーの発言に
OKWの作戦室は静まり返ります。
作戦部長ヴァーリモントは「ヒトラーを除き、全員の顔が蒼白となった。我々が戦っているのは
愛する弱い者たちのためであり、それは女性と子供を意味するはずだ」。

A Hitler youth soldier with a Panzerfaust.jpg

中盤はライン川を巡る戦い。もちろん詳細なのはレイマーゲン鉄橋です。
最後の100日」とそれほど違いはありませんが、一か八か、この橋を奪取するために
いやいや任命された、米軍突撃隊の様子が笑えました。
いざ、突撃・・と合図を送ろうとした瞬間、対岸のドイツ軍工兵フリーゼンハーン大尉によって
なんとか点火され、爆音が轟きます。
フリーゼンハーンは「やった。これで助かった。もう米軍は来ない」。
しかし米軍の突撃隊長も「やった。これで橋を渡らずに済む」。

こんな展開だと、ちょっと独破を中断して、映画「レマゲン鉄橋」のDVD観るか・・、
と一瞬思いましたが、昔1回観ただけだし・・、DVD持ってなかったし・・・。

bridge at remagen_ROBERT VAUGHN.jpg

各地でライン川を越えた連合軍ですが、アイゼンハワーにはまたしても問題が報告されます。
解放された強制労働収容所の外国人女性との「交歓」による性病の蔓延、
「強姦」によって軍法会議にかけられた米兵が3月だけで128名、
さらには行く先々での戦利品と記念品の「略奪」・・。

Liberated Jewish women.jpg

そして最も重要な問題についてもアイゼンハワーは結論を出します。
「ベルリンへの競争はやめだ」。
これに双眼を充血させるのは英首相のチャーチルです。「ナチズムから救ったヨーロッパを
ソ連に与えるのでは、何のために戦争したのかが分からなくなる」。
英軍参謀総長ブルックも辛辣に「アイクの未熟な頭脳のおかげで、対独勝利は、
対日勝利よりも遅れるのでは・・」。
チャーチルは政治的解釈をルーズヴェルトに求めるも、その大統領は極秘のうちに死去。

eisenhower-churchill.jpg

西のルール地方ではB軍集団が包囲され、東部では参謀総長グデーリアンが解任。
SSのカール・ヴォルフはイタリアとスイスで和平交渉に明け暮れ、
空軍はMe-109で体当たりの「特攻」に踏み切ります。
ヘスは気がふれたし、ゲーリングは人望がない」と後継者にも悩むヒトラー。
秘書の「ではヒムラーは?」の問いに、「彼には芸術的センスがない」と一言。

Goring, Keitel,Donitz, Himmler, Hitler.jpg

最後はカナリス提督の処刑です。
直接証拠がないにも関わらず、ヒトラー暗殺未遂事件に関与したかどで逮捕されたカナリスを
釈放するようヒムラーに求めるのはOKW長官カイテルです。
しかし、4月5日、そろそろ危険な証人を始末するべきだとするボルマン
ヒムラーは連合軍との和平のために活用すべきと反論しますが、
RSHA長官のカルテンブルンナーとゲシュタポのミュラーは上司に背き、ボルマンに同意します。

Canaris_19.jpg

カナリス処刑の報告を受けたカイテル元帥。
この正式裁判抜きの処刑に「単なる殺人であり、国防軍の名において責任者の処罰」を
直接ヒトラーに要請するのでした。
本書はカイテルが、未だかつて読んだことがないほど男らしいです。







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