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奮戦!第6戦車師団 -スターリングラード包囲環を叩き破れ- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ホルスト・シャイベルト著の「奮戦!第6戦車師団」を読破しました。

1942年冬、スターリングラードで包囲されたドイツ第6軍を救出するため、
新設されたドン軍集団司令官フォン・マンシュタインによる「冬の嵐作戦」を
その中核で戦車長を務めた著者による、非常に詳細な戦闘記録です。

原題は「スターリングラードまで48㌔」で、150㌔を突破し、第6軍との連絡、
救出を目的としたこの作戦が2/3の時点で断念することになったことを
表しています。

奮戦!第6戦車師団.JPG

第1章は、スターリングラードが包囲された状況と著者であるシャイベルト中尉が所属する
第6戦車師団の編成内容(Ⅲ号戦車とⅣ号戦車中心)が紹介されます。

ドン軍集団のある意味、大慌てで寄せ集めた戦力も詳しく語られていて、
ヘルマン・ホトの第4戦車(装甲)軍に配属されたキルヒナーの第57戦車軍団に
本書の主役、第6戦車師団は加わり、休養/訓練も充分で士気も高い
このラウス少将率いる第6戦車師団は、先鋒として突撃を開始します。

Erhard Raus.JPG

しかし、本当の主役はこの師団レベルではなく、ここから更に4つにした戦闘団、
特に第11戦車連隊長フォン・ヒューナースドルフ大佐率いる戦力最強の
「ヒューナースドルフ戦闘団」の戦いを中心に、その模様を一日単位で解説しています。

この「ヒューナースドルフ戦闘団」の戦車中隊長を務めるシャイベルトの戦闘記録も
随時、出てきますが、基本的には第11戦車連隊の戦闘日誌を用いて時間毎に、
また第Ⅱ大隊長Dr.フランツ・ベーケ少佐の報告書も突然出てきたり、
12月9日付のマンシュタインからOKHに宛てた「状況判断」も掲載されています。

Erich_v._Manstein,_Hermann_Hoth.JPG

当初は拍子抜けだったソ連軍の防衛も、深く進むにつれ、激しさを増してきます。
12月14日から始まるウェルヒネ・クムスキヤを巡る戦車戦では、
戦闘団と師団の無線記録も紹介して、最前線での様子をドキュメンタリーのように描き、
Ⅱ号戦車がT-34戦車を撃破した話や、捕虜にした戦車長の女性中尉の話も・・。
しかし基本的にはⅢ号戦車を以ってしてもT-34戦車に対しては劣勢であるとの
分析もしっかりされています。

互いを援護するその他の戦闘団、「ウンライン戦闘団」や
第114擲弾兵連隊長ツォーレンコップフ大佐の
「ツォーレンコップフ戦闘団」の救援や、やっと連絡をつける場面も印象的です。
このツォーレンコップフ大佐は初めて聞いた名前ですが、出てくる度に
髑髏の襟章の部隊」をどうしても想像してしまいました。。。

主役のフォン・ヒューナースドルフ大佐は第4槍騎兵連隊出身だそうで、
暗号名ではないでしょうが、師団からの無線でも
「第4槍騎兵、どんどん進め!」と指示されているところが面白いですね。

von Hunersdorff.jpg

結局は、燃料/弾薬や人員も消耗した第6戦車師団は、
12月23日を最後に、新たな脅威となってきたドン河大屈曲部へ転出命令が下され、
これによって第6軍救出も絶望的となってしまいます。

訳者あとがきによると1955年初版の原著では、軍団または師団諸隊の行動や
同盟国軍に対する悪口もあって批判を浴びたらしく、
今の版ではこれらが削除され、全般の推移も当たりさわりのない表現で、
最後には(第6軍が全滅した要因を)神様まかせにしているということです。

horst scheibert.JPG

改めて著者の「前説」読むと、当初8人いた戦車中隊長のうち、
この1ヶ月の戦闘期間で生き残ったのは著者1人のみであったことや、
スターリングラードに関する既存の出版物はまったくの部外者か、
高級司令部員などにより書かれた物で、最良とは言い難いとしています。

本文中にも第6軍が自ら包囲網を突破し、彼ら救出部隊と連絡をつける
「雷鳴作戦」についても触れていて、
戦友が次々に倒れながらも命がけで救出に向かった著者からしてみれば、
「雷鳴作戦」を実行しなかった第6軍司令部に対する憤りが見え隠れしています。

Stalingard 1943.jpg

190ページという見た目はボリュームの無い本書ですが、
濃密で詳細な戦闘記録なので戦況図や多数の写真を見ながら、
じっくり頭を整理しつつ読まないとなかなか難しい、
好き嫌いが分かれそうな一冊でもありますね。


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