脱出 1940夏・パリ [フランス]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
ハンナ・ダイアモンド著の「脱出 1940夏・パリ 」を読破しました。
フランスがドイツ軍に占領されていた5年間というものは以前から興味があり、
主に一般市民の生活が書かれたものを探していました。
本書はたまたま見つけた一冊で、原書も2007年というわりと新しいもの。
1940年のドイツ軍の電撃戦の前にパリ市民の3/4、、400万人が大脱出を図り、
それによって起こった大混乱と、続くパリへの帰郷までを日記や
インタビューによる調査から検証したものです。
まずは5月10日のドイツの西方侵攻作戦の衝撃から
6月14日のパリ陥落までがダイジェスト的に語られます。
ベルギー、オランダへ侵攻したというドイツ軍の攻撃については
前大戦と同様の展開(シュリーフェン・プラン)であるとして冷静だったパリ市民も
アルデンヌの森を突破し、猛烈な勢いで西へと爆走する
ドイツ軍機甲部隊の情報が入ると早くも不安に駆られ出します。
いや~、マンシュタイン・プランはパリ市民も驚かせたんですね。
ドイツ軍人に対するパリ市民のイメージは、前大戦での尾ひれの付いた噂・・
女性を強姦し、残虐に殺害、子供の手も容赦なく切断するなどというもので
それに加え、前年のポーランドにおけるワルシャワなどの破壊の様子も新聞などで
伝わっていたことが、極悪非道のイメージを植えつけていたようです。
泡を喰ったフランス政府の様子もポール・レノー首相を中心に
前首相で国防相のダラディエや総司令官のガムランの解任。
代わって前大戦の英雄であるペタン元帥とウェイガンらを後任に据える経緯や
国防政務次官としてドゴールも入閣し、英国のチャーチルの連絡係となります。
パリ市民は取るものも取りあえず、政府や行政機関からの具体的な指示のないまま、
一路南へ、ロワール川を一つの目標として脱出を図ります。
市民の階級差も当然あり、裕福な者は車で、続いて電車で、
更には荷車を押しなから徒歩で、あるいは自転車で・・と混乱の中を進んで行きます。
しかし既に北からはベルギーを含め、多くの避難民がすでに移動中・・・。
都市の生活に慣れたパリ市民たちは、先々で辿りつく田舎の町や村では
ガソリンやパンなどの食料品が簡単に手に入らないことにやっと気づきます。
さらに、同様に南に撤退する指揮官を失ったフランス軍の敗残兵たちと合流すると
空からはドイツ空軍が狙って来るという始末。。
ボルドーへと逃げた政府も休戦か降伏かという問題に迫られます。
レノー、ペタンとも意見が合わず、ウェイガン陸軍総司令官も
ダンケルクからとっとと逃げ出した英国派遣軍に対して憤懣やるかたない様子で、
ドーバー海峡を渡った2/3が英国軍であることに苦情を述べ、
逆に英国寄りであり「好ましからざる人物」となったドゴールも慌ててロンドンへ逃れて、
BBC放送でフランス軍人に向けて、戦い続けるよう語ります。
このような状況のなか、既にロワール川も遥か超えてひたすら南へと脱出していた避難民も
その先にすでにドイツ軍が侵攻していることを知り、6月、今度は帰還に向かいます。
しかし歩きつかれた母親が子供を他人に託した事例なども紹介され、
この混乱の中で9万人の子供が迷子となり、そのうち25%がパリっ子だったということです。
逆走の始まった、このパリへの帰還では車の同乗や食料の提供などにドイツ軍人が
手助けをします。その回想では「皆やさしく紳士的であり、自発的に援助したがっていた」
ことも多くの事実であったようです。
ただし、本書ではヒトラーの命令による、このような友好的な占領を目指し、
ゲリラ戦を回避したということも述べられていて、子供たちにやさしく接する宣伝ポスターでは
「見捨てられた国民よ、ドイツ軍兵士に信頼を!」とやっています。
6月の終りに帰還を果たしたパリ市民を出迎えたのは、
すでに体制をキッチリ確立したドイツ占領軍です。
当初はカギ十字の大きな旗が翻るパリ市内の光景に意気消沈したものの
綺麗なフランス語を流暢に喋る、丁寧で行儀の良いドイツ軍人たちを賞賛し、
自らの運命を慣れと共に自然と受け入れていったという話も紹介されています。
もちろん、パリ市民すべてがドイツ軍に対して好意的だったということはないでしょう。
それは特に7月には「市民権剥奪法」が施行されたという、フランス国籍の
ユダヤ人たちに対する扱いや捕虜として連行されていった多くの軍人と男性たち・・・。
その意味では本書での記録は女性による日記や記録、回想が中心で語られていることを
理解しておく必要があるかもしれません。。
最後には脱出から帰還という一連の騒動も落着き、ペタンのヴィシー政府と、
戦い続ける英国とドゴールの存在に揺れる市民感情も紹介します。
「独破戦線」的にはドイツ人の名がヒトラーしか出てこなかったのが残念ですが、
公平に客観的に、整理した一冊で、複数の写真から市民の様子も知ることができましたし、
想像以上に書かれていた、当時のフランス政府内の攻防も結果的に勉強になりました。
出だしで「ドイツが宣戦布告した」というのには、ビックリしましたが、
これは「ドイツに・・・」の誤字だと解釈しておきましょう。。
ハンナ・ダイアモンド著の「脱出 1940夏・パリ 」を読破しました。
フランスがドイツ軍に占領されていた5年間というものは以前から興味があり、
主に一般市民の生活が書かれたものを探していました。
本書はたまたま見つけた一冊で、原書も2007年というわりと新しいもの。
1940年のドイツ軍の電撃戦の前にパリ市民の3/4、、400万人が大脱出を図り、
それによって起こった大混乱と、続くパリへの帰郷までを日記や
インタビューによる調査から検証したものです。
まずは5月10日のドイツの西方侵攻作戦の衝撃から
6月14日のパリ陥落までがダイジェスト的に語られます。
ベルギー、オランダへ侵攻したというドイツ軍の攻撃については
前大戦と同様の展開(シュリーフェン・プラン)であるとして冷静だったパリ市民も
アルデンヌの森を突破し、猛烈な勢いで西へと爆走する
ドイツ軍機甲部隊の情報が入ると早くも不安に駆られ出します。
いや~、マンシュタイン・プランはパリ市民も驚かせたんですね。
ドイツ軍人に対するパリ市民のイメージは、前大戦での尾ひれの付いた噂・・
女性を強姦し、残虐に殺害、子供の手も容赦なく切断するなどというもので
それに加え、前年のポーランドにおけるワルシャワなどの破壊の様子も新聞などで
伝わっていたことが、極悪非道のイメージを植えつけていたようです。
泡を喰ったフランス政府の様子もポール・レノー首相を中心に
前首相で国防相のダラディエや総司令官のガムランの解任。
代わって前大戦の英雄であるペタン元帥とウェイガンらを後任に据える経緯や
国防政務次官としてドゴールも入閣し、英国のチャーチルの連絡係となります。
パリ市民は取るものも取りあえず、政府や行政機関からの具体的な指示のないまま、
一路南へ、ロワール川を一つの目標として脱出を図ります。
市民の階級差も当然あり、裕福な者は車で、続いて電車で、
更には荷車を押しなから徒歩で、あるいは自転車で・・と混乱の中を進んで行きます。
しかし既に北からはベルギーを含め、多くの避難民がすでに移動中・・・。
都市の生活に慣れたパリ市民たちは、先々で辿りつく田舎の町や村では
ガソリンやパンなどの食料品が簡単に手に入らないことにやっと気づきます。
さらに、同様に南に撤退する指揮官を失ったフランス軍の敗残兵たちと合流すると
空からはドイツ空軍が狙って来るという始末。。
ボルドーへと逃げた政府も休戦か降伏かという問題に迫られます。
レノー、ペタンとも意見が合わず、ウェイガン陸軍総司令官も
ダンケルクからとっとと逃げ出した英国派遣軍に対して憤懣やるかたない様子で、
ドーバー海峡を渡った2/3が英国軍であることに苦情を述べ、
逆に英国寄りであり「好ましからざる人物」となったドゴールも慌ててロンドンへ逃れて、
BBC放送でフランス軍人に向けて、戦い続けるよう語ります。
このような状況のなか、既にロワール川も遥か超えてひたすら南へと脱出していた避難民も
その先にすでにドイツ軍が侵攻していることを知り、6月、今度は帰還に向かいます。
しかし歩きつかれた母親が子供を他人に託した事例なども紹介され、
この混乱の中で9万人の子供が迷子となり、そのうち25%がパリっ子だったということです。
逆走の始まった、このパリへの帰還では車の同乗や食料の提供などにドイツ軍人が
手助けをします。その回想では「皆やさしく紳士的であり、自発的に援助したがっていた」
ことも多くの事実であったようです。
ただし、本書ではヒトラーの命令による、このような友好的な占領を目指し、
ゲリラ戦を回避したということも述べられていて、子供たちにやさしく接する宣伝ポスターでは
「見捨てられた国民よ、ドイツ軍兵士に信頼を!」とやっています。
6月の終りに帰還を果たしたパリ市民を出迎えたのは、
すでに体制をキッチリ確立したドイツ占領軍です。
当初はカギ十字の大きな旗が翻るパリ市内の光景に意気消沈したものの
綺麗なフランス語を流暢に喋る、丁寧で行儀の良いドイツ軍人たちを賞賛し、
自らの運命を慣れと共に自然と受け入れていったという話も紹介されています。
もちろん、パリ市民すべてがドイツ軍に対して好意的だったということはないでしょう。
それは特に7月には「市民権剥奪法」が施行されたという、フランス国籍の
ユダヤ人たちに対する扱いや捕虜として連行されていった多くの軍人と男性たち・・・。
その意味では本書での記録は女性による日記や記録、回想が中心で語られていることを
理解しておく必要があるかもしれません。。
最後には脱出から帰還という一連の騒動も落着き、ペタンのヴィシー政府と、
戦い続ける英国とドゴールの存在に揺れる市民感情も紹介します。
「独破戦線」的にはドイツ人の名がヒトラーしか出てこなかったのが残念ですが、
公平に客観的に、整理した一冊で、複数の写真から市民の様子も知ることができましたし、
想像以上に書かれていた、当時のフランス政府内の攻防も結果的に勉強になりました。
出だしで「ドイツが宣戦布告した」というのには、ビックリしましたが、
これは「ドイツに・・・」の誤字だと解釈しておきましょう。。