SSブログ

カティンの森 [戦争映画の本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アンジェイ・ムラルチク著の「カティンの森」を読破しました。

先日、神保町の古書街をさまよっていた際に、岩波ホールの看板が目に飛び込んできました。
そこには「次回ロードショー カティンの森」。
近寄って見ると「監督/アンジェイ・ワイダ」とあるではありませんか!
更に良く見ると「原作/集英社より発売中」。
とりあえず三○堂に駆け込んで、一件落着・・。

カティンの森.JPG

帰ってくるなり、この本と映画のなんの予備知識もないまま独破を開始し、
数時間後に無事完了しました。

「カティンの森」、または「カチンの森」とも言われるこの有名な事件は
独ソ戦前の1940年にポーランドがドイツ/ソ連それぞれの占領下にあった時、
ソ連側によりポーランド将校、数千人が惨殺され、「カティンの森」に埋められたというものです。
その後、バルバロッサ作戦によりポーランドが完全にドイツに占領されると
この事件が大々的に発表されますが、もちろんソ連、及び連合軍は、
それはドイツ軍によるものだとして全面的に否定していました。

katyn.jpg

この小説は、カティンの森の犠牲者となったポーランド将校の夫を持つ女性と
その娘が終戦後間もないソ連支配下の時代にその真相を探ろうとする
サスペンスも盛り込まれた一冊です。
出版されたばかりで、読まれた方も少ないと思いますので、詳細なストーリーは割愛します。
主人公は女性(母と娘)ですので、ぜひ女性にも読んで欲しい一冊です。

Zbrodnia katyńska.jpg

著者は脚本家でもあるためか、非常に会話が多く、家族や友人、恋人など登場人物の関係も
わかりやすく読ませ、ほとんど未知の世界と言って良い、
この時代のポーランドでも混乱することなく、理解できました。

また、もともとこの「カティンの森」をテーマにしたものを書くようワイダ監督から依頼され、
そして書き上げた短編からワイダ監督はインスピレーションを受けて映画版のストーリーが完成し、
著者はそれとは別にその短編を膨らませたものが、この小説ということだそうです。

KATYN_Andrzej Wajda.jpg

それゆえ、先ほど確認した映画版のストーリーとは登場人物も含め、
まったく別物と言って良いかもしれません。
この小説版では1つの家族の物語に閉じていますが、
映画では複数の家族のエピソードという形のようです。

映画「カティンの森」の公式HPです。

いずれにしても、以前から興味のあったこの「カティンの森事件」を知ることが出来たのは
大きな収穫です。カティン以外にも2箇所にも埋められ、その犠牲者の数は
当時のポーランド将校の半数にあたる1万数千人にも及んだことも知りました。
12月5日公開の映画も楽しみにしています。



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パンツァーズ・イン・ノルマンディ [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

エリック・ルフェーヴル著の「パンツァーズ・イン・ノルマンディ」を読破しました。

ノルマンディの戦いにおけるドイツ戦車の戦いを数多くの珍しい写真を使い、
「戦車連隊」単位で整理した大判の1冊です。
原著に「THEN AND NOW」とあるように、当時の戦場写真と今(1983年)の写真を
同じ構図で比較することを試みています。
これは良く見かけるティーガーパンターが瓦礫のなかで頓挫した写真が
実はとても平和な田舎の街角であったことを衝撃的に理解させてくれました。

パンツァーズ.JPG

まずはノルマンディに参加した戦車/装甲車両を丁寧に解説し、
各戦車連隊についても、その戦記も充実していて楽しめます。
勿論、独立重戦車大隊もしっかり登場。
特に武装SSの章では戦記の多い第ⅠSS戦車軍団だけではなく、第ⅡSS戦車軍団、
すなわちホーエンシュタウフェンフルンツベルク師団の戦闘が貴重な気がしますね。

Battle of Villers-Bocage.jpg

前半の戦車突撃章の解説はとても勉強になりました。
等級があるのは知っていましたが、モチーフは制定当時の最強戦車であるⅣ号戦車で
最高等級になると長砲身のⅢ号戦車だと言うことです。
確かに長砲身のものは柏葉の枠を飛び出してますね。

Panzer-kampfabzeichen.JPG

「ドイツ戦車隊の歌」として有名な「パンツァーリート」も音符付きで紹介されています。
これはとにかく映画「バルジ大作戦」で若い戦車兵たちが
ヘスラー大佐の前で唄うシーンで有名ですが、
自分もこのシーンだけ無性に観たくなる時があります。
ちょっと元気の無い時には風呂に浸かりながら唄うこともあったりします。

panzerlied bulge.jpg

ご存知ない方は聞いてみてください。
実際は5番まで歌詞がありますが、「壊れたレコードのように」と良く言われる
映画で使われた1番のみを延々と繰り返すバージョンです。
でも段々と盛り上がる、このバージョンの方が自分は好きですね!



第2SS師団「ダス・ライヒ」の戦車連隊長、クリスチャン・タイクゼン中佐は一番印象に残りました。
このノルマンディで戦死してしまいますが、負傷9回という勇敢で、冷酷なまでに有能な
百戦錬磨の指揮官として知られていたそうです。
第1SS師団の戦車連隊長がヨッヘン・パイパーなので、その顔の凄みが更に目立ちますね。

christian_tychsen.jpg

トリを飾るのはもちろん、表紙でもアピールしているミヒャエル・ヴィットマンです。
ヴィレル・ボカージュの戦いを写真と図解で詳細に検討し、この功績によって
戦車教導師団が包囲されることを救ったことから、アフリカ軍団参謀長として名の知れた師団長の
バイエルライン中将が「剣章」を強く申請したといった話もありました。

Grave of Michael wittmann.JPG

そして不明となっていたヴィットマンの戦死した場所の特定と埋葬された場所についても
当時(1983年)の調査によって判明し、その後、
フランス最大のドイツ軍戦没者墓地のラ・カンプに移されたそうです。



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ナチス第三帝国の崩壊 -スターリングラードからベルリンへ- [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ワシリー・I.チュイコフ著の「ナチス第三帝国の崩壊」を読破しました。

チュイコフといえばスターリングラードを防衛したことで有名なソ連の将軍です。
その回想録が35年前に日本で発刊されていたというのもビックリしましたが、
スターリングラードの戦いの回想は別にあると序文に書かれていたのを読んで
さらにビックリしました。
副題の「スターリングラードからベルリンへ」に惹かれたのですが
この回想録は1944年6月からのベルリンへの戦い、
いわゆる「バグラチオン作戦」に特化したものです。

第三帝国の崩壊.JPG

当時の第2次大戦の軍人の回想録というのは、敗れたドイツを含め、
西側諸国から発表されたものがほとんどで、ソ連側の純粋なものというのは非常に稀なようです。
チュイコフは特にグデーリアンの回想録を引き合いに出して、結構こき下ろしています。

General Vasily Chuikov and soldiers.jpg

スターリングラードを防衛したチュイコフの第62軍は、その功績から「第8親衛軍」と改名され
ロコソフスキー元帥率いる「第1白ロシア方面軍」の先鋒として大攻勢に挑みます。
このロコソフスキーに対しては、上官であるものの親友ともいえるような感覚を持っているようで
非常に立派な軍人であるとして高く評価しています。

Konstantin Rokossowsky.jpg

ポーランドへ順調に進軍したチュイコフはナチ/ドイツ軍の残忍ぶりを語ります。
一般市民に対するものや、特にポズナニやキュストリン要塞攻略戦では
ドイツ守備隊は降伏した自軍の兵を後ろから銃殺したりと、多数の例を挙げ、
赤軍のマズい行為には一切触れず、降伏の勧告など人道的な雰囲気を強調しています。

Kuestrin.jpg

ロコソフスキーが「第2白ロシア方面軍」へと転出され、ジューコフ元帥が後任となりますが
この政治的な人事についても述べています。
ジューコフに作戦の説明をする様子も具体的で、
当初「まったく理解できん!」とするジューコフを結局納得させるくだりは、
自身の戦術に対する自信とジューコフに対する思いが見え隠れします。

Soviet_artillery_firing_on_berlin_april_1945.jpg

案の定、ゼーロウ高地ではジューコフ考案の有名な探照燈がまったくの役立たずであったとして
その時の大混乱ぶりも皮肉めいた語り口で紹介しています。
この本の帯に書かれているようにチュイコフが「ロシアのロンメル」と呼ばれているというのは
初めて知りました。
戦車部隊を中心に自ら部隊の先頭近くで攻撃を指揮するスタイルがその所以のようですが・・。

soviet_tanks_berlin1945.jpg

そしてベルリン攻略ではその中心であるティアガルテン地区の戦闘の様子を
様々な中隊レベルの戦記として記述しており
ある意味、市街戦のスペシャリストであるチュイコフはこのような戦いにおいては、
軍団や軍といったレベルがどうこう出来るものではないと考えていて、
局地での英雄的な行為の積み重ねによって達成されるものということのようです。

一列になって市内へ突入した戦車隊が、ことごとくパンツァーファウストの餌食になったという話や
ドイツの重戦車を如何に攻略したかというエピソードも、その市街戦の戦術を理解するうえでも
貴重な内容に感じました。

Panther tank half buried in defensive position.jpg

最後には参謀総長のクレープス将軍が休戦を申し入れて来る有名なシーンが登場します。
前日に自殺したヒトラーの話から切り出したクレープスに対し、
「それは我々も知っている」と平然とハッタリをかましたチュイコフは
その時の心境と交渉戦術を詳細に語ります。

自分はただの特使であり、首相となったゲッベルスと党の責任者ボルマン、
さらにヒトラーの後継者に任命された連絡のつかないデーニッツに聞かなければ・・
とするクレープスとの会談は12時間にもおよび、
「即時の全面降伏しか認めない」チュイコフと「まず休戦して、新政府を発足させ、
その後に降伏交渉に入りたい」とするクレープスの話は平行線のまま終了します。

Hans Krebs, negotiations in the soviet HQ in Berlin.jpg

ゲーリングの所在や裏切り者となったヒムラーが西側連合軍と和平交渉をしている
という情報も状況を複雑にさせ、チュイコフは逐一、ジューコフと電話で相談。
そのジューコフもモスクワへ報告・・と、とても緊張感に溢れた駆け引きの連続で、
その直後、総統官邸でのゲッベルスとクレープスの自殺の報がもたらされ
ベルリン防衛の責任者であったヴァイトリング将軍の降伏、
しかしズタズタの連絡網と彼の指揮下に無いとする武装SS部隊の抵抗など
「ヒトラー/最後の12日間」の後日談的場面ですが
ベルリンで銃声が止むまでの過程は様々なドラマが展開されています。

Helmuth Weidling directly after the surrender of Berlin 1945.jpg

正直、このヒトラー死後の数日だけで一冊の本、
或いは一本の映画が撮れるのではないでしょうか?
ここにはそれほどの面白さがあると感じました。

「ジューコフ元帥回想録 革命★大戦★平和」も購入しました。
しかし、こちらは500頁オーバーの大著なので暫くは本棚に寝かせて置くことになりそうですね。



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ナチス親衛隊SS 軍装ハンドブック [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロビン・ラムスデン著の「ナチス親衛隊SS 軍装ハンドブック」を読破しました。

SS創設当時の貴重な写真から制服、帽子、徽章類とカテゴリー別に分類した
とてもためになる一冊です。
著者は実物軍装品のコレクターで、これらの物は冒頭の数ページに
カラーで紹介されています。ただ本文の数多くの写真が白黒なのが残念ですね。
ちなみに表紙を飾るのはSS経済・管理本部長官オスヴァルト・ポールの物と
1935年頃の第88歩兵連隊のアルゲマイネSS(一般SS)曹長の物だそうです。

ナチス親衛隊SS 軍装ハンドブック.JPG

暗号や隠されたメッセージといった類が大好きだったヒムラーによって
神聖なまでに祀り挙げられた「ルーン文字」が詳細に解説されています。
ゲルマン神話の雷神をあらわす「ハーケンクロイツ」から勝利をあらわす「ジーク・ルーン」、
このジーク・ルーンを2つ並べたものが「SSルーン」で
1932年頃にグラフィック・デザイナーのSS隊員によるものだそうです。

SS_Rune.jpg

SSでは14個のルーン文字を使用し、1939年まではSS志願兵の
訓練期間中にルーン文字についての講義を行っていたそうですが、
隊員たちが関心を示さないのでこの講義は中止になったとか・・。

SSと言えば髑髏のイメージです。
自分も以前は国防軍戦車兵の髑髏の襟章を見て「SSだっ!」と思ったものです。
この髑髏(トーテンコップフ)における過去からの遍歴は大きなテーマとして取り上げられていて
特に有名な「髑髏リング」の解説は楽しめました。
異常なほど厳格な規定を持つ髑髏リングは除隊、または戦死した場合に返却されていましたが、
終戦間際までに戦死したSS隊員の指から抜き取られた膨大な数の髑髏リングは
ヒムラーの古城の神殿に祭られ、連合軍により奪われてしまうことを恐れたヒムラーは
ヴェーヴェルスブルクの山腹に埋めるよう命じ、これらは未だに発見されていないそうです。

totenkopfring.jpg

SS隊員といっても戦功などによる勲章類は国防軍と同様だったのは知っていましたが
SS独自の戦功勲章として「パルチザン・バッジ(対ゲリラ戦章)」が存在していました。
銅章、銀章、金章の3等級に分かれ、それぞれ対ゲリラ作戦に
20日間、50日間、100日間と参加する必要があったそうで、
受章基準が高いことで知られる「白兵戦章金章」が50日間ということから、
(コレを身に着けている人はたいがい修羅場をくぐり抜けて来たという凄い顔をしています・・)、
対ゲリラ戦章の金章を受章することはそれを2回受章するに等しいほどの至難の業で、
色こそ判りませんがバッハ=ツェレウスキはさすがに着けてますね。

bandenkampfabzeichen.JPG

ラインハルト・ハイドリヒものも突然出てきます。
ハイドリヒがチェコで暗殺された際にSSが発行した「追悼の書」や
そのデスマスクをあしらった「ハイドリヒ記念切手」です。

Reinhard_Heydrich_stamp.jpg

イタリアの降伏に伴い、多くの被服がドイツ軍に接収されたそうですが、
そのなかにはヒトラーがムッソリーニに提供したUボート乗組員用の革ジャケットなどがあり、
それらはライプシュタンダルテヒトラー・ユーゲント師団の戦車兵たちに
火傷から身を守る効果もあることから支給されたようです。
そういえばヴィレル・ボカージュの戦いの時の
ヴィットマンの有名な写真も革ジャケットですが、なにかUボート用のものだということを
聞いたことがありますね。

Wittmann_Villers-Bocage.jpg

SS落下傘部隊についての記述は別の意味で勉強になりました。
武装SSのなかでも特に知られていないこの部隊の軍装は謎だらけのようで
SSとしての特別な装備ではなく訓練なども受け持っていたルフトヴァッフェの
装備だったのではないかということですが、それよりも
スコルツェニーの率いたSS降下猟兵第500大隊によるムッソリーニ救出作戦、
1944年5月、ユーゴスラヴィアのチトー司令官を標的にしたグライダー作戦で
パルチザンとの戦闘により部隊はほぼ壊滅したというプチ戦記が印象的です。

その後もアルデンヌ攻勢や東部戦線など、「SS落下傘部隊は常に最悪の戦場に放り出され、
一種の「自殺部隊」と考えられていたと見て良いだろう」としています。

少ないながらも「SS婦人補助部隊」についても書かれています。
シルバーのSSルーンが描かれた黒い卵型の徽章ですが、
さすがに著者も持っていないのか、実物の写真はありません。。。

Women SS.jpg

外国人義勇兵の章では多数の独特の襟章について考察しています。
実際に認可されていなかったものもあるようで、市場には偽物も出回っているそうです。
このような偽物のキャッチフレーズは
「ダッハウの被服倉庫から未使用の状態で発見された」。
イギリス自由軍」もスリー・ライオンのデザインというのは知られていますが、
ヴィトゲンシュタインも当時の着用している写真や実物の写真は見たことがありません。

British Free Corps.jpg

定価2200円ですが、やはりフルカラーで読みたかったですね。
値段は倍以上してしまうかも知れませんが、個人的にはOKです。
洋書ではいろいろ出ているので、買ってみようかとも思っています。



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空対空爆撃戦隊 -メッサーシュミット 対 米四発重爆- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ハインツ・クノーケ著の「空対空爆撃戦隊」を読破しました。

連合軍爆撃機との戦闘を描いた回想録は独破戦線では
夜間戦闘機乗りヨーネン少尉の「ドイツ夜間防空戦」がありますが
こちらは昼間、すなわちアメリカの爆撃機との戦いを日記形式で綴ったもので
1952年に「ドイツ空軍パイロットの日記」というタイトルで発刊されたそうです。

空対空爆撃戦隊.JPG

1921年生まれのクノーケは、なかなかの悪ガキだったようで、
ヒトラー・ユーゲントと喧嘩したりの少年時代です。
先日「ヒトラー・ユーゲント」を読破して興味深かった、1933年のヒトラー政権と共に
強引な青少年団の吸収と解散というシーンがこの本で語られるとは、嬉しい驚きです。

1940年、士官候補生としての訓練を終え、全軍の候補生たちがベルリンのスポーツパレスに結集。
1人の長身で痩せ、青ざめ神経質そうな飛行士官候補生がゲーリングに紹介されますが、
それは、かのハンス・ヨアヒム・マルセイユだったそうです。
同期の思いからかその後、マルセイユ戦死のニュースも複雑に聞くことになります。

marseille-portrait.jpg

そして第52戦闘航空団に配属されると、この大エースを多数輩出した飛行隊らしく
バルクホルン少尉、ラル少尉、予備中隊でも一緒だったクルピンスキー少尉といった
そうそうたる若きパイロットたちも登場。

Krupinski, Barkhorn, Wiese, Hartmann.jpg

その後は西部、主に北方のノルウェーなどでの任務に就き、
戦艦ティルピッツなどの護衛やブレスト艦隊のドーバー海峡突破作戦にも参加します。

初の「撃墜」という戦果の相手はスピットファイアで、無事に脱出/救助した英国将校と
ブランディを酌み交わして大笑いするという清々しいシーンも
後半になるにしたがって、徐々に変化していくことになります。

Heinz Knoke Bf109 g1.jpg

ドイツ本土への連合軍爆撃が昼間はアメリカ、夜は英国と始まると
グスタフの愛称の愛機、Bf-109GでB-24リベリーター、B-17フライングフォートレスといった
米四発重爆の大編隊に真っ向勝負を挑みます。
敵重爆編隊の上空から爆弾を落とすという戦術も戦友と共に発案し、
それを聞いたゲーリングから電話で起されたエピソードも・・。

B24 Liberator4.jpg

さらには21センチのロケット弾発射装置、「ストーブの煙突」ことオーフェンロールも装備し、
クノーケ自身も重爆撃墜数が十数機にも及ぶと、
戦闘機隊総監のガーランドリュッツォウ大佐とも戦術的な会話を交わすほどの
重爆撃墜のエキスパートという地位を確立します。

Gunther Lutzow3.jpg

しかし戦局は悪化の一途を辿り、ほとんどの戦友は戦死し、
クノーケもパラシュート脱出からの必死の生還を何度となく繰り返します。
敵重爆編隊に護衛としてサンダーボルトやマスタングが登場してくると
その壮絶な空戦による損害も甚だしく、彼も寡黙になり、
初めて戦果を挙げた当初の、敵パイロットの命を心配するといったようなことも
「殺してやる」という気持ちにまで変化してしまいます。

Heinz Knoke1.jpg

最後のパラシュート脱出による降下中にも、機銃による攻撃を受け
「戦争とは言えルールがあるじゃないか!」と憤慨しています。

このクノーケ大尉という人は知りませんでしたが、とても面白い戦記です。
特に個人的には、対する米四発重爆が興味深く、
ドイツ側、または日本人の心情からは無差別爆撃のテロ行為と映りますが、
その乗組員たちの気持ちはどのようなものだったのでしょうか。

B-24 Liberator.jpg

以前にグレゴリー・ペック主演の「頭上の敵機」や
マシュー・モディーンの「メンフィス・ベル」を観ているだけに、
今度あちら側の本もなにか読んでみようと思います。







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