SSブログ

ニュルンベルク裁判  ナチ・ドイツはどのように裁かれたのか [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アンネッテ・ヴァインケ著の「ニュルンベルク裁判」を読破しました。

先月、「ナチスと精神分析官」で4回目のニュルンベルク裁判を紹介したばかりですが、
しつこく5回目をやってみたいと思います。
今年の4月に出た230ページの新書・・と軽い一冊を選んだのにはわけがあり、
いつもの国際軍事裁判に続く、「12の継続裁判」についてページを割いているのがその理由。
いわゆる「医師裁判」や、「アインザッグルッペン裁判」などが含まれますが、
これらの裁判についての本を読むのは初めてなんですね。
そして原題はやっぱり「ニュルンベルク諸裁判」なのでした。

ニュルンベルク裁判.jpg

第1章では戦時中、1943年当時の連合国首脳の考え方・・。
チャーチルは独日伊の「アウトロー」である主要戦争犯罪人100人ほどを身元確認後、銃殺。
スターリンはドイツ参謀本部のすべて、少なくとも5万人を抹殺してしまえばいいと主張。
ルーズベルトは「モーゲンソー・プラン」を・・という流れを簡単に説明します。

Tehran Conference.jpg

第2章は「国際軍事法廷」で、24人の主要戦争犯罪人への処断です。
1945年8月の「ポツダム会談」で米英ソの3巨頭によって、可及的速やかに国際軍事法廷を・・、
という共同の意志を確認すると、占領下のドイツで証拠資料の奪い合いが始まります。
米首席検事ジャクソンの部下たちは、ヒトラーの副官だったホスバッハが作成した
1937年のヒトラー欧州戦争計画策定に関する「ホスバッハ覚書」のオリジナルを
大量に「借り出し」たものの、その多くを紛失するという大失態・・。

Jackson.jpg

英国は当初、被告人をゲーリングリッベントロップライヘスだけに絞っていたものの、
米国はナチ最高幹部に加え、犯罪的であると推定された「組織」の代表者も起訴すべきと主張。
ヒトラーユーゲント指導者や、SSの各組織、陸軍参謀本部にOKW、3軍の総司令部も対象に・・。
終戦時に大統領であった海軍総司令官のデーニッツ元帥も、「戦前」は地位の低い将校であり、
「共同謀議」の罪で立件するのは不可能という英国の異議も、慎重すぎるとあっさり退ける米国。

hitler-talking-to-a-naval-commander.jpg

司法代表団は英国が170名、ソ連が24名、フランス12名なのに対して、
米国は堂々の2000名超え。他方、20ヵ国から250名の「敏腕ジャーナリスト」も集まると、
郊外にある男爵邸をあてがわれます。
しかしこれが粗大ごみが所狭しと置かれた「恐怖の邸宅」と呼ばれる建物であり、
そのような境遇で数ヵ月も過ごす彼らは、米検察団の失敗を容赦なく弾劾することで、
ジャクソンに「返礼」するのでした。

Nuremberg trials.jpg

ソ連が「カティンの森」はドイツ人よるものという不当な要求を押し通しているころ、
他国は「ソ連にとって危険な証拠は公表しない方が、安全かつ賢明では・・」と協議。
その結果、ポーランドの分割などが確約された独ソ不可侵条約の「秘密議定書」が
起訴状から外されてしまうのです。

Treffen deutscher und sowjetischer Soldaten in Polen, 20. September 1939.jpg

最終的に12人に死刑が宣告されてこの章は終わりますが、「勝者の裁き」論にも触れ、
「根拠のある意義はあるにせよ、多くの批判者たちには、裁判に代わる選択肢があったのか、
という問いに答える義務がある」とします。

Secretaries preparing the Nuremberg Trials judgments to be handed to the press.jpg

89ページから第3章の「12の継続裁判」が始まります。
1946年初頭の段階で、米首席検事のジャクソンは、第2の国際軍事法廷は開催せず、
米国の単独管轄による、ドイツ人エリートへの裁判を行うことを決めます。
すでに始動していた「ダッハウ裁判」を支持する在独米軍政局のクレイ将軍も支援する体制。
首席検察官となるのはジャクソンの代理、テルフォード・テイラーです。
「ダッハウ裁判」ってあのマルメディの虐殺における武装SS裁判のことですね。

Telford Taylor.jpg

最初に開かれた継続裁判は「医師裁判」。
ナチスの医療犯罪に関与した20人のSS隊員、または強制収容所の医師・医療関係者などが
対象であり、ヒトラーの随行医師から、保険・衛生全権委員にまで昇りつめたカール・ブラント
「T4作戦」に責任を持つヴィクトール・ブラックらが被告人席に・・。

Viktor Brack.jpg

医師たちの大部分がナチ保険政策の遺伝学的・人種学的な目的と、
自分を一体化させていたことが審理の過程で明らかになり、
医療実験のイニシアティブをとっていたのはヒトラーやナチ幹部ではなく、医師たち自身であり、
人体実験の自発的な参加は、自分の職業的な功名のため、兵役招集を逃れるために
利用していたことが判明していくのです。

Dr. Karl Brandt.jpg

結局、ブラントを含む7人が絞首刑、逆に7人が無罪となりますが、
証拠不足によるものであり、「疑わしきは罰せず」の原則に従ったものだとします。
本書には名前が出てきませんが、アーネンエルベ事務長のヴォルフラム・ジーフェルスや、
主治医としてヒムラー逮捕の時まで同行していたカール・ゲープハルトと
ルドルフ・ブラントも絞首刑に・・。
この「医師裁判」は7ページ。もうちょっとボリュームが欲しいなぁ。。

The seven physicians who were hanged.jpg

司法省次官のシュレーゲルベルガーを中心とした「法律家裁判」が続いた後、
「ポール裁判」、すなわちSS経済管理本部オスヴァルト・ポール長官を主要被告人した裁判へ。
経済管理本部と書くとアレですが、アウシュヴィッツをはじめとした強制収容所が担当部署です。
ポールは刑法的な責任を断固として否認し、弁護人も「抑留者たちの生活条件を改善させる」
ための努力をいとわなかったとしますが、検察側の示したポールの管轄下で
死者が猛烈に跳ね上がったことを示す証拠文書によって、絞首刑・・。

Oswald Pohl und Ernst Schmauser.jpg

「SS人種・植民本部裁判」は、SS大将で「ドイツ民族性強化全権委員長官」の
ウルリヒ・グライフェルトが主要被告人で、レーベンスボルン(生命の泉)のメンバーも起訴。
ポーランドにおける虐殺政策や、ポーランド人孤児の拉致、
東部女性労働者の妊娠中絶などが裁判の中心ですが、判決は寛大なもので、
グライフェルトが終身刑で、7人が10年~20年というもの。
なお、唯一の女性被告人でレーベンスボルン協会副会長インゲ・フィアメッツは無罪です。

Ulrich Greifelt_Inge Viermetz.jpg

次は有名な「行動部隊(アインザッツグルッペン)裁判」です。
開廷前に1人が自殺して、SS、ゲシュタポ、刑事警察、保安部の高官から成る被告は22人。
最も重要なのは、すでにカルテンブルンナーに関する審問において、
南ウクライナ地域を担当していたショーベルトやマンシュタイン、そして自分自身を不利な立場に
置くような発言、「9万人のユダヤ人の殺害に責任がある」と述べていたオーレンドルフです。

それから15か月後の裁判でオーレンドルフは弁護士の勧めもあって、これまでの供述を翻し、
大量処刑は、「国防軍が制約されずに行動できるように」するための軍事的、警察的措置と表現。
また、RSHA人事局長シュトレッケンバッハによる、
「占領地におけるユダヤ人を無差別に殺害すべし」というヒトラー命令を聞いたと主張。
もうヒトラーも、ヒムラーも、ハイドリヒもみんな死んでますしねぇ。

Reinhard Heydrich_Bruno Streckenbach.jpg

この当時、ソ連に拘留されていたシュトレッケンバッハに責任を押し付ける戦略ですが、
最終的にオーレンドルフを含む14名に死刑判決が下されるという、
全裁判の中でも最も厳しいものとなるのです。

しかし処刑は1951年にオーレンドルフとパウル・ブローベルら4人に対してのみ執行され、
残りの囚人は50年代に放免されたそうです。

Einsatzgruppen Trial.jpg

「南東戦線将官裁判」は、別名「捕虜裁判」とも呼ばれているもので、
裁判の中心は、占領下のユーゴスラヴィアとギリシャにおける「人質処刑」です。
民間人を人質に取ることは、まだニュルンベルク裁判の時点では、
戦時国際慣習法で許容された対抗措置に属するものだったものの、
バルカン半島でのドイツ軍行動は軍事的報復措置の限界を遥かに超えた・・。

カイテルが「ドイツ兵士一人につき、50~100名の共産主義者を見せしめに処刑せよ」という
ヒトラー命令を伝達したことから、セルビア駐留のベーメ将軍はユダヤ人の大量処刑にも関与。
コレは「世界戦争犯罪事典」に載っていたエピソードですねぇ。
パルチザンに対するフラストレーションが住民にぶつけられた結果の粗暴な行為。
これにより1949年のジュネーブ条約では許容されていた民間人の人質が否定されることに・・。

List_von Weichs.jpg

ベーメは審理開始前に自殺、ヴァイクス元帥は病気により免訴となって、2名に終身刑。
名前は書かれていませんが、この終身刑のうち一人は、あのリスト元帥です。
もっとも病気のため1952年には釈放されたようですね。
また、20年禁固刑を受けたものの、1951年釈放されたギリシャ軍事司令官は、
ヴィルヘルム・シュパイデルで、あのハンス・シュパイデルの兄さんです。

Wilhelm Speidel.jpg

「国防軍最高司令部(OKW)裁判」も対象となる被告は高級将校。
起訴理由は「コミッサール命令」と、「戦時捕虜の大量殺害」に関するもの。
被告は陸軍からフォン・レープ、海軍からはシュニーヴィント、空軍がシュペルレであり、
詳しい方なら、この3人は悪人顔ながらも「OKW」じゃないのがわかるでしょう。

Ritter von Leeb_Otto Schniewind_Hugo Sperrle.jpg

シュペルレは「コンドル軍団」司令官としてゲルニカ空爆を実施していますが、
1939年からの戦争が対象のニュルンベルク裁判ではそれが起訴理由にはなりません。
シュペルレとシュニーヴィントは結局、無罪となりますが、
民間人に対する虐殺行為を何度か激しく非難したことで知られるブラスコヴィッツまでもが
起訴されたことは理解しがたく、その彼は開廷の日である1948年2月5日に自殺・・。

von Brauchitsch_Frank_Blaskowitz.jpg

残る11人の被告全員が戦争犯罪、および人道に対する罪で3年以上の有罪判決。
本書からは名前が書かれた4名しかわかりませんので、ちょっと紹介しましょう。
OKWからは3人で、そのうち一人はヨードルの代理でもあったヴァーリモントが終身刑。
フォン・レープは3年、ホリトが5年、オットー・ヴェーラーが8年、
ヘルマン・ホトと、ラインハルトが揃って15年、フォン・キュヒラーフォン・ザルムートが20年。
とはいってもレープはすでに3年以上拘留されているため判決後釈放され、
その他の被告も1954年までには全員釈放されています。

そういえば「ドイツ装甲師団とグデーリアン」で、戦犯容疑者として拘留されているメンバーが
宿敵ハルダーの保守派である、フォン・レープにリスト、ヴァイクスらで、
村八分のグデーリアン派は、ミルヒとブロムベルクだったなんて書かれてましたね。

Küchler_Warlimont_Hoth.jpg

鉄鋼界の大立者である「フリードリヒ・フリック裁判」の後、
経済界を対象とした「IG・ファルベン裁判」と続き、
エッセンの大企業「クルップ裁判」と、ナチスに協力した企業家かや経営者への裁きが連続。

空軍次官だった「ミルヒ裁判」はその期間は最も短いもの。
ダッハウで行われたジークムント・ラシャーの人体実験の責任も問われます。
法廷は強制労働計画を理由に「終身刑」の判決を下しますが、
後に15年に減刑、そして1954年には自由の身になるのでした。

Nürnberger Milch-Prozess.jpg

最後に紹介される裁判は、閣僚・政府高官へのもので、いわゆる「諸官庁裁判」です。
21人の被告はざっとこんなメンバーです。
内閣官房ラマース、大統領官房マイスナー、食糧・農業省ダレ、財務省フォン・クロージク、
宣伝省オットー・ディートリッヒ、外務省はリッベントロップの副官と書かれたヴァイツゼッカー

Ernst_Heinrich_von_Weizsäcker.jpg

さらにアウトサイダーとしてSS本部長ゴットロープ・ベルガーと、SD国外諜報部長シェレンベルク
彼らが共同謀議や平和に対する罪、占領地域における経済的略奪、犯罪的な組織への所属・・、
といったことで起訴され、検察側は21人全員の死刑を要求し、弁護側は全員無罪を主張します。

Gottlob Berger_Walter_Schellenberg.jpg

最終的に無罪となったのはマイスナーら2人で、同じ官房長だったラマースは20年の判決。
別に顔つきから無罪と、有罪になったわけではありません。
最も重い25年がベルガーで、シェレンベルクが6年、ヴァイツゼッカーが5年となるのでした。

Otto Meißner_Heinrich_Lammers.jpg

こうして第4章の「戦後ドイツへの影響」へと進みます。
すでに1948年には第一次世界大戦のUボートの艦長で、反ナチのために1937年から
ザクセンハウゼン強制収容所などに収容されていたマルティン・ニーメラー牧師が
「OKW裁判」に関する請願書を提出。
「目的のためにあらかじめ将官から軍の階級を剥奪するという手法は、
7月20日事件のヒトラーによるドイツ人将校に対する処遇と同じではないでしょうか」。

TIME December 23, 1940.jpg

そして「西ドイツ」が誕生し、ランツベルクに収容された囚人たちへの「恩赦」も検討され、
西ドイツのジャーナリズムも、一連のニュルンベルク裁判を公然と批判します。
「自分の命を常に危険に晒しながら、エーリヒ・コッホのような奴らと闘ったヴァイツゼッカーを
はじめとする人たちが有罪判決を下される一方、東プロイセンの警察・SS最高指導者の
オットー・ヘルヴィヒのような人物が自由に暮らしている事態に、わたしたちはうんざりだ」。

Hellwig_Otto_-_Gruppenfuhrer1.jpg

最終章ではこの「ニュルンベルクの原則」を国際法として確立しようとする紆余曲折が
語られます。それは1950年に法典案が提出されてから、国際法委員会で採択されたのは、
ようやく1990年になってから・・。

結局、期待していた「継続裁判」は第3章に70ページほど書かれていましたが、
ひとつひとつの裁判については簡単なものだと3ページ程度(ミルヒ裁判は1ページ)であり、
概要レベルと言っても良いかも知れません。
また、本書の観点は検察側の戦略に重点を置いたものであって、
被告側の主張はオーレンドルフなど、いくつかの例を除いてはそれほど書かれていませんし、
いつものニュルンベルク裁判モノにある被告の心理や、検察との戦いの様子も伝わりません。
もちろん、このボリュームの新書ですからそれはそれでしょうがないですし、
コレだけでも十分勉強になったのは事実です。

でも・・、それでも余計にもっと詳しく知りたいと思ってしまいましたね。
行きたいと思っていた高級レストランの安いランチだけを食べたような心境というんでしょうか・・。
多少は満足したけど、夜のフルコースを存分に味わってみたい・・と更に思います。
そしてできれば、マルメディ裁判に、ポーランドやソ連、その他の国で行われた
ナチス裁判についても、まとまって書かれた本があれば嬉しいですね。



nice!(4)  コメント(4)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

決定版 20世紀戦争映画クロニクル [戦争映画の本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

大久保 義信 著の「決定版 20世紀戦争映画クロニクル」を読破しました。

不思議なことに戦争映画ガイドブックってほとんど出版されておらず、知っている限りでは、
以前に紹介した「戦争映画名作選 -第2次大戦映画ガイド-」だけであり、
あの文庫が出版されたのが1995年ですから、実に20年ぶりといったトコでしょうか。
本書は「映画秘宝COLLECTION」として最近出た、239ページの一冊で、
単なるガイドブックとは違い、「クロニクル = 年代記」というのがポイントです。

戦争映画クロニクル.jpg

4部から成る本書、まずは第1部「第一次世界大戦」です。
そしてその第1章は「第一次世界大戦前史(1840年~1905年」であり、これは「はじめに」でも
書かれていますが、戦争というのは過去の戦争の結果が引き起こすことが多々あり、
第一次世界大戦を語るには「普仏戦争」を、それを語るには「クリミア戦争」を、
それを語るには「ナポレオン戦争」を・・、とやってると、17世紀まで簡単に遡ってしまうため、
1840年の「阿片戦争」をスタートとしています。

ということで、その「阿片戦争」が起こった経緯と、英国議会でも「破廉恥な戦争」と呼ばれた
展開を解説しながら、1997年製作の中国映画「阿片戦争」を紹介します。
すぐに20世紀に入ると、1904年の日露戦争についての解説と共に、
1969年の映画、「日本海大海戦」に触れ、「戦史劇の傑作だ」という評価です。
この章の最後は「戦艦ポチョムキン」(1925)で〆られますが、
ページ下部には監督、出演者に、DVD情報も廃盤、未発売など細かく記載され、
また戦争、事変が「年表」として掲載されつつ、その下に該当する戦争映画のタイトルというのは
後で振り返るときに重宝しそうですね。
白黒ながらも地図や写真も1ページに1枚程度、掲載されています。



第一次世界大戦の勃発っていうのは結構複雑で、本書でも2ページに渡って解説。
それに該当する映画は・・というとリチャード・アッテンボロー初監督の「素晴らしき戦争」(1969)で
「良くできた映画」と評価。あ~、コレ未見なんですよねぇ。
有名なクリスマス休戦なら「戦場のアリア」、日本が参戦すると2006年の「バルトの楽園」が・・。
「安っぽくなってしまった残念な映画」という一般的な評価ですね。



しかし、この本書の展開、よく考えてみると4年前に紹介した、
ヴィジュアル版 「決戦」の世界史 -歴史を動かした50の戦い-」のときのレビューと同じですね。。
あの時も、戦いを紹介しながら、勝手に「こんな映画がありました」・・なんてやってました。
ということは、世界史、特に戦争の世界史って映画で学んだことが多いってことであり、
本書のこのような構成はある意味、必然のようにも思えてきました。

こうして「アラビアのロレンス」(1962)、「ブルー・マックス」(1966)、「戦火の馬」(2011)、
ジョニーは戦場へ行った」(1971)など、3回は観た名作に1度も見てない有名映画、
はたまた無名のTVムービーも登場しながら進みます。



57ページから第2部の「日中戦争~太平洋戦争」です。
「戦争映画の傑作」という1970年の「トラ・トラ・トラ!」に始まり、
1957年の「戦場にかける橋」へと続きますが、後者についてはよく言われるフィクション部分に
言及しつつも、「今更どうでもいいが・・」といった論調です。



ガダルカナル島攻防戦は「シン・レッド・ライン」(1998)や、TVドラマ「ザ・パシフィック」(2010)。
フィリピン決戦ならグレゴリー・ペック主演の「マッカーサー」(1977)。
硫黄島攻防戦はイーストウッド監督の2作品以外に、ジョン・ウェイン主演の古い映画、
硫黄島の砂」(1949)も同列で紹介します。
最後の島となるのは「激動の昭和史 沖縄決戦」(1971)で、コレつい最近観たばっかりなんです。
なかなか良かったなぁ。今じゃ描けないようなリアルさが印象的でしたね。



人間魚雷出撃す」(1956)は、あのインディアナポリス号撃沈のお話。
回天搭乗員として石原裕次郎に長門裕之という「潜水艦映画の秀作」だそうです。
コレは見逃してた。松方弘樹 の「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」で満足していたもんで。。



終戦モノになると「日本のいちばん長い日」(1967)が登場。
コレも原作を読んで、今年、映画も観ました。
どっちも傑作と言って良いんじゃないでしょうか。



今夏、リメイク大公開!ですが、果たしてどんなモンでしょう??

1ban.jpg

それから真岡郵便電信局事件の「樺太1945年夏 氷雪の門」(1974)も出てきました。
そういえば8月に「妻と飛んだ特攻兵」をTVドラマでやるそうです。妻は堀北真希ちゃん・・。
しかし女性と子供の避難民2000名にソ連戦車14両が襲い掛かり、逃げまどう避難民を
次々と轢き殺す・・という「葛根廟事件」のシーンはさすがに無理か・・。

tsuma.jpg

ちょうど半分、115ページからお待ちかねの第3部「第二次世界大戦」。
その第1章はやっぱり「大戦前史 ヨーロッパの新しい国境」であり、帝国が崩壊して、
新たに独立した国々も出てきますから、このあたりの歴史もシッカリと押さえています。
最初に登場するのがエストニア/フィンランド合作の「バルト大攻防戦」(2002)という映画で、
1918年のエストニア独立に伴い、ドイツ、フィンランド、反共ロシア軍、コサックにラトヴィア赤軍が
入り乱れた独立戦争を描いた秀作だそうです。コレ、観てみたいなぁ。



1920年のソ連・ポーランド戦争を描いた「バトル・オブ・ワルシャワ 大機動作戦」(2011)も
気になります。ポーランド映画ですが、例のスターリンとか、トハチェフスキーが活躍、
その因縁の始まりとなる戦いですからね。



イタリアでは1920年代にムッソリーニが台頭。
TVドラマ「ムッソリーニ 愛と闘争の日々」(1985)で、主役を演じるのは「パットン」こと、
ジョージ・C・スコットです。その他、ガブリエル・バーン、ロバート・ダウニー・Jrと、
なかなかの演技派が揃い踏みで、5時間越えでも楽しめそう。
同様にドイツでは、ロバート・カーライルが演じたTV映画「ヒットラー」(2003)と、
長いナイフの夜を描いた傑作といわれる「地獄に堕ちた勇者ども」(1969)を紹介します。

musso.jpg

そのナチスによってオーストリア併合となると、「サウンド・オブ・ミュージック」(1964)です。
「ドレミの唄」が戦争映画かよと思う方もいるかもしれませんが、つい最近、初めて観ました。
長女に恋する男の子がヒトラーユーゲントぽくなって、最後はSAになって、家族を・・と、
楽しいミュージカルの中に、ナチスの暗雲立ち込める複雑な状況を見事に表現した傑作でした。

som.jpg

ポーランド戦なら「戦場のピアニスト」(2002)と、「カティンの森」(2007)。
冬戦争を描いた「ウィンター・ウォー」(1990)はDVDも持ってます。
主人公の弟が砲弾でバラバラになっちゃうんだよなぁ・・。
1940年のドイツの西方戦勝利と、その占領地を描いたものなら「ダンケルク」(1964)、
デンマークのレジスタンスを描いた「誰がため」(2008)、
オランダならポール・ヴァーホーヴェン監督の「ブラックブック」(2006)と、
未公開の「ロッテルダム・ブリッツ ナチス電撃空爆作戦」(2012)ですが、
その空爆シーンは迫力はあるものの、恋愛ドラマなんだそうな・・。



ヴィシー政府を描いた戦時中の映画として「カサブランカ」(1942)も紹介し、
ユダヤ人狩りをするSS大佐を成敗した「イングロリアス・バスターズ」(2009)も・・。
「大西洋の戦い」の筆頭は、当然の如く「U・ボート」。何度見ても最高! 一家に一枚DVD!
しかし、なんでもリメイクされるとかいう恐ろしい噂がありますね・・。
それより古い映画としては「眼下の敵」(1957)や、「戦艦シュペー号の最後」(1956)、
ビスマルク号を撃沈せよ!」(1959)と名作が続きます。
やっぱり海の男の話に変なヤツは出てこないのかな。



「イギリスの戦い」の章になると、「空軍大戦略」(1969)が傑作と紹介され、
先日紹介したばかりの「殴り込み戦闘機隊」(1956)も出てきます。
撃墜されたドイツ空軍のヴェラ少尉の「脱走四万キロ」(1957)が英国で作られたのは、
「その不屈の闘志と冒険行が敵味方を問わずヒーローにしたのだ」と解説。



バトル・オブ・ブリテンが終わると、騎士道的ではない戦略爆撃モノへと移ります。
「メンフィス・ベル」(1990)に、マックイーンの「戦う翼」(1964)といった米軍モノでは、
指揮官の責任と限界を描いたグレゴリー・ペックの「頭上の敵機」(1949)を推しています。
妥当かな? 厳格な隊長が後半、精神に異常をきたす展開・・。良い演技でした。



ドレスデン 運命の日」(2006)については、ロマンスを絡めたせいで全体がグダグダに・・、
と辛口で、これなら断然「スローターハウス5」に軍配が上がるとしています。
あぁ、原作だけ読んで、映画観るの忘れてた。。



"ボマー"ハリスの英爆撃機隊を描いたものとしては、「暁の出撃」(1954)などを挙げ、
爆撃機隊は英米それぞれが5万名ずつもの戦死者を出したのだから、
米国が「戦略爆撃映画」数多く作ったことに納得する一方、
英国の場合は「特殊任務爆撃」を題材にしたものが多く、その理由として、
いかにも英国人好みな「趣味的作戦」を製作したと同時に、無差別都市爆撃が
道義的に問題があったという思いがあるからでは・・と分析します。



第4章は「北アフリカ、地中海、イタリア戦線」。
ナバロンの要塞」(1961)はフィクションだけども、ドイツ軍占領下を舞台にした傑作だとし、
砂漠の鬼将軍」(1951)は佳作という表現です。
でも戦後6年で米国がナチスの将軍の半生を描くっていうのもさすがロンメルの名声ですし、
個人的にも子供の頃にこの映画を観て、砂漠の狐を知りましたね。

偶然ですが、このような古い戦争映画が991円で限定発売中でした。
「戦後70年―今だから観るべきものがある。映画で振り返る第二次世界大戦厳選30タイトル」



ハンフリー・ボガートの「サハラ戦車隊」が1943年に製作されたっていうのも凄いですが、
西ドイツも1957年になって「撃墜王アフリカの星」を製作。
大好きな「パットン大戦車軍団」(1970)も前半はシチリアが舞台で、未見の映画では、
イタリア映画「炎の戦線 エル・アラメイン」(2002)が兵士目線の映画の傑作と好評価です。



同じ未見のイタリアものでは興味深いのが何作かありましたねぇ。
やがて来たる者へ」(2009)はSSが起こした「マルツァボット大虐殺」がテーマであり、
裂けた鉤十字」(1973)は同様に「アルデアティーネ洞窟の悲劇」が題材。
しかも主人公が苦悩するカプラーSS中佐で、演じるのはリチャード・バートンときたもんだ。



「独ソ戦」はちょっと大変です。。
バルバロッサ作戦に始まり、白ロシア占領、レニングラードにスターリングラード、
そしてベルリン攻防戦までを解説しつつ、9ページで該当映画を紹介するという力技。
戦火のナージャ」(2010)、「ディファイアンス」(2008)、「スターリングラード」(1993)、(2000)、
戦争のはらわた」(1975)といったDVDも持ってたり・・という映画もあれば、
炎628」(1985)、「ジェネレーション・ウォー」(2013)のように未見の作品も。
特にドイツのTV映画という「ジェネレーション・ウォー」は興味ありますね。

しかしソ連時代の映画も紹介され、ドイツ映画に、西側の英米の映画、最近の旧ソ連各国・・と、
同じ「独ソ戦」という括りにするのには、史実的にもややこし過ぎる気がしました。



連合軍ノルマンディ上陸・・となると、大定番の「史上最大の作戦」(1962)と、
プライベート・ライアン」(1998)。本書の表紙「特攻大作戦」(1967)は好きな映画ですが、
そのフランス女性版として、ソフィー・マルソーがSS女のコスプレを披露した
レディ・エージェント 第三帝国を滅ぼした女たち」(2008)も紹介します。
興味深いところでは妻子をドイツ軍に殺された男がドイツ軍兵士をひとりずつ処刑していく
復讐劇、「追想」(1975)の元ネタは、あの「オラドゥール村大虐殺」だとか・・。



初期の007シリーズの監督、テレンス・ヤングが1950年に撮った「撃滅戦車隊3,000粁」は、
戦車映画の傑作であり、本物のヤークトパンターと、ティーガーⅠが登場するだけでなく、
ティーガーⅠに至っては本当に燃やしてしまうそうで、
映画のためにストラディバリウスをぶっ壊すようなものだと、戦後すぐに作られた映画の
豪快さを強調します。スゲーな・・。ちょっと観てみたい。。
おっと、先日亡くなったクリストファー・リーが出てるじゃないか!



パリは燃えているか」(1966)もようやくDVDが出ましたから、そのうち観てみるつもりですが、
逆に観たくないのが、「アウシュヴィッツ行 最終列車」(2006)で、
その列車内部に焦点を絞り、悲惨をとおり越した極限状態に、嬉しそうにユダヤ人を虐殺する
ウクライナ人SSのエピソード・・。若い頃はスプラッター映画も好きだったのに、
最近は、血が出る、腹が減る・・といった映画は苦手になってきました。



遂に「最終戦」。
遠すぎた橋」(1977)から、「バルジ大作戦」(1965)、「大脱走」(1963)はココで紹介。
その他にも「レマゲン鉄橋」(1968)、「」(1959)、最近話題となった「フューリー」(2014)、
もちろん「ヒトラー 最期の12日間」(2004)も出てきますが、そのなかでも明確に描かなかった
ソ連兵のベルリン女性に対する強姦を扱った「ベルリン陥落1945」(2008)で終了します。



それにしてもですねぇ。未公開の戦争映画がDVDで続々とリリースされるのは良いですが、
大袈裟なタイトルとパッケージはなんとかしてもらいたいモンです。
ここまで読んでも、そのような内容との乖離がある映画が何本かありましたし、
せっかくストーリーが良くても、騙された感は拭えません。
典型的な例で紹介すると、「ベルリン陥落 1945」は、原題が「ベルリンの女」であり、
オリジナルのパッケージはこんな感じです。

A WOMAN IN BERLIN.jpg

これが日本のDVDになると・・・、



もうハッキリいって詐欺ですね。でも良い映画ですよ。DVD持ってますし。

第4部は「冷戦時代のアジア騒乱」で、朝鮮戦争やベトナム戦争が主たるターゲット。
特に有名な映画が多いベトナムもの、それらはすべて載っているといって良いでしょう。
あの映画ってベトナム戦争だったの?? なんてことにはならないですから、
今回はザックリ割愛しちゃいます。
ちなみに個人的No.1は、「フルメタル・ジャケット」(1987)じゃなくて、「プラトーン」(1986)です。
定番すぎてスイマセン・・。



そういえば「鷲は舞いおりた」(1976)はなかったような・・? フィクションだからかな。
まぁ、原作と俳優陣は完ぺきなんですが、悲しいかなテンポと迫力に欠ける映画なんですよねぇ。
また好きな戦争映画のひとつに「ブラックホーク・ダウン」(2001)があり、
冷戦の終わった1993年のソマリアが舞台と、20世紀にも関わらず、本書の対象外でした。
おっとコレ原作ありましたか。今度、読んでみよう。



戦争映画を評価するとき、それが史実かどうか、兵器や軍装の考証は正しいか?
といったことをまず第一に重要視する人がいますが、
戦争映画といっても「娯楽映画」の範ちゅうにあるジャンルのひとつであって、
映画という意味では、脚本(ストーリー)、演技、監督の思惑(脚色)、
次にテンポの良いカットなどの編集、名作映画に付きものの音楽が重要だと考えます。

あくまで、観終わって「いや~、映画ってホントに良いもんですねぇ」と思える映画が名作であり、
戦争映画もドキュメンタリーでない限り、そのように評価されるべきだと・・。
史実かどうか、軍装は・・? などというのは個人的にオプションであり、
2回目の鑑賞以降にチェックする程度ですから、その2回目すら観る気にならなければ、
どれだけ頑張ってる映画でも確認のしようがありません。
そういう意味で「大脱走」も「戦場にかける橋」も映画として素晴らしい作品だと思います。

great-escape.jpg

もちろん戦争映画ですから、戦闘シーンがあまりにショボければ興ざめになりますけど、
予算の関係もありますし、当時を完全に再現するのは大変です。
その筆頭が「バルジ大作戦」でしょう。
まぁ、現存するケーニッヒスティーガーが無いんだから、アレはアレで良いと思いますね。
もし今、あの映画をリメイクするなら、CGをタップリ使った迫力あるシーンになるでしょうが、
ロバート・ショウ演じるヘスラー大佐を筆頭に、今の役者さんたちでアレを超える映画になるかは?
より史実に忠実にと、ヨッヘン・パイパー似の可愛い顔したヘスラー大佐なんて嫌だしなぁ。

Battle of the Bulge.jpg

というわけで、本書は「あの戦いは映画になってるのかな?」という風に調べるガイドブックです。
このようなことから、結果的に観たい映画がかなり増えてしまいました。
あの映画ってこんな内容だったのね・・的な、目から鱗のパターンですね。
当然ながら、本書を期待外れと立腹する人もいるでしょう。
戦争の世界史を知りたいんじゃなくて、映画の中身、☆での評価を求める人ですが、
残念ながら本書はそのような人向きではありませんので注意が必要です。。

巻末に「さくいん」があったので、ざっと見たところ「350本」くらいが紹介されているようですね。
また最後に「戦争映画をより深く知りたいと思った読者の方に・・」と参考書籍を挙げていました。
このBlogでも紹介した本が何冊かありますので、抜粋してみましょう。

第二次世界大戦ブックス」・・一部に古くなった情報もあるが内容は今尚、色褪せない。
ヒトラーの戦い①~⑩」・・ヒトラーを軸に描いた大作。欧州戦線を掴むにはこの1本で充分。
誰にも書けなかった戦争の現実」・・最前線兵士の心理を扱った、必読のドキュメント。
電撃戦という幻」・・フランス戦の真相を軍事サイエンスから分析した大作で、必読。
最強の狙撃手」・・軍事作戦における狙撃兵の戦術/目的を教えてくれる好著。








タグ:戦争映画
nice!(1)  コメント(29)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

ナチスの財宝 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

篠田 航一 著の「ナチスの財宝」を読破しました。

5月に出たばかりの256ページの本書は、「ヒトラーが強奪した「消えた宝」を追え!
略奪美術品から読み解くナチスと戦後ドイツの裏歴史。」という煽り文句です。
この手の本はそれなりにあって、以前に「ヒトラー第四帝国の野望」を読んでますが、
今回は聞いたことのない「ロンメル将軍の秘宝」というのに興味を惹かれました。
毎日新聞社のベルリン特派員を2011年から最近までの4年間務めていた著者による
というのも、その気になった要因の一つです。

ナチスの財宝.jpg

第1章は「『琥珀の間』を追え」。
2014年7月、ポツダム警察の元首席捜査官シュールタイスから話を聞く著者。
それは1997年、ブレーメンで「琥珀の間」のモザイク画を売りたいという人物と接触し、
最終的に真作と鑑定されたその絵を押収したという経緯です。

プロイセン王フリードリヒ1世によって作成が始まり、その後、エカテリーナ宮殿へ
寄贈された「琥珀の間」。1941年にレニングラードに侵攻したドイツ軍によって、
ケーニッヒスベルク城へ移されたものの、大戦末期の連合軍の空爆によって焼失した・・
という歴史も紹介しながら進み、1941年に略奪された「琥珀の間」に飾られていた
装飾品であるモザイク画のひとつ、「嗅覚と触覚」が現存するならば、
本体もいまだどこかに隠されているのでは??

original Amber Room.jpg

戦後、ソ連はすぐに「琥珀の間」の保管責任者でケーニッヒスベルクの博物館長ローデを尋問。
しかし「空襲で燃えてしまった」の一点張りで、12月には謎の死を遂げているのです。
そして著者は「琥珀の間」の探索を続ける人々を尋ねながら、その行方を追って行くのです。

koenigsberg-1945.jpg

空襲前に疎開したと噂される「琥珀の間」。疎開先として一番怪しいのはザクセンです。
東ドイツ時代には秘密警察シュタージも、親分であるソ連の要望を受けて大々的に捜査。
東西のドイツ人が追い求める宝、その謎に近づいた人間は無残な死体となって発見・・。

Catherine_Palace_interior_-_Amber_Room_(1931).jpg

第2章は「消えたコッホ・コレクション」で、好きな方はコレだけで続きだと解りますね。
ドイツ統一後の1991年に訪独してきたエリツィンは、記者会見で「琥珀の間は実在する」と発言。
チューリンゲンにある「ヨナス谷」がその発言の候補地です。
終戦間際、崖の斜面のあちこちにナチスによって25か所ものトンネルが掘られたというこの谷。
ブッヘンヴァルト強制収容所などから1万人以上が危険なトンネル工事に駆り出され、
建築技師の調書によれば、SS将校カムラーがトップ・シークレットで命じたモノだと・・。

ココは「SS将校カムラー」が引っかかりますね。あのSS大将ハンス・カムラーのことだとすれば、
V2ロケット生産を監督したり、自殺説はあるものの、行方不明とされている謎の多い人物ですし、
もちろんもこのトンネルは「報復兵器」などの製造工場にしようとした可能性もあるでしょうが・・。

Hans Kammler.jpg

そしてこの章の主役、エーリッヒ・コッホが登場・・・。
ケーニッヒスベルクのある東プロイセンのガウライターであり、ウクライナ総督時代には、
その占領地の美術館や教会から多くの絵画、高価な絨毯、銀製品に聖人の遺品・遺骨などの
「聖遺物」まで略奪した、美術品蒐集家です。
その彼のコレクションが保管されたのがケーニッヒスベルク。
しかし1945年にソ連軍が踏み込んだときには、琥珀の間も、「コッホ・コレクション」も行方不明。

ErichKoch.jpg

戦後、逮捕されたコッホはポーランドで死刑を宣告されるものの、終身刑へと減刑。
ポーランドとソ連の執拗な尋問に対し、「私を釈放するなら、ありかを教える」と
司法取引を持ち出し、1986年、口を割らぬまま、90歳で息を引き取るのです。
そしていまだに候補地が絞りきれないこれらの隠し場所。16ヵ所もの候補地が存在し、
そのなかには撃沈され、海底に沈んだままの「ヴィルヘルム・グストロフ号」も含まれます。

財宝の発見は、いわゆるトレジャーハンターの活躍にかかっているわけですが、
もし発見した場合、持ち主に返還されるという問題もあるわけです。
先のモザイク画も2000年にロシアへ返還され、復元された「琥珀の間」に飾られたそうで、
仮にドイツ政府が力を入れて予算を組んだとしても、本物を見つければロシアへ還すだけ・・。

Mosaik Fühlen und Riechen.jpg

第3章は「ナチス残党と闇の組織」と題して、ヒトラーの死の真相から、逃亡したアイヒマン
ナチス狩りのヴィーゼンタールに、フォーサイスの「オデッサ・ファイル」などを紹介。
興味深かったのはアルゼンチンへ逃亡した戦犯はドイツ人だけでなく、
クロアチアの「ウスタシャ」の連中も含まれている・・というところですね。

イタリアの南チロル、ブレンナー峠の町を訪れた著者。ユダヤ博物館の館長は、
「あのメンゲレが来た。SS大尉プリーブケも来た。そんな史実を誇らしげに話す人もいます」。
お尋ね者の有名戦犯が滞在したことを、どこか誇りに思う住民感情って面白いですね。

ただ、メンゲレはわかっても「SS大尉プリーブケ」を名前だけでも知ってる人って
どれほどいるんでしょうか? 335人を殺害した「アルデアティーネ洞窟」の指揮官ということは
書いても良いんじゃないかな・・と。

Erich Priebke.jpg

そして「ベルンハルト作戦」で偽造した贋札を保管していたSS少佐フリードリヒ・シュヴェントが
滞在した町や、「オラドゥール村の大虐殺」のSS中尉、ハインツ・バルトが滞在した町も訪問。
あ~、「ヒトラーの贋札」を久しぶりに観たくなってきました。

The Counterfeiters.jpg

第4章は、いよいよ「ロンメル将軍の秘宝」。
戦後語り継がれてきた噂の一つに「ロンメルの部下が北アフリカでユダヤ人から財宝を略奪し、
どこかに隠した」という伝説がある・・・ということですが、そうですか。初めて聞きました。。
そしてこうした戦利品をコルシカ島沖に沈めたという元ドイツ兵、キルナーという人物が現れ、
財宝を探したという話を紹介します。
このキルナーはかなりの嘘つきかつ、すでに死去しているので、特に進展はありませんが、
ロンメルの財宝と呼ばれるものは、どこから運ばれてきたのかに注目するのです。

Erwin Rommel observing the field near El Alamein, Egypt, 18 Jun 1942.jpg

パリのユダヤ現代史文書センターの文献には、
「1943年2月13日、チュニジア東部のユダヤ人が多く住む、ジェルバ島にドイツ人たちが上陸し、
処刑すると脅して集めた43キロの黄金を持ち去った」。

この略奪品を900㌔も離れたコルシカ島に運んだ人物として浮上するのが、
SS大佐ヴァルター・ラウフ。チュニスなどでも金細工や装飾品を奪っているというラウフは、
アウシュヴィッツのガス室の原型となる「ガス・トラック」を開発した中心人物であり、
ラウフの関与で殺害されたユダヤ人は最大で20万人。筋金入りの殺人狂が略奪を指揮した・・
と紹介。まぁ、「ガス・トラック」の開発に関与したからって、それを「殺人狂」と言うかは??

Walther-RAUFF.jpg

そしてこのラウフが治安警察の責任者としてコルシカ島にいたことや、
1942年7月にエル・アラメイン付近で、ロンメル将軍の参謀ヴェストファールと会談し、
自身の任務を説明していることまで突き止めますが、
ラウフとロンメルが会ったことはないだろう・・と推測します。

Siegfried Westphal.jpg

ラウフは戦後、収容所から脱走し、シリアやチリで生活。西ドイツ政府は戦犯として追跡しつつも、
実はスパイとして雇い、キューバ情勢を探らせるのでした。

最後の第5章は、「ヒトラー、美術館建設の野望」。
007「ゴールドフィンガー」で、Mから「トブリッツ湖にあったナチスの金塊だ」と渡され、
それをエサにボンドがゴールドフィンガーと賭けゴルフをする前半のエピソードを紹介し、
あれはイアン・フレミングの作り話ではなかったという展開です。

Goldfinger_1964.jpg

オーストリア中部にあるトプリッツ湖は「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった辺りでもあり、
夏場は観光地というこの湖に1945年5月8日、「何かを沈めた」と言う人物との接触に成功。
SSがやって来て70もの木箱の運搬を手伝わされたと語る老婆。

Toplitzsee.jpg

トプリッツ湖を実際に見た著者はその大きさに「上野の不忍池」を思い出します。
なんでも実家の近くだそうで、ありゃりゃ、ひょっとしたらご近所さんですね。。

そして1959年、この木箱が引揚げられ大ニュースとなりますが、
肝心の金塊は発見されず、そこにはあの大量の贋札が・・。

jul-27-1959-the-set-of-the-treasure-of-the-toplitz-lake-in-the-salzkammergut-E0RHC9.jpg

その他、オーストリアの湖水地方には金塊伝説が多くあり、
フシェル湖の湖畔にはリッベントロップの別荘があって、夫人から命令を受けた管理人が、
金貨などが詰まったタンクを湖に沈めた・・とか、
エーデン湖ではスコルツェニーが多くの木箱を沈めたのを目撃されていたり、
カルテンブルンナーが終戦間際にアルトアウスゼー湖畔に滞在し、
逃走資金として、大量の純金の延べ棒やダイヤモンドをワゴン車に積んでいたとか・・。

Ernst Kaltenbrunner.jpg

ブランデンブルク州のシュトルプ湖には、ゲーリングが金やプラチナなどの貴金属類を沈めた
という伝説もあるそうで、そういえば迫りつつあるソ連軍が到着する前に
HG師団の分遣隊がカリンハルを爆破したなんて話を思い出しました。

本書では序盤から「ナチスが略奪した」という表現で進んできましたが、ここにきて、
「実はヒトラーは自ら金を支払って、絵を購入したことも多いのです」という証言が出てきました。
まぁ、ゲーリングでもその他の幹部でも、多少なりともお金を払って購入したのは事実でしょう。
特に戦争初期の頃、ユダヤ人の画商を仲介したりなんて話もありましたが、
フランスでも気を遣い、逆に東部戦線では容赦ない「強奪」だったと思いますね。

Hitler_Göring.jpg

そしてそんなヒトラーが夢見たのが、故郷リンツをウィーンを凌ぐ芸術の都にして、
総統のための「リンツ美術館」をオープンすることだったのです。
しかしドイツ国内の空襲が激しくなると、集められていた総統の財宝が焼失することもあり、
ボルマンの命令によって、「芸術品疎開」が始まります。

Hitler_Ley looks upon a large scale model of a city linz.jpg

大ドイツ帝国内の各地に疎開したこれらの財宝の多くは現在も行方不明のまま・・。
それでも1945年5月、米軍によってアルトアウスゼーの坑道から大量の美術品が押収されます。
油彩だけでも6577点・・。しかし行方不明の美術品の数は「10万点」にも及ぶそうです。

Wintergarden by French impressionist Edouard Manet was also found in the same salt mine in Merkers.Altaussee.jpg

「ミケランジェロ・プロジェクト」というジョージ・クルーニーの映画が紹介されましたが、
原作は「ナチ略奪美術品を救え─特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争」だったんですねぇ。
530ページの大作なので未読でしたが、映画も未見で・・こりゃイカンなぁ。。
と思ったら、なんらかの理由で日本では公開中止になったそうな・・、まさかオデッサの圧力か??

the-monuments-men-george-clooney-matt-damon_2013.jpg

正直、Webの記事の見出しのような、ちょっと大袈裟な表現もありましたが、
研究書ではなく、ジャーナリストによる趣味のルポルタージュですから、
ワーワー言うほどのことではないでしょう。
ターゲットは一般のナチスに少し興味がある程度の人でしょうし、
最後まで興味を持たせ続けるには、ある程度しょうがない表現と言えるかもしれません。

逆に現地での足で稼いだ調査、ドイツ語の参考文献も巻末に挙げられ、
単なる2次、3次史料から机上で推理した中途半端な研究書よりは好感が持てました。

Bradley,Patton,Eisenhower inspects looted art treasures in a salt mine in Merkers, central Germany in April 1945..jpg

ヴィトゲンシュタインも未読の、この手の本としては「ナチの絵画略奪作戦」、
「ヨーロッパの略奪―ナチス・ドイツ占領下における美術品の運命」、
先に挙げた「ナチ略奪美術品を救え─特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争」と3冊はあります。
どれもハードカバーで500ページ程度の大作なので、なかなか手を出しづらいんですよね。
興味とお金のある方は、ぜひ挑戦してみてください。









nice!(4)  コメント(6)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。