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暁の出撃 [戦争映画の本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ポール・ブリックヒル著の「暁の出撃」を読破しました。

6年前の「暁の七人」に続く、独破戦線「暁」シリーズの第2弾が遂にやってまいりました。
しかし「暁」って最近、聞かないですねぇ。夜明けとか日の出と言うよりも風情がありますな。
そんなことは置いておいて、この1991年、朝日ソノラマの364ページの原著の出版は、
その40年前、1951年と大変古いもので、著者が前年に発表したのがあの「大脱走」。
本書「暁の出撃」は、一足早い1955年に映画化もされている有名な一冊で、
英空軍特殊爆撃隊によるドイツのダム破壊任務の全貌を生々しく描いたもの。
原題はズバリ、「ダム・バスターズ」です。

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物語は1939年に戦争が始まったころ、ピッカース社でウェリントン爆撃機を設計したベテラン、
バーンズ・ウォリス技師が爆弾の設計に携わるところから・・。
当時、英空軍が保有していた最大の爆弾は旧式な250㌔爆弾であり、
より大型の500㌔爆弾の重要性も認識され始めます。
ウォリスは思考の出発点として、ドイツに損害を与えるには「どこ」を「どのように」爆撃するか?
エネルギー供給源である炭坑や油田、水力発電所・・。
その研究はルール地方の三大ダム、メーネ、エーデル、ゾルベをターゲットとして、
10㌧の爆弾を高度1万2200mから投下することで破壊可能と計算されるのでした。

eder-dam.jpg

しかし、時はダンケルク撤退であり、このような新兵器案は空軍関係者から嘲笑されます。
アーサー・テッダー少将とビーヴァーブルック卿が興味を持ち、「ダム空襲委員会」も設立され、
模型を使ったテストを繰り返す日々。
ダム自体に着弾させるのではなく、ダムの壁面ギリギリの水中に沈めた爆弾が爆発することで、
ダムに破孔を生じさせることが判明すると、爆撃機軍団司令官ハリス中将と対面。
「貴様のような頭のイカれた発明家に割く時間など持ち合わせておらんのだ。
部下たちを貴様のおかしな爆弾投下で無駄死にさせるわけにはいかんのだ!」

Arthur Harris.jpg

テスト結果を見てなんとか納得したハリス。胴回り2mの新型爆弾の開発が始まると、
コクレーン少将の第5爆撃航空群に、「X」特別飛行隊を編成することとなり、
隊長に任命されたのは25歳のガイ・ギブソン中佐。歴戦の爆撃機野郎です。
しかし目標は極秘・・。ギブソンは思わず「ティルピッツだ!」

gibson-office-colour.jpg

練度の高い搭乗員が各飛行隊から集められ、正式に「第617中隊」として猛訓練が始まります。
夜間に水上を速度386㌔、高度18mで飛び、正確に爆弾を投下する・・。
これがウォリス技師がギブソン隊長に与えた難題です。

Bouncing_bomb_tranining.jpg

ダム爆破に使用する「反跳爆弾」が爆発せずに正しい運動をしたうえで、壁面下に達するよう、
高度が重要であり、アブロ・ランカスター下部2ヵ所にスポットライトを取り付けます。
2本のビームが機体の下18mで交わることで、高度を知ることができるのです。

Bouncing bomb.jpg

1943年5月、遂に「チャスタイズ作戦」の日がやってきました。
メインとなるギブソンの9機編隊が南方から侵入し、メーネ・ダムを攻撃。
その後、未投弾の爆撃機はエーデル・ダム攻撃に移り、
北方ルートをとる5機編隊はゾルベ・ダムを攻撃し、機動予備として5機編隊が遅れて発進。
ゾルベ・ダム攻撃は途中、対空砲火による撃墜などもあって失敗に終わりますが、
ギブソン隊長機はメーネ・ダムに突撃。水上面を高度18mで突き進むと、
ドイツ軍高射砲陣地もビームを放ちながら接近する敵機の姿を認め、
無数の曳光弾が飛び交います。

Operation_Chasti.jpg

見事、爆弾を投下して、ダムの上に設置されたタワーの間を飛び抜けて急上昇。
そして重苦しい爆発音とともに巨大な水柱が・・、その高さ300m。
しかしダムは破壊されません。
続けて「M号機」が突入しますが、高射砲弾が命中し、爆弾も外れ、主翼も吹っ飛んで墜落・・。
空中で旋回待機しながら、一機ごとに突入を繰り返すと、遂に破壊されるダム。
司令部で一報を受けたウォリスは大喜びで、ハリスもその手を取って顔をほころばせるのです。

Möhne Dam was bombed.jpg

エーデル・ダムへの攻撃も成功し、結果は2勝1敗。
無事に帰還してビールを飲み干すギブソンですが、出撃した133名のうち、未帰還が56名。
ビールに口もつけず、涙を拭きながら立ち尽くすのは民間人であるウォリス技師。
「こういうことを知っていたら、私はこの計画を推し進めなかったろう」。

Barnes Wallace.jpg

この水上スレスレを一機一機が対空砲火をくぐり抜けながら飛んで、ピンポイントで爆弾を落とし、
最終的にダムが決壊するシーン。迫力があって、読んでいてそれとなく感じていましたが、
あの「スター・ウォーズ」のクライマックス、デス・スターを破壊するシーンの元ネタだそうです。

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なるほどねぇ。もっとも映画「暁の出撃」のシーンのオマージュらしいですけれど、
本書だけでも十分に伝わってきました。
ちなみにこの映画には隊長機副操縦士役で、若きロバート・ショウが出演しています。
ますます観てみたくなりました。ヘスラー大佐になる10年前ですね。

Robert Shaw.jpg

ドイツ側の損害を見てみると、ダムから80㌔も離れた炭坑すら水に浸かるほどの洪水によって、
飛行場浸水、25か所の橋梁も押し流され、6500頭の牛や豚が死に、軍需工場も大打撃。
なにか「3.11」の地震と津波を彷彿とさせますねぇ・・。
そして1300人の死者のうち、749人がドイツ人ではなかったそうです。
なぜならエーデル・ダムの下流に、ソ連兵の収容所があったから・・。

Möhne Dam after.jpg

国王と皇后がお祝いに一躍有名となったダム爆撃隊を訪問。
ギブソンは飛行隊の記章コンテストを実施しており、閲兵式後に陛下に依頼します。

King_George_VI_visits_No_617_Sqn_RAF.jpg

そして皇后も交えた厳正なる協議の結果、1枚のスケッチが選ばれます。
それはダムの中央部に裂け目が生じて水を噴出し、上には電光が煌めいている図柄。
こうして今でも「第617中隊」のエンブレムとして使われているわけですね。

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さて、ここまでクライマックスのデス・スターならぬ、ドイツのダムを破壊して152ページ。
本書はまだまだ続きます。
スッカリ気を良くしたハリス中将によって第617中隊は特別任務部隊とされ、
今後は陸軍、海軍からダムに艦船、その他の硬目標を叩けとの要望があれば出撃・・と。
ギブソン中佐は充分働いた・・と飛行任務から外され、新たな隊長がやって来るのです。
英空軍最年少の大佐、レオナード・チェシアは25歳。

Leonard Cheshire.jpg

ウォリス技師がもともと考えていた大型爆弾もようやく完成。
長さ6.4m、重量5462㌔の「トールボーイ」です。
この爆弾は「地震爆弾」とも言われ、建造物等に直撃させることが必要ということではなく、
20m以内の弾着であれば、地表深くから爆発によって建造物を基礎から壊してしまうのです。

初陣は連合軍のノルマンディ上陸後すぐにやって来ました。
情報機関の報告によれば、ドイツ軍は1個装甲師団をボルドーから列車で輸送中とのこと。
ならばその前にロワール川付近のサウマー・トンネルを通過できなくしてしまえ・・というわけで、
投下されたトールボーイは地中30mまでめり込んでから炸裂。結果は上々。
結局、通れなかった装甲師団ってなんでしょうね? ダスライヒかな??

tallboy-bomb-drop.jpg

ル・アーブルのEボート基地への攻撃が終わると、
ロンドンとノルマンディに落下し始めた「V1飛行爆弾」と、「V2ロケット」の情報が・・。
パ・ド・カレー近郊の巨大な建造物。コンクリートの厚さは6mと推定されます。
また、パリ近郊の洞窟には膨大な量の「報復兵器」が貯蔵されているとの情報から
この洞窟そのものを潰してしまおうと出撃を繰り返します。

Have visited the V2 facility of Eperlecques.jpg

その翌日の目標はミモイエック。
地中に隠された砲身長153mの「V3-ムカデ砲」の退治にも成功。
300名の基地要員も生き埋めです。
ブレストにロリアンといったUボート好きお馴染みのブンカーにも「トールボーイ」が降ってきます。
5㌧爆弾「トールボーイ」に自慢のコンクリート天蓋をぶち抜かれたドイツ軍は、
ならばと、ハンブルク、ブレーメンのUボート・ブンカーの天蓋を5mから9mの厚さへ・・。
すると、今度はより強力な10㌧爆弾「グランドスラム」の開発が始まるのです。

London_Gun_V-3_replica_at_Mimoyeques.jpg

すでに昼間もドイツ空軍の迎撃に対する心配もなくなり、堂々と編隊を組んで精密爆撃も可能。
もはや目標も減り、中隊最初の目標と勘違いされた戦艦ティルピッツがターゲットに・・。
しかし、ノルウェー北端のフィヨルドに鎮座するティルピッツを攻撃、帰還するのには
燃料が足りません。そこでロシアとの共同作戦が計画され、
アルハンゲリスクから32㌔ほどの場所にあるヤゴドニク飛行場を発射基地にすることに。
南京虫が這いずり回り、汚水のひどい臭いのする宿舎で3日間待機・・。
端折りますが、この英露パイロットの交流エピソードはなかなか面白かったですねぇ。

The Tirpitz.jpg

この頃にはファウキエ隊長に代わり、ポケット戦艦「リュッツォー」を仕留めに向かいますが、
強力な高角砲、対空砲火は凄まじく、18機すべてが命中弾を受けたかのよう・・。
撃墜されるランカスターも出始めますが、この最後の最後になって、ドイツ海軍の大奮戦。。
思わずニヤニヤしてしまいました。だってやられっぱなしでしたからねぇ。
そういえば「第二次大戦下ベルリン最後の日」では、「袖珍戦艦リュッツォウ号撃沈サル」。

Geman pocket battleship Deutschland.jpg

ブレーメンなどのブンカーにも完成した「グランドスラム」を叩き込み、見事に天蓋を貫通。
しかし英海軍省は「貫通した」ことを信じておらず、ハリスはファウキエ隊長に現地視察を指示。
ハンブルクのドックに向かったファウキエと通訳がその威力による荒廃ぶりを眺めていると、
ドイツ水兵が「指揮官の許へおいで願えないでしょうか」とやってきます。
すると200名のドイツ海軍将兵が整列しており、指揮官が敬礼した後、降伏を申し出ます。
コレにはファウキエもビックリ仰天。
なぜなら、この周辺はとっくに降伏した安全地帯だと思っていたからです。

Grand Slam bomb which pierced the reinforced concrete roof of the German submarine pens at Farge.jpg

しかもファウキエがこのUボート・ブンカーを爆砕した張本人の爆撃隊長だと
通訳が余計なことまで告げてしまい、身の危険すら感じてしまうファウキエ・・。
しかし指揮官は「貴官の指揮された見事な爆撃ぶりに敬意を表します」。
その爆撃によって多くの部下を失っている傷心のドイツ海軍指揮官は、
沈みかけた貨物船での昼食にファウキエを招待するのでした。

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ヨーロッパでの戦争はこうして終わり、隊員たちにも休暇が・・と思いきや、
対日戦略爆撃英空軍航空隊として、九州に上陸する米軍を援護するために
トールボーイとグランドスラムを本州と九州を結ぶ交通線に投下するという任務が・・。
しかしそれより遥かに強力な爆弾が広島と長崎に投下されるのでした。

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本書は原題の「ダム・バスターズ」からイメージする「チャスタイズ作戦」に限定したものではなく、
第617中隊のニックネームが「ダム・バスターズ」であり、その部隊の終戦までの戦闘記録です。
ついでに言うと、夜間爆撃なのに「暁の出撃」というのも若干変な話で、
あえて言うなら「暁の帰還」ですかね。。

著者ブリックヒルの原作で映画化されたのがもう1本ありました。
1956年に公開された「殴り込み戦闘機隊」がソレで、義足のパイロットとして知られる
ダグラス・バーダーの伝記映画であり、監督は「暁の七人」のルイス・ギルバート。
コチラも未見ですが、ドイツの捕虜になってガーランドと親交を深めるシーンがあるのかどうか、
ちょっと気になりますね。
原作も読んでみたいところですが、未訳でした。残念!







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ナチスと精神分析官 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャック・エル=ハイ著の「ナチスと精神分析官」を読破しました。

今年の3月に出た340ページの本書の煽り文句はこんな感じです。
「ナチスの心は本当に病んでいたのか? ニュルンベルク裁判に先立ち
ゲーリングなど最高幹部を診断した米軍医が見た「悪の正体」とは? 
戦後70年間埋もれていた記録を発掘した迫真のノンフィクション! 映画化決定」
まぁ、映画化するぞ詐欺は多いのでアレですが、一応、出版社は角川マガジンズ。
主役の精神分析官が、以前に読んだ「ニュルンベルク軍事裁判」でも頻繁登場した
ダグラス・ケリー少佐だということもあって、いざ、4度目のニュルンベルクへ向かいましょう・・。

ナチスと精神分析官.jpg

「その飛行機、パイパーL-4は動かなかった。」という出だしで始まります。
前々日に米軍の捕虜となったものの、このスター捕虜に対する歓迎会が第7軍本部で開かれ、
シャンパンを飲み、写真撮影のポーズを決め、記者会見まで開いていたゲーリングが重すぎて・・
というのが理由であり、より馬力のあるL-5の乗せても、その腹ではシートベルトが締まらず。。

Goering during a press conference after his capture by American troops in May 1945_L4 Grasshopper (Piper Cub.jpg

結局、プール・ル・メリット拝領者でかつてのエース・パイロットにはシートベルトなんぞ問題なし。
辿り着いたアウグスブルクでは特権を剥奪され、希望するアイゼンハワーとの会談も無視。
反ナチの弟、アルベルトと最後の会話を交わすことができますが、金とプラチナ、
そして640個のダイヤモンドが埋め込まれた象牙の元帥杖を取り上げられてしまうのです。

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5月20には再び移送。ルクセンブルクのモンドルフ=レ=バンに米軍が設立した収容所です。
次々とやってくるナチス要人たち。大統領デーニッツに、
捕虜になってから2度の自殺を試みたハンス・フランク
飲食物には興味を示さない一方で、執拗に女を要求するロベルト・ライに、ローゼンベルク
それからシャハトシュトライヒャー、OKW総長カイテルに、「彼の副官」ヨードル・・。

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ちゃちなテーブルと椅子、枕のないベッドがあるだけの部屋。
その椅子はゲーリングが腰掛けるやいなやバラバラに・・。所長のアンドラス大佐は語ります。
「捕虜が上に乗って首を吊らないように壊れやすく作られていた」。
こんな待遇にドイツの最高幹部、かつ元帥として、怒りに震えるほどだと文句を言うゲーリング。
国家元帥の経歴についても簡単に触れ、徐々にヒトラーに対する影響力が減った過程や、
最終的に処刑命令が実行されず、命拾いした理由をこのように・・。
「ゲシュタポ局長、カルテンブルンナーが書面による確認なしで命令を遂行するのを渋ったからだ」

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薬物依存の治療をゲーリングが受けている頃、ヨーロッパ戦線で米兵の精神医療の責任者だった
ダグラス・ケリー少佐が赴任してきます。若くハンサムな彼の職務は、
ナチ収容者の最終的な処遇が決まるまで、彼らの精神面の健康を維持すること。

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1923年のミュンヘン一揆の際、腿に銃弾を受け、モルヒネ中毒となって135㌔まで体重が増加。
グロテスクなほど太ってしまい、妻のカリンも苦しんだゲーリングは、
この時でも1日100錠のパラコディンを服用しており、ケリーは
「あなたは他の人より強いからやめられるはずだ」とおだてると、それに熱心に答えるゲーリング。
自分を国家元首だと考えるゲーリングが指示に従うことで、
専門化としてのプライドがくすぐられるケリー。
どっちがどっちを導いているのかはハッキリしませんが、5ヵ月で27㌔の減量に成功するのです。

また、カリンの死後、豪邸にカリンハルと名付けるなどしたのは、闘争時代に病気の妻を顧みず、
看取ることもできなかった自責の念がさせたもの・・という見解です。

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8月にはまたも移送。今度の行先はニュルンベルクです。
トイレ用のバケツしかないC-47輸送機に乗り込んだナチ高官たちが押し黙るなか、
「コックピットを見せ入て欲しい」と訴えるのは、元ドイツ空軍総司令官です。
しかしニュルンベルクは40回の空襲で壊滅したままであり、
最初に修復が行われたグランド・ホテルにこれから始まる裁判に従事する人々が宿泊。

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裁判所も屋根が崩れ、時計塔は崩壊しているものの、倒壊を免れている大きな建物のひとつ。
翼のような形に建てられた19世紀の刑務所の3つの区画に250人の男女の捕虜が収容され、
噂されているナチス・ゲリラの蜂起や、帝国の犠牲者による襲撃から守るため、
武装兵に戦車、高射砲が配置されているのです。

Nuremberg Palace of Justice in Winter 1945-46.jpg

「先生、私はどうしたらいいんですか?どうしたらいいんですか?」とぶつぶつ独り言を言い、
独房の掃除が下手なことで有名だったというリッベントロップに、
逆に軍隊仕込みの徹底さで秀でた存在だったというカイテルも徐々に登場してきます。
ローゼンベルクは、酔っ払って関節を痛め、病院に運ばれたところを捕まります。
自分が罪を犯したとは全く考えておらず、どんな話も民族浄化に変えてしまうローゼンベルク。
ケリーの意見では、彼は「知的には無能で、曖昧模糊とした愚にもつかない哲学の宣伝屋」です。

Nuremberg Trials Ribbentrop_Keitel_Rosenberg.jpg

知的な面でさらに信用が置けないのがシュトライヒャー・・。
話の最後には必ず「ユダヤ人問題」についての独白で締めるサディストで強姦魔、
猥褻雑誌と写真の蒐集家という評判から、群を抜いて仲間から相手にされない存在で、
デーニッツが、「食事の際、皆と同じテーブルにシュトライヒャーをつかせないでほしい」
という嘆願書をアンドラス所長に出すほどの嫌われようです。

Julius Streicher with US Army.jpg

そんな嫌われ者シュトライヒャーの近くにいることを我慢できた唯一の捕虜はロベルト・ライ。
ベルヒテスガーデンに近い山中の小屋に隠れていたところを捕まり、3回も自殺を図ります。
ケリーは何かしらの心理学的な欠陥があることを見抜きます。
「独房での話に興味を持つと、立ち上がり、うろうろと歩き、腕を振り回し、
乱暴なほど身振り手振りが大きくなって、叫び始めることが多かった」。
そしてライが第1次大戦時に乗っていた飛行機が撃墜され、前頭部に怪我を負ったことが
原因ではないかと推測するようになるのです。

Robert Ley, kurz nach seiner Festnahme durch amerikanische Soldaten am 16. Mai 1945 in der Nähe von Berchtesgaden.jpg

恐ろしげな決闘の傷跡が刻まれた、と思いきや交通事故による傷だというカルテンブルンナー。
その外見とは裏腹に臆病な男だとケリーは判断します。
「典型的ないじめっ子で、政権の座にあるときは強面で横柄だが、
負けるとケチな臆病者になり、捕虜生活のプレッシャーに耐えることすらできない」。

Ernst Kaltenbrunner am 10. Dezember 1945 in seiner Zelle in Nürnberg.jpg

しかしケリーが最も興味を抱くのは、捕虜のエースであるゲーリングです。
動物愛護に力を入れる一方で、政敵は容赦なく抹殺する自己中心的な人物。
古い仲間のレームを殺す命令を出したことについては、単に「彼は私の邪魔をした」。
ゲーリングは自分がヒトラーの手下ではなく、総統が誤った判断をしたとき、
それを指摘した数少ない一人だったことをケリーにアピール。

Hitler, Goering and Roehm, 1931.jpg

そんなゲーリングの心配事は、机に写真が飾られた妻エミーと愛娘エッダの行方・・。
ケリーとの面談を心待ちにし、スッカリ信頼関係の出来上がったころ、
ケリーは2人の行方を突き止めてゲーリングの手紙、エミーの返信を届け、
本書ではその内容も詳しく、最後にエッダが書き加えた一文までが書かれています。

Defendant Herman Goering lies in his bunk in jail during the International Military Tribunal trial of war criminals at Nuremberg.jpg

10月、新たな捕虜がニュルンベルクにやって来ます。その名はルドルフ・ヘス
英国に捕らわれていた間に2度の自殺未遂を起こし・・、
1回目は階段の手すりから身を躍らすも、階下に無様に着地して左腿の3ヵ所を骨折。
2回目は胸にパン切りナイフを突き刺し、「見ろ!自分の心臓を刺したぞ」。
しかし、なまくら凶器ではわずかに二針縫う怪我をしただけ・・。

そしてゲーリングと久々の対面を果たしても・・、
ゲーリング:「私を知らないのか?私のことがわからないのか?」
ヘス:「個人的には知りませんが、名前は覚えています」

Rudolf Heß.jpg

こうしてゲーリングは「ヘスは完全に狂ってる」と断言し、
アンドラス所長は「イカサマ野郎」という見解。
そしてケリーは、長い間記憶喪失のフリをしているうちに、自分でもそう信じ込んでしまった・・と。

ケリーが好意的な印象を抱いた捕虜はデーニッツです。
友好的だが、距離を置き、鋭いユーモアのセンスを見せ、鬱の形跡はまったくなし。
英語力の向上に余念がなく、詩を読み、知性で感銘を与えます。
アンドラスに提出した精神分析報告書では、
「もっともバランスのとれた人格で、独創力、想像力、よい精神生活に恵まれた男。
後継者に彼を選ぶとは、ヒトラーはいい判断をした。
デーニッツには間違いなく指導者としての資質があり、適任だった」と断言。

Hermann Göring, Alfred Rosenberg, Baldur von Schirach and Karl Dönitz.jpg

「安楽死の仕事は無理強いされたのだ」と面談でおどおど抗議した内気で小柄なコンティ医師
シャツの袖を首と窓の格子に巻き付けて自殺してしまいます。
続いて恐れていた事態、精神的に不安定だったライも便器に腰掛けたまま窒息死
「脚は伸びたまま硬直し、顔は赤カブのように真っ赤で、眼は飛び出していた」。
この大失態に所長は監視体制を強化します。
各独房に1人の看守を置き、24時間の監視体制です。
そして次に自殺の恐れがあるのはメソメソしているカルテンブルンナー。

Prison cell block, Nuremberg, 1946.jpg

この頃、ケリーの通訳に代わってやって来たのがオーストリア系ユダヤ人のギルバート中尉です。
彼は単なる通訳ではなく、心理学者として勤務することを認められますが、
年下で階級が上のケリーとは合わないのか、1人で収容所内を歩き回り、捕虜と面談も・・。
自分がユダヤ人であることを告げ、故意に敵意を現すギルバートに対し、パーペンは嫌悪を抱き、
ゲーリングもケリーを好みます。そしてケリーとギルバートには意見交換や協調性もありません。

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裁判が近づき、「絞首刑になることは分かっている。準備はできている。
たが、私はなんとしても、偉大な人物としてドイツの歴史に残る。
もし法廷を納得させることができなくても・・・」と語るゲーリング。

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そして195ページから裁判の様子が描かれます。
ジャクソン検事とゲーリングの対決、解放された強制収容所のフィルム上映など、
過去に紹介したエピソードなので割愛しますが、1946年1月、
ケリーは自分の仕事は終わったと考え、カリフォルニアの家族の元へ帰るのでした。
彼の後任でやって来たのは「ニュルンベルク・インタビュー」のゴールデンソーンです。

判決が近づくと、ようやく待ちに待った家族との面会が許可されます。
エミーも娘を連れてやって来て、エッダの姿を見たゲーリングは感極まって泣き出すのです。
「大きくなったな・・」。
東京裁判」にあった重光元外相の手向けの句を思い出しますねぇ。
そして死刑執行前日に、青酸カリを飲み下したゲーリング。。

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米国で講義の準備をしていたケリーはその前日、報道陣に対して、
「ゲーリングは最期も立派に振る舞うはずだ。絞首台で彼が気弱になることはありえない」
と語っただけに自殺はショックです。
賞賛せずにはいられない指導者、彼にとって重要な患者であり、調査対象であり、
さまざまな形で結びついた友人の死・・。

一足早く帰国していたケリーは、「ニュルンベルクの二十二の独房」という本を書き上げますが、
出版はわずか300ドルでの契約。本で儲からないことがわかると、
その後、精神科医として活躍し、TV番組にも出演。

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ギルバートも後発で「ニュルンベルク日記」を出版。この本についてシュペーア
「驚くべき客観性で刑務所内の雰囲気を再現しており、彼の診断は概ね正確でフェアなものだ」。

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1952年になってある抗議の手紙を受け取ったケリー。
それは「ニュルンベルクの二十二の独房」に書かれた女性からのもので、
彼女の名はクリスタ・シュレーダー。ヒトラーの元秘書のひとりです。
曰く、ケリーが彼女との対話は出版物には使わないという約束を破ったこと、
「40代後半の未婚女性であり、中背で、ずんぐりとした体形、だらしがなく・・」
という記述は、不正確で、思いやりがない・・というものです。
彼女に言わせれば、「6ヶ月も収監されていて女性が身だしなみを整えるのは不可能だ」。
身長は170㎝、もっとも重要なことは、当時、38歳だったということでしょうか??

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ケリーが45歳のとき、仕事上でのプレッシャー、内面の腹立ちと失望、結婚生活の不和、
いろいろなストレスが重なった結果か、家族の前でゲーリングと同じ行為、
すなわち青酸カリのカプセルを飲み下して絶命・・。
ゲーリングとは彼にとって、彼の心中で、いったいどんな存在だったのか??

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本書の主役はあくまでケリーであり、ナチス幹部は研究対象でしかありませんが、
表紙のハーケンクロイツの中がゲーリングであるように、彼らもタップリと書かれています。
ゲーリングを「6」とするなら、ヘスが「2」、ライが「1」、その他「1」といった割合でしょうか。

まぁ、精神分析っていうのも難しいものですね。
本書でもケリーとギルバートでは分析結果に違いが出ますし、対象者の各被告も
話しやすい好きな分析官か、そうでないかによって態度と発言も変わるわけです。
それでも特にゲーリングの当初の楽観的な考え方が徐々に変化していく過程、
現存するナチNo.1だという己のプライドを守るために裁判に挑んでいったという見解は
個人的に納得いくもので、後任の精神分析官ゴールデンソーン少佐の
ニュルンベルク・インタビュー」を再読、比較してみたくなりました。








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ドイツ空軍装備大図鑑 [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グスタボ・カノ ムニョス著の「ドイツ空軍装備大図鑑」を読破しました。

これまで「ドイツ軍装備大図鑑」、「ナチス親衛隊装備大図鑑」と続いてきた大型本シリーズ、
今回は去年の9月に出た435ページの空軍ものをようやく・・。
このシリーズはお値段1万円とお高いことは否めませんが、オールカラーで実に楽しめます。

ドイツ空軍.jpg

早速、目次を過ぎると、30㎝x20㎝級のマルセイユの美しいポートレートがいきなり出てきて、
若干変な声をタメ息とともに発してしまいました。
この大型本で見ると、映画俳優並みですね。そりゃ、キャーキャー言われるわな。。

30x20 Hans-Joachim.jpg

「序文」では本書の目的と特徴を解説。抜粋すると、
「もっとも識別しやすい要素を簡単に概観することであり、装備や被服のすべてを深く考察したり、
系統立てて紹介することではない。
他の本との違いは、量から質に重点を移したことで、平均的なドイツ軍パイロットと搭乗員が
一般的に使用した品々を並べ、場合によっては高度なファンの関心を引く希少な現存品も紹介」。

そして第1章は17ページの「ドイツ空軍史」。
とはいっても、各ページには鮮明な白黒、またはカラー写真が掲載され、それらはBf-109から
Ju-86、ドイツ空軍軍楽隊高射砲部隊、巨大な口を開けた怪物のようなMe-323ギガントなど。

Pogruzka technology in the Me 323.jpg

続くフロー図になっている「組織と指揮系統」では、最期の空軍総司令官となってしまった
リッター・フォン・グライムと、アルフレート・ケラーの談笑中の写真が・・。
この人は「国家社会主義航空軍団(NSFK)」の軍団長ですね。

Alfred Keller, von Greim.jpg

37ページから第2章の「制服」です。
そのドイツ空軍の制服の歴史は、1933年にSAとSSの飛行部隊が統合されて、準軍事組織の
「ドイツ航空スポーツ連盟(DLV)」であり、規定としてブルーグレーの被服に制帽、階級章など・・。
ほぼそのまま「ドイツ空軍」に受け継がれ、高射砲兵は「真紅」、技術将校は「ローズピンク」、
飛行要員と降下猟兵は「ゴールデンイエロー」といった兵科色もカラーの一覧で解説します。

REIBERT Luftwaffe.jpg

こうしてまずは「帽子類」から現存する実物をカラーで、当時の使用例を白黒写真で紹介。
お馴染みの「将校用制帽」に始まり、「下士官用制帽」、白の映える「夏用制帽」。
この4月~9月まで着用が許可されていたドイツ空軍版クール・ビズですが、
頭部は洗濯のためにボタンで取り外しが可能となっています。
同じ白の制帽でも、歴戦のUボート艦長の証、油で汚れた白の制帽ではいけません。。

Sommermütze Luftwaffe.jpg

コレもお馴染み「略帽」ですが、将校用、下士官用併せて、実物を23カットで分析。
モデルとして登場するのは我らがギュンター・リュッツォウ大佐。ステキです。。

Günther Lützow.jpg

1943年には陸軍の野戦帽と同様の「規格略帽」が登場。ただし色はブルーグレーです。
また、冬季用として耳宛ての付いた白いシープスキンの毛皮帽も・・。
帽子の最後は「ヘルメット」、M35とM40で4ページ、降下猟兵用のヘルメットは無視されたか。。

Pelzmütze.jpg

お次はある意味メインとなりそうな「上衣」です。
ドイツ空軍の制服のデザインに影響を与えたのは、先の「DLV」に、「NSFK」、
それから警察集団「ヴェッケ」と、「ゲネラル・ゲーリング」だということです。

なぜか最初が「社交服上衣」で、ケース入りのカフスまで実物で登場。
次にやっと「フリーガーブルーゼ」として知られる飛行上衣。
このデザインは帝政時代の1915年型上衣の影響を受けていたそうです。
前ボタンが隠れるデザインというのが、その影響なんでしょうか。

fliegerbluse Hermann Goering_ww1.jpg

本書の当時の写真ではドイツ軍と一緒に闘った「クロアチア空軍」将校や、
スペイン義勇兵の「青飛行中隊」の整備伍長などという珍しい人達がモデルとなっています。
また、左袖に付けられた整備員の「特技章」もアップで嬉しいですね。

空軍1.jpg

「通常勤務服上衣」はドイツ空軍将兵の写真でも、もっともポピュラーなもの。
ドイツ語では「トゥーフロック」と言いますが、日本語表記の下にカタカナでも書かれています。
開襟で4つボタン、ポケットも4つというのがこの制服です。

空軍2.jpg

3種類目の上衣は「軍服上衣(ヴァッフェンロック)」で、1938年11月に採用された、
フリーガーブルーゼと、トゥーフロックの両方に取って代わる狙いがあったそうです。
しかし、なぜか先の2着も製造され続けたそうで、単に要望が多かったのかはわかりませんが、
こういうところ、なんといっても自分用の軍服をデザインするゲーリングが最高司令官ですから、
ルフトヴァッフェは規定が緩いようにも感じますね。

空軍3.jpg

で、このヴァッフェンロックの特徴は前に5つボタン、襟は閉じても開いても着用できるもので、
ガーランド、トラウトロフトが着用例を示します。
では戦闘機隊総監によるフリーガーブルーゼ、トゥーフロック、ヴァッフェンロックの着こなしを。

Galland_fliegerbluse_Tuchrock_waffenrock.jpg

「夏用制帽」が出てきたように、白の「夏期用上衣」も当然出てきます。
デザインはトゥーフロックであり、素材はギャバジンまたは麻。
洗濯が容易なように、肩章と襟章は取り外しが可能で、
通常は右胸に縫い付けられている「国家鷲章(アドラー)」はピンバッジとなっています。

空軍4.jpg

続いて「オーバーコート」を各種。
「通常勤務用のオーバーコート」は帝政ドイツ陸軍のデザインが基本で、色はブルーグレー。
「革コート」は将校と将校クラスの文官専用の被服で、軍被服廟では入手不可能なため、
民間の洋服屋で購入する必要があったものの、1944年には原材料の節約のために製造禁止。
ウーデット、ガーランド、メルダースが写った有名な写真も掲載されていました。

Galland with Ernst Udet & Werner Mテカlders Luftwaffe aces.jpg

「ズボン」では、将校用乗馬ズボンと長ズボン。
「ベルトとバックル」では将校用のライトブラウンの2本爪の革製に、
下士官用の黒の革に「空軍型アドラー」が打ち出されたアルミ製のバックルです。
しかし悲しいかな1940年以降は「鉄製」となり、にぶいブルーグレーに塗装。

Koppelschloss Luftwaffe.jpg

134ページになって「軍靴」コーナーになりました。
「将校用ハイブーツ」は、乗馬ズボンをはいた将校にだけ許可され、
そのほとんどが民間の靴屋によって製造された上等な革の素晴らしいもの。
下士官用には「行軍ブーツ」が支給されますが、やっぱり1943年にもなると、
丈の高い行軍用ブーツの製造は中止に・・。

「長剣と短剣」は8ページ、短剣は初期型と後期型があり、
結婚式などでの使用例や、吊り下げ方なども解説します。

two Luftwaffe daggers.jpg

下の写真は違いますが、ヴェルナー・バウムバッハの結婚式だという写真もデカデカと・・。
ヴァルター・バウムバッハと誤字ってましたが、この程度は大目に見ても良いでしょう。

Luftwaffe wedding pilotsbadge.jpg

いわゆる「地上勤務服」はこれにて終了し、第3章の「飛行服と装備」へ。
「飛行帽」ひとつとってみても種類は豊富で、寒さから守るための単純な「K33」は山羊革。
「K33(改)」は子牛革。以降、耳に通話システムを備えたり、喉マイクを備えたりと進化し、
さらに改良を加えていくのです。
夏季用のネット帽などを含め、飛行帽だけでも25ページです。

飛行帽とくれば、今度は「飛行眼鏡」。
これもまた種類が豊富で割れにくいレンズに、色付きのサングラスタイプまで様々。

fliegerbrille luftwaffe.jpg

黄金ダイヤモンド野郎のルーデル大佐の場合には、ネット製飛行帽に、
色付きレンズのニッチェ&ギュンター社製タイプ「D」の飛行眼鏡と詳しく解説します。

rudel2.jpg

また、「汎用眼鏡」として、もともとオートバイ兵向けにデザインされたゴーグルが
航空機搭乗員に広く使用されたとして紹介。

Pilot's Goggles 302.jpg

「防塵日除けゴーグル」も空軍向けというわけではなく、陸海空で使われたように思います。
ミイラ怪人のようなアフリカ軍団兵も、おそらくコレでしょう。
ロンメルのゴーグルが英軍の鹵獲品だというのは有名な話ですが、
ドイツ軍にもゴーグルがあったということは軍装的には規定違反なわけで、
思うに、自軍のゴーグルのデザインがあまりにダサかったから・・というオチなのでは。。

Wehrmacht goggles.jpg

「マスク」は、酸素マスクと防寒マスクの2種類。
ふと思ったんですが、日本でもよくドイツ軍将兵の軍装を着て集う方がいるようですけれど、
キチンとした軍服を規定どおりに着こなすのがルールなんでしょうか?

空軍5.jpg

自分がもしドイツ軍コスプレをやるなら、前線の古参下士官が良いですねぇ。
本書にもあるような現地調達、現地改造、敢えて規定を無視したオリジナル作成・・。
若い彼らもファッションに興味があり、人と同じのは嫌だ、スマートに格好良く、
或いは新参者を差別するため、わざと古い支給品を使い続ける・・といろいろやったんでしょう。
ですから、そういう若干アナーキーな古参の前線装備ならやってみたいところですね。
右胸に空軍のアドラーを付けている陸軍兵なんてのも、以前いましたし、
空軍兵なら、酸素マスクを付けたパイロットの軍装したって良いんじゃないでしょうか?

German Luftwaffe pilot wearing his high-altitude oxygen mask.jpg

「飛行服」ではまず、男子の憧れ「革製飛行ジャケット」です。
エリート・パイロットたちは支給される着心地の悪い飛行服の代わりに、
注文仕立ての着心地の良い衣類を着用する許可を上官に求め、その結果、
フランスやベルギーなどの占領地からオートバイ用の革ジャケットを購入します。
個人の場合もあれば、あるグループで大量にまとめ買いしたりと、
同デザインのジャケットも見受けられます。

空軍6.jpg

そんな現存する革ジャケットを3種類、メルダースプリラーの写真と共に紹介。
肩章を縫い付け、アドラーも同様か、ピンバッチ式を右胸に留めて出来上がり・・。
「鷲は舞いおりた」のシュタイナ中佐も、私費で購入したというわけですね。
ちなみに後ろの降下猟兵たちは、バリバリのフリーガーブルーゼです。

The_Eagles_Has_Landed.jpg

この後はしばらく「ワンピース飛行服」と、「ツーピース飛行服」がかなりのボリュームで・・。
ちっょとややこしいのは、「電熱式カナール革製ツーピース飛行服」というのが
大戦末期に支給され、ハルトマンもこのタイプを着用している・・と紹介。
同じ革ジャケットでも、初期のは私費、後期は支給という違いがあるようですね。

空軍7.jpg

「手袋」に、「飛行ブーツ」は、防寒用に裏には子羊の毛皮がタップリ。
さらに「救命胴衣」に「パラシュート」、「腕時計」、「信号拳銃」と、重要な装備品が続きます。

空軍8.jpg

特に救命胴衣は、当初背中側にも浮力があったため、うつぶせの状態となり、
意識不明の場合には溺れることになった・・として1943年にこの問題は解決、
などという記述を読むと、悪名高いジークムント・ラシャー空軍医師がダッハウで行った
低体温実験や、低気圧実験を思い出しますね。
まぁ、冬のドーバー海峡に墜落したら、いつまで仲間の捜索を続ければよいのか??
というようなことに繋がる実験でもあるわけですけれど・・。

rascher-freezing1.jpg

最後の装備品は「拳銃」です。
いざ戦線の向こう側に不時着してしまったら、コイツだけが頼りなのです。
まずは「ルガーP08」がホルスター付きで6ページ。

空軍9.jpg

8千挺が発注されただけの小型拳銃「モーゼル1934」は海軍と空軍、
そして警察で使用されたそうで、ちょっと調べてみたところ、映画「大脱走」で登場したとか。
逃亡中の"ビッグX"が「おい、待て!」と呼びとめられると、
「何ですか。私はフランス人ですよ? 拳銃をしまってください」と騙して難を逃れるシーン。
この拳銃が「モーゼル1934」なんだそうです。

Mauser 1934.jpg

そして同じモーゼルでもコンパクトな「HSc」拳銃。
狭いコックピット内では「ルガーP08」などよりも携帯が楽な拳銃が好まれたのです。

Mauser HSc.jpg

というわけで、3日かけてじっくりと楽しみましたが、最初に書いたように
ルフトヴァッフェの恰好良い制服のカラー写真が盛りだくさん・・ということではなく、
半分は実際に戦闘機、または爆撃機に乗るための装備で構成されており、
その意味では、軍装マニアが手放しで喜べる本ではないと思います。

あくまで、彼らは死を賭けて戦う軍人なのであり、その戦いざまは、
ポートレート写真で見るような、勲章まみれで優しく微笑んでいる姿だけではなく、
表の顔と裏の顔、そして軍装と装備も大きく変わるんですね。
次は「ドイツ海軍装備大図鑑」が出るのを密かに楽しみにしています。








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炎と闇の帝国 ゲッベルスとその妻マクダ [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

前川 道介 著の「炎と闇の帝国」を読破しました。

小復活と同時にTwitterを始めまして、「第三帝国~今日は何の日~」というのを
フォローしているんですが、4月20日以降、総統ブンカーの最期の日が細かく呟かれました。
当然、そこにはゲッベルス夫妻と可哀そうな子供たちのツイートも・・。
本書はすでに読んだことのある気がしていましたが、「ヒトラーをめぐる女性たち」と、 
「ナチスの女たち -秘められた愛-」の2回で、読んでみたい・・と書いていただけでした。
そこで今回、1995年、302ページの綺麗な古書をゲットして、
久しぶりのナチ幹部モノを楽しんでみたいと思います。

炎と闇の帝国2.jpg

第1章は「ヨーゼフ・ゲッベルス・・暗い青春」から。。
1897年生まれで、10歳の時の手術の結果、右脚が左脚より10㎝ほども短くなり、一生義足。
勉強のできる優等生になったものの、ダンスで知り合った少女たちの噂話に興じている
同級生たちに煮えたぎるような嫉妬美貌を覚え、自分を見下し、仲間外れにした悪童たちの
一挙一動を観察して、チャンスがあれば、その弱点を徹底的かつ執拗にあげつらい、
教室の晒し者にするか、教師にその生徒の校則違反をチクって、処罰させるという、
まあ、ドコの学校に必ず一人は居そうなヒネクレ少年ですね。
本書は所々に、「12歳のゲッベルス」といった具合で写真が掲載されています。

Joseph Goebbels in 1910.jpg

第2章は「マクダ・リッチェル」の章で、彼女は1901年生まれ。
わざわざ「ゲッベルスも彼女もさそり座の生まれである」と書かれてますが、
コレはどういう意味でしょう??
ヴィトゲンシュタインも「さそり座」ですから、軽くdisられてるような気分になりました・・。

3歳のときに両親は離婚、若い母は富裕な革皮卸商のユダヤ人と再婚。
彼女はお嬢さん学校で成長していきます。
この後、ゲッベルスとマグダの章が交互に出てくることに。
ちなみに"Magda" は本書では「マクダ」ですが、このBlogでは「マグダ」と書いてきましたので、
そのまま継続して「マグダ」で進めたいと思います。

MAGDA GOEBBELS1.jpg

1917年にボン大学に入学し、ドイツ文学を専攻するゲッベルス。
二学期だけでフライブルク大学へと移り、ここでミスに選ばれたアンカの心を射止めることに成功。
他の連中を出し抜いて良家の娘を征服したことは、肉体的コンプレックスの払拭に役立ちますが
ゲッベルスの尋常ではない自己愛、富裕階級に対するヒガミにアンカは耐えきれず・・。

Anka Stalherm.jpg

首尾よく、「ドクトル」の称号を受けることができたゲッベルス。
ジャーナリストを志し、「ベルリン日刊新聞」の名編集長テオドール・ヴォルフに宛てて、
50篇もの投稿を行うも、すべてボツ・・。
この恨みから後年、ユダヤ人ヴォルフの新聞を発行停止にし、
ヴォルフは強制収容所で命を落とすことになるのでした。

Joseph Goebbels with classmates in 1916.jpg

挫折した彼は1924年、ヒトラーがランツベルクの牢に繋がれ、ナチ党が禁止にになったことで
グレゴール・シュトラッサーが隠れ蓑としてつくった「国民自由党」の集会に参加するようになり、
"小男のドクトル"の雄弁ぶりは次第に有名に、論説や演説にも力を入れ出します。

マグダは37歳にして頭の禿げあがった会社社長、ギュンター・クヴァントに言い寄られて結婚。
先妻の2人の男の子の若い母親となり、1921年にはハラルトを出産。
やがて歳の離れた夫との性格の不一致もあって、離婚を選ぶのでした。

G_nther_Quandt.jpg

遂にヒトラーと対面することになったゲッベルス。本書では紹介したのはカール・カウフマンだとし、
また、シュトラッサーが発行していた機関誌「国家社会主義通信」の編集も任せられます。
この機関誌の編集をそれまでやっていたのは、後のSS全国指導者ヒムラーで、
いきなり、新参者のゲッベルスに職場を逐われたわけですね。。 
そして党内派閥争いでヒトラーが主導権を握るようになると、シュトラッサーとは疎遠となり、
ベルリンの大管区指導者に大抜擢されるのでした。時にゲッベルス28歳。

1926 Gregor Strasser, Joseph Goebbels und Viktor Lutze.jpg

1920年代のベルリンは「赤いベルリン」と異名をとるほどに共産党の勢力下にあり、
その党員数は10万人。一方でミュンヘンが本拠のナチ党はココではわずか1000人です。
3マルクの党費を払ってない党員を片っ端からやめさせて、600人ほどの精鋭を残し、
党の存在を知らしめるために突撃隊(SA)を使って共産党に殴り込みをかけ、
乱闘騒ぎで各新聞に大きく取り上げられよう・・というのがゲッベルスの戦術です。
その結果、90名の負傷者を出しますが、3000人の入党希望者がやって来るのでした。

angriffcov.jpg

ゲッベルスの肝いりで発行された「攻撃(デア・アングリフ)」も、当初は全ての面で泥臭く、
活字の詰まった鼻紙といわれるほどですが、徐々に洗練され、朝刊、夕刊を出す大新聞に。
そんな旺盛な足の悪い小男の演説を見たマグダは感銘を受けてしまうのです。
早速入党した上流階級出身で美人の彼女はガウライター・ゲッベルスの秘書に任命され、
自分が「いかに切れる男であるか」を見せることを楽しむゲッベルスに対し、
襟の大きな背広をやめさせ、上等なワイシャツに格好良くオールバックにするよう勧めるマグダ。
こうして、あっと言う間に、2人は同棲することに・・。

Dr.goebbels vor dem radio.jpg

最愛の姪、ゲリを亡くし、女性に興味を失っていたヒトラーも、美人のマグダには一目を置きます。
しかし総統に会わせてくれたお礼にと、マグダの自宅に招待された件をヒトラーに報告する3人。
べろべろに酔っ払ったユリウス・シャウプゼップ・ディートリッヒユリウス・シュレックの前に、
突然、ゲッベルスが姿を現したことで、「なんだ、もうデキてるんじゃないか」。
3人衆の下卑た笑い声に、ヒトラーの顔はこわばるのでした・・。

Joseph Goebbels Geli Raubal adolf hitler.jpg

興味深かった話ではゲッベルスもヒトラー同様に眼が悪く、大きな文字で打ったタイプを
好んでいたそうで、そのヒトラーが眼鏡をかけた写真はあるものの、
ゲッベルスのメガネ姿の写真は一枚も存在しないということです。
確かに見たことないなぁ。グラサン姿ならありますけどね。
逆にメガネ無しのヒムラーも見てみたい。。

Glasses hitler.jpg

1930年代入り、ナチ党が第二党になると、総選挙でゲッベルスも活躍します。
反戦平和主義文学の「西部戦線異状なし」がハリウッド映画として公開されると、
ゲッベルスは映画館へデモをかけ、館内でハツカネズミを放って上映中止に追い込んだり、
逆にヒトラー演説の映画を各市町村で上映させ、有権者へレコードを送り付けたり、
「ドイツの上なるヒトラー」のスローガンを掲げて、Ju-52をチャーターし、
西欧の政治家の誰もがやったことのない飛行機による選挙戦全国遊説も編み出します。

hitler ju52.jpg

そんな働きから自分には国務大臣の椅子が・・と考えていたゲッベルスですが、
ゲーリングが無任所大臣、フリックが内相、かねてから軽蔑していたルストまでが
プロイセン州の文化相に任じられると、スッカリ無視されたことに大激怒。
しかし、新たに「国民啓蒙宣伝省」が誕生してさらに辣腕をふるい、最初に「国民の日」、
ヒンデンブルクとヒトラーが礼拝式に出席し、恭しく握手を交わす壮麗な儀式を演出。

Hindenburg hitler 1933.jpg

その模様は全国に実況中継され、アナウンサーを務めたのはナチ党公認詩人であり、
後のヒトラー・ユーゲント指導者のフォン・シーラッハ
感激屋の彼は放送中にしばしば感極まって絶句し、嗚咽の声を漏らすのでした。。

baldur-von-schirach.jpg

第13章は「第三帝国紳士録」と題して、ゲーリング、ヘス、ヒムラー、リッベントロップボルマン
シュトライヒャーレームハイドリヒコッホと写真付きで紹介します。

Himmler and Goebbels.jpg

基本的にはゲッベルスと彼らの関係・・、もっともほとんど不仲と憎悪の関係であるわけですが、
この男もサディストだった・・として登場するのはロベルト・ライ
『俺の女房の肉体美を拝ませてやる』と言って、綺麗なインゲさんの服をいきなり引き裂いたり、
いつか夫に殺されると脅えていた彼女が、本当にライに撃たれて死んだという酷い話が・・。
まぁ、自殺説もあるんですけど、いずれにしても可哀そうな女性です。

Inga.jpg

1932年、夫妻の間に長女ヘルガが誕生。1年半後には次女ヒルデが・・。
マグダは夫とベッドを共にすると必ず妊娠するとこぼすほど多産な体質ですが、
産めよ殖やせよ」がスローガンですから、宣伝相の妻としては申し分ありません。
1935年には念願の男の子、ヘルムートが生まれて狂喜乱舞するゲッベルス。

Hilde (left), Helmut (center), and Helga (right).jpg

ヒトラーも度々訪れる私邸や別荘の買い増しは国家からの提供という形を良しとしますが、
こと生活費に関してはヒムラーと同様、給料のみで、借金するほど厳格です。
ブルガリア国王のボリス3世や、ウィンザー公が突然訪問・・となると、
慌てたマグダはお菓子でもてなすことしかできず、見栄を傷つけられた旦那さまは、
自分のケチを棚に上げて、ネチネチとマグダを叱るのでした。

The Duke of Windsor chats to Hitler's propaganda chief Joseph Goebbels at a party in Berlin.jpg

そして若い女性がヒトラーに熱狂したように、爬虫類のような顔をしたゲッベルスにもまた、
多くの女性が魅きつけられ、一目見ようと集まってくるのです。
となると、模範的家長を演じるフラストレーションも要因となって、マグダの目を盗んでは、
若い女性の肉体を追い求めることになり、大好きな映画業界も取り仕切った彼は、
いい役を貰おうとする駆け出しの女優を次々に・・。

Joseph Goebbels.jpg

有名なのはチェコ出身のエキゾチックな若手女優リダ・バーロヴァで、その手口は演説直前に
接吻の嵐をお見舞いし、ハンカチで口紅を拭き取りながら、「君にだけ話しかけるからね」。
そして演説中にリダの顔を注視し、先ほどのハンカチで口を拭うという秘密の合図を送るのです。
いや~、イヤラシイやっちゃなぁ・・。変な鳥肌が立ったわ・・!
彼女との関係を赤裸々に、やがて本物の愛だとして、マグダに離婚を求めるまでにエスカレート。

lida baarova Goebbels.jpg

マグダから亭主の乱心の相談を受けたヒトラーは、次の日、問題の亭主を召喚します。
覚悟を決めて現れたゲッベルスは、どれだけ努力してもこれ以上結婚生活は続けられない。
大臣職から身を引き、大使として東京へ転出させて欲しいと訴えます。
しかしヒトラーの答えは「No」。
娼婦と結婚して国防大臣の椅子を棒に振ったブロムベルクの二の舞は許さん!というわけで、
泣く泣くリダに別れの電話をかけることになりますが、その立会人はゲーリング・・。
相談を受けていた彼は、大嫌いな小男を葬る絶好のチャンスとほくそ笑んでいたのでした。

Goebbels,Himmler,Hess,Hitler, Werner von Blomberg.jpg

1938年のこの不倫問題。日本の新聞にも顔写真つきで紹介されたほどのゲッベルスが
駐日ドイツ大使になっていたらと考えると面白いですね。ゾルゲとの関係や如何に・・?

1940年10月、ゲッベルス43歳の誕生日には末っ子の5女ハイデが生まれます。
そういえば本書では触れられていませんが、1938年制定の「母親十字章」の
初受章者はマグダ・・という説があり、その年に四女ヘッダが生まれ、前夫との子を入れると
6人目を産み育てていることへの、ヒトラーなりの賞賛の意味合いが強かったように思います。
もちろん、子だくさんを激励する新しい勲章ですから、
ナチス宣伝大臣の妻に授与することは大いに宣伝効果もありますね。

Berlin,_Joseph_Goebbels_mit_Kindern_bei_Weihnachtsfeier.jpg

男女関係だけではなく、あの「水晶の夜」や「退廃芸術展」などにも触れながら進んでいきます。
ベルリン・オリンピック開催時、ゲッベルス主催の大規模な夏祭に偽造入場券で紛れ込み、
酔っ払って大騒ぎする下級SSとSA隊員を鎮めるよう部下に指示するも、
荒くれ者の彼らが宣伝省の事務屋の叱責に甘んじるわけもなく、逆に修羅場に・・。

しかし徐々にゲッベルスがヒトラーから冷たい扱いを受け始めると、
マグダも取り巻きたちのせいだと考えるようになり、その筆頭はボルマン、そしてDr.モレルなど。
一方の味方といえばシュペーアにシャウプ、ブリュックナーリンゲケンプカです。
レーベンスボルンについて得々と、「ここの子どもたちは国家が育てるのだ」と語るヒトラー。
「そんな残酷な。どんな優れた国家だろうと、親の代わりは務まりません」とマグダは反対も。

Magda Htler Helga Goebbels Bouhler.jpg

戦争が始まっても「全知全能のヒトラー」を宣伝するのは楽しくて仕方がない仕事。
しかしそれはドイツ国民に対してのみゲッベルスが行えることで、
戦局については国防軍総司令部が発表の権限を、国外への宣伝の一部は不倶戴天のライバル
リッベントロップにその権限が与えられていることがゲッベルスには面白くないのです。
あ~、リッベントロップはリッベントロップで、ゲッベルスに先を越された・・と怒ってましたっけ。。

Ribbentrop  Goebbels.jpg

独ソ戦も2年目を迎え、戦局も悪化。と、ここでヒトラー・ジョークがいくつか出てきました。

ヒトラーと太陽はどこが違う?
太陽は東から昇り、ヒトラーは東に沈む

一番短いジョークは?
われわれは勝つ!

ゲッベルス邸には若い女性家庭教師がおり、戦後、彼女が当時のことを唯一語った相手は、
大統領官房長のマイスナーの作家の息子だけであり、彼の書いた「マグダ・ゲッベルス」から
ゲッベルス家の生活の様子と、6人の子供たち各々の性格も紹介。興味深かったですね。

Rommel Magda Goebbels with children.jpg

本土ではケルンに続き、ハンブルクが英爆撃機軍団によって壊滅的な被害を受けると、
捕虜のパイロットを銃殺し、サリンなどの毒ガス使用をヒトラーに進言するゲッベルス。
しかし報復をおそれた空軍高官の反対でうやむやに・・。

女たちの争いも紹介されます。
ヒトラーが囲うエヴァ・ブラウンとは、最初から一触即発の仲・・。
第三帝国の公式なファースト・レディは、No.2ゲーリングの妻エミーです。
しかしエミーが側近婦人や女性秘書たちを招いた際、エヴァを「招き忘れた」ことで
ヒトラーの怒りに触れ、旦那の空軍の不信も手伝って、ヒトラーとの関係は冷えていくのです。
うぇ~、旦那同士がアレだし、奥さん同士の楽しげな視線も妙に不気味に見えます。。

Goebbels Magda with Göring and Emmy.jpg

1944年には「ヒトラー暗殺未遂事件」が起こり、ベルリンではゲッベルスが反乱を鎮圧
1945年1月、5年ぶりにゲッベルス邸へやって来たヒトラー。
子供たちは晴れ着を着て、花束でアドルフおじさんを歓迎します。

次に会ったのは4月22日、ゲッベルス一家は総統ブンカーで過ごすことを決め、
「ベルリンで最後の決戦が行われる。総統は留まられる。私も妻子と共に留まる」とラジオで発表。
ヒトラーは安全な南方に避難するようマグダに勧めますが、彼女の意志は固く、
前夫がスイスに逃げられるよう手はずを整えても、キッパリ断るのです。
あ~、この辺りは「ベルリン戦争」にあったナチス幹部が南部へ逃げたり、自殺したりしているなか
敢然と立ちあがったこの男を皆が見直した・・っていう話ですね。

joseph-goebbels-getty 1.jpg

すでに道連れになることが決定している子供たち。13歳になった長女ヘルガは
「戦争に負けるの?」と質問するほど、その雰囲気を察しているのです。
ここからは映画「ヒトラー 最期の12日間」そのままのような展開で進み、
ハンナ・ライチュが子供たちに冒険談を聞かせ、彼女が去る際には、クレタ島、
モンテ・カッシーノで戦い、捕虜となっている降下猟兵の長男ハラルトに宛てた手紙を託し、
そのゲッベルス夫妻が別々に書いた手紙も全文紹介。

goebbels family.jpg

5月1日、6人の子供を毒殺して、ゲッベルス夫妻は中庭で青酸カリのカプセルを噛み砕くと
同時に命ぜられていたSS兵士が背後から射殺。映画とは違う最期ですね。
そして翌日、黒焦げの遺体をソ連軍が発見。本書もその写真で終わります。

mortgoebbels.jpg

3日かけて独破しましたが、まぁ、率直に言って面白かったですね。
理由はいろいろとあります。まず、著者が日本人であることで理解しやすい点、
過去にココでも紹介した「日記」やナチス本の数々が参考文献として挙がっていること、
もちろん未翻訳文献もありますが、エピソードによっては複数存在する"説"、
"証言"にもキチンと触れ、著者の思い込みによるゲッベルス夫妻像とはなっておらず、
第三帝国の裏表をちょっと覗いてみたい・という女性でも楽しめると感じました。

それにしても、エヴァを筆頭にナチスの女性モノもソコソコ読んできましたが、
熾烈を極めた「第三帝国のファースト・レディ争い」をまとめた本を読んでみたいですねぇ。
「大奥」みたいというか、最近のドラマ「マザー・ゲーム〜彼女たちの階級〜」でもあるような、
主婦たちの友情と葛藤を描いたヒューマンドラマという雰囲気で・・。



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