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ナチスの財宝 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

篠田 航一 著の「ナチスの財宝」を読破しました。

5月に出たばかりの256ページの本書は、「ヒトラーが強奪した「消えた宝」を追え!
略奪美術品から読み解くナチスと戦後ドイツの裏歴史。」という煽り文句です。
この手の本はそれなりにあって、以前に「ヒトラー第四帝国の野望」を読んでますが、
今回は聞いたことのない「ロンメル将軍の秘宝」というのに興味を惹かれました。
毎日新聞社のベルリン特派員を2011年から最近までの4年間務めていた著者による
というのも、その気になった要因の一つです。

ナチスの財宝.jpg

第1章は「『琥珀の間』を追え」。
2014年7月、ポツダム警察の元首席捜査官シュールタイスから話を聞く著者。
それは1997年、ブレーメンで「琥珀の間」のモザイク画を売りたいという人物と接触し、
最終的に真作と鑑定されたその絵を押収したという経緯です。

プロイセン王フリードリヒ1世によって作成が始まり、その後、エカテリーナ宮殿へ
寄贈された「琥珀の間」。1941年にレニングラードに侵攻したドイツ軍によって、
ケーニッヒスベルク城へ移されたものの、大戦末期の連合軍の空爆によって焼失した・・
という歴史も紹介しながら進み、1941年に略奪された「琥珀の間」に飾られていた
装飾品であるモザイク画のひとつ、「嗅覚と触覚」が現存するならば、
本体もいまだどこかに隠されているのでは??

original Amber Room.jpg

戦後、ソ連はすぐに「琥珀の間」の保管責任者でケーニッヒスベルクの博物館長ローデを尋問。
しかし「空襲で燃えてしまった」の一点張りで、12月には謎の死を遂げているのです。
そして著者は「琥珀の間」の探索を続ける人々を尋ねながら、その行方を追って行くのです。

koenigsberg-1945.jpg

空襲前に疎開したと噂される「琥珀の間」。疎開先として一番怪しいのはザクセンです。
東ドイツ時代には秘密警察シュタージも、親分であるソ連の要望を受けて大々的に捜査。
東西のドイツ人が追い求める宝、その謎に近づいた人間は無残な死体となって発見・・。

Catherine_Palace_interior_-_Amber_Room_(1931).jpg

第2章は「消えたコッホ・コレクション」で、好きな方はコレだけで続きだと解りますね。
ドイツ統一後の1991年に訪独してきたエリツィンは、記者会見で「琥珀の間は実在する」と発言。
チューリンゲンにある「ヨナス谷」がその発言の候補地です。
終戦間際、崖の斜面のあちこちにナチスによって25か所ものトンネルが掘られたというこの谷。
ブッヘンヴァルト強制収容所などから1万人以上が危険なトンネル工事に駆り出され、
建築技師の調書によれば、SS将校カムラーがトップ・シークレットで命じたモノだと・・。

ココは「SS将校カムラー」が引っかかりますね。あのSS大将ハンス・カムラーのことだとすれば、
V2ロケット生産を監督したり、自殺説はあるものの、行方不明とされている謎の多い人物ですし、
もちろんもこのトンネルは「報復兵器」などの製造工場にしようとした可能性もあるでしょうが・・。

Hans Kammler.jpg

そしてこの章の主役、エーリッヒ・コッホが登場・・・。
ケーニッヒスベルクのある東プロイセンのガウライターであり、ウクライナ総督時代には、
その占領地の美術館や教会から多くの絵画、高価な絨毯、銀製品に聖人の遺品・遺骨などの
「聖遺物」まで略奪した、美術品蒐集家です。
その彼のコレクションが保管されたのがケーニッヒスベルク。
しかし1945年にソ連軍が踏み込んだときには、琥珀の間も、「コッホ・コレクション」も行方不明。

ErichKoch.jpg

戦後、逮捕されたコッホはポーランドで死刑を宣告されるものの、終身刑へと減刑。
ポーランドとソ連の執拗な尋問に対し、「私を釈放するなら、ありかを教える」と
司法取引を持ち出し、1986年、口を割らぬまま、90歳で息を引き取るのです。
そしていまだに候補地が絞りきれないこれらの隠し場所。16ヵ所もの候補地が存在し、
そのなかには撃沈され、海底に沈んだままの「ヴィルヘルム・グストロフ号」も含まれます。

財宝の発見は、いわゆるトレジャーハンターの活躍にかかっているわけですが、
もし発見した場合、持ち主に返還されるという問題もあるわけです。
先のモザイク画も2000年にロシアへ返還され、復元された「琥珀の間」に飾られたそうで、
仮にドイツ政府が力を入れて予算を組んだとしても、本物を見つければロシアへ還すだけ・・。

Mosaik Fühlen und Riechen.jpg

第3章は「ナチス残党と闇の組織」と題して、ヒトラーの死の真相から、逃亡したアイヒマン
ナチス狩りのヴィーゼンタールに、フォーサイスの「オデッサ・ファイル」などを紹介。
興味深かったのはアルゼンチンへ逃亡した戦犯はドイツ人だけでなく、
クロアチアの「ウスタシャ」の連中も含まれている・・というところですね。

イタリアの南チロル、ブレンナー峠の町を訪れた著者。ユダヤ博物館の館長は、
「あのメンゲレが来た。SS大尉プリーブケも来た。そんな史実を誇らしげに話す人もいます」。
お尋ね者の有名戦犯が滞在したことを、どこか誇りに思う住民感情って面白いですね。

ただ、メンゲレはわかっても「SS大尉プリーブケ」を名前だけでも知ってる人って
どれほどいるんでしょうか? 335人を殺害した「アルデアティーネ洞窟」の指揮官ということは
書いても良いんじゃないかな・・と。

Erich Priebke.jpg

そして「ベルンハルト作戦」で偽造した贋札を保管していたSS少佐フリードリヒ・シュヴェントが
滞在した町や、「オラドゥール村の大虐殺」のSS中尉、ハインツ・バルトが滞在した町も訪問。
あ~、「ヒトラーの贋札」を久しぶりに観たくなってきました。

The Counterfeiters.jpg

第4章は、いよいよ「ロンメル将軍の秘宝」。
戦後語り継がれてきた噂の一つに「ロンメルの部下が北アフリカでユダヤ人から財宝を略奪し、
どこかに隠した」という伝説がある・・・ということですが、そうですか。初めて聞きました。。
そしてこうした戦利品をコルシカ島沖に沈めたという元ドイツ兵、キルナーという人物が現れ、
財宝を探したという話を紹介します。
このキルナーはかなりの嘘つきかつ、すでに死去しているので、特に進展はありませんが、
ロンメルの財宝と呼ばれるものは、どこから運ばれてきたのかに注目するのです。

Erwin Rommel observing the field near El Alamein, Egypt, 18 Jun 1942.jpg

パリのユダヤ現代史文書センターの文献には、
「1943年2月13日、チュニジア東部のユダヤ人が多く住む、ジェルバ島にドイツ人たちが上陸し、
処刑すると脅して集めた43キロの黄金を持ち去った」。

この略奪品を900㌔も離れたコルシカ島に運んだ人物として浮上するのが、
SS大佐ヴァルター・ラウフ。チュニスなどでも金細工や装飾品を奪っているというラウフは、
アウシュヴィッツのガス室の原型となる「ガス・トラック」を開発した中心人物であり、
ラウフの関与で殺害されたユダヤ人は最大で20万人。筋金入りの殺人狂が略奪を指揮した・・
と紹介。まぁ、「ガス・トラック」の開発に関与したからって、それを「殺人狂」と言うかは??

Walther-RAUFF.jpg

そしてこのラウフが治安警察の責任者としてコルシカ島にいたことや、
1942年7月にエル・アラメイン付近で、ロンメル将軍の参謀ヴェストファールと会談し、
自身の任務を説明していることまで突き止めますが、
ラウフとロンメルが会ったことはないだろう・・と推測します。

Siegfried Westphal.jpg

ラウフは戦後、収容所から脱走し、シリアやチリで生活。西ドイツ政府は戦犯として追跡しつつも、
実はスパイとして雇い、キューバ情勢を探らせるのでした。

最後の第5章は、「ヒトラー、美術館建設の野望」。
007「ゴールドフィンガー」で、Mから「トブリッツ湖にあったナチスの金塊だ」と渡され、
それをエサにボンドがゴールドフィンガーと賭けゴルフをする前半のエピソードを紹介し、
あれはイアン・フレミングの作り話ではなかったという展開です。

Goldfinger_1964.jpg

オーストリア中部にあるトプリッツ湖は「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台になった辺りでもあり、
夏場は観光地というこの湖に1945年5月8日、「何かを沈めた」と言う人物との接触に成功。
SSがやって来て70もの木箱の運搬を手伝わされたと語る老婆。

Toplitzsee.jpg

トプリッツ湖を実際に見た著者はその大きさに「上野の不忍池」を思い出します。
なんでも実家の近くだそうで、ありゃりゃ、ひょっとしたらご近所さんですね。。

そして1959年、この木箱が引揚げられ大ニュースとなりますが、
肝心の金塊は発見されず、そこにはあの大量の贋札が・・。

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その他、オーストリアの湖水地方には金塊伝説が多くあり、
フシェル湖の湖畔にはリッベントロップの別荘があって、夫人から命令を受けた管理人が、
金貨などが詰まったタンクを湖に沈めた・・とか、
エーデン湖ではスコルツェニーが多くの木箱を沈めたのを目撃されていたり、
カルテンブルンナーが終戦間際にアルトアウスゼー湖畔に滞在し、
逃走資金として、大量の純金の延べ棒やダイヤモンドをワゴン車に積んでいたとか・・。

Ernst Kaltenbrunner.jpg

ブランデンブルク州のシュトルプ湖には、ゲーリングが金やプラチナなどの貴金属類を沈めた
という伝説もあるそうで、そういえば迫りつつあるソ連軍が到着する前に
HG師団の分遣隊がカリンハルを爆破したなんて話を思い出しました。

本書では序盤から「ナチスが略奪した」という表現で進んできましたが、ここにきて、
「実はヒトラーは自ら金を支払って、絵を購入したことも多いのです」という証言が出てきました。
まぁ、ゲーリングでもその他の幹部でも、多少なりともお金を払って購入したのは事実でしょう。
特に戦争初期の頃、ユダヤ人の画商を仲介したりなんて話もありましたが、
フランスでも気を遣い、逆に東部戦線では容赦ない「強奪」だったと思いますね。

Hitler_Göring.jpg

そしてそんなヒトラーが夢見たのが、故郷リンツをウィーンを凌ぐ芸術の都にして、
総統のための「リンツ美術館」をオープンすることだったのです。
しかしドイツ国内の空襲が激しくなると、集められていた総統の財宝が焼失することもあり、
ボルマンの命令によって、「芸術品疎開」が始まります。

Hitler_Ley looks upon a large scale model of a city linz.jpg

大ドイツ帝国内の各地に疎開したこれらの財宝の多くは現在も行方不明のまま・・。
それでも1945年5月、米軍によってアルトアウスゼーの坑道から大量の美術品が押収されます。
油彩だけでも6577点・・。しかし行方不明の美術品の数は「10万点」にも及ぶそうです。

Wintergarden by French impressionist Edouard Manet was also found in the same salt mine in Merkers.Altaussee.jpg

「ミケランジェロ・プロジェクト」というジョージ・クルーニーの映画が紹介されましたが、
原作は「ナチ略奪美術品を救え─特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争」だったんですねぇ。
530ページの大作なので未読でしたが、映画も未見で・・こりゃイカンなぁ。。
と思ったら、なんらかの理由で日本では公開中止になったそうな・・、まさかオデッサの圧力か??

the-monuments-men-george-clooney-matt-damon_2013.jpg

正直、Webの記事の見出しのような、ちょっと大袈裟な表現もありましたが、
研究書ではなく、ジャーナリストによる趣味のルポルタージュですから、
ワーワー言うほどのことではないでしょう。
ターゲットは一般のナチスに少し興味がある程度の人でしょうし、
最後まで興味を持たせ続けるには、ある程度しょうがない表現と言えるかもしれません。

逆に現地での足で稼いだ調査、ドイツ語の参考文献も巻末に挙げられ、
単なる2次、3次史料から机上で推理した中途半端な研究書よりは好感が持てました。

Bradley,Patton,Eisenhower inspects looted art treasures in a salt mine in Merkers, central Germany in April 1945..jpg

ヴィトゲンシュタインも未読の、この手の本としては「ナチの絵画略奪作戦」、
「ヨーロッパの略奪―ナチス・ドイツ占領下における美術品の運命」、
先に挙げた「ナチ略奪美術品を救え─特殊部隊「モニュメンツ・メン」の戦争」と3冊はあります。
どれもハードカバーで500ページ程度の大作なので、なかなか手を出しづらいんですよね。
興味とお金のある方は、ぜひ挑戦してみてください。









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