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ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロバート・ワイマント著の「ゾルゲ 引裂かれたスパイ<下>」を読破しました。

いよいよ差し迫ったドイツ軍によるソ連への大攻勢「バルバロッサ作戦」。
1941年6月20日、数年来の友人である駐日ドイツ大使オイゲン・オットから
「ドイツ史上最大規模の軍隊が集結している」と改めて聞かされるゾルゲですが、
すでに何度もモスクワに同様の情報を送っているものの、
その信憑性を疑問視する電報が彼の元に届くのでした。

ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉.jpg

ゾルゲをも調査するドイツ大使館のゲシュタポ、マイジンガーは定期的にシェレンベルク
ゲシュタポ長官のミュラーに報告を行っていますが、彼の部屋に合鍵を使って忍び込み、
自分の報告書の評価が甘いことを確認してホッとするゾルゲの方が一枚上手。。。
そして遂に独ソ戦の火ぶたが切って落とされたというニュースが飛び込んできます。
帝国ホテルのバーで酔っ払い「あの犯罪者め!」と英語で喚き続けるゾルゲ。
「やつはスターリンと友好条約を結んでいながら背中から刺したんだ。
だが、あの野郎にスターリンは思い知らせてやるさ」。

ソ連大使のスメターニンも松岡外相の私邸に駆け込んで来ます。
「ドイツは不可侵条約を結んでいるのに、宣戦布告もなしに攻め込んでくるとは
こんな無茶な話はありません!」
ひとしきり喚いてから本題、「貴国とは中立条約を凍結しています。
政府の要請に基づいて、この条約の有効期間中は、これを忠実に守るように・・」。
このソ連政府の事実上の嘆願に対して、松岡は答えます。
「我が国も極めて苦しい立場に立っています。三国同盟は外交政策の柱であり、
ソ連との中立条約がドイツとの同盟に抵触する場合は、同盟を優先させねばなりません」。

Matsuoka_ Eugen Ott Officials Toast World War II Pact.JPG

去年はシンガポールを・・と言っていたドイツ外相リッベントロップは、今度は、
「一刻も早く、ウラジオストックを占領して、冬になる前に西に進撃して、ドイツ軍と合流せよ」
と突っついてきます。
しかし、日本の基本方針は「独ソ戦に介入せず」というもの。
それでも関東軍の若手将校たちはロシア人と戦いたがっているとの情報も踏まえて、
ゾルゲは「日本が戦闘態勢を整える1ヶ月半の間に独ソ戦の成り行きを見て、
赤軍が敗れたら参戦するのは間違いないが、敗れなければ中立維持」と結論付けるのでした。

Sorge.jpg

5年間の週の半分を一緒に過ごした花子とは「一緒にいるのは危険だから・・」と別れたゾルゲ。
大使の妻、ヘルマと不倫関係も解消しますが、彼女の方はいまだにゾルゲにぞっこん。。
音楽家のエマが、日本での新しい恋人となりますが、ヘルマとの三角関係に発展します。
著者は花子を始め、エマなど執筆当時に健在だった女性にインタビューをしたそうで、
ヴィトゲンシュタインが最初に買おうと思ったのは、この花子の書いた「人間ゾルゲ」でしたね。
表紙が怖いのでやめました。。

人間ゾルゲ.JPG

オット大使らは東条英機陸相や杉山元参謀総長、松岡外相をなんとかして説き伏せようと
躍起になりますが、陸軍武官のクレッチマー大佐という人物が登場。
「オットとクレッチマーがベルリンへ電報を・・・」などと書かれると、
Uボート・ファンとしては、一瞬、「???!!」となります。。

Otto Kretschmer  U99.jpg

ココからは独ソ戦の行方と日本の参戦問題が中心となっていきますが、
ドイツがモスクワを占領して勝つと言っているなら、参戦しなくても良いだろう。
戦利品の分け前だけ貰えれば良いし、仮に参戦しても冬までにシベリアを占領できるかもわからず、
占領したところで原料資源の獲得という緊急問題の解決にならない・・という
日本にとって、もっともな理由も理解出来ました。

戦時中の日本が描かれた本をほとんど読んだことがありませんが、
あの300勝投手「スタルヒン」の時と同様に、東京が舞台だと、なかなか知っていたり、
聞いたことのある場所などが出てくることで、70年も前の話とはいえ、とても身近に感じますね。
本書でも度々、ゾルゲが食事に訪れる銀座のローマイヤなどは、
場所こそ変わっているものの今でもありますので、今度、行ってみようと思いました。

August Lohmeyer_Ginza.jpg

やがてゾルゲの諜報網に綻びが・・。
日本人の末端防諜員である55歳の北林トモが冷たい目をした特高に逮捕されると、
芋づる式に次々に関係者が逮捕されていきます。
実は尾崎秀実以外にも共産主義者の日本人が関係しており、その他、
写真担当のヴーケリッチや、無線担当のクラウゼン、そして彼らの妻など、
本書ではチーム・ゾルゲとも言えるような、多くのスパイも登場しています。

こうして昭和16年(1941年)10月18日、特高刑事たちによってゾルゲもとうとう逮捕。。
巣鴨の東京拘置所、別名、巣鴨プリズンに召還されたゾルゲ。
外務省から知らせを受けたオット大使も驚きますが、半狂乱になってなんとかしたらどうかと
きつい口調で喚き続けるのは、ゾルゲを愛する大使夫人のヘルマです。

Helma Ott.jpg

取り調べの際、不意に泣き出して机に突っ伏したかと思うと、今度は立ち上がって
「負けた、初めて負けた!」と叫ぶゾルゲ。
精根尽き果てた痛ましい一人の人間。
本書ではゾルゲがこれほど早く「陥落」したのは、拷問もあったのでは?
と推測していますが、ハッキリはしないようです。
面会に来たオット大使と対面するゾルゲは彼を欺いていたことに苦しみ、体を震わせます。
そして長年の友人をスパイだと認めることを拒否してきたオットもショックを受け、
最後まで立ち直ることが出来なかったということです。

Eugen OTT.jpg

共産主義政党の国際組織であるコミンテルン配下のスパイとして裁こうとする警察側。
これは赤軍配下となった場合、軍事防諜活動として軍事警察(憲兵)に渡すことを嫌がる
司法当局内の派閥争いでもあるわけです。
そのような問題を知らなったゾルゲは半分騙されて「コミンテルン」と認めてしまうと、
日本の諜報員との交換で自分を釈放してくれると考えていたモスクワは、
「ゾルゲなる人物に、当方は心当たりがありません」。
ソ連はコミンテルンは自国の統制外にある国際共産主義組織であるという態度を取っていたのです。
さらにゾルゲの愛するカーチャは、ドイツのスパイという容疑で逮捕され、5年の流刑の判決。
1943年にシベリアの収容所で死亡。。

「巣鴨プリズン」では逮捕時に数千ドルを持っていたゾルゲが一番の大金持ちです。
警官たちの10倍もする、1個5円の豪勢な弁当を取り寄せ、いつ終わるやもしれぬ尋問に挑む毎日。
スターリングラードでドイツ軍が敗れたと聞いて、大はしゃぎ。
しかし、そんな彼にも遂に「死刑判決」が・・。
昭和19年(1944年)11月7日、尾崎秀実に続いて、ゾルゲも絞首刑に処せられるのでした。

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この「巣鴨プリズン」っていうのは、子供の頃から聞き覚えがありますが、
どこら辺にあったのかと調べてみたら、今の地名は巣鴨じゃなくて東池袋なんですね。
そして跡地には「サンシャイン60」が・・。は~、初めて知りました。
18歳の時の初日の出はココで拝みましたが、知っていたらもうちょっと感慨深かった
とも思いますが、一緒に行った女の子に「ココでゾルゲは死刑になったんだぜ・・」
なんて言っちゃって、今でいう「ドン引き」されたであろうことも間違いないでしょう。。

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戦後、石井花子によって改めて葬られたゾルゲ。場所は多磨霊園です。
実は「ヴィトゲンシュタイン家先祖代々の墓」もココ、多磨霊園にあるんです。
自分が死んだ暁にはゾルゲも傍にいるんだと思うと、不思議な気持ちになりました。。

1964年になってソ連で名誉回復されたゾルゲの切手も有名ですが、
東ドイツではコインも作られたりしています。
良い男・・というか、可愛らしいゾルゲですね。。
知らない子供が見たら、偉大な作家や音楽家、あるいは科学者だと思うでしょう。

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本書はタイトルのように、心引き裂かれていく人間ゾルゲを追及したものですが、
著者が特定のイメージを作り上げようとしているとは思いませんでした。
今まで、「酒飲みの女たらし」としか思っていなかったゾルゲと、
常に逮捕の危険と背中合わせのスパイ家業の辛さも感じましたし、
ヒトラーのドイツ、スターリンのソ連のどちらにも帰ることの出来ない苦悩も
良く伝わってくるものでした。
「人間ゾルゲ」や「ゾルゲ事件 獄中手記」も読んでみたくなりました。
映画の「スパイ・ゾルゲ」はちょっとなぁ。。











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ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロバート・ワイマント著の「ゾルゲ 引裂かれたスパイ<上>」を読破しました。

日本で第2次大戦における最大のスパイは・・?というと、やっぱりゾルゲでしょうか。
この「独破戦線」でも何度か「ゾルゲ・・」って書いたなぁと思って検索してみると、
焦土作戦」から「ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間-」まで、計6冊に書いていました。
半年ほど前から何か「ゾルゲ本」をと思っていましたが、この「ゾルゲ本」というのは、
また沢山出ていて、何を読んだら良いのやら・・。
2003年には「スパイ・ゾルゲ」という映画も公開されましたが、
てっきりモックンがゾルゲ役やるもんだと思ってて、なんじゃそりゃ・・と観に行っていません。。
本書はその公開に合わせて文庫で再刊されたモノで、もともとは1996年に発刊されています。
一応、ゾルゲの生涯を扱ったなかでの最新本とのことで選んでみました。

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思えば「ゾルゲ」という名は「ゲシュタポ」と同じくらい、子供の頃から知っていたような気もしますが、
当時は「日本のスパイなのに猿みたいな顔をして全然、日本人っぽくないじゃん」
というのがゾルゲに対する印象でした。
これはたぶん「007は二度死ぬ」でもショーン・コネリーが無理やり日本人に化けたりして、
「日本のスパイ=日本人に変装してる」っていう先入観があったんでしょう。
まだ英国と米国の区別もつかず、ましてやドイツやソ連のスパイなんて
意味わかんない子供ですから放置してしまうのもしょうがありません。。

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本書はゾルゲの生い立ちから始まります。
1895年、南カフカスのアゼルバイジャンはバクーの生まれ。
9人兄弟の末っ子で、父は石油採掘技師のドイツ人、母はロシア人です。
ゾルゲが2歳の時には一家はベルリンへと戻り、穏やかな少年時代を過ごしますが、
それも第1次大戦が勃発するまで。
3年前に父は他界し、18歳となっていたゾルゲは学校から解放されて自ら志願して入隊。
フランドルの泥まみれの塹壕。ベルギー軍の銃弾を受けて負傷し、
回復すると今度は東部戦線で2回、足を負傷します。
そしてケーニヒスベルクの病院で社会主義者の「教養ある知的な若い看護婦」から
レーニンや革命運動の実情を学ぶことになるのでした。

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片足が2センチほど短くなってしまったゾルゲはベルリン大学で学問に精を出し、
政治意識も研ぎ澄まされていきます。
敗北したドイツの経済は麻痺し、資本主義は崩壊・・。
1917年のボルシェヴィキ革命の勃発は世界を震撼させ、22歳の彼にも大きな影響を与えます。
そうなったら取るべき道は唯一つ、「ドイツ共産党」への入党です。
モスクワ行きを決意して、1924年には国境を越えてロシアに潜入。
モスクワのコミンテルン本部で任務を与えられ、各国の共産党を支援する旅に・・。

1929年には「労農赤軍本部第4局」の創始者で部長であったヤン・ベルジンの目に留まり、
引き抜かれますが、この第4局というのは、その後のGRU(赤軍参謀本部情報局)のことです。
当時のソ連の関心事は内戦の渦中である中国。南京政府軍と共産軍の優劣について
定期的に報告するために、ドイツ人のパスポートを取得して、上海へと乗り込むのでした。

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しかしそこで満州事変、上海事変と日本と中国の対立が始まると、
ゾルゲは日本研究に着手します。
大阪朝日新聞の名の知れた特派員である尾崎秀実とも知り合い、
政府高官や実業界に広い人脈を持つ日本人が貴重な情報提供者になりますが、
この尾崎が映画「スパイ・ゾルゲ」でモックンが演じた人なんですねぇ。

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1933年、見事に中国での任務を終えてモスクワに帰還したゾルゲ。
恋人との再会も束の間、ロシアの国境地帯で圧力をかけている
日本の真の狙いを探るため、東京行きが決定。
日本は伝統的にロシアを敵国と見なし、共産主義を悪質な毒ガスと考えている国・・。
一方、ロシア人は旅順で惨敗し、バルチック艦隊が撃滅されるという、
アジアの成り上がり者から受けた屈辱を忘れてはいません。

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う~む。。映画「二百三高地」は大好きなんですねぇ。仲代達矢が良かった・・。
DVDも持っていますが、TVでやると必ず見てしまう邦画は、コレと「八甲田山」です。
どっちが好きかって聞かれれば「八甲田山」かなぁ。。
抑え目の健さん(徳島大尉)も良いですが、北大路欣也(神田大尉)が素晴らしいし、
「神田大尉!」と呼びつける三國連太郎も最高に嫌なジジィで死んでしまえと思いますし、
案内人の秋吉久美子もほっぺが赤くて信じられないくらいに可愛い・・。
おしっこ出来なくて、突然、「うお~!」と走り出しては、バッタリ倒れて死ぬ??兵士は、
そこらへんのホラー映画より、衝撃的なシーンでした。
こういうのを思い出すと映画のBlogでもやろうかという気になりますね。

秋吉久美子_健さん&発狂兵士 八甲田山.jpg

ヒトラーが政権を握ったばかりの1933年5月に祖国へと帰還し、パスポートを再び入手。
日本人崇拝者であり、ヒトラーの代理人ルドルフ・ヘスの友人でもある地政学の権威、
ハウスホーファー教授を訪問して、駐日ドイツ大使への紹介状もモノにします。
こうして準備万端いよいよ、東京へ。
ドイツ人ジャーナリストとして、紹介状をもって大使館にも頻繁に顔を出し、
彼の熱心な日本研究は徐々に大使館内でも評価を得るのでした。

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中でも大使館付き陸軍武官のオイゲン・オット大佐とは家族ぐるみの付き合いが始まり、
オットが入手した日本軍の情報を専門家の友人ゾルゲが分析し、オットはその評価を国に報告、
もちろんゾルゲもスパイとしてオットから得られる情報は大変貴重です。
しかし、ゾルゲはその友人の妻、ヘルマと不倫関係になってしまうのでした。
さらに西銀座のドイツ・バー、ラインゴールドで25歳のウエイトレス、花子とも出会い、
彼女のために家も借りる惚れ込みよう。

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モスクワの部長だったヤン・ベルジンが解任され、後任のウリツキー大将に活動を非難されて
スターリンとロシアに幻滅感を抱き始めた彼は、女とアルコールにも溺れていきます。
そして翌年にはウリツキーが逮捕され、銃殺刑。海外の諜報員たちも呼び戻されては姿を消します。
もちろんこれは「大粛清」が始まったことによるものですが、
ゾルゲの評価も急転直下、彼の情報は極めて不十分であり、大量の金を浪費している・・。
身の危険を感じ取ったゾルゲは今、日本を離れることは出来ないと、
帰還命令に逆らい続けるのでした。

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友人のオットは大使へと昇進を果たし、さらにドイツ大使館との結びつきは強くなります。
そんな時、酔ってオートバイ事故を起こしたゾルゲは顔面を強打し、血まみれで倒れます。
聖路加病院で受けた整形手術の結果、額の皺は以前より深まり、
唇も薄くなって上下がほとんど入れ歯・・と容貌も変わってしまいます。
頭蓋骨骨折の影響もあってか、脳震盪も頻発し、神経障害の症状を見せることも。。

1938年6月、NKVD極東方面軍司令官のリュシコフ将軍が満州に越境して
日本軍に保護を求める亡命事件が発生。
日本は敵国の情報が勝手に転がり込んできたと大喜び。
そしてドイツからもアプヴェーアのカナリス提督の指示によって、
直接事情聴取を行うために防諜員が派遣されます。

Canaris.jpeg

慌てたロシア側は、ゾルゲに尋問結果を入手するように指示。
ゾルゲを信頼する陸軍武官補のショル少佐は、喜んで知っていることを伝え、
保存された報告書の写しもマイクロフィルムでモスクワへ。
また、この情報によって日本軍の評価や日本軍の攻撃拠点を知って、ノモンハンにおいて
圧倒的に優位に立ったという「ゾルゲの8年間の活動の中でも、最大の功績」としています。
この事件は初めて知りましたが、NKVDの司令官が亡命するとは、
如何に大粛清が猛威をふるっていたかがわかるようです。

日独伊三国同盟が締結されて、独ソ不可侵条約、日ソ中立条約と、
本来なら戦争は起こりません。
しかし、この時期、日本、ソ連、ドイツはお互いの本心の探り合いが続きます。
スターリンはドイツが攻めてくるとは思っていませんが、
日本は南に攻めるのか、北に攻めるのか・・?
対英戦真っ最中のドイツ外相リッベントロップは、
シンガポール攻撃について執拗に圧力をかけてきます。

Ribbentrop in SS uniform.jpg


いや~、ここまでゾルゲの生い立ちから、彼が如何にして日本にやって来て、
スパイとしての足場を固めることになったか・・や、当時の日本の政策なども含めて
ほとんど知らないことばかりで、実に楽しいですね。

しかしここで、「ワルシャワの殺し屋」と評判のゲシュタポのマイジンガーSS大佐が来日。
軍法会議にかけられて処刑されるところをハイドリヒの取り成しによって、
波紋が収まるまで東京の大使館の警察勤務・・という措置によるものです。
SDの外国部長シェレンベルクが当時、ゾルゲに疑惑を抱いていたという話も出てきましたし、
ナチス東京支部の最高幹部がヒトラー・ユーゲントの地区指導者の
ラインホルト・シュルツェであるなど、独破戦線の顔なじみも登場してきます。

Josef Meisinger Butcher of Warsaw in Japan.jpg

1941年の春になるとゾルゲの精神状態も悪化。
ロシアに残してきた恋人カーチャを想い、
そのロシアでは差し迫ったドイツ軍の侵攻警告を無視され、
祖国であるドイツはいまや巨大な強制収容所と化し、日本は離れ小島。
スパイに対する監視の目も日に日に厳しくなっています。
一体、この先、どうしたら良いのか・・?















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ナチ独逸ミリタリー・ルック 制服・制帽から勲章・ワッペン・徽章まで [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

第二次世界大戦ブックス〈別巻 1〉の「ナチ独逸ミリタリー・ルック」を読破しました。

勲章・徽章好きで第二次世界大戦ブックス好きのヴィトゲンシュタインですが、
本書は以前から古書店で見かけていたものの、なぜかビニールカバーに入っていて
中身の確認ができないことから、手を出していなかったものです。
しかし、写真タップリのオールカラーということが判明し、しかも綺麗な古書が300円・・、
ということで慌てて購入。早速、読んでみました。

ナチ独逸ミリタリー・ルック.jpg

最初に登場するのは、目玉焼き勲章こと、「ドイツ十字章」が1ページのカラー写真で。。
「1級鉄十字章と騎士十字章との中間の勲章で、金と銀の2等級に分かれていた」と
キャプションもちゃんとしています。
その左のページには「国家労働奉仕団(RAD)の短剣とスポーツ服のワッペン」と
いきなりマニアックな現物写真・・。全く展開が読めませんから、
ページをめくるのも緊張します。。

RAD Badge.jpg

すると「第1次大戦参戦者連合会の腕章」に「陸軍予備役軍人バッジ」、
「鉄兜団名誉章」といった見たことも聞いたこともない品々が・・。
次の「腕章」というのは今まで細かく気にしたことがありませんでしたが、
本書では1ページにまとめて、種類別に掲載しています。
金の紋様が入っている一目見て豪華なものがガウライターなどの政治指導者用。
上下に黒線が入っているのがSS隊員用。線なしのただの赤が一般党員用。
一番下がヒトラー・ユーゲント用です。

nazi Armband.jpg

戦争に貢献した発明に与えられたという「フリッツ・トート博士記念名誉徽章」も
1944年1月8日のトート博士の2周忌に制定され、金、銀、黒鉄の3等級あると書かれ、
う~ん。コレは結構、勉強になるなぁ。

Dr. Fritz Todt Preis.jpg

ゲシュタポの恐怖の「認識票」の次にはコイン各種です。
コインは以前に「ヒトラー・コイン」を紹介しましたが、
本書にはそれにプラス、「ゲーリング・コイン」も出てきました。
これは空軍で技術的功績のあった者に送られたそうですが、知りませんでしたね。
他にも「1940年のフランス占領記念コイン」なるものも・・。これは、どレアです。。

Herman Göring Technical Medal.jpg

続いて短剣シリーズ。SA(突撃隊)にヒトラー・ユーゲント、3年間勤務したSS隊員が貰えた短剣。
国家政治教育機関、ナチ赤十字社の短剣もありますが、彼らは何のために??
勲章付きの当時の制服もカラー写真で紹介します。
先任地区指導官の茶色の制服に、SAの先任中隊指揮官、武装SSダス・ライヒ分隊指揮官。
それからSD大尉まで。

Nazi SA Dress Dagger.jpg

警察関係の記章各種も地方保安警察官の袖章に、防火警察・消防隊員の袖章、
国家保安警察都市警察官の袖章などをまとめて掲載。
バリエーションの多さも理解できます。

Police-sleeve-eagle.jpg

選挙と党大会記念バッジは、1933年の「リッペの選挙バッジ」というコレまたレアなものも・・。
選挙の度にバッジ作っていたなんて、ナチ党はマメですねぇ。。
記念バッジは「労働記念日バッジ」、「国家体育記念日バッジ」と、
ちょっと知られたものもありますが、ズバリ、「不明」となっているバッジも・・。

REICHSPARTEITAG 1937.jpg

メッサーシュミットにハインケルポルシェ博士といった経済と社会に貢献した人物に与えられた
「労働功労賞」というのも初めて見ました。
オリンピックにも1936年のベルリン大会の組織者に与えられた
「1級ドイツ・オリンピック功労賞」というがあったんですね。

Ehrenzeichen Pionier der Arbeit_Deutsches Olympiaehrenziechen.jpg

冷凍肉勲章と揶揄された「東部戦線従軍徽章」と一緒に写っているのは
太西洋防壁建設に従事した者に与えられた「ドイツ西部防衛線従軍徽章」です。
その他、「1級ドイツ鷲勲章」に、「ドイツ労働戦線」のバッジ、「母親名誉十字勲章」も3等級揃いで。

Westwall Medal.jpg

まだまだ、スペイン内戦に参加した「スペイン十字章」に、各種年功章。
これは「SS隊員の12年勤続年功章」や「8年勤続年功章」、警察官の「25年勤続年功章」です。

制帽も出てきました。
茶色の政治指導官の制帽も実物で、4階級は縁取りで区別されていたそうです。
地方警察官の帽子にSA、空軍将校、陸軍将校の制帽、略帽に
ヘルメットでは陸軍の1916型と1935型の前に、
空軍と民間防衛隊のヘルメットが出てくるところが本書の気の抜けないところです。
もちろん、アフリカ軍団の防暑帽も。

3rd Reich period Polizei.jpg

中盤20数ページは政治指導者などの制服姿がカラーイラストで紹介されます。
コートを着たバージョンから夏季の白服、パレード用など細かいバリエーションで
ここまで細かくする必要があるのかと、ちょっと思いました。

ただ、SA水上部隊勤務服などは、聞いたこともありませんので、
その紺色(ネイビーブルー?)の制服に茶色の襟章の組み合わせは斬新です。
同じようにナチ自動車協会(NSKK)の中隊指揮官の制服も、
黒に金の襟章・・と、SSとはまったく違うカッコ良い色合いで新鮮ですし、
空軍の前身である「ナチ航空協会(NSFK)」の制服は、空軍のブルーグレーなのに
襟章はSAやSSの階級章というありそうでない、不思議な組み合わせです。

nsfk.jpg

ヒトラー総統旗やナチ党旗などもイラストで進みますが、
SSアドルフ・ヒトラー連隊旗」の下には、「SSユリウス・シュレック連隊旗」が・・。
はぁ~ん。。こんな連隊があったんですか。。シュレックは元ヒトラーの運転手ですが、
一応、SSの初代指導者だったからなんでしょうね。

Hitler&Julius Schreck_SS_Standarte.jpg

外国人義勇兵の部隊マーク(袖章)から現物カラー写真に戻りました。
これらは武装SSではなく、国防軍所属の部隊で、
ウラソフのロシア解放軍「POA」やスペインの「青師団」、コサックにアルメニア人部隊。

ここまで海軍は無視されていましたが、「海軍の徽章各種」でやっと紹介されます。
Uボート章」は当然ながら、「駆逐艦乗組員戦功章」に「特務士官の肩章」などなど・・。
ヴィトゲンシュタインの好きな「大海艦隊戦功章」と「仮装巡洋艦戦功章」もあってうれしいですね。
海軍の高射砲兵戦功章である「沿岸砲兵戦功章」も良いなぁ。

Coastal Artillery Badge.jpg

カフタイトルは武装SSの「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」、「ヴェストラント」に
ラインハルト・ハイドリヒ」といった、ややマイナーな部隊のものが前半に出ていましたが、
アフリカ軍団のカフタイトルと同じページに出てくるのは第199擲弾兵連隊です。
これは第1次大戦時にヒトラーが所属していた「リスト連隊」なんですね。

Götz von Berlichingen.jpg

ベルトのバックルも前半に政治指導者の金色のバックルが印象的でしたが、
ヒトラー・ユーゲント、陸軍、空軍、SSのバックルが勢揃いします。
疑問に思っていた空軍のバックルですが、唯一、言葉はなし・・が正解でした。
さらにRADにSAのバックルまで。ベルト・マニアの方なら買いですね。

空軍の戦功章、3等級の戦傷章と続き、前半と同じカラーの現物制服です。
空軍少尉の制服に陸軍歩兵大尉礼服、なかでも国民突撃隊指揮官(少佐)は凄いですね。
この制服のベースはワイマール共和国時代の陸軍将校服で、
第1次大戦の2級鉄十字章の略綬をつけていますが、
やっぱりコレを着たのは、おじいちゃんだったんだと思うと、泣けてきます・・。

Deutscher Volkssturm.jpg

陸軍の勲章は突撃戦功章に空軍にもあった「高射砲兵戦功章」などの他に
「砲手勲功懸章」なる砲手に贈られるものが・・。
装甲部隊砲手のものだけデザインが違い、戦車突撃章に似たデザインですが、
戦車の向きが逆だったり、全く別物です。う~ん。なんだこりゃ??

最後には「騎士十字章」に「白兵戦章」とメジャーな勲章に、野戦憲兵の「ゴルゲット」では
「夜間勤務のため、中央の鷲と左右の円形には蛍光塗料が塗ってある」
との解説には驚きました。蛍光塗料って昔からあるんですね。。
でも軍用腕時計にも確か、塗ってありましたか・・?

Feldgendarmerie.jpg

中盤の政治指導者などの制服こそ、カラーイラストでしたが、
NSKKやNSFKといった超マイナーな制服は大変良かったですし、
全体的には当時の現物のカラー写真集と言って間違いありません。
勲章、徽章類も結構マニアックで、初めて見るものもいくつかありましたし、
実際、本書に掲載されている品々を全部知っているという人は
ほとんどいないんじゃないでしょうか?
こういうのを眺めるとやっぱりコレクター魂に火がついてしまいますねぇ。
和書では何故かカラーの勲章、徽章本が出てませんので、
そのような意味でもお好きな方にとっては価値ある良書だと思います。



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第三帝国の興亡〈5〉 ナチス・ドイツの滅亡 [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアム・L.シャイラー著の「第三帝国の興亡〈5〉」を読破しました。

ようやく最終巻に辿り着きました。
前巻はスターリングラードでドイツ第6軍がソ連軍の前に壊滅し、
北アフリカも英米連合軍によって駆逐されるところで終わりましたが、
この最終巻はまず、戦争の推移ではなく、強制収容所などのホロコーストに
かなりのページを割いて、ナチスの残虐性を検証します。

第三帝国の興亡〈5〉.jpg

1940年11月には占領したフランスに対する「でぶ助」ゲーリングによる秘密指令、
パリのルーヴル美術館から集めてくる美術品の分配方法は、
1.総統自らが決定を留保する美術品
2.ドイツ国家元帥のコレクションを完成するに役立つ美術品
3.ドイツ美術館に贈与するに適当な美術品

そして実行役に任命されたローゼンベルクが価値ありと認めた文化財はドイツに輸送されますが、
1944年までにフランスから運ばれたレンブラント、ルーベンス、フェルメール、ゴヤ・・
といった絵画だけでも1万点にも及び、ローゼンベルクは
「これら略奪美術品は10億マルクの値打ちがある」と評価します。

Hitler Göring_Hans Makart.jpg

しかし、美術品の輸送だけならまだ救われます。
フランスを含む西側からも労働力として人間がドイツに輸送され、
特にポーランドでは総督のフランクが「搾り取れるものは尽く搾り取る」と宣言し、
腹を空かせたドイツ国内のドイツ人のために食料を搾り取り、
ユダヤ人以外のポーランド人も労働力としてドイツへ送られ、その彼らの農地にはドイツ人が入植。

ゲッベルス曰く「ノロマのなかでも、一番のノロマ」であり、著者に言わせると、
「豚の目をした小男で、小さな町の牛肉市場で肉切りでもしていそうな取るに足らない人物」
である労働力配置総監フリッツ・ザウケルが、外国人労働者を想像し得る最低の費用をもって、
可能な限り最大限の使役するような扱い方を命令します。

Fritz-Sauckel.jpg

そして具体的な指針・・、ポーランド国籍の農園労働者は苦情を申し立てる権利はなく、
教会、劇場、映画館などの出入りは厳禁・・。
彼らが逃げ出せないように、鉄道にバスなどの公共交通機関の使用も禁止。
もちろん、「婦女子との性交は厳禁する」ですが、その相手がドイツ人の婦女子だったら死刑です。
ただし、以前に読んだ本では、旦那が長く徴兵されている農園や家庭では、
残された女主人が若い外国人労働者を誘惑したり、娘さんと恋に・・などという話もありましたねぇ。
男の立場からしてみれば、前者の場合にはソレを断って怒らせようものなら大変ですし、
その行為を誰かに密告されたら死刑・・という命がけの状況です。

戦争捕虜に対するドイツ軍の処遇についても触れられています。
特にソ連の捕虜は575万人で、1945年に解放されたのが100万人、
残りの200万人は収容中に死亡や、100万人は不明・・といった数字も挙げていますが、
このような数字は現在は変わっているかもしれませんし、解放された100万人も
帰国したソ連では「裏切り者」として、「25年のラーゲリ行き」ですから大変です。。。

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ニュルンベルク裁判でのアイザッツグルッペD隊長、オーレンドルフの質疑応答も掲載し、
ホロコーストの実情にも迫って行きます。
「銃殺隊による死者数の報告はいくらか拡張されているだろう」としていますが、
コレは同感ですね。女子供を含めて一般人を殺した人数が、軍でいう「戦果」の数であり、
それによって評価されるのがこの特別行動隊ですから・・。

「ワルシャワ・ゲットーすでになし」と題された、シュトロープが作成した皮装丁の豪華な報告書や
オスヴァルト・ポールルドルフ・ヘースに、マウトハウゼンダッハウなどの収容所を歴任した
根絶やし殺人のベテランで「ベルゼンの野獣」というはかない名声を獲得したヨーゼフ・クラーマーなども登場し、彼らが死刑になったことも紹介しながら強制収容所の実態に進みます。
研究用に80人の死体を調達したクラーマーは証言します。
「私は80人の収容者を殺すように命じられており、そういったことをやりながら、
何の感じも持ちませんでした。それにまた私は、そのように訓練されてきたのです」。

Joseph-KRAMER.jpg

ブッヘンヴァルト強制収容所所長の妻であるイルゼ・コッホが刺青をした囚人の皮膚を使った
ランプを作ったりという有名な話も出てきますが、やっぱり本書でも証拠はないようですし、
その他の件もソ連側から提出された証拠に基づくものもあり、信憑性はありません。
そもそもニュルンベルク裁判でソ連側は「カティンの森」で見つかったポーランド将校の死体は
ナチス・ドイツの仕業である・・と、しゃあしゃあと責任を擦り付けているくらいですから、
ソ連側の証拠なるものは全て疑ってかかったほうが良いのかもしれませんね。

Katyn massacre.JPG

まだまだ、ハイドリヒ暗殺の報復「リディツェ村」の惨劇や、武装SSダス・ライヒによる
オラドゥール村の大虐殺」も紹介されます。そして師団長のラマーディングは欠席裁判で
死刑を宣告されたものの、本書の執筆時点ではいまだ発見されておらず、
現場指揮官のディックマンはノルマンディで戦死したと
彼らのその後についても触れられているのが良いですね。

Oradour-sur-Glane_massacre.jpg

1943年から44年、西側連合軍の目標となったイタリアが脱落
そしてスコルツェニーによるムッソリーニ救出作戦と続きますが、
ゲッベルスは2正面戦争をなんとか回避するために、スターリンとチャーチル、
どちらと和平すべきかを総統と検討し始めます。

一方、ヒトラー排除を目論み続けてきた軍部による抵抗派にも、遂に期待の星、
シュタウフェンベルクが登場し、ここからトレスコウやオルブレヒトなど、
7月20日事件の主役たちによるいくつかの暗殺計画も・・。
実際、アイゼンハワー指揮のノルマンディ上陸作戦と、それに対するドイツ軍の戦いよりも
こちらの方がメインとなって本書は続いていきます。

141_Das_Fuehrerhauptquartier_nach_dem_Attentat_am_20__J.jpg

失敗したワルキューレ作戦。予備軍司令官のフロムベック元参謀総長に自決を強要し、
シュタウフェンベルクらは銃殺してしまうわけですが、ヘプナーは「いい友人」だったようで、
握手をし、軍刑務所に連れて行くに留めます。う~む。そうでしたっけ・・?

General Hoeppner vor dem Volksgerichtshof.jpg

カール・ゲルデラーの逮捕という場面になると、先日の「女ユダたち」で登場した
ヘレーネについてなかなか詳しく書かれていました。
ゲルデラーを発見、密告して100万マルクの懸賞金をせしめた彼女は、
結構、有名な人物になってしまったようで、1993年にドイツで、「Die Denunziantin」という
彼女が主人公の映画まで作られているようです。

Die Denunziantin 1993.jpg

このヒトラー暗殺未遂事件に伴う大粛清が始まると、お役御免となっていた人物も大慌てです。
前陸軍総司令官、ブラウヒッチュはヒトラーへの忠誠を誓う熱烈な声明書で
SSのヒムラーが予備軍司令官に任命されたことに賛意を表し、
前海軍総司令官のレーダーも隠居の地から飛び出して、海軍にもナチ式敬礼を強制するのでした。

Karl_Doenitz_officers_gathered_in_front_of_the_Hitler_salute.jpg

こういう風に書くと、引退の身とはいえ元帥たるものもっと堂々としていられんのか・・?
とも思いますが、この事件に関与していたのが、元陸軍参謀総長のベックに
ヴィッツレーベン元帥といった引退組ですから、
彼らが必死で身の潔白を証明しようとしたのもわかる気がします。
そして現役のルントシュテットグデーリアンは名誉軍事法廷で
関与した疑いのある将校を尽く陸軍から追放し、軍法会議にかけずに一般市民として
フライスラーのインチキ人民裁判所へ引き渡せるように貢献・・。

Model and Von Rundstedt.jpg

後半はまさに「ヒトラー最期の日」。
トレヴァー・ローパーの本も参考にして、ハンナ・ライチュの回想録や専属運転手ケンプカ
軍需相シュペーアのニュルンベルク裁判での供述などから再現しています。
西部ではクルーゲロンメルが自殺を選び、ルールで包囲されたモーデルも・・。
東部ではハインリーチが防戦し、シュタイナーヴェンクがベルリン救援を求められるなか、
エヴァボルマンフェーゲラインと総統ブンカーでのお馴染みの光景が繰り広げられます。

Hitlerjugend 1945.jpg

ヒトラーが自身の後継者としてデーニッツを大統領に指名した理由は
アドルフ・ヒトラー 五つの肖像」を読む際にも個人的に気になっていた部分ですが、
著者は「陸軍の将軍たちが裏切り、空軍のゲーリング、そしてSSのヒムラーまでも
裏切った今、この戦争で主役とならなかった海軍から選んだ」という見解です。
う~む。。コレはデーニッツうんぬんというより、早い話、消去法・・ですね。。

hitler-dead.jpg

全5巻を読み終えて、児島 襄の「ヒトラーの戦い」を髣髴とさせる内容で、
あの本やその他、ヒトラー&第三帝国本に書かれていたエピソードも多く、
かなりの書物の底本であるのは間違いないと改めて思いました。
違いとしてはそれらが「戦争とヒトラー」を中心になっていたのに対し、
本書はそれらを含めた、タイトルどおりの「第三帝国の興亡」だと言って良いでしょう。

特に連合軍については大雑把な作戦の推移と、ジューコフアイゼンハワーモントゴメリー
パットンといった超有名軍人の名が所々に出てくるのみです。
その分、第三帝国内についてはヒトラーを中心としてホロコースト、反ヒトラー派、
ドイツ陸軍の戦いを詳しく、バランスよくまとめていると思います。
著者シャイラーの「ベルリン日記―1934ー40」や、「第三帝国の終り―続ベルリン日記」
なんかも読んでみたくなりました。

A U.S. soldier stands in the middle of rubble in the Monument of the Battle of the Nations in Leipzig after they attacked the city on April 18, 1945..jpg

第1巻に挑む際に書きましたが、50年前に自称ナチ嫌いの米国人が書いた本ですから、
第三帝国の要人に対する嫌悪感満載で、特に戦争犯罪とホロコーストの部分については
証拠となるものが古かったり、「連合軍だってやってたろ・・」と言いたくなる所もありますが、
この時代(1960年)ではしょうがないところでしょう。
なんせヒトラーの遺骨はまだ(西側には)見つかっておらず、
アイヒマンが逮捕されたばかりという時代背景ですから。
しかし、そのようなことを差し置いても、客観的に、公平に、良く調査されたもので、
当時の資料を駆使し、知られざる第三帝国の真実を可能な限り暴き出そうとしていると感じました。
今回も無事、楽しく独破して、念願の「黒い物体」をやっつけた充実感に浸っています。









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