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ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロバート・ワイマント著の「ゾルゲ 引裂かれたスパイ<下>」を読破しました。

いよいよ差し迫ったドイツ軍によるソ連への大攻勢「バルバロッサ作戦」。
1941年6月20日、数年来の友人である駐日ドイツ大使オイゲン・オットから
「ドイツ史上最大規模の軍隊が集結している」と改めて聞かされるゾルゲですが、
すでに何度もモスクワに同様の情報を送っているものの、
その信憑性を疑問視する電報が彼の元に届くのでした。

ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈下〉.jpg

ゾルゲをも調査するドイツ大使館のゲシュタポ、マイジンガーは定期的にシェレンベルク
ゲシュタポ長官のミュラーに報告を行っていますが、彼の部屋に合鍵を使って忍び込み、
自分の報告書の評価が甘いことを確認してホッとするゾルゲの方が一枚上手。。。
そして遂に独ソ戦の火ぶたが切って落とされたというニュースが飛び込んできます。
帝国ホテルのバーで酔っ払い「あの犯罪者め!」と英語で喚き続けるゾルゲ。
「やつはスターリンと友好条約を結んでいながら背中から刺したんだ。
だが、あの野郎にスターリンは思い知らせてやるさ」。

ソ連大使のスメターニンも松岡外相の私邸に駆け込んで来ます。
「ドイツは不可侵条約を結んでいるのに、宣戦布告もなしに攻め込んでくるとは
こんな無茶な話はありません!」
ひとしきり喚いてから本題、「貴国とは中立条約を凍結しています。
政府の要請に基づいて、この条約の有効期間中は、これを忠実に守るように・・」。
このソ連政府の事実上の嘆願に対して、松岡は答えます。
「我が国も極めて苦しい立場に立っています。三国同盟は外交政策の柱であり、
ソ連との中立条約がドイツとの同盟に抵触する場合は、同盟を優先させねばなりません」。

Matsuoka_ Eugen Ott Officials Toast World War II Pact.JPG

去年はシンガポールを・・と言っていたドイツ外相リッベントロップは、今度は、
「一刻も早く、ウラジオストックを占領して、冬になる前に西に進撃して、ドイツ軍と合流せよ」
と突っついてきます。
しかし、日本の基本方針は「独ソ戦に介入せず」というもの。
それでも関東軍の若手将校たちはロシア人と戦いたがっているとの情報も踏まえて、
ゾルゲは「日本が戦闘態勢を整える1ヶ月半の間に独ソ戦の成り行きを見て、
赤軍が敗れたら参戦するのは間違いないが、敗れなければ中立維持」と結論付けるのでした。

Sorge.jpg

5年間の週の半分を一緒に過ごした花子とは「一緒にいるのは危険だから・・」と別れたゾルゲ。
大使の妻、ヘルマと不倫関係も解消しますが、彼女の方はいまだにゾルゲにぞっこん。。
音楽家のエマが、日本での新しい恋人となりますが、ヘルマとの三角関係に発展します。
著者は花子を始め、エマなど執筆当時に健在だった女性にインタビューをしたそうで、
ヴィトゲンシュタインが最初に買おうと思ったのは、この花子の書いた「人間ゾルゲ」でしたね。
表紙が怖いのでやめました。。

人間ゾルゲ.JPG

オット大使らは東条英機陸相や杉山元参謀総長、松岡外相をなんとかして説き伏せようと
躍起になりますが、陸軍武官のクレッチマー大佐という人物が登場。
「オットとクレッチマーがベルリンへ電報を・・・」などと書かれると、
Uボート・ファンとしては、一瞬、「???!!」となります。。

Otto Kretschmer  U99.jpg

ココからは独ソ戦の行方と日本の参戦問題が中心となっていきますが、
ドイツがモスクワを占領して勝つと言っているなら、参戦しなくても良いだろう。
戦利品の分け前だけ貰えれば良いし、仮に参戦しても冬までにシベリアを占領できるかもわからず、
占領したところで原料資源の獲得という緊急問題の解決にならない・・という
日本にとって、もっともな理由も理解出来ました。

戦時中の日本が描かれた本をほとんど読んだことがありませんが、
あの300勝投手「スタルヒン」の時と同様に、東京が舞台だと、なかなか知っていたり、
聞いたことのある場所などが出てくることで、70年も前の話とはいえ、とても身近に感じますね。
本書でも度々、ゾルゲが食事に訪れる銀座のローマイヤなどは、
場所こそ変わっているものの今でもありますので、今度、行ってみようと思いました。

August Lohmeyer_Ginza.jpg

やがてゾルゲの諜報網に綻びが・・。
日本人の末端防諜員である55歳の北林トモが冷たい目をした特高に逮捕されると、
芋づる式に次々に関係者が逮捕されていきます。
実は尾崎秀実以外にも共産主義者の日本人が関係しており、その他、
写真担当のヴーケリッチや、無線担当のクラウゼン、そして彼らの妻など、
本書ではチーム・ゾルゲとも言えるような、多くのスパイも登場しています。

こうして昭和16年(1941年)10月18日、特高刑事たちによってゾルゲもとうとう逮捕。。
巣鴨の東京拘置所、別名、巣鴨プリズンに召還されたゾルゲ。
外務省から知らせを受けたオット大使も驚きますが、半狂乱になってなんとかしたらどうかと
きつい口調で喚き続けるのは、ゾルゲを愛する大使夫人のヘルマです。

Helma Ott.jpg

取り調べの際、不意に泣き出して机に突っ伏したかと思うと、今度は立ち上がって
「負けた、初めて負けた!」と叫ぶゾルゲ。
精根尽き果てた痛ましい一人の人間。
本書ではゾルゲがこれほど早く「陥落」したのは、拷問もあったのでは?
と推測していますが、ハッキリはしないようです。
面会に来たオット大使と対面するゾルゲは彼を欺いていたことに苦しみ、体を震わせます。
そして長年の友人をスパイだと認めることを拒否してきたオットもショックを受け、
最後まで立ち直ることが出来なかったということです。

Eugen OTT.jpg

共産主義政党の国際組織であるコミンテルン配下のスパイとして裁こうとする警察側。
これは赤軍配下となった場合、軍事防諜活動として軍事警察(憲兵)に渡すことを嫌がる
司法当局内の派閥争いでもあるわけです。
そのような問題を知らなったゾルゲは半分騙されて「コミンテルン」と認めてしまうと、
日本の諜報員との交換で自分を釈放してくれると考えていたモスクワは、
「ゾルゲなる人物に、当方は心当たりがありません」。
ソ連はコミンテルンは自国の統制外にある国際共産主義組織であるという態度を取っていたのです。
さらにゾルゲの愛するカーチャは、ドイツのスパイという容疑で逮捕され、5年の流刑の判決。
1943年にシベリアの収容所で死亡。。

「巣鴨プリズン」では逮捕時に数千ドルを持っていたゾルゲが一番の大金持ちです。
警官たちの10倍もする、1個5円の豪勢な弁当を取り寄せ、いつ終わるやもしれぬ尋問に挑む毎日。
スターリングラードでドイツ軍が敗れたと聞いて、大はしゃぎ。
しかし、そんな彼にも遂に「死刑判決」が・・。
昭和19年(1944年)11月7日、尾崎秀実に続いて、ゾルゲも絞首刑に処せられるのでした。

R.Sorge.JPG

この「巣鴨プリズン」っていうのは、子供の頃から聞き覚えがありますが、
どこら辺にあったのかと調べてみたら、今の地名は巣鴨じゃなくて東池袋なんですね。
そして跡地には「サンシャイン60」が・・。は~、初めて知りました。
18歳の時の初日の出はココで拝みましたが、知っていたらもうちょっと感慨深かった
とも思いますが、一緒に行った女の子に「ココでゾルゲは死刑になったんだぜ・・」
なんて言っちゃって、今でいう「ドン引き」されたであろうことも間違いないでしょう。。

sugamo prison.jpg

戦後、石井花子によって改めて葬られたゾルゲ。場所は多磨霊園です。
実は「ヴィトゲンシュタイン家先祖代々の墓」もココ、多磨霊園にあるんです。
自分が死んだ暁にはゾルゲも傍にいるんだと思うと、不思議な気持ちになりました。。

1964年になってソ連で名誉回復されたゾルゲの切手も有名ですが、
東ドイツではコインも作られたりしています。
良い男・・というか、可愛らしいゾルゲですね。。
知らない子供が見たら、偉大な作家や音楽家、あるいは科学者だと思うでしょう。

DDR Dr.Richard Sorge Medaille.jpg

本書はタイトルのように、心引き裂かれていく人間ゾルゲを追及したものですが、
著者が特定のイメージを作り上げようとしているとは思いませんでした。
今まで、「酒飲みの女たらし」としか思っていなかったゾルゲと、
常に逮捕の危険と背中合わせのスパイ家業の辛さも感じましたし、
ヒトラーのドイツ、スターリンのソ連のどちらにも帰ることの出来ない苦悩も
良く伝わってくるものでした。
「人間ゾルゲ」や「ゾルゲ事件 獄中手記」も読んでみたくなりました。
映画の「スパイ・ゾルゲ」はちょっとなぁ。。











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