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仏レジスタンスの真実 -神話・伝説・タブーの終わり- [フランス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アルベール・シャンボン著の「仏レジスタンスの真実」を読破しました。

今回は実に2年ぶりとなる「フランスもの」です。
ナチス・ドイツに占領されたフランスというのは、コレが結構ヤヤコシイんですね。
まず、北フランスはドイツ軍政下になりますが、南部はペタン元帥のヴィシー傀儡政権に・・。
本書の主題である抵抗組織レジスタンスも、有名な「マキ」とか、いろいろな組織があり、
そこにロンドンからドゴールが絡んできて・・と、レジスタンスだけ取ってみても、
名の知れたジャン・ムーランもゲシュタポの手にかかって死んでしまってますし、
いろいろとレジスタンス本は出ていますが、なにかピンと来ない・・。
そこで広い視野でフランス・レジスタンスが如何なるものだったのかを知るにあたって、
1997年発刊で229ページの本書を選んでみました。

仏レジスタンスの真実.jpg

まずは巻頭に写真が20枚ほど掲載されていました。
1940年6月のドイツ軍によるパリ入場から、有名なヒトラーとエッフェル塔
同じくレジスタンスであるジャン・ムーランに、1944年、蜂起したパリ市民
そして捕虜となったドイツ軍将校と、凱旋したドゴールとルクレール将軍・・。
一番、興味深かったのはルーヴル美術館で「ミロのヴィーナス」を見るルントシュテット元帥です。
ちなみに表紙は第二次世界大戦ブックスの「パリ陥落」と同じ写真ですね。。

Paris,Gerd v Rundstedt im Louvre.jpg

本文の前に「訳者まえがき」という形で、フランスの抵抗運動に関わる事柄を年表と小文で辿ります。
コレは本文が編年体ではなく、著者が問題とする項目ごとに記述してあるためで、
日本人読者向けに親切な構成ですね。
なかでも1942年に始まった「リヨン裁判」というのは特に印象的です。
ヴィシー政府のペタンが前政権に敗戦の責任を問うという政治裁判で、
被告となったのはダラディエ、ポール・レイノーら首相に、ガムラン参謀総長ら・・。
しかし、被告らの活発な反論に合い、ヴィシー側に都合の悪い事実が明るみに出て、
2ヵ月で中断・・。この裁判は触れられたくない「占領中のエピソード」であり、
訴訟記録は未だに公開されていないそうです。

続いて本文・・の前に戦後、各国の駐在大使を歴任した著者の「まえがき」。。
「私はいかなる資格で本書を書くか」として、1909年生まれの著者が1939年の総動員に志願し、
「フランスの戦い」に参加、休戦後は地下に潜行して抵抗運動に従事し、ゲシュタポに逮捕されて、
ブッヘンヴァルト強制収容所送りとなったという経歴が紹介されます。

Logo Résistance française _Jean Moulin et Croix de Lorraine.JPG

こうして40ページからようやく第1章「占領」が始まります。
独仏休戦調停を無視して戦い続けた運動家はいくつかの組織に属し、
それらは「P0~P2」の種類に分類できます。

まずP0は、フランス上空で撃墜された連合軍パイッロトを助ける逃走ルートで働くとか、
武器などがパラシュート投下されるのを手伝ったりとかする「臨時の専従」。
それからP1が国鉄職員、警官、市町村職員といった職業を平常通り続けながら、
レジスタンスに目覚ましい貢献をした人々。
そしてゲシュタポに正体を暴かれ、完全に地下に潜り、
姓名身分を偽って生きるフランス人がP2です。
映画「大脱走」で、カフェで寛ぐドイツ軍将校を皆殺しにして、
ジェームズ・コバーン演じるセジウィックの逃走を助けるのが「P0」でしょうかね。

The great Escape_Coburn.jpg

ペタン元帥のヴィシー政府の存在と役割にも言及しています。
特に同政権が存在したおかげで解放まで、さまざまな分野でドイツの要求に
ある程度ブレーキがかかったのは事実であるとし、
「わが国の支配者としてドイツ人ガウライターが任命されるよりも
遥かにマシであったことは、今なお否定できない」。

具体例として、ペタンの下で実権を握っていたラヴァル首相が
フランスSSのトップ、オーベルクSS中将と交わした妥協案によって、
ドイツ側はフランス系ユダヤ人は拉致しないと約束し、その代償として、
外国籍ユダヤ人の引き渡しを承認するという「恐ろしい取引」を紹介。
これによってパリにいた75000名のユダヤ人が助かり、
非占領地域から27000名が引き渡されるのでした。

Philippe_Petain_et_Pierre_Laval.JPG

第2部はメインとなる「抵抗」です。
ロンドンへと亡命したドゴールの「自由フランス」は、「戦うフランス」と改名しますが、
彼に対してはチャーチルでけではなく、ルーズヴェルト大統領も敵意を持っています。
それは憲法上の合法性はヴィシーにあって、ロンドンにはなく、
これは米国のような民主国とってなにより重要です。
さらに「精神的合法性」を主張するドゴールの態度は、好機を待って権力奪取を目論む
個人的野心の表れにしか見えません。

Churchill de_Gaulle.jpg

レジスタンスの諜報活動では、一般的に1944年のノルマンディ上陸作戦に貢献したことが
良く知られていますが、本書では1940年の「バトル・オブ・ブリテン」において、
英空軍が勝利を収めたのはフランス国内の基地から飛び立つ、ルフトヴァッフェの詳細な情報と、
襲撃地点を彼らから事前に知ることができたことが大きかったとしています。
最近、「バトル・オブ・ブリテン」読んでますので、印象的な話ですね。

The French Resistance 1944.JPG

そのノルマンディ上陸作戦でも、南から救援に駆け付けようとする武装SSの「ダス・ライヒ」が
レジスタンスの執拗な攻撃を連日受けた結果、腹立ちまぎれに「オラドゥール村」で
560人の女子供を教会で惨殺してしまう件まで書かれています。

ダス・ライヒ師団長ラマーディングが第58装甲軍団に送った報告書も登場し、
「鉄道網はテロリストによって支離滅裂状態にあり、容赦ない鎮圧を断行しないために
身動きが取れず、まったく腹立たしい」。
部下で百戦錬磨のオットー・ヴァイディンガーSS少佐も次のように書いています。
「ハーグ条約を無視して、兵士一人一人を常時標的にする"マキ"の
予測できない卑劣で卑怯な行動が、部下の士気をひどく低下させている」。

weidinger_otto.jpg

この時期、統合されたレジスタンスの武装勢力は「フランス国内軍(FFI)」となり、
「秘密軍(AS)」、「軍抵抗組織(ORA)」、「義勇兵パルチザン(FTP)」の
3つの勢力で構成されています。
しかし、「義勇兵パルチザン」とは、フランス共産党が指導する「国民戦線」の軍事部門であり、
他のレジスタンスとは大きく立場が違います。
それを理解するにはフランスが占領された1940年6月というのが、
独ソ不可侵条約によってドイツとソ連が、まだ同盟国であったことを思い出す必要があります。

当然、フランス共産党員はドイツ軍に抵抗などしてはならず、
翌年、ドイツ軍が「バルバロッサ作戦」を発動したことによって、フランス国内においても
党として味方の占領軍が、はじめて敵へと変貌を遂げるわけですね。
そして戦後、共産党はこの当初戦わなかった事実を
「欺瞞工作」によって隠ぺいしようとするのでした。

Free French Partisans - members of the Resistance in Paris.JPG

ドゴールの命を受けていたジャン・ムーランが逮捕された後には、
ドゴールの政治顧問を務めていたピエール・ブロソレットもゲシュタポに逮捕されます。
しかし秘密を語るのを恐れた彼はゲシュタポ・ビルの6階から身を投げるのでした。
う~む。。さすがこの人、アンディ・ガルシア似だけのことはあります。。

Pierre-Brossolette.JPG

後半はドゴールのアピールに呼応して抵抗に決起していたのであり、
国内レジスタンスはロンドンから組織され、「戦うフランス」とは解放まで絆で結ばれていた・・
という、いまでもフランスで広く信じられている伝説と神話に挑みます。

DeGaulleBBCSpeech.jpg

1940年6月18日にロンドンBBC放送でドゴールが行った呼びかけを聞いたフランス人は
極めて少数であり、聞いた者も悲劇的な時期に外国から語りかける無名の将軍のアピールには
たいした注意を払わなかった・・ということです。
実際、地下活動をしている国内レジスタンスのことなどロンドンでは1942年にならないと
知ることもできず、情報がもたらされるようになってからも、
その貴重な情報を英国政府に伝え、おのれを売り込む手段としか見ていません。
そして解放されたパリに凱旋し、シャンゼリゼをパレードするドゴールは
レジスタンスの代表ビドーに対し、「一歩、下がってくれたまえ」と言うのでした。

general-de-gaulle-26-aout-1944.JPG

また、レジスタンスによって行われた対独協力者への略式処刑の実態にも触れています。
この数字は諸説ありますが、本書では「占領中の処刑」が5234件。
「解放中、解放後の処刑」が3114件、という数字を支持しています。

French-collaborator-executed.JPG

結局、副題となっている「神話・伝説・タブーの終わり」というのは
ほとんどドゴールに対するものであり、
「レジスタンスはロンドンからドゴールが組織、指導した」という神話に異を唱えるものです。
本書は現代のフランス人向けに書かれたものですから、
ヴィトゲンシュタインのようなレベルの日本人としては、もともと
「ドゴール神話」なるものを知らなかったので、本書の展開はちょっと違和感がありました。
また、そういった意味では、戦時中から戦後のフランスで起こったことの
ある程度の知識がないと、読んでいて苦しいかも知れません。

それに原文なのか、訳に問題があるのかはわかりませんが、
いまひとつ読みにくいハッキリしない表現が多くて、
2行くらいの文章でもナニが言いたいのか良くわからず、読み直すこと18回はありました。。
と、今回はレジスタンスの行動というよりも、ドゴールを中心とした政治的背景、
個人的には共産党と、その背後にいるソ連の存在が大変勉強になりました。

French Resistance Poster_London 1944.JPG

本書にも触れられている「パリ開放」については、アントニー・ビーヴァーの
「パリ解放 1944-49」という560ページの大作が8月末に出ましたが、
フランスといえば「ココ・シャネル」ということで、去年の12月に
戦場のクリスマス -20世紀の謎物語-」のコメントで教えていただいた、
「ココ・シャネルはナチスのスパイだった」という本も8月末に発売されていました。
タイトルは「誰も知らなかったココ・シャネル」というもので、さすがに
原題の「敵と寝て-ココ・シャネルの秘密戦争」とか、「シャネルとナチス・・うんぬん」といった
センセーショナルなタイトルではありませんが、とても気になります。







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SS‐GB [戦争小説]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レン・デイトン著の「SS‐GB」を再度、読破しました。

1940年のバトル・オブ・ブリテンのノンフィクション「戦闘機 -英独航空決戦-」を読んだ勢いで、
同じレン・デイトンの本書を20年ぶりに再読です。
本書はナチス・ドイツが英国に勝利していたら・・という、いわゆる「パラレルワールド小説」で、
同じようなものでは2年以上前にロバート・ハリスの「ファーザーランド」も紹介しています。
当時はスパイ小説家デイトンの本ということで読んでいたんですが、
今回はもちろん「独破戦線」的視点での再読で、訳者あとがきをまず読んでみると、
タイトルの「SS」は親衛隊であるのは当然ですが、「GB」はグレート・ブリテンではなく、
「グロース・ブリタニアン」と、ドイツ語読み。。
なので、この「英国本土駐留親衛隊」と訳される本書は、
「エスエス・ジービー」じゃなくて、「エスエス・ゲーベー」と発音するようです。。

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1987年発刊で上下巻あわせて619ページの文庫を本棚から引っ張り出しましたが、
原著は1978年で、日本では1980年にハードカバー、389ページで発刊されています。
今でこそ良く見かけますが、上下巻を並べるとひとつの絵になるっていうのは
格好良いですね。当時、ちょっと感動した記憶があります。
洋書でも、この「SS‐GB」をイメージしたデザインの表紙がいろいろあってまた楽しい。。

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1941年2月、英国とドイツで調印された「降伏文書」から始まります。
そしてその年の11月に発生した殺人事件の捜査を開始する主人公のダグラス・アーチャー。
彼はロンドン警視庁、スパイ小説風に書くと「スコットランド・ヤード」の敏腕警視です。
しかし、すでにドイツによって占領された英国ですから、警察庁長官はドイツ人。
気の良さそうな風貌のSS中将のケラーマンです。

例の殺人事件の捜査を進めるうち、ドイツ本国からSD(親衛隊保安部)大佐が派遣されることに・・。
SSの制服も着ずに、アーチャーらにも友好的なケラーマンSS中将に対して、
35歳のSD大佐フートは、パリッと着込んだSSの制服の袖には「RFSS」のカフタイトル。
これはお馴染み「ライヒスフューラー・SS」という
親衛隊全国指導者ヒムラー直属であることを物語っています。
いつも小説を読むときには登場人物の顔をイメージして読むんですが、
今回はフートという名前から、イングランドのストークでプレーするドイツ人CB、
ロベルト・フートをイメージして読み進めます。
日本でこんな使われ方されるのを知ってか知らずか、ドクロTシャツがお見事。。

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英国がどのようにしてドイツに屈服したのか・・?
「バトル・オブ・ブリテン」で敗北したのか、本土上陸の「あしか作戦」が実現したのかは
不明なまま、話は進んでいきますが、主人公との会話の中で、徐々に明らかになっていきます。
例えば「英国王のスピーチ」こと、ジョージ6世はロンドン塔に幽閉。

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当時、周りからの反対の声を無視して、英国空軍の軍服を着ていたチャーチル首相
ドイツ空軍の軍事法廷で裁かれる羽目となり、ヒトラーの命令によって銃殺。。
目隠しを断り、「Vサイン」を掲げて執行された・・という噂も・・。

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そしてレジスタンス組織による「国王奪還計画」を教えられるアーチャーですが、
ドイツ国防軍は、これには反対の姿勢を取らないことも知らされます。
すなわちこの1941年という時代、「SS」はまだ発展途上の組織であり、
前年のフランス占領でもそうだったように、国防軍とSSとの権力争いがあるわけですね。

貴族の多い国防軍と陸軍参謀本部からしてみれば、英国王を保護しているのが
自分たちではないことは、名誉に関わることであり、面白くありません。
もし、レジスタンスによって成功すれば、責任者のケラーマンはお払い箱、
さらに成り上がり者のSSの信用が失墜することも望んでいるわけです。

う~ん。なるほどねぇ。こりゃ、ナチス・ドイツに詳しくなかった20年前の小僧では
とても理解できない展開ですね。

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下巻に入ると、レジスタンス側の大物である元英国軍防諜部の大佐であるメーヒューが、
ドイツ軍防諜部(アプヴェーア)のカナリスの幕僚で、徹底した反ナチの少将フォン・ルッフと対談。
アーチャーは自分の捜査する殺人事件が、原爆研究に絡んだものであり、
イングランド南西部デヴォンの研究施設をドイツが接収し、核を生産しようとしていることも知ります。
そして殺人事件捜査のボスであるフートも、核研究を国防軍からSSのモノにするという
任務を背負っているのです。

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気の良い"おやじ"ケラーマン長官、厳格な直属のボス、フートも、お互いを嫌い合う関係。
刑事として最高の能力を持つアーチャーを自分の味方に引き入れようと、脅したり、なだめたり・・。
さらにレジスタンスとも協力するアーチャーは、3方向に良い顔を見せていなければなりません。

爆撃で妻を亡くしたアーチャーには息子がいますが、
「パパはゲシュタポの手先なの?」と聞かれる始末。。
しかし子供たちの学校ではナチス・コレクションが流行っていて、
どうにか友達の誰も持っていない「SD」のバッチを手に入れられないか・・とせがむのでした。。。

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こういうマニアックな話では、途中で登場する酔っ払ったドイツ軍兵士も面白かったですね。
彼が胸に付けている勲章は「英本土戦闘従軍章」です。
ドーヴァー海峡を渡った敵前上陸の第一波で負傷し、しかもそれが「金章」であることを自慢します。
もちろん、こんな勲章は存在しませんが、「あしか作戦」が成功していたら間違いない話でしょう。

ロンドンにはソ連関係者もいたりします。
特に記述はありませんが、英国が降伏したので「バルバロッサ」は発動されておらず、
独ソ不可侵条約が守られたままの友好国なんですね。
そして亡命先のロンドンで葬られているカール・マルクスの遺体を掘り起こし、
レーニン廟へと運ぶため、リッベントロップ外相モロトフ首相立会いの下、
ゲッベルスの手による大々的な催しがハイゲート墓地で始まりますが、その時、爆弾が爆発。
PK(宣伝中隊)映画撮影班と、「ホルスト・ヴェッセルの歌」を新作の歌詞で合唱する
任務を与えられていた赤軍合唱隊の兵士たちがばらばらに・・。

スターリンが首相になったのは「バルバロッサ」直前の独ソ緊張状態の最中ですから、
このモロトフ首相兼外相というのも正しいと思います。
また、ヒトラーやスターリンが出席しないのもリアルな感じがしますし、
そもそも本書に2人の独裁者は登場しません。

Molotov Ribbentrop.jpg

このテロ事件によってロンドン市民は片っ端から検挙されます。
ロンドン西部地区の拘禁センターとなったのは「ウェンブリー・スタジアム」。
東部地区なら「ロイヤル・アルバート・ホール」が逮捕された人々の連行場所です。
ヴィトゲンシュタインがロンドンに行ったとき、「ウェンブリー・スタジアム」の取り壊しが決まっていて、
一度その姿を見ておきたかったんですが、時間が無くて・・。いまだに後悔しています。
「ロイヤル・アルバート・ホール」といえば、大好きな映画「ブラス!」ですね。
コレ書き終わったら、クイーンの「ライヴ・アット・ウェンブリー・スタジアム」のどっちか観ますか。。

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敵か味方かわからないフートは、珍しく酔っ払って「長いナイフの夜」において、
レームに次ぐ大物SA隊長、カール・エルンストを逮捕した過去も語り、
スパイのような米国人女性ジャーナリスト、バーバラと恋に落ちるアーチャーも
逮捕された友人の刑事部長ハリーを救出に向かう最中、
「魚とじゃがいもを揚げたのだって?」と異常なまでに惹かれ、揉め事まで起こします。
この食料が配給制となっているロンドンのジャンクフードにまつわる話が8ページも続くと、
「あ~、フィッシュ・アンド・チップスか・・」と納得。。まぁ、ちょっと古い本ですからねぇ。
ちなみにヴィトゲンシュタインはイングランドとスコットランドに滞在した10数日間で
フィッシュ・アンド・チップスを食べなかった日はありません。

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英国王を救出した暁には米国に連れ出そう・・という計画が立てられるものの、
ルーズヴェルト大統領にとっては「お荷物」にしかならない。
国王にホワイトハウスの一室を与えるのか? 宮殿を建ててやらねばならないのか?
といった情報も米国からもたらされます。
もはや偉大な英国王の価値は「原爆データ」とセットにしかならないのです。

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遂に「ロンドン塔」から国王を連れ出すことに成功するアーチャー。
しかし米海兵隊が急襲したデヴォンの研究施設で、
独米軍による激しい銃撃戦に巻き込まれるのでした。

と、まぁ、小説なのでこんなところで終わりにしますが、
主人公のアーチャーこそ無事に生き残りますが、本書のヒロインであるバーバラは、
ゲシュタポによって殴り殺され、国王ジョージ6世も、銃撃戦の犠牲となります。
こういう惨さはやっぱり英国の作家だなぁ・・と思いますね。
今度読む予定の「爆撃機」も、おめでたい展開ではない気がしてきました。

SSGB_Len Deighton.JPG

最後にはアーチャーが従えた3人、ケラーマン、フート、そしてメーヒューの運命。
誰が最高の策士だったのか・・?
アーチャーは最後に言います。「さようなら、連隊指揮官殿」。













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戦闘機 -英独航空決戦- [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

レン・デイトン著の「戦闘機 -英独航空決戦-」を読破しました。

英国スパイ小説の大家であるレン・デイトンの戦争ノンフィクションは
以前に「電撃戦」を紹介していますが、本書はその後に続いて起こった1940年の
「バトル・オブ・ブリテン」のノンフィクションです。
コレを買ったのは4年前ですが、1983年発刊のハードカバー上下2段組で457ページという大作で
1998年には上下巻の文庫で再刊されています。
よくよく考えてみると、「バトル・オブ・ブリテン」に特化した本を読むのは初めてですねぇ。

戦闘機.jpg

全5部から成る本書の第1部は「戦略」です。
1940年6月にドイツ軍の電撃戦によって降伏したフランス。
ヒトラーは対英戦の戦略として英本土上陸の「あしか作戦」を策定を命じますが、
当時、敵前上陸の経験を積み、専用の装備を持っていた陸軍は、
1938年に揚子江沿岸でそれを実施していた日本陸軍だけ・・。
ほんの真似事のような実験を始めていた米海兵隊を除けば、
世界の陸軍首脳にとって敵前上陸の戦技の類などは、一顧だにする価値もありません。

ベルリンのクロル・オペラハウスでは西方戦の大勝利によって1ダースの「元帥」が製造。
本書によると元帥とは、「各省大臣よりは上席につく」という大変な権限です。
そのうち3人の空軍元帥、航空省で筆頭の地位にあるミルヒ
第2、第3航空艦隊司令官のケッセルリンクシュペルレ
そして特別の元帥杖に、「国家元帥」という別扱いの称号をもらったのは
ドイツ空軍総司令官たるゲーリングです。

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こうして本書の主役の一人、ゲーリングの生い立ちからが6ページほど、
続いて新生ドイツ空軍誕生の歴史として、ドイツ航空界の立役者で反ナチのフーゴ・ユンカースと
悪代官ミルヒの対立、第1次大戦時のエース、ウーデットの登用と続き、
スペイン内戦」ではコンドル軍団のガーランドメルダースも紹介されます。

1939-Legion Condor on its return from Spain.jpg

と、第1部は意外にもドイツ空軍の歴史に終始しますが、第2部のタイトルは一転して、
「彼ほどゲーリングと似ても似つかぬ人間を求めることは難しい」と紹介される、
「空軍戦闘機軍団司令長官 空軍大将サー・ヒュー・ダウディング」です。
結婚後、2年で妻に先立たれ、乳飲み児を男手ひとつで育てる彼は、
生涯を空軍に尽くす態度ですが、人付き合いが嫌いで内向的。

1930年代には空軍最高会議のメンバーに列され、この大事な期間に
それまでの木製複葉戦闘機から、全金属製単葉戦闘機への移行が断行され、
複葉機党の猛烈な反対にもかかわらず、1935年にはハリケーンが初飛行し、
その数ヵ月後にはスピットファイアの原型機がロールアウト。
さらにはレーダーは軍用に使えると予測を立て、
指揮管制システムの研究開発にも取り掛かるのでした。

Lord-Dowding---Hurricane.jpg

戦闘機軍団司令長官といっても、彼の上には空軍参謀総長ニューオールに、
新設の航空機生産相ビーヴァーブルック、空軍大臣シンクレア、そして首相のチャーチルがおり、
1940年5月にドイツ装甲軍団がアルデンヌの森を突破して、ムーズ川に架橋すると、
英爆撃機軍団によるルール地方の石油工業地帯への夜間爆撃が閣議決定されます。
これに対してフランスは半狂乱になって「ルールを爆撃したところで
現にフランスを席巻中のグデーリアン軍団の行動には何の影響も与えることにはならない」と抗議。。
結局、ダウディングのハリケーン戦闘機中隊がフランス支援のために10個単位でもぎ取られ、
英本土の戦闘機中隊は半減して、わずか26個という危険な状況に・・。

With our flags is the victory! 1940.jpg

ここまで、「バトル・オブ・ブリテン」に至るまでの独英の重要人物と戦局が述べられましたが、
第3部は「兵器 -全金属製単葉機とレーダー」です。
ヴィリー・メッサーシュミット、シドニー・カム、レジナルド・ミッチェルという3人。
最初の人物がBf-109の設計者であることは知っていますが、
残りの2人はそれぞれハリケーンとスピットファイアの設計者です。
㈱ホーカー航空機製造で製造されたホーカー・ハリケーンの誕生の過程、
㈱スーパーマリン航空機製造で製造されたスピットファイアも同様に、
ロールス=ロイス社のマーリン・エンジンなどにも詳しく触れています。
このマーリンというのはハヤブサの一種の小型コンドルの名だそうで、
実はスーパーマリンって、マリーン・エンジンのことだと思っていました。恥ずかしぃ。。
もちろんロールス=ロイス社に対抗する、Bf-109のダイムラー=ベンツ社のエンジンや、
装備された機関銃、機関砲についても詳しく比較しています。

hawker-hurricane.jpg

レーダーによる英本土防空システムも完成し、双方の戦力分析に進みます。
上記に挙げた戦闘機だけではなく、攻める側のドイツ空軍には様々な爆撃機も存在します。
「空飛ぶ鉛筆」こと、Do-17は、ヴィリー・メッサーシュミットの強欲な
ダイムラー=ベンツ社のエンジン独占のあおりを喰らい、
同じくHe-111も、ユモ・エンジンに装備替えすることを余儀なくされて、
ドイツ双発爆撃機のなかでも最も鈍足な機体となり果てるのでした。

Heinkel He 111.jpg

その他Ju-88Ju-87シュトゥーカBf-110なども紹介され、
搭乗員の養成方法まで比較。
ドイツ爆撃機乗員で特記すべきこととして、「機長となるのはパイロットではなかった」
という話は面白かったですね。
これは機長たる者、航法や無線、機上射撃や爆撃照準に至るまで、すべてをひと通り
こなし得る者でなければならなかったそうですが、戦争が進むにつれて
機長兼操縦手といったバッチを2種類付けて、尊敬され、幅を利かせるた機長も増えたそうです。
なんとなく、戦車の車長やUボート艦長のようですね。

Me-110.jpg

最後の比較は司令官。
防衛側のダウディングの下、南部の戦闘第11集団司令官となったキース・パーク少将に
ドイツ空軍第2、第3航空艦隊司令官のケッセルリンクとシュペルレを紹介し、
いよいよ240ページからメインの第4部「戦術 -戦闘の記録」へと進みます。
本書では最初と真ん中に多数の写真が掲載され、本文中にも各種図が出てきますが、
「ウーデット画」という、ミルヒにシュペルレ、ケッセルリンク、ガーランドとメルダースの絵が
掲載されていて、コレが実に楽しいんですねぇ。

ウーデット画.jpg

1940年7月に始まった「バトル・オブ・ブリテン」の第1段階は「海峡航空戦」です。
新設の海峡航空戦指揮官に任命されたのは爆撃第2戦隊指令のヨハネス・フィンク大佐。
そして戦闘機隊の第1次大戦で32機撃墜のエースで、このバトル・オブ・ブリテンでは
第51戦闘航空団を指揮しながらも、自ら飛び立ちエースとなるテオドール・"テオ"・オステルカンプは
著者のお気に入りのようで、30歳になったら飛行機を降りるのが普通であるにも関わらず、
この48歳のオステルカンプを筆頭に、独英双方の51歳までの老人パイロットも紹介します。
ちなみにオステルカンプは1892年生まれですが、同い年のエースにあの
「レッド・バロン」リヒトホーフェンがいるわけですら、その超ベテランふりがわかろうというものですね。

Theodor Osterkamp, Werner Molders.JPG

この「海峡航空戦」はドーヴァー海峡の英船舶を攻撃するものですが、
英空軍が船団護衛のために兵力を割けば、際限のない消耗戦に巻き込まれ、
それこそドイツ側の思うつぼ・・。
反対にこの誘いに乗らなければ、ドイツ爆撃機隊は思う存分、
英船舶をなぶり殺しに出来るわけです。
ここからは1日単位で独英双方の戦いを振り返ります。
まだまだ戦闘機隊同士は、小手調べという感じですが、スペイン、ポーランド、フランスと
実践を積んできたドイツ空軍の方が技量も戦術も有利に進んでいます。

Luftkampf_England.jpg

8月には第2段階「鷲の攻撃」作戦が始まりますが、
ゲーリングから下令されたその攻撃目標は、敵船舶ならびに海軍諸施設に始まって
英空軍の全兵力ならびに全施設。航空機産業ならびに全関連産業。
果てはドーヴァーからスカパ・フローに至るまでの英海軍全艦艇が列挙され、
それらの優先順位も決められていないという、およそ「戦略目標」とはいえない、
中途半端で、実にお粗末なものです。

それに輪をかけてドイツ空軍情報部の怠慢によって、英航空機産業の実態把握に欠け、
ハリケーンとスピットファイアのマリーン・エンジンを製造している工場が、
英国の小学生でも知っている2ヵ所でしかなく、そのひとつは世界中に所在地の知れ渡っている
ロールス=ロイスの本社工場であり、スピットファイアの機体の製造工場に至っては、
ドイツ爆撃隊がひとっ飛びの南部のサウザンプトンにあるスーパーマリン社工場。。

Supermarine factory.jpg

デンマークやオランダの基地からもシュトゥンプの第5航空艦隊の爆撃機隊が英本土を目指します。
対するのは英戦闘第12集団司令官のリー=マロリー少将です。
お~と、この人は「将軍たちの戦い」にも出てきた人ですねぇ。
本書でも兵力小出しで防戦するパークとダウディングに難癖をつける軍人として紹介されています。
そして第3段階である南西部の基地に対する攻撃においてゲーリングは
「レーダーサイトへの攻撃に利するところがあるのかは疑わしい・・」と
この大戦における最大級の見込み違いを起こすのでした。

Battle of Britain_Chain Home tower.jpg

さらにシュトゥーカやBf-110などの爆撃機に損害が増えてくるとゲーリングは、
Bf-109戦闘機による密接な護衛を命じます。
ましてや天候不良などで護衛任務から離れた者は軍法会議という脅迫付き・・。
戦闘機乗りにとって、航空戦闘の絶対的条件である高度と速度を完全に奪われ、
爆撃機1機に対して、3機から4機ものBf-109が護衛機の役割に甘んじなければなりません。

Battle of Britain.jpg

本書にはガーランドやメルダース、トラウトロフトハインツ・ベーアといった
永久にその名を残す戦闘機乗り以外にも
ドイツ軍、英国連邦軍双方のパイロットたちが登場してきます。
しかし、よくありがちな「□□中隊の○○少尉は△機撃墜・・」という記述の乱立ではなく、
まるで小説に出てきそうなバックボーンを持ったパイロットや、珍しい空戦のエピソードが主体で、
「さすが小説家!」と思わず唸ってしまいます。

1969年の映画、「空軍大戦略」でも見直したくなりましたが、
この映画にはガーランドもアドバイザーとして協力しているようですね。

Adolf Galland with Manfred Reddermann, who plays Major Falke.JPG

攻撃目標が識別できなかった場合には、爆弾を持ち帰ったり、
列車などの「非軍事目標」を攻撃したパイロットが、メルダースに叱責されたり、
海峡で白い煙を曳いているハリケーンを発見し、その敵機を英国本土まで付き添って
守り通してあげたというエーリッヒ・ルドルファーの回想も紹介し、
1940年はまだ高潔な軍人精神が残された"良き時代"だったのであり、
戦争にロマンチシズムを留めていた、この世で最後の戦争だったのであるとしています。

Erich Rudorffer.jpg

いよいよ9月の第4段階に始まったのは「ロンドン爆撃」です。
ケッセルリンクは100機の爆撃機に400機の護衛戦闘機を付けて英国の空に送り出します。
しかし訪れようとしている秋の不順となる天候まで、絶滅しないで、
ともかく存続し続けるということだけに戦略的勝利を求める英戦闘機軍団の抵抗の前に、
ドイツ空軍は消耗し、ヒトラーの眼も、すでにソ連の地図の上の向いているのでした。

Battle of Britain_London.jpg

最後の第5章では、偉大な戦略的勝利をもたらしたダウディングとパークに対し、
「大罪人」としてつるし上げる英空軍の話が印象的でした。
リー=マロリーは持論の大兵力結集の作戦指導がいかに優れていたかと説き、
結局、パークは左遷され、ダウディングは空軍に留まることも許されません。

70th anniversary of The Battle of Britain and Festival of Stamps London 2010.jpg

この「バトル・オブ・ブリテン」におけるドイツ空軍No.1エース争いはメルダースとガーランドによって
繰り広げられますが、終わってみれば56機で逆転優勝したのはヘルムート・ヴィック少佐でした。
あまり知らない人ですが、それもそのはず、12月には撃墜され、冬の海で戦死してしまうんですね。
頭はちょっとイってますが、これでも25歳です。決して泳ぎの練習しているわけではありません。。
一方の英空軍のエースはチェコスロヴァキア人のヨセフ・フランティシェクで、
彼の一匹狼的な戦いざまも紹介されます。

Helmut_Wick.JPG

英国人の著者ですが、独英どちらかに肩入れしているわけではなく、公正公平。
割合は6:4でドイツですかね。これは攻撃側がドイツ空軍という理由ですが・・。
そして著者がダメと思ったものは、キッチリとダメ出しするあたりも好感が持てますし、
ドイツ側のダメ人間はゲーリングとミルヒ、英国側はチャーチルとリー=マロリーとなっています。
そしてなんと言っても文章が面白いんですね。
訳者さんのあとがきでも原文の凄さに触れていますが、
個人的には訳者さんの力に負うところも大だと思います。

LEIGH-MALLORY.jpg

いや、しかし、レン・デイトンの本はやっぱり面白いですねぇ。
「電撃戦」もなかなか面白かったですし、
本書と同時に「爆撃機」という英空軍のルール爆撃小説も買っていたので、
近いうちに読もうかという気になりましたが、
その前に、20年ほど前に読んだ著者の「アレ」を再読することに決めました。
本書の戦いの結果が違っていたら・・? というあの小説です。
もう、内容はスッカリ覚えていないので楽しみです。









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ニセドイツ〈1〉 ≒東ドイツ製工業品 [ドイツの都市と歴史]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

伸井 太一 著の「ニセドイツ〈1〉」を読破しました。

先日の「スターリン・ジョーク」にいくつか出てきた、東ドイツ・ジョークから
ちょっと気になっていた2009年発刊で159ページの本書に流れてきました。
タイトルの「ニセドイツ」とは「贋」ではなく、「西ドイツ」のシャレのようで、
「似せ」とか「2世」にも引っ掛けてるようです。
「ゲルマン職人魂+ボリシェヴィズム=ニシモノっぽい!」ということになるようですが、
いったい、どんな本かを簡潔に説明するのは難しいので、早速、内容を紹介してみましょう。

ニセドイツ1.jpg

まずは「トラビ」という愛称の自動車、「トラバント」からです。
ヴィトゲンシュタインは車には疎いので、なんとなく聞いたことのある名前・・という程度ですが、
そういえば、TVで見たことありますねぇ。
ドイツ人マニアが何台かで集まって街中を走るってヤツでした。
1950年代に東ドイツの化学工業が生み出した熱硬化性プラスチックのボディ。
しかし80年代に物資が不足すると、紙繊維が混ぜられて「走るダンボール」のニックネームが・・。
そんな「スターリン・ジョーク」ならぬ、「トラビ・ジョーク」もいくつか紹介されます。

「トラビが最高時速になるのはいつ?」
「それはレッカー車に引かれている時だよ」。

TRABANT P 50_1.jpg

続いては高級車、ヴァルトブルクが登場しますが、この会社の歴史が面白いですね。
アイゼナハ市の工場は戦後、ソ連占領地となりますが、戦前から関係のあった
「BMW」の商標をそのまま使って車を製造し、
西ドイツの「BMW」が敗戦によって自動車生産がストップされているのを尻目に、
オランダ、ベルギー、そして西ドイツにまで輸出。
しかし復活したバイエルン州の本家の前に、東ドイツの国営企業となっていたアイゼナハ社は
「Eisenach」の頭文字を使って「EMW」へ。。
本書にもエンブレムのカラー写真が掲載されていますが、
比較するとこんな感じ・・。赤というところが、さすが「共産主義車」です。

BMW_EMW.jpg

その他、東ドイツのワゴンにトラクター、バイクにスクーターなどもカラー写真たっぷりで紹介。
自転車の項では「自転車発祥の国であるドイツは・・」というのに驚きました。
そ~ですか。。知りませんでした。。

続いては「鉄道」です。
ベルリンの高速鉄道(Sバーン)の環状線が東京の山手線の元になっているという説に始まり、
東西ベルリンを隔てる壁が構築されても、地下には壁が存在しません。
そこで壁を越えた西ベルリン側の地下鉄は東ベルリンの駅には停車せず、
「幽霊駅」となったそれらの駅には国境警察の見張りつき。。

geisterbahnhof_Border soldiers guard the S-Bahn station.jpg

1926年に設立された「ルフトハンザ」も、戦後、東ドイツが民間航空会社として復活させますが、
惜しくも3か月前に、西ドイツで公式な「ルフトハンザ」が誕生しています。
ここでも結局、「BMW」と同様に敗北する「オスト・ルフトハンザ」。。

ラジオとラジカセといった電気製品。そして1952年に発売された最初のテレビ受信機は、
その名前の凄さにぶっ飛びます。その名も「レニングラード」。。
1950年代後半から、東ドイツのプロパガンダ番組を批判する
西ドイツのTV番組「赤いレンズ」が放送を開始すると、
負けじと東ドイツも、西ドイツの殺人、暴力事件、汚職、ネオナチなどのスキャンダルを扱った
日本のワイドショー的番組「黒いチャンネル」を放送します。

ニセドイツ1_2.jpg

カメラやミシン、タイプライターと続き、70年代から進められていたコンピュータ開発。
その会社名は「ロボトロン」です。
この項でも、この「ロボトロン・ジョーク」が楽しめます。

「どうしてシュタージがロボトロン内臓の盗聴器を仕掛けたって気づいたんだ?」
「部屋にタンスがひとつ増えていて、家の入口に簡易小屋が建っていたんだよ・・」。

そして「ロボトロンこそが、世界最大の"マイクロ"・コンピュータだ!」

後半は「集合住宅」などの建築物が紹介されますが、
東ドイツの人民議会堂も兼ねた「共和国宮殿」は興味深かったですね。
ココはもともとは「ベルリン王宮」があった場所ですが
1945年、連合軍の攻撃によってこの王宮は廃墟と化し、
東ドイツ政府の意向によって取り壊されて、やがて「共和国宮殿」が建築されます。
しかし、ドイツ統一後、今度はコレが閉鎖、解体され、
現在、「ベルリン王宮」の再建工事が始まっているそうです。

Berliner Stadtschloss_Palast der Republik.jpg

東ドイツ当時の彫像、銅像といった類も、巨大なレーニン像にマルクスなど
統一後は、撤去されたものもあれば、残されているものもあるそうで、
特にヒトラー台頭時代のドイツ共産党党首テールマンの銅像の写真では
「小さく"ファイト"って感じの手がかわいい」というキャプションが絶妙です。

Ernst Thälmann.jpg

東ドイツ軍というのは、ほとんど何も知らなかったんですが、
「国家人民軍」というそうで、軍服などは「ドイツ国防軍」を踏襲しているそうです。
本書の写真ではよくわからなかったので、いろいろと調べてみましたが、
襟章はそのままで、軍服の色は陸軍、型は空軍って感じですか・・?

Luftverteidingung Oberfähnrich_Luftstreitkräfte Leutnant.JPG

「勝手に東ドイツ国営企業カタログ!!」とも紹介されているとおり、
写真たっぷりのオールカラーで、見ているだけでも楽しい一冊でした。
159ページですから、1日2日で読み終わってしまいますが、
お値段1995円というのは最初、高いかな?とも思いましたが、この内容なら妥当ですね。

最後は現在でも旧東ドイツの諸都市には必ずあるという
1945年にヒトラーからドイツを開放してくれた「ソ連兵の顕彰と慰霊碑」が印象に残りました。
掲載された写真は「ゼーロウにあるソ連兵顕彰碑」で、
この場所は「最終戦」で有名な、あのゼーロウ高地のようですね。
コレは一度、実物を見てみたくなりました。

ニセドイツ1_3.jpg

タイトルからしてそうですが、本文もダジャレが満載で、
人によっては少々、鼻に付くかもしれませんが、個人的には許容範囲でした。
著者は2006年から3年間、ベルリンに住んでいたこともあるようで、
単に登場する製品を専門的に分析したり、そのダメさ加減をうんぬんするだけではなく、
逆に出来の悪い物に対する愛・・も感じましたし、
戦前から東西分割、そして1989年の統一後までの関連する歴史にも言及していて、
そのような大きな歴史の中での人々の変化の過程も理解することができました。

本書と同時に発刊されたらしい「ニセドイツ〈2〉≒東ドイツ製生活用品」は
コックの料理本、ロック、宝くじ、ファミコン、エロ本、カフェ、ファッション、家具、キャラクター、
といった雑貨が中心のようで、ひょっとしたら、個人的にはコッチの方が
面白かもしれぬ・・と思っています。
また、今年の2月には、懐かしい西ドイツ製品を紹介する
「ニセドイツ〈3〉ヴェスタルギー的西ドイツ」も出ていて、コッチも気になりますね。







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死闘ケーニヒスベルク -東プロイセンの古都を壊滅させた欧州戦最後の凄惨な包囲戦- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マクシム・コロミーエツ著の「死闘ケーニヒスベルク」を読破しました。

今回でやっと5冊目となった「独ソ戦車戦シリーズ」からの1冊です。
1945年初頭のケーニヒスベルクの戦いは、今まで何冊かの主に最終戦モノに書かれていました。
そしてこの東プロイセンというのは、ソ連軍がはじめてドイツ本土に侵攻し、
その後のベルリンを凌ぐほどの暴虐の限りを尽くしたとも言われており、
また、シュタウフェンベルク大佐が仕掛けた爆弾が破裂したのも、
この東プロイセンにあった総統大本営「ヴォルフスシャンツェ」だったことでも有名ですね。

死闘ケーニヒスベルク.jpg

第1章は「独ソ双方の兵力と計画」で、1945年初頭のソ連軍による東プロイセン計画と
防衛体制を敷くドイツ軍を細かく分析します。
西へ主攻勢を取る第3ベロルシア(白ロシア)方面軍は第2親衛軍を含む5個軍から成り、
方面軍司令官はチェルニャホフスキー上級大将です。

soviet-280mm-artillery-east-prussia-january-1945.jpg

コレ対するドイツ軍中央軍集団は第3装甲軍と第4軍で総兵員数は20万人。
このなかには精鋭の降下装甲擲弾兵師団「ヘルマン・ゲーリング2」や
第5装甲師団など16個師団ですが、国民擲弾兵師団や警察連隊といった部隊の名も。

German soldiers in Königsberg with a MG 151 20 gun. The winter of 1945.jpg

また南からは第2ベロルシア方面軍が北西に進撃します。
こちらに対してもホスバッハ大将の第4軍と、ヴァイス大将の第2軍が対峙。
第2章では準備状況を説明して、第3章で1月13日の「ソ連軍攻勢開始」です。
しかし、この攻勢を予期していたドイツ軍は、40個大隊に上る砲兵によって
強烈な先制攻撃を仕掛けるのでした。

Friedrich Hoßbach.jpg

それでも兵員数、装備に圧倒的に勝るソ連軍は攻勢を進めます。
写真も撃破されたパンターや突撃砲などが登場してきますが、
必死の防戦でソ連軍の進撃も失速。

Танк ИС-2 преодолевает бетонные противотанковые.jpg

相変わらずこのシリーズはソ連側は異常に詳しく書かれているものの、
ドイツ軍側はやや大雑把だぁ・・と思いながらも日本の「監修者注」も合わせて読んでいましたが、
40ページほど読んで、第5装甲師団は1月15日だけで敵戦車40両、
翌日は84両を撃破・・と報告し、ハイマン少尉は単独で敵戦車25両撃破して、
騎士十字章を授与されたとなると、この情報の細かさに思わず表紙の「監修者」を確認・・。
するとソコには「高橋 慶史」氏の名前が。。
なるほど~。完全に「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」並みの書きっぷりでした。

east-prussia-A Panther from the 31st Panzer Regiment of the 5th Panzer Division.jpg

第2ベロルシア方面軍の攻勢に立ち向かうのはグロースドイッチュランド師団です。
しかしその抵抗も打ち砕かれ、バルト海に進出するソ連軍。
ココでも撃破されたグロースドイッチュランドのティーガーの写真に、
表紙の沼に沈み込むⅣ号突撃戦車ブルムベアの別角度の写真が登場。
このブルムベアもグロースドイッチュランドのようですね。

2月にはソ連軍の手に落ちたエルビングの大規模な修理工場の写真や
鹵獲された対戦車砲、そして綺麗に山積みされたモーゼル98Kの写真が印象的でした。
いったい何丁あるのかなぁ。1000丁以上は軽くあるように見えますね。。

После боя в районе Кенигсберга - StuG III G.jpg

第25フォルクスシュトルム大隊(国民突撃隊)というのも登場しますが、
「監修者注」では大管区ごとに編成された国民突撃隊は、
その大管区の番号が付与されているということで、
この第25は「東プロイセン国民突撃隊」となるそうです。
いやいや、とても勉強になりました。

TiburzyErnst_Deutscher Volkssturm Bataillonsführer from Königsberg.jpg

第3ベロルシア方面軍の進撃の前に第4軍のホスバッハは、独自の判断で退却し、
西プロイセンに撤退中の第2軍と合流すると中央軍集団司令官ラインハルト上級大将に報告。
ラインハルトもヒトラーの承認を受けないままに同意すると、
コレを知ったヒトラーによって2人揃って罷免・・。
レンドリックとフリードリヒ=ヴィルヘルム・ミュラー大将が後任となるのでした。

Friedrich-Wilhelm Müller.jpg

そして「第4軍は逃げようとしているが、私は国民突撃隊を伴って、東プロイセンを死守する」と
威勢の良い報告をヒトラーに送ったガウライターのエーリッヒ・コッホ
ケーニヒスベルクが包囲されるやいなや、高速ボート数隻に家財道具一式を乗せ、西方へと脱出。。
実はワリと有名なこんな2つの話も、書かれているのはやっぱり「監修者注」なのです。

Koch Königsberg, 27. Deutsche Ostmesse, Ausstellung.jpg

古都ケーニヒスベルクへの近接路は、1932年から数々の要塞地帯が構築されています。
それらを攻撃、壊滅させながら、「本丸」ケーニヒスベルク要塞へと向かうソ連軍。
ソ連空軍によって破壊された装甲列車の写真も登場しつつ、
この要塞を残すだけとなり、第2ベロルシア方面軍はお役御免。
しかし第3ベロルシア方面軍司令官チェルニャホフスキーがメルザス地区で重傷を負って死亡。
方面軍司令官ともあろう者がドコにいたのか・・? 以前から不思議に思っていましたが、
本書でも「壮絶な戦いで・・」と書かれているだけでした。

chernyakhovsky.jpg

こうしていよいよ117ページからケーニヒスベルク要塞へ・・。
市の中心から8~15キロのところに外環状防衛戦が走り、
その内側6~8キロに第1防御線が配されています。
鉄筋コンクリートのトーチカなどで築かれた15個の堡塁は、それぞれ名前が付けられ、
「フリードリッヒ・ヴィルヘルムⅠ世」や「グナイゼナウ」など実に強そうな堡塁です。
そして市の周緑を走る第2防御線、さらに中心部である旧市街を囲む第3防御線から成っていて、
要塞図にトーチカ、古城の角塔の写真も掲載されており大変、結構です。

A destroyed German Stug 3 lies near the Kronprinz Barracks. April 1945. The barracks were one of the strongest German fortifications in Koenigsberg.jpg

4月6日、ソ連軍攻撃開始。
本作戦のために全ソ連空軍の1/3が集められたという、圧倒的な空爆。
そして砲兵に戦車、歩兵が突入。
本文ではケーニヒスベルクのドイツ軍守備隊は10万名としていますが、
例の信憑性の高い「監修者注」では多めに見積っても3万5千名としています。
その結果、要塞司令官のラッシュ将軍は4月10日には降伏。
そのラッシュ将軍のコメントも掲載されていました。

German POW in Koenigsberg. April 1945.jpg

とにかく、このシリーズはソ連側から見た独ソ戦車戦ですが、
本書は訳者あとがきにも述べられているとおり、高橋 慶史氏のドイツ軍に関する
徹底した情報が過去に読んだシリーズとは一線を画していました。
すなわち、本文で戦局の状況を攻撃するソ連軍中心で理解しつつ、
ドイツ軍ファンは同ページにある「監修者注」で、ドイツ軍の耐えっぷりをマニアックに楽しむ・・
ということですね。

Battle of Königsberg.jpg

また、このあとがきでは、念願の東プロイセン北部を占領したソ連は、
ドイツ人住民ほぼ全員を強制退去させ、自国から50万人を移住させて「カリーニングラード」へ改名。
この土地を帝政ロシア時代から憧れだったとして、プロイセンとロシアの歴史と因縁。
さらにケーニヒスベルク王宮にあった「琥珀の間」は、ソ連軍が奪還すべく突入した時には
忽然と姿を消し、現在もその行方知れず・・という話も紹介します。
この話、好きなんですよねぇ。コッホが持ち去ったとか、いろいろ説がありますが、
「ロシアの秘宝「琥珀の間」伝説」という本も以前から読んでみようと思っています。

Amber Room.jpg

そもそも攻城戦というのは個人的に好きなテーマであり、
ケーニヒスベルク要塞が、ココまでちゃんとした要塞だったというのも、
本書の写真を含めて改めて理解できました。
こうなったら、ぜひ、守備側のドイツ軍から描いたものを読んでみたいですねぇ。
ですが、その前に高橋 慶史氏の「ラスト・オブ・カンプフグルッペIII 」が遂に
今月の26日に発売になるので、当然、コッチです。速攻、買いますよ!







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