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ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉 [ロシア]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロバート・ワイマント著の「ゾルゲ 引裂かれたスパイ<上>」を読破しました。

日本で第2次大戦における最大のスパイは・・?というと、やっぱりゾルゲでしょうか。
この「独破戦線」でも何度か「ゾルゲ・・」って書いたなぁと思って検索してみると、
焦土作戦」から「ヒトラーとスターリン -死の抱擁の瞬間-」まで、計6冊に書いていました。
半年ほど前から何か「ゾルゲ本」をと思っていましたが、この「ゾルゲ本」というのは、
また沢山出ていて、何を読んだら良いのやら・・。
2003年には「スパイ・ゾルゲ」という映画も公開されましたが、
てっきりモックンがゾルゲ役やるもんだと思ってて、なんじゃそりゃ・・と観に行っていません。。
本書はその公開に合わせて文庫で再刊されたモノで、もともとは1996年に発刊されています。
一応、ゾルゲの生涯を扱ったなかでの最新本とのことで選んでみました。

ゾルゲ 引裂かれたスパイ〈上〉.jpg

思えば「ゾルゲ」という名は「ゲシュタポ」と同じくらい、子供の頃から知っていたような気もしますが、
当時は「日本のスパイなのに猿みたいな顔をして全然、日本人っぽくないじゃん」
というのがゾルゲに対する印象でした。
これはたぶん「007は二度死ぬ」でもショーン・コネリーが無理やり日本人に化けたりして、
「日本のスパイ=日本人に変装してる」っていう先入観があったんでしょう。
まだ英国と米国の区別もつかず、ましてやドイツやソ連のスパイなんて
意味わかんない子供ですから放置してしまうのもしょうがありません。。

007は二度死ぬ.JPG

本書はゾルゲの生い立ちから始まります。
1895年、南カフカスのアゼルバイジャンはバクーの生まれ。
9人兄弟の末っ子で、父は石油採掘技師のドイツ人、母はロシア人です。
ゾルゲが2歳の時には一家はベルリンへと戻り、穏やかな少年時代を過ごしますが、
それも第1次大戦が勃発するまで。
3年前に父は他界し、18歳となっていたゾルゲは学校から解放されて自ら志願して入隊。
フランドルの泥まみれの塹壕。ベルギー軍の銃弾を受けて負傷し、
回復すると今度は東部戦線で2回、足を負傷します。
そしてケーニヒスベルクの病院で社会主義者の「教養ある知的な若い看護婦」から
レーニンや革命運動の実情を学ぶことになるのでした。

Richard Sorge freiwillig an die Front. Seinen 19.jpg

片足が2センチほど短くなってしまったゾルゲはベルリン大学で学問に精を出し、
政治意識も研ぎ澄まされていきます。
敗北したドイツの経済は麻痺し、資本主義は崩壊・・。
1917年のボルシェヴィキ革命の勃発は世界を震撼させ、22歳の彼にも大きな影響を与えます。
そうなったら取るべき道は唯一つ、「ドイツ共産党」への入党です。
モスクワ行きを決意して、1924年には国境を越えてロシアに潜入。
モスクワのコミンテルン本部で任務を与えられ、各国の共産党を支援する旅に・・。

1929年には「労農赤軍本部第4局」の創始者で部長であったヤン・ベルジンの目に留まり、
引き抜かれますが、この第4局というのは、その後のGRU(赤軍参謀本部情報局)のことです。
当時のソ連の関心事は内戦の渦中である中国。南京政府軍と共産軍の優劣について
定期的に報告するために、ドイツ人のパスポートを取得して、上海へと乗り込むのでした。

Yan Berzin.jpg

しかしそこで満州事変、上海事変と日本と中国の対立が始まると、
ゾルゲは日本研究に着手します。
大阪朝日新聞の名の知れた特派員である尾崎秀実とも知り合い、
政府高官や実業界に広い人脈を持つ日本人が貴重な情報提供者になりますが、
この尾崎が映画「スパイ・ゾルゲ」でモックンが演じた人なんですねぇ。

Hotsumi Ozaki.JPG

1933年、見事に中国での任務を終えてモスクワに帰還したゾルゲ。
恋人との再会も束の間、ロシアの国境地帯で圧力をかけている
日本の真の狙いを探るため、東京行きが決定。
日本は伝統的にロシアを敵国と見なし、共産主義を悪質な毒ガスと考えている国・・。
一方、ロシア人は旅順で惨敗し、バルチック艦隊が撃滅されるという、
アジアの成り上がり者から受けた屈辱を忘れてはいません。

二百三高地.jpg

う~む。。映画「二百三高地」は大好きなんですねぇ。仲代達矢が良かった・・。
DVDも持っていますが、TVでやると必ず見てしまう邦画は、コレと「八甲田山」です。
どっちが好きかって聞かれれば「八甲田山」かなぁ。。
抑え目の健さん(徳島大尉)も良いですが、北大路欣也(神田大尉)が素晴らしいし、
「神田大尉!」と呼びつける三國連太郎も最高に嫌なジジィで死んでしまえと思いますし、
案内人の秋吉久美子もほっぺが赤くて信じられないくらいに可愛い・・。
おしっこ出来なくて、突然、「うお~!」と走り出しては、バッタリ倒れて死ぬ??兵士は、
そこらへんのホラー映画より、衝撃的なシーンでした。
こういうのを思い出すと映画のBlogでもやろうかという気になりますね。

秋吉久美子_健さん&発狂兵士 八甲田山.jpg

ヒトラーが政権を握ったばかりの1933年5月に祖国へと帰還し、パスポートを再び入手。
日本人崇拝者であり、ヒトラーの代理人ルドルフ・ヘスの友人でもある地政学の権威、
ハウスホーファー教授を訪問して、駐日ドイツ大使への紹介状もモノにします。
こうして準備万端いよいよ、東京へ。
ドイツ人ジャーナリストとして、紹介状をもって大使館にも頻繁に顔を出し、
彼の熱心な日本研究は徐々に大使館内でも評価を得るのでした。

Richard Sorge.jpg

中でも大使館付き陸軍武官のオイゲン・オット大佐とは家族ぐるみの付き合いが始まり、
オットが入手した日本軍の情報を専門家の友人ゾルゲが分析し、オットはその評価を国に報告、
もちろんゾルゲもスパイとしてオットから得られる情報は大変貴重です。
しかし、ゾルゲはその友人の妻、ヘルマと不倫関係になってしまうのでした。
さらに西銀座のドイツ・バー、ラインゴールドで25歳のウエイトレス、花子とも出会い、
彼女のために家も借りる惚れ込みよう。

Hanako Ishii.jpg

モスクワの部長だったヤン・ベルジンが解任され、後任のウリツキー大将に活動を非難されて
スターリンとロシアに幻滅感を抱き始めた彼は、女とアルコールにも溺れていきます。
そして翌年にはウリツキーが逮捕され、銃殺刑。海外の諜報員たちも呼び戻されては姿を消します。
もちろんこれは「大粛清」が始まったことによるものですが、
ゾルゲの評価も急転直下、彼の情報は極めて不十分であり、大量の金を浪費している・・。
身の危険を感じ取ったゾルゲは今、日本を離れることは出来ないと、
帰還命令に逆らい続けるのでした。

Semjon Uritski.jpg

友人のオットは大使へと昇進を果たし、さらにドイツ大使館との結びつきは強くなります。
そんな時、酔ってオートバイ事故を起こしたゾルゲは顔面を強打し、血まみれで倒れます。
聖路加病院で受けた整形手術の結果、額の皺は以前より深まり、
唇も薄くなって上下がほとんど入れ歯・・と容貌も変わってしまいます。
頭蓋骨骨折の影響もあってか、脳震盪も頻発し、神経障害の症状を見せることも。。

1938年6月、NKVD極東方面軍司令官のリュシコフ将軍が満州に越境して
日本軍に保護を求める亡命事件が発生。
日本は敵国の情報が勝手に転がり込んできたと大喜び。
そしてドイツからもアプヴェーアのカナリス提督の指示によって、
直接事情聴取を行うために防諜員が派遣されます。

Canaris.jpeg

慌てたロシア側は、ゾルゲに尋問結果を入手するように指示。
ゾルゲを信頼する陸軍武官補のショル少佐は、喜んで知っていることを伝え、
保存された報告書の写しもマイクロフィルムでモスクワへ。
また、この情報によって日本軍の評価や日本軍の攻撃拠点を知って、ノモンハンにおいて
圧倒的に優位に立ったという「ゾルゲの8年間の活動の中でも、最大の功績」としています。
この事件は初めて知りましたが、NKVDの司令官が亡命するとは、
如何に大粛清が猛威をふるっていたかがわかるようです。

日独伊三国同盟が締結されて、独ソ不可侵条約、日ソ中立条約と、
本来なら戦争は起こりません。
しかし、この時期、日本、ソ連、ドイツはお互いの本心の探り合いが続きます。
スターリンはドイツが攻めてくるとは思っていませんが、
日本は南に攻めるのか、北に攻めるのか・・?
対英戦真っ最中のドイツ外相リッベントロップは、
シンガポール攻撃について執拗に圧力をかけてきます。

Ribbentrop in SS uniform.jpg


いや~、ここまでゾルゲの生い立ちから、彼が如何にして日本にやって来て、
スパイとしての足場を固めることになったか・・や、当時の日本の政策なども含めて
ほとんど知らないことばかりで、実に楽しいですね。

しかしここで、「ワルシャワの殺し屋」と評判のゲシュタポのマイジンガーSS大佐が来日。
軍法会議にかけられて処刑されるところをハイドリヒの取り成しによって、
波紋が収まるまで東京の大使館の警察勤務・・という措置によるものです。
SDの外国部長シェレンベルクが当時、ゾルゲに疑惑を抱いていたという話も出てきましたし、
ナチス東京支部の最高幹部がヒトラー・ユーゲントの地区指導者の
ラインホルト・シュルツェであるなど、独破戦線の顔なじみも登場してきます。

Josef Meisinger Butcher of Warsaw in Japan.jpg

1941年の春になるとゾルゲの精神状態も悪化。
ロシアに残してきた恋人カーチャを想い、
そのロシアでは差し迫ったドイツ軍の侵攻警告を無視され、
祖国であるドイツはいまや巨大な強制収容所と化し、日本は離れ小島。
スパイに対する監視の目も日に日に厳しくなっています。
一体、この先、どうしたら良いのか・・?















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