秘密警察 ゲシュタポ -ヒトラー帝国の兇手- [SS/ゲシュタポ]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
E.クランクショウ著の「秘密警察 ゲシュタポ」を読破しました。
遂に4冊目となった「ゲシュタポ本」の紹介となります。
原著は「ゲシュタポ・狂気の歴史」よりもさらに古い、1956年というものですが、
あちらの翻訳版が2000年に再刊されたのに対して、1972年発刊で294ページの本書は、
なかなか綺麗な古書が見つからなかったために、お預け状態となっていました。
今回は帯付きの綺麗なものを800円で購入できましたが、
我ながらゲシュタポ好きだなぁ・・と呆れ気味です。。
第1章で「ゲシュタポの誕生」に4ページ触れた後、「ヒムラーとSS」の章で
本格的に本文が始まります。
簡単にヒムラーの生い立ちを紹介しますが、いきなり
「ヒムラーの人間性を分析しようとする試みはすべて失敗に終わっており、
成功するはずがないと思っている」と、
正常な人間が、狂人を理解することは不可能・・ということのようですね。
ユダヤ=ボルシェヴィキが「人間以下の動物」であるという信念のもとに、
強制収容所で身の毛もよだつ人体実験を行ったとして、ヒムラーの秘蔵っ子である
「ダッハウの勇者」ジークムント・ラシャー空軍医師が行った低体温実験なども紹介。
しかし「単なる動物」に対しては心優しいヒムラーは、狩り愛好家のゲーリングを非難します。
「あの血に飢えた犬の畜生は動物と見れば手当たり次第に殺してる」と
鹿狩りで失われる命を「可哀想に・・」と専属マッサージ師のケルステンに語るのでした。
本書は主にニュルンベルク裁判の公式記録を参考にしていますが、
このようにケルステンや、V2ロケット開発のドルンベルガーの回想録も引用して進みます。
続く章は「ハイドリヒとSD」です。
ゲシュタポ物では常にヒムラーとセットで登場するハイドリヒ。
部下とか右腕とかいう表現では計り知れないこの人物については、
「バイオリン、スキー、フェンシング、諜報技術、さらには飛行機の操縦と、
手を出したものすべてを完璧にやり遂げさせたものは、なんとしても他人に負けまいとする
止むことのない野望であり、彼はそのために狂うほど頑張ることが出来た」として、
ハイドリヒがもし暗殺されなければいつかは「総統」になったであろう・・
という話題の現実性を検討し、このように結論付けます。
「彼は総統の地位に必ず挑戦する。しかし、それが成功する前に、
ヒムラーが彼の首をへし折るように手を回すのも、同じように確実である」。
このようにヒムラーとハイドリヒという2大人物を紹介した後で、
1933年、プロイセン内務大臣となったゲーリングによってプロイセン政治警察が
ゲシュタポとして生まれ変わり、後にヒムラーとハイドリヒの手に渡って完成するといった
いわゆる「ゲシュタポの歴史」へと進んでいきますが、
もちろん過去に紹介したものと大筋は変わりません。
しかし本書はこの歴史の前半戦の攻防が細かくて非常に楽しめました。
プロイセンの警察長官に任命されたのは若いSS大将ダリューゲですが、
ゲーリングにしてみれば、個人的に必要な「恐喝装置」との間にSSを割り込ませたくありません。
そこでナチ党との関係もなく、プロイセン警察で反共活動担当だった33歳のディールスを抜擢し、
プロイセン内務省の分局として独立させ、ゲシュタポとして大臣官房へ編入。
これによって、ヒムラーの子分のSSどもに干渉されずに
自らの敵を恐喝することが出来るようになります。
ディールスに率いられた幼いゲシュタポは、当時はまだ犠牲者を逮捕しては
SA(突撃隊)の収容所所長に引き渡すのが仕事。
巨大だった褐色のSAや、黒のSS連中の暴力と残忍さは持っていません。
プロイセンのゲーリングvsバイエルンのヒムラーの警察権力の代理戦争に
巻き込まれたようなディールスはSA、SSに逮捕された人々を救ったり、
SA、SS幹部と口論したりと権力闘争が続きます。
最終的に敗北したディールスは戦後、「悪魔が戸口に来た」という回想録を書いているそうで、
本書は参考にしていますが、コレは面白そうですねぇ。
「作られた無秩序」と題された第6章も非常にうまく書かれています。
ドイツは西欧の国としては昔から警察権力が強かったそうで、プロイセンでは
ネーベが長官となった刑事警察(クリポ)に、ゲシュタポとなった政治警察の2つの私服部門、
制服組は秩序警察(オルポ)に保護警察(シュポ)。
独立したゲーリングのゲシュタポ以外は警察長官のダリューゲの指揮下にあるわけですが、
SSのヒムラーのベルリンにおける代行者であるダリューゲは、
彼がヒムラーに対して責任を負うのは「ベルリンSS隊長」としてだけであり、
「プロイセン警察長官」としての官職はゲーリングに対して責任があるんですね。
まぁ、相変わらずのナチ国家・・というか、SSはナチ党の組織であり、
ゲシュタポを含む警察は国家の組織。
両方を兼務している人間がこれから多くなると、ヴィトゲンシュタインもいつも混乱しますが、
著者は「もし、読者が名目上の権限と行政の権限の奇妙な重複と分割に閉口したとすれば、
事情通になったと自負してよろしい。著名な法律家が集まったニュルンベルク裁判でさえ、
もつれをほどき、体系の輪郭を明らかにすることは出来なかった。
なぜか?そもそも明確な輪郭が存在しなかったからである」。
これは国家と行政を推進し、改革できる有能な人材が必要なのは当然ながら、
暴力しか取柄の無い古参党員にも、それなりの役職を与えねばならなかったという
ヒトラーの問題もありますし、ゲーリングのようにヒムラーのような小僧をバカにして、
その最期までSS嫌いだったという、幹部のライバル争いも要因だったと改めて感じました。
もし、ヒムラーがゲーリングに「名誉SS元帥」なんていうスーパー名誉職を与えようとしたなら、
ゲーリングは受けたんでしょうかね?
1935年になってディールスの後任にヒムラーとハイドリヒがやって来ると、
ゲーリングもすべてを手放すことになり、お互いの共通の邪魔者である、
SAとレームの粛清に進むことになります。
そして「国家秘密警察=ゲシュタポ」は、同じハイドリヒ指揮下の「ナチ党保安防諜部=SD」と
ガッチリ手を結び、一体の組織として、恐るべき権力を持ったナチス警察が誕生するのでした。
1936年にはSS全国指導者ヒムラーがドイツ警察長官となり、
ゲシュタポもハイドリヒを長とする国家保安本部(RSHA)に再編されて、
こうなると、もはやドイツ国内に敵は存在しえません。
彼らの次なる敵は、ユダヤ人であり、「水晶の夜事件」と、併合したオーストリアやチェコ、
そしてポーランドのユダヤ人絶滅へと向かいます。
本書も半分あたりまで来ると、ゲシュタポ長官のミュラー、ユダヤ人移送の責任者アイヒマン、
その移送先でゲシュタポの管轄から離れたクラーマー、コッホ、ズーレン、ヘースといった
名だたる強制収容所の所長たち、彼らの上官であるグリュックスにポールといった責任者、
ヴィルトにグロボクニクといった悪名高い警察幹部。
さらには「バービイ・ヤール」のブローベルやイェッケルン、オーレンドルフといった
アインザッツグルッペン関係者全員集合・・となりますが、
今回は端折って、ゲシュタポらしい部分を紹介しましょう。
まずはゲシュタポの「平常業務」である拷問です。。。
もうゲシュタポ、イコール、拷問というくらいの代名詞ですから、
一部のサディストだけが行ったものではなく、彼らが訓練を受けたという拷問が
いくつか紹介されていました。
ソ連の拷問は「自身の罪を告白」させるために行われますが、
ゲシュタポの目的は「別の人物について」口を割らせるために行われます。
腎臓を殴り続けたり、顔が肉塊になるまで蹴り続けたり、
足の爪をひとつひとつ剥がしたりするのはごく当たり前。
鞭打ちに、はんだごてを用いて火傷、氷の水槽に投げ込んで窒息。
頭を締め上げる鉄バンドに、後ろ手に手錠をかけて引き上げ、長時間放置。
睾丸の捻転は常習的。小型の装置を使って睾丸を押し潰すのでさえ、一般的・・。
直腸とペニスに固定した電極に電流を流すというテクニックもあるそうですが、
コレをされると、ナニがどうなるんでしょうか??
また彼らの得意技は隣りの部屋で女囚を拷問し、その声が自分の妻だと思わせる心理作戦です。
フランスのゲシュタポではオーベルクとクノッヘンが活躍します。
占領軍に危害を加えた報復として、合計3万名ものフランス人が銃殺され、
1941年10月にナントの軍指揮官を背後から射殺した事件の贖いとして、
人質50名が射殺された件では、名簿を準備したのがヴィシー政府の内相
ピュシューだったということです。
戦後、絞首刑となったとありますが、自分で銃殺隊を指揮した人ですね。
最後にゲシュタポといえば「大脱走」。本書にもこの件が登場します。
ヒトラーの緊急個人命令に基づき、「脱走将校の半数以上は再逮捕後、射殺さるべし」
との命令をハイドリヒ亡き後のRSHA長官、カルテンブルンナーから渡され、
衝撃を受けるのは、ドイツ国外まで及ぶ捜索を担当していた刑事警察長官ネーベです。
すでに軍司令部とゲシュタポのミュラーも同様の命令を受けていたそうですが、
ひょっとしたら映画でバス停に張り込んで、ビッグXとマックを英語で引っ掛けたおっさんは
正確にはゲシュタポじゃなくて、クリポなのかも・・。
しかしゲシュタポ物っていうのは、やっぱりそれに特化するのが難しいようですね。
まず、SDとの関係、それからRSHAとしての一組織、そして強制収容所・・と、
SSのあらゆる組織とも密接に関係していますし、場合によっては国防軍も。。
早い話、ゲシュタポ単独で成し遂げる仕事というのはほとんどないにも関わらず、
ホロコーストを含めた、あらゆる問題に関与していたと言えるでしょう。
本書では、そういうことを踏まえたうえで、アウシュヴィッツなども取り上げていますが、
あくまで戦後わずか10年のその時代が求める内容だと思いますし、
それらの細かい話は「別の書籍を参照されたい」と最低限に止めて、
極力、ゲシュタポそのものを解明しようと心がけているのが好感が持てるところでした。
E.クランクショウ著の「秘密警察 ゲシュタポ」を読破しました。
遂に4冊目となった「ゲシュタポ本」の紹介となります。
原著は「ゲシュタポ・狂気の歴史」よりもさらに古い、1956年というものですが、
あちらの翻訳版が2000年に再刊されたのに対して、1972年発刊で294ページの本書は、
なかなか綺麗な古書が見つからなかったために、お預け状態となっていました。
今回は帯付きの綺麗なものを800円で購入できましたが、
我ながらゲシュタポ好きだなぁ・・と呆れ気味です。。
第1章で「ゲシュタポの誕生」に4ページ触れた後、「ヒムラーとSS」の章で
本格的に本文が始まります。
簡単にヒムラーの生い立ちを紹介しますが、いきなり
「ヒムラーの人間性を分析しようとする試みはすべて失敗に終わっており、
成功するはずがないと思っている」と、
正常な人間が、狂人を理解することは不可能・・ということのようですね。
ユダヤ=ボルシェヴィキが「人間以下の動物」であるという信念のもとに、
強制収容所で身の毛もよだつ人体実験を行ったとして、ヒムラーの秘蔵っ子である
「ダッハウの勇者」ジークムント・ラシャー空軍医師が行った低体温実験なども紹介。
しかし「単なる動物」に対しては心優しいヒムラーは、狩り愛好家のゲーリングを非難します。
「あの血に飢えた犬の畜生は動物と見れば手当たり次第に殺してる」と
鹿狩りで失われる命を「可哀想に・・」と専属マッサージ師のケルステンに語るのでした。
本書は主にニュルンベルク裁判の公式記録を参考にしていますが、
このようにケルステンや、V2ロケット開発のドルンベルガーの回想録も引用して進みます。
続く章は「ハイドリヒとSD」です。
ゲシュタポ物では常にヒムラーとセットで登場するハイドリヒ。
部下とか右腕とかいう表現では計り知れないこの人物については、
「バイオリン、スキー、フェンシング、諜報技術、さらには飛行機の操縦と、
手を出したものすべてを完璧にやり遂げさせたものは、なんとしても他人に負けまいとする
止むことのない野望であり、彼はそのために狂うほど頑張ることが出来た」として、
ハイドリヒがもし暗殺されなければいつかは「総統」になったであろう・・
という話題の現実性を検討し、このように結論付けます。
「彼は総統の地位に必ず挑戦する。しかし、それが成功する前に、
ヒムラーが彼の首をへし折るように手を回すのも、同じように確実である」。
このようにヒムラーとハイドリヒという2大人物を紹介した後で、
1933年、プロイセン内務大臣となったゲーリングによってプロイセン政治警察が
ゲシュタポとして生まれ変わり、後にヒムラーとハイドリヒの手に渡って完成するといった
いわゆる「ゲシュタポの歴史」へと進んでいきますが、
もちろん過去に紹介したものと大筋は変わりません。
しかし本書はこの歴史の前半戦の攻防が細かくて非常に楽しめました。
プロイセンの警察長官に任命されたのは若いSS大将ダリューゲですが、
ゲーリングにしてみれば、個人的に必要な「恐喝装置」との間にSSを割り込ませたくありません。
そこでナチ党との関係もなく、プロイセン警察で反共活動担当だった33歳のディールスを抜擢し、
プロイセン内務省の分局として独立させ、ゲシュタポとして大臣官房へ編入。
これによって、ヒムラーの子分のSSどもに干渉されずに
自らの敵を恐喝することが出来るようになります。
ディールスに率いられた幼いゲシュタポは、当時はまだ犠牲者を逮捕しては
SA(突撃隊)の収容所所長に引き渡すのが仕事。
巨大だった褐色のSAや、黒のSS連中の暴力と残忍さは持っていません。
プロイセンのゲーリングvsバイエルンのヒムラーの警察権力の代理戦争に
巻き込まれたようなディールスはSA、SSに逮捕された人々を救ったり、
SA、SS幹部と口論したりと権力闘争が続きます。
最終的に敗北したディールスは戦後、「悪魔が戸口に来た」という回想録を書いているそうで、
本書は参考にしていますが、コレは面白そうですねぇ。
「作られた無秩序」と題された第6章も非常にうまく書かれています。
ドイツは西欧の国としては昔から警察権力が強かったそうで、プロイセンでは
ネーベが長官となった刑事警察(クリポ)に、ゲシュタポとなった政治警察の2つの私服部門、
制服組は秩序警察(オルポ)に保護警察(シュポ)。
独立したゲーリングのゲシュタポ以外は警察長官のダリューゲの指揮下にあるわけですが、
SSのヒムラーのベルリンにおける代行者であるダリューゲは、
彼がヒムラーに対して責任を負うのは「ベルリンSS隊長」としてだけであり、
「プロイセン警察長官」としての官職はゲーリングに対して責任があるんですね。
まぁ、相変わらずのナチ国家・・というか、SSはナチ党の組織であり、
ゲシュタポを含む警察は国家の組織。
両方を兼務している人間がこれから多くなると、ヴィトゲンシュタインもいつも混乱しますが、
著者は「もし、読者が名目上の権限と行政の権限の奇妙な重複と分割に閉口したとすれば、
事情通になったと自負してよろしい。著名な法律家が集まったニュルンベルク裁判でさえ、
もつれをほどき、体系の輪郭を明らかにすることは出来なかった。
なぜか?そもそも明確な輪郭が存在しなかったからである」。
これは国家と行政を推進し、改革できる有能な人材が必要なのは当然ながら、
暴力しか取柄の無い古参党員にも、それなりの役職を与えねばならなかったという
ヒトラーの問題もありますし、ゲーリングのようにヒムラーのような小僧をバカにして、
その最期までSS嫌いだったという、幹部のライバル争いも要因だったと改めて感じました。
もし、ヒムラーがゲーリングに「名誉SS元帥」なんていうスーパー名誉職を与えようとしたなら、
ゲーリングは受けたんでしょうかね?
1935年になってディールスの後任にヒムラーとハイドリヒがやって来ると、
ゲーリングもすべてを手放すことになり、お互いの共通の邪魔者である、
SAとレームの粛清に進むことになります。
そして「国家秘密警察=ゲシュタポ」は、同じハイドリヒ指揮下の「ナチ党保安防諜部=SD」と
ガッチリ手を結び、一体の組織として、恐るべき権力を持ったナチス警察が誕生するのでした。
1936年にはSS全国指導者ヒムラーがドイツ警察長官となり、
ゲシュタポもハイドリヒを長とする国家保安本部(RSHA)に再編されて、
こうなると、もはやドイツ国内に敵は存在しえません。
彼らの次なる敵は、ユダヤ人であり、「水晶の夜事件」と、併合したオーストリアやチェコ、
そしてポーランドのユダヤ人絶滅へと向かいます。
本書も半分あたりまで来ると、ゲシュタポ長官のミュラー、ユダヤ人移送の責任者アイヒマン、
その移送先でゲシュタポの管轄から離れたクラーマー、コッホ、ズーレン、ヘースといった
名だたる強制収容所の所長たち、彼らの上官であるグリュックスにポールといった責任者、
ヴィルトにグロボクニクといった悪名高い警察幹部。
さらには「バービイ・ヤール」のブローベルやイェッケルン、オーレンドルフといった
アインザッツグルッペン関係者全員集合・・となりますが、
今回は端折って、ゲシュタポらしい部分を紹介しましょう。
まずはゲシュタポの「平常業務」である拷問です。。。
もうゲシュタポ、イコール、拷問というくらいの代名詞ですから、
一部のサディストだけが行ったものではなく、彼らが訓練を受けたという拷問が
いくつか紹介されていました。
ソ連の拷問は「自身の罪を告白」させるために行われますが、
ゲシュタポの目的は「別の人物について」口を割らせるために行われます。
腎臓を殴り続けたり、顔が肉塊になるまで蹴り続けたり、
足の爪をひとつひとつ剥がしたりするのはごく当たり前。
鞭打ちに、はんだごてを用いて火傷、氷の水槽に投げ込んで窒息。
頭を締め上げる鉄バンドに、後ろ手に手錠をかけて引き上げ、長時間放置。
睾丸の捻転は常習的。小型の装置を使って睾丸を押し潰すのでさえ、一般的・・。
直腸とペニスに固定した電極に電流を流すというテクニックもあるそうですが、
コレをされると、ナニがどうなるんでしょうか??
また彼らの得意技は隣りの部屋で女囚を拷問し、その声が自分の妻だと思わせる心理作戦です。
フランスのゲシュタポではオーベルクとクノッヘンが活躍します。
占領軍に危害を加えた報復として、合計3万名ものフランス人が銃殺され、
1941年10月にナントの軍指揮官を背後から射殺した事件の贖いとして、
人質50名が射殺された件では、名簿を準備したのがヴィシー政府の内相
ピュシューだったということです。
戦後、絞首刑となったとありますが、自分で銃殺隊を指揮した人ですね。
最後にゲシュタポといえば「大脱走」。本書にもこの件が登場します。
ヒトラーの緊急個人命令に基づき、「脱走将校の半数以上は再逮捕後、射殺さるべし」
との命令をハイドリヒ亡き後のRSHA長官、カルテンブルンナーから渡され、
衝撃を受けるのは、ドイツ国外まで及ぶ捜索を担当していた刑事警察長官ネーベです。
すでに軍司令部とゲシュタポのミュラーも同様の命令を受けていたそうですが、
ひょっとしたら映画でバス停に張り込んで、ビッグXとマックを英語で引っ掛けたおっさんは
正確にはゲシュタポじゃなくて、クリポなのかも・・。
しかしゲシュタポ物っていうのは、やっぱりそれに特化するのが難しいようですね。
まず、SDとの関係、それからRSHAとしての一組織、そして強制収容所・・と、
SSのあらゆる組織とも密接に関係していますし、場合によっては国防軍も。。
早い話、ゲシュタポ単独で成し遂げる仕事というのはほとんどないにも関わらず、
ホロコーストを含めた、あらゆる問題に関与していたと言えるでしょう。
本書では、そういうことを踏まえたうえで、アウシュヴィッツなども取り上げていますが、
あくまで戦後わずか10年のその時代が求める内容だと思いますし、
それらの細かい話は「別の書籍を参照されたい」と最低限に止めて、
極力、ゲシュタポそのものを解明しようと心がけているのが好感が持てるところでした。
スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-〈下〉 [ロシア]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著の「スターリン〈下〉」を読破しました。
635ページの上巻の最後は、スターリンの信じない「バルバロッサ作戦」準備完了でしたが、
170ページの出典を除くと528ページのこの下巻は、1941年6月22日、参謀総長ジューコフによる
戦線の状況報告とドイツ軍に対する反撃許可をスターリンに電話で求めるところから始まります。
全員が集まって会議が始まっても青ざめていたスターリンは、
「一部のドイツ軍人による挑発行為かも知れない・・」。
そして「ヒトラーはこの事態を知らないのだ」と、宣戦布告があるまで反撃は命じません。
やがて被害が大きくなると、南西部方面軍への前線視察にブジョンヌイにクリークといった
元帥が派遣されますが、敗走する第10軍の混乱に巻き込まれたクリークは孤立し、
捕虜になりかけます。元帥服と身分証も焼き捨てて、農民に変装して逃走・・。
前参謀総長シャポシニコフ元帥もストレスに耐えかねてへたり込み、
司令部との連絡が途絶してしまいます。
こうして消えた元帥たちを見つけるため、今度はヴォロシーロフを派遣するスターリン。
西部方面軍司令官のパヴロフの失策を激しく叱責するヴォロシーロフの
その長靴に口づけをして、許しを求めるパヴロフ。
ヴォロシーロフはかつてスターリンに自分を密告したパヴロフに対する恨みもあります。
ミンスクの状況を確認するため、ティモシェンコとジューコフの司令部に乗り込んだスターリン。
まるで仕事の邪魔だと言わんばかりのジューコフの生意気な態度に爆発します。
「開戦初日から自分の部隊との連絡を失うような総司令部と参謀総長とはいったい何者なのだ?」
普段は石のような冷静な表情のジューコフが激しい非難に堪えかねて、わっと泣き出し、
女のようにすすり上げながら、部屋から走り出ていくと、モロトフが慰めに後を追います。
しかし堪えられなかったのはスターリンです。
それから2日間、引き籠り、姿も見せなければ電話にも出ないという衰弱状態に陥ります。
ヒトラーを見誤り、祖国を危機に陥れた国家元首として、いつ逮捕されてもおかしくありません。
それでもやって来たモロトフやベリヤ、ヴォロシーロフによって励まされて、
「新スターリン」として新設の国家防衛委員長に就任。このスターリンの衰弱には諸説ありますが、
本書では「一時的に権力から身を引き、再任されるための演技だった」
という説も間違いとは言えないとしています。
フォン・クライストとグデーリアンの装甲集団が迫るキエフではフルシチョフが退却の許可を求めます。
「自分が恥ずかしくないのか!何が何でも頑張るのだ。
さもないと君自身が始末されることになるぞ!」と電話で恫喝するスターリン。
司令官のブジョンヌイを解任し、ティモシェンコを送りますが、結局は45万名が包囲されるのでした。
包囲され始めたのはレニングラードも同じです。
ジダーノフの元にヴォロシーロフを送りますが、塹壕に隠れてばかりのヴォロシーロフをさっさと解任。
スターリンは参謀総長を解任したばかりのジューコフを送り込みます。
レニングラードを立て直したジューコフは、今度は危機迫るモスクワ防衛のために呼び戻されますが
赤い首都モスクワでは空爆が始まり、工場も疎開を開始。
防空壕が作られていないクレムリン・・。
ドイツ軍の空襲が始まると、スターリンは地下鉄のホームへ避難しなければなりません。
ドイツ軍の攻勢をなんとか耐えきったスターリン。
銃殺の恐怖に脅えるのはキエフを失い、命からがら脱出していたティモシェンコとフルシチョフです。
しかし彼らを気に入っていたスターリンからはお咎めなし。
そしてこのコンビは1942年の夏にスターリングラードで復帰を果たすのでした。
重臣のなかでは武器弾薬の調達に医薬品、糧食の配給、連合軍との武器貸与交渉などを
担当する貿易人民委員のミコヤン、強制収容所の囚人170万人を奴隷労働者として、
兵器生産と鉄道建設に動員し、そのうち93万人を死亡させたNKVD長官のベリヤの働きが
大きくものを言っています。
1943年2月、スターリングラード戦に勝利し、ジューコフを元帥に昇進させたスターリンは、
「全知全能のアマチュア軍人」として自らも元帥と名乗るようになります。
そしてベリヤの絶大な権力を制限するため、赤軍防諜部と恐怖の赤軍特務機関を統合し、
自分の直属機関に組み入れます。
「スパイに死を」というスローガンの頭文字をとって「スメルシュ」と名付けられたこの機関の責任者に
べリアの側近を勤めていた35歳の冷酷残忍な秘密警察幹部、アバクーモフが任命。
いや~。スメルシュ出ましたねぇ。名前だけで怖いです。
3月、ドイツ軍の誇るマンシュタイン元帥の反撃によってハリコフが奪還され、
スターリングラード戦での勝利が台無しになりかねない状況の中、
スターリンは別の問題で怒りに震えています。
それは16歳になった娘スヴェトラーナの中年作家との恋・・。
「国中が戦争しているというのに、この堕落した娘の頭の中には男と寝ることしかない!」
と、かな切り声をあげてスヴェトラーナに生まれて初めてのビンタをお見舞いするのでした。。
それでも夏には「クルスクの大戦車戦」にも勝利して意気揚々となるスターリン。
共産主義の国際組織、コミンテルンを廃止し、国民に満足感と自信を回復させるため、
「インターナショナル」に代わる新しい国歌を制定することを決定します。
ソ連邦全域から曲を募集し、作詞にも関与するスターリンと重臣たち。
国歌好きのヴィトゲンシュタインは、実はこの今のロシア国歌も大好きなんですねぇ。
東欧の国歌は旧ユーゴ、ウクライナ、クロアチアなど重厚で寒々しいメロディが多いですが、
この系統では、後半、厳粛に盛り上がるロシア国歌がNo.1なのは間違いありません。
再生できない場合、ダウンロードは🎵こちら
三巨頭の集まったテヘラン会談でスターリンは、自分は決して間違いを起こさない
偉大な人間であることを確信します。
しかし勝利の代償は大きく、死亡者の数は2600万人にも達し、飢餓が猛威をふるって
ウクライナでは民族主義の軍事組織と赤軍による内戦も始まっています。
さらにカフカスでも少数民族がドイツ側に寝返っている情報が入ると、
イスラム教徒であるチェチェン民族とイングーシ民族の強制移住を決定し、
ベリヤは10万人のNKVD部隊を率いて、チェチェンの首都グローズヌイに乗り込みます。
1944年3月までにチェチェン人50万人の東部への移送が完了。
その他、対独協力者とされたクリミアのタタール人16万人なども次々と・・。
そして移送の途中、または強制収容所に着いた時点で53万人が餓死などで死亡するという
ホロコーストに劣らぬ大惨事が繰り広げられます。。
こういう歴史を知らないと、いまのロシア、チェチェン問題などは理解できないですね。
スターリンがその後のヤルタ会談でルーズヴェルト大統領に
「我が国のヒムラーです」とベリヤを紹介するだけのことがあります。
本書を読む限り、ベリヤはヒムラーを完全に超えていますね。
ヒムラーとハイドリヒ、そしてボルマンを足して3で割らないくらいの強烈さです。。
このベリヤ主役の本が2冊出ているので、今度、読んでみようと思いました。
「ワルシャワ蜂起」の赤軍の停止に触れ、ロコソフスキー将軍なども登場しながら、
西へと進むスターリン。
この時期、フランス自由軍のドゴール将軍がクレムリンを訪れた話は興味深かったですね。
気難しいドゴールが立ち去ろうとするとスターリンはドゴールの通訳を呼び止めます。
「君は多くを知り過ぎている。シベリア送りにしたほうがよさそうだ!」
もちろんコレはスターリン流のジョークなんですが、このようなのは度々出てきて、
尋ねてきた政治局員に向かって、「あぁ、君はまだ逮捕されていなかったのか・・」
と、当人からしてみれば、これほど恐怖に打ち震えるようなジョークは存在しません。。
本書では「拷問」についても所々で登場します。
殴り過ぎて眼球が飛び出す・・なんてのは当たり前。
基本は「フランス式レスリング」という床技で始まります。
後半には映画「マラソンマン」でダスティン・ホフマンが歯科拷問されたより凄い、
手術室のような拷問部屋も・・。
ヴィトゲンシュタインなら、この部屋に入っただけで、何でもかんでも自白するでしょう。。
東プロイセンに達した赤軍。狂乱の復讐が始まります。
数ヵ月間で200万人のドイツ人女性が強姦されたばかりでなく、収容所から解放された
ロシア人女性にも赤軍兵士は襲い掛かります。
報告を聞いたスターリンは、「愛する家族を失った兵士たちがスターリングラードから
祖国の惨状を数千㌔に渡って眼にし、恐ろしい体験をした後で、
少しばかり楽しみたいと思っても不思議ではない」。
そして4月、ゼーロウ高地で防戦するドイツ軍に手こずり、
3万人の大損害を受けながらもベルリンを占領したジューコフと赤軍。
ヒトラーの焼け焦げた遺体はスメルシュによってさっさと持ち去られ、それをジューコフ知らせずに
遺体の行方について質問を蒸し返してはジューコフを困らせて楽しむスターリン。
6月にはモスクワで勝利の軍事パレードが豪雨のなか行われ、
白馬に乗ったジューコフに始まり、200人の復員兵がナチスの軍旗を投げ捨てるのでした。
「大元帥」の称号と「ソ連邦英雄勲章」が重臣たちによって送られることになったスターリン。
「戦場で連隊も指揮したことのない私には、この勲章を受ける資格がない」と語り、
大元帥の称号も拒否します。
しかしゲーリング風の白の上着と、黒と赤の縞模様のズボンという
ホテルのドアマンを思わせる大元帥服を試着してモロトフに語ります。
「どうしてこんなものを受け入れてしまったのだろう・・」。
8月、広島に原爆が投下されると、獲物を取り逃すことを恐れたスターリンは
即座に対日参戦に踏み切ります。
しかし広島の惨状に衝撃を受け、「戦争は野蛮だが、原爆は度を越えて野蛮だ。
しかも日本の敗北は決まっていて、原爆を使用する必要などなかったのだ!」として、
トルーマン大統領の狙いが、日本ではなく、自分にあると確信します。
この「原爆による脅迫」に対して、すぐさまベリヤを長とする原爆開発プロジェクトを発足させ、
科学者が集められます。
1万人の技術者と40万人の職員をもって、膨大な量の仕事に打ち込むベリヤですが、
時間を見つけては、その絶大な権力にモノを言わせ、数十人の女優や
大好きな女子スポーツ選手などを拉致しては強姦。
自分の内務省のサッカー・チーム「ディナモ・モスクワ」が労働組合連合のライバルチーム、
「スパルタク・モスクワ」と優勝争いを繰り広げると、スパルタクの監督を逮捕して、
流刑にしてしまうなど、やりたい放題です。
最初の原子炉臨界実験に立ち会ったベリヤですが、見たところで到底理解はできません。
科学者たちに騙されていると思った彼は、
「これで終わりか?原子炉の中に入って見てもいいかな?」と
人類にとって願ってもないことを申し出ますが、
良心的な科学者たちは彼を思いとどまらせるのでした。。
ベリヤの政治的野心に気づいたスターリンは内相の座を罷免し、国家保安相に
スメルシュの「下等動物に等しい出世主義者」のアバクーモフを抜擢します。
まずターゲットとなるのは戦後の軍人たち。
特に西側にスターリンの後継者と持て囃されていたジューコフが大量の戦利品を略奪したカドで
逮捕されますが、すでに1937年ではないことを悟っていたスターリンは
オデッサ軍管区司令官に降格し、後にはウラル軍管区司令官へと再度、降格させるのでした。
古株のクリーク元帥が密かに銃殺されたのに比べれば、これでもまだマシな方ですね。
イスラエル国家が誕生し、それを米国が支援する状況になると、
国内でのユダヤ人への弾圧が激しくなります。
「邪悪なシオニスト狩り」が政府内でも始まり、モロトフのユダヤ人の奥さんまでが逮捕され、
モロトフ自身も最高権力集団から排除。
1949年にはカザフスタンの平原で遂に原爆実験が成功し、ベリヤの株が再び上昇。
毛沢東がスターリンの元を訪れると、北朝鮮の若き指導者、金日成もモスクワを訪問し、
韓国侵攻の許可をスターリンに求めます。
そんな「鋼鉄の男」スターリンも老いには勝てません。
重臣のひとり、ブルガーニンの名前すら思い出すことが出来ず、
「ところで、君の名前はなんだったかな?」
しかし、実際には耄碌しつつも、今まで以上に頑固で危険な存在であり、
あらゆる方向に攻撃の手を伸ばします。
歯の悪い彼のために食卓に出されたバナナが熟れていないと激怒したスターリンは
バナナの輸送船の関係者を逮捕し、貿易相の解任まで命じる始末・・。
これは命じた・・という笑い話ではなく、本当に貿易相が解任されているところが凄いですね。
自身の後継者問題についても、どこかの国のように息子に継がせる気などサラサラなく、
本書でも最初の息子、ヤコフがドイツ軍の捕虜となっても、交換には応じず、
小スターリンであるワシリーもモスクワの空軍司令官というポジションは与えますが、
相変わらずの我がままで、アル中・・という役立たず。。
そしてソ連はグルジア人ではなく、ロシア人が治める方が良いと考えているのでした。
そして遂に倒れるスターリン。
動脈硬化症に起因する左脳の内出血ですが、高名なユダヤ人医師たち全員が逮捕されており、
駆け付けたベリヤを筆頭とした重臣たちが呼んだ医師たちも、手術を行う勇気などありません。
回復の見込みがないことがハッキリすると、ベリヤはスターリンへの憎悪を公然と吐き出しますが、
スターリンの目玉や口が動いたりする度に、回復するかも・・という恐怖に駆られ、
慌てて跪き、スターリンの手に接吻を・・。
その他の重臣たちはスターリンが死ぬという事実を前に、安堵のため息をつきながらも
欠点はあっても、長年の親友であり、指導者であったスターリンのために涙を流すのでした。
「エピローグ」では後継者となったベリヤの新しい政策、特に東ドイツを開放するという提案が
重臣たちの不安を掻き立て、ベリヤ打倒を決意したフルシチョフによって策謀が・・。
そして部屋の外で待機していたジューコフ元帥が突入!して、ベリヤを逮捕。
「殺さないでくれ!」と大声でわめき、暴れ続けるベリヤの額が
死刑執行人のバチスキー将軍によって撃ち抜かれます。
アバクーモフも銃殺されて、スターリン時代の犯罪の多くがこの2人の責任に帰されるのでした。
本書にはマレンコフにミコヤンなど、重要な重臣たちも多く登場し、
モロトフの味方に付いたり、ベリヤ側に付いたり、時には全員で共同戦線を張ったり・・と
後半はいったい誰が生き残るのか・・?
というフィクションのサスペンスのような雰囲気すらありました。
戦後のソ連は詳しくないので、ヴォロシーロフが大統領になっていたり、
ブジョンヌイも生き残って、切手になっていたりして良かったですね。
まぁ、大変なボリュームがありましたけど、中だるみもなく、とても面白かったです。
知らないことが多かったので、集中力もありましたし、ちょっとした衝撃も受けたりと。。
この上下巻を読んでいた1週間で、二晩ほどは「ソ連の夢」も見ました・・。
独ソ戦の部分は250ページ程度で、思っていたほどではありませんでしたが、
これはスターリンがヒトラーほどは作戦に関与していなかったためでしょうね。
もし、原爆が使われなくて、日米本土決戦になっていたら、長引く戦争によって、
ソ連が北方領土だけではなく、北海道から東北まで攻め込んで、
戦後は東西ドイツや、今のお隣の国のような、分割された国になっていたかも・・
など、変なことも頭をよぎりました。
そんな意味でもこれまでに読んだソ連モノのなかでは、間違いなく最高の一冊でした。
また、スターリンの前半生を描いた「スターリン―青春と革命の時代」という
本書の第2弾もありますし、「ベリヤ本」の他にも、
「スターリン時代―元ソヴィエト諜報機関長の記録」という本も気になりますね。
まだまだ、ソ連モノも読んでみるつもりです。
サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著の「スターリン〈下〉」を読破しました。
635ページの上巻の最後は、スターリンの信じない「バルバロッサ作戦」準備完了でしたが、
170ページの出典を除くと528ページのこの下巻は、1941年6月22日、参謀総長ジューコフによる
戦線の状況報告とドイツ軍に対する反撃許可をスターリンに電話で求めるところから始まります。
全員が集まって会議が始まっても青ざめていたスターリンは、
「一部のドイツ軍人による挑発行為かも知れない・・」。
そして「ヒトラーはこの事態を知らないのだ」と、宣戦布告があるまで反撃は命じません。
やがて被害が大きくなると、南西部方面軍への前線視察にブジョンヌイにクリークといった
元帥が派遣されますが、敗走する第10軍の混乱に巻き込まれたクリークは孤立し、
捕虜になりかけます。元帥服と身分証も焼き捨てて、農民に変装して逃走・・。
前参謀総長シャポシニコフ元帥もストレスに耐えかねてへたり込み、
司令部との連絡が途絶してしまいます。
こうして消えた元帥たちを見つけるため、今度はヴォロシーロフを派遣するスターリン。
西部方面軍司令官のパヴロフの失策を激しく叱責するヴォロシーロフの
その長靴に口づけをして、許しを求めるパヴロフ。
ヴォロシーロフはかつてスターリンに自分を密告したパヴロフに対する恨みもあります。
ミンスクの状況を確認するため、ティモシェンコとジューコフの司令部に乗り込んだスターリン。
まるで仕事の邪魔だと言わんばかりのジューコフの生意気な態度に爆発します。
「開戦初日から自分の部隊との連絡を失うような総司令部と参謀総長とはいったい何者なのだ?」
普段は石のような冷静な表情のジューコフが激しい非難に堪えかねて、わっと泣き出し、
女のようにすすり上げながら、部屋から走り出ていくと、モロトフが慰めに後を追います。
しかし堪えられなかったのはスターリンです。
それから2日間、引き籠り、姿も見せなければ電話にも出ないという衰弱状態に陥ります。
ヒトラーを見誤り、祖国を危機に陥れた国家元首として、いつ逮捕されてもおかしくありません。
それでもやって来たモロトフやベリヤ、ヴォロシーロフによって励まされて、
「新スターリン」として新設の国家防衛委員長に就任。このスターリンの衰弱には諸説ありますが、
本書では「一時的に権力から身を引き、再任されるための演技だった」
という説も間違いとは言えないとしています。
フォン・クライストとグデーリアンの装甲集団が迫るキエフではフルシチョフが退却の許可を求めます。
「自分が恥ずかしくないのか!何が何でも頑張るのだ。
さもないと君自身が始末されることになるぞ!」と電話で恫喝するスターリン。
司令官のブジョンヌイを解任し、ティモシェンコを送りますが、結局は45万名が包囲されるのでした。
包囲され始めたのはレニングラードも同じです。
ジダーノフの元にヴォロシーロフを送りますが、塹壕に隠れてばかりのヴォロシーロフをさっさと解任。
スターリンは参謀総長を解任したばかりのジューコフを送り込みます。
レニングラードを立て直したジューコフは、今度は危機迫るモスクワ防衛のために呼び戻されますが
赤い首都モスクワでは空爆が始まり、工場も疎開を開始。
防空壕が作られていないクレムリン・・。
ドイツ軍の空襲が始まると、スターリンは地下鉄のホームへ避難しなければなりません。
ドイツ軍の攻勢をなんとか耐えきったスターリン。
銃殺の恐怖に脅えるのはキエフを失い、命からがら脱出していたティモシェンコとフルシチョフです。
しかし彼らを気に入っていたスターリンからはお咎めなし。
そしてこのコンビは1942年の夏にスターリングラードで復帰を果たすのでした。
重臣のなかでは武器弾薬の調達に医薬品、糧食の配給、連合軍との武器貸与交渉などを
担当する貿易人民委員のミコヤン、強制収容所の囚人170万人を奴隷労働者として、
兵器生産と鉄道建設に動員し、そのうち93万人を死亡させたNKVD長官のベリヤの働きが
大きくものを言っています。
1943年2月、スターリングラード戦に勝利し、ジューコフを元帥に昇進させたスターリンは、
「全知全能のアマチュア軍人」として自らも元帥と名乗るようになります。
そしてベリヤの絶大な権力を制限するため、赤軍防諜部と恐怖の赤軍特務機関を統合し、
自分の直属機関に組み入れます。
「スパイに死を」というスローガンの頭文字をとって「スメルシュ」と名付けられたこの機関の責任者に
べリアの側近を勤めていた35歳の冷酷残忍な秘密警察幹部、アバクーモフが任命。
いや~。スメルシュ出ましたねぇ。名前だけで怖いです。
3月、ドイツ軍の誇るマンシュタイン元帥の反撃によってハリコフが奪還され、
スターリングラード戦での勝利が台無しになりかねない状況の中、
スターリンは別の問題で怒りに震えています。
それは16歳になった娘スヴェトラーナの中年作家との恋・・。
「国中が戦争しているというのに、この堕落した娘の頭の中には男と寝ることしかない!」
と、かな切り声をあげてスヴェトラーナに生まれて初めてのビンタをお見舞いするのでした。。
それでも夏には「クルスクの大戦車戦」にも勝利して意気揚々となるスターリン。
共産主義の国際組織、コミンテルンを廃止し、国民に満足感と自信を回復させるため、
「インターナショナル」に代わる新しい国歌を制定することを決定します。
ソ連邦全域から曲を募集し、作詞にも関与するスターリンと重臣たち。
国歌好きのヴィトゲンシュタインは、実はこの今のロシア国歌も大好きなんですねぇ。
東欧の国歌は旧ユーゴ、ウクライナ、クロアチアなど重厚で寒々しいメロディが多いですが、
この系統では、後半、厳粛に盛り上がるロシア国歌がNo.1なのは間違いありません。
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三巨頭の集まったテヘラン会談でスターリンは、自分は決して間違いを起こさない
偉大な人間であることを確信します。
しかし勝利の代償は大きく、死亡者の数は2600万人にも達し、飢餓が猛威をふるって
ウクライナでは民族主義の軍事組織と赤軍による内戦も始まっています。
さらにカフカスでも少数民族がドイツ側に寝返っている情報が入ると、
イスラム教徒であるチェチェン民族とイングーシ民族の強制移住を決定し、
ベリヤは10万人のNKVD部隊を率いて、チェチェンの首都グローズヌイに乗り込みます。
1944年3月までにチェチェン人50万人の東部への移送が完了。
その他、対独協力者とされたクリミアのタタール人16万人なども次々と・・。
そして移送の途中、または強制収容所に着いた時点で53万人が餓死などで死亡するという
ホロコーストに劣らぬ大惨事が繰り広げられます。。
こういう歴史を知らないと、いまのロシア、チェチェン問題などは理解できないですね。
スターリンがその後のヤルタ会談でルーズヴェルト大統領に
「我が国のヒムラーです」とベリヤを紹介するだけのことがあります。
本書を読む限り、ベリヤはヒムラーを完全に超えていますね。
ヒムラーとハイドリヒ、そしてボルマンを足して3で割らないくらいの強烈さです。。
このベリヤ主役の本が2冊出ているので、今度、読んでみようと思いました。
「ワルシャワ蜂起」の赤軍の停止に触れ、ロコソフスキー将軍なども登場しながら、
西へと進むスターリン。
この時期、フランス自由軍のドゴール将軍がクレムリンを訪れた話は興味深かったですね。
気難しいドゴールが立ち去ろうとするとスターリンはドゴールの通訳を呼び止めます。
「君は多くを知り過ぎている。シベリア送りにしたほうがよさそうだ!」
もちろんコレはスターリン流のジョークなんですが、このようなのは度々出てきて、
尋ねてきた政治局員に向かって、「あぁ、君はまだ逮捕されていなかったのか・・」
と、当人からしてみれば、これほど恐怖に打ち震えるようなジョークは存在しません。。
本書では「拷問」についても所々で登場します。
殴り過ぎて眼球が飛び出す・・なんてのは当たり前。
基本は「フランス式レスリング」という床技で始まります。
後半には映画「マラソンマン」でダスティン・ホフマンが歯科拷問されたより凄い、
手術室のような拷問部屋も・・。
ヴィトゲンシュタインなら、この部屋に入っただけで、何でもかんでも自白するでしょう。。
東プロイセンに達した赤軍。狂乱の復讐が始まります。
数ヵ月間で200万人のドイツ人女性が強姦されたばかりでなく、収容所から解放された
ロシア人女性にも赤軍兵士は襲い掛かります。
報告を聞いたスターリンは、「愛する家族を失った兵士たちがスターリングラードから
祖国の惨状を数千㌔に渡って眼にし、恐ろしい体験をした後で、
少しばかり楽しみたいと思っても不思議ではない」。
そして4月、ゼーロウ高地で防戦するドイツ軍に手こずり、
3万人の大損害を受けながらもベルリンを占領したジューコフと赤軍。
ヒトラーの焼け焦げた遺体はスメルシュによってさっさと持ち去られ、それをジューコフ知らせずに
遺体の行方について質問を蒸し返してはジューコフを困らせて楽しむスターリン。
6月にはモスクワで勝利の軍事パレードが豪雨のなか行われ、
白馬に乗ったジューコフに始まり、200人の復員兵がナチスの軍旗を投げ捨てるのでした。
「大元帥」の称号と「ソ連邦英雄勲章」が重臣たちによって送られることになったスターリン。
「戦場で連隊も指揮したことのない私には、この勲章を受ける資格がない」と語り、
大元帥の称号も拒否します。
しかしゲーリング風の白の上着と、黒と赤の縞模様のズボンという
ホテルのドアマンを思わせる大元帥服を試着してモロトフに語ります。
「どうしてこんなものを受け入れてしまったのだろう・・」。
8月、広島に原爆が投下されると、獲物を取り逃すことを恐れたスターリンは
即座に対日参戦に踏み切ります。
しかし広島の惨状に衝撃を受け、「戦争は野蛮だが、原爆は度を越えて野蛮だ。
しかも日本の敗北は決まっていて、原爆を使用する必要などなかったのだ!」として、
トルーマン大統領の狙いが、日本ではなく、自分にあると確信します。
この「原爆による脅迫」に対して、すぐさまベリヤを長とする原爆開発プロジェクトを発足させ、
科学者が集められます。
1万人の技術者と40万人の職員をもって、膨大な量の仕事に打ち込むベリヤですが、
時間を見つけては、その絶大な権力にモノを言わせ、数十人の女優や
大好きな女子スポーツ選手などを拉致しては強姦。
自分の内務省のサッカー・チーム「ディナモ・モスクワ」が労働組合連合のライバルチーム、
「スパルタク・モスクワ」と優勝争いを繰り広げると、スパルタクの監督を逮捕して、
流刑にしてしまうなど、やりたい放題です。
最初の原子炉臨界実験に立ち会ったベリヤですが、見たところで到底理解はできません。
科学者たちに騙されていると思った彼は、
「これで終わりか?原子炉の中に入って見てもいいかな?」と
人類にとって願ってもないことを申し出ますが、
良心的な科学者たちは彼を思いとどまらせるのでした。。
ベリヤの政治的野心に気づいたスターリンは内相の座を罷免し、国家保安相に
スメルシュの「下等動物に等しい出世主義者」のアバクーモフを抜擢します。
まずターゲットとなるのは戦後の軍人たち。
特に西側にスターリンの後継者と持て囃されていたジューコフが大量の戦利品を略奪したカドで
逮捕されますが、すでに1937年ではないことを悟っていたスターリンは
オデッサ軍管区司令官に降格し、後にはウラル軍管区司令官へと再度、降格させるのでした。
古株のクリーク元帥が密かに銃殺されたのに比べれば、これでもまだマシな方ですね。
イスラエル国家が誕生し、それを米国が支援する状況になると、
国内でのユダヤ人への弾圧が激しくなります。
「邪悪なシオニスト狩り」が政府内でも始まり、モロトフのユダヤ人の奥さんまでが逮捕され、
モロトフ自身も最高権力集団から排除。
1949年にはカザフスタンの平原で遂に原爆実験が成功し、ベリヤの株が再び上昇。
毛沢東がスターリンの元を訪れると、北朝鮮の若き指導者、金日成もモスクワを訪問し、
韓国侵攻の許可をスターリンに求めます。
そんな「鋼鉄の男」スターリンも老いには勝てません。
重臣のひとり、ブルガーニンの名前すら思い出すことが出来ず、
「ところで、君の名前はなんだったかな?」
しかし、実際には耄碌しつつも、今まで以上に頑固で危険な存在であり、
あらゆる方向に攻撃の手を伸ばします。
歯の悪い彼のために食卓に出されたバナナが熟れていないと激怒したスターリンは
バナナの輸送船の関係者を逮捕し、貿易相の解任まで命じる始末・・。
これは命じた・・という笑い話ではなく、本当に貿易相が解任されているところが凄いですね。
自身の後継者問題についても、どこかの国のように息子に継がせる気などサラサラなく、
本書でも最初の息子、ヤコフがドイツ軍の捕虜となっても、交換には応じず、
小スターリンであるワシリーもモスクワの空軍司令官というポジションは与えますが、
相変わらずの我がままで、アル中・・という役立たず。。
そしてソ連はグルジア人ではなく、ロシア人が治める方が良いと考えているのでした。
そして遂に倒れるスターリン。
動脈硬化症に起因する左脳の内出血ですが、高名なユダヤ人医師たち全員が逮捕されており、
駆け付けたベリヤを筆頭とした重臣たちが呼んだ医師たちも、手術を行う勇気などありません。
回復の見込みがないことがハッキリすると、ベリヤはスターリンへの憎悪を公然と吐き出しますが、
スターリンの目玉や口が動いたりする度に、回復するかも・・という恐怖に駆られ、
慌てて跪き、スターリンの手に接吻を・・。
その他の重臣たちはスターリンが死ぬという事実を前に、安堵のため息をつきながらも
欠点はあっても、長年の親友であり、指導者であったスターリンのために涙を流すのでした。
「エピローグ」では後継者となったベリヤの新しい政策、特に東ドイツを開放するという提案が
重臣たちの不安を掻き立て、ベリヤ打倒を決意したフルシチョフによって策謀が・・。
そして部屋の外で待機していたジューコフ元帥が突入!して、ベリヤを逮捕。
「殺さないでくれ!」と大声でわめき、暴れ続けるベリヤの額が
死刑執行人のバチスキー将軍によって撃ち抜かれます。
アバクーモフも銃殺されて、スターリン時代の犯罪の多くがこの2人の責任に帰されるのでした。
本書にはマレンコフにミコヤンなど、重要な重臣たちも多く登場し、
モロトフの味方に付いたり、ベリヤ側に付いたり、時には全員で共同戦線を張ったり・・と
後半はいったい誰が生き残るのか・・?
というフィクションのサスペンスのような雰囲気すらありました。
戦後のソ連は詳しくないので、ヴォロシーロフが大統領になっていたり、
ブジョンヌイも生き残って、切手になっていたりして良かったですね。
まぁ、大変なボリュームがありましたけど、中だるみもなく、とても面白かったです。
知らないことが多かったので、集中力もありましたし、ちょっとした衝撃も受けたりと。。
この上下巻を読んでいた1週間で、二晩ほどは「ソ連の夢」も見ました・・。
独ソ戦の部分は250ページ程度で、思っていたほどではありませんでしたが、
これはスターリンがヒトラーほどは作戦に関与していなかったためでしょうね。
もし、原爆が使われなくて、日米本土決戦になっていたら、長引く戦争によって、
ソ連が北方領土だけではなく、北海道から東北まで攻め込んで、
戦後は東西ドイツや、今のお隣の国のような、分割された国になっていたかも・・
など、変なことも頭をよぎりました。
そんな意味でもこれまでに読んだソ連モノのなかでは、間違いなく最高の一冊でした。
また、スターリンの前半生を描いた「スターリン―青春と革命の時代」という
本書の第2弾もありますし、「ベリヤ本」の他にも、
「スターリン時代―元ソヴィエト諜報機関長の記録」という本も気になりますね。
まだまだ、ソ連モノも読んでみるつもりです。
スターリン -赤い皇帝と廷臣たち-〈上〉 [ロシア]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著の「スターリン〈上〉」を読破しました。
ヒトラーと第三帝国の歴史についてはかなり読んできたつもりですが、
その彼らの宿敵、スターリンと取り巻きたちについてはほとんど知りません。
最近、少しずつソ連の体制にも興味が出てきましたので、
2年前に発刊された最新のスターリン伝である本書を上下巻セット5000円で購入。
原著は2003年で、英国文学賞「歴史部門」受賞したということで、
この上巻が635ページという、とても分厚く重い大作ですが、
40年前の上下2段組で文字も小さい本なら400ページ程度でしょう。
これぐらいのボリュームは今まで、尽く撃破してきているので、4日くらいのミッションですね。
「序言」では本書の目的をスターリンをヒトラーと比べて、どちらが「世界最悪の独裁者」であったか、
その犠牲者の数の多さを基準にして論ずるような、おぞましくも無意味な「悪魔学」ではなく、
また、スターリンの内政外交史や軍事作戦史でもない、スターリンとその20人ほどの重臣たちと
家族の肖像を描きだした「宮廷劇の年代記」であるとしています。
むむ・・。これだけ読んだだけでテンションが上がりますね。
スターリン個人の生涯よりも、モロトフやベリヤなどを含めた・・ナチスで言えば
ゲーリングやゲッペルス、ヒムラーと同じような取り巻きたちを知りたかったので、
当たりの予感がします。
プロローグでは1932年、22歳年下の妻、ナージャの拳銃自殺、
それに呆然とするスターリンという、まるで映画のようなショッキングなシーンから始まります。
これにはヒトラーとゲリとの関係も思い出しました。
そして第1章からは1878年、後のスターリン、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの
生まれたグルジア、両親や彼の少年時代が紹介されます。
続いて政治活動に目覚め、革命家として7回流刑、6回脱走、レーニンを熱烈に支持し、
最初の結婚と息子ヤコフの誕生、妻エカテリーナの病死と、前半生はサクサク進みます。
1912年、真面目で面白みのない22歳のボルシェヴィキ同志と共同の下宿暮らしを始めます。
この同志スクリャービンは工業労働者らしい「革命家の仮名」を名乗り、
それは「金槌」を意味するモロトフです。
そこでジュガシヴィリも「鋼鉄の男」を意味するスターリンを名乗って、
尊敬するレーニンからも「素晴らしいグルジア人」と評されることになります。
1917年、レーニンのボルシェヴィキ革命が始ると、インテリのユダヤ人トロツキーが赤軍を創立し、
粗野な田舎者スターリンも政策決定の最高機関「政治局」の5人のメンバーに選ばれます。
派遣されたツァリーツィンでは赤軍を率いて反革命の疑いがある者を無慈悲に根こそぎ射殺し、
ヴォロシーロフとブジョンヌイと知り合い、親しくなります。
あ~、このツァリーツィンが改名されて「スターリングラード」になるんですね。
1924年にはレーニンが心臓発作で死亡すると、後継者と目されるトロツキーとの戦いが・・。
そして反トロツキー派とともに失脚に追い込み、書記長スターリンが誕生するのでした。
ここからクレムリン宮殿に暮らす、スターリンと新しい妻ナージャ、二人の子供に、
取り巻きである重臣たち家族との生活の様子が・・。
面白いのはナージャを含めて、奥様連中も強烈なボルシェヴィキで、
結構、政治にも口うるさいんですね。
1929年には西欧の辱めを受けない強大国になるための工業化「五ヵ年計画」のために、
国内の敵、富農階級(クラーク)撲滅を目論みます。
しかしこの撲滅計画開始から数ヵ月で80万人が蜂起。
これに対し、装甲列車で乗り込み、モロトフによって「直ちに処刑する農民」、
「収容所に送る農民」、「強制移住させる農民」の3つに分類された農民、
500万人から700万人が姿を消すのでした。
1930年には、10年前のポーランド戦争以来の仇敵だった参謀総長トハチェフスキーを
陥れようとスターリンは画策します。
この傲慢な司令官が「大げさな作戦」を振り回して、将官連中を馬鹿者扱いしている
との証言を強迫によって引き出し、トハチェフスキーの作戦が「空想的」であり、
ほとんど「反革命的」であると非難します。
しかし当時はまだ独裁者ではなかった書記長スターリンは誰からの支持も得られずに敗北。。
その「空想的」な戦略が実は驚嘆に値するほどの近代的なモノであったことを理解すると
「私の結論が全面的に間違っていた」と謝罪までするハメに・・。
当時のクレムリン宮殿でややこしいのは、長老格の国家元首(大統領)としてカリーニンがおり、
首相としてもルイコフがいることですね。
そして彼らはスターリンの警告によって、逆らう力を無くし、ルイコフはモロトフに取って代わられます。
ウクライナからは大飢饉という「明らかでたらめ」な情報がもたらされ始めますが、
「流血の上に新しい社会システムを構築する」という信念の元、
死者500万人から1000万人という人類史上類例のない悲劇を受け入れるのでした。
この「大飢饉」についての本、「悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉」という
638ページの大作があるのを発見しました。読んでみようかなぁ。
そんな時に起こった妻ナージャの突然の死。
農民が何百万人飢え死にしようが、妻の死からは生涯立ち直れなかったスターリン。
盟友カガノーヴィチは語ります。
「1932年を境にスターリンは別の人間になってしまった」。
その分、愛娘のスヴェトラーナにはたっぷりの愛情を注ぐことになり、
以前に紹介した「女主人」から、「秘書スターリン」に宛てた手紙(指令)もいくつか紹介。
しかし「小スターリン」である息子のワシリーの非行は悩みの種・・。
学校教師から「ワシリーが自殺をほのめかして脅迫する」という苦情の手紙を
受け取ったスターリンは返信します。
「ワシリーは甘やかされた子供で、野蛮人で、嘘つきの常習犯です。
弱みに付け込んでは大人を強迫し、弱い者には生意気な言動に及びます。
私の希望はもっと厳しく扱い、自殺などという、まやかしの脅迫を恐れることはありません・・。」
地方の実力者たちの間ではスターリンの乱暴な党運営に心痛め、
スターリン排除計画も密かに練られます。
対抗馬として名が挙がるのはスターリンの親友でもあるレニングラードのトップ、キーロフです。
党大会での中央委員の選出では、代議員によるキーロフへの反対票が3票だったのに対し、
モロトフ、カガノーヴィチ、そしてスターリンへの反対票は100票を超える事態に・・。
そしてドイツからは、ある事件のニュースが・・。
それはSAと反対派を一挙に殺害した「長いナイフの夜」。
スターリンは感銘を受けます。
「あのヒトラーという男はたいしたものだ!実に鮮やかな手口だ!」
チェーカーと呼ばれた秘密警察からOGPU(統合国家政治保安部)の長官を務めていた
メンジンスキーが死去するとOGPUは解体され、新設のNKVD(内務人民委員部)に吸収されて
新長官にはヤーゴダが就任します。
さらには以前からスターリンから絶大な信頼を得ているグルジア出身の
ベリヤも絡んでくる展開になるとだいぶキナ臭くなってきますね。
すると早速、キーロフが銃弾に倒れます。
知らせを受けたスターリンは「非常事態法」に署名。
これはテロリストとして告発された者を10日以内に裁判に付し、一切の控訴を認めず、
直ちに処刑ができるという、ほとんどヒトラーの「全権委任法」のようなもので、
この政令によって3年間で200万人に死刑が宣告されることになるのでした。
なお、ボルシェヴィキの世界における「テロリズム」とは、
スターリンの政策や人格に少しでも疑問を挟むことであり、
政治的反対派であることは、それ自体が「暗殺者」を意味します。
スターリンは友人である古参ボルシェヴィキを排除し、
有望で信頼のおける若手を登用したいと考えます。
そこで登場するのは半分文盲の労働者だったフルシチョフに、
キーロフ事件の捜査を担当した、身長151㎝のエジョフです。
また、41歳の死刑執行人で、20世紀を通じて最も多くの囚人を銃殺・・その数、数千人・・・
という怪物ブロヒンも紹介されます。
エジョフは上司である長官のヤーゴダを「高慢で消極的な自惚れ屋」と攻撃し、
NKVD長官の座を射止めると、いよいよ「大粛清」の幕が切って落とされます。
「無実の人間10人を犠牲にしてでも、一人のスパイを逃してはならない」と語るエジョフ。
ブハーリンとルイコフという古株は妻と娘共々逮捕され、粛清。
ヤーゴダの息のかかったNKVD職員3000名も処刑。
そしてヤーゴダ本人もエジョフの毒殺を図った容疑で逮捕。
彼はトハチェフスキー元帥らによるクーデター計画まで白状してしまいます。
いまだに装甲列車と騎兵突撃の思い出に生きるスターリン配下の政治家将軍である
ヴォロシーロフとブジョンヌイも、飛行機と戦車の機械化の時代を予想するカリスマ将軍とは
以前から対立しています。
そしてトハチェフスキーも拷問によって打ち砕かれ、ドイツのスパイとされ、
「機械化軍団の創設を迫るという破壊活動を行った罪」で銃殺。
その自白調書を鑑定したところ、人間の肉体から発散した血液のシミで汚れていることが
わかったそうです・・。
さらに国防人民委員(国防相)ヴォロシーロフは自らNKVDに告発状を送って
300人以上の将校の逮捕を要求し、最終的に元帥の3/5、司令官の15/16、軍団長の60/67、
軍コミッサールは17人全員が銃殺。。
エスカレートする粛清は、容疑者を特定せず、地方ごと数千人の数字を割り当てて、
逮捕処刑せよという命令へ・・。これは以前に「グラーグ」で読んだ恐るべきヤツですね。
ナチスが対象をユダヤ人やジプシーと限定していたのに対し、この「挽肉システム」は
昔の言葉や反対派と付き合った過去、仕事や隣人の妻への妬み、個人的な復讐・・と
理由は何でも構いません。
そして「不十分であるより、行き過ぎの方がマシ」と割り当てを超過し、
追加割当てまでもらって、数万人単位で銃殺が続きます。
この「割当てシステム」によって70万人が処刑されたということですが、
割当て地域の責任者が数の多さを競うように頑張るところは
アインザッツグルッペンとなにも変わらないですね。
部下が容疑者リストに載っているとしてスターリンに苦情を述べるブジョンヌイ。
「これらの連中が敵だとしたら、一体だれが革命を起こしたと言うのか!
これじゃ、我々自身が投獄されるぞ!」
しかし殺人鬼エジョフは働き続け、モロトフにも告発の危機が迫ります。
そしてブジョンヌイの妻でボリショイ劇場の歌手だったオリガが逮捕され、
禁固8年が言い渡されます。
すすり泣くことしかできないブジョンヌイ・・。
妻は独房の孤独に耐えきれず発狂するのでした。
狂乱は続きます。
モスクワの書記38人中、35人の逮捕を指示したのはフルシチョフ。
その処刑リストを見せられたスターリンは叫びます。「これは多すぎるのではないか?」
やがて酒を呑んで囚人を拷問するのが日課だったエジョフでさえ、
仕事の重圧により身を滅ぼしつつあります。
スターリンはいまや酒浸りのエジョフの退廃に気が付くと、
36歳の秘蔵っ子であるベリヤを補佐役に送り込みます。
1939年3月、ようやく党大会で「殺戮の終焉」が宣言されます。
「狂乱したエジョフの行き過ぎによって多少の間違いが生じたが、
殺戮そのものは成功だった」と総括され、
モロトフからジダーノフに至るまでの生き残りはそのまま、フルシチョフは昇進し、
全責任を負わされ、自らが作った処刑場で銃殺されたエジョフに代わったNKVD長官はベリヤです。
写真からも公式に抹殺された「消えたエジュフ」という写真も有名ですね。
これじゃ、まるで心霊写真です。。
このように、この上巻では「大粛清」が中心となっていますが、
赤軍だけではなく、各地の政治委員らも徹底的に粛清されていく様子を
クレムリン内部から目撃する・・という、その歯止めのない恐ろしさを知ることができました。
最後の100ページは、ヒトラーとの独ソ不可侵条約から、
その後に起こる独ソ戦の開戦までをスターリン側から観察します。
なにも聞かされていなかったフルシチョフは「なぜリッベントロップが来るのですか?」と
驚きを隠せません。再度、スターリンに尋ねます。「ロシアに亡命でもするのですか?」
国防担当人民副委員クリークとメフリスがポーランド侵攻作戦を指揮し、
キエフ軍管区司令官のティモシェンコとウクライナ第一書記のフルシチョフが
ドイツ軍によって降伏間際のポーランドに東から侵攻します。
逮捕されていたポーランド将校の処刑が決定し、モスクワから「カティンの森」へ
怪物ブロヒンが出向してきます。
一晩に250人を銃殺する計画通り、28夜で見事、7000人を処刑。
バルト三国も強迫によって手中に収め、言うことの聞かない生意気なフィンランドには実力行使。
しかし神出鬼没のフィンランド兵によって森には赤軍兵の死体が
凍ったピラミッドのように積み重なります。
1940年4月、ソフィン戦争の失態を反省するため、「最高軍事委員会」を設立。
司令官の一人は「フィンランドに森があることを知って驚いた」と発言すると、
メフリスは「フィンランド軍は我が軍の午後の昼寝の時間を狙って攻撃してきた」と報告。
もちろんスターリンは「いったい、何のことだ?」と激怒。。
ヒトラーが電撃戦でフランスに勝利するのを目の当たりにし、赤軍の立て直しを急ぐスターリン。
ヴォロシーロフとシュポシニコフという国防人民委員と参謀総長を解任し、
ティモシェンコとジューコフを登用。
しかし馬の引く大砲こそが今でも最も重要な武器だとするクリーク元帥が邪魔します。
そして世界中から送られてくる「バルバロッサ作戦」の情報・・。
読書家のスターリンはビスマルクも良く知っています。
「英国が降伏していない以上、ロシアを攻撃することはあり得ない。
ヒトラーも2正面戦争をするほどの馬鹿ではない」。
サイモン・セバーグ モンテフィオーリ著の「スターリン〈上〉」を読破しました。
ヒトラーと第三帝国の歴史についてはかなり読んできたつもりですが、
その彼らの宿敵、スターリンと取り巻きたちについてはほとんど知りません。
最近、少しずつソ連の体制にも興味が出てきましたので、
2年前に発刊された最新のスターリン伝である本書を上下巻セット5000円で購入。
原著は2003年で、英国文学賞「歴史部門」受賞したということで、
この上巻が635ページという、とても分厚く重い大作ですが、
40年前の上下2段組で文字も小さい本なら400ページ程度でしょう。
これぐらいのボリュームは今まで、尽く撃破してきているので、4日くらいのミッションですね。
「序言」では本書の目的をスターリンをヒトラーと比べて、どちらが「世界最悪の独裁者」であったか、
その犠牲者の数の多さを基準にして論ずるような、おぞましくも無意味な「悪魔学」ではなく、
また、スターリンの内政外交史や軍事作戦史でもない、スターリンとその20人ほどの重臣たちと
家族の肖像を描きだした「宮廷劇の年代記」であるとしています。
むむ・・。これだけ読んだだけでテンションが上がりますね。
スターリン個人の生涯よりも、モロトフやベリヤなどを含めた・・ナチスで言えば
ゲーリングやゲッペルス、ヒムラーと同じような取り巻きたちを知りたかったので、
当たりの予感がします。
プロローグでは1932年、22歳年下の妻、ナージャの拳銃自殺、
それに呆然とするスターリンという、まるで映画のようなショッキングなシーンから始まります。
これにはヒトラーとゲリとの関係も思い出しました。
そして第1章からは1878年、後のスターリン、ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリの
生まれたグルジア、両親や彼の少年時代が紹介されます。
続いて政治活動に目覚め、革命家として7回流刑、6回脱走、レーニンを熱烈に支持し、
最初の結婚と息子ヤコフの誕生、妻エカテリーナの病死と、前半生はサクサク進みます。
1912年、真面目で面白みのない22歳のボルシェヴィキ同志と共同の下宿暮らしを始めます。
この同志スクリャービンは工業労働者らしい「革命家の仮名」を名乗り、
それは「金槌」を意味するモロトフです。
そこでジュガシヴィリも「鋼鉄の男」を意味するスターリンを名乗って、
尊敬するレーニンからも「素晴らしいグルジア人」と評されることになります。
1917年、レーニンのボルシェヴィキ革命が始ると、インテリのユダヤ人トロツキーが赤軍を創立し、
粗野な田舎者スターリンも政策決定の最高機関「政治局」の5人のメンバーに選ばれます。
派遣されたツァリーツィンでは赤軍を率いて反革命の疑いがある者を無慈悲に根こそぎ射殺し、
ヴォロシーロフとブジョンヌイと知り合い、親しくなります。
あ~、このツァリーツィンが改名されて「スターリングラード」になるんですね。
1924年にはレーニンが心臓発作で死亡すると、後継者と目されるトロツキーとの戦いが・・。
そして反トロツキー派とともに失脚に追い込み、書記長スターリンが誕生するのでした。
ここからクレムリン宮殿に暮らす、スターリンと新しい妻ナージャ、二人の子供に、
取り巻きである重臣たち家族との生活の様子が・・。
面白いのはナージャを含めて、奥様連中も強烈なボルシェヴィキで、
結構、政治にも口うるさいんですね。
1929年には西欧の辱めを受けない強大国になるための工業化「五ヵ年計画」のために、
国内の敵、富農階級(クラーク)撲滅を目論みます。
しかしこの撲滅計画開始から数ヵ月で80万人が蜂起。
これに対し、装甲列車で乗り込み、モロトフによって「直ちに処刑する農民」、
「収容所に送る農民」、「強制移住させる農民」の3つに分類された農民、
500万人から700万人が姿を消すのでした。
1930年には、10年前のポーランド戦争以来の仇敵だった参謀総長トハチェフスキーを
陥れようとスターリンは画策します。
この傲慢な司令官が「大げさな作戦」を振り回して、将官連中を馬鹿者扱いしている
との証言を強迫によって引き出し、トハチェフスキーの作戦が「空想的」であり、
ほとんど「反革命的」であると非難します。
しかし当時はまだ独裁者ではなかった書記長スターリンは誰からの支持も得られずに敗北。。
その「空想的」な戦略が実は驚嘆に値するほどの近代的なモノであったことを理解すると
「私の結論が全面的に間違っていた」と謝罪までするハメに・・。
当時のクレムリン宮殿でややこしいのは、長老格の国家元首(大統領)としてカリーニンがおり、
首相としてもルイコフがいることですね。
そして彼らはスターリンの警告によって、逆らう力を無くし、ルイコフはモロトフに取って代わられます。
ウクライナからは大飢饉という「明らかでたらめ」な情報がもたらされ始めますが、
「流血の上に新しい社会システムを構築する」という信念の元、
死者500万人から1000万人という人類史上類例のない悲劇を受け入れるのでした。
この「大飢饉」についての本、「悲しみの収穫―ウクライナ大飢饉」という
638ページの大作があるのを発見しました。読んでみようかなぁ。
そんな時に起こった妻ナージャの突然の死。
農民が何百万人飢え死にしようが、妻の死からは生涯立ち直れなかったスターリン。
盟友カガノーヴィチは語ります。
「1932年を境にスターリンは別の人間になってしまった」。
その分、愛娘のスヴェトラーナにはたっぷりの愛情を注ぐことになり、
以前に紹介した「女主人」から、「秘書スターリン」に宛てた手紙(指令)もいくつか紹介。
しかし「小スターリン」である息子のワシリーの非行は悩みの種・・。
学校教師から「ワシリーが自殺をほのめかして脅迫する」という苦情の手紙を
受け取ったスターリンは返信します。
「ワシリーは甘やかされた子供で、野蛮人で、嘘つきの常習犯です。
弱みに付け込んでは大人を強迫し、弱い者には生意気な言動に及びます。
私の希望はもっと厳しく扱い、自殺などという、まやかしの脅迫を恐れることはありません・・。」
地方の実力者たちの間ではスターリンの乱暴な党運営に心痛め、
スターリン排除計画も密かに練られます。
対抗馬として名が挙がるのはスターリンの親友でもあるレニングラードのトップ、キーロフです。
党大会での中央委員の選出では、代議員によるキーロフへの反対票が3票だったのに対し、
モロトフ、カガノーヴィチ、そしてスターリンへの反対票は100票を超える事態に・・。
そしてドイツからは、ある事件のニュースが・・。
それはSAと反対派を一挙に殺害した「長いナイフの夜」。
スターリンは感銘を受けます。
「あのヒトラーという男はたいしたものだ!実に鮮やかな手口だ!」
チェーカーと呼ばれた秘密警察からOGPU(統合国家政治保安部)の長官を務めていた
メンジンスキーが死去するとOGPUは解体され、新設のNKVD(内務人民委員部)に吸収されて
新長官にはヤーゴダが就任します。
さらには以前からスターリンから絶大な信頼を得ているグルジア出身の
ベリヤも絡んでくる展開になるとだいぶキナ臭くなってきますね。
すると早速、キーロフが銃弾に倒れます。
知らせを受けたスターリンは「非常事態法」に署名。
これはテロリストとして告発された者を10日以内に裁判に付し、一切の控訴を認めず、
直ちに処刑ができるという、ほとんどヒトラーの「全権委任法」のようなもので、
この政令によって3年間で200万人に死刑が宣告されることになるのでした。
なお、ボルシェヴィキの世界における「テロリズム」とは、
スターリンの政策や人格に少しでも疑問を挟むことであり、
政治的反対派であることは、それ自体が「暗殺者」を意味します。
スターリンは友人である古参ボルシェヴィキを排除し、
有望で信頼のおける若手を登用したいと考えます。
そこで登場するのは半分文盲の労働者だったフルシチョフに、
キーロフ事件の捜査を担当した、身長151㎝のエジョフです。
また、41歳の死刑執行人で、20世紀を通じて最も多くの囚人を銃殺・・その数、数千人・・・
という怪物ブロヒンも紹介されます。
エジョフは上司である長官のヤーゴダを「高慢で消極的な自惚れ屋」と攻撃し、
NKVD長官の座を射止めると、いよいよ「大粛清」の幕が切って落とされます。
「無実の人間10人を犠牲にしてでも、一人のスパイを逃してはならない」と語るエジョフ。
ブハーリンとルイコフという古株は妻と娘共々逮捕され、粛清。
ヤーゴダの息のかかったNKVD職員3000名も処刑。
そしてヤーゴダ本人もエジョフの毒殺を図った容疑で逮捕。
彼はトハチェフスキー元帥らによるクーデター計画まで白状してしまいます。
いまだに装甲列車と騎兵突撃の思い出に生きるスターリン配下の政治家将軍である
ヴォロシーロフとブジョンヌイも、飛行機と戦車の機械化の時代を予想するカリスマ将軍とは
以前から対立しています。
そしてトハチェフスキーも拷問によって打ち砕かれ、ドイツのスパイとされ、
「機械化軍団の創設を迫るという破壊活動を行った罪」で銃殺。
その自白調書を鑑定したところ、人間の肉体から発散した血液のシミで汚れていることが
わかったそうです・・。
さらに国防人民委員(国防相)ヴォロシーロフは自らNKVDに告発状を送って
300人以上の将校の逮捕を要求し、最終的に元帥の3/5、司令官の15/16、軍団長の60/67、
軍コミッサールは17人全員が銃殺。。
エスカレートする粛清は、容疑者を特定せず、地方ごと数千人の数字を割り当てて、
逮捕処刑せよという命令へ・・。これは以前に「グラーグ」で読んだ恐るべきヤツですね。
ナチスが対象をユダヤ人やジプシーと限定していたのに対し、この「挽肉システム」は
昔の言葉や反対派と付き合った過去、仕事や隣人の妻への妬み、個人的な復讐・・と
理由は何でも構いません。
そして「不十分であるより、行き過ぎの方がマシ」と割り当てを超過し、
追加割当てまでもらって、数万人単位で銃殺が続きます。
この「割当てシステム」によって70万人が処刑されたということですが、
割当て地域の責任者が数の多さを競うように頑張るところは
アインザッツグルッペンとなにも変わらないですね。
部下が容疑者リストに載っているとしてスターリンに苦情を述べるブジョンヌイ。
「これらの連中が敵だとしたら、一体だれが革命を起こしたと言うのか!
これじゃ、我々自身が投獄されるぞ!」
しかし殺人鬼エジョフは働き続け、モロトフにも告発の危機が迫ります。
そしてブジョンヌイの妻でボリショイ劇場の歌手だったオリガが逮捕され、
禁固8年が言い渡されます。
すすり泣くことしかできないブジョンヌイ・・。
妻は独房の孤独に耐えきれず発狂するのでした。
狂乱は続きます。
モスクワの書記38人中、35人の逮捕を指示したのはフルシチョフ。
その処刑リストを見せられたスターリンは叫びます。「これは多すぎるのではないか?」
やがて酒を呑んで囚人を拷問するのが日課だったエジョフでさえ、
仕事の重圧により身を滅ぼしつつあります。
スターリンはいまや酒浸りのエジョフの退廃に気が付くと、
36歳の秘蔵っ子であるベリヤを補佐役に送り込みます。
1939年3月、ようやく党大会で「殺戮の終焉」が宣言されます。
「狂乱したエジョフの行き過ぎによって多少の間違いが生じたが、
殺戮そのものは成功だった」と総括され、
モロトフからジダーノフに至るまでの生き残りはそのまま、フルシチョフは昇進し、
全責任を負わされ、自らが作った処刑場で銃殺されたエジョフに代わったNKVD長官はベリヤです。
写真からも公式に抹殺された「消えたエジュフ」という写真も有名ですね。
これじゃ、まるで心霊写真です。。
このように、この上巻では「大粛清」が中心となっていますが、
赤軍だけではなく、各地の政治委員らも徹底的に粛清されていく様子を
クレムリン内部から目撃する・・という、その歯止めのない恐ろしさを知ることができました。
最後の100ページは、ヒトラーとの独ソ不可侵条約から、
その後に起こる独ソ戦の開戦までをスターリン側から観察します。
なにも聞かされていなかったフルシチョフは「なぜリッベントロップが来るのですか?」と
驚きを隠せません。再度、スターリンに尋ねます。「ロシアに亡命でもするのですか?」
国防担当人民副委員クリークとメフリスがポーランド侵攻作戦を指揮し、
キエフ軍管区司令官のティモシェンコとウクライナ第一書記のフルシチョフが
ドイツ軍によって降伏間際のポーランドに東から侵攻します。
逮捕されていたポーランド将校の処刑が決定し、モスクワから「カティンの森」へ
怪物ブロヒンが出向してきます。
一晩に250人を銃殺する計画通り、28夜で見事、7000人を処刑。
バルト三国も強迫によって手中に収め、言うことの聞かない生意気なフィンランドには実力行使。
しかし神出鬼没のフィンランド兵によって森には赤軍兵の死体が
凍ったピラミッドのように積み重なります。
1940年4月、ソフィン戦争の失態を反省するため、「最高軍事委員会」を設立。
司令官の一人は「フィンランドに森があることを知って驚いた」と発言すると、
メフリスは「フィンランド軍は我が軍の午後の昼寝の時間を狙って攻撃してきた」と報告。
もちろんスターリンは「いったい、何のことだ?」と激怒。。
ヒトラーが電撃戦でフランスに勝利するのを目の当たりにし、赤軍の立て直しを急ぐスターリン。
ヴォロシーロフとシュポシニコフという国防人民委員と参謀総長を解任し、
ティモシェンコとジューコフを登用。
しかし馬の引く大砲こそが今でも最も重要な武器だとするクリーク元帥が邪魔します。
そして世界中から送られてくる「バルバロッサ作戦」の情報・・。
読書家のスターリンはビスマルクも良く知っています。
「英国が降伏していない以上、ロシアを攻撃することはあり得ない。
ヒトラーも2正面戦争をするほどの馬鹿ではない」。
ナチスがUFOを造っていた -ついに突き止めた超兵器- [ジョーク本]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
矢追純一 著の「ナチスがUFOを造っていた」を読破しました。
「独破戦線」トンデモ本シリーズの第2回目が遂にやってまいりました。
栄えある第1回目は「こちら」でしたが、もう大昔のようですねぇ。
本書の存在は「ナチスの発明」を読んだときから知っていましたが、
今回、読んでみようと魔が差したのは、その恐るべき「目次」を知ってしまったからなんですね。
「ナチスが造っていたUFOの証拠写真をついに発見!」とか、
「Vロケット工場跡地にUFOの大編隊が飛来!」とか、
「自殺したはずのヒトラーが南極のナチス秘密基地にいた」とか、
コレくらいでは食指は動きませんが、
「UFOから降り立ったその男はナチスSSの制服を着ていた」にやられました。。
まずは「UFO本」であることが、イコール「トンデモ本」ではないことを
個人的にハッキリさせておかなければなりません。
ヴィトゲンシュタインは少年時代にTVで、「矢追純一のUFOもの」や
「川口浩探検隊シリーズ」を見て立派に育った世代ですし、
「スター・ウォーズ」を筆頭にした宇宙SF映画ブームにも充分、影響を受けています。
よく言われることですが、そもそも「UFO」=「宇宙人の乗り物」ではなく、
あくまで「未確認飛行物体」の略であり、
例えば極秘開発中の新型戦闘機を偶然見かけたら、それは「UFO」と呼んで良いと思うんですね。
では「宇宙人が存在しているか?」については、存在していないという証拠がない以上、
「存在している」とロマンチックに考えます。
まぁ、その宇宙人が「UFO」に乗って地球に来ているか・・? というのは、また別の話ですが・・。
以上のように「UFO」を考えるヴィトゲンシュタインからしても、
本書は「トンデモ本」臭がプンプンしたもので、早速、その具合を楽しんでみましょう。
第1章では1944年12月14日付のニューヨーク・タイムズ紙に「連合軍最高司令部発」として
「ヨーロッパ最前線の上空に銀色の球体をしたドイツの新兵器が現る。」
という記事が掲載されていたことをロサンゼルスの怪しいUFO研究家から教えられた著者。
コレは無人コントロールのUFOで「空飛ぶ亀」として連合軍パイロットから恐れられたということで、
決して「ガメラ」ではありません。
今まさに「バルジ大作戦」が始まろうか・・という時期ですね。
次の章ではドイツにおける円盤型飛行機開発は1934年に
「RFZ-1」というのが完成していたという驚くべき事実が明かされます。
そしていよいよ第3章「UFOから降り立ったその男はナチスSSの制服を着ていた」。
1964年、米国ネバダ州に着陸した巨大なUFOから降り立ったのは、
ナチスSSの制服をパリっと着込んだ2mはあろうかという大男。
そしてドル札を差出して、「腹が減ったから何か喰うものを買って来てくれ」と
もの凄いドイツ訛の英語でいきなり頼む、その男の顔には大きな傷が・・。
ここまでくればお察しのとおり、この男の名はオットー・スコルツェニーです。
著者はこの証言者に尋ねます。「なぜ彼は自分で買いに行かなかったのでしょう?」
「ナチスSSの制服で、外をうろうろと歩くわけにはいかなかったんじゃないでしょうか・・」。
次の情報提供者はネオナチ運動を強力に推進するエルンスト・ズンデル氏です。
まぁ、こんな人からナチスの秘密計画を聞こう・・ということ自体、いけませんが、
最初はマトモなV-1、V-2ロケット開発の話で始まります。
フォッケウルフのトリープフリューゲルにも触れて(飛んでる白黒写真付き)、
テスト機は音速以上で飛んだ・・とか、
「太陽砲」の運用では、ヨーロッパは天気が悪くて上空の敵機に対する効果はなかったものの、
暑い北アフリカでは、戦果は上々・・。
「音響砲(音波砲)」では実験に使われた何百匹の犬や豚がバタバタと死んだり・・。
また、本書では「ナチス親衛隊の秘密部隊が"SS"」とされていますが、
もちろん、ナチス親衛隊自体が"SS"なので、著者が勘違いしているか、
またはナチス親衛隊は"ナチ党"のことを指しているのかも知れません。
ナチスの開発したUFOの写真では、その真下の付いているものに言及。
それはティーガーやパンター戦車の砲塔という、実に恐るべき武器です。。
砲塔が逆さに取り付けられ、下向きになったハッチから出入りするそうですが、
ヴィットマンの名砲手、ヴァルタザール・ヴォルが逆さ吊りになって訓練してるところを
思わず想像してしまいました。。
1934年に「RFZ-1」を完成させていたのは、ナチスとは別の秘密結社「ヴリル協会」というもので
ここからは数千年の歴史を持つ「秘密結社」の謎に迫ります。
しかしここまで読んでいて、なかなか良くできているなぁ・・という感想を持ちました。
例えば、「実はヒトラーが死んだという証拠は無いのです」という衝撃的な証言も、
焼け焦げたヒトラーの遺体はソ連軍の手に落ち、東ドイツ領に埋められていたものが
東西統一の際に掘り返されて捨てられたということが様々な書物に書かれているとおりだとすると、
西側ではヒトラーが死んだという物的証拠は持っていないわけです。
実際に開発運用された世界初の新兵器と、計画だけで終わったものでも
その設計されたという事実を大きく膨らましながら、円盤型の新兵器へと進んでいきますし、
ヒトラーが超能力者だったというオカルト話も、第1次大戦後に存在し、
ナチ党の基盤でもあった秘密結社「トゥーレ協会」や、ルドルフ・ヘスが信奉し、
あのゾルゲも日本に行く前に尋ねたハウスホーファー教授まで登場させたりと、
事実をベースにして、構築されているんですね。
しかし、火星に移住していた、68光年離れた太陽系にあるアルデバラン星人と
ヴェーヴェルスブルク城でチャネリングをしていたのが、優れた霊能者である、
SSの最高司令官ヒムラー・・となってくると、だいぶ苦しくなってきますね。
ヒムラーが瞑想してハインリヒ1世と・・というのは聞いたことがありますが、
まさかアルデバラン星人だとは。。
著者もこの城や、SSが運営していた「ミッテルバウ=ドーラ強制収容所」の地下にある
V2ロケット組立工場を訪れたりして頑張ってますが、
やっぱりココでUFOも組み立てられていたという証言も得ます。
そしてクライマックスで「南極でヒトラーを見た」という章になると、
コレがすでに死んだSS情報部員の爺さんの手紙に書かれていたという話で、
総統ブンカーでボルマンがヒトラーのソックリさんを殺しておいて、
本物ヒトラーに麻酔を打って運び出し・・。
その後、頭もすっかり禿げ上がったヨレヨレのヒトラーと南極で対面しますが、
その様子は、過去にいくつか読んだ1945年のヒトラーを描いたものと一緒です。
この手紙の信憑性は1945年4月21日にドーニッツ(デーニッツ)元帥が総統ブンカーにいた
というのが理由だそうで、面白いのはそれを間違いないと太鼓判を押すのが、
当時のデーニッツ護衛隊長で、U-333の艦長だった「生命保険」クレーマーなんですね。
でも前日がヒトラーの誕生日で、デーニッツもお祝いに駆けつけたなんて話は
いろいろ読んだ気がしますけどね。。
終戦後にアルゼンチンに辿り着き、ヒトラーやボルマンを乗せて南極へ行ったと噂された
2隻のUボートについても本書は喰いつきます。
このUボートがまるで最新型の「エレクトロ・ボート」であったかのような書きっぷりに始まり、
しかもU-530の定員が「18名のところに58名」も乗っていたとか、
U-977の乗組員の年齢が「ほとんど20歳代」であることに疑問を投げかけますが、
U-530は「IX型」ですから、定員50名くらいですし、
U-977も艦長シェッファー自身が25歳という、終戦間際のUボートクルーはそんなもんです。。
結局、最後は前半のナチスから、裏で世界を牛耳る秘密結社とアルデバラン星人のお話に
シュメール文明とか、火星の人面石とかグダグダな展開となっていきますが、
ナチスの兵器などにお詳しい方なら、ドコまでが事実で、ドコまでが計画のみで、
ドコが完全なウソであるかを切り分けながら読むのも楽しいかも知れません。
いま日本を騒がせているV-22 オスプレイも、実はナチスの設計だった・・
なんてオチもあったりして。。
そういえば、新兵器UFOを戦時中に日本に運んだという話も出てきましたが、
本書ではコレを運んだのが「軍艦アトランティス」という船で、
実際、「仮装巡洋艦アトランティス」というのはありましたが、
横浜に来たのは同じ仮装巡洋艦でも「トール号」です。
あえてUFO好きが興味を示しそうな「アトランティス」という名前を持ってくるあたりも
「やってんなぁ・・」という気がしましたね。。
本書は1994年当時、TVでも放映されたと思いますが、見た記憶は・・??
ひょっとしたら、本書を読まれた方より、TVをご覧になった方の方が多いのかも。。
そのかわり、ナチスが月から攻めて来た! 最期に笑うのは、月面ナチスか、地球防衛軍か!?
ナチス第四帝国、月面より宣戦布告! という「アイアン・スカイ」というトンデモ映画が
日本でも公開されます。さすがにお金払って観に行く気はしませんが、
ノベライズ本も出ているので、また魔が差したら読んでみるかも知れません。
また余談ですが、この映画の公開に合わせてか、「別冊映画秘宝」という雑誌で
「ナチス映画電撃読本」というのも出ます。
内容は不明ですが、結構、マニアックなナチス映画が紹介されそうで、
コッチは買ってみるつもりです。
矢追純一 著の「ナチスがUFOを造っていた」を読破しました。
「独破戦線」トンデモ本シリーズの第2回目が遂にやってまいりました。
栄えある第1回目は「こちら」でしたが、もう大昔のようですねぇ。
本書の存在は「ナチスの発明」を読んだときから知っていましたが、
今回、読んでみようと魔が差したのは、その恐るべき「目次」を知ってしまったからなんですね。
「ナチスが造っていたUFOの証拠写真をついに発見!」とか、
「Vロケット工場跡地にUFOの大編隊が飛来!」とか、
「自殺したはずのヒトラーが南極のナチス秘密基地にいた」とか、
コレくらいでは食指は動きませんが、
「UFOから降り立ったその男はナチスSSの制服を着ていた」にやられました。。
まずは「UFO本」であることが、イコール「トンデモ本」ではないことを
個人的にハッキリさせておかなければなりません。
ヴィトゲンシュタインは少年時代にTVで、「矢追純一のUFOもの」や
「川口浩探検隊シリーズ」を見て立派に育った世代ですし、
「スター・ウォーズ」を筆頭にした宇宙SF映画ブームにも充分、影響を受けています。
よく言われることですが、そもそも「UFO」=「宇宙人の乗り物」ではなく、
あくまで「未確認飛行物体」の略であり、
例えば極秘開発中の新型戦闘機を偶然見かけたら、それは「UFO」と呼んで良いと思うんですね。
では「宇宙人が存在しているか?」については、存在していないという証拠がない以上、
「存在している」とロマンチックに考えます。
まぁ、その宇宙人が「UFO」に乗って地球に来ているか・・? というのは、また別の話ですが・・。
以上のように「UFO」を考えるヴィトゲンシュタインからしても、
本書は「トンデモ本」臭がプンプンしたもので、早速、その具合を楽しんでみましょう。
第1章では1944年12月14日付のニューヨーク・タイムズ紙に「連合軍最高司令部発」として
「ヨーロッパ最前線の上空に銀色の球体をしたドイツの新兵器が現る。」
という記事が掲載されていたことをロサンゼルスの怪しいUFO研究家から教えられた著者。
コレは無人コントロールのUFOで「空飛ぶ亀」として連合軍パイロットから恐れられたということで、
決して「ガメラ」ではありません。
今まさに「バルジ大作戦」が始まろうか・・という時期ですね。
次の章ではドイツにおける円盤型飛行機開発は1934年に
「RFZ-1」というのが完成していたという驚くべき事実が明かされます。
そしていよいよ第3章「UFOから降り立ったその男はナチスSSの制服を着ていた」。
1964年、米国ネバダ州に着陸した巨大なUFOから降り立ったのは、
ナチスSSの制服をパリっと着込んだ2mはあろうかという大男。
そしてドル札を差出して、「腹が減ったから何か喰うものを買って来てくれ」と
もの凄いドイツ訛の英語でいきなり頼む、その男の顔には大きな傷が・・。
ここまでくればお察しのとおり、この男の名はオットー・スコルツェニーです。
著者はこの証言者に尋ねます。「なぜ彼は自分で買いに行かなかったのでしょう?」
「ナチスSSの制服で、外をうろうろと歩くわけにはいかなかったんじゃないでしょうか・・」。
次の情報提供者はネオナチ運動を強力に推進するエルンスト・ズンデル氏です。
まぁ、こんな人からナチスの秘密計画を聞こう・・ということ自体、いけませんが、
最初はマトモなV-1、V-2ロケット開発の話で始まります。
フォッケウルフのトリープフリューゲルにも触れて(飛んでる白黒写真付き)、
テスト機は音速以上で飛んだ・・とか、
「太陽砲」の運用では、ヨーロッパは天気が悪くて上空の敵機に対する効果はなかったものの、
暑い北アフリカでは、戦果は上々・・。
「音響砲(音波砲)」では実験に使われた何百匹の犬や豚がバタバタと死んだり・・。
また、本書では「ナチス親衛隊の秘密部隊が"SS"」とされていますが、
もちろん、ナチス親衛隊自体が"SS"なので、著者が勘違いしているか、
またはナチス親衛隊は"ナチ党"のことを指しているのかも知れません。
ナチスの開発したUFOの写真では、その真下の付いているものに言及。
それはティーガーやパンター戦車の砲塔という、実に恐るべき武器です。。
砲塔が逆さに取り付けられ、下向きになったハッチから出入りするそうですが、
ヴィットマンの名砲手、ヴァルタザール・ヴォルが逆さ吊りになって訓練してるところを
思わず想像してしまいました。。
1934年に「RFZ-1」を完成させていたのは、ナチスとは別の秘密結社「ヴリル協会」というもので
ここからは数千年の歴史を持つ「秘密結社」の謎に迫ります。
しかしここまで読んでいて、なかなか良くできているなぁ・・という感想を持ちました。
例えば、「実はヒトラーが死んだという証拠は無いのです」という衝撃的な証言も、
焼け焦げたヒトラーの遺体はソ連軍の手に落ち、東ドイツ領に埋められていたものが
東西統一の際に掘り返されて捨てられたということが様々な書物に書かれているとおりだとすると、
西側ではヒトラーが死んだという物的証拠は持っていないわけです。
実際に開発運用された世界初の新兵器と、計画だけで終わったものでも
その設計されたという事実を大きく膨らましながら、円盤型の新兵器へと進んでいきますし、
ヒトラーが超能力者だったというオカルト話も、第1次大戦後に存在し、
ナチ党の基盤でもあった秘密結社「トゥーレ協会」や、ルドルフ・ヘスが信奉し、
あのゾルゲも日本に行く前に尋ねたハウスホーファー教授まで登場させたりと、
事実をベースにして、構築されているんですね。
しかし、火星に移住していた、68光年離れた太陽系にあるアルデバラン星人と
ヴェーヴェルスブルク城でチャネリングをしていたのが、優れた霊能者である、
SSの最高司令官ヒムラー・・となってくると、だいぶ苦しくなってきますね。
ヒムラーが瞑想してハインリヒ1世と・・というのは聞いたことがありますが、
まさかアルデバラン星人だとは。。
著者もこの城や、SSが運営していた「ミッテルバウ=ドーラ強制収容所」の地下にある
V2ロケット組立工場を訪れたりして頑張ってますが、
やっぱりココでUFOも組み立てられていたという証言も得ます。
そしてクライマックスで「南極でヒトラーを見た」という章になると、
コレがすでに死んだSS情報部員の爺さんの手紙に書かれていたという話で、
総統ブンカーでボルマンがヒトラーのソックリさんを殺しておいて、
本物ヒトラーに麻酔を打って運び出し・・。
その後、頭もすっかり禿げ上がったヨレヨレのヒトラーと南極で対面しますが、
その様子は、過去にいくつか読んだ1945年のヒトラーを描いたものと一緒です。
この手紙の信憑性は1945年4月21日にドーニッツ(デーニッツ)元帥が総統ブンカーにいた
というのが理由だそうで、面白いのはそれを間違いないと太鼓判を押すのが、
当時のデーニッツ護衛隊長で、U-333の艦長だった「生命保険」クレーマーなんですね。
でも前日がヒトラーの誕生日で、デーニッツもお祝いに駆けつけたなんて話は
いろいろ読んだ気がしますけどね。。
終戦後にアルゼンチンに辿り着き、ヒトラーやボルマンを乗せて南極へ行ったと噂された
2隻のUボートについても本書は喰いつきます。
このUボートがまるで最新型の「エレクトロ・ボート」であったかのような書きっぷりに始まり、
しかもU-530の定員が「18名のところに58名」も乗っていたとか、
U-977の乗組員の年齢が「ほとんど20歳代」であることに疑問を投げかけますが、
U-530は「IX型」ですから、定員50名くらいですし、
U-977も艦長シェッファー自身が25歳という、終戦間際のUボートクルーはそんなもんです。。
結局、最後は前半のナチスから、裏で世界を牛耳る秘密結社とアルデバラン星人のお話に
シュメール文明とか、火星の人面石とかグダグダな展開となっていきますが、
ナチスの兵器などにお詳しい方なら、ドコまでが事実で、ドコまでが計画のみで、
ドコが完全なウソであるかを切り分けながら読むのも楽しいかも知れません。
いま日本を騒がせているV-22 オスプレイも、実はナチスの設計だった・・
なんてオチもあったりして。。
そういえば、新兵器UFOを戦時中に日本に運んだという話も出てきましたが、
本書ではコレを運んだのが「軍艦アトランティス」という船で、
実際、「仮装巡洋艦アトランティス」というのはありましたが、
横浜に来たのは同じ仮装巡洋艦でも「トール号」です。
あえてUFO好きが興味を示しそうな「アトランティス」という名前を持ってくるあたりも
「やってんなぁ・・」という気がしましたね。。
本書は1994年当時、TVでも放映されたと思いますが、見た記憶は・・??
ひょっとしたら、本書を読まれた方より、TVをご覧になった方の方が多いのかも。。
そのかわり、ナチスが月から攻めて来た! 最期に笑うのは、月面ナチスか、地球防衛軍か!?
ナチス第四帝国、月面より宣戦布告! という「アイアン・スカイ」というトンデモ映画が
日本でも公開されます。さすがにお金払って観に行く気はしませんが、
ノベライズ本も出ているので、また魔が差したら読んでみるかも知れません。
また余談ですが、この映画の公開に合わせてか、「別冊映画秘宝」という雑誌で
「ナチス映画電撃読本」というのも出ます。
内容は不明ですが、結構、マニアックなナチス映画が紹介されそうで、
コッチは買ってみるつもりです。
最後のドイツ空軍 [ドイツ空軍]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
アルフレッド・プライス著の「最後のドイツ空軍」を読破しました。
朝日ソノラマのルフトヴァッフェ物はもう何冊目だか、自分でも良くわかりませんが、
1993年の発刊で438ページの本書は、結構前から読んでみたいと思っていた一冊です。
ドイツ空軍の最後系というジャンルにしても、「ボーデンプラッテ作戦」やジェット戦闘機ものを
読んできましたが、本書は特定の部隊や戦闘機などの機種、東西両戦線のどちらかに
重点を置いたものではなく、1944年5月からの1年間に爆撃機、戦闘機、新兵器が
戦局の悪化と共に、どのように開発/運用され、そして終焉を迎えたかを
総括的にまとめたものです。
最初の章では1944年5月時点でのドイツ空軍の全体的な情勢を整理します。
ドイツ空軍の人員が、女性も含めて280万人であり、
飛行機の生産工場は軍需相シュペーアの努力によって、27ヵ所の主要工場から疎開し、
その10倍にもなる全国の小規模工場へと分散。この結果、戦闘機の生産量は過去最大に・・。
しかし、その工場では電気系統の接続ボックスに金属の削りかすが入れられるなどの
サボタージュも頻繁に起こり、これによる事故によってゲシュタポが大騒ぎ。
偵察機から戦闘機パイロットへの転換訓練もわずか30時間に過ぎず、
離陸と着陸をやっと習得したばかりの新人が、敵戦闘機との空中戦に向かうのです。
続いて各航空軍の紹介へ。
最大規模である航空軍、本土防空航空軍を率いるのはシュトゥンプ上級大将。
西部はシュペルレ元帥の第3航空軍。
東部戦線ではレニングラード周辺で戦う第1航空軍と、中央部の第6航空軍、
黒海に至る南部を担当する第4航空軍。
これらの司令官はカムフーバー大将にフォン・グライム上級大将です。
さらにイタリアにはリヒトホーフェン元帥の第2航空軍。
そしてこれらの戦闘機受領状況(配備数)が航空団、さらには飛行隊単位で、
FW-190、Bf-109が何機・・という数字が30ページに渡って掲載されます。
新型機、或いは新兵器であるMe-262や、Me-163、Me-410、Do-335、V-1飛行爆弾、
Ar-234、He-177、そして親子飛行機ミステルなどの開発経緯が紹介され、
ここまでの100ページで以上のような基本情報を理解したうえで、
いよいよ本文ともいえる第3章、「ドイツ本土防空戦」へと進みます。
1944年1月から4月までの間に1000名以上の昼間戦闘機パイロットを失い、
「今や空軍の崩壊を予見できる段階に至った」と報告する戦闘機隊総監のガーランド少将。
対爆撃機専門の駆逐機に高初速50口径砲を装備した新型Me-410を装備し始めるも、
米軍の護衛戦闘機マスタングの前に、この双発重戦闘機12機は瞬く間に撃墜・・。
しかしBf-109Gの強襲飛行隊が主翼に装備された30㎜機関砲によって、
B-24リベレーター11機を屠るといった戦記も紹介されます。
これらは当時のパイロットのインタビューで、ちょっとした短編戦記で良いですね。
6月、ノルマンディに上陸した連合軍艦隊に対しても250㎏爆弾を積んだヤーボの他に、
爆弾2個を搭載したヒトラーの肝いり"ブリッツボンバー"Me-262ジェット戦闘爆撃機も出撃。
しかし機密が敵の手に落ちるのを恐れ、高度4000メートル以下に降下することは許されません。
当然、爆撃照準器を装備していない、にわか仕立ての爆撃機では命中させるのは不可能です。
何キロにも渡って、パットンの米第3軍、7個師団が押し合いへし合い進むフランスの細い一本道。
まさに戦闘爆撃機パイロットたちが夢見る至福の世界がソコには広がっています。
しかしクモの巣のような戦闘哨戒機の網の目が張り巡らされて突破することは出来ません。
Hs293誘導グライダー爆弾を装備したDo-217が絶望的な攻撃を試みますが、
損害を与えることは出来ず、Do-217、6機とその搭乗員全員を失うのでした。
その頃、東部戦線では第1爆撃航空団(KG1)が四発重爆撃機He-177"グライフ"100機を揃え、
独ソ両軍の中でも最強の戦略的攻撃部隊として行動を開始します。
昼間に6000メートルの高高度から、87機のHe-177でヴェリキエ・ルーキの鉄道集中拠点を爆撃。
ソ連空軍はほとんどが低高度迎撃と地上攻撃用であり、彼らを妨害することは出来ません。
それでも地上戦の状況が悪化してくると、飛ばせる飛行機はなんでも
近接地上支援任務に就かなければなりません。
KG1司令のホルスト・フォン・リーゼン大佐はゲーリングの命令に抗議するも、
Ju-87シュトゥーカ急降下爆撃機のルーデル大佐よろしく、この無謀な対戦車攻撃に出撃。。
四発重爆撃機He-177、40機のうち1/4を喪失しますが、著者は、
「敵の戦車の1両でも破壊したか否かは疑問である」。
再び、西部戦線。遂に「報復兵器V-1」こと、Fi-103がロンドン目指して飛び立ちます。
目標は「タワーブリッジ」ですが、発射された約2500発のうち1/3がロンドンに落下。
人的被害は死者約2500名、重傷者7100名ということです。
本書はあくまで空軍の話ですから、陸軍のV-2については参考程度に書かれているだけ・・
というのが、ハッキリしてて好感が持てます。
空軍の戦略に詳しい方なら当たり前のことだと思いますが、
相手を攻撃するときには爆撃機、防御するときには戦闘機、ということを改めて認識しました。
特にMe-262をヒトラーが戦闘機ではなく、爆撃機に・・と命令したのは
一般的にジェット戦闘機の開発と配備を遅らせた大きな要因とされていますが、
著者は当時、西側連合軍が上陸することを想定し、それを橋頭堡で撃退するために、
このような爆撃機を量産しておいて用いようとする戦略は正しいものであるとしています。
なるほどねぇ。。
また、戦闘機隊総監のガーランドは米軍の爆撃機部隊に1回の強烈な攻撃を仕掛けて
潰滅的な打撃を与えようとする「デル・グロス・シュラーク(強烈パンチ)作戦」を計画し、
各部隊を再編成しはじめます。
これは2000機以上の戦闘機で迎撃し、戦闘機400機とパイロット100名の損失を覚悟のうえ、
敵爆撃機400~500機を撃墜しようとするもので、もし成功すれば、米軍はしばらくの間、
この打撃から立ち直れず、本土爆撃が沈静化することを目的としています。
この作戦は彼の回想録「始まりと終り」にも書かれている有名なものですが、
「強烈パンチ作戦」という日本語訳が妥当かは、どなたか判断をお願いします。。
しかし、この野心的な作戦もガーランドの知らないところでヒトラーに却下され、
その兵力は12月から1945年1月にかけての「バルジ大作戦」と
「ボーデンプラッテ作戦」に使われてしまうのでした。
スカパフローの英国の主力艦を「ミステル」によって攻撃しようという作戦は印象的でした。
この作戦は結局中止となるわけですが、その理由はドイツ海軍の誇る大戦艦ティルピッツが
ノルウェーで撃沈されてしまったことによるものです。
北方海域に潜むティルピッツを危惧して、スカパフローに大型艦艇群を配置していた英国ですが、
ティルピッツの恐怖が払拭されるとスカパフローからさっさと出て、
本国艦隊に合流してしまったそうです。確かにティルピッツがもう少し粘っていたら、
ドイツ空軍による特殊作戦が成功していたかもしれませんが
陸海空まんべんなく読む「独破戦線」は、そう簡単ではないことも知っています。
ゲーリングをあからさまに非難するガーランドを無視できなくなった国家元帥は、彼を解任。
そして彼を慕う戦闘機隊の司令官たちはリュッツォウ大佐を中心として反乱を起こします。
やがて中将が指揮官というユニークな第44戦闘航空団が編成されますが、
ゲーリングがこの新設のジェット戦闘機隊でガーランドを送り出したのは
「人気の高いこの空軍内の敵を連合軍が始末してくれると期待したためである。
これには疑問の余地はない」と、本書の見解はハッキリ言い切っていて面白いですね。
英国の夜間爆撃に対するドイツ夜間戦闘機にも触れられています。
特に1945年2月のドレスデン空襲。
レーダーに対する電波妨害によって出撃もままならず、ドレスデンの上空が燃え上がるのを
地上の基地からなすすべなく見つめる夜間戦闘機パイロットの日記は印象的ですし、
実際、英空軍の1400機に対し、迎撃に出撃した夜戦はたったの28機だったということです。
有名な「レマゲン鉄橋」が奪われると、ゲーリングはこの橋の爆破を最優先目標に命じます。
体当たり攻撃の志願者募集も試みますが、Fw-190とMe-262戦闘爆撃機の果敢な攻撃は失敗。
Ar-234ジェット爆撃機による攻撃も同様です。
ソ連軍の進撃から逃げるように撤退する東部戦線の部隊では、
Fw-190での「フェリー輸送」飛行が・・。
時には座席後方の装甲板を取り外して12歳の少女を「積荷」として、
後部胴体の無線機も取り外して少女の母親も積み込みます。
仲間のパイロットも左右の膝に小さな子供を一人ずつ載せて、やっぱり後部に母親を・・。
以前に日本人著者による「エルベ特別攻撃隊」の本も読みましたが、
本書でも数ページながら書かれています。
軽量化したBf-109をもって高高度に上昇し、一転、急降下して
敵爆撃機に衝突するといった戦術もわかりやすく、
しかもこれは決してヤケクソ戦術ではなく、1回の作戦に650機の大部隊で出動し、
パイロット200名の損失と引き換えに、爆撃機400機に損害を与えようというもので、
これによって米軍が昼間爆撃に躊躇している間にMe-262の戦闘準備を図ろうとするものです。
ある意味、ガーラントの「強烈パンチ作戦」と基本同じ考え方ですね。
しかし悲しいかな、それほどの大部隊を確保する間もなく、
ヤケクソの出撃命令が出されるのでした。。
この「エルベ特別攻撃隊」は(Sonderkommando Elbe)とドイツ語では書くようですが、
「ゾンダーコマンド」っていうのもいろいろとあるんですね。
アインザッツグルッペンを構成する部隊に、絶滅収容所のユダヤ人死体処理部隊もそうでした。
このような体当たり攻撃が検討されるようになると、有人ミサイル「ナッター」が開発され、
そのテストの様子も紹介します。
最後はキュストリンの西でオーデル川に架かる橋を7機のミステルを率いて攻撃する
KG200のディットマン少尉の生々しい話が語られます。
う~む。まるで「ル・グラン・デューク」のラストシーンのようですね。
著者は第二次世界大戦ブックスの「ドイツ空軍―ヨーロッパ上空、敵機なし」も書いている専門家で、
本書のタイトルどおり、また原著のタイトル「ドイツ空軍、最後の一年」そのものの内容でした。
今まで読んできた「ドイツ空軍最後」系の本は、戦闘機隊やジェット戦闘機、ロケット戦闘機、
防空戦など、ある程度、分かれていましたが、
1944年から始まる本書は、それまでのことを理解している読者に対し、
全般的な終焉に至る過程をバランスよく解説してくれているものです。
一般的にドイツ空軍モノでは、戦闘機隊総監だったガーランドの回想録や、
彼が関与している本が多いため、どうしても戦闘機が「善玉」、爆撃機が「悪玉」になりがちですが、
著者が特に戦闘機寄りで、爆撃機に冷たい・・といったような偏見もなく、
連合軍の西部への上陸を危惧し、Me-262を含む爆撃機に重点を置いた戦略の正当性、
それが失敗して以降、本土防衛のための戦闘機が必要になったことなど、
最後の新兵器も含め、数多くの機種の飛行機が出てくるにも関わらず、
非常に理解しやすく整理された438ページの一冊で、とても勉強になりました。
アルフレッド・プライス著の「最後のドイツ空軍」を読破しました。
朝日ソノラマのルフトヴァッフェ物はもう何冊目だか、自分でも良くわかりませんが、
1993年の発刊で438ページの本書は、結構前から読んでみたいと思っていた一冊です。
ドイツ空軍の最後系というジャンルにしても、「ボーデンプラッテ作戦」やジェット戦闘機ものを
読んできましたが、本書は特定の部隊や戦闘機などの機種、東西両戦線のどちらかに
重点を置いたものではなく、1944年5月からの1年間に爆撃機、戦闘機、新兵器が
戦局の悪化と共に、どのように開発/運用され、そして終焉を迎えたかを
総括的にまとめたものです。
最初の章では1944年5月時点でのドイツ空軍の全体的な情勢を整理します。
ドイツ空軍の人員が、女性も含めて280万人であり、
飛行機の生産工場は軍需相シュペーアの努力によって、27ヵ所の主要工場から疎開し、
その10倍にもなる全国の小規模工場へと分散。この結果、戦闘機の生産量は過去最大に・・。
しかし、その工場では電気系統の接続ボックスに金属の削りかすが入れられるなどの
サボタージュも頻繁に起こり、これによる事故によってゲシュタポが大騒ぎ。
偵察機から戦闘機パイロットへの転換訓練もわずか30時間に過ぎず、
離陸と着陸をやっと習得したばかりの新人が、敵戦闘機との空中戦に向かうのです。
続いて各航空軍の紹介へ。
最大規模である航空軍、本土防空航空軍を率いるのはシュトゥンプ上級大将。
西部はシュペルレ元帥の第3航空軍。
東部戦線ではレニングラード周辺で戦う第1航空軍と、中央部の第6航空軍、
黒海に至る南部を担当する第4航空軍。
これらの司令官はカムフーバー大将にフォン・グライム上級大将です。
さらにイタリアにはリヒトホーフェン元帥の第2航空軍。
そしてこれらの戦闘機受領状況(配備数)が航空団、さらには飛行隊単位で、
FW-190、Bf-109が何機・・という数字が30ページに渡って掲載されます。
新型機、或いは新兵器であるMe-262や、Me-163、Me-410、Do-335、V-1飛行爆弾、
Ar-234、He-177、そして親子飛行機ミステルなどの開発経緯が紹介され、
ここまでの100ページで以上のような基本情報を理解したうえで、
いよいよ本文ともいえる第3章、「ドイツ本土防空戦」へと進みます。
1944年1月から4月までの間に1000名以上の昼間戦闘機パイロットを失い、
「今や空軍の崩壊を予見できる段階に至った」と報告する戦闘機隊総監のガーランド少将。
対爆撃機専門の駆逐機に高初速50口径砲を装備した新型Me-410を装備し始めるも、
米軍の護衛戦闘機マスタングの前に、この双発重戦闘機12機は瞬く間に撃墜・・。
しかしBf-109Gの強襲飛行隊が主翼に装備された30㎜機関砲によって、
B-24リベレーター11機を屠るといった戦記も紹介されます。
これらは当時のパイロットのインタビューで、ちょっとした短編戦記で良いですね。
6月、ノルマンディに上陸した連合軍艦隊に対しても250㎏爆弾を積んだヤーボの他に、
爆弾2個を搭載したヒトラーの肝いり"ブリッツボンバー"Me-262ジェット戦闘爆撃機も出撃。
しかし機密が敵の手に落ちるのを恐れ、高度4000メートル以下に降下することは許されません。
当然、爆撃照準器を装備していない、にわか仕立ての爆撃機では命中させるのは不可能です。
何キロにも渡って、パットンの米第3軍、7個師団が押し合いへし合い進むフランスの細い一本道。
まさに戦闘爆撃機パイロットたちが夢見る至福の世界がソコには広がっています。
しかしクモの巣のような戦闘哨戒機の網の目が張り巡らされて突破することは出来ません。
Hs293誘導グライダー爆弾を装備したDo-217が絶望的な攻撃を試みますが、
損害を与えることは出来ず、Do-217、6機とその搭乗員全員を失うのでした。
その頃、東部戦線では第1爆撃航空団(KG1)が四発重爆撃機He-177"グライフ"100機を揃え、
独ソ両軍の中でも最強の戦略的攻撃部隊として行動を開始します。
昼間に6000メートルの高高度から、87機のHe-177でヴェリキエ・ルーキの鉄道集中拠点を爆撃。
ソ連空軍はほとんどが低高度迎撃と地上攻撃用であり、彼らを妨害することは出来ません。
それでも地上戦の状況が悪化してくると、飛ばせる飛行機はなんでも
近接地上支援任務に就かなければなりません。
KG1司令のホルスト・フォン・リーゼン大佐はゲーリングの命令に抗議するも、
Ju-87シュトゥーカ急降下爆撃機のルーデル大佐よろしく、この無謀な対戦車攻撃に出撃。。
四発重爆撃機He-177、40機のうち1/4を喪失しますが、著者は、
「敵の戦車の1両でも破壊したか否かは疑問である」。
再び、西部戦線。遂に「報復兵器V-1」こと、Fi-103がロンドン目指して飛び立ちます。
目標は「タワーブリッジ」ですが、発射された約2500発のうち1/3がロンドンに落下。
人的被害は死者約2500名、重傷者7100名ということです。
本書はあくまで空軍の話ですから、陸軍のV-2については参考程度に書かれているだけ・・
というのが、ハッキリしてて好感が持てます。
空軍の戦略に詳しい方なら当たり前のことだと思いますが、
相手を攻撃するときには爆撃機、防御するときには戦闘機、ということを改めて認識しました。
特にMe-262をヒトラーが戦闘機ではなく、爆撃機に・・と命令したのは
一般的にジェット戦闘機の開発と配備を遅らせた大きな要因とされていますが、
著者は当時、西側連合軍が上陸することを想定し、それを橋頭堡で撃退するために、
このような爆撃機を量産しておいて用いようとする戦略は正しいものであるとしています。
なるほどねぇ。。
また、戦闘機隊総監のガーランドは米軍の爆撃機部隊に1回の強烈な攻撃を仕掛けて
潰滅的な打撃を与えようとする「デル・グロス・シュラーク(強烈パンチ)作戦」を計画し、
各部隊を再編成しはじめます。
これは2000機以上の戦闘機で迎撃し、戦闘機400機とパイロット100名の損失を覚悟のうえ、
敵爆撃機400~500機を撃墜しようとするもので、もし成功すれば、米軍はしばらくの間、
この打撃から立ち直れず、本土爆撃が沈静化することを目的としています。
この作戦は彼の回想録「始まりと終り」にも書かれている有名なものですが、
「強烈パンチ作戦」という日本語訳が妥当かは、どなたか判断をお願いします。。
しかし、この野心的な作戦もガーランドの知らないところでヒトラーに却下され、
その兵力は12月から1945年1月にかけての「バルジ大作戦」と
「ボーデンプラッテ作戦」に使われてしまうのでした。
スカパフローの英国の主力艦を「ミステル」によって攻撃しようという作戦は印象的でした。
この作戦は結局中止となるわけですが、その理由はドイツ海軍の誇る大戦艦ティルピッツが
ノルウェーで撃沈されてしまったことによるものです。
北方海域に潜むティルピッツを危惧して、スカパフローに大型艦艇群を配置していた英国ですが、
ティルピッツの恐怖が払拭されるとスカパフローからさっさと出て、
本国艦隊に合流してしまったそうです。確かにティルピッツがもう少し粘っていたら、
ドイツ空軍による特殊作戦が成功していたかもしれませんが
陸海空まんべんなく読む「独破戦線」は、そう簡単ではないことも知っています。
ゲーリングをあからさまに非難するガーランドを無視できなくなった国家元帥は、彼を解任。
そして彼を慕う戦闘機隊の司令官たちはリュッツォウ大佐を中心として反乱を起こします。
やがて中将が指揮官というユニークな第44戦闘航空団が編成されますが、
ゲーリングがこの新設のジェット戦闘機隊でガーランドを送り出したのは
「人気の高いこの空軍内の敵を連合軍が始末してくれると期待したためである。
これには疑問の余地はない」と、本書の見解はハッキリ言い切っていて面白いですね。
英国の夜間爆撃に対するドイツ夜間戦闘機にも触れられています。
特に1945年2月のドレスデン空襲。
レーダーに対する電波妨害によって出撃もままならず、ドレスデンの上空が燃え上がるのを
地上の基地からなすすべなく見つめる夜間戦闘機パイロットの日記は印象的ですし、
実際、英空軍の1400機に対し、迎撃に出撃した夜戦はたったの28機だったということです。
有名な「レマゲン鉄橋」が奪われると、ゲーリングはこの橋の爆破を最優先目標に命じます。
体当たり攻撃の志願者募集も試みますが、Fw-190とMe-262戦闘爆撃機の果敢な攻撃は失敗。
Ar-234ジェット爆撃機による攻撃も同様です。
ソ連軍の進撃から逃げるように撤退する東部戦線の部隊では、
Fw-190での「フェリー輸送」飛行が・・。
時には座席後方の装甲板を取り外して12歳の少女を「積荷」として、
後部胴体の無線機も取り外して少女の母親も積み込みます。
仲間のパイロットも左右の膝に小さな子供を一人ずつ載せて、やっぱり後部に母親を・・。
以前に日本人著者による「エルベ特別攻撃隊」の本も読みましたが、
本書でも数ページながら書かれています。
軽量化したBf-109をもって高高度に上昇し、一転、急降下して
敵爆撃機に衝突するといった戦術もわかりやすく、
しかもこれは決してヤケクソ戦術ではなく、1回の作戦に650機の大部隊で出動し、
パイロット200名の損失と引き換えに、爆撃機400機に損害を与えようというもので、
これによって米軍が昼間爆撃に躊躇している間にMe-262の戦闘準備を図ろうとするものです。
ある意味、ガーラントの「強烈パンチ作戦」と基本同じ考え方ですね。
しかし悲しいかな、それほどの大部隊を確保する間もなく、
ヤケクソの出撃命令が出されるのでした。。
この「エルベ特別攻撃隊」は(Sonderkommando Elbe)とドイツ語では書くようですが、
「ゾンダーコマンド」っていうのもいろいろとあるんですね。
アインザッツグルッペンを構成する部隊に、絶滅収容所のユダヤ人死体処理部隊もそうでした。
このような体当たり攻撃が検討されるようになると、有人ミサイル「ナッター」が開発され、
そのテストの様子も紹介します。
最後はキュストリンの西でオーデル川に架かる橋を7機のミステルを率いて攻撃する
KG200のディットマン少尉の生々しい話が語られます。
う~む。まるで「ル・グラン・デューク」のラストシーンのようですね。
著者は第二次世界大戦ブックスの「ドイツ空軍―ヨーロッパ上空、敵機なし」も書いている専門家で、
本書のタイトルどおり、また原著のタイトル「ドイツ空軍、最後の一年」そのものの内容でした。
今まで読んできた「ドイツ空軍最後」系の本は、戦闘機隊やジェット戦闘機、ロケット戦闘機、
防空戦など、ある程度、分かれていましたが、
1944年から始まる本書は、それまでのことを理解している読者に対し、
全般的な終焉に至る過程をバランスよく解説してくれているものです。
一般的にドイツ空軍モノでは、戦闘機隊総監だったガーランドの回想録や、
彼が関与している本が多いため、どうしても戦闘機が「善玉」、爆撃機が「悪玉」になりがちですが、
著者が特に戦闘機寄りで、爆撃機に冷たい・・といったような偏見もなく、
連合軍の西部への上陸を危惧し、Me-262を含む爆撃機に重点を置いた戦略の正当性、
それが失敗して以降、本土防衛のための戦闘機が必要になったことなど、
最後の新兵器も含め、数多くの機種の飛行機が出てくるにも関わらず、
非常に理解しやすく整理された438ページの一冊で、とても勉強になりました。