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ヒトラーの戦艦 -ドイツ戦艦7隻の栄光と悲劇- [ドイツ海軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

エドウィン・グレイ著の「ヒトラーの戦艦」を読破しました。

ヒトラー政権時代のドイツ海軍の戦いを、就役した7隻の戦艦を中心に描いた、
英国人の著者による一冊です。
以前に紹介した「呪われた海」と似た感じですが、
本書の主役はあくまで戦艦そのものと言えるでしょう。

ヒトラーの戦艦.JPG

まずは1933年に艦隊に編入されたポケット戦艦「ドイッチュラント」からです。
ポケット戦艦と言えば「グラーフ・シュペー」と「アドミラル・シェア」が特に有名で
これらは戦記も出ていますが、このヒトラーの戦艦第1号のわりには活躍の少ない
ドイッチュラントの地味な戦いと、この帝国の名を持った戦艦が撃沈されてしまうことを
怖れたヒトラーが、勝手に「リュッツォー」と改名してしまう経緯などが
詳細に書かれていてなかなか勉強になりました。
特にこのドイッチュラントは最後まで生き残った戦艦だったんですね。
ひょっとすると改名したことが良かったんでしょうか・・。

1931_Launch of the Deutschland at Deutsche Werke, Kiel.jpg

グラーフ・シュペーもその通商破壊作戦と自沈するまでの過程が
ダイジェスト的ながらしっかとりと書かれていて、
艦長のラングスドルフ大佐が世界中の報道機関から「臆病者」の烙印を押されるなど、
恥を知る男なら到底耐えられない状況に追い詰められていたという、
その自決の真相を解説しています。

1939_ Kapitän zur See Hans W. Langsdorff at Buenos Aires, Argentina.jpg

戦艦「ビスマルク」もフッドとの戦いとその壮絶な最後。
「シャルンホルスト」と「グナイゼナウ」の姉妹艦も
ドーバー海峡突破の「ケルベロス作戦」だけではなく、
「ベルリン作戦」、「ユーノー作戦」でも結構戦っています。

Ernst Lindemann_Hitler.jpg

戦艦「ティルピッツ」は、その知名度のわりには最初からツキの無い艦のようです。
英国の小型潜水艦「X艇」にやられたり、爆撃機から巨大な「トールボーイ」を喰らったりと
散々な目に遭い、転覆してしまいます。
ビスマルクも命は短かったとは言え、パッとひと花を咲かせたのに比べ、
その存在だけが有意義であったという戦艦ですね。

1944_Tirpitz under attack by British aircraft in Kåfjord.JPG

本書はエーリッヒ・レーダー元帥の回想録をかなり頻繁に引用していて、
各々の作戦に伴うヒトラーとのやり取りや、
レーダー元帥の司令官としての考えなども紹介しています。
後半は後任の司令官デーニッツが登場しますが、
全体的に本書は海の戦いを何も知らないヒトラーを筆頭に、
上層部に対しては評価の低い扱いとなっています。

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7隻の戦艦ごとに章が分かれているわけではなく、
時系列に戦役とその戦艦が登場する本書ですが、
気軽にドイツ海軍水上艦を知るには良いんじゃないでしょうか。
グランドパワーのファイティングシップ・シリーズを大人買いしたくなりました。



ナチス狂気の内幕 -シュペールの回想録- [ヒトラーの側近たち]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

アルバート・シュペール著の「ナチス狂気の内幕」を読破しました。

「ヒトラーの建築家」、または「ナチの軍需大臣」として有名な
アルベルト・シュペーアの回想録です。
非常に濃密な回想録で、ヒトラーを含む、第三帝国の内部の様子が
これほど長期間に渡り、生々しく書かれている回想録は他にはないでしょう。

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まずは大学で建築を助手として学んでいた1930年、ヒトラーの演説に
強烈な印象を受け、ナチ党に入党したいきさつから語られます。
その後、党の建築家としてゲッベルス、そしてヒトラーに認められ、
28歳にして、ほとんどヒトラー専属のお抱え建築家という地位に就き、
新総統官邸からニュルンベルク党大会会場、やがて首都ベルリンの壮大な
「ゲルマニア計画」も委ねられる事になります。

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それからの1939年の開戦までの期間はオーバーザルツブルクの別荘における
ナチ政府内の要人やヒトラーにまつわる様々なエピソードが紹介されています。
特に本書の日本版に向けて加筆したものと思わせるような、日本ネタも・・。

ヒトラーが人種的観点から日本と手を握ったことを残念がり、
遠い将来に日本との対決を覚悟していたという話が出たかと思えば、
ゲルマン原種族信仰など滑稽な道を歩むヒムラー
日本人からサムライの刀を贈られたとき、日本人とゲルマン人の祭式の共通性を発見し、
どうしたらこの共通性を種族的に解決できるかを学者の協力を得てまで腐心した・・。

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第2次大戦の開戦後、特に1942年に入り、対ソ戦が長期化の様相を見せてくると
党内でのライバル争いが激化してきます。
特にシュペーアの尊敬する軍需大臣のフリッツ・トートが飛行機事故で死亡すると
後釜を狙っていた「4ヵ年計画」の責任者ゲーリングがヒトラーに直訴しに来ますが
それを想定していたヒトラーにより、一歩早く、シュペーアが後任に指名されます。
これを引き金に、ゲーリングとは最後まで航空機を含む、軍事や地位、
ヒトラーの寵愛といったことに悩まされることになります。

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労働力配置総監のフリッツ・ザウケルとも終始、争いが絶えません。
第1次大戦当時のドイツや英米の雑誌を見ても、軍需生産の婦女子の就業率が
高いことから、ザウケルに提案を行ったところ、結局はゲーリングも巻き込み
女子の工場労働は「風紀上の問題あり」ということでヒトラーにも却下され、
その挙句、ドイツの主婦の負担軽減という理由で、ウクライナなどから
50万人もの女子を奉仕人として逆に連れて来ることになったそうです。

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バルバロッサ作戦」に登場した山岳部隊によるエルブルス山登頂事件も出てきました。
もともと戦前からヒトラーは山登りやスキーを無意味なスポーツであるとして
禁止しようとしていたようですが、
「このような連中が山岳兵になるんだからしょうがない」と諦めていました。
そのようなヒトラーがカフカス戦線におけるエルブルス山登頂の報告を受けた時ほど
激怒したのを見たことがなかったとシュペーアは語っています。
その後数日もあらゆる人に「あの馬鹿な登山家たちは軍法会議ものだ!」
と怒り狂っていたそうです。

1943年暮れ、西方での連合軍上陸に向けた調査を行っていたロンメルがヒトラーのもとを訪れ、
水際で撃破すべきだとの報告を行い、それに対し、ヒトラーは全面的に賛成します。
しかしそれでも空からの脅威を懸念するロンメルに、
待っていましたとばかりに新型の高射砲を披露して
「これさえあれば大丈夫だ」と自慢するヒトラーにロンメルは
冷ややかな笑みで答えたそうです。

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翌年のヒトラー暗殺未遂も、事件の一報を受けたゲッベルスから呼び出され、
あの映画でも知られるレーマー少佐にヒトラーの声を電話で伝える場面にも
シュペーアは立ち会っており、フロムやオルブリヒトといった当事者の将軍に
電話を掛け、状況を探っていました。
このようなことを起こすのは短気なグデーリアンぐらいなものだと当初考えたそうです。

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雲隠れしたヒムラーには連絡がつかず、シュタウフェンベルク大佐の
クーデター派が立てこもる国内予備軍司令部へ向かうと、
そこではカルテンブルンナースコルツェニーというSSの強面が立ち塞がって
この問題は国防軍のものであり、SSは関与しないということを表明したとのことです。
その後はご存知のようにヒムラーとSSは、国防軍の粛清に当たることになります。

また、シュペーア自身も嫌疑に掛けられていたというギリギリの話や
知っていたらクーデターに参加していたであろうとの話、
そして1945年には毒ガス「タブン」を密かに入手して、ヒトラーを地下壕で暗殺しようと
企んだ話まで告白しています。

Hitler (L, in brown) inspecting West Wall, w. (2L-R) engineer Fritz Todt, Martin Bormann & Heinrich Himmler.jpg

後半、「遠すぎた橋」の後日談も突然出てきました。
ひどく立腹した武装SSのビットリッヒ将軍にシュペーアは出会いますが、
連合軍の要請で休戦協定を結び、後方に野戦病院を作ることを許可したものの
党役員によって連合軍の空挺部隊員が殺害されたということです。
この話はまったく知りませんでした・・。

このナチ党/政府内で、終戦までの12年間を生き抜いたシュペーアの最大の天敵は
マルティン・ボルマンです。
最初の出会いからウマが合わなかったと語っており、
このボルマンの策略は2章に1回程度の頻度で出てきますが、
最終的には生き延びたいボルマンからヒトラーをベルリンから脱出するように
説得することを懇願されたことで、宿敵に対して勝利したという思いまで述べています。

Hitler & Bormann.jpg

総統の地下壕でヒトラーに最後の別れを告げた後、
次期後継者を自認するヒムラーと対談した際、突如カイテルが現れて
ヒトラーに誓ったのと同様に、ヒムラーに対しても厳かに服従を誓う姿を目撃したり、
デーニッツ新政権下にエーリッヒ・コッホが訪れ、南アメリカに向かうUボートを要求したりと
その最後の最後まで、人間の見苦しさに思わず苦笑いしてしまいます。
しかしこんな話から「ヒトラーがUボートでドイツから脱出した」というような
伝説が始まったのかもしれませんね。

Göring, Keitel, Dönitz.jpg

ニュルンベルク裁判でもシュペーアの責任として有罪とされた
外国人やユダヤ人の強制労働者の問題については、
死刑となったザウケルや強制収容所が管轄のヒムラーに対し
再三、改善を求めたと語っており、アウシュヴィッツの存在についても
「うすうすは気づいていたが、目をつむっていた」と反省しています。
このあたりのシュペーアが果たしてどこまで真実を語っているのかというのは
いまだに意見が分かれているようです。
ヒムラーも自殺していますので、死人に口無し的だと言われる所以ですかね。

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いずれにしても、回想録としては第一級だと思います。
人間が自らの半生を振り返る回想録に「言いたくない」、「思い出したくない」ことも含め
100%客観的に真実が書かれているなどということはあり得ないでしょう。

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ということで、個人的に回想録を読破するときの取り組み方は
著者本人の犯罪的な責任に関することは、事実は半々くらいの
軽い気持ちで読んでいます。
そうでないと、この本は欺瞞に満ちているとか嘘八百で読む価値なし
ということになってしまいます。

なお「第三帝国の神殿にて」は本書の文庫版です。
ホントはこっちを買いたかったんですが、だいぶ高いんで諦めました。
「ヒトラーの建築家 アルベルト・シュペーア」のDVD-BOXも買おうか検討中です。








バルジの戦い (下) [戦記]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャン・ポール・パリュ著の「バルジの戦い (下)」を読破しました。

この下巻ではいきなり「パイパー戦闘団」の終焉から始まります。
そしてすっかり消耗してしまったライプシュタンダルテヒトラー・ユーゲント
SS第Ⅰ戦車軍団に替わり、ビットリッヒSS中将のSS第Ⅱ戦車軍団の
ダス・ライヒホーエンシュタウフェンが主役となるべく奮戦します。
有名どころではバルクマンのパンターがここでも活躍していました。

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しかし、特に気になったのは、上巻でも「予備部隊」として存在していた
「総統親衛旅団」(総統護衛旅団とも・・)です。
この旅団についてはまったく知識が無かったので、ちょっと調べてみましたが
もともとは1939年に戦時における総統大本営の警護部隊として
グロースドイッチュランド」と「ゲネラル・ゲーリング」からの分遣隊で
創設されたものだそうですが、あの1944年7月20日のヒトラー暗殺未遂事件の際に
ベルリンの警備大隊「グロースドイッチュランド」の大隊長で大活躍をした、
オットー・レーマー少佐を新編成の「総統親衛旅団」の旅団長へ
(一気に大佐へ特進)抜擢したという部隊です。

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部隊名が部隊名なので、その戦力も凄そうなんですが、
本書ではもともと予備であるものの、第5戦車軍や第7軍にちょこちょこ編入されて
チラッと戦ってはすぐまた予備に・・という良くわからない部隊として所々に登場してきます。
この部隊は最終的には師団までに拡大したそうですが、
その戦いざまは今まで読んだ記憶がありません。

Manteuffel_model.jpg

ちょっと脇道に逸れました。本書の中盤にかけてはバストーニュを巡る攻防が中心です。
映画「バルジ大作戦」でもエピソードとして登場した「Nuts!」について掘り下げています。
この降伏文書の件については戦車教導師団長バイエルライン中将による話とは違い、
第5戦車軍司令官フォン・マントイフェル大将は一切知らないという立場であったそうで、
結局、第47装甲軍団長のフォン・リュットヴィッツ中将の承認によって、
バストーニュを包囲したとしてアメリカ軍守備隊に降伏文書を持って行かせたとのことです。

本書ではこの時の軍使のひとり、ヘンケ中尉の見事なポートレート写真と
その降伏文書の原文までが掲載され、
またアメリカ軍のアンソニー・マコーリフ准将の「Nuts!」発言と
その後の推移も詳細でなかなか楽しめました。

NUTS!_Gen. Anthony C. McAuliffe.jpg

最終的には完全に行き詰った「ラインの守り」作戦に続き、
アルザスをターゲットとしたG軍集団による「ノルトヴィント」作戦における
SS第17装甲擲弾兵師団ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲンの戦いや
第Ⅱ戦闘航空軍団長、ディートリッヒ・ペルツ少将による
「ボーデンプラッテ」作戦までが紹介されています。

Dietrich Peltz2.jpg

そしてほとんどが撃破されたものではありますが、パンターケーニッヒスティーガー
さらにはヴィルベルヴィントやヤークトパンターといった貴重な初見の写真は
それだけでも楽しめるものだと思います。

Operation Greif_panther44.jpg

ラ・グレースに保存されているケーニッヒスティーガーに対する由来も面白く、
この「パイパー戦闘団」が遺棄していったものをアメリカ軍から村の婦人が買い取り
(価格はコニャック1本!)、失われていた砲身のマズルブレーキは
スコルツェニーの第150戦車旅団でM10駆逐戦車に化けていた
パンターのマズルブレーキで修復したものだそうです。
世界遺産になってもおかしくない逸品ですね。。。

kingTiger Gleize.jpg

また、事実上、この「ラインの守り」作戦の司令官だったモーデル元帥
その後ルール・ポケットにおいて自決しますが、戦後、ヒュルトゲンの森の近くの
ドイツ軍戦役者墓地に移されて、かつて率いた兵士たちと一緒に眠り、
アメリカ第3軍を率いた相手側のパットンも、かねてから部下の多くが戦死した
アルデンヌに埋葬されることを望み、その希望は叶えられているということです。



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