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モントゴメリー回想録 [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

B.L.モントゴメリー著の「モントゴメリー回想録」を読破しました。

モントゴメリー元帥が「モンゴメリー」ではなく、なぜ「モントゴメリー」なのか・・
子供の頃から気になっていました。
英語の発音としては「t」を発音しない「モンゴメリー」が正しいとは思いますが、
(モンゴメリーとなっている書物も当然ありますが・・)
まぁ、70年も前に日本で知られた人ですから、その当時の名残りなんでしょうか?

モントゴメリー回想録.JPG

また、愛称が「モンティ」というところから「t」を入れているのかも知れませんが、
英国ではモンティ・パイソンやフル・モンティの「モンティ」もこの著名な元帥に
ちなんで(良くも悪くも)つけられたという話を聞いたことがありますね。

まずはその生い立ちから、入隊、そして第1次大戦へと進んで行きます。
この前半は非常にマジメな「これぞ回想録」といった趣で、
特に若くして亡くなってしまう奥さんの話は非常に切ないです。
ヘミングウェイの「武器よさらば」のやり切れないラストシーン(ロック・ハドソン主演の映画です)
を思い出してしまいました。

やがて第2次大戦が勃発すると、その緒戦、ダンケルクでの敗戦は彼にとって
大きな心の痛手だったようで、自身が本土へ撤退したときの様子も語られます。
これはのちにドイツ軍をシチリア島から追い出すなどする度に
「ダンケルクの借りを返した」といちいち溜飲を下げるところからも伺えます。

Field Marshal Montgomery in Cairo, 1942.jpg

そしていよいよ北アフリカ戦線で第8軍司令官に任命され、
宿敵となるロンメルとの戦いが始まるわけですが、
まずは前任者オーキンレック将軍との引継ぎに伴う小話というか
この将軍のダメっぷりと自身が第8軍を如何に精鋭部隊に改造したかを語ります。
面白かったのは、当時の英国将兵が敵をドイツ軍と呼ばず、「ロンメル」と
呼んでいたというオーキンレックの話がありますが、
本書でもモントゴメリーは、ドイツ軍と言わずロンメルとかロンメル軍という表現を
終始使っています。ここまでくると、ほとんど文化ですね。

rommelpropagandaqw8.jpg

また、フォン・メレンティンの「ドイツ戦車軍団」は興味深いという話や、
あの「遥かなる橋」でガーデン作戦の第30軍団を率いたホロックス将軍を
この当時から買っており、その後も頻繁に登場してきます。
このような予想外の人物が出てくると非常に楽しめますね。

Horrocks.JPG

モントゴメリーと言えばベレー帽と、そこに付けている2つのバッチでしょう。
これについても「ロイヤル・タンク・レジメント」のものであることや
将官のバッチも併せて付けている理由(単純に目立つため・・)が
述べられています。

Royal Tank Regiment_General Officer's badge.JPG

シチリア上陸の「ハスキー作戦」では、自らの作戦案を了承させる経緯は詳細ですが、
いざ作戦が始まると、それにはあまり触れられません。
メッシーナを先にパットンに占領されたという思いがあるのでしょうか?

同様に「マーケット・ガーデン作戦」についても1章設けているものの、あまり多くを語らず
「この戦いについては別の著者の○○に詳細が書かれているのでそちらを見てください」
といった感じです。
ただし、その作戦計画そのものについては当然、自画自賛です。

Bernard Montgomery7.jpg

基本的に参謀などの人材も含め、完璧な準備を整えないと気がすまない性格というのは
読んでいても良く伝わってきますが、
自分の立案した作戦は、それが失敗に終わろうと見事なもの(斬新な戦術計画)であり、
失敗の要因分析は補給がとか、準備期間がとか当たり前の理由で終わらせています。

1958年、70歳を過ぎて発表された本書の性格は、前半から中盤まではそれなりですが、
1943年に地中海でアイゼンハワーが登場してくると、いきなり雰囲気が変化してきます。

eisenhower-montgomery.jpg

ここからはハッキリ言って大人げない回想録というか、
アイゼンハワーとブラッドリーの回想録に対する反論本という
位置づけになっているのかも知れません。
アイゼンハワーは「ヨーロッパ十字軍-最高司令官の大戦手記」を1948年に、
ブラッドリーも回想録「一兵士の物語」を1951年を出しており、
これがかなりモントゴメリーの怒りを買っているようです。

「親友アイク」とちょくちょく書くわりには「野戦指揮官」としての経験がまったくない
上官アイゼンハワーを完全に見下している雰囲気が漂っています。

Montgomery_D-Day.jpg

特にアイゼンハワーとの書簡のやり取りは、「これでもか!」というくらい
詳細を極め、その内容を掲載しています。
それは作戦の失敗や補給不足による停止、そして終戦の遅れの理由を
「ほら、俺はこんな前からこうしろと言っていたのに、
お前がグズグズしていたからだ」と言わんばかりです。
とても回想録とは思えないほどの書簡の往復の連続ですが、しかしこれはこれで
資料としての価値もあり、結構楽しみながら勉強できました。

ブラッドレーにはガチンコで不満をぶつけている様子で
これは英米双方の軍集団司令官という対等の立場であるためなのか、
そのブラッドレーの回想録の内容(特にバルジの戦い)によほど腹が立っているのか
のどちらか(或いは両方)だからですかね。

patton-montgomery-and-bradley.jpg

そして楽しみにしていたパットンに対する記述ですが、
これが拍子抜けするほど出てきません。
書きたくないほどよっぽど嫌いなのか、一介の軍司令官に過ぎないとして
わざわざ書くに値しないと考えたのか、または、
「パットンはすでに死んだ」と書いてあるように、故人に対して
批判は慎むべきと判断したのかはわかりません。

結局のところ、北アフリカ戦線から、行き詰ったイタリア本土、
そしてノルマンディ上陸と、モントゴメリーの行く先々に現れるロンメルよりも
実はアメリカ軍が彼にとっての宿敵だったという印象の一冊です。



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