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U‐ボート977 [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

H・シェッファー著の「U‐ボート977」を再度読破しました。

先日、晩酌しながらTVをつけたところ「U-900」という映画が放送中・・。
「なんだ、こりゃ?」と思って観ていると、ドイツのコメディ映画でした。
しかし、Uボート内での描写はなかなか真に迫っていて
名作「Uボート」のパロディのようでもあり、特に機関長のじいさんは
とても味のある演技で、ちょっと感動するシーンもありました。
悪役である陸軍の将軍がこのU-900でアルゼンチンへ逃亡を図ろうとする展開になると、
なにか以前にそんな話の本を読んだな~、と本棚を物色すると、「おっと、これだ」。

U‐ボート977.JPG

著者は本書のタイトル「U‐977」の艦長であったハインツ・シェッファーその人で、
1950年に書かれたこのまえがきでは、本書を執筆するに至った理由のひとつとして、
Uボート乗組員の体験談は戦時中のプリーンのを除けば
一冊も出版されていないことを挙げています。
これは「スカパ・フローへの道―ギュンター・プリーン回想録」のことを指していますが、
さすがにゴーストライターによる、プロパガンダ本として知られるこの本は読んだことがありません。

シェッファーの少年時代からの回想は青春ドラマのような雰囲気でとても楽しめます。
アメリカのハイスクールで学び、帰国後は海軍兵学校へ・・。
1920年生まれの彼は第2次大戦が勃発した、この1939年~41年にかけても
ひたすら訓練に勤しみ、さまざまな失敗や悪戯のオンパレードです。

An U-boot on surface navigation in the Atlantic, winter 1941-42..jpg

いよいよ少尉候補生としてUボート勤務が命ぜられますが、その艦長からは挨拶代わりに
「君たちは本艦においてゼロに等しい存在であり、無意味な重量物、
そして無用な空気消費者に過ぎない」と言い渡されます。

記念すべき初の帰港を果たし、デーニッツ提督が乗組員全員と握手を交わして、
労いの言葉をかける場面でも、少尉候補生は無視された挙句、
「今のところ諸君は艦では厄介者に過ぎないのだ」。
シェッファーもこれにはフテクサレた感じです。

Admiral Donitz and U-boot.jpg

それでもこの名前の不明なUボートと艦長と共に、護送船団に攻撃を仕掛けて
大きな戦果を挙げたりと、実戦での経験がモノをいい、
艦長の友人である別のUボートに先任将校として引き抜かれることになります。
Uボートにおける先任将校とは、いわゆるNo.2の副長ですが、
そうはいっても少尉になりたての弱冠22歳の若者です。

常に死と直面している彼らは、「戦功十字章」といったデスクワークなどで授章した勲章を
これ見よがしに付けている連中を軽蔑していたようで、
そのような連中は、悪戯の格好の標的とされてしまいます。

Ritterkreuz des Kriegsverdienstkreuzes in Gold ohne Schwertern.jpg

でっぷりと太った、とある市長殿がUボートをご覧になる際には、艦長も含め、
若いUボート乗りたちが完璧な準備のもと、壮大な悪戯を仕掛けます。
突然、爆雷を受けたかのように手榴弾を爆発させ、通常の倍の俯角60度で急速潜行。
バケツの水がぶちまけられ、細工済みの深度計は一気に200mを指し、
水兵たちは「もう、ダメだ」と迫真の演技で、めそめそ泣き出します。
大混乱の艦内で生きる望みを失い、みにくい姿となった市長は浮上後の緊急脱出で
自ら海へ飛び込み、一大アトラクションは見事成功。なにも知らない市長殿は、
この連合軍の攻撃を凌いだUボート乗組員を褒め称え、大満足です。

Heinz Schaeffer.jpg

1944年クリスマス、すでにUボート艦長となっていたシェッファーに
シュノーケルを装備した「U-977」が与えられます。
この時期、Uボートでの出撃は自殺行為に等しい状況が続き、
母の住むベルリンも空襲に晒された終戦間際の1945年4月末、
遂に「U-977」はキールからノルウェーへと向かいますが、その直後、
ドイツ敗戦の知らせがもたらされます。
しかし「最後のひとりに至るまで我々は決して降伏せず」をモットーとしていたデーニッツが
連合軍に降伏するような命令を出したことを信じられない「U-977」の士官たち・・。

U977.jpg

協議の末、家族を持つベテラン士官らはノルウェーからドイツへの帰国の道を選び、
艦長シェッファーは若い水兵たち30人と共に、過去にポケット戦艦グラーフ・シュペー号に対し
騎士道的な態度を示した友好国である、アルゼンチンを目指すことになります。

一路、大西洋を南下する「U-977」は連合軍に発見されることを恐れ、
シュノーケルでの潜行を66日間続けます。
実はこれが史上最長記録という本書の原題である「潜行66日間」のエピソードであり、
その不快で絶望的な生活の様子と、やがて浮上したあとの南国の気候と爽快な気分との対比・・。

U-977.jpg

無事アルゼンチンに辿り着き、想像通りの騎士道的な雰囲気で迎えられますが、
尋問ではいきなりヒトラーとエヴァ・ブラウン、そしてボルマンを乗せているという
嫌疑がかけられていることを知らされます。
それは引き渡された英米軍の執拗な尋問でもなかなか晴らされず、
数年後にはヒトラーやボルマンの逃亡の噂が世界中で賑わうことに・・。

u977schaeffer.jpg

本書のタイトルである「U-977」が登場するのは、2/3が過ぎたところからです。
しかし、バルト海での訓練の様子が語られたり、ブレストの巨大なブンカーの説明もあったり、
今回久しぶりに読みましたが、ニヤニヤしてしまうシーンも多く、
また、終戦間際の若きUボート艦長の回想録という点では、
ヴェルナーの「鉄の棺」との比較も楽しめます。

U-Boot_Bunker.JPG

ヴィトゲンシュタインのは昭和59年発刊の「朝日ソノラマ」版ですが、
最初に日本で発刊されたのは、昭和29年という大昔だそうです。
今では「学研M文庫」からも再刊されている、
誰でも楽しめる古典的名Uボート戦記といえるでしょう。







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デーニッツと「灰色狼」 -Uボート戦記- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴォルフガング・フランク著の「デーニッツと「灰色狼」」を読破しました。

読み終えた率直な感想を書くと、「これ以上のUボート興亡史はないのでは・・」。
日本では1975年にフジ出版社から「Uボートの栄光と悲劇」の副題で、
原著「オオカミたちと提督」は1957年の出版という古いものですが、
著者フランクのUボート従軍記者からデーニッツの幕僚、
そして戦隊司令部に所属していたという経歴もあって、
本書のタイトルである2本の柱、すなわち「デーニッツと司令部の様子」と
50人くらいは登場しているんじゃないかという「Uボート艦長たちの戦いざま」を
交互に詳細かつ楽しく読ませてくれる、見事な「Uボート戦記」です。

デーニッツと「灰色狼」.JPG

まずは1775年のアメリカ独立戦争時に登場した、初の潜水艇「タートル号」や
1800年代初頭のフルトンによる「ノーチラス号」など
世界の潜水艦発達史から始まります。

Fulton's Nautilus.jpg

第一次世界大戦になると、ドイツUボートの活躍が取り上げられ、
特にU-9のヴィディゲン大尉が英海軍装甲巡洋艦3隻を立て続けに撃沈し、
ドイツ帝国海軍初のプール・ル・メリット章の受賞者として、
レッド・バロン」リヒトホーフェンと並び賞される英雄であったということを
知ることが出来ました。

Otto Weddigen.jpg

そして1935年、復活となる新Uボート部隊の指令としてデーニッツ大佐が任命されると
理想とするUボート艦隊には程遠いままの状況で1939年に開戦を迎えてしまいます。
海軍総司令官のレーダーとの微妙な関係や、後半、陸のヒトラーとは
最後まで揉め事なしという信頼関係も随所に紹介されながら、
そのUボートの最盛期を築きあげていきます。

Hitler on Uboat, 1938.jpg

ここからは有名Uボート艦長たちの戦記が盛り沢山で、
まず、レンプのU-30が誤って客船「アセニア号」を撃沈してしまうと、
”スカパ・フローの牡牛”となるU-47のプリーンの活躍に
U-99のクレッチマーとU-100のシェプケの勝利と敗北。。。

Joachim Schepke.jpg

「独破戦線」で紹介したUボートものの艦長は全員登場すると言って良いでしょう。
U-333 "アリ"クレーマーの「生命保険」ぶりも当然ながら
U-123のハルデゲンによるパウケンシュラーク作戦、
内藤大助似の艦長、ハルテンシュタインの有名な「ラコニア号事件」、
”古武士”ことレーマン・ヴィレンブロックは映画「Uボート」のモデルですね。

ヴォールファルトのU-556と戦艦ビスマルクの非情な運命や
撃沈された仮装巡洋艦アトランティスのローゲ艦長を含む乗員を
壮絶なサバイバルのもとで見事救出した、
U-68のメルテンとUAのエッカーマンといった、他の戦記では脇役だった
Uボート艦長も、その話とともにしっかりとアピールしています。

Merten, conning tower of U-68.jpg

「見てると体が痒くなる部下」を別のUボートに移動させてくれるよう、
シドロモドロ、デーニッツに訴えるヴォルフガンク・リュート
船団攻撃の大先生としても最後まで出てくるエーリッヒ・トップなどの大エース以外にも、
後半には「鉄の棺」のヘルベルト・ヴェルナーまで登場。
凄い名前でビックリしたU-753の艦長の名は・・・フォン・マンシュタインです。
あのフォン・マンシュタイン元帥と血縁関係にあるのかは一切不明ですが、
自分は一瞬、あの元帥がお忍びでUボート艦長をやってる姿を想像してしまいました。
これじゃあ、ほとんど「遠山の金さん」ですね。。。

第3位のエースなのに戦記の出ない、好きなエーリッヒ・トップは、
巻頭の潜望鏡説明におけるイラストでモデルになっている感じです。
イラストもこの有名な写真の決めポーズを取ってます。
映画ではよく、邪魔になるために帽子のつばを後ろにしてかぶりますが、
「潜望鏡を覗く模範的な艦長の図」のためか、ちゃんとかぶってますね。
しかしダラっと引っ掛けた右手がポイントです。

Erich TOPP2.jpg

とても書き切れないほどの艦長たちが入れ替わり立ち変わり出てくる本書のなかで、
個人的に気に入ったのは、補給UボートであるXIV型(通称:ミルヒクー=牝牛)の
U-459の艦長フォン・ヴィラモーヴィツ・メレンドルフです。
著者曰く、唯一の人物かもしれないという、第一次大戦に引き続き
Uボート乗りとして出撃する白髪の老メレンドルフは、
洋上で補給を心待ちにする若いUボート乗組員たちに非常に信頼された人であったようで、
その最後は一冊の本にしたいほど感動的です。

そういえば映画「眼下の敵」のクルト・ユルゲンスも
第一次大戦の生き残り艦長役だった気が・・。
余談ですが、この「眼下の敵」は親父が好きだった映画のひとつで、
ヴィトゲンシュタインは幼少の頃に半ば強制的に観せられた記憶があります・・。

THE ENEMY BELOW.jpg

剣章受章者の割にはあまり知らなかったテディ・ズーレンは本書では主役級のひとりです。
ひょっとしたら著者フランクはズーレンのUボートに乗艦したことがあるのかも・・
というぐらい生々しい戦いと生活の様子が描かれています。

REINHARD SUHREN.JPG

Uボート艦長ばかり書いてしまいましたが、デーニッツの司令部の様子も半分を占めています。
特に部隊創設当初から、その最後までデーニッツを補佐し続けるゴート大佐、
幕僚たちもエースのシュネーやデーニッツの娘婿ヘスラーなどもしっかり登場。
モントゴメリーらとの降伏交渉にあたり、自殺を遂げたフォン・フリーデブルク提督
Uボート組織部長として最初からデーニッツを助け、
「ドイツ海軍が生んだ最も天才的な組織家」という紹介をされています。

Eberhard Godt 3.jpg

そして終戦が近づくにつれ、デーニッツは軍需省のシュペーアとの信頼関係の元、
Uボートの生産量を上げ、また、新型Uボート・・・真の潜水艦の建造に成功します。
このあたりは、ガーランドの「始まりと終り」と同じような展開ですね。

Karl Dönitz9.jpg

全般的な内容は確かに「10年と20日間」と「Uボート・コマンダー」を読んでいれば、
それらに網羅されているという印象もありますが、
逆にこちらを先に読んでから、気に入った艦長の戦記を買ってみるというのも
アリかも知れませんね。
また特に記述はありませんが、デーニッツの「Uボート章」はダイヤをちりばめた
スペシャルのようです。

Special Class of the U-Boat War Badge uniquely awarded to Grand Admiral Karl Dönitz.jpg

いずれにせよUボート好きなら、必ず手元に一冊置いておくべきもので、
読みながら、何度も「スゲ~なぁ」と呟いてしまいました。
ヴィトゲンシュタインは学研の復刊を上下巻セット2500円で購入しましたが、
1000ページ超えでかなり、場所取ります。
これは小学校の教科書並みの1ページあたりの文字数の少なさによるもので、
フジ出版社の旧版なら半分のページ数で、古書でも安いんじゃないでしょうか。







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Uボート・コマンダー -潜水艦戦を生きぬいた男- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ペーター・クレーマー著の「Uボート・コマンダー」を再度読破しました。

実はこの本、初めて読んだ「Uボート物」です。
その意味では「バルバロッサ作戦」と並んで、この世界に入るキッカケとなった
1冊とも言えるかも知れませんね。

Uボート・コマンダー.JPG

開戦当初、駆逐艦の砲術長としてノルウェー作戦に参加したクレーマーは
その後、デーニッツから直々にUボート部隊に勧誘されます。
やがて1941年のプリーンクレッチマーといった大エースたちが撃沈されたと時同じくして
U-333の艦長として出撃しますが、この本の表紙にもある
「3尾の魚」のマークの由来は忘れてしまったそうです。

Peter Cremer.jpg

アメリカ沿岸でのパウケンシュラーク作戦にも参戦しており、ハルデゲン艦長も登場。
この辺りではUボートにおける独特のエピソードに溢れていて、
例えば「魚雷1本の価値は、中程度の家1軒分」だとか、
男の子が生まれたという無線も「潜望鏡のついた水兵誕生」といった具合です。
「艦長の白い帽子は規則違反である」ことを知ったのがこの本だったと思い出しました。

First welcome to the base. Kptlt. 'Ali' Cremer of U-333.jpg

駆逐艦に激突され、さらに艦長のクレーマー自身も重症を負い、なんとか寄港するものの
傷が癒えるまで司令部の幕僚として地上勤務に就くこととなります。
Uボート・エースがその経験を買われ、幕僚になることは多く、この本でも空襲の際に
避難した防空壕は「騎士十字章に溢れてた」と回想しています。

The heavily damaged U-333 returns to base.jpg

そして1943年、Uボートの撃沈数が膨大な数になると、その理由を探るため
クレーマーを含む3名のベテランUボート乗りに出撃命令が下ります。
レーダーや制空権、船団方式の強化など、Uボート暗黒の時代が訪れており、
ここでもクレーマーのU-333のみは、なんとか帰港。
「"アリ"クレーマーは生命保険」と言われるほどの強運を発揮します。
1943年時点で唯一の2年以上の艦長経験者であり、
44年にフランス西岸のUボート基地から出撃して生き残ったのも
クレーマーのみというしぶとさです。

U-333.JPG

ノルマンディーでのUボート戦も終え、新たに最新の「エレクトロ・ボート」と呼ばれたXXI型Uボート
U-2519の艦長となりますが、この時のUボートの保養所に空軍パイロットの保養所も建てられ、
エーリッヒ・ハルトマンと語り合ったという話も紹介されています。

Erich Hartmann2.jpg

しかし終戦間際には、そのU-2519も身動きすらできなくなり、
クレーマーもパンツァーファウストを持って海軍対戦車部隊を率い、
最後には「クレーマー警護大隊」としてデーニッツらの警護を勤めることになります。

降伏に伴うデーニッツの有名な「Uボート自沈すべからず」命令に対しては
多くの艦長が独自の判断で命令に背いて自沈したことや、
最後までU-2519の艦長の立場にあったクレーマーも電話で自沈命令を出したということで、
これらの報告を聞いたデーニッツは「当初ビックリしたものの、やがて微笑んだ」と
その場に居合わせたクレーマーは証言しています。

ヒトラーにより、後継者に指名されたデーニッツの内外の敵との戦いも最後まで描かれ、
東方占領地の責任者としてニュルンベルク裁判で死刑となった
ローゼンベルクらもデーニッツに取り入ろうとしますが、
「ローゼンベルクを近づけるな」と命令していたそうです。
そういえば、ヒムラーも寄って来たという有名な話もありましたね。

Rosenberg.jpg

自身の回想録、または自分善がりなUボート戦記としてだけではなく、
大局的な戦術の変化やU-333と戦った相手は誰だったのか、までを
戦後、公開された英国側の資料を分析することで解明もしています。

以前に読んだ際には映画「Uボート」のようなものを想像していたので
若干、拍子抜けだった記憶があります。
今回読み返してみると、一人のUボート艦長の回想録という枠を超えたもので
例えばデーニッツの、「10年と20日間」を補填するものでもあり、
破滅に向かっていくUボート部隊を見事に描いた一冊だと感じました。



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ドラムビート -Uボート米本土強襲作戦- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

マイケル・ギャノン著の「ドラムビート」を読破しました。

「オペレーション・ドラムビート」、ドイツ語で「オペラツィオン・パウケンシュラーク」、
翻訳してしまうと「太鼓連打作戦」とちょっとイマイチですが、
有名なアメリカ沿岸でのUボート作戦の記録です。

ドラムビート.JPG

ドイツ海軍の英国に対する通商破壊作戦においては、アメリカがまだ中立国であったとき
洋上では様々な報告がもたらされ、その行動はとても中立国とは言えないものでした。
しかし、アメリカ船籍に攻撃することは許されず、Uボート指令デーニッツ以下、
アメリカに対して憤懣やるかたないという状況のもと、
日本軍による「真珠湾攻撃」が起こり、ここに至って、ついにヒトラーも
アメリカに対して宣戦布告をし、Uボートによる作戦が発動されます。

Reinhard Hardegen.jpg

5隻からなるUボートグループがニューヨーク沖を含むアメリカ東海岸において、
一斉に攻撃を仕掛けるというこの作戦は、ドイツ版「トラ・トラ・トラ!」とでも言えるでしょうか。
U-123の艦長ラインハルト・ハルデゲン少佐を中心に、この作戦の模様が詳細に語られ、
それはドイツ側だけではなく、連合軍側、特に対Uボート戦のベテランとなっていた
英国からの情報を軽くあしらった結果、恐るべき損害を蒙った
アメリカ側の無能さについてもその経緯について詳しく検証しています。

Reinhard Hardegen2.jpg

U-123のハルデゲン艦長は変わった経歴の持ち主で、
戦前の海軍航空部隊のパイロットからその軍歴が始まり、
ユンカースW-34の事故により、片足が短く、慢性的な腹部の出血という後遺症を残します。
やがてゲーリングの「空を飛ぶあらゆるものは本官に所属する」という発言によって
パイロットからUボート乗りへと転身することになります。

Heinrich Bleichrodt.JPG

そして騎士十字章のU-109艦長ブライヒロートなどと
パウケンシュラーク作戦の一員として出撃し、見事、最大の戦果を収め、
1回目の哨戒で騎士十字章、2回目の哨戒でも活躍したことで
エーリッヒ・トップと共にヒトラーから直々に柏葉章を授与されました。
それにしても、アメリカ東海岸の詳細な海図が手に入らなかったためか、
ガイドブックに付いている地図で作戦させたデーニッツも豪傑です。。。

topp_Hardegen.jpg

その後、地上勤務となったハルデゲンは終戦間近に「第6海軍擲弾兵連隊第1大隊長
となり、病院で終戦を迎えます。
パイロットからUボート・エースそして歩兵隊長という、すごい軍歴を送ったものですね。

また、このパウケンシュラーク作戦を扱ったドキュメンタリーDVDも発売されていて
ハルデゲン自らも語ります。
このシリーズ、クレッチマーやエーリッヒ・トップも出ていたりして、なかなか楽しめます。





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Uボート・エース [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヨルダン・ヴァウス著の「Uボート・エース」を読破しました。

撃沈数48隻、23万トンを誇る第二位のエース、宝剣付き柏葉騎士十字章拝領者である
ヴォルフガンク・リュートのUボート戦記です。
残念ながら彼は、終戦直後、30歳にして悲劇的な死を遂げてしまったため
この本は回想録ではありません。
しかし、1943年以降の陸上勤務時代に「潜水艦再び攻撃す」という一冊を著しており、
これが本作のベースともなっています。

Uボート・エース.JPG

本書ではUボートの第1世代であるU47のプリーン
U99のクレッチマーについても、その戦いや人間性が述べられており、
続く第2世代ともいえるリュートを中心として、エーリッヒ・トップなども登場します。

Lüth_Topp_Bleichrodt.jpg

リュートはその戦果もさることながら、長い哨戒の最中における乗組員の規律を維持しつつも
艦内での様々なリクリエーションを考案し、それらは正式に推奨されることになるなど
教官ないしは幕僚としての能力も高かったようです。
本人はナチ党員であるがゆえ、音楽を推奨するにしても「ジャズは嫌いにならなければいけない」
という党の規律により、なんでもかんでも公認はしなかった(出来なかった?)とのことですが、
艦橋に出ているリュート艦長に聞こえないように
内緒でジャズのレコードをかけるのを容認するという懐の広さもあって
部下たちには大変慕われていたようです。

Luth.JPG

デーニッツもこのようなリュートをUボート指令としての後継者と考えていたのか、
1944年には異例の抜擢で大佐に昇進させ、海軍兵学校の校長に就任させます。
そしてドイツ降伏直後、18歳のドイツ人歩哨に・・。

朝日ソノラマから刊行されていた本書ですが、
「異色の撃沈王その生涯と死闘の記録ヴォルフガング・リュート伝」
という副題のもと、再刊されています。





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