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潜水艦の死闘 -彼らは海面下で戦った- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

エドウィン・グレイ著の「潜水艦の死闘」をたぶん、再度、読破しました。

Uボートものっていうのは、急に無性に読みたくなるときがありますが、
もう、あらかた読んでしまったなぁ・・と、ちょっと寂しいこの頃です。。
しかし、未読本棚に本書があったことを発見しました。
結構前に買った本で、このBlogをはじめる前に読んだような気がするんですが、
第1次大戦から、世界6カ国の潜水艦エース、17人が登場し、
そのなかには、あのオットー・クレッチマーの章もあるというのに、まったく思い出せません。
そんなことで1997年発刊で390ページの本書をこれ幸いとばかりに読んでみました。

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国順でもなく、アルファベット順でもなく、古い順に紹介される本書はまず、
第1次大戦時の英海軍、マックス・K・ホートン中佐に始まり、
2人目はドイツ海軍のオットー・ヴェジゲン(ヴィディゲン)大尉が登場します。
名著「デーニッツと「灰色狼」」でも少し触れられていた名艦長ですが、
1914年9月に英海軍の装甲巡洋艦3隻に、乗組員たった24名の小さなU-9で戦いを挑み、
短時間でアブーカー、グレッシー、ホーグを葬り去ります。
そして新たなU-29をもって、英国グランド艦隊に挑戦するものの、
戦艦ネプチューンを狙った魚雷は外れ、
次の目標を狙っている最中、右舷側から戦艦ドレッドノート押し潰され、
U-29は残骸も生存者も残すことなく、沈んでいくのでした。

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1918年にドイツ軍が占領するベルギーのゼーブリュッヘ運河の鉄橋破壊作戦を行った
英海軍のサンドフォード大尉の活躍は印象的でした。
「第1次大戦における3軍のなかでも最も見事な偉業である」とチャーチルも語っているように
爆薬を積んだ潜水艦で細い運河を通り、このC-3で鉄橋の橋桁激突するという決死の作戦。
第2次大戦での「チャリオット作戦」の原点のようにも思いましたね。
英海軍はこういうのが好きなのかも知れません。

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ローター・フォン・アルノー・ド・ラ・ペリエール少佐も「Uボート総覧」で知っています。
長い名前からわかるとおり、祖先はフランス人とドイツ人で、
彼はフォン・ティルピッツ海軍元帥の副官に任命されるという由緒正しい貴族です。
U-35の艦長になってからは撃沈に撃沈を重ね、4ヵ月で114隻を葬り去り、
スペイン領海内ではあのヴィルヘルム・カナリス少尉まで収容する大活躍。
シーマンシップも見事で、捕虜にした船長からは「貴艦の捕虜であった23日間にわたって、
貴官、士官たち、全乗員の皆様から受けた親切かつ丁重なる取扱いに対し、
謝意を表明せずして貴艦を去ることはできません」との手紙を受け取るほど・・。

本書では合計195隻を撃沈と、1隻多いですが、軍艦も3隻含まれています。
しかし休戦は水兵たちに反乱を起こさせ、港では士官が射殺されています。
こうして、最高のUボート・エースも逃亡者のように私服で自分のUボートから
抜け出さざるを得ないのでした。

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いよいよ第2次世界大戦。
最初に紹介されるのはヤン・グラジンスキー少佐です。
ヴィトゲンシュタインも知りませんが、それもそのはず、ポーランド海軍なんですね。
1939年のドイツ軍の侵攻、グダニスク湾もシュトゥーカ急降下爆撃機の目標となりますが、
ポーランド潜水艦隊の5隻の潜水艦は奇跡的に脱出に成功。
その内の1隻、潜水艦オーゼルはバルト海に向かい、中立国のエストニアに・・。
その後、英海軍に編入されて、翌年のノルウェーを巡る「ヴェーザー演習」作戦でも
英海軍の潜水艦として戦うのでした。とても珍しい話ですね。

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10番目に登場するのは、第2次大戦におけるUボート最高のエース、オットー・クレッチマーです。
内容としてはクレッチマーとその友人でライバルであるU-47のプリーン
U-100のシェプケ共々紹介されます。
そして1941年の船団攻撃で3大エースは護衛駆逐艦の前に敗北。
唯一、クレッチマーのみが、捕虜として生き残ることが許されるのでした。

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太平洋戦争も出てきます。最初は米海軍のギルモア中佐。
彼の指揮する潜水艦グローラーは海上で突然、日本艦と出くわします。
激突する両艦。甲板に投げ出され、直接射撃で艦橋では船長のギルモアも倒れます。
生きたままハッチまで辿り着けないことを悟った彼は決定的な命令を・・。
「潜航急げ!」
副長のシェイドは自分の感情に逆らい、この命令に従ってハッチ閉めるのでした。。

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「人間魚雷」で有名なイタリア海軍からは、ルイジ・D・デ・ラ・ペイーネ大尉です。
ティーゼンハウゼン少佐のU-331が英戦艦バーラムを撃沈し、
地中海のカニンガム艦隊は2隻の戦艦を残すのみ。
そこで戦艦ヴァリアントとクイーン・エリザベスもデ・ラ・ペイーネ大尉指揮による人間魚雷攻撃によって
亡きものにしようとなるわけですが、この話は「海戦 連合軍対ヒトラー」にもありました。
首尾よく任務は成功し、彼は捕虜となりますが、1943年にイタリアが降伏すると、
捕虜収容所から解放された彼は、ドイツ側に拿捕されていたイタリア巡洋艦2隻を攻撃する
英国の作戦に参加することに・・。

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地中海で暴れまわる艦長としては英海軍のウォンクリン少佐も印象に残ります。
マルタ島を基地とする潜水艦アップホルダーはロンメルのアフリカ軍団向け貨物船や
イタリア陸軍兵士1300名以上を乗せた兵員輸送船を葬ります。
1941年11月には彼らの活躍により、ロンメルへの補給の実に63%が失われることに・・。
このウォンクリン少佐は、ひょっとすると補給を熱望するロンメルにとって、
モントゴメリーよりもウットーしい、「間接的な宿敵」だったのかも知れませんね。
朝日ソノラマの「マルタ島攻防戦」を持っていますので、近々、読んでみます。

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「エース不在の日本海軍」と書かれるなかでも、橋本以行中佐の章がありました。
日本軍人が登場するのが皆無な「独破戦線」でも以前に写真付きで紹介している
個人的に有名な潜水艦艦長ですが、彼はあの「巡洋艦インディアナポリス号」撃沈男です。
1909年生まれの彼は、1927年江田島の海軍兵学校へと入学しますが、
このスマートな紺と白の制服に、装身用の短剣を吊った若い生徒たちは、
下級生を虐める恐るべき制度と、公式に認められていた肉体的暴力に晒され、
西欧の教育概念を異質なものとして受け入れようとしない教育システムに投げ込まれます。

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来日したヒトラー・ユーゲントも「江田島の海軍兵学校は近代化の衣を着けたる
日本武士道の神髄であった」と語っていましたが、ナチス教育を受けた彼らにも
強烈な印象を残したようですしねぇ。
そしてこの学校での苦行を耐え抜くと、士官となった彼らは、服従が確実な死を意味する場合でも、
上官からの命令にじっと従い続けるという、権威に対する従順さが日本海軍の
多くの失敗の原因となっているとして、例えば潜水艦の魚雷の使用も制限されており、
駆逐艦に対しては2発、商船に対しては1発のみという現場を完全に無視したもの・・。

特攻兵器「回天」も使用した彼の伊58 の戦い、通常魚雷によるインディアナポリス号撃沈、
そして戦後、敵巡洋艦艦長の裁判の証言者となるまでが描かれていました。
しかし江田島の海軍兵学校・・、妙に気になりました。
「海軍兵学校物語 あゝ江田島」って映画はどんなもんなんでしょう?
また、「回天」はTVで松方主演の「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」を見たことがありますが、
宇津井健主演の「人間魚雷 回天」とか、石原裕次郎主演の「人間魚雷出撃す」とか、
映画が何本も作られているんですねぇ。
ちなみに「人間魚雷出撃す」は、本書の伊58の回天の話のようです。

人間魚雷出撃す_.JPG

著者のエドウィン・グレイは「ヒトラーの戦艦―ドイツ戦艦7隻の栄光と悲劇
も書いている方で、各国の海軍全般にも精通しており、
本書の原題は「戦う艦長たち」というもので、シーマンシップを発揮して戦果を挙げた
これら潜水艦艦長の簡単な人生と最期も1人あたり20ページ程度で語られます。

第二次大戦時のUボート艦長がクレッチマーだけ・・というのはちょっと寂しいですが、
第一次大戦の名艦長や、英国、米国、日本、そしてドイツといった各国海軍の
潜水艦戦についての考え方の違い、それに戦術と各人の個性の違いまでが、
通して読むことによってある程度理解できたと思います。
Uボートについての視野も広くなった気もしますね。

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あまり読む気のなかった「スカパ・フローへの道―ギュンター・プリーン回想録」も
amazonではいつの間にか売り切れになってしまっていて、こういうのを知ると、
ついつい読んでみたくなったりしますが、第二次世界大戦ブックスの
「Uボート―海の狼、あの船団を追え」があるのもスッカリ忘れてました。

















Uボート作戦 [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

W.フランク著の「Uボート作戦」を読破しました。

リデル・ハートの「第二次世界大戦」でお腹一杯、ちょっとグッタリ気味ですが、
Uボートについてはそれほど触れられていなかったこともあって
3年以上前に購入していた1970年発刊の本書を選んでみました。
著者のW.フランクは、名著「デーニッツと「灰色狼」」の著者というのは知っていましたが、
去年8月の「Uボート部隊の全貌」以来、実に久しぶりのUボートものなので、
本書がどのような内容なのか不明のまま、とりあえず中毒患者の如く、
一心不乱に読み進めます。。。

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まずは潜水艦の誕生から第1次大戦でのヴィディゲン大尉のU-9の活躍などを簡単に紹介。
1935年、英独海軍協定によってレーダー提督の新生ドイツ海軍は
排水量250㌧の「カヌー」と呼ばれる小型U-ボートの建造を開始。
Uボート隊指揮官には前大戦のUボート艦長で、巡洋艦「エムデン」艦長となっていた
デーニッツが任命されます。

Karl Dönitz.jpg

500㌧の大型Uボートである「Ⅶ型」も完成し、Uボート部隊も徐々に拡大しますが、
1939年9月、寝耳に水の英国による宣戦布告がデーニッツに衝撃を与えます。
そしてシュウハルト少佐のU-29が早速、英空母カレイジャスを見事撃沈。
しかしレンプのU-30は誤って、客船「アセニア号」を沈めてしまいます。。

HMS Courageous sinking after being torpedoed by U-29.jpg

5本の魚雷しか積んでいない「カヌー」で4隻の商船を沈めたU-19の艦長は、
後の大エース、ヨアヒム・シェプケです。
さらに「死んだふり」を決め込んで、英国に「U-9号を撃沈した」と発表させたのは、
これまたダイヤモンド章受章者となるヴォルフガング・リュート
これら当初の1941年までの攻勢期が数々の戦記とともに語られます。

Joachim Schepke22.jpg

しかし英戦艦ロイヤルオークを撃沈した”スカパ・フローの牡牛”こと、U-47のプリーンの話になると
「あら?この書きっぷりは読んだことあるなぁ・・・」
原題はなんだろう・・とペラペラ捲りますが、通常ページの最初に書かれているハズのものもなく・・。
まあ、「デーニッツと「灰色狼」」の著者だし、アレとかぶっているかと思いつつ、読み進めますが、
「やっぱり、読んだことある」と確信し、今度は後ろを捲ってみると、
ソコには、「Die Wölfe und der Admiral」。
お~と、これは「デーニッツと「灰色狼」」そのものですね。
ちなみ表紙にもちゃんと・・。独破後にカバー外して気づきました。。

U-46 Mise en peinture de l'emblème de la 7e Flottille.jpg

本書についてハッキリしたことは謎のままなんですが、フジ出版から1975年に出た
「デーニッツと灰色狼―Uボートの栄光と悲劇」は542ページの大作で、
それより5年も古い本書は284ページです。
ということは1957年の原著の最初の翻訳版が本書ということなのかも知れません。
ただし、完訳ではなく、1/3から1/5程度の抄訳のような感じです。

Die Wölfe und der Admiral.jpg

そうは言っても「デーニッツと灰色狼」の内容を全部暗記しているわけではないので、
忘れていたエピソードも楽しめました。
あえて艦名の明かされない、とあるUボートが英国潜水艦を撃沈し、
唯一の生存者である一等水兵のペスターを収容します。
同僚のすべてを失ったペスターに「おい、君は気の毒だね」と英語で語りかけ、
彼の衣類を乾かし、チョコレートを振る舞い、司令塔でタバコを吸うことも許し、
思いに沈む彼の沈黙も邪魔しないUボート乗組員たち・・。
明日は我が身と知っている彼らには、他人事とは思えないのでした。

U-Boot-Besatzung mit Gewehren posiert an Bord mit totem Eisbär.jpg

やがて3大エースと呼ばれたプリーンとU-100のシェプケ、 U-99のクレッチマーが揃って撃沈・・。
クレッチマーは本書では「クレチュメル」と書かれているので、一瞬、見逃しました。。
ネイティブの発音ならクレッチュマーが正しいんでしょうか。

Two U-Boat aces together. Gunther Prien, with Otto Kreschmer behind him.jpg

U-556のヴォールファルトと巨大な戦艦ビスマルクとの楽しくも悲しい運命的なエピソード。
「仮装巡洋艦」アトランティスが撃沈され、U-68のメルテンとUAのエッカーマンが
戦時中最大の海難救助を行なったシーンも出てきますが、
ローゲ艦長の書いた「海の狩人・アトランティス」の共著者も、このW.フランクだったんですね。
あれは実に面白い本でした。最初の頃のレビューなんで、超ザックリですが・・。

The Encounter between U-556.jpg

「デーニッツと「灰色狼」」では、フォン・マンシュタインというU-753の艦長の名が衝撃的でしたが、
本書にもちゃんと登場します。
しかし、彼は別に商船をバンバン撃沈したりして活躍するわけではなく、
ただノルウェーに移動するUボートのうちの一隻に過ぎないんですが、
ちょっと気になって調べてみると、1943年の5月に北大西洋で撃沈されています。
スコアは5隻撃沈、3万㌧。享年35歳でした・・。

u753.jpg

1944年の8月にフランスを席巻する連合軍からUボート基地であるブレストを守り抜く様子は
最近、パットンやら、なんやらを読んだので興味深かったですね。
分厚いコンクリートで覆われたUボート・ブンカーは1000ポンド爆弾を数十発喰らっても
ビクともせず、退却してきたドイツ軍部隊が、この要塞と化したUボート・ブンカーに流れ込み、
Uボートクルーたちも海上での時と同様に、陸上でも勇敢に戦い続けます。
サン・ナゼールとロリアンも終戦まで持ちこたえられたのは、
この「Uボート・ブンカー要塞」の存在が大きかったんでしょうね。
これらの戦記に特化した本があってもよさそうなものですが・・。

Die U-Boot-Bunker von Brest.jpg

ブレストにいた2人のUボート隊司令のうち、映画「Uボート」のモデルといわれる
レーマン・ヴィレンブロック大佐は大破していたおんぼろのU-256に
間に合わせのシュノーケルを取り付け、予備の兵員と技術者をかき集めて出港。
数週間後に無事、ノルウェーに辿り着くのでした。

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ヒトラーの後継者に任命された・・というボルマンからの電報を受け取るも、
そんなことも知らずに武装したSS将校の護衛と共にデーニッツのもとに現れた
後継者を自負するヒムラーとの対談が・・。
デーニッツは机にピストルを隠し持ち、U-333の元艦長のクレーマーが指揮をする
「デーニッツ護衛大隊」も隠れて待機しています。
今回、クレーマーの綽名が「生命保険」だったことを思い出しましたが、
まさかそれが理由でデーニッツの警護を命ぜられらたんじゃないでしょうね。。

Peter Erich Cremer.jpg

本書でもかなりの数のUボートと、有名無名に関わらずUボート艦長が登場してきますが、
その人数とエピソードはある程度に絞られています。
例えば、U-156ハルテンシュタイン艦長の有名な「ラコニア号事件」はありませんでしたし、
剣章受章者のテディ・ズーレン艦長についても同様です。
ただミルヒクーの老艦長、フォン・ヴィラモーヴィツ・メレンドルフの最期は、
相変わらずジ~ンとしましたね。。

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全体的に、原題「オオカミたちと提督」のとおり、数多くのUボート艦長たちの戦いと、
最初から最後までUボート司令官だったデーニッツとその苦悩、
そしてUボートそのものにもシッカリと光を当てた、とてもバランスの良い一冊で、
Uボート入門書としても、うってつけですし、
「デーニッツと「灰色狼」」がボリュームあり過ぎ・・と腰の引けている方にも、
最適なものではないでしょうか。
名作本っていうのは、何度読もうが、抄訳であろうが、面白いことに変わりありませんね。







Uボート部隊の全貌 -ドイツ海軍・狼たちの実像- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ティモシー P.マリガン著の「Uボート部隊の全貌」を読破しました。

前回の「ヒトラーの最期」に続き、同じく今年6月に発刊された最新のUボート物の紹介です。
600ページオーバーで3990円という大作である本書は
Uボート艦隊司令官デーニッツ提督や大エースのUボート艦長、
あるいは、Uボートという兵器そのものに焦点を当てた既存のUボート物とは一線を画し、
タイトル通りの「Uボート部隊の全貌」・・、18歳の新米水兵からUボート内での生活、
また、彼らエリートと呼ばれたUボート乗組員たちが何処から来て、
何のために最後まで戦い続けたのか・・をこれ以上ないほど余すところなく調査した、
他のドイツ軍部隊が書かれたものにも類を見ないほど、見事な「研究書」です。

ちなみに結構なお値段のする本書は運の良いことに"タダ"で読むことが出来ました。
例によって図書館で借りた訳ではありませんが、この経緯はレビューの最後で・・。

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第1章「運命共同体」では、Uボート乗組員とは、水夫、技術者、武器専門家から成る
相互依存チームという前提で、艦長から、機関長、先任、次席といった将校、
通信兵から魚雷整備兵らの任務を解説しつつ、彼らの生活の場であるUボート内の
構造にも触れ、さまざまな階級の乗組員が真に平等になれる場所である
「便所」についても詳しく書かれています。

「雷箱」と呼ばれた高圧便所は、特別な訓練が必要なほど操作が複雑で、
誤ったレバーを引こうものなら、便器の内容物と海水の噴流が
不運な操作者の全身に降り注ぐ・・という、まことに恐るべきもので、
実際、U-1206はレバーの不手際によって、排泄物と海水が噴出し、蓄電池に侵入。
発生した塩素ガスを換気するため浮上した結果、連合軍機の爆撃を受けて
傷ついた艦を自沈せざるを得なかった・・という第2次大戦中、
最も恥ずべき失われ方をしたUボートとして紹介されます・・。

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また、個人的に興味のある「烹炊所」もしっかりと解説され、
民間職ではパン屋や肉屋の烹炊員は2等水兵であるものの、
「艦長を含めて、艦内で一番重要な乗組員だった」という談話も載せています。

シュノーケルが登場するまでは、Uボートは通常、浮上をしたまま航行し、
蓄電池に充電もするわけですが、この時に最も重要なのは
四方八方を双眼鏡で監視する「見張員」です。
しかし映画「Uボート」のシーンにもあったように、荒天時には荒波に叩きつけられ
非常に危険を伴うものでもあります。
そしてこのような「見張員」が舷外に流されて死亡した事故は25件もあり、
特に4人の「見張員」全員が流された・・という、U-106の最悪のケースも・・。
また、当直中の「居眠り常習犯」で仲間からも嫌われていた乗組員が、
自ら海へ飛び込み、苦難に終止符を打った・・という話もありました。

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次の章「第一世代」ではデーニッツを含む、第1次大戦のUボート乗りも紹介され、
ここでは第2次大戦でも補給用Uボート、U-459で出撃した
48歳の老艦長フォン・ヴィラモーヴィツ・メレンドルフにも触れられていますが、なにより凄いのは
巻頭に、このUボートが伝統的な「赤道祭」を行っている写真が掲載されていることでしょう。
微笑むメレンドルフ艦長と、乗組員が仮装した「ネプチューン」が新参者を清める写真ですが、
いろいろな戦記に登場する、この様子を写したものは初めて見ました。

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中盤からは米国立公文書館員にして、史学博士の著者が実施した
本書の大きな特徴である、元Uボート乗組員1100人以上によるアンケートと、
その集計結果を元にした、今まで知られることのなかった「実像」に迫ります。
ちょっと紹介すると、出身地は北部(当時のプロイセン州)が優勢であり、
水兵科、機関科、航海科、通信科ごとの分布まで細かく「表」で解説します。

その兵種についても、彼らの役割から学歴や前職までに言及していて、
個人的には「各科徽章」の解説は興味深く、「水兵科の兵卒は星1個」、「機関科なら歯車」
などは参考になりましたが、出来れば、少なくとも"絵"などで紹介して欲しかったですね。

U boot Abzeichen.jpg

訓練課程も非常に興味深いもので、方向転換可能な実物大の司令塔を
巨大な水槽に浮かべたシミュレータ「哨戒装置」による訓練では
対船団襲撃ミッションを15回成功することで修了。
また、海面下20mでのトイレ内容物排出ミッションもあり、
これを使いこなせるようになった者には「便所免許状」が与えられたそうです・・。
そして彼らに訓練を施すのは、トップにズーレン、メルテンなどの元Uボートエースたちですが、
バルト海での最終訓練では、その期間中に30隻が最期を遂げるという危険なもの・・。
しかし、このような訓練もその期間は、戦局の悪化とともに削減傾向に・・。

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このような1943年以降のUボートが劣勢となった時期において、人員不足から
艦長や乗組員の年齢が若くなっていった・・と一般的に云われている件についても
いくつかの表を用いて、事実がどうであったのかを分析。
また、ヒトラー・ユーゲント育ちの新兵と年長の水兵の違いも述べています。

給与についても徹底的なほど詳しく書かれていて、基本給は国防軍全体で統一されていても、
Uボート乗組員には「閉所加棒」、「潜水加棒」などの特別給付に、
休暇の際には「総統からの小包」と呼ばれる、貴重なバターやコーヒーなどが受け取れます。
このようにかなりの貯蓄も可能だったUボート乗組員ですが、なかには
ガールフレンドやらビールにパーッと使ってしまう連中もいたようですね。
海軍兵学校の校長まで務めた宝剣付き柏葉騎士十字章のリュートなんかは前者で、
鉄の棺」のヴェルナーは後者だろうなぁ。ヒドイ遊び人でしたからねぇ。。

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Uボート艦橋に描かれる「紋章」も検証しています。ふぅ・・凄いなぁ・・。
U-47の「鼻息荒い雄牛」が第7潜水戦隊の、U-96の「笑うノコギリエイ」
第9潜水戦隊の紋章に採用されたという話以外にも、人気の図柄も紹介します。
「悪魔」と「魚」が14隻に、「犬」が13隻、「狼」10隻で、
栄えある人気No.1は「象」の16隻・・だそうです。

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ここまでくると、もちろん「勲章」についても書かれています。
Uボート艦長は撃沈㌧数によって、騎士十字章が授けられるというのは良く知られていますが、
先任将校や下士官、兵の受章資格はけっこう曖昧です。
高名なU-48艦長のブライヒロート大尉が、先任のズーレン中尉が騎士十字章を授けられるまで
同章の受章を拒否した・・というのは印象的な話ですね。

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Uボート総覧」に書かれていたU-505のツシェック艦長の自殺や、
U-154のクッシュ艦長と先任アーベルの戦い、U-852のエック大尉の虐殺事件も登場し、
U-156のハルテンシュタイン艦長の「ラコニア号」事件と、それと前後した
撃沈した船舶の乗組員の救助問題をU-99のクレッチマーU-333のクレーマー
そしてU-181のリュート、その他、数多い救出措置のケース、
なかには黒海でのソ連兵の救助の例も紹介しながら、
デーニッツがニュルンベルク裁判で問われた嫌疑を検証し
ヒトラーの「乗組員殲滅命令」に反対するデーニッツの言葉を記しています。
「お言葉ですが、我が総統、難船者を銃撃するなど船乗りの名誉にもとります・・」。

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Uボート乗組員の政治性ではプリーンとトップがナチ党員であったことが書かれていて
特に1933年、19歳で入党したトップが翌年には一般SS隊員となったものの、
海軍士官として、そしてUボートエースとして輝かしい軍歴を送った後、
ヒトラー体制の犯罪的性格を認め、デーニッツまでも批判し、元戦友たちとも
戦争の大義を巡って激論を交わすようになった・・というのは初めて知った話でした。
どなたか撃沈㌧数No3を誇るこの人物の自伝かなにかを翻訳してくれないですかねぇ。
タイトルは「トップになれなかったUボートエース -エーリッヒ・トップ自伝-」。。ダメですか?

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また、ズーレンも長い哨戒から帰港してきた際、メガフォンで「ナチはまだ国の舵取りをしているのか」
と叫び、群衆の「そうだ」の声を聞くと、エンジンを後進にして遠ざかって行った・・とか、
U-515のヘンケもゲシュタポを「チンピラ」と罵倒・・。デーニッツがヒムラーに直接謝罪をしたことで
無罪放免になったという楽しいエピソードも。

Kapitänleutnant Werner Henke U-515.jpg

相変わらず気になった部分をダラダラと書いてしまいましたが、
コレが本書の本質を付いているとは、我ながらとても思えません。。。
それでもUボート部隊やデーニッツを決して賛美している訳ではない本書は、
名著「デーニッツと「灰色狼」」を好まれるような「Uボート好き」なら、
最新の調査による研究という別の視点から深くこの部隊を見つめる意味でも、
一読することをオススメ・・というより必要だと思いました。

U-805's crew lines up for the photographers before boarding busses for Portsmouth Naval Prison.jpg

最後に前半で書いた、本書を"タダ"で読むことができた経緯ですが、
本書の訳者さんであり、以前紹介した「Uボート戦士列伝」や
大西洋の脅威U99―トップエース・クレッチマー艦長の戦い」も訳され、
この「独破戦線」にも度々コメントをいただく「某訳者」さんこと、
並木 均氏からご連絡をいただき、「新作を一冊贈呈したい・・」との突然のお申し出に
スッカリ甘えたうえ、「できれば表紙に一筆・・」という我がままを聞いてくださり、
「灰色狼」らしいブルーグレーの美しい表紙の上に「ヴィトゲンシュタイン殿へ」の文字も・・。
こんなBlogでも真面目にやっていると良いこともあるもんだなぁ・・と
感動したというお話でした。



Uボート総覧 -図で見る「深淵の刺客たち」発達史- [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

デヴィッド・ミラー著の「Uボート総覧」を読破しました。

これまで、何冊かのUボート戦記やUボート興亡史、そしてデーニッツの回想録などを
紹介してきましたが、今回の大判の1冊は、「Uボートそのもの」に焦点を当てたもので、
有名な「Ⅶ型」や「XXI型」などの性能から、その派生型、また魚雷などの兵器までを
大量の珍しい写真とイラストで分析したものです。
ジャーマンタンクス」のUボート版・・といった感じをイメージしながら読んでみました。

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3部からなる本書、まずは第1次大戦時、草創期のUボートの紹介からです。
この1910年代のUボートの写真が何枚も出てくるのも凄いですが、
ここでは「デーニッツと「灰色狼」」に登場した、U-9のヴィディゲンではなく、
アルノー・ド・ラ・ペリエール大尉とU-35が詳しく紹介されていて印象に残りました。

思いっきり、フランス系の名前のド・ラ・ペリエールですが、16回の哨戒で、
合計194隻を撃沈という、今後もまず破られない記録を持つ、途方もない艦長です。
後に巡洋艦エムデンの艦長にもなったようですが、
このエムデンはデーニッツも艦長になりましたねぇ。

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第2部は本書の中核部分であり、1932年から始まったUボート軍備再開を受けて、
建造の始まったUボートが「IA型」から詳しく紹介されます。
「IIB型」でもそのうちの1隻、U-23が1940年3月まで、かのクレッチマーが艦長であった・・と
ところどころで有名艦長の名も出てきます。

「潜水艦史でも最も重要な艦のひとつ」と紹介される「Ⅶ型」。
1936年~1945年まで709隻が建造されていますが、「性能のどれをとっても
群を抜いたものはなかったが、充分な折り合いをつけ、デーニッツの意図するところへ
良く適合していた」というのがその理由です。

A German submarine crew loading a torpedo into their sub.jpg

「IIB型」が戦車で言えば「II号」や「38(t)」戦車であり、
この「Ⅶ型」は「Ⅳ号」戦車といったところでしょうか?
本書を読んでいると、今まで比較したことのない、こんなことを考えてしまいました。

もちろん「司令塔」から「発令所」、「後部居住区」なども詳しく書かれていて、
特に小型コンロが2台あるだけの狭い「烹炊所」もその主はたった1名であって
その彼が年中無休24時間をカバーするという話は、料理好きのヴィトゲンシュタインでも
ちょっと想像しただけで、とても耐えられそうにありませんね。
50人近くの乗組員に数ヵ月続く、哨戒任務・・。
20時間にも及ぶ、爆雷攻撃を受けても、冷静にチョコ配ったりとか・・。

Das ist die Kombüse des U-Bootes!.jpg

この「艦型」では主な「実戦記録」もあり、例えばU-977がアルゼンチンへ・・など。
そして「IX型」ではU-505という恐ろしくツイテいないUボートが登場し、
「実戦記録」でそのすべてを明らかにします。
出撃するたびに発見/攻撃を受けて損傷。その後も得体のしれない騒音やら故障やらで
ロリアンへの帰投を繰り返し、挙句、激烈な対潜攻撃に曝されると、
このいつ終わるともしれない不幸の前に、なんとツシェック艦長が拳銃で自殺・・。
「先任」のマイヤー中尉がなんとか攻撃をかわしますが・・まだまだ、運命はU-505を翻弄します。

Peter Zschech u-505.jpg

補給用Uボート「ミルヒクー」で知られる「XIV型」と続き、遂に「真」の潜水艦、
「XXI型」エレクトロ・ボートの登場です。
しかし、この「奇跡のUボート」もその登場があまりにも遅すぎ、過大な量の
新機軸を一斉に導入してしまったことで、完成後も問題点が続発し、
終戦間際になんとか実戦哨戒できたのは、シュネーのU-2511を含む、わずか2隻に留まります。

U2511 Bergen.jpg

「外国艦」では海外の潜水艦をUボートとして使用したことが細かく書かれていて、
大変勉強になりました。
トルコがドイツに「発注」していた潜水艦のうち1隻を大戦勃発に伴い、ドイツが徴発し、
これが外国艦第1号を示す「UA」となったということです。
仮装巡洋艦アトランティスを救出したエッカーマン艦長のUボートが
なぜ「UA」という艦名なのかがやっとわかりました。
英国なら「UB」、ノルウェーが「UC」、オランダが「UD」、フランスなら「UF」です。
「UE」はないのかなぁ。

魚雷や機雷、対空砲に潜望鏡、敵のレーダーを受信する「メトックス」なども
写真つきで次々と紹介され、もちろん「エニグマ」もその使用方法がガッチリと・・。

Enigma.jpg

最後の第3部「作戦史~Uボートの戦い~」は機械より、人間好きのヴィトゲンシュタインが
最も楽しめた部分です。
「Uボートの士官たちも十人十色」というさまざまな艦長の話は知らないものがほとんどで、
U-572のヒルザッカー艦長は、あの「処女のように狭い」ジブラルタル海峡突破に失敗、
さらに連合軍の北アフリカ上陸作戦の大艦艇に対して「怖気づいた」とされて、
「死刑」判決を受け、1943年に「銃殺刑」。

hirsacker_U-572.jpg

U-154のクッシュ艦長は、「艦からヒトラーの写真を撤去」させるなどの振る舞いを
ナチ党員の先任アーベルから告発されて、やっぱり死刑・・。
このようなナチ党員の士官と反ナチ艦長となると、映画「Uボート」を思い出しますね。
ちなみに、このナチ党員の先任アーベルも乗艦が撃沈されて、戦死しています。

U-154_kusch_abel.jpg

U-852のエック大尉は違う意味で死刑となった艦長です。
ギリシャの貨物船ペレウス号を撃沈した彼は、救命艇や筏に乗る生存者を見つけては
殺し続け、その場を立ち去ります。
やがて捕虜となった彼は、Uボート士官として唯一の「戦犯」として処刑されています。

The defendants in the U-852 trial_Kapitänleutnant Heinz Eck _left.jpg

U-505のような艦長自決もまだあり、U-604艦長ヘルトリンク大尉の感傷を誘う話も・・。
連合軍による攻撃を受けて大破し、塩素ガスが艦内に広がると、
艦首にいる負傷した部下2名をなんとか助けようとしますが、
それが叶わないことがわかると、彼らの嘆願を聞き入れ、2人を射殺・・。
そしてヘルトリンク艦長は、自分に銃口を向けるのでした・・。

holtring_U-604.jpg

最後は「極東向け輸送作戦」。すなわち枢軸国である日本との交流です。
U-180がマダガスカル島付近で日本の潜水艦「伊29」と会合、双方の物資を交換するものの、
「日本軍はゴキブリやダニまで寄越し、これらが共謀して愉快ならざる状態にした」という
U-180の日誌も抜粋。

また、興味深いU-234の謎・・。
終戦間際、日本人士官2名と560㎏の「ウラン酸化物」を乗せてキールを出港。
しかし、ドイツの降伏の知らせに、日本人士官は自殺、降伏したU-234は米軍に捕えられますが、
「ウラン酸化物」はそのまま行方不明のまま・・という事件です。
これはいまだに「ウラン酸化物」が日本に送られた理由と、米側がどのように扱ったのか・・は
秘密のままだそうです。

「深海からの声―Uボート234号と友永英夫海軍技術中佐」という本があるので
今度、読んでみようと思いますが、本書は以上のように、いままで読んできた
Uボートものとは一線を画した、まさにUボート辞典ともいえる充実した一冊でした。





狼群作戦の黄昏 [Uボート]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

G・ジョーンズ著の「狼群作戦の黄昏」を読破しました。

大作のあとなので、ちょっと軽い感じを選んで、久々の「朝日ソノラマ」です。
タイトルの「狼群」とは、いわゆる「ウルフパック」、Uボート集団ということですね。
羊の群れである「輸送船団」に襲い掛かる、狼たち・・。
本書は英国人の著者が、この「輸送船団」vs「Uボート」の戦いを個々に取り上げ、
連合軍の船団護衛強化によって、ドイツの「狼群作戦」がどのように「黄昏」ていったのか・・
を解説したものです。

狼群作戦の黄昏.jpg

第1章は1939年の開戦からの4年間・・Uポートが主導権を取っていた時代を簡単に紹介し、
ほとんど名の知られていないUボートと、その艦長の戦いと続いていきます。

ポケット戦艦「グラーフ・シュペー」の砲術士官だったロルフ・シャウエンブルク大尉が
U-536の艦長になると、デーニッツから特殊作戦を命ぜられます。
これは、かの大エースでカナダの収容所に捕えられているオットー・クレッチマー
救出しようという野心溢れた作戦です。
残念ながらこの作戦は失敗し、海軍のスコルツェニーに成り損ねたシャウエンブルクと
U-536のその後が書かれています。

A surrendered German submarine in the Atlantic.jpg

カナダからの帰途、船団攻撃に挑むU-333のクレーマー艦長らの「狼群」に合流したU-536。
しかし、この頃登場した連合軍の「アスディック」に探知され、
強烈な爆雷攻撃の前に損傷/浮上を余儀なくされ、さらには
コルヴェットやフリゲートを擁する護衛艦グループからの砲撃の前にU-536は沈んでいきます。
生存者は艦長シャウエンブルクを含め、20名弱・・。なんともツキのない人のようです。。

time_doenitz_karl_1943.jpg

ちなみに「アスディック」とは英独の言い方で、現在では一般的な「ソナー」のことです。
また、本書はこの時期、優勢なりつつある連合軍側のUボート狩りも並行して詳しく書かれていて、
特に空からの攻撃に英米海軍のB-24リベレーターが活躍し、Uボートにとっては
かなりの脅威となっていることがわかりました。
読み終えた後に気付きましたが、表紙もそんな雰囲気ですね。

Heinz Otto Schultze und Admiral.jpg

このような典型的な例としては、U-432の艦長として戦果を挙げ、騎士十字章を持つ、
ハインツ=オットー・シュルツェ大尉が新艦U-849でキール港から出動します。
しかし浮上航行中、B-24リベレーターからの爆弾6発による攻撃と後部から機銃掃射によって
激しく損傷し、艦長のシュルツェも息絶えてしまいます。

U849 under Air Attack.jpg

読み進めるにつれ、どんどんUボートが不利になっていく展開で、
個々の戦闘もUボート撃沈・・連合軍の勝利・・というストーリーが増えてきますが、
著者は双方の記録から誰が誰と戦ったのかを解明しようとしています。
そして駆逐艦の爆雷攻撃から逃れたUボートが、21ヶ月後にその駆逐艦を魚雷で仕留める・・
という偶然も紹介。
飛行機とUボートが「相討ち」に終わり、双方とも海の藻屑となって消えた戦いも印象的でした。

有名どころではU-81のグッゲンベルガーも出てきたりしますが、
一番印象的だったのは、英軍による「チャリオット作戦」の章です。
1942年、ドイツ海軍の新型戦艦ティルピッツが動き出すのを懸念した英軍は、
この巨大戦艦がフランスの乾ドック入りすることを阻止するため、
巨大なドックのあるサン・ナゼールを急襲し、乾ドックを破壊する作戦を実行します。

Operation Chariot.jpg

砲艦や魚雷艇、数隻の駆逐艦の英軍攻撃部隊は海軍と陸軍コマンドの混成部隊です。
ドイツの水雷艇に偽装した「キャンベルタウン」の船首に遅延爆弾を仕掛けて
見事、水門の爆破に成功・・。しかし、英独ともに多くの人命を失います。
この話はほとんど知らなかったんですが、何かに書いてあったかなぁ。

St. Nazaire, britische Kriegsgefangene_1.jpg

「朝日ソノラマ」は今回で15冊目くらいだと思いますが、我が家の在庫はあと3冊、
「戦う翼」と「ノルマンディの激闘」、「危うし空挺部隊」だけです。
そんなわけで、かなり真剣に残る「朝日ソノラマ」たちを研究した結果、
今後の購入予定にチェックが入ったのは「最後の特派員、「ドイツ装甲師団」など 11冊・・。
ちなみに同様に研究した在庫切れの「第二次世界大戦ブックス」は17冊という数字が出ました・・。
まだまだ読みたい本が沢山あることがわかって、嬉しくなりました。



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