SSブログ

ドイツ武装SS師団写真史〈2〉​遠すぎた橋 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「ドイツ武装SS師団写真史〈2〉」を読破しました。

すっかり発売を心待ちにしてしまっているこのシリーズですが、
早々に購入したものの、すぐに読んでしまうのももったいないので、
袋から出さずに本棚へ直行させていました。
こうしておくと、次に読む本を探した際に気が付かないんですねぇ。
しかし、ちょっとご無沙汰の「武装SS」モノに対する禁断症状からか、
いよいよ、開封の時がやってまいりました。

ドイツ武装SS師団写真史〈2〉.jpg

今回登場する武装SS師団は副題の「遠すぎた橋」のとおり、
モントゴメリー元帥発案によるマーケット・ガーデン作戦を見事粉砕し、
映画でも「あの橋は遠すぎたな・・」と言わしめたSS第9戦車師団「ホーエンシュタウフェン」と
SS第10戦車師団「フルンツベルク」が主役です。
そして後半は、SS第34義勇擲弾兵師団「ラントストロム・ネーダーラント」と
SS第29武装擲弾兵師団「イタリア第1」という、スーパー・マイナー師団が紹介されます。

Michael Caine, Gene Hackman, Dirk Bogarde, Edward Fox and Ryan O'Neal in A Bridge Too Far.jpg

前作「ドイツ武装SS師団写真史〈1〉髑髏の系譜」で2部/6章が紹介されていたため、
本書は第3部の第7章としてSS第9戦車師団「ホーエンシュタウフェン」から始まります。
1942年8月の連合軍のよる「ディエップ奇襲」がヒトラーに衝撃を与えたことから
新たに2個SS師団をノルマンディに編成することになったという、この双子の2個師団の
創設された経緯が書かれ、師団長には武装SSの顔役のひとり、ビットリッヒSS少将が就任。

そして1944年2月、東部戦線で包囲された第1戦車軍20万名を救出するために
SS第10戦車師団「フルンツベルク」とともに投入されますが、
本書ではこの有名な「フーベ移動包囲陣」の様子をパウル・カレルの
焦土作戦」から抜粋して、紹介します。

Hohenstaufen   Panzer IV.jpg

ノルマンディでの激闘では、第7軍司令官のドルマン上級大将の急死(心臓麻痺)に伴い、
SS第9/第10師団を合わせたSS第2戦車軍団司令官のハウサーSS大将が昇格し、
ハウサーの後任にはビットリッヒが指名されるという、玉突き状態の結果、
SS第2戦車師団「ダス・ライヒ」のデア・フューラー連隊長を努めていた
シュタドラーSS大佐が新師団長となります。
このシュタドラーもなかなか有名な人ですが、写真つきで経歴もしっかり書かれていて
実に嬉しいですね。
しかし、就任1ヶ月もしないうちに、この激戦の中、重傷を負ってしまいます。

sylvester_stadler.jpg

この結果、9月のマーケット・ガーデン作戦の際には、ハルツァSS中佐が代行している・・という
ことになるわけですね。う~ん。実にわかりやすい。。
そしてこの戦闘の様子も、「不屈の名著であるコーネリアス・ライアンの「遥かなる橋」から
引用することにしよう」という展開です。
最終的には「春の目覚め」作戦でバラトン湖でも戦い、消耗した師団は終焉を迎えます。

SS第10戦車師団「フルンツベルク」は、ローター・デベスSS少将という地味で知らなかった人物が
初代師団長となりますが、当然、彼の経歴も詳しく書かれていて、
特に、バート・テルツなど2つのSS士官学校の校長を務めた、武装SSの頭脳ともいうべき、
唯一無二の存在であった・・というのは、大変勉強になりました。

D DAY The SS Frundsberg division.jpg

この「フルンツベルク」の戦役はSS第2戦車軍団として「ホーエンシュタウフェン」と基本的には
同じですが、一番の読みどころは、パンターを擁する戦車大隊副官のバッハマンSS中佐(中尉?)の
活躍によって、隠されていた米軍の新品シャーマン戦車12両を鹵獲したくだりでしょう。
そしてこのシャーマンは第5中隊として終戦まで使用された・・とのことで、
隊列で進むこの「第5シャーマン戦車中隊」の写真も掲載されています。こんなの初めて見ました。
しかし、これがあと2ヶ月ほど早かったら、バルジの戦いに挑むスコルツェニーが喜んだろうに・・。

erwin bachmann.jpg

終戦間際にはフルンツベルク師団長のハルメル総統随伴師団長のレーマー
ヒトラーとシェルナー元帥からベルリンへ進撃せよの命令を受け、
第344歩兵師団長ヨーラッセ少将とともに、命令を遂行するしないで激論を戦わせます。
そして総統命令を拒否したかどで解任されるハルメルですが、この話もドラマチックですねぇ。

ss-brigadefuhrer_Heinz_Harmel_stielhandgranate_smoke.jpg

第4部は「生き残ってはみたものの」という見出しで、
まずSS第34義勇擲弾兵師団「ラントストロム・ネーダーラント」。
この部隊はその名の通り、オランダ占領軍の強化のためのオランダ人義勇兵による部隊です。
主役となるのは、オランダ占領地行政長官で、その政策からニュルンベルクで死刑となった
ザイス=インクヴァルトです。
あまりにマイナーな師団過ぎて、まったく知りませんでしたが、詳しく書かれてますねぇ。
写真もなかなかですし、細かいことは書きませんので、
興味のある方はぜひ買って読んでみてください。

Reichskommissar Seyss-Inquart, Höhere SS und Polizeiführer Rauter en Befehlshaber der Waffen-SS Demelhuber.jpg

最後のSS第29武装擲弾兵師団「イタリア第1」も同様にパルチザンに対する郷土防衛部隊であり、
この地でのSS司令官を務めるカール・ヴォルフSS中将の存在が大きく影響しています。
興味深かったのはこの部隊の襟章ですが、黒の台布の使用は禁じられ、
赤字の台布を使用していたということです。本書は白黒なので良くわかりませんが、
これも初めて知った話ですねぇ。

italienische Nr. 1.jpg

この「生き残ってはみたものの」という2つの部隊はドイツのために
自国でパルチザン相手に戦った連中であり、敗戦とともに、
その運命は裏切り者の自国民のレッテルを張られたうえ、処刑は免れません。
強制的に入隊させられていたりしたら、実に可哀想ですね。

ひとつだけ気になったのは、数枚出てくるカール・ヴォルフの最後の写真です。
キャプションでは1935年頃のヒムラーの副官時代であると書かれ、
腕の徽章も初期の空軍操縦士徽章・・となっていますが、これは全然、別人だと思います。
大体、顔も似ていないし、制服や制帽、その腕の徽章も「警察」のものですし・・、
まぁ、ご愛嬌といったところでしょうか。
ちなみに警察の制服は ↓ です。

Adolf Wagner_Kurt Daluege.jpg

次の第3巻に登場するSS師団はまだわかりませんが、噂によると
ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の続編が先に出る・・という話もあったり・・。
こちらも好きなので、どっちが出るのかまたまた楽しみです。



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武装親衛隊 -ドイツ軍の異色兵力を徹底研究- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

広田 厚司 著の「武装親衛隊」を読破しました。

最近、似たようなタイトルの本を独破したばかりですが、今回は仕事帰りに
立ち寄った本屋で偶然見つけた、10月に発売されたばかりの「武装SS」モノです。
著者は聞き覚えがあるなぁと思って帰ってきてから調べてみると
ドイツ列車砲&装甲列車戦場写真集」の著者ですね。
本書は文庫ですが、500ページの書き下ろしで、帯にも書かれているとおり、
多数の写真も掲載し、広い視点から武装SSを解説したものです。

武装親衛隊.JPG

まずは、SSモノではすっかり定番である、ナチ党とヒトラーの台頭、そしてSAと国防軍、
レーム殺害と、SSが組織として発展していく様子。そしてヒトラー護衛隊として発足した
ゼップ・ディートリッヒの「ライプシュタンダルテ」。
それに平行してアイケの収容所監視兵「髑髏部隊」が武装SSとなっていく過程・・。
もちろん、SS-VTを仕切るパウル・ハウサーも詳しく紹介されています。

Hausser2.jpg

その後もSS連隊として初陣となるポーランド戦、そしてフランスの電撃戦。
ギリシャ戦役から東部戦線へ、1944年には再び西部戦線で消耗し、
ベルリン攻防戦での終局までがダイジェスト的に書かれています。
有名な戦いや逸話も多く、また、2ページに1枚の割合で写真も出てくるので、
武装SS初心者の方でもなかなか楽しめるんじゃないでしょうか。

武装SSの組織も詳細に解説されていて、本部長ゴットロープ・ベルガー
アーリア人によるエリート部隊から、異教徒、ロシア人なんでもありの徴兵ぶりもさることながら、
本書では、SS作戦本部長であり、SS予備軍司令官、
そして武装SSに関するヒムラーの代理を務めたハンス・ユットナーが何度も登場し、
彼もまたヒムラーの思想とは違うことを知ることが出来ました。

Hans Jüttner.jpg

次の章では、武装SSの軍装などが紹介されます。
各師団のマーキングやカフタイトルも写真付きで紹介され、
このような独特な軍装や襟章などに、まず興味がある方でもなかなか楽しめます。
特に襟章の解説ではクリスチャン・タイクゼンSS大尉とオットー・ヴァイディンガーSS中尉が
ツー・ショットでモデルになっている?という素晴らしい写真もありました。

Sylvester Stadler - Hans Weiss  - Christian Tychsen - Otto Kumm - Vinzenz Kaiser - Karl-Heinz Worthmann.jpg

後半は、エリート師団を取り上げて、その師団史と共に師団長にもスポットを当てています。
ただし、「ライプシュタンダルテ」では前半活躍したクルト・マイヤー
ノルマンディ攻防戦では、戦死したヴィット師団長に代わって臨時師団長を務めた・・・など、
第12SS師団「ヒトラーユーゲント」とごちゃごちゃになったりしています。

ダス・ライヒ」ではヴィルヘルム・ビットリッヒ(Bittrich)が頑なに「ヴィットリッヒ」になっていたり、
ダンマルク」の写真の説明が「オランダ人義勇兵」だったり、
「フルンツベルク」のハルメル師団長の就任期間が「1945年5月のちょっとだけ」という
意味不明な部分があった以外、読んでいてそれほど気になるところはありませんでしたが、
この筋の専門家の方が読んだら、ひょっとするといろいろ怪しいところもあるかも知れません。

Heinz Harmel2.jpg

また、良く言われる「武装SSによる残虐行為」も東部戦線の村人から
西部戦線での捕虜に至るまで、ヴィトゲンシュタインが知らなかった話も簡単に登場してきます。
しかし、これらもマイヤーやパイパーが、実際どこまで係わっていたのか・・ということを
改めて検証しているわけではなく、彼らの具体的な指示や命令があったのか、
などの疑問には残念ながら答えてくれていません。
副題の「ドイツ軍の異色兵力を徹底研究」というほどではないかも・・。

ヒトラーユーゲント」の章では、カーンでの「狂信的な」防衛戦で師団の20%が戦死し、
負傷者も40%という記述を改めて見ると、彼らが起こした「捕虜数十人の射殺事件」も
単に武装SSの残虐性を現したもの・・とは言えない気もします。

12th SS Panzer Division Hitlerjugend in Caen.jpg

平均年齢18歳の彼ら・・33日間も昼夜に及ぶ連合軍の爆撃に耐え、
1年間一緒に訓練に励んだ仲間の5人に1人が戦死し、
敬愛する師団長も艦砲射撃により、顔を吹き飛ばされて戦死。。。

witt_waffenss1943.jpg

どこの国の戦記を読んでも、仲の良い戦友が戦死した途端、
敵に対して「復讐心」を持つのは当たり前・・といった戦争で、疲労困憊し、
精神的にも追い詰められた彼らの2~3人が怒りに駆られ、戦友の仇とばかりに
勢い余って、捕虜を銃殺したとしてもおかしくないと思うのです。

この事件を勝者である西側が「ナチのイデオロギーに洗脳されたヒトラーの子供たちによる
狂信的な残虐行為」と宣伝し、戦後も一般的にそのような解釈であることも理解できますが、
前線における捕虜虐待はある程度、双方で起こったことですし、
東部戦線でも西部戦線でも、その報復がエスカレートしていくのは避けられないと思います。

Young grenadier of 12th SS-Panzer-Division Hitlerjugend in Normandy.jpg

バルカンでチトーのパルチザンと戦った「プリンツ・オイゲン」の紹介でも、
「この師団は残忍を極めて、犯罪師団と呼ばれるほど悪名が高かった」と書かれていますが
これもバルカンという土地の残虐性が、より残虐な殺し方に双方発展したいったと解釈するべきで、
東部、西部、バルカン、北アフリカ(ここには武装SSは行っていませんが)など
その土地と相手、快進撃中の時期や敗戦濃厚となった時期などで戦い方も違うわけであって、
もともとの部隊の性質が残虐であるとは個人的には考えていません。
まぁ、ディルレヴァンガーは別にして・・ですが・・。

Officers of the 7th Division SS Prinz Eugen.jpg

なので単純に「武装SSの残虐行為」と一括りにするのには抵抗があり、
パルチザン相手にしても、SS指揮官にしていつ自分が背後から殺されるかわからないという状況は
その恐怖から、怪しい人間は皆殺し・・と考えたとしても不思議ではありません。
イメージ的に最新鋭の装備を持つSS部隊と、短銃を持って隠れる僅かなパルチザンという図式は、
当事者たちにとっては、実はそれほど大きな力の差がなかったのかも知れません。
「殺したい」という欲求ではなく、「殺されたくない」思いからの虐殺もあったのではないでしょうか。

いやはや、ちょっと脱線気味になってしまいましたが、
本書の内容は大きめのハードカバーであれば、間違いなく¥3000オーバーとなり、
その意味では¥1000でこれだけの内容であれば、とても費用対効果は良いと言えますし、
武装SSについて勉強しようという方にとって、手頃な値段で取っ付きやすい1冊だと思います。



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ドイツ武装SS師団写真史〈1〉髑髏の系譜 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「ドイツ武装SS師団写真史〈1〉」を読破しました。

先日紹介した「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」の続編です。
タイトルも変わり、大判の写真史として衣替えしました。
「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」の売れ行きが芳しくなかったということなので、
ヴィトゲンシュタインは正規品?を定価で購入しました。

ドイツ武装SS師団写真史1.JPG

本書に登場するSS師団は「第3」、「第6」、「第18」、「第25」、「第26」、「第30」の
各SS師団ですが、第3SS師団 がトーテンコップであることは即答出来ますが、
「第6」の山岳師団ノルトまでが答えられるギリギリです。

まずは副題「髑髏の系譜」というように第1部はトーテンコップからの紹介からです。
1933年のダッハウ強制収容所の責任者、テオドール・アイケによって編成された
SS髑髏部隊が、フランス戦役~東部戦線、ハンガリーでの春の目覚め作戦、
そして終焉までを多くの写真と戦況図、編成表を用いて解説しています。
このアイケとトーテンコップは、初期に創設されたSS師団のなかでも
敵に対して残忍な行為に及んだ・・というのが一般的ですが、
本書ではそのような話は特に出てきません。
どちらかというと純粋な師団史であり、その歴史の長さからも
あまり、細かいエピソードは書かれていない、といった印象です。

SS gruppenfuhrer Theodor Eicke, commander of the SS Totenkopf Division on the Eastern front 1942.jpg

続いて第6SS山岳師団 ノルト。もともとこの師団も髑髏部隊が母体となって
編成されたということで、この「髑髏の系譜」として紹介されています。
「第6」といえばヴィーキングの次ですが、この師団が詳しく書かれたものは
ほとんど読んだことがありません。
創設時の師団長であるデメルフーバーSS少将が写真付きで紹介され、
その「ノルト=北」という師団名どおり、ノルウェー、そしてフィンランドにおいて
ヒトラーの信頼するディートル司令官のもと、戦い続けます。

SS-Obergruppenführer Karl Maria Demelhuber.jpg

しかし1944年、盟友フィンランドがソ連との単独講和に応じると、
そのフィンランド軍を相手に戦いながら、ノルウェーへの撤退・・。
う~ん。これはノルト師団の話というより、この「ラップランド戦争」をほとんど知らなかったので、
大変勉強になりました。早速、なにか本を探してみます。

チェコで暗殺されたハイドリヒの名を第11連隊が付与されたことについて
「兵士たちにとっては何の脈略も無い称号にさぞかし複雑な思いであったろう」と
推測しています。これはホントに不思議ですが、
スポーツ好きだったハイドリヒが生前、山とスキーを愛していたのかも知れませんね。

Reinhard Heydrich in Kitzbühel during the German Ski Championships 1939.jpg

他にも、フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーが一時、師団長となったことについても
有名な実兄であるヴァルター・クリューガーの弟思いの人事では?とか
その後の師団長、ブレンナーSS中将の元妻と結婚したのが、ゼップ・ディートリッヒであると
写真も掲載して紹介。この師団の章は最も楽しめました。

SS Gruppenführer Karl-Heinrich Brenner.jpg

この章に最後に登場するのは、第18SS義勇装甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセルです。
この部隊も母体となった連隊が髑髏部隊であったそうで、
ポーランドと東プロイセンでの治安部隊が「第1SS歩兵旅団」として編成され、
1944年、ヒトラー直々の命により「ホルスト・ヴェッセル」が師団名として制定されたということです。
しかし、この「義勇」かつ「ホルスト・ヴェッセル」という名称の裏には、
当時の状況から、なかなか思惑通りにいかないといったことが読み取れるようです。

Horst Wessel Lied.jpg

「ホルスト・ヴェッセル」は1930年、共産党員に殺害されたとされるSA=突撃隊の中隊長で、
ナチ党は彼を殉教者としてまつりあげ、党歌「旗を高く掲げよ」も
「ホルスト・ヴェッセル・リート」として良く知られていますが、この名を用いたということで、
SAから志願兵を補充することで新たなエリートSS師団を計画したそうです。
しかし、とてもこの時期そのような志願兵は集まらず、結局ドイツ系ハンガリー兵中心となり、
結果的にドイツ系ではない「義勇」師団となってしまいます。



そしてハンガリーでの戦い・・。敵戦車にパニックを起こしてあっという間に敗走する体たらく。。
総統命令でのテコ入れに送られたのは、あの囚人部隊ディルレヴァンガーだそうです。
また、最初の師団長であるトラバントSS少将は非常に興味深い人物で、
ライプシュタンダルテ」で大隊長としてフランス戦役まで活躍したものの、
ヒムラー全国指導者の不興を買い、武装SSを追放・・。ゼップ・ディーリッヒの取り成しによって
3階級降格のSS大尉として復帰したという経緯が書かれています。
ただ、どのような行為によってヒムラーに嫌われたのかが分からずじまいで
ちょっと消化不良になりました。

Wilhelm Trabandt.jpg

第2部は「祖国は遥か遠く」。登場する3つのSS師団の名は、書くのも恐ろしい
フニャディ(ハンガリー第1)、ハンガリア(ハンガリー第2)、ロシア第2という
「超」の付くマイナー師団です。
著者も「日本語文献においては数行の説明で片付けられている場合が多い」とする
これらの師団を、果たして写真史として、どのように料理しているのか・・。

フニャディの事実上唯一の師団長である、ハンガリー人、ヨーゼフ・グラッシーSS少将は
ハンガリーにおける反共軍人の縮図を体現しているかのような人物で、
第1次大戦でも従軍した愛国心に溢れるハンガリー軍人も、この時代に翻弄され、
選択肢を失いながらも戦い続け、やがては悲惨な結末を迎えるという、
思わず肩入れしたくなるような人物です。

Josef Grassy.jpg

予想以上のハンガリー兵が集まったことから、すぐさま姉妹師団、ハンガリア(ハンガリー第2)が
創設されますが、人は集まっても、戦う武器がまったく揃いません。
それは兵士10人に対し、小銃が1丁というもので、
映画「スターリングラード」のオープニングでのジュード・ロウより、劣悪な装備と環境です。

そしてトリを飾るのは「ロシア第2」。
ベラルーシにおけるパルチザンなどを相手とする地元の治安部隊を基盤として
武装SSへ編入された、このロシア第2ですが、
祖国の解放を目指す、ベラルーシ義勇兵たちの思惑と違い、部隊には
ロシア人やらウクライナ人も混在し、師団名称も、とても受け入れられません。
さらにはいきなりフランス戦線で西側連合軍と戦わさせられる破目に・・。
コレには受け入れ先の西方軍もビックリで「未知のSS師団が判明した」と書き記しています。

ここではベラルーシ総統府の長であるヴィルヘルム・クーベが暗殺されたという話が
特に気になりました。下手人は書かれていませんがパルチザンかも知れませんね。

Wilhelm_Kube.jpg

本書が面白いか、面白くないかと言えば、ズバリ面白かったです。
ただ、「写真史」という意味では、この構成と編集は果たしていかがでしょうか?
それは、例えばトーテンコップなどのメジャーSS師団であれば
それなりの写真と量も期待出来ますが、第2部のような超マイナー師団となると
「ロシア第2」の師団長であるハンス・ジークリングSS中佐の写真すら出てこない・・
といった結果になってしまいます。

もちろん、個人的には多くの写真も欲しいところですが、
まだまだ沢山あるマイナー師団が、どれだけ写真付きで紹介されるのか不安になってきます。
「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」も良い写真が多く載っていましたし、
ヴィトゲンシュタインとしては、サイズも含めて、あちらの方が良い感じです。
残るメジャー系がヴィーキングヒトラー・ユーゲントくらいだとすると
どのようにしてマイナーSS師団で購買意欲を誘うか・・という問題だと思いますが、
なんとか、帯の裏に書かれている「以後、続々と刊行予定!」を期待しています。

ちなみにamazonで「ドイツ武装」で検索したら、
「ドイツ武装親衛隊第3装甲師団 ”トテンコプ” フルジップパーカー」が売ってました・・。
他にも「ダス・ライヒ」とか「ノルトラント」とかも色々あるようで、すごいですねぇ。。





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カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS〈1〉 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS〈1〉」を読破しました。

以前に紹介した「ラスト・オブ・カンプフグルッペ」の武装SS版で、
1年ほど前に発売されたものです。
〈1〉と付いているように、著者曰く「武装SSの全師団の戦闘史を明らかにする・・
という無謀な企画」の第1巻に当たる本書では、
武装SS創設時の2つの師団と、武装SS騎兵3個師団が紹介されています。

カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS.JPG

まずはマイナー部隊の大好きな著者による、武装SSメジャー師団不動のNo.1、
「SS第1戦車師団 "ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラー"」からです。

部隊の創設からゼップ・ディートリッヒの紹介、ポーランド戦役ツィタデレ作戦までが
淡々と書かれ、新たな師団長テオドール・ヴィッシュも丁寧に紹介されます。
本書は未見のクリアーな写真が多く、掲載されているヴィッシュの写真も
映画「ゴッドファーザー」のロバート・デュヴァル演じるトム・ヘイゲンにそっくりです。
ヴィットマンパイパーマイヤークラースなどの有名人も登場しますが、
なんといっても、目を負傷したにもかかわらず、音を頼りにたった一人で拠点を死守し、
機関銃で英軍を撃退するという超人的な働きにより「騎士十字章」を受章した
エーリヒ・ゲーストルSS一等兵の話が最高です。

Theodor Wisch_Himmler.jpg

続いては勿論No.2、「SS第2戦車師団 "ダス・ライヒ"」です。
こちらもパウル・ハウサーから歴代の師団長を紹介し、
ハリコフ戦までをライプシュタンダルテと同様に説明しています。
しかし、この師団でもツィタデレ作戦時において、
直撃弾を受けて制御盤と変速機が壊れたのにもかかわらず、
神業的技術で30分以上も操縦を続けたことで、敵戦車7両を撃破したという
Ⅲ号戦車の操縦手、ヨハン・ターラーSS軍曹がやはり「騎士十字章」を受章したという
話が最高でした。

Johann Thaler.jpg

第2部では、マイナーなSS騎兵師団の登場です。しかし、ここからが著者の真骨頂であり、
その筆も冴えてくるのでとても勉強になりながらも楽しめました。

「SS第8騎兵師団 "フロリアン・ガイヤー"」では、その第三帝国における
騎兵の役割から、1931年までに遡る一般SSの騎兵大隊からが紹介され
主役を務めるのは、ミュンヘンのSS中央騎馬学校長のヘルマン・フェーゲラインSS少佐です。

彼の生い立ちから、1943年のフロリアン・ガイヤー師団長の就任。
そして、その後「SS騎兵総監」に就任するという、フェーゲライン一代記とともに
師団の戦闘史が綴られ、実弟のヴァルディマー・フェーゲラインも活躍して
見事、兄弟揃い踏みでの「騎士十字章」という稀有な例として書かれています。

fegelein-waldemar+hermann.jpg

「SS第22義勇騎兵師団 "マリア・テレジア"」は、「フロリアン・ガイヤー」の
弟師団ともいえる存在です。
しかし「義勇」という名が付くように、ドイツ人ではなく、ハンガリー人歩兵が多数を占める師団で、
師団長となったツェーエンダーSS大佐や師団初の「騎士十字章」を受章者、
アマイザーSS少佐など、将校は生粋のドイツ人騎兵から成っていたようです。

SS-Sturmbannführer der Reserve Anton Ameiser.jpg

公式に編成されたのが終戦間際の1945年2月という「SS第37義勇騎兵師団 "リュッツォー"」
がトリを飾りますが、師団としてはほとんど活躍していません。
ここでも、あのカイテル元帥の子息、カール=ハインツ・カイテルSS少佐が連隊を率い、
「カイテル戦闘団」としてアメリカ軍に降伏するという初めて知る話が出てきました。

SS-Sturmbannführer Karl-Heinz Keitel.jpg

この騎兵師団の章では、ハンガリーのホルティ提督を狙ったスコルツェニー
「パンツァーファウスト作戦」が出てきたり、
1945年2月までの「ブダペスト包囲陣」での過酷な防御戦、
そして最後の包囲突破によるドイツ軍の壊滅的な損害が印象的でした。
このブダペスト戦はあまり詳細を知らなかったので、なおさら楽しめました。

また、「マリア・テレジア」にまつわる話・・矢車菊の襟章や女帝マリア・テレジアの
末娘がマリー・アントワネットであるなど、ヨーロッパの歴史についても、
またまた勉強したくなるようなことまで、書かれています。
これはひょっとすると、ヒムラーの策略に見事に乗っかっているのかも知れませんね。。。

florian geyer in russia.jpg

非常に楽しめる一冊で、4時間ほどで一気読みしてしまいました。
第2巻(第3、第6、第18、第25、第26、第30の各SS師団)が、なかなか発売されず、
「 ドイツ武装SS師団写真史〈1〉」が発売されてしまったのは気がかりですが、
このシリーズ、ぜひ、続けて欲しいですね。


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SS-WIKING -第5SS師団の歴史1941-45- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ルパート・バトラー著の「SS-WIKING -第5SS師団の歴史1941-45-」を読破しました。

すっかりお馴染みとなった「リイド社」の武装SSシリーズもおそらく今回が最終回です。
その最後を飾るのは「ヴィーキング」です。
この「リイド社」のシリーズはボリュームはないものの
一冊読むとしばらく読む気が失せるというシリーズで、
以前にまとめ買いしており、本書はいつ読むのか・・と思っていましたが、
近頃、ミューレンカンプメンゲレなど「ヴィーキング」出身者が続いたこともあって
その流れに乗って読破しました。。

SS Wiking.JPG

まずはその「創設」からです。
オランダ、ノルウェー、デンマーク、スウェーデン、ベルギー、そしてフィンランドという
北方系の国々にターゲットを絞り、義勇兵を勧誘していく過程を解説しています。
ここでは、いきなり名著「武装SS興亡史」を引き合いに出して、
「こう書かれている」とそのまま内容を掲載しています。。。
この著者ルパート・バトラーのいつもの「やる気のなさ」が最初から伝わってきます。。

Norske.jpg

それに追随する出版社お得意の誤字、「1943年夏の「長いナイフの夜」・・」と来ると、
さすがにこの最初の5ページから進むのに若干の勇気が必要になります。

次の「教練」では、前半の主役、フェリックス・シュタイナー初代師団長が登場し、
SS-VTを独自の教練プログラムで精鋭部隊に仕上げていく様子が語られます。
ここでは同じく陸軍からの移籍組であるパウル・ハウサーとの軋轢が語られますが、
たいした根拠はありません。。

Felix Steiner9.jpg

武装SS師団となったヴィーキングは1941年のバルバロッサ作戦で初陣を飾り、
その後はロストフやカフカス戦線で
戦い続けます。このあたりも特別興味深い話はなく、時折、
ノルウェー人義勇兵の回想が入ってくる程度です。
その回想もコレと言って面白くありません。。

wikingisjum1943.jpg

スターリングラードがマズイ状況になってくると、ハルダーに代わって新参謀総長に
ツァイツラーが任命されますが、ここでも突然、ウィリアム・シャイラーを引用し、
「たかだか総統事務室のボーイ」であるとツァイツラーを紹介しています。
全然、武装SSやヴィーキングと関係ないところで、しょうもない説明してますね。。

この頃にはシュタイナーに代わってオットー・ギレが師団長となってヴィーキングを引っ張ります。
とはいうものの、クルスクからの敗走が始まったこの時期、ギレの活躍も「チェルカッシィ」や
続く「コヴェリ」と実に苦しい戦いで、師団も大きな損害も受けてしまいます。

OttoGille.jpg

その後も、ハンガリーからウィーンと東部戦線で最後まで戦い続け、ヴィーキングは降伏します。
戦記としては、新たな発見の無い本書ですが、最後に「ゲルマニア連隊の顔役」で
チェルカッシィ包囲突破戦」でも妙に気になったハンス・ドーアSS少佐が登場して来たのは
唯一、嬉しい驚きでした。

Hans Dorr.jpg

最後はお馴染み「主要人物」紹介です。
シュタイナーは当初の「ドイチュラント連隊」から最後の「シュタイナー軍集団」として
ヒトラー最後の希望であったところまで、キッチリ書かれています。
2代目師団長ギレも同様ですが、「一級、および二級の"騎士"十字章を受章」したそうです。

Karl Ullrich SS-Standartenführer.jpg

ミューレンカンプと最後の師団長、カール・ウルリッヒもそれなりに紹介され、
SSヴァローン(ワロニエン)旅団のレオン・デグレールSS大尉は、ベルギーに帰ることが出来ず、
スペインに逃亡して、1994年に87歳の生涯を終えるまでが書かれていました。
デグレールは本文中にもしょっちゅう登場する、本書の助演男優級の扱いです。
確かに義勇兵で構成された師団の、義勇兵としてのエース格でもありますからね。
メンゲレも「最後のナチ」では不明だった、ヴィーキングでの戦いざまが紹介されています。

Leon Degrelle, Otto Gille, Hermann Fegelein and Hitler.jpg

全体的には著者バトラーがダメなようです。
第1SS師団」、「第12SS師団」もヒドイ内容でしたし、「ヒトラーの秘密警察」も同様です。
この「独破戦線」ではあまり悪いことは書かないようにしていますが、
4冊全部ダメというのは間違い無く、この「第三帝国の専門家」は○▲◇×■!(自主規制)ですね。

掲載されている写真も大した物はなく、リイド社のほとんど「お約束」とも言える
ヴァッヘンSS」も2、3回出てきました。
こんなに間違えるなら、普通に「武装SS」と書けば良いのに・・と思いますね。
著者と出版社、どちらかがマトモなら、そのダメージも軽減されるんでしょうが、
これだとプロレスでいうところの「ツー・プラトン攻撃」を喰らった感じです・・。

panther_snow_camo.jpg

そして、たった今、本棚を見て気が付きましたが「リイド社」はもう一冊
「東部戦線―SS未公開写真集」が残っていました。
以前に「西部戦線」を読みましたが、これもちょっとな~・・という一冊です。
気持ちが落ち着いた頃に、恐る恐る読んでみます。。


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