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東部戦線のSS機甲部隊 -1943-1945年- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴェリミール・ヴクシク著の「東部戦線のSS機甲部隊」を読破しました。

3年前の発刊という、わりと新らしめの武装SS写真集です。
著者はクロアチア人の写真収集家のようですが、未見の写真が満載で、
かなりクリアーな良い写真がほとんど、そしてキャプションもしっかりして
それを読んでいるだけでも勉強になりました。

東部戦線のSS機甲部隊.JPG

登場するSS師団は「ライプシュタンダルテ」を筆頭に、「ダス・ライヒ」、「トーテンコップフ」、
ヴィーキング」など、当時、東部戦線にいた部隊はほとんど出てきます。
ちなみに表紙の写真は「ライプシュタンダルテ」で
隊列の後方に見える隊列は「ヴェスペ」自走砲中隊です。

また、本書の特徴としては、これらの各SS師団ごとに章分けせずに
戦役別に章分けしています。
これらの戦役は裏表紙の帯を見ていただくとして、
実際、この当時は師団単位での戦いが少なくなり、SS軍団レベル、
または混成部隊となっていたことからも、かなり入り乱れて出てきます。

東部戦線のSS機甲部隊_裏表紙の帯.JPG

これは例えば、非常に興味深かった写真の一枚である、
「大型洗濯機に入れるために野戦服を整理する伍長」で良くわかります。
そのカフ・タイトルには「ダス・ライヒ」、「ドイッチュラント」、「アドルフ・ヒトラー」、
さらには「レギオーン・フランデルン」まであったりと・・・。
また、歩兵突撃章が左胸に付けっぱなしだったりして、そのまま洗濯するのか?とか、
こういうのは妙に気になりますね。

Infanterie Sturmabzeichen.jpg

有名な人物では当時「トーテンコップフ」の連隊長で、
その後「ダス・ライヒ」師団長となったオットー・バウムSS大佐をはじめ
オットー・ギレやビットリッヒといったSSの将軍以外にも、
グデーリアンモーデルが申し訳なさそうにチラっと写っています・・。

Otto Baum.jpg

ヴィットマンの有名な写真「88輌撃破のキル・リングを眺めるクルーたち」のキャプションでは、
このティーガー"S04"号が中隊本部のクローンSS曹長のものを撮影用に使用したと
書いてありました。この"S04"号も諸説あるようです。

S04 wittmann.JPG

ネーベルヴェルファーがそのロケットの噴射煙のため、
簡単に位置バレしてしまうことから、撃ったら移動というのが必須だったようです。
そのためか、後半ではしっかり自走砲のパンツァーヴェルファーに変身しています。

Panzerwerfer.jpg

チェルカッシィで包囲される直前の「ヴァローン」もその突撃砲と共に出てきたかと思えば、
エストニア人志願兵で構成された大隊「ナルヴァ」のヴェスペ自走砲中隊という珍しい写真も・・。
かつてのポーランド軍の装甲列車「シミャウィ(勇者)」号という写真も貴重ですね。

戦車もティーガーやパンターの塗装すらわかるほどクリアーな写真が
当たり前のように出てきますし、4号戦車なら20~25人、
パンターには30人の歩兵を鈴なりに乗せている写真も楽しめます。

最近ソ連側から発表された写真というのは大概が、「撃破された」ドイツ戦車ですが、
そういった類の写真はほとんどないのも嬉しいですね。
逆に撃破されているのは、T-34を筆頭に、KV-1B、JS-2、SU-85、ISU-122などの
重戦車や自走砲といった面々となっています。
また、鹵獲したシャーマンを喜んで乗り回すドイツ兵の姿も・・・。

ISU-122.jpg

しかし、この化け物のような姿をしたソ連重戦車を見ると、重心が前がかりからか
「怖いな~・・」と思ってしまうのは自分だけでしょうか?
ティーガーなどのドイツ戦車を見慣れていることもあるかも知れませんね。

ヴィーキングの戦車部隊を率い、のちにSS戦車部隊総監となった
ヨハネス・ミューレンカンプのパンターと指揮戦車の1号戦車がくっついている写真は
パンターの大きさ(1号戦車の小ささ?)が良くわかります。

Johannes Mühlenkamp3.jpg

最前線の兵士たちの服装がホントにバラバラなのも面白いですね。
ハッキリ言って「軍服の規定なんか知ったことか!」という感じで、
特にベルトを2本巻いている擲弾兵は意味不明なだけに印象的です。

そして、騎士十字章を首にから下げた黒の戦車服の戦車長ですが、
夏の暑さのため、その下は半ズボンというこの若干間抜けに見える写真は
松田優作のTVドラマ「探偵物語」のオープニングを思い出してしまいました。

優作.jpg

また、本書のキャプションでは編集部の注)として、
「「パンツァー・ユニフォーム(大日本絵画刊)」によると・・・」とか
「軽駆逐戦車」ならびに「重駆逐戦車」や「重戦車大隊記録集②によると・・・」
などと、他の大日本絵画出版の書籍と比較/検討しています。
少しイヤラシイ感じのする出版社の戦略というのはわかっていますが、
まんまと欲しくなってしまうところは、我ながら悲しいサガですね。。

戦車を中心とした写真集ですが、それに特化したものではなく、
夏から冬、ロシアからウクライナ、ポーランドの泥濘期の凄まじさも
とても良く伝わってくるもので、武装SS兵士と国防軍戦車兵との懇親会の様子など
その兵士たちの喜怒哀楽も充分写し出しています。
値段が高いのがイタいところですが、
ヴィトゲンシュタインは古書でも4000円という妥当な?購入価格でした。



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SS‐TOTENKOPF -ヒトラーのエリート親衛隊、トーテンコープフの真実- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリス・マン著の「SS‐TOTENKOPF」を読破しました。

いや、また読んでしまいました。「リイド社」の武装SSシリーズです。
発刊順に読んでいる訳ではないんですが、前回の「ダス・ライヒ」が
まあまあ良かっただけに、今回のリイド社的凄さは圧倒的です。。

SS‐TOTENKOPF.JPG

まず前半は強制収容所の看守としての「髑髏部隊」創設までの過程が
解説されています。
1934年の「長いナイフの夜」事件でSA幕僚長エルンスト・レームを殺害し、
ヒトラー及び、ヒムラーから信用を得た、ダッハウ強制収容所所長
テオドール・アイケが当然主役です。
このアイケが全ての強制収容所を監督する「強制収容所総監」の立場へと出世し、
後のアウシュヴィッツ絶滅収容所所長を務めたルドルフ・ヘースの手記も用いて
看守、または髑髏部隊員にどのような過酷な教育と訓練を行ったのかが中心となっています。

Theodor Eicke.jpg

やがてポーランド侵攻に向けて自動車化師団として「髑髏部隊」は拡大していきますが、
同じSSでもエリート部隊であるライプシュタンダルテとは違い、
必要な車や兵器を廃品回収よろしくドイツ中でアイケ自ら探し求め、訓練に励みますが、
第一次大戦においても主計官であったアイケ師団長と看守部隊というイメージからか
フランス戦役でも予備部隊に甘んじます。

Fritz Knöchlein.jpg

そしてロンメルの第7装甲師団の支援に駆り出されるものの、
モロッコ兵200名を惨殺したとして、まず悪名を馳せたかと思うと、
ロイヤル・ノフォーク連隊の降伏してきた100名も
フリッツ・クネヒライン(クノッホライン)中隊長の命令のもと銃殺してしまいます。

さらにはアイケが命令違反を犯したことで、部隊の死傷者が甚大だったということから
第16装甲軍団のヘプナー大将から「部下殺し!」と罵られ、完全にダメ出しされるという始末。
ちなみにヘプナーといえば、ヒトラー嫌いで知られ、暗殺未遂事件にも関与したかどで
絞首刑になった人物です。

Erich Hoepner.jpg

バルバロッサ作戦でもトーテンコープフ師団は、すっかり信用のないヘプナーの
第4装甲集団に配置されてしまう運の無さ。
この攻勢は冬を迎えて行き詰まった結果、かの有名な「デミヤンスク・ポケット」での包囲戦となり、
アイケ師団長とマックス・ジーモン連隊長を中心とした不屈の戦いと
ドイツ空軍による補給の成功、そして42年3月、ザイトリッツ中将の5個師団による救出によって、
アイケには柏葉騎士十字章と、この包囲戦を戦い抜いた兵士たちには
「デミヤンスク・シールド」が・・・。しかし、部隊はほぼ壊滅してしまいました。

Kessel von Demjansk.JPG
Demjansk-Schild.JPG

再編成した第3SS装甲師団 トーテンコープフは1943年2月の第三次ハリコフ戦に参加するものの
師団長アイケが連隊を探しに乗ったシュトルヒ偵察機が撃墜/戦死してしまいます。
師団はその後、ヘルマン・プリースやマックス・ジーモンが後任の師団長となり、
クルスクの戦車戦、ポーランド、ハンガリーでの攻勢/敗走という展開の末、
アメリカ軍に投降しますが、ソ連側に引き渡されて終焉を迎えます。

Max_Simon.jpg

本書の読みどころは凄まじいばかりの誤字/脱字です。
「デミヤンスク」は基本的に「デミャンスク」ですが、所々で「ヂェミャーンスク」になります。
「クルスク」が突然「クールスク」、「ハリコフ」が「ハーリコフ」になるのは当たり前で
「ヴァッフェンSS」と「ヴァッヘンSS」の割合も7対3くらいですか。
ダス・ライヒで悪名を馳せたラマーディングもこの師団の出身ですが、
「ランメルディンク」、「ランメディンク」と出てくる度に名前が違うという・・。

Heinz Lammerding2.jpg

フォン・マンシュタインでさえも凄い扱いです。「エリック・フォン・マンシュタイン元帥」として
登場してくると、次には「陸軍総大将」、続いて「大将」と降格されています。
この「総大将」という階級も良くわかりませんが、「総連隊長」というのもありました。

「ヘルマン・ゲーリング率いる降下猟兵師団」という部隊も出てきます。
さすがに間違えはしませんが、知らない人が読めばゲーリングも「国家元帥」から
一介の「師団長」に大降格させられているような表現ですね。

その他、完全に日本語になっていない(数文字落ちている?)部分もあり、
英語の翻訳だとは思いますが、ドイツ名とロシア名がメチャクチャというか
誰もチェックしないで出版しているとしか思えません。
そして恐ろしいことに、あと一冊「ヴィーキング」が残っています。

SS-Sturmbannführer_Theodor Eicke.jpg

そうは言っても、このシリーズの定番である最後の重要人物紹介での
アイケの章は楽しめました。
ラインハルト・ハイドリヒとのライバル争いは他の本では読んだことが無く、
強制収容所のボス対ゲシュタポのボスの喰うか喰われるかの争いは
一冊書けそうなテーマなんじゃないでしょうか。



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オラドゥール -大虐殺の謎- [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ロビン・マックネス著の「オラドゥール -大虐殺の謎-」を読破しました。

先日読破した「ダス・ライヒ師団の歴史」で触れられていた、武装SSによる
最大の虐殺事件の謎について書かれたものです。
それなりに読み応えがありますが、戦後の著者の体験から始まる本書は
あくまで「推測」という枠を出ないものでもあります。

オラドゥール.JPG

まず、この事件の一般的に言われている概要と経緯について・・

1944年、東部戦線で消耗したハインツ・ラマーディングSS中将率いる
ダス・ライヒ装甲師団はフランス南西部で再編成中でした。
そして6月、連合軍のノルマンディ上陸が始まると、
師団にも一刻も早い移動が命ぜられます。
しかし、この連合軍上陸と連動したフランス・レジスタンスの妨害行動が顕著化し、
道路や橋の破壊工作、SS隊員の誘拐や殺害に悩まされます。

Tulle 1944.JPG

そんな状況に対処するため、テュール村ではレジスタンスへの関与したとの理由から
99人の村人が絞首刑となり、その翌日の6月10日、オラドゥール村では
女子供を含む642人もを惨殺してしまいます。
この惨殺を指揮したのはデア・フューラー連隊のディークマンSS少佐で
その後すぐに軍法会議にかけられますが、師団長のラマーディングは彼を擁護し、
結局、29日にようやく辿り着いたノルマンディにおいてディークマン大隊長は戦死します。

heinz lammerding.jpg

このオラドゥール事件の最大の謎とされているものは、
「なぜ、この村でこのような虐殺が起きたのか」という単純なものです。
ディークマンSS少佐の友人でもあった、ケンペSS少佐が誘拐され、
その友人を救出するためにやり過ぎた・・というのが通説のようです。
それでも女性240名、子供205名を教会に閉じ込めて焼き殺すというのは
いくらSSであっても尋常な行動ではなく、通常、レジスタンスに対する報復は
それを自ら発表して、レジスタンス側に警告を与え、士気を挫くことに意義があるのですが、
この事件は直後からゲシュタポにより隠匿されるという怪しさを持っています。

Oradour.jpg

著者はひょんなことから金塊の運搬を依頼され、その依頼者であるフランス人の
元レジスタンスからこの金塊にまつわる話を聞かされます。
それはダス・ライヒ師団が当時、隠し持っていた金塊の一部であり、
輸送部隊を襲撃した際に奪った物だと・・・。

もともとライヒスバンクの金を準備金として保有していたダス・ライヒ師団は
フランスでの略奪で相当な金塊も発見、没収していたとしていて、
これらの管理はラマーディング以下、ケンペ、そしてディークマンが行い、
その奪われた金塊を取り戻すため、ディークマンがオラドゥール村に目星を付けたとしています。

deikmann.jpg

ルントシュテット元帥から「とっとと来んか!」とせっつかれるラマーディングは
奪われた金塊探しで時間を浪費することも出来ず、
このためディークマンに与えられた時間も12時間というもの。

アルザス出身の新兵たちに根性を叩き込むために、野蛮な行為を命じたり
金塊探しという理由が配下の兵士たちに伝わっていないことから、
勢い余っての殺戮というのを真相だとしています。
なお、本書やその他の書籍ではオットー・ディックマンとなっているものもありますが、
アドルフ・ディークマンが正しいようです。

Oradour_egliseecroule.JPG

まぁ、この金塊によるものという真相を信じるかどうかは読み手の問題ですね。
個人的にはひとつの説としては面白いとは思いました。
また、戦後のこの事件を巡る様々な出来事まで書かれていて、結構勉強になりました。



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SS‐DAS REICH ― 第2SS師団の歴史 1939‐1945 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

グレゴリー・L・マトソン著の「SSダス・ライヒ- 第2SS師団の歴史」を読破しました。
独破戦線では若干評判の上がってきた、リイド社出版の武装SS師団シリーズものです。
有名な師団ですから、様々な戦記や武装SSものに登場していますが、
このような師団史としては他になく、結構発見も多くありました。

SS-Das Reich.jpg

前半はダス・ライヒ師団の母体ともなる「ドイチュラント連隊」、「ゲルマニア連隊」、
そして「デア・フューラー連隊」がSS-VT(SS特務部隊)として、
ポーランドからフランス侵攻作戦に参加するまでが解説されています。
特に第1次大戦の経験から、画期的で斬新な訓練を行ったドイチュラント連隊長、
フェリックス・シュタイナーがこの前半での主役です。

Heinrich Himmler, Adolf Hitler, Felix Steiner.jpg

これらSS連隊はその後「SS特務師団」として再編成され、後に「ドイチュラント師団」、
「ライヒ師団」と名称は変わりますが、フェリックス・シュタイナーが新設のヴィーキングに
師団長として転出すると、デア・フューラーで大隊長を務めていたビットリッヒ
ドイチュラント連隊を引き継ぎます。
また、フリッツ・ヴィットも一時こちらにもいたんですね。知りませんでした。

Wilhelm_Bittrich.jpg

続くバルカン作戦ではパウル"パパ"ハウサー師団長のもと、「ベオグラードを攻略した男」
として知られるクリンゲンベルクSS大尉の活躍が繰り広げられます。
しかし、この笑い事のような話も当時の武装SSの名を一躍広めることに
(特に国内と国防軍に対して)大変な貢献をしたという気が改めてしました。

Hausser and Klingenberg.jpg

バルバロッサ作戦以降のロシアにおける戦いはハリコフからクルスクといった
重要な会戦にも当然参加し、怪我での離脱や、その後軍団長となったハウサーに変わり
ビットリッヒからヴァルター・クリューガーという正に「武装SSの顔役」とも言える人物が
代々師団長を務めています。

Walter Krüger.JPG

ノルマンディではエルンスト・バルクマンのパンター戦車が頑張る一方で
ディークマンSS少佐が「オラドゥールの大虐殺」を実行しています。
このフランス・レジスタンスに対する制裁は、これ以外にも解説されていて
本書は全体的に公正な書きっぷりという印象を持ちました。
このノルマンディで戦死した、最近、個人的なファンである戦車連隊長の
クリスチャン・タイクゼンSS中佐を楽しみにしていたのですが、1行だけの登場でした・・。

Christian_Tychsen3.jpg

アルデンヌ攻勢にも目立たないようにコッソリ参加しています。
自軍の陣地へ撤退していたところに、ばったりアメリカ軍と鉢合わせしてしまい
「アメリカ人か?」という間抜けな質問に「そうだ・・」とやはり間抜けな回答。
結局、お互い戦闘を避けたいのでそのまま何もなかったことに・・。
こういう話は東部戦線における斥候同士でも度々あったと聞きますね。

最後はデア・フューラー連隊長のオットー・ヴァイディンガーによるチェコでの
ドイツ人救出作戦で、ダス・ライヒ師団の戦いは幕を閉じます。

Das Reich.jpg

相変わらず「誤字」と「表記の統一性」のないシリーズですが(あまり人のことを言えませんが・・)、
いい加減に慣れてきたのか、なかなか楽しめました。
入れ替わり立ち変わりに登場する、名の知れた人物たちが
非常に興味深いことがその理由かも知れません。
オラドゥールの大虐殺は今度、勉強してみようと思います。



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武装親衛隊外国人義勇兵師団―1940‐1945 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

クリス・ビショップ著の「武装親衛隊外国人義勇兵師団」を読破しました。

独破戦線でもすっかりお馴染みとなった、リイド社出版の
武装SS師団シリーズものの番外編的1冊です。
近頃、独破した本にSS義勇兵がたびたび登場するので、ちょっと勉強してみました。
タイトルには「師団」と付いていますが、内容には良い意味で裏切られました。

外国人義勇兵師団.JPG

まずは例によって「武装SSとは何か」的な概説から始まってドキドキしますが、
ここは外国人義勇兵が誕生するに至る最低限の説明に留まっていてホッとします。

続く本章は、西ヨーロッパの各国の当時の状況などを義勇兵の多い順に紹介していきます。
最初に登場するのは5万人の義勇兵を出したオランダ、そして4万人のベルギー、
なんと2万人もいたフランスと続いていきます。
デンマークやノルウェーより多いんですね。

Danmark.jpg

ここで理解できることは武装SS発足当初のヴェストラント連隊、ゲルマニア連隊
その後のヴィーキング師団と活躍したオランダはさておき、
このフランス人の2万人というのが興味深く、それはいきなりSS入隊ではなくて
もともと右派としてドイツ陸軍に志願したものなどのようです。
有名なフランス外人部隊からも入って来たりと、武装SSとしてはそれらを吸収した義勇兵旅団として、
やがて1944年に第33SS武装擲弾兵師団 シャルルマーニュとなっていく訳ですが、
面白いのは「ライプシュタンダルテ」にフランス人が2名いた記録があるそうです。

SS skijager batalion Norge.jpg

このように西側各国におけるファシズムの党の存在や、
ゲルマンやノルディックといった人種的問題、
ナチスの反共をアピールした、ボリシェヴィキとのヨーロッパにおける聖戦という
プロパガンダ効果など、様々な要因によって志願兵が存在したことがわかります。

Vi kæmper for Europas frihed og kultur.jpg

東ヨーロッパの章ではソ連領であったバルト3国やウクライナ、
イスラム教徒のクロアチアのハントシャール等は若干、その理由が違ってきます。
興味深いところでは、義勇兵のなかには日本人もいたとの話がありました。

Handschar_Poster.jpg

このような内容を経て、やっと第5SS装甲師団ヴィーキング、
第7SS義勇山岳師団 プリンツ・オイゲン、
あのフェーゲラインが師団長を務めた第8SS騎兵師団 フロリアン・ガイエル、
レオン・デグレールの第28SS義勇擲弾兵師団 ヴァローンと
義勇兵師団の紹介が始まります。

Waffen-SS Wallonie Poster -Come With Us-.jpg

また、師団までは拡張できなかった旅団規模の部隊(或いは師団昇格以前)も
最後にまとめられていて、インドやイギリスといった正式な部隊とならなかったものまで
少ないながらも紹介されています。

Waffen-SS Russian Helpers Recruiting Poster.jpg

個人的にはバルト三国や北欧、西欧の国々の当時の立場が理解できることで、
後半の各義勇兵師団単位の説明よりも非常に楽しめました。
良い意味で裏切られたということでは、終戦間際で情報の少ない
これらの義勇兵師団の詳細を無理やり書くよりも、
このような整理の仕方が妥当であると思います。
逆に言えば、義勇兵師団の戦闘記録などの詳細を知りたい方は
「やられた!」と思うかも知れませんね。

これまで読んだリイド社のもののなかでは1番の出来で、
今後も参考資料的に活躍しそうです。



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