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ドイツ武装SS師団写真史〈1〉髑髏の系譜 [武装SS]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

高橋 慶史 著の「ドイツ武装SS師団写真史〈1〉」を読破しました。

先日紹介した「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」の続編です。
タイトルも変わり、大判の写真史として衣替えしました。
「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」の売れ行きが芳しくなかったということなので、
ヴィトゲンシュタインは正規品?を定価で購入しました。

ドイツ武装SS師団写真史1.JPG

本書に登場するSS師団は「第3」、「第6」、「第18」、「第25」、「第26」、「第30」の
各SS師団ですが、第3SS師団 がトーテンコップであることは即答出来ますが、
「第6」の山岳師団ノルトまでが答えられるギリギリです。

まずは副題「髑髏の系譜」というように第1部はトーテンコップからの紹介からです。
1933年のダッハウ強制収容所の責任者、テオドール・アイケによって編成された
SS髑髏部隊が、フランス戦役~東部戦線、ハンガリーでの春の目覚め作戦、
そして終焉までを多くの写真と戦況図、編成表を用いて解説しています。
このアイケとトーテンコップは、初期に創設されたSS師団のなかでも
敵に対して残忍な行為に及んだ・・というのが一般的ですが、
本書ではそのような話は特に出てきません。
どちらかというと純粋な師団史であり、その歴史の長さからも
あまり、細かいエピソードは書かれていない、といった印象です。

SS gruppenfuhrer Theodor Eicke, commander of the SS Totenkopf Division on the Eastern front 1942.jpg

続いて第6SS山岳師団 ノルト。もともとこの師団も髑髏部隊が母体となって
編成されたということで、この「髑髏の系譜」として紹介されています。
「第6」といえばヴィーキングの次ですが、この師団が詳しく書かれたものは
ほとんど読んだことがありません。
創設時の師団長であるデメルフーバーSS少将が写真付きで紹介され、
その「ノルト=北」という師団名どおり、ノルウェー、そしてフィンランドにおいて
ヒトラーの信頼するディートル司令官のもと、戦い続けます。

SS-Obergruppenführer Karl Maria Demelhuber.jpg

しかし1944年、盟友フィンランドがソ連との単独講和に応じると、
そのフィンランド軍を相手に戦いながら、ノルウェーへの撤退・・。
う~ん。これはノルト師団の話というより、この「ラップランド戦争」をほとんど知らなかったので、
大変勉強になりました。早速、なにか本を探してみます。

チェコで暗殺されたハイドリヒの名を第11連隊が付与されたことについて
「兵士たちにとっては何の脈略も無い称号にさぞかし複雑な思いであったろう」と
推測しています。これはホントに不思議ですが、
スポーツ好きだったハイドリヒが生前、山とスキーを愛していたのかも知れませんね。

Reinhard Heydrich in Kitzbühel during the German Ski Championships 1939.jpg

他にも、フリードリヒ・ヴィルヘルム・クリューガーが一時、師団長となったことについても
有名な実兄であるヴァルター・クリューガーの弟思いの人事では?とか
その後の師団長、ブレンナーSS中将の元妻と結婚したのが、ゼップ・ディートリッヒであると
写真も掲載して紹介。この師団の章は最も楽しめました。

SS Gruppenführer Karl-Heinrich Brenner.jpg

この章に最後に登場するのは、第18SS義勇装甲擲弾兵師団 ホルスト・ヴェッセルです。
この部隊も母体となった連隊が髑髏部隊であったそうで、
ポーランドと東プロイセンでの治安部隊が「第1SS歩兵旅団」として編成され、
1944年、ヒトラー直々の命により「ホルスト・ヴェッセル」が師団名として制定されたということです。
しかし、この「義勇」かつ「ホルスト・ヴェッセル」という名称の裏には、
当時の状況から、なかなか思惑通りにいかないといったことが読み取れるようです。

Horst Wessel Lied.jpg

「ホルスト・ヴェッセル」は1930年、共産党員に殺害されたとされるSA=突撃隊の中隊長で、
ナチ党は彼を殉教者としてまつりあげ、党歌「旗を高く掲げよ」も
「ホルスト・ヴェッセル・リート」として良く知られていますが、この名を用いたということで、
SAから志願兵を補充することで新たなエリートSS師団を計画したそうです。
しかし、とてもこの時期そのような志願兵は集まらず、結局ドイツ系ハンガリー兵中心となり、
結果的にドイツ系ではない「義勇」師団となってしまいます。



そしてハンガリーでの戦い・・。敵戦車にパニックを起こしてあっという間に敗走する体たらく。。
総統命令でのテコ入れに送られたのは、あの囚人部隊ディルレヴァンガーだそうです。
また、最初の師団長であるトラバントSS少将は非常に興味深い人物で、
ライプシュタンダルテ」で大隊長としてフランス戦役まで活躍したものの、
ヒムラー全国指導者の不興を買い、武装SSを追放・・。ゼップ・ディーリッヒの取り成しによって
3階級降格のSS大尉として復帰したという経緯が書かれています。
ただ、どのような行為によってヒムラーに嫌われたのかが分からずじまいで
ちょっと消化不良になりました。

Wilhelm Trabandt.jpg

第2部は「祖国は遥か遠く」。登場する3つのSS師団の名は、書くのも恐ろしい
フニャディ(ハンガリー第1)、ハンガリア(ハンガリー第2)、ロシア第2という
「超」の付くマイナー師団です。
著者も「日本語文献においては数行の説明で片付けられている場合が多い」とする
これらの師団を、果たして写真史として、どのように料理しているのか・・。

フニャディの事実上唯一の師団長である、ハンガリー人、ヨーゼフ・グラッシーSS少将は
ハンガリーにおける反共軍人の縮図を体現しているかのような人物で、
第1次大戦でも従軍した愛国心に溢れるハンガリー軍人も、この時代に翻弄され、
選択肢を失いながらも戦い続け、やがては悲惨な結末を迎えるという、
思わず肩入れしたくなるような人物です。

Josef Grassy.jpg

予想以上のハンガリー兵が集まったことから、すぐさま姉妹師団、ハンガリア(ハンガリー第2)が
創設されますが、人は集まっても、戦う武器がまったく揃いません。
それは兵士10人に対し、小銃が1丁というもので、
映画「スターリングラード」のオープニングでのジュード・ロウより、劣悪な装備と環境です。

そしてトリを飾るのは「ロシア第2」。
ベラルーシにおけるパルチザンなどを相手とする地元の治安部隊を基盤として
武装SSへ編入された、このロシア第2ですが、
祖国の解放を目指す、ベラルーシ義勇兵たちの思惑と違い、部隊には
ロシア人やらウクライナ人も混在し、師団名称も、とても受け入れられません。
さらにはいきなりフランス戦線で西側連合軍と戦わさせられる破目に・・。
コレには受け入れ先の西方軍もビックリで「未知のSS師団が判明した」と書き記しています。

ここではベラルーシ総統府の長であるヴィルヘルム・クーベが暗殺されたという話が
特に気になりました。下手人は書かれていませんがパルチザンかも知れませんね。

Wilhelm_Kube.jpg

本書が面白いか、面白くないかと言えば、ズバリ面白かったです。
ただ、「写真史」という意味では、この構成と編集は果たしていかがでしょうか?
それは、例えばトーテンコップなどのメジャーSS師団であれば
それなりの写真と量も期待出来ますが、第2部のような超マイナー師団となると
「ロシア第2」の師団長であるハンス・ジークリングSS中佐の写真すら出てこない・・
といった結果になってしまいます。

もちろん、個人的には多くの写真も欲しいところですが、
まだまだ沢山あるマイナー師団が、どれだけ写真付きで紹介されるのか不安になってきます。
「カンプフ・オブ・ヴァッフェンSS」も良い写真が多く載っていましたし、
ヴィトゲンシュタインとしては、サイズも含めて、あちらの方が良い感じです。
残るメジャー系がヴィーキングヒトラー・ユーゲントくらいだとすると
どのようにしてマイナーSS師団で購買意欲を誘うか・・という問題だと思いますが、
なんとか、帯の裏に書かれている「以後、続々と刊行予定!」を期待しています。

ちなみにamazonで「ドイツ武装」で検索したら、
「ドイツ武装親衛隊第3装甲師団 ”トテンコプ” フルジップパーカー」が売ってました・・。
他にも「ダス・ライヒ」とか「ノルトラント」とかも色々あるようで、すごいですねぇ。。





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HUNTER×HUNTER 画像

もう見ました、面白いですね
by HUNTER×HUNTER 画像 (2010-12-03 17:46) 

f.m.

 高橋氏の著書は写真のキャプションが「詳しい」のが特徴ですが、同じ本にカール・ヴォルフSS大将の写真を何枚も掲載していながら、どう見ても別人の警察の将軍の写真を彼と取り違えた上に、いい加減な「解説」をつけています。どうやら氏の「情報源」は写真の所蔵元が付したキャプションのようです。しかし有名人でもない「普通」のドイツ人ならともかく、武装SSのイタリア師団を書くのに、何枚も写真を見ていても上級SS警察指導者だったヴォルフの顔も覚えられないし、テキトーな勲章や記章の「細かい解説」をしているから、本が売れなくなって大日本絵画から出版計画を中断されてしまうのでしょう。何しろ氏は鉄十字章すら分からないらしいのですから。
by f.m. (2014-04-15 21:51) 

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