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鉄の棺 -最後の日本潜水艦- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

齋藤 寛 著の「鉄の棺 -最後の日本潜水艦-」を読破しました。

もう5年も前に読んだ「鉄の棺 ―U-Boot死闘の記録―」。
若きUボート艦長ヘルベルト・ヴェルナーが書いた面白い回想録でしたが、
本書はその当時から、同じタイトルとして知っていた一冊です。
昭和28年に書かれた古い本ですが、最近、「深海の使者」や、「総員起シ」と
日本の潜水艦モノを読んだ勢いで、この2012年の新装版を購入。
伊五十六潜に赴任した若き軍医中尉の体験記に挑戦してみます。

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昭和19(1944)年8月初旬のある夜、内火艇に乗り込んで伊号第五十六潜水艦に向かう著者。
波も大きく暗い中、調子を計ってパッと乗り移る艦長に対して、
「間に落ちると死んじゃうぞ」と言われ、軍刀を手にして舷側にしがみついたまま。
なんとか乗り込んでも、潜水艦内部では鉄のハンドルに頭を激しくぶつけ、
せっかくの第2種軍装(夏季用の白い軍装)は気が付けば油で汚れて・・。

先任将校や機関長、航海長、掌水雷長、唯一の部下となる看護長らに自己紹介して、
やって来たトイレの時間。
もちろん艦内部にもありますが、甲板に出ると艦橋後部の2連装機銃座の下の両舷に
「大小厠」が各々1個ずつあるのです。
しかもこの厠は特別に掃除する必要もなし。
なぜなら、一度潜航すれば、綺麗に洗われてしまうからなのです。
若い方でも「厠」=「トイレ」ってわかるんですかねぇ??
ちなみに「内火艇」は、「ないかてい」じゃなくて、「うちびてい」と読むそうです。

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本書には著者の年齢、経歴ともに書かれておらず、巻頭に写真が載っているだけ・・。
amazonの著者略歴を見ると、大正5年小石川生まれの慶応大学医学部卒ということで、
ご近所さんですねぇ。
1916年生まれってことは、1944年当時は28歳。潜水艦初体験のまさに青年軍医中尉です。

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6月に就役したばかりのこの伊五十六潜の長さは107mで、乗員は117名。
愛称は「いそろく潜水艦」で、これは戦死した山本五十六長官に因んだものなのです。
そんな艦内を興味津々、探検する軍医中尉。
襲撃訓練を前にして掌水雷長は語ります。
「うちの魚雷ときたら、皆、いい子ばかりですからね。
同じように見えるあの子供たちが、一本一本性質が異なっているんですよ。
こしらえた人間も皆違いますからね」と、ドコの部品が何年何月何日にドコの工場で作られ、
なんという検査官が検査をし、ドコの工廟で組み立て、いつ平水発射実験を行ったか・・が、
事細かに書かれた一冊の本が魚雷ごとにあることを夢中になって教えてくれるのです。

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軍医長らしく、出撃前には総員身体検査の実施を提案。
病気持ちは下艦が当然と思いきや、先任将校は留意事項を・・。
「だけど軍医長、先任伍長はプラムもアールもあるけれど、あいつは別だからよろしく・・」。
艦の性能は単に機械ばかりでは決定せず、熟練した人間の技術も必要なのです。

Uボート好きの方ならご存知のような専門用語、ツリム(トリム)やら、ブローといった用語は
米印が書かれて、巻末に「用語解説」として掲載されていますが、
当時の日本、ないしは日本海軍独特の用語も結構、わからないもんですね。
ちなみにプラムは「梅毒」で、アールは「淋病」。なぜにアールが淋病なのかは不明です。。
しかし、いくら仕事ができるって言っても、梅毒&淋病持ちと1ヶ月も過ごすのはちょっとなぁ。

艦隊軍医長からは高温特殊環境にある潜水艦乗組員の体力管理のために、
バターを1日、60gずつ摂取させるようにとの命令が・・。
一片さえ手に入らない戦時下の食糧事情からすれば、申し訳ないほど有難い命令です。
しかし、兵員に配給されたバターはなかなか減りません。
バター炒めの料理も油っこいと不評で、ならばとバターを入れて炊いた白米も、
最初は評判が良いものの、だんだんと鼻について残飯が多くなってくるのです。
小石川育ちの大学出のいいトコのお坊ちゃん将校とは違い、
農村出身の若い兵員たちは、そもそもバターなど食べてこなかったのであり、
同様に配給された「キューピー印のマヨネーズ」の瓶の中身も食べずに海に捨てて、
歯磨き粉の瓶として使っている始末・・。

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このような「バターを喰え」命令が発せられた理由とは、
ペナンへとやって来たドイツUボートの乗員たちが上陸するや、元気いっぱい、
テニスに興じるなど、その姿に驚いた日本の軍医が調査したところ、
艦内生活は変わらないものの、非常に高脂肪食であったことが判明したのです。
ただ、パンにバターのドイツ人と、白飯主義の日本人じゃ基本が違いますからねぇ。
ヴィトゲンシュタインもマヨネーズ嫌いで、買ったことすらありません。。

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10月、ついに出撃のときがやって来ます。
「捷号作戦」発動による、伊56を含めた11隻の潜水艦がレイテ湾周辺へ。
輸送船1隻を轟沈して最初の戦果をあげると、続いて敵輸送船団に向けて6発の魚雷を・・。
やがてレイテ沖海戦は、彼我入り乱れての航空海上決戦となり、次々と暗号文を受信。
武蔵ハ魚雷三本ヲ受ケタルモ戦闘航海ニ支障ナシ」。
「大和ハ敵空母一隻撃沈一隻撃破セリ」。
高まる緊張感のなか、空母、巡洋艦、駆逐艦から成る敵艦隊に攻撃を仕掛け、
見事、空母と駆逐艦を轟沈せしめたという声が艦内に響くと、「万歳三唱」です。

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しかし、攻撃の後は一転、防御です。
水深100mまで潜航するも敵駆逐艦3隻のスクリュー音が執拗なまでに追随し、
恐怖の爆雷攻撃に晒されます。
10時間が経ち、一番温度の低い司令塔でも35℃・・。ジリジリと温度が上昇します。
タンクから飲料水を汲み出すのには、馬鹿でかい音を出すポンプを動かす必要があり、
この無音潜航状態では飲料水もすぐに尽きてしまうのです。

そこで渇いた喉を潤そう・・と、サイダーの栓を抜くものの、
気持ち悪くなるほどの甘味と温かく口内を刺激する炭酸の感覚が混じり合い、
「どうしてサイダーというものを、こんなに甘く作ったのか」と腹立たしくなるのです。

過酷な状況に倒れた潜舵手ですら、サイダーだけは断るほど・・。
そこでタケノコの水煮の缶詰に穴を開けて、その生臭い水を飲ませるのです。

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30時間が過ぎ、温度と喉の渇きとの他、汚れた空気との戦いが始まります。
士官室の炭酸ガスは4%を越し、酸素の欠乏により呼吸するのにも努力がいるのです。
彼は「引出し」を開けて、大切にとっておいた空気をスーッと吸い込みます。
「うまい。甘い。」
すぐに引出しを戻して、第2回目に使おうとしますが、次はもう新鮮な空気は残っていません。

2昼夜、50時間が過ぎると、「この苦しみのままでは死にたくない」と思い始めます。
「せめて一呼吸でも海上の新鮮な空気が吸いたい。そうすればもう思い残すことはない。
敵空母を沈めてるんだ。潜水艦が空母と刺し違えて死ぬのなら・・」。
そんな考えでは潜水艦乗りは勤まりません。
固く植え込まれた「忍」の精神と、艦長への信頼感が信仰にまで昴まっていることが重要。

やがて「忍」の精神が駆逐艦に勝利して浮上を果たします。
潜航時に聞こえていた怪しげな音の正体を確かめに行くと、そこには珍しい爆雷が・・。
数百発の爆雷を喰らい、最も近かった1発が不発・・。伊56は悪運強いのです。

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呉軍港へ帰投。
戦果も挙げて、表彰状が贈られ、お偉方も来艦してきます。
侍従武官からは乗員一同に「菊花御紋章入りの口つき煙草」が一箱ずつ贈られるのでした。

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次の出撃に向けて、艦の改修と新たな訓練に励みます。
それは特攻兵器「回天」の搭載・・。
「いやだなあ」と言う砲術長。
先任将校も「とにかく人間魚雷なんて戦の邪道だ」。

「回天」は遊就館で見ましたが、結構大きいんですよね。
ですから通常魚雷のように発射するのではなく、
艦橋の対空砲などを取り外し、そこに設置して発進するわけです。

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そして出撃前には映画「Uボート」のプロローグのように壮行会が開かれます。
士官は士官だけで集まりますが、違うのは日本らしく、こじんまりと開催するところ。
「艦長と先任はKAが来てるから、チョンガだけで先にやろうかと・・」。
こんな会話から著者がチョンガ会の幹事になるわけですが、
「チョンガ」って聞くの30年ぶりくらいですねぇ。独身の意味ですが懐かしい響き・・。
ちなみに「KA」は何となくわかりますけど、例の用語解説で確認すると、
「女房のこと。KAKAAの略」とありました。

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総員前甲板に整列。
回天搭乗員の4名も乗り込んできます。
司令部から来た秘密の封筒を手渡される著者の軍医長。
「極秘 回天発進に際し、搭乗員に手渡されたし」と書かれた紙が一枚。
それと同封されていたのは「青酸カリ」・・。
万が一、回天が爆発しなかった場合の、自決用なのです。
「いったい、何と言って渡せばいいんだろう・・」。

回天の目標はアドミラルティ湾港に停泊している敵艦船です。
柿崎実中尉を筆頭とした回天搭乗員に対する心遣いは徹底していますが、
会話も弾まず、気まずい雰囲気にもなるのです。
そしてアドミラルティ湾港に近づくも、すぐさま敵哨戒艦艇と飛行機が襲来。
何度も突入のやり直し。
柿崎中尉は言います。
「早いほうがいいですね。他じゃ皆、やったでしょう」。

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結局、今回の伊56による回天作戦は中止となり、
再び、爆雷攻撃を耐え抜いた44日後、帰港することに・・。
そこで待っていたのは信頼厚い艦長の転勤・・。潜水学校の教官配置です。
さらに機関長に航海長、砲術長、掌水雷長まで転勤となって大騒ぎに・・。
「やれやれ、これで助かった。『鉄の棺桶』ともお別れだ」とでも言っているように
荷物整理に勤しむ転勤者たちの姿。。
いまや先任将校と軍医長だけが古参の士官となってしまったのです。

そんな不安な状況も出港直前になって、軍医長の転勤命令を聞かされます。
士官室では誰も喋ろうとしません。
そして著者の心は「潜水艦を降りるという生命本能の喜び」に震えるのでした。

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巻末の「旧版・まえがき」では、新艦長の下に出撃した伊56が撃沈されたこと、
また、「回天」搭乗員、柿崎実中尉のその後についても書かれていました。
伊47で沖縄戦緒戦期に参加するも、発進の機会を得られず、
最終的に洋上敵船に向けて発進し、散華された・・ということで、
3回もの苦しい潜水艦生活を送った末の散華だそうです。
この人も調べてみましたが、享年22歳・・。

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同じ特攻兵器である「桜花」と比較してどっちが・・というつもりはありませんが、
「出撃します!」と叫んで、仲間たちに死地へと旅立つ見送りを受け、
母機である一式陸攻に乗り込んで、数時間後には・・という桜花搭乗員、
片や、いざ決行のときまで、2週間から1ヶ月もの時間を狭い潜水艦で過ごす回天搭乗員。
まさに己の死を見つめながらの実に苦しい時間を過ごしたのが良くわかりました。
いつ執行されるのか?? と不安で過ごす死刑囚のような気持ちにも近いでしょう。

「回天」を主題とした本は読んだことがない代わりに、以前にも書いたように
「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」という映画を以前に観て、概要は知っていました。
鶴田浩二, 松方弘樹, 梅宮辰夫といった東映オールスターキャストで、
ラストで「天皇陛下万歳!」と叫んで爆死する松方弘樹の姿に衝撃を受けたモンです。

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その映画のラストシーンから回天の攻撃の様子を知ることができます。



やっぱり個人の体験・・、回想録っていうのは面白いですね。
映画でも知られる「Uボート」は報道班員の少尉が主人公でしたが、
同じようなお客さんでも本書は乗組員の精神面をもケアする軍医長であり、
食事の献立まで作成して、下士官や兵卒からも信頼されているのがよく伝わってきます。

なお、伊56が実際に空母を撃沈したのかは、議論の対象にもなっているようですが、
本書のような体験記にとっては、どうでも良いことでしょう。
重要なのは、当時、撃沈したと信じたことであり、単独の商船ならいざ知らず、
駆逐艦がウヨウヨしているなかで魚雷を発射し、潜望鏡を突き出したまま、
ボンヤリと戦果を確認しているヒマなんてないことが伝わるかどうかでしょう。
言うまでもありませんが、「Uボート・コマンダー -潜水艦戦を生きぬいた男-
といったUボート戦記の名著がお好きな方にもお勧めします。




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パンツァータクティク -WW2ドイツ軍戦車部隊戦術マニュアル- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ヴォルフガング・シュナイダー著の「パンツァータクティク」を読破しました。

2002年に大日本絵画から出た、定価6200円の423ページ大型本。
ドイツ軍戦車部隊の「戦術運用マニュアル」という専門的な内容ということもあり、
コレに手を出すことはないだろうな・・と思っていましたが、つい手が出ました。
ドイツ連邦軍の戦車大隊長を務めた経歴を持つ、「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」と、
重戦車大隊記録集〈2〉SS編」の著者ですから、悪いことはないだろう・・と。。
正直言って、「西方電撃戦: フランス侵攻1940」読んだら怖いモン無しです。 
それでは気合を入れて、以前に紹介した「赤軍ゲリラ・マニュアル」に続く、
独破戦線マニュアル・シリーズ第2弾を早速いってみましょう。

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「序章」では、最初に留意しなければならないこととして、
「戦車は何より攻撃的に使用してこそ、卓越した戦果をあげる」と、
マンシュタインが総退却の一環として、「反攻攻撃」に戦車部隊を投入して、
目覚ましい成功を収めたことを一例として紹介します。
コレは「第3次ハリコフ攻防戦」のことでしょうか。

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そんな第1章は「攻撃」です。
かなり本格的な本文を少し抜粋してみましょう。
「大隊は「逆楔形」(Breitkeil)隊形で応急攻撃を遂行する例が非常に多い。
攻撃中は中隊の前進継続のため、援護射撃が確実に行わなければならない。
付け加えれば、中央の中隊は戦区から戦区を移動して前進する。
先頭とそれに続く部隊の繋がりは崩されてはならない」。

本書は特定の名詞は"英語/ドイツ語"でも表記されていてマニアには嬉しいところ。
章タイトルである「攻撃」も、英語の"Offensive Operation"と、
ドイツ語の"Der Angriff"が併記されています。
そういえば「デア・アングリフ」っていうゲッベルスの新聞がありましたねぇ。

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そして「緊急攻撃の例」、「要塞化陣地攻撃の例」、「防御地域への浸透の例」といった
"略図"が所々に掲載されており、コレはドイツ語の「第16戦車師団史」やら、
第4、第5戦車師団史からのものですが、キチンと日本語の解説付きです。
「小隊の前進方法」も、"尺取り虫方式"と、"馬跳び方式"などわかりやすいですね。

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また、写真も数多く掲載されており、本文の作戦状況に応じた写真が選ばれています。
すべて白黒ですが主に1940年の「西方電撃戦」、そして1941年以降の東部戦線が中心で、
戦車の鮮明さよりも、「見事な逆楔形で展開したパンター大隊」といった具合です。
キャプションも「クルスク戦における武装SSトーテンコープのⅢ号戦車」など、
可能な限りの情報が書かれています。

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攻撃の進路、遭遇戦、夜間攻撃、渡河、地雷原、追撃、指揮統制と詳しく書かれた後、
この章の最後は「兵站業務」について触れられます。
攻撃における弾薬と燃料の消費量は凄まじく、戦車戦での兵站計画は最も重要であると強調。
攻撃の最中に燃料不足で動かなくなる前、50%程度の燃料が消費された時点で、
折を見て給油を行うしかない戦車部隊。
しかし兵站部隊から攻撃部隊まで距離は遠大で、補給車両の運転手は寝る暇もないほど、
明けても暮れても走り続ける・・という大変な苦行を強いられるそうです。

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そして1940年にクライスト装甲集団が極めて早く前進できたのは、
ベルギーとフランスのガソリンスタンドが発展していたからだそうな・・。
章の後半は10数ページの写真特集。
上のⅠ号戦車車体の爆薬敷設車、下の赤外線暗視装置付きパンターの写真など、
8割くらいは未見の写真で楽しいですね。

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こうして83ページから第2章「防御」。
戦車中隊長たる者、陣地に到達した敵を可及的速やかに粉砕することに
全精力を傾けなければなりません。
担当戦区の奥行きを利用して相手の不意を衝き、その後、強力な突き返しを繰り出すのです。
まさにマンシュタイン戦術の戦車中隊版のようですね。
ですから、「防御」というより、「反攻攻撃」がこの章の主眼なのです。

窪地に身を潜めるヘルマン・ゲーリング戦車師団のパンターG型といわれる写真もいい感じ。
まさに今か今かと獲物を待つ豹のような凄味を感じます。

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第3章は「行軍」、英語はユニット・ムーブメントですが、ドイツ語なら、"Der Marsch"。
あの「パンツァー・マールシュ!」ですね。
舗装道路の場合、ティーガーは昼間なら10~15㌔、夜間は7~10キロ走破。
ポントゥーンブリッジを渡ったり、列車移送の写真、あるいは、船舶輸送で・・。
トリポリで船から積み下ろされるⅡ号戦車を見つめるロンメルの写真も。

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次の章は「偵察」。
同じように舗装道路を進むのでも、いつ接敵するかもわからない状況では、
戦車の行軍の仕方も違ってきます。
戦車同士の車間距離は約100mで、接敵時の回避運動の空間的余地を残しつつ、
互いに援護可能な距離。また、道路の日陰側を走行し、主砲は反対側に向け、
千鳥隊形で進む・・と、パンターやⅢ号戦車といった数枚の写真からも解説します。

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木の枝を使った偽装についてもこの章で解説。
ぞんざいに済ませたり、怠ったりする「たるんだ」乗員は懲戒対象と厳しいですね。

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第5章は「指揮統制」で、戦車大隊の指揮・戦闘要領の最後の一文を強調します。
「敢然と部隊を集中投入し、一気呵成に決定的な地点を突破すること」。
各種指揮戦車や、兵員輸送車Sd Kfz 251の指揮車両などが登場すると、
「ヴィーキング」の戦車連隊長であるミューレンカンプといった戦車指揮官の写真も。
そういえば、「ヴィーキング写真集」と同じ写真も何枚かありました。でもこちらが先か・・。

「無線交信」のあり方については、具体的な階級や職位はNGですべて暗号化が原則。
しかし、個人のファーストネームを使うなどの違反が実際に行われていたことから、
戦車兵総監グデーリアンによって、コレを非難する命令が出されます。
「司令官、部隊長、個人の実名並びに公然たる部隊名の使用を即刻中止せよ」。
おそらく全文だと思いますが、細かく書かれてますねぇ。そして、
「違反者はすべての階級職位の如何を問わず即刻調査の上、
有罪が認められる場合には何らかの懲戒処分が下されよう」。
いや~、怒ってんなぁ。。ちなみに本書にはこの"戦車の鬼"の写真はありません。

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続いて「兵站と整備」の章が出てきました。
第1章でも書きましたが、「兵站」って興味があるんですよね。
ここでは冒頭に警句から始まります。
「補給がすべてではない。しかし、補給がなければ、すべてがない!」。

大量の燃料携行缶(ジェリカン)に、200㍑のドラム缶から補給する戦車兵たち。
珍しい写真では「軍用に転用されたフォルクスワーゲン」。
自動車化砲兵部隊の1両のようですが、キューベルワーゲンじゃないのがあったとは。。

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その他、FAMO18㌧牽引車の活躍もタップリです。

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後半に入って291ページからは「共同作戦」。
本書の主役である戦車部隊と共同作戦に従事するのは、「装甲擲弾兵」です。
ドイツ語でパンツァーグレネーダーと呼ばれるこの兵科は、自動車化歩兵から発展し、
戦車部隊に所属。管轄も戦車兵総監部であり、米軍の機械化歩兵や、
ソ連軍の自動車化狙撃兵とは一線を画していたと述べられます。
彼らは単に「歩兵」から、「擲弾兵」に名称変更になった兵士とは別物ですね。

Sd Kfzシリーズの装甲兵員車に重火力を搭載し、高度な機動性、全地形走破力、
装甲防御力をもって、可能な限り乗車して戦い、降車戦闘はできるだけ短時間で・・。
具体的にはスピードと奇襲をもって、障害物、防壁を制圧。
見通しのきかない地域や、戦車の通過が困難な地域を奪取。

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それから「戦闘工兵」も重要な兵科です。
装甲兵員車が配備された「機甲工兵」部隊も誕生し、戦車攻撃に随伴。
架橋用器材に爆薬、地雷で戦車の前進を直接支援します。
いや~、敵の砲火のなか、職人魂を発揮する工兵というのは実に男らしい。
もしヴィトゲンシュタインが戦争小説を書くとしたら、主役は彼ら戦闘工兵でしょう。

Ⅳ号架橋戦車というのが1940年に20両ほど作られたそうです。

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大隊の対空小隊にも言及していますが、数が充分ではなく、
特定地点の防空が可能なだけであり、その場合、補給部隊が優先となります。
ヴィルベルヴィントの写真も掲載され、このような車両は有益だったとしています。

Wirbelwind_carefully_disguised_branches.jpg

第8章は「戦車兵の日常」。
何故、兵士は戦うのか? 勲章と名誉のためか。それとも自由、または祖国のため?
兵士が戦う真の動機は下級部隊の連帯感のなかに存在する・・。
このような出だしで始まるこの章は、死と隣り合わせの極限状態によって、
固く結束した中隊、小隊、分隊の戦友意識を説明し、
こと戦車部隊の場合に分隊は、すなわち戦車の乗員を指すとします。

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興味深いのは、例えば、小隊長が少尉、中隊長が中尉、大隊長なら大尉ないしは少佐と
部隊のなかに階級は存在するものの、将校であっても自身の搭乗車の車長でもあり、
いざ戦闘においては、曹長の車長と同様、自分を証明する必要があるということです。
大隊長といえども本部で地図を見ているばかりでなく、
前線で車長として、部下の4人の乗員と結束して戦う必要があるのです。

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彼らの役割、砲手は軍曹が多く、副長も兼ねているということに、
操縦手は走るだけでなく、整備にも関わるため、歩哨任務からは外されます。
装填手は技術的には簡単ながらも、肉体を酷使し、
無線手は暗号解読など特殊技術を持つものの、「何でも屋」を引き受けるのです。
有名どころではオットー・カリウス中尉の初見の写真もありましたし、
戦車砲に洗濯物を干している写真など、戦車兵の日常生活の数々を紹介。

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「訓練と射撃法」では、当初の2年に及ぶ訓練から、1943年以降の短縮訓練。
特にグデーリアンによる短縮訓練計画要求では「射撃訓練に重きを置くべし」と書かれ、
夜間戦闘やカモフラージュの訓練を優先することとし、
教室演習、パレードのための行進練習は禁止されます。
また、シュヴァッペンブルク将軍によるさらに詳細な訓練の基本原則も・・。

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最後の第10章は「戦車戦術 -その現在と未来」と題して、
最新のレオパルト2A6戦車の写真を掲載しながら、
現在の戦車訓練では高価な砲弾を使用する代わりに
シミュレーターを使った訓練が行われていることなどを簡潔に紹介します。

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あ~~、疲れました。。
マニュアルを読むにあたっては、当事者に成りきる・・というのが個人的楽しみ方で、
赤軍ゲリラ・マニュアル」でも「新米パルチザン」になった気分で読みましたが、
本書の場合は戦車大隊長から、中隊長、小隊長、そして車長と、
様々な視点から解説されているため、一介の戦車兵に成りきることがことができませんでした。

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大隊長視点になろうとも、訓練中の新米がソレを理解出来るはずもなく、よってどうしても、
写真とキャプション、または小隊レベルでの簡単な戦術に注意が行ってしまいました。
もちろん、それは戦車運用に関する読者の知識によって大きく左右されるものであって、
興味のある方はチャレンジしても良いのではないでしょうか。
古書価格が高いのがイタイですが、「ドイツ軍戦車写真集」としても大変立派な一冊で、
独破後には「パンツァーリート」を熱唱したくなること請け合いです。




未読の大日本絵画の大型戦車写真集では、「フンクレンクパンツァー」というのもありますね。
コレは副題が「無線誘導戦車の開発と戦歴」というだけあって、
クルスク戦でも活躍したボルクヴァルトIVといった無線誘導戦車の未公開写真集です。
定価6000円ですが、 447ページで1000枚の写真・・という危険な雰囲気。。
さすがにこんなマニアックな本には手を出さないつもりですけど、
人生、何が起きるかわかったもんじゃありません。








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大日本帝国陸海軍〈2〉 軍装と装備 明治・大正・昭和 [軍装/勲章]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

中田 忠夫 著の「大日本帝国陸海軍〈2〉」を読破しました。

3月の「戦時広告図鑑」で気になった、戦時中の各婦人団体の会員章・・。
いろいろと調べていた時に、本書に掲載されていることを知りました。
それ以外にも、各種勲章、徽章類がカラー写真で掲載されているということで、
2010年発刊の大判391ページ、オールカラーの本書を図書館で借りてみました。

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最初に巻末の著者のあいさつを読んでみると、昭和36年に戦争博物館の創設を計画し、
日本軍の軍装、装備品の収集をはじめ、昭和60年頃からは複製品を作成。
博物館は50年経っても完成しませんが、その博物館に展示する実物の資料を主として撮影し、
掲載したものだそうで、著者は上野アメ横のミリタリー・ショップ「中田商店」の代表者でした。

このお店は小学生の頃から怖いながらも、ちょくちょく入っていたところですし、
現在でも通り掛かった際には、軽く覗いていきます。
う~ん。。こんな何十年も経って、そんな方の本を手にすることになろうとは・・。

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最初は「原爆ドーム」と、破壊される前の「広島県立商品陳列所」。
それから原爆の威力で一本足になった「長崎山王神社片足鳥居」の写真から・・。
ふ~む。。長崎原爆資料館には行ったことがありますが、コレは知らなかった。
そして世界各国の軍事博物館の写真が35ページまで続きますが、
ほとんどが昭和46年の撮影なので、「東ドイツ戦没者墓地」とか、
「ソ連軍事博物館」といった名称となっています。

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続いて「明治時代の軍装・装備」で、古くは明治15年頃の海軍の整列写真から、
鮮明で大きな写真が掲載されます。
とは言っても白黒写真ですから、所々でカラーの軍帽と軍服のカラー写真が登場。
特別大演習の集合写真も多く、招待された各国の武官も一緒に写り、
日露戦争時の「陸海軍・第三軍司令部と聯合艦隊司令長官及び其の幕僚」には、
中央に東郷平八郎、隣が乃木希典なのはヴィトゲンシュタインでも判りました。

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昭和の写真の後、「各種帽子」の紹介です。
日本陸軍ヘルメットに、士官の制帽・略帽と実にカラフルですが、
「陸軍航空暴風面」のインパクトは凄いですね。
細かい解説がないのが残念なんですが、革製なのかなぁ??

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表紙のような軍服に外套、陸軍マント、海軍飛行予科練制服、各種靴、
落下傘部隊の制服と装備品、軍用時計に手袋、水筒、ホルスター、ゴーグルと、
まるで商品カタログの如きレイアウトで紹介。
ホルスターだけで28種類もある位です。

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200ページからは「陸海軍募集ポスター」。
先日の「世情を映す昭和のポスター」で紹介したのと同じポスターも含めて20枚。

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雑誌も「開拓団月刊誌」の特集といった趣で、
「拓け満蒙」とか、「開拓画報」、「大陸移民」などの聞いたこともない雑誌がたくさん。。

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234ページから個人的なお楽しみ、「勲章・記章・バッジ」が46ページです。
軍人のみが対象であり、昭和23年に廃止された「金鵄勲章」は、
功一級から功七級までキッチリと・・。
旭日章」や「瑞宝章」も数種類、明治27年28年従軍記章、大東亜戦争従軍記章などなど。

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各兵科ごとの「優等徽章」もデザインが美しくて良いですね。
見張優等徽章、航空優等徽章、機関運転優等徽章、艦砲射撃優等徽章など、
思わずコレクションしたくなります。

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軍人傷痍記章」も旧型のものも掲載され、バッジ類へと進みますが、
ここでは何といっても「支那事変記念バッジ」のデザインが最高です。

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その他、「憲兵バッジ」のような有名なものばかりでなく、実にマイナーなバッジ、
例えば「昭和15年駒込警防団表彰バッジ」とか、
「本郷区防護団連合防空大演習出動記念バッジ」。
「朝鮮師団対抗演習参加記念章」といった戦時中の記念バッジの数々です。

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体力章検定バッジ」も初級、中級、上級と3種類。
例の婦人会バッジも「愛国婦人会特別維持会員」、「満州国防婦人会」といった特殊なものもあり、
「将校婦人会」というのも別にあって、正会員章から特別会員章まで、4種類ありました。

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これが終わると、肩章などの階級章です。
なかでも「Japanese Army Rank Insignia」はわかりやすいですね。
調べてみると、1945年の英陸軍作成のポスターのようです。
この少佐の顔つきが絶妙・・。
米軍が作ったポスターだったら、メガネに出っ歯だな。。

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出ました。「赤十字服装」。
黑い制服に白の看護衣、南方用のグリーンの看護衣に、看護衣袴まで。。
「看護婦編上靴」はモロに「はいからさんブーツ」って感じで、なぜかソソラレるのです。

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各婦人会のタスキのなかには「愛国子女団」というのもあって気になります。
「祝入営」ってタスキもなんか恥ずかしい・・。
いまやタスキなんて、駅伝か、結婚式の2次会の新郎くらいしかしませんしねぇ。

「七五三」向けの軍服は大正・昭和初期にデパートで売られていたそうです。
かなり本格的なつくりで、結構なお値段だったんでしょう。

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ヴィトゲンシュタインの知る限りでは、ドイツでは子供用は作られてなかったと・・。

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第2次大戦時代は物資不足で子供用軍服の販売は中止されますが、
昭和19年~20年の終戦間際になると、物資不足はもっと深刻です。
桑の皮で作った作業服に、紙製ケース、水筒が竹製なのはしょうがないにしても、
ヘルメットまでが竹製・・。

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いや~、途中でも書きましたが、さすがミリタリー・ショップの本だけあって
まさに商品カタログのようで、パラパラ眺めているだけでも楽しめました。
こりゃ「大日本帝国陸海軍〈1〉」もかなり気になりますね。

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ドイツ軍装備大図鑑: 制服・兵器から日用品まで」の著者が、
「日本軍装備大図鑑」も出していますが、読んでいないために比較はできないものの、
ここまで細かい品々が掲載されているかは疑問です。
あちらは1万円ですが、本書は各3800円と値段も抑え目ですし、古書価格も安くなっています。
個人的には軍装や装備品よりも、勲章、徽章類をターゲットに読みましたが、
あえて不満を書くとすれば、説明書きがほとんどないことでしょうか。







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