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鉄の棺 -最後の日本潜水艦- [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

齋藤 寛 著の「鉄の棺 -最後の日本潜水艦-」を読破しました。

もう5年も前に読んだ「鉄の棺 ―U-Boot死闘の記録―」。
若きUボート艦長ヘルベルト・ヴェルナーが書いた面白い回想録でしたが、
本書はその当時から、同じタイトルとして知っていた一冊です。
昭和28年に書かれた古い本ですが、最近、「深海の使者」や、「総員起シ」と
日本の潜水艦モノを読んだ勢いで、この2012年の新装版を購入。
伊五十六潜に赴任した若き軍医中尉の体験記に挑戦してみます。

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昭和19(1944)年8月初旬のある夜、内火艇に乗り込んで伊号第五十六潜水艦に向かう著者。
波も大きく暗い中、調子を計ってパッと乗り移る艦長に対して、
「間に落ちると死んじゃうぞ」と言われ、軍刀を手にして舷側にしがみついたまま。
なんとか乗り込んでも、潜水艦内部では鉄のハンドルに頭を激しくぶつけ、
せっかくの第2種軍装(夏季用の白い軍装)は気が付けば油で汚れて・・。

先任将校や機関長、航海長、掌水雷長、唯一の部下となる看護長らに自己紹介して、
やって来たトイレの時間。
もちろん艦内部にもありますが、甲板に出ると艦橋後部の2連装機銃座の下の両舷に
「大小厠」が各々1個ずつあるのです。
しかもこの厠は特別に掃除する必要もなし。
なぜなら、一度潜航すれば、綺麗に洗われてしまうからなのです。
若い方でも「厠」=「トイレ」ってわかるんですかねぇ??
ちなみに「内火艇」は、「ないかてい」じゃなくて、「うちびてい」と読むそうです。

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本書には著者の年齢、経歴ともに書かれておらず、巻頭に写真が載っているだけ・・。
amazonの著者略歴を見ると、大正5年小石川生まれの慶応大学医学部卒ということで、
ご近所さんですねぇ。
1916年生まれってことは、1944年当時は28歳。潜水艦初体験のまさに青年軍医中尉です。

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6月に就役したばかりのこの伊五十六潜の長さは107mで、乗員は117名。
愛称は「いそろく潜水艦」で、これは戦死した山本五十六長官に因んだものなのです。
そんな艦内を興味津々、探検する軍医中尉。
襲撃訓練を前にして掌水雷長は語ります。
「うちの魚雷ときたら、皆、いい子ばかりですからね。
同じように見えるあの子供たちが、一本一本性質が異なっているんですよ。
こしらえた人間も皆違いますからね」と、ドコの部品が何年何月何日にドコの工場で作られ、
なんという検査官が検査をし、ドコの工廟で組み立て、いつ平水発射実験を行ったか・・が、
事細かに書かれた一冊の本が魚雷ごとにあることを夢中になって教えてくれるのです。

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軍医長らしく、出撃前には総員身体検査の実施を提案。
病気持ちは下艦が当然と思いきや、先任将校は留意事項を・・。
「だけど軍医長、先任伍長はプラムもアールもあるけれど、あいつは別だからよろしく・・」。
艦の性能は単に機械ばかりでは決定せず、熟練した人間の技術も必要なのです。

Uボート好きの方ならご存知のような専門用語、ツリム(トリム)やら、ブローといった用語は
米印が書かれて、巻末に「用語解説」として掲載されていますが、
当時の日本、ないしは日本海軍独特の用語も結構、わからないもんですね。
ちなみにプラムは「梅毒」で、アールは「淋病」。なぜにアールが淋病なのかは不明です。。
しかし、いくら仕事ができるって言っても、梅毒&淋病持ちと1ヶ月も過ごすのはちょっとなぁ。

艦隊軍医長からは高温特殊環境にある潜水艦乗組員の体力管理のために、
バターを1日、60gずつ摂取させるようにとの命令が・・。
一片さえ手に入らない戦時下の食糧事情からすれば、申し訳ないほど有難い命令です。
しかし、兵員に配給されたバターはなかなか減りません。
バター炒めの料理も油っこいと不評で、ならばとバターを入れて炊いた白米も、
最初は評判が良いものの、だんだんと鼻について残飯が多くなってくるのです。
小石川育ちの大学出のいいトコのお坊ちゃん将校とは違い、
農村出身の若い兵員たちは、そもそもバターなど食べてこなかったのであり、
同様に配給された「キューピー印のマヨネーズ」の瓶の中身も食べずに海に捨てて、
歯磨き粉の瓶として使っている始末・・。

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このような「バターを喰え」命令が発せられた理由とは、
ペナンへとやって来たドイツUボートの乗員たちが上陸するや、元気いっぱい、
テニスに興じるなど、その姿に驚いた日本の軍医が調査したところ、
艦内生活は変わらないものの、非常に高脂肪食であったことが判明したのです。
ただ、パンにバターのドイツ人と、白飯主義の日本人じゃ基本が違いますからねぇ。
ヴィトゲンシュタインもマヨネーズ嫌いで、買ったことすらありません。。

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10月、ついに出撃のときがやって来ます。
「捷号作戦」発動による、伊56を含めた11隻の潜水艦がレイテ湾周辺へ。
輸送船1隻を轟沈して最初の戦果をあげると、続いて敵輸送船団に向けて6発の魚雷を・・。
やがてレイテ沖海戦は、彼我入り乱れての航空海上決戦となり、次々と暗号文を受信。
武蔵ハ魚雷三本ヲ受ケタルモ戦闘航海ニ支障ナシ」。
「大和ハ敵空母一隻撃沈一隻撃破セリ」。
高まる緊張感のなか、空母、巡洋艦、駆逐艦から成る敵艦隊に攻撃を仕掛け、
見事、空母と駆逐艦を轟沈せしめたという声が艦内に響くと、「万歳三唱」です。

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しかし、攻撃の後は一転、防御です。
水深100mまで潜航するも敵駆逐艦3隻のスクリュー音が執拗なまでに追随し、
恐怖の爆雷攻撃に晒されます。
10時間が経ち、一番温度の低い司令塔でも35℃・・。ジリジリと温度が上昇します。
タンクから飲料水を汲み出すのには、馬鹿でかい音を出すポンプを動かす必要があり、
この無音潜航状態では飲料水もすぐに尽きてしまうのです。

そこで渇いた喉を潤そう・・と、サイダーの栓を抜くものの、
気持ち悪くなるほどの甘味と温かく口内を刺激する炭酸の感覚が混じり合い、
「どうしてサイダーというものを、こんなに甘く作ったのか」と腹立たしくなるのです。

過酷な状況に倒れた潜舵手ですら、サイダーだけは断るほど・・。
そこでタケノコの水煮の缶詰に穴を開けて、その生臭い水を飲ませるのです。

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30時間が過ぎ、温度と喉の渇きとの他、汚れた空気との戦いが始まります。
士官室の炭酸ガスは4%を越し、酸素の欠乏により呼吸するのにも努力がいるのです。
彼は「引出し」を開けて、大切にとっておいた空気をスーッと吸い込みます。
「うまい。甘い。」
すぐに引出しを戻して、第2回目に使おうとしますが、次はもう新鮮な空気は残っていません。

2昼夜、50時間が過ぎると、「この苦しみのままでは死にたくない」と思い始めます。
「せめて一呼吸でも海上の新鮮な空気が吸いたい。そうすればもう思い残すことはない。
敵空母を沈めてるんだ。潜水艦が空母と刺し違えて死ぬのなら・・」。
そんな考えでは潜水艦乗りは勤まりません。
固く植え込まれた「忍」の精神と、艦長への信頼感が信仰にまで昴まっていることが重要。

やがて「忍」の精神が駆逐艦に勝利して浮上を果たします。
潜航時に聞こえていた怪しげな音の正体を確かめに行くと、そこには珍しい爆雷が・・。
数百発の爆雷を喰らい、最も近かった1発が不発・・。伊56は悪運強いのです。

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呉軍港へ帰投。
戦果も挙げて、表彰状が贈られ、お偉方も来艦してきます。
侍従武官からは乗員一同に「菊花御紋章入りの口つき煙草」が一箱ずつ贈られるのでした。

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次の出撃に向けて、艦の改修と新たな訓練に励みます。
それは特攻兵器「回天」の搭載・・。
「いやだなあ」と言う砲術長。
先任将校も「とにかく人間魚雷なんて戦の邪道だ」。

「回天」は遊就館で見ましたが、結構大きいんですよね。
ですから通常魚雷のように発射するのではなく、
艦橋の対空砲などを取り外し、そこに設置して発進するわけです。

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そして出撃前には映画「Uボート」のプロローグのように壮行会が開かれます。
士官は士官だけで集まりますが、違うのは日本らしく、こじんまりと開催するところ。
「艦長と先任はKAが来てるから、チョンガだけで先にやろうかと・・」。
こんな会話から著者がチョンガ会の幹事になるわけですが、
「チョンガ」って聞くの30年ぶりくらいですねぇ。独身の意味ですが懐かしい響き・・。
ちなみに「KA」は何となくわかりますけど、例の用語解説で確認すると、
「女房のこと。KAKAAの略」とありました。

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総員前甲板に整列。
回天搭乗員の4名も乗り込んできます。
司令部から来た秘密の封筒を手渡される著者の軍医長。
「極秘 回天発進に際し、搭乗員に手渡されたし」と書かれた紙が一枚。
それと同封されていたのは「青酸カリ」・・。
万が一、回天が爆発しなかった場合の、自決用なのです。
「いったい、何と言って渡せばいいんだろう・・」。

回天の目標はアドミラルティ湾港に停泊している敵艦船です。
柿崎実中尉を筆頭とした回天搭乗員に対する心遣いは徹底していますが、
会話も弾まず、気まずい雰囲気にもなるのです。
そしてアドミラルティ湾港に近づくも、すぐさま敵哨戒艦艇と飛行機が襲来。
何度も突入のやり直し。
柿崎中尉は言います。
「早いほうがいいですね。他じゃ皆、やったでしょう」。

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結局、今回の伊56による回天作戦は中止となり、
再び、爆雷攻撃を耐え抜いた44日後、帰港することに・・。
そこで待っていたのは信頼厚い艦長の転勤・・。潜水学校の教官配置です。
さらに機関長に航海長、砲術長、掌水雷長まで転勤となって大騒ぎに・・。
「やれやれ、これで助かった。『鉄の棺桶』ともお別れだ」とでも言っているように
荷物整理に勤しむ転勤者たちの姿。。
いまや先任将校と軍医長だけが古参の士官となってしまったのです。

そんな不安な状況も出港直前になって、軍医長の転勤命令を聞かされます。
士官室では誰も喋ろうとしません。
そして著者の心は「潜水艦を降りるという生命本能の喜び」に震えるのでした。

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巻末の「旧版・まえがき」では、新艦長の下に出撃した伊56が撃沈されたこと、
また、「回天」搭乗員、柿崎実中尉のその後についても書かれていました。
伊47で沖縄戦緒戦期に参加するも、発進の機会を得られず、
最終的に洋上敵船に向けて発進し、散華された・・ということで、
3回もの苦しい潜水艦生活を送った末の散華だそうです。
この人も調べてみましたが、享年22歳・・。

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同じ特攻兵器である「桜花」と比較してどっちが・・というつもりはありませんが、
「出撃します!」と叫んで、仲間たちに死地へと旅立つ見送りを受け、
母機である一式陸攻に乗り込んで、数時間後には・・という桜花搭乗員、
片や、いざ決行のときまで、2週間から1ヶ月もの時間を狭い潜水艦で過ごす回天搭乗員。
まさに己の死を見つめながらの実に苦しい時間を過ごしたのが良くわかりました。
いつ執行されるのか?? と不安で過ごす死刑囚のような気持ちにも近いでしょう。

「回天」を主題とした本は読んだことがない代わりに、以前にも書いたように
「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」という映画を以前に観て、概要は知っていました。
鶴田浩二, 松方弘樹, 梅宮辰夫といった東映オールスターキャストで、
ラストで「天皇陛下万歳!」と叫んで爆死する松方弘樹の姿に衝撃を受けたモンです。

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その映画のラストシーンから回天の攻撃の様子を知ることができます。



やっぱり個人の体験・・、回想録っていうのは面白いですね。
映画でも知られる「Uボート」は報道班員の少尉が主人公でしたが、
同じようなお客さんでも本書は乗組員の精神面をもケアする軍医長であり、
食事の献立まで作成して、下士官や兵卒からも信頼されているのがよく伝わってきます。

なお、伊56が実際に空母を撃沈したのかは、議論の対象にもなっているようですが、
本書のような体験記にとっては、どうでも良いことでしょう。
重要なのは、当時、撃沈したと信じたことであり、単独の商船ならいざ知らず、
駆逐艦がウヨウヨしているなかで魚雷を発射し、潜望鏡を突き出したまま、
ボンヤリと戦果を確認しているヒマなんてないことが伝わるかどうかでしょう。
言うまでもありませんが、「Uボート・コマンダー -潜水艦戦を生きぬいた男-
といったUボート戦記の名著がお好きな方にもお勧めします。




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