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写真集 関東大震災 [番外編]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

北原 糸子 編の「写真集 関東大震災」を読破しました。

生まれも育ちも東京下町であるヴィトゲンシュタインは、ルーツともいえる家族の過去、
東京大空襲や関東大震災には興味がありつつも、敢えて目をそらしてきました。
今年に入っていろいろと戦時中の日本や、東京の文化も挑戦しているところですが、
先日、「東京大空襲: 未公開写真は語る」という写真集も読みましたし、
NHKで関東大震災のドキュメンタリーを観たのをキッカケに、本書を読んでみることに。
この2010年発刊で419ページの大型写真集は、お値段ナント12600円です。
ですが図書館にありました。ヨカッタ、ヨカッタ。
それでは700枚の写真をじっくりと・・。

写真集 関東大震災.jpg

まずは10ページほど「解説」です。
住家被害が37万棟、死者、行方不明者数が10万余といった数字が挙げられ、
本書の対象となる東京市の死者68660人(うち焼死65902人)。
横浜市の死者26623人(うち焼死24646人)だそうです。
まぁ、ほとんどが焼死ってことですね。11時58分というお昼時だったのも理由でしょう。
1923年(大正12年)9月1日に発生したこの大地震。
ドイツでは、この2ヵ月後にヒトラーが「ミュンヘン一揆」を起こしたという時期です。
そして東京編の第1章は「航空写真」で、詳しいキャプションと共に41枚が掲載。

写真集 関東大震災_0.jpg

第2章はメインとなる「建物被害」で当時の「区」ごとに写真が出てきました。
最初は「麹町区・神田区」。
もちろん今はこんな「区」はありませんが、本書では「現在の千代田区に該当する」と
親切な解説付きです。
また、区分けされた地図には写真の番号が書かれ、
写真の撮られた場所がわかるようになっています。
日比谷方面の火流に呑まれ炎上する東京会館、帝国劇場、警視庁の写真が数枚。
1ページに1枚~3枚の写真が掲載され、大型本ですから迫力がありますね。

写真集 関東大震災_1.jpg

大手町付近にあった大蔵省や内務省は、門や一部の壁面を除いて焼失。
最近、当時の姿に戻った東京駅は震害を免れます。
しかし22年後の東京大空襲で焼けてしまうんですね。
有楽町から神田にかけて、被害は大きくなり、神田明神は影もありません。知らなかった・・。
御茶ノ水付近も湯島聖堂が焼け、ニコライ堂もドームを焼失しています。
子供の頃には鉄道博物館だった万世橋駅の残骸も印象的です。
ここら辺りは歩いて行けた場所ですから、特に感慨深いですが、
できれば、見たことのない焼失前の写真(洋風な煉瓦造りの姿など)があると、
より良いですね。当時と今を比較した「バルジの戦い」みたいに、
震災前と震災後、そして復興後・・なんて感じで・・。

万世橋駅.jpg

続いて「日本橋区・京橋区」。現在の中央区が該当します。
日本橋そのものは軽微な震害で済んでいますが、
外観は留めているものの「三越」は焼けてしまっています。
赤レンガの外観だったという「丸善」は大倒壊した無残な姿・・。
塔屋のあった「白木屋」も酷い有り様ですが、震災前の美しい写真が掲載されていました。

日本橋・三越.jpg

赤レンガ街だったという銀座も同様です。
建設中の「松屋」、銀座4丁目交差点の「三越」はまだなく、この場所にあった
山崎高等洋服店が焼け落ちています。
歌舞伎座はギリギリで焼け残っていますが、やっぱり東京大空襲の餌食に。。

歌舞伎座.jpg

「浅草区・下谷区」は、よりヴィトゲンシュタインの実家に近づいてきます。
現在の台東区に当たるこの部分は、レンガ造りだった浅草仲見世が焼け落ちた写真から・・。
10代の頃、ダブルデートした「花屋敷」も。。右の写真です。
左上の吾妻橋とそれを渡った先の下の写真、「サッポロビール工場」も半壊していますが、
「エビスビール」などの旗が立って、即席ビアホールが営業中。
まだ9月初めの暑い時期とはいえ、逞しいですね。

写真集 関東大震災_2.jpg

その左上の写真の現在の姿です。

吾妻橋.jpg

浅草の十二階で知られる「凌雲閣」は明治23年に竣工したシンボルタワーです。
しかし八階から上が崩壊し、多数の犠牲者が出たそうです。
う~ん。こんな時に展望台にいた人々は不運だったとしか言いようがありません。。
その後、工兵隊によって爆破処理されますが、
下町の人間にとっては再建してもらいたい建物のひとつです。

凌雲閣・浅草十二階.jpg

ヴィトゲンシュタインが物心ついた頃から母親と毎週のように行っていた「上野松坂屋」。
角の玄関部分を残して燃え尽きています。
「焼亡」という表現が使われていますがショックだなぁ。こんな写真は初めて見ました。
また、上野駅も猛火によって焼失していました。
焼ける前の松坂屋の雄姿です。

上野広小路松坂屋呉服店.jpg

「本所区・深川区」は隅田川の向こう、現在の墨田区南半と江東区西半です。
外廓だけ残った「国技館」の姿は印象的。

国技館.jpg

そして4万人弱の被害者を出した「旧陸軍被服廠跡地」の写真。
2万坪の広大な避難所へ家財道具を持ち込んだ大勢の避難者に四方から火災が襲い掛かり、
家財道具に引火して、まさに火炎地獄と化した場所です。

旧陸軍被服廠跡地.jpg

「芝区・赤坂区・四谷区・牛込区」は港区の北半と新宿区の東半になります。
下町ほど火災の被害はないものの、市ヶ谷台の「陸軍士官学校」が部分的に崩壊し、
内部の御座所の被害写真も出てきました。
また、小石川の工兵工廟は大被害を受け、その後に移転。
跡地は後楽園球場になるわけですね。
「本郷座」という劇場が半壊した写真が出てきましたが、
これは本郷3丁目にあった著名な劇場だそうです。
近所に住んでて聞いたこともないという・・。

本郷座.jpg

突然、「本郷区」に入っていますが、「東京帝都大学」の被害写真も数枚。
そういえば「帝都物語」っていう映画がありましたねぇ。
なぜか当時、観ていませんが、なんでだろう。
フィクションで描かれているのが生理的に嫌だったのかも知れません。
今なら観てみたいですけどね。

帝都物語.jpg

ここまで165ページが被害写真。そして「避難・救援・支援」の写真へ。
震災当日の上野公園の様子。50万人の避難民が押し寄せたと、まるで花見のようです。
30万人が避難したのは二重橋前。写真ではコッチの方がごった返していますね。
上野駅が焼けてしまったので、東北に向かう避難者は日暮里や田端駅から郷里へ。

日暮里駅.jpg

江戸時代からの大遊郭で知られる「吉原」も花魁たちが「弁天池」に飛び込んで大勢亡くなります。
池に浮かんだ死体の写真。
500人ほどの死者が出たということですが、
子供の頃に父親から聞いた、近くの不忍池に大勢が飛び込んで死んだという話は、
実はこの吉原の弁天池のことなんじゃないか・・?? と思いました。
というのも、不忍池には弁天堂がありますし、勘違いしたか、
夜中にフラフラ出歩かないよう、父親が怖がらせてやろうと嘘ついたのかも・・。

吉原弁天池_3.jpg

以降は復旧していく東京の様子。
道路整備に上野駅、上野公園、ニコライ堂、新橋駅などが綺麗になっていきます。
それでもそれぞれの場所は現在も同じではなく、空襲で焼けてしまったもの、
老築化によって建て替えられたり、歴史は続きます。

「慰霊堂と復興記念館」が紹介されました。
これは最大の死者を出した「旧陸軍被服廠跡地」に昭和5年に建てられ、
戦後は東京大空襲の犠牲者の慰霊を兼ねる施設だそうです。
う~ん。近いうちに行ってきます。

慰霊堂.jpg

当時、売り出されていた絵葉書紹介に続いて、「横浜」の写真へ。
山の手のレンガや石造りの洋館はひとたまりもなく崩れてしまったようで、
アメリカ海軍病院にフランス領事館、本町警察署、フェリス和英女学校などが瓦礫の山です。
神奈川県庁も焼失していますが、ルネサンス式レンガ造り三階の大建築と書かれた
震災前の立派な写真と比較されています。こうしてみると悲惨さが増しますね。

神奈川県庁.jpg

いや~、やっぱり写真は衝撃的ですね。
しかも700枚の写真、自分の知っている街や建物が焼失、崩壊した姿。
今まで知らなかった近所のちょっとした歴史も・・。
2年前の大地震の時には仕事で八王子にいましたが、
道が上下にうねっている光景は忘れられません。
キャプションも出来る限り詳しく書かれ、お金のある時に買ってみようと思いました。
しかしその前に、もうちょっと詳しく勉強してみようと、
とりあえず、吉村 昭 著の「関東大震災」を買いました。







タグ:関東大震災
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ドイツ空軍全史 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアムソン・マーレイ著の「ドイツ空軍全史」を読破しました。

これまでにもルフトヴァッフェ興亡史のような本は何冊か読んできました。
ドイツ空軍、全機発進せよ!」、「ヒットラーと鉄十字の鷲 -WW2ドイツ空軍戦記-」、
攻撃高度4000 -ドイツ空軍戦闘記録-」なんかです。
ガーランドの「始まりと終わり」も、ある意味そうだと言えますね。
本書は1988年に朝日ソノラマ発刊、439ページの買い忘れていた1冊で、
2008年には学研M文庫から再刊されています。

ドイツ空軍全史.jpg

第1章「ドイツ空軍の創設と戦争準備」では、1930年代を通して、鉄鋼、アルミ、ゴムなど
原料物資のと外貨の不足によって、大規模な"戦略的"爆撃兵力を造り上げるには不十分であり、
大陸内の国家というドイツの戦略的条件があるため、陸軍が再軍備を優先的に握ったと解説。
これは海を隔てた英国と米国との比較がわかりやすかったですね。
特に米国の場合、最初に解決すべき問題はどのようにして戦域まで進出するかという、
兵站・補給の問題をまず考えなければならない一方、
ドイツはもともと戦域の中にあると言ってよく、眼の前の作戦と戦術の問題を
直ぐに解決する必要があった・・という説明です。

第1次大戦の開戦早々にはツェッペリン飛行船による英本土空襲と、
それに続く大型爆撃機によるロンドン空襲・・。
コレは「宮崎駿の雑想ノート」のやつですね。

over-londons-roofs_Zeppelin im Krieg.jpg

そして本書では「おでぶちゃん」と命名されている航空相ゲーリングと技術局長ウーデット
ルフトハンザの社長から航空省次官となったミルヒらが登場。

国防相のブロムベルクは新設の空軍には、「強烈な攻撃精神を持ったエリート将校団が必要」
と考え、第一級の陸軍将校と参謀幕僚を空軍に転属させるよう、取り計らいます。
空軍参謀総長候補はヴァルター・ヴェーファーと、フォン・マンシュタイン。。
ゲーリングはヴェーファーを選びますが、その彼が1936年に事故死すると、
今度はフランツ・ハルダーを推挙しようと考えます。
結局、ケッセルリンク、続いてイェショネクが後任の参謀総長になりますが、
イェショネクって陸軍大学を首席で卒業した超エリートだったんですねぇ。

Walther Wever.jpg

「ウラル重爆」と呼ばれた戦略爆撃思考だったヴェーファーの死によって
四発重爆であるDo-19と、Ju-89の開発が放棄されたという説に対し著者は
「それは事実ではない」とします。
開発中止の理由は、当時のドイツには高馬力のエンジンが無かった・・。
そんな英米よりも遅れていた再軍備の開発は1937年に、あのHe-177へ・・。
また、ミルヒと折り合いが悪いうえに、威張りかえった近視眼的なイェショネクは、
ヒトラーの魔力による支配下に陥り、「総統の史上最高の指揮能力」という文句を
頭から信じ込んでしまうのでした。

Do-19.jpg

第2章は「緒戦快勝、対英戦へ」。
ポーランド侵攻から西方電撃戦にまつわるドイツ空軍が描かれますが、
まずズデーテンラント問題などの政治的な状況もしっかりと解説し、
リヒトホーフェンが指揮するシュトゥーカ急降下爆撃機だけではなく、
ルントシュテットからグデーリアンといった陸軍の将軍に加え、
陸軍の装甲部隊の戦術についてもかなり言及します。
もちろんエーベン・エメール要塞攻略ダンケルクなど空軍の作戦もあるわけですが、
基本的には陸軍を空から補佐する戦術空軍であるために、
戦略的に見た時にはどうしても陸軍の戦略が基礎になるわけですね。

A formation of Junkers Ju-87 B.jpg

そして戦闘機部隊による「バトル・オブ・ブリテン」と、爆撃機部隊による「ロンドン爆撃」。
本書では「ドイツ空軍損失機比率」とか、「英独戦闘機パイロットの損耗実数対比」といった
表やグラフが掲載されているのが大きな特徴であり、
本文中にも細かい数字を挙げて、成否などを論じています。

German and British fighter planes engaged in an aerial battle appear in the sky over Kent.jpg

第3章は「ソ連侵攻作戦」です。
ここでもいきなりバルバロッサ!というわけではなく、独ソ不可侵条約など、
政治的な状況が語られた後、ムッソリーニのイタリア軍によるバルカン軍事行動が・・。
「ドイツにとって不運なことに、迷惑な事態が南の方で始まった」で始まるこの部分、
どんな本でもダメ出しされるイタリア軍ですが、本書も実に笑えます。

「陸軍は時代遅れの兵器と欠陥だらけの基本戦法を抱え、
海軍は最新鋭主力艦の増備は進めていたが、艦艇を実戦に使う意志に欠け、
空軍は保有機の数も正確に把握していない有様。
これはイタリア人の勇敢な性格とは関係がない。
戦うための存在ではないというイタリアの軍隊の性格が原因だった。
イタリアのある将軍が自分の軍隊生活を振り返ってこう述べている。
『素晴らしいスパゲッティが一生涯保障され、その上にいくらか楽しみがあれば、
誰もそれ以上は望まないものだ』」。

Mussolini testing a new type of gas bomb during a demonstration in Rome of various chemical weapons.jpg

さて、1941年6月22日に始まったバルバロッサ作戦も基本は陸軍の行動です。
マンシュタインの装甲軍団の進撃に陸軍参謀総長のハルダー、
そしてモスクワ前面での停止・・。
独立空軍であるにも関わらず、陸軍の間接支援を要求されるドイツ空軍は
広域な戦線と絶え間ない作戦の連続と移動によって整備機構に大きな問題が・・。
デミヤンスクで包囲された地上部隊を救うための空輸補給では
1日あたり延べ100機から150機が飛び、武器や食糧2万㌧以上と
兵員15000名を送り込み、負傷者2万人以上を救出します。
しかし輸送機兵力の30%に及ぶ、輸送機265機を喪失するのでした。

Demyansk Pocket.jpg

第5章「外周戦域敗退と連合軍航空攻勢」になってくると気分も重くなってきます。
東部戦線ではスターリングラードの危機が起こり、今度は不可能な空輸を求められ、
その結果、Ju-52が269機、He-111が169機、Ju-86が42機、He-177が5機・・など、
輸送機部隊が壊滅的な損害を被ります。
地中海でもアフリカ軍団の支援のために航空兵力を割かねばならず、
ドイツ本土は英爆撃機軍団によって空襲に晒されています。

Ju_52_approaching_Stalingrad_late_1942.jpg

そんななか空軍参謀総長のイェショネクが自殺。
著者は、「イェショネクは工業、兵站補給、技術の基盤を無視していた。
彼のこうした盲滅法なやり方が、空軍と祖国を絶望的な状況に導いていったのである」と
かなり辛辣に評価します。
その一方で、悪代官のように扱われることの多いミルヒについては評価している感じですね。

Göering_Jeschonnek.jpg

第6章「本土上空消耗戦」になってくると、カムフーバーガーランドといったドイツの将軍よりも、
攻める側、すなわち英空軍のハリスリー=マロリーテッダーらが前面に。
英米の「戦略爆撃」に対して、戦闘機で対抗したいドイツ空軍ですが、
攻め好きのヒトラーは戦闘機の量産は認めずに、爆撃機によるお返し戦術しか頭にありません。
やがて連合軍は圧倒的な航空勢力によって、ノルマンディに上陸するのでした。

Bremen im Bombenhagel der RAF.jpg

ここまで読んで、改めて「訳者あとがき」を読んでみるとこのように書かれています。
「ドイツ空軍とヒトラーの率いるドイツ第三帝国と、それを相手に戦った連合軍の
政略、戦略、戦闘、その背後の経済・生産力など広い範囲に及び、
単なる戦史を超えた戦史論評になっている」。

また、原著は1944年9月までであり、最後の第8章「最後の戦い」は
訳者さんが書き加えたそうで、報復兵器V-1、V-2からジェット戦闘機Me-262
エルベ特攻隊といったお馴染みの断末魔の様子を紹介します。

V2.jpg

著者は米空軍整備将校出身のオハイオ州立大で
軍事史・戦略史研究プログラム部長という肩書を持ち、原題は単に「ルフトヴァッフェ」ですが
このようにドイツ空軍以外の幅広い視点で研究されたもので
本書の「ドイツ空軍全史」というタイトルも含めて、好き嫌いは分かれると思います。
エース・パイロットの活躍や、各種戦闘機や爆撃機の詳細、またはその装備といったことを
期待している読者には不向きな内容ですが、
逆に世界史的観点から見たドイツ空軍とは・・?
といったことが知りたい読者にはとても興味深い1冊と言えるでしょう。





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従軍看護婦たちの大東亜戦争 -私たちは何を見たか- [女性と戦争]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

従軍看護婦たちの大東亜戦争刊行委員会編の「従軍看護婦たちの大東亜戦争」を読破しました。

「女性と戦争」というテーマも度々、取り上げる独破戦線ですが、
ソ連や米国などの連合軍と違って、枢軸側はドイツも日本も戦地にはほとんど送られません。
しかし看護婦さんだけは別です。
本書は2006年に出版された296ページのソフトカバーで、
1977に刊行された「ほづつのあとに」という従軍看護婦の手記3部作を集約し、
時系列で編集し直した濃密な一冊です。

従軍看護婦たちの大東亜戦争.jpg

巻頭ではまず、日本赤十字社社長の言によって、赤十字の歴史を簡単に紹介します。
1863年にジュネーブにおいて設立された「赤十字」の目的は、
「戦場において敵・味方の別なく、傷病者を救護する」。
そして日本では1877(明治10年)に博愛社が創立されて、その後、日本赤十字社へ。
日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦と幾多の戦争に救護員を派遣します。
第2次大戦が終結するまでの8年間では、延べ35000名が派遣され、
救護看護婦の殉職者は1120名・・と想像以上に大変な数字ですね。

赤十字思想誕生150周年記念切手.jpg

第1章は「勃発 -それは中国大陸で始まった」と題して、3名の従軍看護婦の手記が掲載。
昭和12年の支那事変が勃発すると、全国に救護班員の招集がかかります。
駅前では壇に登って「万歳三唱」で送られますが、女の子にとっては結構、恥ずかしい。。
彼女が着いた先は「軍都・広島」。へ~、軍都って表現、初めて知りました。
病院船「春成丸」に東京、茨木、秋田、岩手の4個班が兵士や馬と共に乗船し、
上海を目指しますが、救護班の構成はおおむね医師1人、看護婦長1人、看護婦20名です。

従軍看護婦 万歳.jpg

基本的には病院船上での勤務が彼女たちの戦場であるわけですが、
初めての戦地負傷者の包帯交換では、
「傷口からぼろぼろ、もりもりと蛆が出てくるのはぞっとした」。

従軍看護婦1.jpg

天津から20㌔足らずの第四兵站病院での勤務。
髭もじゃの負傷兵の片足をバケツに入れて丁寧に洗っていると、
その兵士は肩から切断された傷の包帯を押さえて、涙を流しながら小声で言います。
「家に帰ったようだ。こんなことはお袋しかしてくれないと思っていたのに・・」。
彼女は当たり前のことがどんなに大切なのかを味わうのです。

従軍看護婦5.jpg

昭和14年にはノモンハン事件が起こります。
日本軍は戦傷病者が続出し、急遽、ハルピンの大きな病院に派遣。
「今頃やって来て何事だ」とばかりの態度に続いて、病院長閣下にご挨拶。
廊下に看護婦10名が整列させられて、若い衛生下士官が大声で第1声を・・。
「貴様らは、体温の測定をどのようにするのか知っておるのか!」
本書は赤十字の看護婦が対象で、それとは別に衛生兵や軍属の看護婦もいるんですね。
しかし赤十字の彼女たちにも、徴兵と同じように「招集令状」が届くのです。

戦時召集令状.jpg

第2章は「宣戦布告 -大東亜戦争への突入」です。
万国公法により、病院船は船名や船型を相手国に通知しておき、
全体を白く、さらに煙突及び甲板上へ赤い十字を表しておけば、
どんな海面においても襲撃を受けることはない・・となっているものの、
機雷も流れ、潜水艦も潜んでいる状況では、絶対安全とは言い切れません。

Hospital ship Asahi Maru.jpg

そんなこともあってか、女性の乗った病院船は廃止しようとの意見も・・。
甲板での散歩でも付き添いが看護婦さんなら、話をしながら患者はいつもニコニコ。
しかし衛生兵と船員だけの女性のいない病院船では、
付き添っておれと命令を受けた衛生兵が、直立して傍らにいるだけ。
男同士が双方むっと顔を並べて・・。
前線の病院で女の病院船と決まると、患者たちが歓声を上げるのも無理はありません。。

従軍看護婦3.jpg

昭和18年、そんな病院船のひとつ「ぶえのすあいれす丸」がB-24の攻撃を受けます。
数千人の傷病兵が乗った一万㌧の巨体があっと言う間に沈没し、
看護婦たちも大海原へと放り出されます。
救命ボートで5日間も漂流し、大波に襲われて半分が犠牲に・・。
再び、コンソリー機(B-24)がやって来て、ボート目掛けて機銃掃射を繰り返し、
その超低空飛行の機体の中の米兵の笑っている顔までハッキリと・・。
「悔しくて、思わず『血も涙もない米機のヤツ』と叫んだ」。
13ページほどの手記ですが、これだけで1冊の本になりそうなほど印象に残りました。

ぶえのすあいれす丸 新聞.jpg

第3章「転進 -死屍累々の中での敗走」。
これまで20歳前後の若い看護婦さんの手記が中心でしたが、
満州戦線ではベテラン看護婦長の手記も出てきます。
陸軍病院で病名不明のまま死んだ患者の死体を解剖する婦長さん。
長い腸を開くと18センチ級の「回虫」が勢いよく飛び出します。
思わず「きゃー」と飛び上がり、軍医殿も駆け寄ってきますが、
「なあんだ。回虫じゃないか。婦長も悲鳴を上げる時があるのだね」。
私がそんな「マスラ女」に見えるのか・・と憤懣に堪えない婦長さん。。

従軍看護婦2.jpg

しかし「回虫」ってのは子供の頃に読んだ筒井康隆の強烈な短編がありましたし、
飛び出すっていうのも、映画「エイリアン」のチェストバスターを思い起こさせて、
どうも、弱いですよねぇ。
いつもだったらグロい回虫の写真でも載せるところですが、とてもそんな気には。。

そんな「マスラ女」婦長はある日、部隊長殿から精神訓話を求められます。
いかなる事態になっても慌てず、立派に大和撫子らしく、笑って死ねる決意の教育です。
以来、毎晩30分、1時間と、ギラギラ光る短刀の切っ先を見つめて
自らの心臓に突き刺せる確信が持てるまで精神統一に励み、
部下の看護婦たちにも「立派に死ねる覚悟を持ちなさい」と訓話するのでした。

満洲国赤十字社5周年 1943.jpg

サイゴンではオランダ人の捕虜が防空壕掘りに駆り出されています。
そんな捕虜収容所からの患者も受け入れ、治療にあたる看護婦たち。
白の看護服も緑に染めて、壕に避難することも頻繁に・・。
あるオランダ兵は家族の写ったヨレヨレの写真を取り出し、何事かを話します。
言葉は解らなくても笑顔で頷くと、満足そうに微笑み、「サンキュー」。

SUZUKI, Ryozo  患者後送と救護班の苦心 (1943).jpg

昭和20年4月、ミンダナオ島では空襲の激しさが増し、ジャングルの中を移動。
救護班は現地解散を言い渡されますが、男性上司が濁流に呑まれ、
いよいよ女性だけの集団に・・。
9月、死体のそばの飯盒を覗くと人間の皮膚らしきものが見られることも。
新しい死体はほとんど大腿筋や臀筋が切り取られています。
「私たちは兵隊の声を聞くと、木陰に身を隠した。人間が恐ろしかった」。

従軍看護婦4.jpg

看護婦の集団は徐々に人数が少なくなっていきます。
病死・・、川に流されて・・、美しく死に化粧をして自ら命を絶つ者・・。
死期が迫ったある看護婦は言い残します。
「私が死んだら絶対に兵隊の目が触れない所に捨ててください」。
・・いっぺん、女を喰ってみたい・・って言ってたヤツいましからねぇ。。

第4章は「焦土 -焼き尽くされる祖国」。
東京大空襲下の東大病院の様子が語られます。
若年用の看護婦寮は「弥生門」寄りにあって、火の手が迫っていますが、
ヴィトゲンシュタインはこの弥生門から5分くらいの所に住んでいます。
実は本書を読む前に「東京大空襲: 未公開写真は語る」という写真集を読みました。
去年、NHKスペシャルで放送した番組を写真集にまとめたものです。

東京大空襲  未公開写真は語る.jpg

続いてコレまた有名な「沖縄ひめゆり部隊の軌跡」が・・。
正規看護婦だけでは余りにも人数が不足していたことから、
沖縄県下の各女学校生徒に対し、一応の看護教育を施すとともに
陸軍軍属として従軍看護婦に任じた・・という経緯から語られます。
そして壕の入り口で看護に当たっていた3人の生徒は、
急降下してきた敵機の機銃を浴びて戦死。
その他の壕でも直撃弾によって生き埋め、あるいはガス弾によって・・。

himeyuri_gakutotai.jpg

何度か映画されている「ひめゆり」ですが、一度だけ観た記憶があります。
たぶん、吉永小百合の「あゝひめゆりの塔」だと思うんですけどねぇ・・。

あゝひめゆりの塔 1968.jpg

まだまだ、広島、長崎の原爆投下に伴う、看護婦さんの戦いが続きます。
第5章「玉音」と、最後の第6章「抑留」では、各地で降伏した彼女たち。
米軍の捕虜となったフィリピンでは老若男女が集まって来て、
「ジャパニーズ、バカヤロー、ドロボー!」口々に罵り、投石する者まで・・。

満州では北から避難民に続いて、ソ連軍がやって来ます
当然、彼らの要求は、「看護婦を出せ」。
長髪を切って丸坊主となり、軍服を着用して男装。青酸カリも与えられ
万一の時には日本人として恥ずかしくない最期を遂げるように・・と訓示が。
陸軍看護婦、女子軍属も含めて100名以上の女性が残っていますが、
ソ連兵は移動の隊列にジープで接近し、若い見習い看護婦をさらっていくのです。 
「婦長殿助けて・・」と、暗闇に尾を引くような悲鳴・・。

日本赤十字社救護員章.jpg

そしてウラジオストックから東京行き・・という船に乗せられると、そのままシベリアへ。
零下40℃にもなる炭坑作業のラーゲリは1万人が収容されています。
日本女性がやって来たことで兵士たちも興奮し、大騒ぎに・・。
ここの病棟で看護婦として働くことになった彼女ですが、
女性がシベリア送りになっていたなんて話は初めて知りました。

赤十字_75年切手.jpg

前線のソ連女性を扱った、「戦争は女の顔をしていない」も印象的でしたが、
本書は単体で本になりそうな話が3つはありました。
ドイツの看護婦さんでも「アフリカ軍団」で2級鉄十字章を受章したイルゼ・シュルツなんて
回想録出してないのかなぁ・・。

裏表紙には、櫻井よしこさんのコメントが掲載されていました。
改めて読み返してみると、ここに集約されていますね。
「大東亜戦争は一体どんな戦争だったのか。
家庭では戦争世代の大人たちが口をつぐみ、
学校では日本を批判する歴史が教えられてきた。
本書にまとめられた従軍看護婦の方々の体験と想いから、
私たちは多くのことを知り、学ぶことが出来るはずである。
戦後60年を過ぎた今だからこそ、どうしても読んでほしい一冊である」。

「ほづつのあとに―従軍看護婦記録写真集」も再刊して欲しいですね。









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第三帝国のスポーツVol.2 (Sport and the Third Reich: History, Uniforms, Insignia, and Awards) [スポーツ好きなんで]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

R. Newbrough著の「Sport and the Third Reich Vol.2」を読破しました。

先日の「Vol.1」はナチス・ドイツのスポーツ全般、1936年のベルリン・オリンピックから、
空軍、海軍、陸軍のスポーツ関連グッズ、そしてSA(突撃隊)などが強烈に紹介されました。
このVol.2に登場するのは、SSと警察にヒトラー・ユーゲント、
その他、洋書ならではのマニアにお楽しみのナチスの組織が次々に登場します。

SPORT AND THE THIRD REICH_vol2.jpg

最初は「NSKK」です。
これは、Nationalsozialistisches Kraftfahrkorps(国家社会主義自動車軍団)という
非常に仰々しい名前の組織ですが、1930年にSA(突撃隊)に誕生した
最初の自動車部隊(NSAK)が翌年には「Automobil」を「Kraftfahr」となって、
自動車とオートバイの技術を習得するという、自動車大好きヒトラー総統の肝いり軍団です。

Sport and the Third Reich II_1.jpg

軍団長のアドルフ・ヒューンラインはミュンヘン一揆にも参加して、
ヒトラーと同様、ランツベルク刑務所に収監された経歴を持ち、
この古参闘士が1942年に死去すると、ドイツ最高勲章である「ドイツ勲章」が追贈。
いわゆる「死の勲章」ですが、フリッツ・トートハイドリヒに次ぐ、3番目の受章者ですね。

Adolf Hühnlein.jpg

タイヤに乗った鷲がデザインの「ドイツ・モータースポーツ章」も金銀銅各種紹介されていますし、
フォルクスワーゲンを含む、自動車関連切手も大きく取り上げています。

Deutsches Motorsportabzeichen_1939 Auto Show Stamps.jpg

次は「DLV/NSFK」です。
DLVはDeutscher Luftsportverband(ドイツ航空スポーツ協会)の略であり、
1933年にSAのゲーリングとエルンスト・レームが責任者となって、
後のドイツ空軍パイロットらを養成した組織です。そして1937年には解体され、
NSFK、Nationalsozialistisches Fliegerkorps(国家社会主義航空軍団)となって、
少年パイロットなどの育成を行う準軍事組織に・・。
本書では、1943年まで軍団長を勤めたフリードリッヒ・クリスチャンセンと、
後任の軍団長、アルフレート・ケラーも写真付きで紹介します。

Friedrich Christiansen.jpg

体育着は色鮮やかですね。オレンジがかったイエローというか。。
インシグニアも独特のデザインです。

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航空機パイロット章(abzeichen für motorflugzeugführer)、各種・・。

Abzeichen für Motorflugzeugführer.jpg

そしてグライダーパイロット章(Segelfliegerabzeichen)、
バルーンパイロット章(Abzeichen für Freiballonführer)、といった、
見たことも聞いたこともないバッジを各種、取り揃えております。
いや~、これは凄い! とても勉強になります。

Grosses Segelflierabzeichen_Abzeichen für Freiballonführer.jpg

もうだいぶ良い感じになってしまいましたが、「SSと警察」の章がきました。
責任者として一応、ヒムラーダリューゲを紹介しています。
そして出ました。SSマークの体育着
白に黒かと思っていましたが、最初は褐色のナチス・カラーだったんですね。

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さらにエリート部隊である「ライプシュタンダルテ」だけは独自のインシグニアで勝負。
スポーツ・セーターの実物まで出てきましたが、ニットにジッパーなんてモダンなデザインです。

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SSスポーツ章」が出た後は、警察関連グッズです。
こちらの体育着は想像通りですね。緑のポリツァイ・マーク。

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バンバン行きましょう。お次は「ヒトラー・ユーゲント(HJ)」。
初代指導者フォン・シーラッハと2代目のアクスマンも写真付き。
そしてこの組織、ドイツ少女団「BDM(Bund Deutscher Mädel)」、
さらに男女の年少組織であるドイツ少年団「DJ (Deutsches Jungvolk)」と、
ドイツ幼女団「JM (Jungmädelgruppe)」も一緒くたで紹介します。
当初の体育着は男女とも、HJバッジのインシグニアです。

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しかし男子だけは後にデザイン変更したようで、腕章と同じヤツですね。

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また、Vol.1と同様にHJの海パン、それからBDMのいわゆるブルマーの実物も・・。
この路線が好きな人にはタマラン世界でしょう。ぜひ買ってみましょう。
個人的にはスイミング・キャップは可愛らしいと思いますけどね。

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表紙の女の子3人組の写真が出てきましたが、雪山でスキーやってるのに薄着だなぁ・・。
まぁ、若さのなせる業ですか。。
このページでは「HJ スキー・リーダー章」が紹介されました。

Hitler Jugend Skiführerabzeichen_Hitler Youth Expert Skier Badge.jpg

まだまだ、長袖のHJハンドボールチームのユニフォームもカラーで・・。
彼らが来日した時にも、こんなのを着て日本チームと戦ったのかも知れません。

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そして「HJ達成バッジ」各種に、金に輝くリーダー・バッジ、射撃バッジなど、
ドイツ少年団(DJ)のバッジも含めて紹介します。
子供はこういうの欲しさに頑張りますよね。

Goldenes Führer Sport-Abzeichen_HJ-Schiessauszeichnungen_Deutsche Jungvolks.jpg

女子の場合にも「BDM」、「JM」と、このようなランク付けのバッジを右胸に付けるのです。

BDM Leistungsanzeichen_Jungmädel Leistungsanzeichen.jpg

その他、競技会における1等賞記念グッズもタップリ・・。
一番スポーツをやってる世代ですし、人数も圧倒的に多いですから、
当時の写真も含め、この章に100ページと多くを割いていました。
雑誌の表紙では日本政府のプロパガンダ誌『写真週報』も・・。

Sport and the Third Reich II_10.jpg

続いては「DAF and RAD」。
DAFは、Deutsche Arbeitsfront(ドイツ労働戦線)、
RADは、Reichsarbeitsdienst (国家労働奉仕団)の略ですが、
RADはDAFの下部組織になりますね。
まずはロベルト・ライが指導者のDAF(ドイツ労働戦線)を紹介しますが、
奥さんのインゲさんが綺麗なだけに、ど~もこの人は好きになれません。。

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このDAFはもともとは労働者組合を解体してできた巨大組織で、
戦時中、労働者の90%、2000万人が加入していたと言われており、
速い話が軍務に就いていない健康な男女のほとんどが加入していたことになります。
そして工場や職場でのスポーツが激励され、DAFのインシグニアの体育着が誕生。
赤いサッカー・ユニフォームが印象的ですが、格好いいかは微妙。。
また、「NSBO(Nationalsozialistische Betriebszellenorganisation)」という
DAFの経営細胞組織の体育着インシグニアまで・・、激レアです。

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コーチなどは特別なシールド型のインシグニアを付けますが、
体育教師になるとさらに特殊なピン・バッジが・・。
しかしコレは、パッと見、「旭日旗」っぽいですよね。

Reichsverband deutscher Turn-.Sport- und Gymnastiklehrer Member Lapel Pin.jpg

RAD(国家労働奉仕団)の総裁はコンスタンチン・ヒールルという人物です。
この人は初めて知りましたが、1945年2月に生きたまま「ドイツ勲章」を受章していました。

Konstantin Hierl.jpg

17歳から25歳の若者を対象とした半年間の労働奉仕活動ですから、
インシグニアもシャベルです。

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女性の場合は、Reichsarbeitdienst der weiblichen Jugend (RAD/wJ)という
名称なだけに、シャベルはハーケンクロイツへと変更。
女性に肉体労働はやらせないぞ!・・というナチスらしいデザインの違いを感じます。

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最後の章は「その他の組織」ですが、これがまた馬鹿に出来ません。
まずはライヒスバーン(Deutsche Reichsbahn)。 ドイツ帝国鉄道??
それからライヒスポスト(Deutsche Reichspost)。 ドイツ帝国郵便って訳すんですかね。。

そして右にはお楽しみ、ドイツ赤十字(DRK、Deutsches Rotes Kreuz)の登場。

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まぁ、でも黒鷲&ハーケンクロイツに赤十字っていうのも、ちと怖いなぁ。
ぜひ優しく治療してください・・。

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「Deutsche Jägerschaft(ドイツ・ハンティング協会)」の
メダルやペナントなどの関連グッズまで出てきました。
ハンティングも当然、スポーツですが、仕切っているのも当然、狩猟長官のゲーリング

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いや~、コレはちょっと気になっていろいろと調べてみましたが、
本書には載ってないものの、緑の制服まであったり・・。

jägermeister  Göring.jpg

他にも「イエーガーマイスター・ゲーリング」のメダルも作られてたりして、
国家元帥は本業(空軍)を疎かにして、やりたい放題な感じですね。

REICHS JAGERMEISTER GORING MEDALLION.jpg

最後の最後はオマケとしてか、戦時中の米軍、
陸軍や海兵隊のスポーツ・グッズを紹介しています。

Sport and the Third Reich History, Uniforms, Insignia, and Awards.jpg

1回目はダーっと読んで、2回目は英語とドイツ語名称を調べながらジックリ・・。
当時の白黒写真もそれなりに多い本書ですが、
マイナーなバッジ類は初めて知った物が多くて、非常に楽しめました。
また、このVol.2に出てきた組織についても大変勉強になりました。
さすがにこのままのボリュームで翻訳版は無理だと思いますが、
カラーの実物写真を中心にした300ページほどの写真集を期待してしまいます。

そんなことを書きつつ、「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集-第654重戦車駆逐大隊」を
遂に昨日、買ってしまいました(「あまちゃんメモリアルブック」と一緒に・・) 。









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実録やくざ映画大全 [番外編]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

別冊映画秘宝編集部著の「実録やくざ映画大全」を読破しました。

去年の10月に紹介した「ナチス映画電撃読本」に続く、ムック形式の映画シリーズ第2弾。
戦争映画名作選 -第2次大戦映画ガイド-」という本も紹介したことがありますが、
4月に発刊された159ページの本書を偶然、本屋さんで見かけまして、
近頃も「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」でのヒロポンの件やら、
人間機雷「伏龍」特攻隊」に安藤昇が登場したりと、なにかとやくざ映画を思い出してました。
18歳の頃にはレンタルビデオでかなりの"実録やくざ映画"を観ましたから、
懐かしい思い出と共に、血湧き肉踊ってみたいと思います。

実録やくざ映画大全.jpg

巻頭には付録?として、渡哲也東映第一回主演作「仁義の墓場」のカラーポスターが・・。
うげっ、いきなり・・。この映画、特にラストシーンが強烈で・・。
キャッチコピーは「俺が死ぬ時はカラスだけが泣く!」
その後、16ページは「新聞広告に見る実録やくざ映画史」で、
1973年1月公開の「仁義なき戦い」がシリーズで登場。
ゴッドファーザーからバラキ、そして今、衝撃の話題は日本の≪仁義なき戦い≫へ!
な~るほど・・。実録路線が誕生したのはそういった背景があったんですね。

仁義の墓場.jpg

本書はその仁義なき戦い」から、1977年に公開された「北陸代理戦争」までの5年間、
東映が送り出した実録やくざ路線についてまとめたもので、
1960年代に一世を風靡した鶴田浩二、高倉健らの「任侠路線」が衰退し、
1972年には、「あさま山荘事件」の銃撃戦がTVで生中継というスクリーンの倦怠期に
戦後日本で起こった数々の暴力団抗争事件をテーマにしたアクション映画が
連続で大ヒットを飛ばしたのです。

そんな当時、ヴィトゲンシュタインはナニをしていたのかというと、
現役バリバリの小学生ですね。
洋画とアニメは映画館で観ていた映画大好き少年でしたが、日本映画はあまり好きじゃない・・。
初めて映画館で観たやくざ映画は1984年の「修羅の群れ」だったと思います。
いや~、実に面白かった。本書では残念ながら対象外の映画ですが、
コレがきっかけで本格的になったレンタルビデオで過去の実録やくざ映画を見倒しました。

修羅の群れ.jpg

一発目に紹介されるのは、すべてはここから始まったという「仁義なき戦い」です。
4ページに渡ってストーリーと、映画にまつわるエピソードが白黒写真タップリで・・。
この映画だけは中学生の頃だったか、TVで観た記憶があります。
なんといっても画面ブレブレのその場にいるかのような迫力と、
松方弘樹のような主演格の強面が菅原文太に殺されると勘違いして、
「ひゃあ~、やめろ~!」と裏声で叫ぶシーンが特に印象的でした。
それまでは拳銃突きつけられても「おぅ、撃てるもんなら撃ってみい!」
なんてのが当たり前の映画の世界で、このシーンはリアルだなぁ・・、
やくざでも撃たれると思ったら、やっぱり怖いんだなぁ・・と思ったものです。
この映画をご覧になっていない方でも、パァ~、パララ~♪ というテーマ曲はご存じでは?



2作目「広島死闘篇」は24歳で自決した実在のヒットマンが主役です。
そのヒットマン山中を演じるのは北大路欣也。ラストの拳銃をくわえるシーンはグッときます。
そしてもう一人、大友勝利を演じる千葉真一・・。
割り箸をくわえながら股間を掻きまくる下品かつ破天荒で強烈なインパクトを残します。
本書によるとキャスティングの段階では2人の役は逆で、脚本を読んだ欣也が
自分は山中の方が向いていると深作監督に直訴。
クランクイン直前に変更を告げられた千葉ちゃんは大揉めに揉めた末に折れた・・
というエピソードが。。結果オーライの気もしますね。

広島死闘篇.jpg

大ヒットとなって第3作の「代理戦争」の製作開始。
しかし当時の東映中堅俳優は総ざらえで第1作に出演していたため、
前2作で死亡してフェイドアウトしていた俳優が別の役で復活してきます。
梅宮辰夫に室田日出男、渡瀬恒彦といったお馴染みさんたちですね。
川谷拓三が広能(文太)への詫びに「手首ごと詰める」シーンは痛かったですね。。
面白いのはこの「手首を詰めた川谷拓三」がフィギアになっているところです。
いったい、誰が買うんでしょうか?

仁義なき戦い_フィギア.jpg

「代理戦争」の直接的な続編である第4作「頂上作戦」は
シリーズ完結編として製作が始まったそうです。
第1作でおもちゃ屋で殺された松方弘樹が肺を病んでいる設定の役で帰還。
どす黒いメイクと絶え間ない咳で、再び強烈なキャラを演じるも、やっぱり殺されて・・。
また、日活の大スター、小林旭も前作から参入して話題となります。

仁義なき戦い 頂上作戦.jpg

こうして大団円を迎えたはずの「仁義なき戦い」ですが、
東映は簡単に大ヒットシリーズを終わらせるつもりはなく、「完結編」を製作。
シリーズを支えた脚本家の笠原和夫が戦線離脱するものの、
第2作で自殺を遂げた北大路欣也が復活し、
「ヒッヒッヒ・・」と不気味に笑うキャラを演じるのは2度蘇った松方・・。
大友勝利を再び演じる予定だった千葉ちゃんは空手映画が目白押しでスケジュールが付かず、
代わりに「エースの錠」こと、宍戸錠が怪物を演じます。

仁義なき戦い 完結編.jpg

途中には平成22年に亡くなった、主役の文太演じる広能昌三のモデルとなった
美能幸三の会見記が掲載され、この仁義なき戦いの表と裏を知ることができます。

しかし完結してもまだまだ満足しない男たち。
男女入り乱れての過激なキャラで復活したのが「新・仁義なき戦い」シリーズです。
ストーリーは焼き直しのようですが、文太は狂犬キャラへと変貌するなど、
観たことなかったんですが、コレはコレで楽しそうですね。

新シリーズ2作目の「組長の首」も、山崎勉がヒロポン中毒の「厄ネタ」として
強烈な演技を見せつつ、ウルトラセブンの「アンヌ隊員」こと、ひし見ゆり子が
巨乳をご披露して、彼女を抱く男がことごとく死んでいく、
通称「下がりボンボン」を演じているそうです。マジかっ!
ちなみに「厄ネタ」とは、「物凄く迷惑な人」という意味だそうな・・。

新 仁義なき戦い・組長の首.jpg

76ページからは日本が誇るギャングスター、安藤昇。
「伏龍」特攻隊から帰って来てからは法政大学在学のまま、新宿・渋谷で暴れ回り、
「セイガクやくざ」の先駆けとなって、20代の若さで愚連隊・安藤組組長となった男。
彼の半生を紹介した後、「やくざと抗争 実録安藤組」へと続きます。
冒頭シーンでは当時47歳の安藤昇が、無理のある学ラン姿で昔の自分を演じます。。
「ホタテマン」に変身する前の安岡力也も張り切ってますね。

実録安藤組.jpg

その他、安藤昇主演作がいくつか紹介されていますが、
気になったのは「実録・私設銀座警察」です。
戦後間もない昭和21年~25年が舞台で、三国人(朝鮮人、台湾人)と、
それに対立する復員兵が入り乱れて、警察も手をこまねくほど治安は最悪・・。
そこでやくざや愚連隊が自警団的役割を・・という実録ストーリーです。
出だしに復員兵である渡瀬恒彦が妻のもとへと帰還するも、黒人兵と懇ろ・・。
そして明らかに黒人の血を引く赤ん坊を見つけると、フルスイングで窓の外へ放り出し、
不貞を働いた妻を撲殺! こうしておもむろにメインタイトルが・・。
いや~、恐ろしい映画ですねぇ。ちょうど6月にDVDが出てました。

実録・私設銀座警察.jpg

次は冒頭のポスターである「仁義の墓場」特集が10ページ。
渡瀬恒彦もチンピラやらせたら半端じゃありませんが、当時の兄貴もキレッキレ・・。
先日放送された「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ」の
兄弟共演の面影はまるでありません。。
「親分だろうが兄弟分だろうが、己の欲望を邪魔する奴には容赦なくドスを振るい、
麻薬漬けになった挙句、病死した愛人の骨をボリボリむさぼる、究極の厄ネタ」。
まぁ、「西部警察」の大門軍団観て育った世代ですが、この渡哲也はエグ過ぎます。
そして後味悪過ぎます。

そういえば「たけし軍団」とかにしても、人が集まるとなんで「軍団」なんでしょうかねぇ・・?
「師団」でもなければ、「軍」でもない・・。
このBlog的には3万人程度で「軍団」と認定します。と真面目に言ってみる。。
あ~、脇役の「ピラニア軍団」とか、「悪役商会」なんかも懐かしい響きですね。

仁義の墓場_渡哲也.jpg

さて、110ページから健さんが実録路線にやって来ました。
山口組三代目」と、「三代目襲名」です。
田岡一雄自伝を原作に彼の半生を描いた実録やくざ映画ですが、
主要となるエピソードは昭和初期であり、イメージ的には「任侠」っぽくもありますね。

山口組三代目.jpg

続いて出ました。「実録外伝 大阪電撃作戦」。
若い頃に観た「実録やくざ」モノの中では、個人的に一番好きな映画がコレで、
本書と一緒にDVDを買ってしまいました。
別に"電撃作戦"というタイトルに惹かれた・・というわけではありませんので。。

丹波哲郎組長に間違って絡んじゃったチンピラたちが、その逆鱗に触れ、
松方弘樹組長共々「人間狩り」に遇う・・という怖くて可哀そうなお話ですが、
狂気のチンピラ、渡瀬恒彦vs片目の殺し屋、目黒祐樹という
渡、松方の弟対決が実現。
特に目黒祐樹の怖さは人間じゃありませんでした。思い出すだけでブルブル・・。
20年以上前に観て以来ですから、楽しみな反面、
ツマンナカッタらどうしよう・・と不安な気持ちも。。

大阪電撃作戦.jpg

最後はやっぱり松方主演の「北陸代理戦争」です。
修羅の群れといい、大阪電撃作戦といい、やくざ映画では松方が一番好きなんですね。
ですから、本書を読んで観ていなかった映画は、ほとんど松方が出ていない映画でした。
当時はやくざ映画の解説本なんてなかったですしねぇ。

東映はコレ以降、文太が「実録モノはもう嫌」と漏らし、「トラック野郎」で大人気に、
また、鶴田浩二、三船敏郎といった大御所スターをキャスティングした「日本の首領」シリーズ、
80年代に入ると「二百三高地」や、「大日本帝国」といった大作ブームに突入するのでした。

大日本帝国.jpg

楽しい一冊でしたねぇ。
あくまで映画であるわけですが、そこは「実録」でもあり、
各々のストーリーだけでなく、元となった事件についても詳しく触れられていました。
一般に名作映画っていうのは大抵、素晴らしい「悪役」がいるものですが、
この「実録」の場合には、ほぼ全員が「悪役」なので、その定義には当てはまりません。
そこで強烈な「厄ネタ」が出てくる「実録」が評価されているような気がしました。

matukata_umemiya.jpg

映画の「悪役」ということだと、本書と同じ本屋で見つけた
モンスター大図鑑」という本も読みました。
著者は「ブルースブラザース」や、「狼男アメリカン」のジョン・ランディス。
またはマイケル・ジャクソンのPV「スリラー」の監督と言った方が良いでしょうか。
オールカラーで写真タップリ、リック・ベイカー、クリストファー・リー 、サム・ライミ、
デヴィッド・クローネンバーグ、そしてレイ・ハリーハウゼンらのインタビューも。
このような名前に反応される方なら、間違いなく楽しめます。
もうちょっと言えば、表紙のフランケンシュタインの怪物もボリス・カーロフではなく、
「ヤング・フランケンシュタイン」という遊び心が内容を物語っています。

モンスター大図鑑.jpg


「仁義なき戦い」は今年の3月にBlu‐ray BOX で発売されていましたが、
珍しくamazonのレビューがかなりの高評価で思わず欲しくなりました。
「大日本帝国」は観た記憶がないですね。今、ココ勉強中ですからどうしようかな・・。
ですが、とりあえず、「大阪電撃作戦」を楽しんでみようと思います。



















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