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ドイツ空軍全史 [ドイツ空軍]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ウィリアムソン・マーレイ著の「ドイツ空軍全史」を読破しました。

これまでにもルフトヴァッフェ興亡史のような本は何冊か読んできました。
ドイツ空軍、全機発進せよ!」、「ヒットラーと鉄十字の鷲 -WW2ドイツ空軍戦記-」、
攻撃高度4000 -ドイツ空軍戦闘記録-」なんかです。
ガーランドの「始まりと終わり」も、ある意味そうだと言えますね。
本書は1988年に朝日ソノラマ発刊、439ページの買い忘れていた1冊で、
2008年には学研M文庫から再刊されています。

ドイツ空軍全史.jpg

第1章「ドイツ空軍の創設と戦争準備」では、1930年代を通して、鉄鋼、アルミ、ゴムなど
原料物資のと外貨の不足によって、大規模な"戦略的"爆撃兵力を造り上げるには不十分であり、
大陸内の国家というドイツの戦略的条件があるため、陸軍が再軍備を優先的に握ったと解説。
これは海を隔てた英国と米国との比較がわかりやすかったですね。
特に米国の場合、最初に解決すべき問題はどのようにして戦域まで進出するかという、
兵站・補給の問題をまず考えなければならない一方、
ドイツはもともと戦域の中にあると言ってよく、眼の前の作戦と戦術の問題を
直ぐに解決する必要があった・・という説明です。

第1次大戦の開戦早々にはツェッペリン飛行船による英本土空襲と、
それに続く大型爆撃機によるロンドン空襲・・。
コレは「宮崎駿の雑想ノート」のやつですね。

over-londons-roofs_Zeppelin im Krieg.jpg

そして本書では「おでぶちゃん」と命名されている航空相ゲーリングと技術局長ウーデット
ルフトハンザの社長から航空省次官となったミルヒらが登場。

国防相のブロムベルクは新設の空軍には、「強烈な攻撃精神を持ったエリート将校団が必要」
と考え、第一級の陸軍将校と参謀幕僚を空軍に転属させるよう、取り計らいます。
空軍参謀総長候補はヴァルター・ヴェーファーと、フォン・マンシュタイン。。
ゲーリングはヴェーファーを選びますが、その彼が1936年に事故死すると、
今度はフランツ・ハルダーを推挙しようと考えます。
結局、ケッセルリンク、続いてイェショネクが後任の参謀総長になりますが、
イェショネクって陸軍大学を首席で卒業した超エリートだったんですねぇ。

Walther Wever.jpg

「ウラル重爆」と呼ばれた戦略爆撃思考だったヴェーファーの死によって
四発重爆であるDo-19と、Ju-89の開発が放棄されたという説に対し著者は
「それは事実ではない」とします。
開発中止の理由は、当時のドイツには高馬力のエンジンが無かった・・。
そんな英米よりも遅れていた再軍備の開発は1937年に、あのHe-177へ・・。
また、ミルヒと折り合いが悪いうえに、威張りかえった近視眼的なイェショネクは、
ヒトラーの魔力による支配下に陥り、「総統の史上最高の指揮能力」という文句を
頭から信じ込んでしまうのでした。

Do-19.jpg

第2章は「緒戦快勝、対英戦へ」。
ポーランド侵攻から西方電撃戦にまつわるドイツ空軍が描かれますが、
まずズデーテンラント問題などの政治的な状況もしっかりと解説し、
リヒトホーフェンが指揮するシュトゥーカ急降下爆撃機だけではなく、
ルントシュテットからグデーリアンといった陸軍の将軍に加え、
陸軍の装甲部隊の戦術についてもかなり言及します。
もちろんエーベン・エメール要塞攻略ダンケルクなど空軍の作戦もあるわけですが、
基本的には陸軍を空から補佐する戦術空軍であるために、
戦略的に見た時にはどうしても陸軍の戦略が基礎になるわけですね。

A formation of Junkers Ju-87 B.jpg

そして戦闘機部隊による「バトル・オブ・ブリテン」と、爆撃機部隊による「ロンドン爆撃」。
本書では「ドイツ空軍損失機比率」とか、「英独戦闘機パイロットの損耗実数対比」といった
表やグラフが掲載されているのが大きな特徴であり、
本文中にも細かい数字を挙げて、成否などを論じています。

German and British fighter planes engaged in an aerial battle appear in the sky over Kent.jpg

第3章は「ソ連侵攻作戦」です。
ここでもいきなりバルバロッサ!というわけではなく、独ソ不可侵条約など、
政治的な状況が語られた後、ムッソリーニのイタリア軍によるバルカン軍事行動が・・。
「ドイツにとって不運なことに、迷惑な事態が南の方で始まった」で始まるこの部分、
どんな本でもダメ出しされるイタリア軍ですが、本書も実に笑えます。

「陸軍は時代遅れの兵器と欠陥だらけの基本戦法を抱え、
海軍は最新鋭主力艦の増備は進めていたが、艦艇を実戦に使う意志に欠け、
空軍は保有機の数も正確に把握していない有様。
これはイタリア人の勇敢な性格とは関係がない。
戦うための存在ではないというイタリアの軍隊の性格が原因だった。
イタリアのある将軍が自分の軍隊生活を振り返ってこう述べている。
『素晴らしいスパゲッティが一生涯保障され、その上にいくらか楽しみがあれば、
誰もそれ以上は望まないものだ』」。

Mussolini testing a new type of gas bomb during a demonstration in Rome of various chemical weapons.jpg

さて、1941年6月22日に始まったバルバロッサ作戦も基本は陸軍の行動です。
マンシュタインの装甲軍団の進撃に陸軍参謀総長のハルダー、
そしてモスクワ前面での停止・・。
独立空軍であるにも関わらず、陸軍の間接支援を要求されるドイツ空軍は
広域な戦線と絶え間ない作戦の連続と移動によって整備機構に大きな問題が・・。
デミヤンスクで包囲された地上部隊を救うための空輸補給では
1日あたり延べ100機から150機が飛び、武器や食糧2万㌧以上と
兵員15000名を送り込み、負傷者2万人以上を救出します。
しかし輸送機兵力の30%に及ぶ、輸送機265機を喪失するのでした。

Demyansk Pocket.jpg

第5章「外周戦域敗退と連合軍航空攻勢」になってくると気分も重くなってきます。
東部戦線ではスターリングラードの危機が起こり、今度は不可能な空輸を求められ、
その結果、Ju-52が269機、He-111が169機、Ju-86が42機、He-177が5機・・など、
輸送機部隊が壊滅的な損害を被ります。
地中海でもアフリカ軍団の支援のために航空兵力を割かねばならず、
ドイツ本土は英爆撃機軍団によって空襲に晒されています。

Ju_52_approaching_Stalingrad_late_1942.jpg

そんななか空軍参謀総長のイェショネクが自殺。
著者は、「イェショネクは工業、兵站補給、技術の基盤を無視していた。
彼のこうした盲滅法なやり方が、空軍と祖国を絶望的な状況に導いていったのである」と
かなり辛辣に評価します。
その一方で、悪代官のように扱われることの多いミルヒについては評価している感じですね。

Göering_Jeschonnek.jpg

第6章「本土上空消耗戦」になってくると、カムフーバーガーランドといったドイツの将軍よりも、
攻める側、すなわち英空軍のハリスリー=マロリーテッダーらが前面に。
英米の「戦略爆撃」に対して、戦闘機で対抗したいドイツ空軍ですが、
攻め好きのヒトラーは戦闘機の量産は認めずに、爆撃機によるお返し戦術しか頭にありません。
やがて連合軍は圧倒的な航空勢力によって、ノルマンディに上陸するのでした。

Bremen im Bombenhagel der RAF.jpg

ここまで読んで、改めて「訳者あとがき」を読んでみるとこのように書かれています。
「ドイツ空軍とヒトラーの率いるドイツ第三帝国と、それを相手に戦った連合軍の
政略、戦略、戦闘、その背後の経済・生産力など広い範囲に及び、
単なる戦史を超えた戦史論評になっている」。

また、原著は1944年9月までであり、最後の第8章「最後の戦い」は
訳者さんが書き加えたそうで、報復兵器V-1、V-2からジェット戦闘機Me-262
エルベ特攻隊といったお馴染みの断末魔の様子を紹介します。

V2.jpg

著者は米空軍整備将校出身のオハイオ州立大で
軍事史・戦略史研究プログラム部長という肩書を持ち、原題は単に「ルフトヴァッフェ」ですが
このようにドイツ空軍以外の幅広い視点で研究されたもので
本書の「ドイツ空軍全史」というタイトルも含めて、好き嫌いは分かれると思います。
エース・パイロットの活躍や、各種戦闘機や爆撃機の詳細、またはその装備といったことを
期待している読者には不向きな内容ですが、
逆に世界史的観点から見たドイツ空軍とは・・?
といったことが知りたい読者にはとても興味深い1冊と言えるでしょう。





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