おかしなジパング図版帖 -モンタヌスが描いた驚異の王国- [番外編]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
宮田 珠己 著の「おかしなジパング図版帖」を読破しました。
去年の4月に出た192ページの本書は、神保町の三省堂に山積みになっていて
ちょっと立ち読みしたことを覚えています。
モンタヌスという名前は知りませんでしたが、どこか見たことのある図版で、
簡単に言えば、17世紀の鎖国時代の日本を想像で描いたものです。
当時、ヨーロッパで日本がどんな国だと思われていたのか・・?
またはタイトルどおり、シュールな図版そのものを楽しんでみる・・。
いずれにしても、気になる一冊ですから、
エイプリルフール・スペシャルとして紹介してみましょう。
「はじめに」では、モンタヌスについて簡単に述べられています。
1625年アムステルダム生まれで、教科書や歴史書など多くを出版。
1669年にオランダ使節の「江戸参府日記」や、その他の報告を元に通称「日本誌」を出版。
90点以上の挿絵を含むことで、日本のイメージが視覚的に伝わるようになったそうです。
しかし致命的な問題は、モンタヌス本人が日本に来なかったことと、
その挿絵も、絵描き職人が手持ち資料や文章から描いたということです。
とは言ってもモンタヌスの「日本誌」が日本を描いた最初というわけではなく、
1641年まで日本に滞在したフランソワ・カロンが1661年に「日本大王国志」を出版し、
本書にも「切腹」の挿絵が掲載されていました。
アルファベットが振られていて、Aが切腹する人、Bが介錯人、Eが僧侶、Fが近親者、
両端に沢山いるGは見物人です。。こんなに観られているのか・・。
「オランダ使節 珍妙な旅をする」の章では、謎の「オウネワリ城」が登場します。
小倉から豊後を経て、長崎に向かう途上で通過した城だそうで、
川に面した岩山に建つ、実に不気味なお城ですね。
次のページには九州のスモンギ(Smongy)にあるとされるオンナイス(Onnays)宮殿が。。
モンタヌスの地名表記は誤りが多く、これらはどこの城だかは不明だそうな・・。
本書の表紙、帯の上に絵が描かれているのは「使節を出迎える奉行の行列」です。
不思議な車輪のと派手な屋根の馬車はインパクト充分。
「へんてこな人々」として紹介されるのは「上流婦人」。
大きな扇を持った婦人に、下男の差す傘にスッポリと隠れた婦人。。
傘には覗き窓が付いているようですが、なんというか、火星人のようにも見えますし、
ついつい「きのこの山」を食べたくなりますね。
「武士と呼ばれる戦士たちの世界」では、「銃を担ぐ近衛兵」が良い味出してます。
本書では章の最初に2ページ程度の解説が書かれているほか、
図版ごとにキャプションというか、説明書きが書かれています。
しかしコレが、「どこか日本離れしている」とか、「微妙にズレていて面白い」、
「まるで中国のよう」、「微妙な違和感がある」、「でたらめである」、
「先端にイガイガのついた棒はなんだろう」、「微妙に変」という表現のオンパレードで、
説明と言うより、ヴィトゲンシュタインを含む「一般読者の単なる感想」レベルです。
タイトルからして、面白おかしく紹介したいのかも知れませんが、ちっょとなぁ。。
中盤には「ヨーロッパ人によるおもしろ日本地図」と題するコラムが・・。
日本を描いた最初の地図と呼ばれる1459年の「世界図」からカラーで紹介します。
言われなければとても日本とは思えないほど、形もメチャクチャですが、
1592年の「テイセラの日本図」になると、かなり日本らしくなります。
しかし北海道の存在は否定・・。
ヴィトゲンシュタインのせいではありませんが、北海道の方、なんかスイマセン。。
1621年になってヨーロッパの地図に北海道が登場しますが、これが実に壮大です。。
本州の2.5倍くらいありそうですね。
モンタヌスも「切腹」を描いていました。
腸がドロ~ン・・と飛び出して苦悶の表情を浮かべた、生々しい図版です。
個人的に気になるのは、右後方で両手を挙げて興奮し、制止されている人物です。
近親者なのか、エキサイトした見物人なのか・・??
長崎の「平戸城」はなかなか、それらしい雰囲気がありますね。
石垣や門なども日本らしく描かれていますが、モンタヌスの本文には、
「塔は7層にてピラミッド形を成し、先端に至るに従って次第に小さくなり・・」と書かれています。
「モンタヌス日本誌」は1925(大正14)年に翻訳されており、amazonでも古書が売っていました。
87,999円です。ひえ~・・。
また、2004年には柏書房から、「モンタヌス「日本誌」英語版」が出ていて、
これは図版96点を収録したフォリオ判(原寸大判)での完全復刻の英語版と、
復刻した1925年の日本語版のセットのようです。
定価は147,000円也・・。約15万円です。
「得体の知れない宗教」になると、モンタヌスの中でもインパクトNo.1かも知れない、
秀吉によって京都に建造された方広寺の大仏が登場します。
この大仏について調べてみると、16mの東大寺の大仏を凌ぐ、19mもの巨大さで、
1595年に建造されたものの、翌年の慶長伏見地震によって倒壊したそうです。
その後、再興されますが、1662年の地震で再び倒壊・・。
1667年に木造で再興されますが、1798年に落雷による火災で焼失・・。
「木をもって作られ、漆喰を塗り、銅を持って蔽い、二重の鍍金をなせるもの・・」
と、モンタヌスの本文には書かれているので、1代目か2代目の大仏でしょうか。
Bカップはあろうか・・という大仏も魅力的ですが、その手前両側で、
「門の両側に二つの恐るべき悪魔の巨像があり、手には小剣を持ち、腰には大剣をおび、
互いに睨み合いて、今や戦わんと構うるの如し・・」と、
読んだだけで仁王像と想像できる、この悪魔の巨像が可愛らしい。。
手はいっぱいあるし、武器を沢山抱えて、西洋のやんちゃな悪魔っぽいですね。
ちなみに隣の獅子像は「狛犬」のようです。
「観音像」になると、お魚の口から出てきました。
ここら辺りはもう、絵描き職人もヒンドゥー教とゴチャゴチャになっているようで、
ヒンドゥー教の神、ヴィシュヌの化身「マツヤ」と瓜二つ。
大阪にあるとされる「ヨーシー・グサルの殿堂」の猪顔の謎の神。
踏みつけられた鬼の切ない顔が印象的です。
しかしこれもやっぱり、ヴィシュヌの化身「ヴァラーハ」のパクリなのでした。。
江戸市内にあったとされる「黄金阿弥陀像」は、阿弥陀様が犬となってしまいました。
「頭は犬の如く、長い耳がある」との記述があるようですが、
著者は「犬の如く長い耳」という意味ではないか??と推察しています。
確かに阿弥陀如来像は耳たぶがベロ~ンと垂れ下がってますからねぇ。超福耳。
「ブサ像」のブサとは「仏陀」のことだそうですが、もはや説明不可能・・。
最後の章は日本で起こった歴史的事件が題材です。
1657年3月2日に江戸で発生し、江戸城天守閣も焼け落ちた「明暦の大火」。
そして織田信長が都から一哩離れたヅボ(Dubo)という村に美麗なる殿堂を建て、
そこに自己の肖像を置いたという、「信長像」。
かなりの美形男子ですね。
本書はモンタヌスの図版だけに特化したものではなく、
また、「研究書」といった類でもありません。
目線は現代の一般的な日本人であり、その可笑しさを突っ込もうというもので、
以前からモンタヌスをご存知で、真面目にモンタヌスを勉強したいという方には
不向きな一冊と言えるかも知れません。
しかし、著者の思いは一般の人にモンタヌスを広く知ってもらうことのようですから、
その意味ではある程度、成功していると言えるでしょう。
なんと言ってもオリジナルの本が高いですから。。
それにしても、無性に「きのこの山」が食べたくなりました。昔から大好きなんです。
最近、「大人のきのこの山」というのも売ってるんですが、買うのが恥ずかしい。。
宮田 珠己 著の「おかしなジパング図版帖」を読破しました。
去年の4月に出た192ページの本書は、神保町の三省堂に山積みになっていて
ちょっと立ち読みしたことを覚えています。
モンタヌスという名前は知りませんでしたが、どこか見たことのある図版で、
簡単に言えば、17世紀の鎖国時代の日本を想像で描いたものです。
当時、ヨーロッパで日本がどんな国だと思われていたのか・・?
またはタイトルどおり、シュールな図版そのものを楽しんでみる・・。
いずれにしても、気になる一冊ですから、
エイプリルフール・スペシャルとして紹介してみましょう。
「はじめに」では、モンタヌスについて簡単に述べられています。
1625年アムステルダム生まれで、教科書や歴史書など多くを出版。
1669年にオランダ使節の「江戸参府日記」や、その他の報告を元に通称「日本誌」を出版。
90点以上の挿絵を含むことで、日本のイメージが視覚的に伝わるようになったそうです。
しかし致命的な問題は、モンタヌス本人が日本に来なかったことと、
その挿絵も、絵描き職人が手持ち資料や文章から描いたということです。
とは言ってもモンタヌスの「日本誌」が日本を描いた最初というわけではなく、
1641年まで日本に滞在したフランソワ・カロンが1661年に「日本大王国志」を出版し、
本書にも「切腹」の挿絵が掲載されていました。
アルファベットが振られていて、Aが切腹する人、Bが介錯人、Eが僧侶、Fが近親者、
両端に沢山いるGは見物人です。。こんなに観られているのか・・。
「オランダ使節 珍妙な旅をする」の章では、謎の「オウネワリ城」が登場します。
小倉から豊後を経て、長崎に向かう途上で通過した城だそうで、
川に面した岩山に建つ、実に不気味なお城ですね。
次のページには九州のスモンギ(Smongy)にあるとされるオンナイス(Onnays)宮殿が。。
モンタヌスの地名表記は誤りが多く、これらはどこの城だかは不明だそうな・・。
本書の表紙、帯の上に絵が描かれているのは「使節を出迎える奉行の行列」です。
不思議な車輪のと派手な屋根の馬車はインパクト充分。
「へんてこな人々」として紹介されるのは「上流婦人」。
大きな扇を持った婦人に、下男の差す傘にスッポリと隠れた婦人。。
傘には覗き窓が付いているようですが、なんというか、火星人のようにも見えますし、
ついつい「きのこの山」を食べたくなりますね。
「武士と呼ばれる戦士たちの世界」では、「銃を担ぐ近衛兵」が良い味出してます。
本書では章の最初に2ページ程度の解説が書かれているほか、
図版ごとにキャプションというか、説明書きが書かれています。
しかしコレが、「どこか日本離れしている」とか、「微妙にズレていて面白い」、
「まるで中国のよう」、「微妙な違和感がある」、「でたらめである」、
「先端にイガイガのついた棒はなんだろう」、「微妙に変」という表現のオンパレードで、
説明と言うより、ヴィトゲンシュタインを含む「一般読者の単なる感想」レベルです。
タイトルからして、面白おかしく紹介したいのかも知れませんが、ちっょとなぁ。。
中盤には「ヨーロッパ人によるおもしろ日本地図」と題するコラムが・・。
日本を描いた最初の地図と呼ばれる1459年の「世界図」からカラーで紹介します。
言われなければとても日本とは思えないほど、形もメチャクチャですが、
1592年の「テイセラの日本図」になると、かなり日本らしくなります。
しかし北海道の存在は否定・・。
ヴィトゲンシュタインのせいではありませんが、北海道の方、なんかスイマセン。。
1621年になってヨーロッパの地図に北海道が登場しますが、これが実に壮大です。。
本州の2.5倍くらいありそうですね。
モンタヌスも「切腹」を描いていました。
腸がドロ~ン・・と飛び出して苦悶の表情を浮かべた、生々しい図版です。
個人的に気になるのは、右後方で両手を挙げて興奮し、制止されている人物です。
近親者なのか、エキサイトした見物人なのか・・??
長崎の「平戸城」はなかなか、それらしい雰囲気がありますね。
石垣や門なども日本らしく描かれていますが、モンタヌスの本文には、
「塔は7層にてピラミッド形を成し、先端に至るに従って次第に小さくなり・・」と書かれています。
「モンタヌス日本誌」は1925(大正14)年に翻訳されており、amazonでも古書が売っていました。
87,999円です。ひえ~・・。
また、2004年には柏書房から、「モンタヌス「日本誌」英語版」が出ていて、
これは図版96点を収録したフォリオ判(原寸大判)での完全復刻の英語版と、
復刻した1925年の日本語版のセットのようです。
定価は147,000円也・・。約15万円です。
「得体の知れない宗教」になると、モンタヌスの中でもインパクトNo.1かも知れない、
秀吉によって京都に建造された方広寺の大仏が登場します。
この大仏について調べてみると、16mの東大寺の大仏を凌ぐ、19mもの巨大さで、
1595年に建造されたものの、翌年の慶長伏見地震によって倒壊したそうです。
その後、再興されますが、1662年の地震で再び倒壊・・。
1667年に木造で再興されますが、1798年に落雷による火災で焼失・・。
「木をもって作られ、漆喰を塗り、銅を持って蔽い、二重の鍍金をなせるもの・・」
と、モンタヌスの本文には書かれているので、1代目か2代目の大仏でしょうか。
Bカップはあろうか・・という大仏も魅力的ですが、その手前両側で、
「門の両側に二つの恐るべき悪魔の巨像があり、手には小剣を持ち、腰には大剣をおび、
互いに睨み合いて、今や戦わんと構うるの如し・・」と、
読んだだけで仁王像と想像できる、この悪魔の巨像が可愛らしい。。
手はいっぱいあるし、武器を沢山抱えて、西洋のやんちゃな悪魔っぽいですね。
ちなみに隣の獅子像は「狛犬」のようです。
「観音像」になると、お魚の口から出てきました。
ここら辺りはもう、絵描き職人もヒンドゥー教とゴチャゴチャになっているようで、
ヒンドゥー教の神、ヴィシュヌの化身「マツヤ」と瓜二つ。
大阪にあるとされる「ヨーシー・グサルの殿堂」の猪顔の謎の神。
踏みつけられた鬼の切ない顔が印象的です。
しかしこれもやっぱり、ヴィシュヌの化身「ヴァラーハ」のパクリなのでした。。
江戸市内にあったとされる「黄金阿弥陀像」は、阿弥陀様が犬となってしまいました。
「頭は犬の如く、長い耳がある」との記述があるようですが、
著者は「犬の如く長い耳」という意味ではないか??と推察しています。
確かに阿弥陀如来像は耳たぶがベロ~ンと垂れ下がってますからねぇ。超福耳。
「ブサ像」のブサとは「仏陀」のことだそうですが、もはや説明不可能・・。
最後の章は日本で起こった歴史的事件が題材です。
1657年3月2日に江戸で発生し、江戸城天守閣も焼け落ちた「明暦の大火」。
そして織田信長が都から一哩離れたヅボ(Dubo)という村に美麗なる殿堂を建て、
そこに自己の肖像を置いたという、「信長像」。
かなりの美形男子ですね。
本書はモンタヌスの図版だけに特化したものではなく、
また、「研究書」といった類でもありません。
目線は現代の一般的な日本人であり、その可笑しさを突っ込もうというもので、
以前からモンタヌスをご存知で、真面目にモンタヌスを勉強したいという方には
不向きな一冊と言えるかも知れません。
しかし、著者の思いは一般の人にモンタヌスを広く知ってもらうことのようですから、
その意味ではある程度、成功していると言えるでしょう。
なんと言ってもオリジナルの本が高いですから。。
それにしても、無性に「きのこの山」が食べたくなりました。昔から大好きなんです。
最近、「大人のきのこの山」というのも売ってるんですが、買うのが恥ずかしい。。
関東大震災 [番外編]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
吉村 昭 著の「関東大震災」を読破しました。
先日の「写真集 関東大震災」を図書館で借りてみて、読了後すぐ、本書を買いました。
2004年に新装版として出た347ページの文庫ですが、もとは1977年発刊と古いもので、
帯でも「犠牲者20万人」と一般的な倍の数字で謳っていますが、
個人的には数字にこだわりのないタイプですからそれほど気になりません。
写真集での解説文でだいたいの概要は掴んだだけに、何とも言えない緊張感があります。
まずは大正4年、大正天皇の即位の大礼が行われた日、東京で35回もの地震が起こります。
これを憂慮するのは東大助教授で地震学者の今村明恒。
今後、大地震が起こることは充分に予想されると記者に語る今村に、
上司の大森教授は「軽率な方言だ」と反対の態度を取ります。
あ~、これは1か月前にNHKで見た、関東大震災の再現ドラマと一緒ですね。
こうして42ページからその時・・大正12年9月1日、関東大震災の発生です。
震源地は相模湾。小田原や箱根、横須賀は上下動の烈震に見舞われ、
崖は崩れ、橋は落ち、家屋は倒壊します。
横浜のレンガ造りの洋館も耐久性がないために崩壊し、
グランドホテルやオリエンタルホテルは轟音と共に崩れ、多くの外国人が即死・・。
横浜裁判所では末永所長以下100名以上が圧死します。
また鎌倉でも被害は甚大で、700年前に造られた大仏が40㎝近くも前にせり出します。
上野の大仏は頭が落っこちてしまいましたが、鎌倉のは大きさが違いますからねぇ。
ついモアイ像が歩いた・・って話を思い出しました。
メインとなるのは東京の状況です。
本書では被災にあった人々の回想を抜粋しながら進みますので、臨場感がありますね。
ここでは浅草の映画館で西部劇を観ていた14歳の少年の回想があり、
東京名物である十二階建ての「凌雲閣」が左右に揺れながら倒壊する姿を目撃し、
象などもいたことで知られる花屋敷からは、さまざまな鳥類が飛び交い、
獣類を射殺するらしき銃撃音も聞こえてきます。
11時58分という時間だけあって、竈や七輪に火をおこしてお昼の支度の真っ最中。
倒壊した木造家屋のあちこちから火の手が上がります。
今のように、ガスを止めて・・って簡単にはいかないんでしょう。
本所菊川、日本橋に京橋、入谷に蔵前といった場所から起こった火災は
火の勢いを強めながら東京市を焦土に変えていきます。
消防隊も奮戦しますが、水道が至る所で破壊されており、
避難民の群衆にも妨げられて苦戦・・。
猛火に包まれて22名の殉職者を出し、124名の重軽症者を出すのでした。
ここで東京市の死者、行方不明者68660人という「写真集」と同じ数字を挙げてますが、
そうなると「20万」というのは辻褄が合わなくなりますね。
「旧陸軍被服廠跡地」に避難してきた人々。
町々が徐々に焼き払われて火が迫ってきます。
そして火の粉が降りかかり始めると、大八車などで持ち込んでいた家具や荷物が
激しく燃え上がります。やがて烈風が起こり、それは大旋風へと変化。
トタンや布団だけではなく、家財や人も巻き上げられます。
この地獄を生き残った18歳の少女は、老婆を背負った男がそのまま空中に・・、
また荷を積んだ馬車が馬と共に回転しながら舞い上がるのを見たと証言します。
被服廠跡ではこのような炎の大旋風が度々発生し、その都度、人々は逃げまどいます。
死体を踏み潰しながら右往左往し、倒れれば後ろの群衆に踏み潰される・・。
また酸素が奪われて窒息・・、まるでドレスデン空襲の状況そっくりですね。
このようにして38000人が死亡するのでした。
同様な惨事が起こった場所として詳しく紹介されるのは、「吉原公園」です。
前夜は新吉原に遊客が驚くほど多く、ここで働く遊女たちの眠りも深い正午の大地震。
倒壊する娼家が続出し、生きて這い出してきた彼女たちも火災から逃れようと、
唯一の避難地である吉原公園に寝間着一枚で走ります。
しかし周囲の家も焼け始め、電信柱も炎を上げるようになると
「熱いよう」、「助けてえ」と泣くような叫び声が・・。
熱さに耐えきれなくなって弁天池に飛び込み出しますが、
200坪ほどの池は泥深く、中央部は4m近い深さがあります。
園内に持ち込まれた家具にに火がつくと、娼婦たちの髪油の塗られた頭髪にも火がつき、
池に飛び込む者の数を増し、岸辺にいた娼婦たちは段々と中央へ押し出され・・。
溺れかけた娼婦は別の娼婦の方につかまり、また他の娼婦がしがみつき、
数珠つなぎのようにして必死に争いながら490名が命を落としたのです。
東京の16の新聞社も13社が焼失してしまい、9月5日まで一切の新聞は発行されません。
電話局も大きな被害を受け、ラジオもTVもインターネットもないこの時代、
被災者は現状を理解する術がまったくないのです。
「津波が来る」などといった流言が人々の口に伝わると、
地方新聞もそのまま引用し、「上野の山に大津波が襲来した」や、
遠方から東京、横浜の空に渦巻く煙と炎を眺めて、「富士山大爆発」の記事も。。
巣鴨や市ヶ谷、横浜といった場所には刑務所もあり、それらも倒壊して囚人は脱獄も可能。
「囚人が集団脱走し、婦女強姦と略奪を繰り返してる」との噂も流れ、
近隣住民も脅えます。
他にも「社会主義者が朝鮮人と協力して放火している」との流言に触れられると、
ここから「朝鮮人襲来説」について詳しく書かれます。
つまり1918年に第1次世界大戦が終わり、ロシアではレーニンのボルシェヴィキが台頭。
日本にもコミンテルンに承認された共産党が誕生しますが、政府は苛酷な弾圧を試みて
大震災の3ヵ月前には共産党員の検挙を実施。
また大陸に対する軍事基地的意味合いから統監府を設置して朝鮮を支配下に。
特に朝鮮農民たちの不満は強く、初代統監、伊藤博文が安重根に暗殺されます。
そんな状況下で憎悪を持って日本内地に流れ込んできた朝鮮人労働者たち。
そういえば7月に行われたサッカーの日韓戦でも安重根の巨大肖像画が話題になりましたね。
まぁ、「世界のナベアツ」にクリソツという評判もありましたっけ。。
いずれにしても震災当日の夜から「朝鮮人放火す」という声が横浜からあがると、
「朝鮮人強盗す」、「朝鮮人強姦す」と変化し、殺人や井戸へ劇薬を投じているとエスカレート。
横浜から東京へと避難する人々とともに噂は怪物へと成長します。
内容もより具体的となり、「いま、不逞朝鮮人千人ばかりが六郷川を渡って襲撃してきた」
と大声で叫びながら自転車で走り去る男・・。
その他、「上野駅の焼失は、朝鮮人2名が石油にて放火せる結果なり」など、
今なら震災の起こった時に「拡散希望」とかで変なメールを出す輩と一緒ですね。
どの時代にも愉快犯みたいなアホがいるもんです。
しかし「不逞」ていうのは、よく「ふてえ野郎だ!」と言うのと同じ意味なんだか。。
この恐怖に被災者救援活動を行っていた在郷軍人会や青年団は自警団へと変身し、
日本刀や匕首、猟銃、拳銃で武装を開始します。
隊を組んで町を巡回し、通行中の人々を路上で尋問。
「国歌を唄ってみろ」とか、「いろはがるたを口にせよ」と命じて、間違えようものなら
日本人ではないと判定されて、暴行、縛り上げ、日本刀で文字通り一刀両断することも・・。
まるで「バルジの戦い」でスコルツェニーに脅えた米軍状態ですね。。
「カブスがアメリカン・リーグなどと言うヤツはドイツ野郎に違いない!」
警察は当初から朝鮮人襲来は事実ではないと自警団に訴えますが、
政府は231人の朝鮮人が殺害されたと発表。
しかし後の調査ではその10倍にも及んだと、いくつかの数字も挙げ、
また突然、囲まれたことでシドロモドロになったり、訛りのある秋田県人などが
「不逞朝鮮人」と勘違いされて悲惨も殺されています。
後半、280ページからは「復興へ」。
そう言うのは簡単ですが、まずやらなければならないことは「死体処理」です。
遺体は家族・縁者に引き渡すことが原則ではあるものの、ほとんどが焼死体・・。
しかも9月の初旬であってはすぐに腐乱してしまいますし、疫病が蔓延することも。
死体集めの作業員は、道路工事の労働者の賃金が2円30銭が相場のこの時代に
倍以上の5円と破格で募集。しかも3食弁当付きです。
被服廠跡では88人が集まりますが、あまりの惨状に嘔吐を繰り返し、
その日の午後まで残っていたのはわずか4名です。弁当付けるなよ・・。
このようにして集められた遺体は9月9日から3日間で焼却され、
火葬に付された骨は3mの高さにも達します。
これ以上に困難だったのは河川に漂い流れてた溺死体。
それが終わると、やっと倒壊したビルの瓦礫の下の圧死体の回収が・・。
焼け野原に建てられ始めたバラックでの市民の新生活も衛生状態は悪く、
特にトイレの類はヒドイもんです。もう書きたくないなぁ。
それから泥棒などの犯罪の増加に、女性を誘拐して売春婦として売り飛ばす悪党も出現。
9月10日には早くも米軍艦ブラックホークと、英軍艦ホーキンスが
食糧や燃料などの救援物資を満載して、品川沖に到着します。
その後は800万ドルもの募金と30隻の輸送船が日本に送りこまれますが、
ソ連汽船「レーニン号」だけは簡単にはいきません。
中央執行委員会議長カリーニンの命令によって、ウラジオストックから
食料と医薬品を積み込んだレーニン号ですが、
日本政府としては援助はありがたくも、天皇を中心に構成された日本の国家体制を
完全に否定する性格を持つ、共産主義思想のソ連から救援は迷惑なのです。
そして12日に横浜港へやって来た厄介者。
闇夜に紛れて扇動者を上陸させられないよう、戦艦「伊勢」が睨みを利かせます。
結局は気持ちだけ有難く頂戴して、お引き取り願うことに・・。
中だるみの無い一冊でした。
震災そのものも、非常に生々しい回想を中心に細かい数字も掲載。
2人の地震学者のエピソードに、端折りましたが、憲兵隊の起こした「大杉事件」も。
日本史にも弱い人間ですから大正12年と書くとピンときませんが、
1923年とすれば、ドイツやロシア/ソ連の状況もいくらかわかります。
その意味でも共産党やレーニン号の話は勉強になりましたし、
朝鮮占領の件も同様です。
「朝鮮人襲来」説は読みながらもいろいろと調べてみましたが、
「関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実」という本など、
案の定、本書とは違う見解も世の中には根強くあるようです。
今回、当時の「新愛知新聞 号外(9月4日付)」をあえて載せてみましたが、
地方の新聞社がどれだけ正確な情報を摑めたのか、あるいは流言なのかは
本書を読む限り、やはり怪しいなぁと思います。
新聞に書いてあるから正しいって解釈はちょっとどうでしょうね??
朝鮮人襲来があった、朝鮮人虐殺があった・・、
まぁ、そういうことにしたい人の気持ちはわからなくもないですが・・。
吉村 昭 著の「関東大震災」を読破しました。
先日の「写真集 関東大震災」を図書館で借りてみて、読了後すぐ、本書を買いました。
2004年に新装版として出た347ページの文庫ですが、もとは1977年発刊と古いもので、
帯でも「犠牲者20万人」と一般的な倍の数字で謳っていますが、
個人的には数字にこだわりのないタイプですからそれほど気になりません。
写真集での解説文でだいたいの概要は掴んだだけに、何とも言えない緊張感があります。
まずは大正4年、大正天皇の即位の大礼が行われた日、東京で35回もの地震が起こります。
これを憂慮するのは東大助教授で地震学者の今村明恒。
今後、大地震が起こることは充分に予想されると記者に語る今村に、
上司の大森教授は「軽率な方言だ」と反対の態度を取ります。
あ~、これは1か月前にNHKで見た、関東大震災の再現ドラマと一緒ですね。
こうして42ページからその時・・大正12年9月1日、関東大震災の発生です。
震源地は相模湾。小田原や箱根、横須賀は上下動の烈震に見舞われ、
崖は崩れ、橋は落ち、家屋は倒壊します。
横浜のレンガ造りの洋館も耐久性がないために崩壊し、
グランドホテルやオリエンタルホテルは轟音と共に崩れ、多くの外国人が即死・・。
横浜裁判所では末永所長以下100名以上が圧死します。
また鎌倉でも被害は甚大で、700年前に造られた大仏が40㎝近くも前にせり出します。
上野の大仏は頭が落っこちてしまいましたが、鎌倉のは大きさが違いますからねぇ。
ついモアイ像が歩いた・・って話を思い出しました。
メインとなるのは東京の状況です。
本書では被災にあった人々の回想を抜粋しながら進みますので、臨場感がありますね。
ここでは浅草の映画館で西部劇を観ていた14歳の少年の回想があり、
東京名物である十二階建ての「凌雲閣」が左右に揺れながら倒壊する姿を目撃し、
象などもいたことで知られる花屋敷からは、さまざまな鳥類が飛び交い、
獣類を射殺するらしき銃撃音も聞こえてきます。
11時58分という時間だけあって、竈や七輪に火をおこしてお昼の支度の真っ最中。
倒壊した木造家屋のあちこちから火の手が上がります。
今のように、ガスを止めて・・って簡単にはいかないんでしょう。
本所菊川、日本橋に京橋、入谷に蔵前といった場所から起こった火災は
火の勢いを強めながら東京市を焦土に変えていきます。
消防隊も奮戦しますが、水道が至る所で破壊されており、
避難民の群衆にも妨げられて苦戦・・。
猛火に包まれて22名の殉職者を出し、124名の重軽症者を出すのでした。
ここで東京市の死者、行方不明者68660人という「写真集」と同じ数字を挙げてますが、
そうなると「20万」というのは辻褄が合わなくなりますね。
「旧陸軍被服廠跡地」に避難してきた人々。
町々が徐々に焼き払われて火が迫ってきます。
そして火の粉が降りかかり始めると、大八車などで持ち込んでいた家具や荷物が
激しく燃え上がります。やがて烈風が起こり、それは大旋風へと変化。
トタンや布団だけではなく、家財や人も巻き上げられます。
この地獄を生き残った18歳の少女は、老婆を背負った男がそのまま空中に・・、
また荷を積んだ馬車が馬と共に回転しながら舞い上がるのを見たと証言します。
被服廠跡ではこのような炎の大旋風が度々発生し、その都度、人々は逃げまどいます。
死体を踏み潰しながら右往左往し、倒れれば後ろの群衆に踏み潰される・・。
また酸素が奪われて窒息・・、まるでドレスデン空襲の状況そっくりですね。
このようにして38000人が死亡するのでした。
同様な惨事が起こった場所として詳しく紹介されるのは、「吉原公園」です。
前夜は新吉原に遊客が驚くほど多く、ここで働く遊女たちの眠りも深い正午の大地震。
倒壊する娼家が続出し、生きて這い出してきた彼女たちも火災から逃れようと、
唯一の避難地である吉原公園に寝間着一枚で走ります。
しかし周囲の家も焼け始め、電信柱も炎を上げるようになると
「熱いよう」、「助けてえ」と泣くような叫び声が・・。
熱さに耐えきれなくなって弁天池に飛び込み出しますが、
200坪ほどの池は泥深く、中央部は4m近い深さがあります。
園内に持ち込まれた家具にに火がつくと、娼婦たちの髪油の塗られた頭髪にも火がつき、
池に飛び込む者の数を増し、岸辺にいた娼婦たちは段々と中央へ押し出され・・。
溺れかけた娼婦は別の娼婦の方につかまり、また他の娼婦がしがみつき、
数珠つなぎのようにして必死に争いながら490名が命を落としたのです。
東京の16の新聞社も13社が焼失してしまい、9月5日まで一切の新聞は発行されません。
電話局も大きな被害を受け、ラジオもTVもインターネットもないこの時代、
被災者は現状を理解する術がまったくないのです。
「津波が来る」などといった流言が人々の口に伝わると、
地方新聞もそのまま引用し、「上野の山に大津波が襲来した」や、
遠方から東京、横浜の空に渦巻く煙と炎を眺めて、「富士山大爆発」の記事も。。
巣鴨や市ヶ谷、横浜といった場所には刑務所もあり、それらも倒壊して囚人は脱獄も可能。
「囚人が集団脱走し、婦女強姦と略奪を繰り返してる」との噂も流れ、
近隣住民も脅えます。
他にも「社会主義者が朝鮮人と協力して放火している」との流言に触れられると、
ここから「朝鮮人襲来説」について詳しく書かれます。
つまり1918年に第1次世界大戦が終わり、ロシアではレーニンのボルシェヴィキが台頭。
日本にもコミンテルンに承認された共産党が誕生しますが、政府は苛酷な弾圧を試みて
大震災の3ヵ月前には共産党員の検挙を実施。
また大陸に対する軍事基地的意味合いから統監府を設置して朝鮮を支配下に。
特に朝鮮農民たちの不満は強く、初代統監、伊藤博文が安重根に暗殺されます。
そんな状況下で憎悪を持って日本内地に流れ込んできた朝鮮人労働者たち。
そういえば7月に行われたサッカーの日韓戦でも安重根の巨大肖像画が話題になりましたね。
まぁ、「世界のナベアツ」にクリソツという評判もありましたっけ。。
いずれにしても震災当日の夜から「朝鮮人放火す」という声が横浜からあがると、
「朝鮮人強盗す」、「朝鮮人強姦す」と変化し、殺人や井戸へ劇薬を投じているとエスカレート。
横浜から東京へと避難する人々とともに噂は怪物へと成長します。
内容もより具体的となり、「いま、不逞朝鮮人千人ばかりが六郷川を渡って襲撃してきた」
と大声で叫びながら自転車で走り去る男・・。
その他、「上野駅の焼失は、朝鮮人2名が石油にて放火せる結果なり」など、
今なら震災の起こった時に「拡散希望」とかで変なメールを出す輩と一緒ですね。
どの時代にも愉快犯みたいなアホがいるもんです。
しかし「不逞」ていうのは、よく「ふてえ野郎だ!」と言うのと同じ意味なんだか。。
この恐怖に被災者救援活動を行っていた在郷軍人会や青年団は自警団へと変身し、
日本刀や匕首、猟銃、拳銃で武装を開始します。
隊を組んで町を巡回し、通行中の人々を路上で尋問。
「国歌を唄ってみろ」とか、「いろはがるたを口にせよ」と命じて、間違えようものなら
日本人ではないと判定されて、暴行、縛り上げ、日本刀で文字通り一刀両断することも・・。
まるで「バルジの戦い」でスコルツェニーに脅えた米軍状態ですね。。
「カブスがアメリカン・リーグなどと言うヤツはドイツ野郎に違いない!」
警察は当初から朝鮮人襲来は事実ではないと自警団に訴えますが、
政府は231人の朝鮮人が殺害されたと発表。
しかし後の調査ではその10倍にも及んだと、いくつかの数字も挙げ、
また突然、囲まれたことでシドロモドロになったり、訛りのある秋田県人などが
「不逞朝鮮人」と勘違いされて悲惨も殺されています。
後半、280ページからは「復興へ」。
そう言うのは簡単ですが、まずやらなければならないことは「死体処理」です。
遺体は家族・縁者に引き渡すことが原則ではあるものの、ほとんどが焼死体・・。
しかも9月の初旬であってはすぐに腐乱してしまいますし、疫病が蔓延することも。
死体集めの作業員は、道路工事の労働者の賃金が2円30銭が相場のこの時代に
倍以上の5円と破格で募集。しかも3食弁当付きです。
被服廠跡では88人が集まりますが、あまりの惨状に嘔吐を繰り返し、
その日の午後まで残っていたのはわずか4名です。弁当付けるなよ・・。
このようにして集められた遺体は9月9日から3日間で焼却され、
火葬に付された骨は3mの高さにも達します。
これ以上に困難だったのは河川に漂い流れてた溺死体。
それが終わると、やっと倒壊したビルの瓦礫の下の圧死体の回収が・・。
焼け野原に建てられ始めたバラックでの市民の新生活も衛生状態は悪く、
特にトイレの類はヒドイもんです。もう書きたくないなぁ。
それから泥棒などの犯罪の増加に、女性を誘拐して売春婦として売り飛ばす悪党も出現。
9月10日には早くも米軍艦ブラックホークと、英軍艦ホーキンスが
食糧や燃料などの救援物資を満載して、品川沖に到着します。
その後は800万ドルもの募金と30隻の輸送船が日本に送りこまれますが、
ソ連汽船「レーニン号」だけは簡単にはいきません。
中央執行委員会議長カリーニンの命令によって、ウラジオストックから
食料と医薬品を積み込んだレーニン号ですが、
日本政府としては援助はありがたくも、天皇を中心に構成された日本の国家体制を
完全に否定する性格を持つ、共産主義思想のソ連から救援は迷惑なのです。
そして12日に横浜港へやって来た厄介者。
闇夜に紛れて扇動者を上陸させられないよう、戦艦「伊勢」が睨みを利かせます。
結局は気持ちだけ有難く頂戴して、お引き取り願うことに・・。
中だるみの無い一冊でした。
震災そのものも、非常に生々しい回想を中心に細かい数字も掲載。
2人の地震学者のエピソードに、端折りましたが、憲兵隊の起こした「大杉事件」も。
日本史にも弱い人間ですから大正12年と書くとピンときませんが、
1923年とすれば、ドイツやロシア/ソ連の状況もいくらかわかります。
その意味でも共産党やレーニン号の話は勉強になりましたし、
朝鮮占領の件も同様です。
「朝鮮人襲来」説は読みながらもいろいろと調べてみましたが、
「関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実」という本など、
案の定、本書とは違う見解も世の中には根強くあるようです。
今回、当時の「新愛知新聞 号外(9月4日付)」をあえて載せてみましたが、
地方の新聞社がどれだけ正確な情報を摑めたのか、あるいは流言なのかは
本書を読む限り、やはり怪しいなぁと思います。
新聞に書いてあるから正しいって解釈はちょっとどうでしょうね??
朝鮮人襲来があった、朝鮮人虐殺があった・・、
まぁ、そういうことにしたい人の気持ちはわからなくもないですが・・。
タグ:関東大震災
写真集 関東大震災 [番外編]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
北原 糸子 編の「写真集 関東大震災」を読破しました。
生まれも育ちも東京下町であるヴィトゲンシュタインは、ルーツともいえる家族の過去、
東京大空襲や関東大震災には興味がありつつも、敢えて目をそらしてきました。
今年に入っていろいろと戦時中の日本や、東京の文化も挑戦しているところですが、
先日、「東京大空襲: 未公開写真は語る」という写真集も読みましたし、
NHKで関東大震災のドキュメンタリーを観たのをキッカケに、本書を読んでみることに。
この2010年発刊で419ページの大型写真集は、お値段ナント12600円です。
ですが図書館にありました。ヨカッタ、ヨカッタ。
それでは700枚の写真をじっくりと・・。
まずは10ページほど「解説」です。
住家被害が37万棟、死者、行方不明者数が10万余といった数字が挙げられ、
本書の対象となる東京市の死者68660人(うち焼死65902人)。
横浜市の死者26623人(うち焼死24646人)だそうです。
まぁ、ほとんどが焼死ってことですね。11時58分というお昼時だったのも理由でしょう。
1923年(大正12年)9月1日に発生したこの大地震。
ドイツでは、この2ヵ月後にヒトラーが「ミュンヘン一揆」を起こしたという時期です。
そして東京編の第1章は「航空写真」で、詳しいキャプションと共に41枚が掲載。
第2章はメインとなる「建物被害」で当時の「区」ごとに写真が出てきました。
最初は「麹町区・神田区」。
もちろん今はこんな「区」はありませんが、本書では「現在の千代田区に該当する」と
親切な解説付きです。
また、区分けされた地図には写真の番号が書かれ、
写真の撮られた場所がわかるようになっています。
日比谷方面の火流に呑まれ炎上する東京会館、帝国劇場、警視庁の写真が数枚。
1ページに1枚~3枚の写真が掲載され、大型本ですから迫力がありますね。
大手町付近にあった大蔵省や内務省は、門や一部の壁面を除いて焼失。
最近、当時の姿に戻った東京駅は震害を免れます。
しかし22年後の東京大空襲で焼けてしまうんですね。
有楽町から神田にかけて、被害は大きくなり、神田明神は影もありません。知らなかった・・。
御茶ノ水付近も湯島聖堂が焼け、ニコライ堂もドームを焼失しています。
子供の頃には鉄道博物館だった万世橋駅の残骸も印象的です。
ここら辺りは歩いて行けた場所ですから、特に感慨深いですが、
できれば、見たことのない焼失前の写真(洋風な煉瓦造りの姿など)があると、
より良いですね。当時と今を比較した「バルジの戦い」みたいに、
震災前と震災後、そして復興後・・なんて感じで・・。
続いて「日本橋区・京橋区」。現在の中央区が該当します。
日本橋そのものは軽微な震害で済んでいますが、
外観は留めているものの「三越」は焼けてしまっています。
赤レンガの外観だったという「丸善」は大倒壊した無残な姿・・。
塔屋のあった「白木屋」も酷い有り様ですが、震災前の美しい写真が掲載されていました。
赤レンガ街だったという銀座も同様です。
建設中の「松屋」、銀座4丁目交差点の「三越」はまだなく、この場所にあった
山崎高等洋服店が焼け落ちています。
歌舞伎座はギリギリで焼け残っていますが、やっぱり東京大空襲の餌食に。。
「浅草区・下谷区」は、よりヴィトゲンシュタインの実家に近づいてきます。
現在の台東区に当たるこの部分は、レンガ造りだった浅草仲見世が焼け落ちた写真から・・。
10代の頃、ダブルデートした「花屋敷」も。。右の写真です。
左上の吾妻橋とそれを渡った先の下の写真、「サッポロビール工場」も半壊していますが、
「エビスビール」などの旗が立って、即席ビアホールが営業中。
まだ9月初めの暑い時期とはいえ、逞しいですね。
その左上の写真の現在の姿です。
浅草の十二階で知られる「凌雲閣」は明治23年に竣工したシンボルタワーです。
しかし八階から上が崩壊し、多数の犠牲者が出たそうです。
う~ん。こんな時に展望台にいた人々は不運だったとしか言いようがありません。。
その後、工兵隊によって爆破処理されますが、
下町の人間にとっては再建してもらいたい建物のひとつです。
ヴィトゲンシュタインが物心ついた頃から母親と毎週のように行っていた「上野松坂屋」。
角の玄関部分を残して燃え尽きています。
「焼亡」という表現が使われていますがショックだなぁ。こんな写真は初めて見ました。
また、上野駅も猛火によって焼失していました。
焼ける前の松坂屋の雄姿です。
「本所区・深川区」は隅田川の向こう、現在の墨田区南半と江東区西半です。
外廓だけ残った「国技館」の姿は印象的。
そして4万人弱の被害者を出した「旧陸軍被服廠跡地」の写真。
2万坪の広大な避難所へ家財道具を持ち込んだ大勢の避難者に四方から火災が襲い掛かり、
家財道具に引火して、まさに火炎地獄と化した場所です。
「芝区・赤坂区・四谷区・牛込区」は港区の北半と新宿区の東半になります。
下町ほど火災の被害はないものの、市ヶ谷台の「陸軍士官学校」が部分的に崩壊し、
内部の御座所の被害写真も出てきました。
また、小石川の工兵工廟は大被害を受け、その後に移転。
跡地は後楽園球場になるわけですね。
「本郷座」という劇場が半壊した写真が出てきましたが、
これは本郷3丁目にあった著名な劇場だそうです。
近所に住んでて聞いたこともないという・・。
突然、「本郷区」に入っていますが、「東京帝都大学」の被害写真も数枚。
そういえば「帝都物語」っていう映画がありましたねぇ。
なぜか当時、観ていませんが、なんでだろう。
フィクションで描かれているのが生理的に嫌だったのかも知れません。
今なら観てみたいですけどね。
ここまで165ページが被害写真。そして「避難・救援・支援」の写真へ。
震災当日の上野公園の様子。50万人の避難民が押し寄せたと、まるで花見のようです。
30万人が避難したのは二重橋前。写真ではコッチの方がごった返していますね。
上野駅が焼けてしまったので、東北に向かう避難者は日暮里や田端駅から郷里へ。
江戸時代からの大遊郭で知られる「吉原」も花魁たちが「弁天池」に飛び込んで大勢亡くなります。
池に浮かんだ死体の写真。
500人ほどの死者が出たということですが、
子供の頃に父親から聞いた、近くの不忍池に大勢が飛び込んで死んだという話は、
実はこの吉原の弁天池のことなんじゃないか・・?? と思いました。
というのも、不忍池には弁天堂がありますし、勘違いしたか、
夜中にフラフラ出歩かないよう、父親が怖がらせてやろうと嘘ついたのかも・・。
以降は復旧していく東京の様子。
道路整備に上野駅、上野公園、ニコライ堂、新橋駅などが綺麗になっていきます。
それでもそれぞれの場所は現在も同じではなく、空襲で焼けてしまったもの、
老築化によって建て替えられたり、歴史は続きます。
「慰霊堂と復興記念館」が紹介されました。
これは最大の死者を出した「旧陸軍被服廠跡地」に昭和5年に建てられ、
戦後は東京大空襲の犠牲者の慰霊を兼ねる施設だそうです。
う~ん。近いうちに行ってきます。
当時、売り出されていた絵葉書紹介に続いて、「横浜」の写真へ。
山の手のレンガや石造りの洋館はひとたまりもなく崩れてしまったようで、
アメリカ海軍病院にフランス領事館、本町警察署、フェリス和英女学校などが瓦礫の山です。
神奈川県庁も焼失していますが、ルネサンス式レンガ造り三階の大建築と書かれた
震災前の立派な写真と比較されています。こうしてみると悲惨さが増しますね。
いや~、やっぱり写真は衝撃的ですね。
しかも700枚の写真、自分の知っている街や建物が焼失、崩壊した姿。
今まで知らなかった近所のちょっとした歴史も・・。
2年前の大地震の時には仕事で八王子にいましたが、
道が上下にうねっている光景は忘れられません。
キャプションも出来る限り詳しく書かれ、お金のある時に買ってみようと思いました。
しかしその前に、もうちょっと詳しく勉強してみようと、
とりあえず、吉村 昭 著の「関東大震災」を買いました。
北原 糸子 編の「写真集 関東大震災」を読破しました。
生まれも育ちも東京下町であるヴィトゲンシュタインは、ルーツともいえる家族の過去、
東京大空襲や関東大震災には興味がありつつも、敢えて目をそらしてきました。
今年に入っていろいろと戦時中の日本や、東京の文化も挑戦しているところですが、
先日、「東京大空襲: 未公開写真は語る」という写真集も読みましたし、
NHKで関東大震災のドキュメンタリーを観たのをキッカケに、本書を読んでみることに。
この2010年発刊で419ページの大型写真集は、お値段ナント12600円です。
ですが図書館にありました。ヨカッタ、ヨカッタ。
それでは700枚の写真をじっくりと・・。
まずは10ページほど「解説」です。
住家被害が37万棟、死者、行方不明者数が10万余といった数字が挙げられ、
本書の対象となる東京市の死者68660人(うち焼死65902人)。
横浜市の死者26623人(うち焼死24646人)だそうです。
まぁ、ほとんどが焼死ってことですね。11時58分というお昼時だったのも理由でしょう。
1923年(大正12年)9月1日に発生したこの大地震。
ドイツでは、この2ヵ月後にヒトラーが「ミュンヘン一揆」を起こしたという時期です。
そして東京編の第1章は「航空写真」で、詳しいキャプションと共に41枚が掲載。
第2章はメインとなる「建物被害」で当時の「区」ごとに写真が出てきました。
最初は「麹町区・神田区」。
もちろん今はこんな「区」はありませんが、本書では「現在の千代田区に該当する」と
親切な解説付きです。
また、区分けされた地図には写真の番号が書かれ、
写真の撮られた場所がわかるようになっています。
日比谷方面の火流に呑まれ炎上する東京会館、帝国劇場、警視庁の写真が数枚。
1ページに1枚~3枚の写真が掲載され、大型本ですから迫力がありますね。
大手町付近にあった大蔵省や内務省は、門や一部の壁面を除いて焼失。
最近、当時の姿に戻った東京駅は震害を免れます。
しかし22年後の東京大空襲で焼けてしまうんですね。
有楽町から神田にかけて、被害は大きくなり、神田明神は影もありません。知らなかった・・。
御茶ノ水付近も湯島聖堂が焼け、ニコライ堂もドームを焼失しています。
子供の頃には鉄道博物館だった万世橋駅の残骸も印象的です。
ここら辺りは歩いて行けた場所ですから、特に感慨深いですが、
できれば、見たことのない焼失前の写真(洋風な煉瓦造りの姿など)があると、
より良いですね。当時と今を比較した「バルジの戦い」みたいに、
震災前と震災後、そして復興後・・なんて感じで・・。
続いて「日本橋区・京橋区」。現在の中央区が該当します。
日本橋そのものは軽微な震害で済んでいますが、
外観は留めているものの「三越」は焼けてしまっています。
赤レンガの外観だったという「丸善」は大倒壊した無残な姿・・。
塔屋のあった「白木屋」も酷い有り様ですが、震災前の美しい写真が掲載されていました。
赤レンガ街だったという銀座も同様です。
建設中の「松屋」、銀座4丁目交差点の「三越」はまだなく、この場所にあった
山崎高等洋服店が焼け落ちています。
歌舞伎座はギリギリで焼け残っていますが、やっぱり東京大空襲の餌食に。。
「浅草区・下谷区」は、よりヴィトゲンシュタインの実家に近づいてきます。
現在の台東区に当たるこの部分は、レンガ造りだった浅草仲見世が焼け落ちた写真から・・。
10代の頃、ダブルデートした「花屋敷」も。。右の写真です。
左上の吾妻橋とそれを渡った先の下の写真、「サッポロビール工場」も半壊していますが、
「エビスビール」などの旗が立って、即席ビアホールが営業中。
まだ9月初めの暑い時期とはいえ、逞しいですね。
その左上の写真の現在の姿です。
浅草の十二階で知られる「凌雲閣」は明治23年に竣工したシンボルタワーです。
しかし八階から上が崩壊し、多数の犠牲者が出たそうです。
う~ん。こんな時に展望台にいた人々は不運だったとしか言いようがありません。。
その後、工兵隊によって爆破処理されますが、
下町の人間にとっては再建してもらいたい建物のひとつです。
ヴィトゲンシュタインが物心ついた頃から母親と毎週のように行っていた「上野松坂屋」。
角の玄関部分を残して燃え尽きています。
「焼亡」という表現が使われていますがショックだなぁ。こんな写真は初めて見ました。
また、上野駅も猛火によって焼失していました。
焼ける前の松坂屋の雄姿です。
「本所区・深川区」は隅田川の向こう、現在の墨田区南半と江東区西半です。
外廓だけ残った「国技館」の姿は印象的。
そして4万人弱の被害者を出した「旧陸軍被服廠跡地」の写真。
2万坪の広大な避難所へ家財道具を持ち込んだ大勢の避難者に四方から火災が襲い掛かり、
家財道具に引火して、まさに火炎地獄と化した場所です。
「芝区・赤坂区・四谷区・牛込区」は港区の北半と新宿区の東半になります。
下町ほど火災の被害はないものの、市ヶ谷台の「陸軍士官学校」が部分的に崩壊し、
内部の御座所の被害写真も出てきました。
また、小石川の工兵工廟は大被害を受け、その後に移転。
跡地は後楽園球場になるわけですね。
「本郷座」という劇場が半壊した写真が出てきましたが、
これは本郷3丁目にあった著名な劇場だそうです。
近所に住んでて聞いたこともないという・・。
突然、「本郷区」に入っていますが、「東京帝都大学」の被害写真も数枚。
そういえば「帝都物語」っていう映画がありましたねぇ。
なぜか当時、観ていませんが、なんでだろう。
フィクションで描かれているのが生理的に嫌だったのかも知れません。
今なら観てみたいですけどね。
ここまで165ページが被害写真。そして「避難・救援・支援」の写真へ。
震災当日の上野公園の様子。50万人の避難民が押し寄せたと、まるで花見のようです。
30万人が避難したのは二重橋前。写真ではコッチの方がごった返していますね。
上野駅が焼けてしまったので、東北に向かう避難者は日暮里や田端駅から郷里へ。
江戸時代からの大遊郭で知られる「吉原」も花魁たちが「弁天池」に飛び込んで大勢亡くなります。
池に浮かんだ死体の写真。
500人ほどの死者が出たということですが、
子供の頃に父親から聞いた、近くの不忍池に大勢が飛び込んで死んだという話は、
実はこの吉原の弁天池のことなんじゃないか・・?? と思いました。
というのも、不忍池には弁天堂がありますし、勘違いしたか、
夜中にフラフラ出歩かないよう、父親が怖がらせてやろうと嘘ついたのかも・・。
以降は復旧していく東京の様子。
道路整備に上野駅、上野公園、ニコライ堂、新橋駅などが綺麗になっていきます。
それでもそれぞれの場所は現在も同じではなく、空襲で焼けてしまったもの、
老築化によって建て替えられたり、歴史は続きます。
「慰霊堂と復興記念館」が紹介されました。
これは最大の死者を出した「旧陸軍被服廠跡地」に昭和5年に建てられ、
戦後は東京大空襲の犠牲者の慰霊を兼ねる施設だそうです。
う~ん。近いうちに行ってきます。
当時、売り出されていた絵葉書紹介に続いて、「横浜」の写真へ。
山の手のレンガや石造りの洋館はひとたまりもなく崩れてしまったようで、
アメリカ海軍病院にフランス領事館、本町警察署、フェリス和英女学校などが瓦礫の山です。
神奈川県庁も焼失していますが、ルネサンス式レンガ造り三階の大建築と書かれた
震災前の立派な写真と比較されています。こうしてみると悲惨さが増しますね。
いや~、やっぱり写真は衝撃的ですね。
しかも700枚の写真、自分の知っている街や建物が焼失、崩壊した姿。
今まで知らなかった近所のちょっとした歴史も・・。
2年前の大地震の時には仕事で八王子にいましたが、
道が上下にうねっている光景は忘れられません。
キャプションも出来る限り詳しく書かれ、お金のある時に買ってみようと思いました。
しかしその前に、もうちょっと詳しく勉強してみようと、
とりあえず、吉村 昭 著の「関東大震災」を買いました。
タグ:関東大震災
実録やくざ映画大全 [番外編]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
別冊映画秘宝編集部著の「実録やくざ映画大全」を読破しました。
去年の10月に紹介した「ナチス映画電撃読本」に続く、ムック形式の映画シリーズ第2弾。
「戦争映画名作選 -第2次大戦映画ガイド-」という本も紹介したことがありますが、
4月に発刊された159ページの本書を偶然、本屋さんで見かけまして、
近頃も「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」でのヒロポンの件やら、
「人間機雷「伏龍」特攻隊」に安藤昇が登場したりと、なにかとやくざ映画を思い出してました。
18歳の頃にはレンタルビデオでかなりの"実録やくざ映画"を観ましたから、
懐かしい思い出と共に、血湧き肉踊ってみたいと思います。
巻頭には付録?として、渡哲也東映第一回主演作「仁義の墓場」のカラーポスターが・・。
うげっ、いきなり・・。この映画、特にラストシーンが強烈で・・。
キャッチコピーは「俺が死ぬ時はカラスだけが泣く!」
その後、16ページは「新聞広告に見る実録やくざ映画史」で、
1973年1月公開の「仁義なき戦い」がシリーズで登場。
「ゴッドファーザーからバラキ、そして今、衝撃の話題は日本の≪仁義なき戦い≫へ!」
な~るほど・・。実録路線が誕生したのはそういった背景があったんですね。
本書はその仁義なき戦い」から、1977年に公開された「北陸代理戦争」までの5年間、
東映が送り出した実録やくざ路線についてまとめたもので、
1960年代に一世を風靡した鶴田浩二、高倉健らの「任侠路線」が衰退し、
1972年には、「あさま山荘事件」の銃撃戦がTVで生中継というスクリーンの倦怠期に
戦後日本で起こった数々の暴力団抗争事件をテーマにしたアクション映画が
連続で大ヒットを飛ばしたのです。
そんな当時、ヴィトゲンシュタインはナニをしていたのかというと、
現役バリバリの小学生ですね。
洋画とアニメは映画館で観ていた映画大好き少年でしたが、日本映画はあまり好きじゃない・・。
初めて映画館で観たやくざ映画は1984年の「修羅の群れ」だったと思います。
いや~、実に面白かった。本書では残念ながら対象外の映画ですが、
コレがきっかけで本格的になったレンタルビデオで過去の実録やくざ映画を見倒しました。
一発目に紹介されるのは、すべてはここから始まったという「仁義なき戦い」です。
4ページに渡ってストーリーと、映画にまつわるエピソードが白黒写真タップリで・・。
この映画だけは中学生の頃だったか、TVで観た記憶があります。
なんといっても画面ブレブレのその場にいるかのような迫力と、
松方弘樹のような主演格の強面が菅原文太に殺されると勘違いして、
「ひゃあ~、やめろ~!」と裏声で叫ぶシーンが特に印象的でした。
それまでは拳銃突きつけられても「おぅ、撃てるもんなら撃ってみい!」
なんてのが当たり前の映画の世界で、このシーンはリアルだなぁ・・、
やくざでも撃たれると思ったら、やっぱり怖いんだなぁ・・と思ったものです。
この映画をご覧になっていない方でも、パァ~、パララ~♪ というテーマ曲はご存じでは?
2作目「広島死闘篇」は24歳で自決した実在のヒットマンが主役です。
そのヒットマン山中を演じるのは北大路欣也。ラストの拳銃をくわえるシーンはグッときます。
そしてもう一人、大友勝利を演じる千葉真一・・。
割り箸をくわえながら股間を掻きまくる下品かつ破天荒で強烈なインパクトを残します。
本書によるとキャスティングの段階では2人の役は逆で、脚本を読んだ欣也が
自分は山中の方が向いていると深作監督に直訴。
クランクイン直前に変更を告げられた千葉ちゃんは大揉めに揉めた末に折れた・・
というエピソードが。。結果オーライの気もしますね。
大ヒットとなって第3作の「代理戦争」の製作開始。
しかし当時の東映中堅俳優は総ざらえで第1作に出演していたため、
前2作で死亡してフェイドアウトしていた俳優が別の役で復活してきます。
梅宮辰夫に室田日出男、渡瀬恒彦といったお馴染みさんたちですね。
川谷拓三が広能(文太)への詫びに「手首ごと詰める」シーンは痛かったですね。。
面白いのはこの「手首を詰めた川谷拓三」がフィギアになっているところです。
いったい、誰が買うんでしょうか?
「代理戦争」の直接的な続編である第4作「頂上作戦」は
シリーズ完結編として製作が始まったそうです。
第1作でおもちゃ屋で殺された松方弘樹が肺を病んでいる設定の役で帰還。
どす黒いメイクと絶え間ない咳で、再び強烈なキャラを演じるも、やっぱり殺されて・・。
また、日活の大スター、小林旭も前作から参入して話題となります。
こうして大団円を迎えたはずの「仁義なき戦い」ですが、
東映は簡単に大ヒットシリーズを終わらせるつもりはなく、「完結編」を製作。
シリーズを支えた脚本家の笠原和夫が戦線離脱するものの、
第2作で自殺を遂げた北大路欣也が復活し、
「ヒッヒッヒ・・」と不気味に笑うキャラを演じるのは2度蘇った松方・・。
大友勝利を再び演じる予定だった千葉ちゃんは空手映画が目白押しでスケジュールが付かず、
代わりに「エースの錠」こと、宍戸錠が怪物を演じます。
途中には平成22年に亡くなった、主役の文太演じる広能昌三のモデルとなった
美能幸三の会見記が掲載され、この仁義なき戦いの表と裏を知ることができます。
しかし完結してもまだまだ満足しない男たち。
男女入り乱れての過激なキャラで復活したのが「新・仁義なき戦い」シリーズです。
ストーリーは焼き直しのようですが、文太は狂犬キャラへと変貌するなど、
観たことなかったんですが、コレはコレで楽しそうですね。
新シリーズ2作目の「組長の首」も、山崎勉がヒロポン中毒の「厄ネタ」として
強烈な演技を見せつつ、ウルトラセブンの「アンヌ隊員」こと、ひし見ゆり子が
巨乳をご披露して、彼女を抱く男がことごとく死んでいく、
通称「下がりボンボン」を演じているそうです。マジかっ!
ちなみに「厄ネタ」とは、「物凄く迷惑な人」という意味だそうな・・。
76ページからは日本が誇るギャングスター、安藤昇。
「伏龍」特攻隊から帰って来てからは法政大学在学のまま、新宿・渋谷で暴れ回り、
「セイガクやくざ」の先駆けとなって、20代の若さで愚連隊・安藤組組長となった男。
彼の半生を紹介した後、「やくざと抗争 実録安藤組」へと続きます。
冒頭シーンでは当時47歳の安藤昇が、無理のある学ラン姿で昔の自分を演じます。。
「ホタテマン」に変身する前の安岡力也も張り切ってますね。
その他、安藤昇主演作がいくつか紹介されていますが、
気になったのは「実録・私設銀座警察」です。
戦後間もない昭和21年~25年が舞台で、三国人(朝鮮人、台湾人)と、
それに対立する復員兵が入り乱れて、警察も手をこまねくほど治安は最悪・・。
そこでやくざや愚連隊が自警団的役割を・・という実録ストーリーです。
出だしに復員兵である渡瀬恒彦が妻のもとへと帰還するも、黒人兵と懇ろ・・。
そして明らかに黒人の血を引く赤ん坊を見つけると、フルスイングで窓の外へ放り出し、
不貞を働いた妻を撲殺! こうしておもむろにメインタイトルが・・。
いや~、恐ろしい映画ですねぇ。ちょうど6月にDVDが出てました。
次は冒頭のポスターである「仁義の墓場」特集が10ページ。
渡瀬恒彦もチンピラやらせたら半端じゃありませんが、当時の兄貴もキレッキレ・・。
先日放送された「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ」の
兄弟共演の面影はまるでありません。。
「親分だろうが兄弟分だろうが、己の欲望を邪魔する奴には容赦なくドスを振るい、
麻薬漬けになった挙句、病死した愛人の骨をボリボリむさぼる、究極の厄ネタ」。
まぁ、「西部警察」の大門軍団観て育った世代ですが、この渡哲也はエグ過ぎます。
そして後味悪過ぎます。
そういえば「たけし軍団」とかにしても、人が集まるとなんで「軍団」なんでしょうかねぇ・・?
「師団」でもなければ、「軍」でもない・・。
このBlog的には3万人程度で「軍団」と認定します。と真面目に言ってみる。。
あ~、脇役の「ピラニア軍団」とか、「悪役商会」なんかも懐かしい響きですね。
さて、110ページから健さんが実録路線にやって来ました。
「山口組三代目」と、「三代目襲名」です。
田岡一雄自伝を原作に彼の半生を描いた実録やくざ映画ですが、
主要となるエピソードは昭和初期であり、イメージ的には「任侠」っぽくもありますね。
続いて出ました。「実録外伝 大阪電撃作戦」。
若い頃に観た「実録やくざ」モノの中では、個人的に一番好きな映画がコレで、
本書と一緒にDVDを買ってしまいました。
別に"電撃作戦"というタイトルに惹かれた・・というわけではありませんので。。
丹波哲郎組長に間違って絡んじゃったチンピラたちが、その逆鱗に触れ、
松方弘樹組長共々「人間狩り」に遇う・・という怖くて可哀そうなお話ですが、
狂気のチンピラ、渡瀬恒彦vs片目の殺し屋、目黒祐樹という
渡、松方の弟対決が実現。
特に目黒祐樹の怖さは人間じゃありませんでした。思い出すだけでブルブル・・。
20年以上前に観て以来ですから、楽しみな反面、
ツマンナカッタらどうしよう・・と不安な気持ちも。。
最後はやっぱり松方主演の「北陸代理戦争」です。
修羅の群れといい、大阪電撃作戦といい、やくざ映画では松方が一番好きなんですね。
ですから、本書を読んで観ていなかった映画は、ほとんど松方が出ていない映画でした。
当時はやくざ映画の解説本なんてなかったですしねぇ。
東映はコレ以降、文太が「実録モノはもう嫌」と漏らし、「トラック野郎」で大人気に、
また、鶴田浩二、三船敏郎といった大御所スターをキャスティングした「日本の首領」シリーズ、
80年代に入ると「二百三高地」や、「大日本帝国」といった大作ブームに突入するのでした。
楽しい一冊でしたねぇ。
あくまで映画であるわけですが、そこは「実録」でもあり、
各々のストーリーだけでなく、元となった事件についても詳しく触れられていました。
一般に名作映画っていうのは大抵、素晴らしい「悪役」がいるものですが、
この「実録」の場合には、ほぼ全員が「悪役」なので、その定義には当てはまりません。
そこで強烈な「厄ネタ」が出てくる「実録」が評価されているような気がしました。
映画の「悪役」ということだと、本書と同じ本屋で見つけた
「モンスター大図鑑」という本も読みました。
著者は「ブルースブラザース」や、「狼男アメリカン」のジョン・ランディス。
またはマイケル・ジャクソンのPV「スリラー」の監督と言った方が良いでしょうか。
オールカラーで写真タップリ、リック・ベイカー、クリストファー・リー 、サム・ライミ、
デヴィッド・クローネンバーグ、そしてレイ・ハリーハウゼンらのインタビューも。
このような名前に反応される方なら、間違いなく楽しめます。
もうちょっと言えば、表紙のフランケンシュタインの怪物もボリス・カーロフではなく、
「ヤング・フランケンシュタイン」という遊び心が内容を物語っています。
「仁義なき戦い」は今年の3月にBlu‐ray BOX で発売されていましたが、
珍しくamazonのレビューがかなりの高評価で思わず欲しくなりました。
「大日本帝国」は観た記憶がないですね。今、ココ勉強中ですからどうしようかな・・。
ですが、とりあえず、「大阪電撃作戦」を楽しんでみようと思います。
別冊映画秘宝編集部著の「実録やくざ映画大全」を読破しました。
去年の10月に紹介した「ナチス映画電撃読本」に続く、ムック形式の映画シリーズ第2弾。
「戦争映画名作選 -第2次大戦映画ガイド-」という本も紹介したことがありますが、
4月に発刊された159ページの本書を偶然、本屋さんで見かけまして、
近頃も「戦う広告 -雑誌広告に見るアジア太平洋戦争-」でのヒロポンの件やら、
「人間機雷「伏龍」特攻隊」に安藤昇が登場したりと、なにかとやくざ映画を思い出してました。
18歳の頃にはレンタルビデオでかなりの"実録やくざ映画"を観ましたから、
懐かしい思い出と共に、血湧き肉踊ってみたいと思います。
巻頭には付録?として、渡哲也東映第一回主演作「仁義の墓場」のカラーポスターが・・。
うげっ、いきなり・・。この映画、特にラストシーンが強烈で・・。
キャッチコピーは「俺が死ぬ時はカラスだけが泣く!」
その後、16ページは「新聞広告に見る実録やくざ映画史」で、
1973年1月公開の「仁義なき戦い」がシリーズで登場。
「ゴッドファーザーからバラキ、そして今、衝撃の話題は日本の≪仁義なき戦い≫へ!」
な~るほど・・。実録路線が誕生したのはそういった背景があったんですね。
本書はその仁義なき戦い」から、1977年に公開された「北陸代理戦争」までの5年間、
東映が送り出した実録やくざ路線についてまとめたもので、
1960年代に一世を風靡した鶴田浩二、高倉健らの「任侠路線」が衰退し、
1972年には、「あさま山荘事件」の銃撃戦がTVで生中継というスクリーンの倦怠期に
戦後日本で起こった数々の暴力団抗争事件をテーマにしたアクション映画が
連続で大ヒットを飛ばしたのです。
そんな当時、ヴィトゲンシュタインはナニをしていたのかというと、
現役バリバリの小学生ですね。
洋画とアニメは映画館で観ていた映画大好き少年でしたが、日本映画はあまり好きじゃない・・。
初めて映画館で観たやくざ映画は1984年の「修羅の群れ」だったと思います。
いや~、実に面白かった。本書では残念ながら対象外の映画ですが、
コレがきっかけで本格的になったレンタルビデオで過去の実録やくざ映画を見倒しました。
一発目に紹介されるのは、すべてはここから始まったという「仁義なき戦い」です。
4ページに渡ってストーリーと、映画にまつわるエピソードが白黒写真タップリで・・。
この映画だけは中学生の頃だったか、TVで観た記憶があります。
なんといっても画面ブレブレのその場にいるかのような迫力と、
松方弘樹のような主演格の強面が菅原文太に殺されると勘違いして、
「ひゃあ~、やめろ~!」と裏声で叫ぶシーンが特に印象的でした。
それまでは拳銃突きつけられても「おぅ、撃てるもんなら撃ってみい!」
なんてのが当たり前の映画の世界で、このシーンはリアルだなぁ・・、
やくざでも撃たれると思ったら、やっぱり怖いんだなぁ・・と思ったものです。
この映画をご覧になっていない方でも、パァ~、パララ~♪ というテーマ曲はご存じでは?
2作目「広島死闘篇」は24歳で自決した実在のヒットマンが主役です。
そのヒットマン山中を演じるのは北大路欣也。ラストの拳銃をくわえるシーンはグッときます。
そしてもう一人、大友勝利を演じる千葉真一・・。
割り箸をくわえながら股間を掻きまくる下品かつ破天荒で強烈なインパクトを残します。
本書によるとキャスティングの段階では2人の役は逆で、脚本を読んだ欣也が
自分は山中の方が向いていると深作監督に直訴。
クランクイン直前に変更を告げられた千葉ちゃんは大揉めに揉めた末に折れた・・
というエピソードが。。結果オーライの気もしますね。
大ヒットとなって第3作の「代理戦争」の製作開始。
しかし当時の東映中堅俳優は総ざらえで第1作に出演していたため、
前2作で死亡してフェイドアウトしていた俳優が別の役で復活してきます。
梅宮辰夫に室田日出男、渡瀬恒彦といったお馴染みさんたちですね。
川谷拓三が広能(文太)への詫びに「手首ごと詰める」シーンは痛かったですね。。
面白いのはこの「手首を詰めた川谷拓三」がフィギアになっているところです。
いったい、誰が買うんでしょうか?
「代理戦争」の直接的な続編である第4作「頂上作戦」は
シリーズ完結編として製作が始まったそうです。
第1作でおもちゃ屋で殺された松方弘樹が肺を病んでいる設定の役で帰還。
どす黒いメイクと絶え間ない咳で、再び強烈なキャラを演じるも、やっぱり殺されて・・。
また、日活の大スター、小林旭も前作から参入して話題となります。
こうして大団円を迎えたはずの「仁義なき戦い」ですが、
東映は簡単に大ヒットシリーズを終わらせるつもりはなく、「完結編」を製作。
シリーズを支えた脚本家の笠原和夫が戦線離脱するものの、
第2作で自殺を遂げた北大路欣也が復活し、
「ヒッヒッヒ・・」と不気味に笑うキャラを演じるのは2度蘇った松方・・。
大友勝利を再び演じる予定だった千葉ちゃんは空手映画が目白押しでスケジュールが付かず、
代わりに「エースの錠」こと、宍戸錠が怪物を演じます。
途中には平成22年に亡くなった、主役の文太演じる広能昌三のモデルとなった
美能幸三の会見記が掲載され、この仁義なき戦いの表と裏を知ることができます。
しかし完結してもまだまだ満足しない男たち。
男女入り乱れての過激なキャラで復活したのが「新・仁義なき戦い」シリーズです。
ストーリーは焼き直しのようですが、文太は狂犬キャラへと変貌するなど、
観たことなかったんですが、コレはコレで楽しそうですね。
新シリーズ2作目の「組長の首」も、山崎勉がヒロポン中毒の「厄ネタ」として
強烈な演技を見せつつ、ウルトラセブンの「アンヌ隊員」こと、ひし見ゆり子が
巨乳をご披露して、彼女を抱く男がことごとく死んでいく、
通称「下がりボンボン」を演じているそうです。マジかっ!
ちなみに「厄ネタ」とは、「物凄く迷惑な人」という意味だそうな・・。
76ページからは日本が誇るギャングスター、安藤昇。
「伏龍」特攻隊から帰って来てからは法政大学在学のまま、新宿・渋谷で暴れ回り、
「セイガクやくざ」の先駆けとなって、20代の若さで愚連隊・安藤組組長となった男。
彼の半生を紹介した後、「やくざと抗争 実録安藤組」へと続きます。
冒頭シーンでは当時47歳の安藤昇が、無理のある学ラン姿で昔の自分を演じます。。
「ホタテマン」に変身する前の安岡力也も張り切ってますね。
その他、安藤昇主演作がいくつか紹介されていますが、
気になったのは「実録・私設銀座警察」です。
戦後間もない昭和21年~25年が舞台で、三国人(朝鮮人、台湾人)と、
それに対立する復員兵が入り乱れて、警察も手をこまねくほど治安は最悪・・。
そこでやくざや愚連隊が自警団的役割を・・という実録ストーリーです。
出だしに復員兵である渡瀬恒彦が妻のもとへと帰還するも、黒人兵と懇ろ・・。
そして明らかに黒人の血を引く赤ん坊を見つけると、フルスイングで窓の外へ放り出し、
不貞を働いた妻を撲殺! こうしておもむろにメインタイトルが・・。
いや~、恐ろしい映画ですねぇ。ちょうど6月にDVDが出てました。
次は冒頭のポスターである「仁義の墓場」特集が10ページ。
渡瀬恒彦もチンピラやらせたら半端じゃありませんが、当時の兄貴もキレッキレ・・。
先日放送された「西村京太郎サスペンス 十津川警部シリーズ」の
兄弟共演の面影はまるでありません。。
「親分だろうが兄弟分だろうが、己の欲望を邪魔する奴には容赦なくドスを振るい、
麻薬漬けになった挙句、病死した愛人の骨をボリボリむさぼる、究極の厄ネタ」。
まぁ、「西部警察」の大門軍団観て育った世代ですが、この渡哲也はエグ過ぎます。
そして後味悪過ぎます。
そういえば「たけし軍団」とかにしても、人が集まるとなんで「軍団」なんでしょうかねぇ・・?
「師団」でもなければ、「軍」でもない・・。
このBlog的には3万人程度で「軍団」と認定します。と真面目に言ってみる。。
あ~、脇役の「ピラニア軍団」とか、「悪役商会」なんかも懐かしい響きですね。
さて、110ページから健さんが実録路線にやって来ました。
「山口組三代目」と、「三代目襲名」です。
田岡一雄自伝を原作に彼の半生を描いた実録やくざ映画ですが、
主要となるエピソードは昭和初期であり、イメージ的には「任侠」っぽくもありますね。
続いて出ました。「実録外伝 大阪電撃作戦」。
若い頃に観た「実録やくざ」モノの中では、個人的に一番好きな映画がコレで、
本書と一緒にDVDを買ってしまいました。
別に"電撃作戦"というタイトルに惹かれた・・というわけではありませんので。。
丹波哲郎組長に間違って絡んじゃったチンピラたちが、その逆鱗に触れ、
松方弘樹組長共々「人間狩り」に遇う・・という怖くて可哀そうなお話ですが、
狂気のチンピラ、渡瀬恒彦vs片目の殺し屋、目黒祐樹という
渡、松方の弟対決が実現。
特に目黒祐樹の怖さは人間じゃありませんでした。思い出すだけでブルブル・・。
20年以上前に観て以来ですから、楽しみな反面、
ツマンナカッタらどうしよう・・と不安な気持ちも。。
最後はやっぱり松方主演の「北陸代理戦争」です。
修羅の群れといい、大阪電撃作戦といい、やくざ映画では松方が一番好きなんですね。
ですから、本書を読んで観ていなかった映画は、ほとんど松方が出ていない映画でした。
当時はやくざ映画の解説本なんてなかったですしねぇ。
東映はコレ以降、文太が「実録モノはもう嫌」と漏らし、「トラック野郎」で大人気に、
また、鶴田浩二、三船敏郎といった大御所スターをキャスティングした「日本の首領」シリーズ、
80年代に入ると「二百三高地」や、「大日本帝国」といった大作ブームに突入するのでした。
楽しい一冊でしたねぇ。
あくまで映画であるわけですが、そこは「実録」でもあり、
各々のストーリーだけでなく、元となった事件についても詳しく触れられていました。
一般に名作映画っていうのは大抵、素晴らしい「悪役」がいるものですが、
この「実録」の場合には、ほぼ全員が「悪役」なので、その定義には当てはまりません。
そこで強烈な「厄ネタ」が出てくる「実録」が評価されているような気がしました。
映画の「悪役」ということだと、本書と同じ本屋で見つけた
「モンスター大図鑑」という本も読みました。
著者は「ブルースブラザース」や、「狼男アメリカン」のジョン・ランディス。
またはマイケル・ジャクソンのPV「スリラー」の監督と言った方が良いでしょうか。
オールカラーで写真タップリ、リック・ベイカー、クリストファー・リー 、サム・ライミ、
デヴィッド・クローネンバーグ、そしてレイ・ハリーハウゼンらのインタビューも。
このような名前に反応される方なら、間違いなく楽しめます。
もうちょっと言えば、表紙のフランケンシュタインの怪物もボリス・カーロフではなく、
「ヤング・フランケンシュタイン」という遊び心が内容を物語っています。
「仁義なき戦い」は今年の3月にBlu‐ray BOX で発売されていましたが、
珍しくamazonのレビューがかなりの高評価で思わず欲しくなりました。
「大日本帝国」は観た記憶がないですね。今、ココ勉強中ですからどうしようかな・・。
ですが、とりあえず、「大阪電撃作戦」を楽しんでみようと思います。
タグ:伏龍
津山三十人殺し ―日本犯罪史上空前の惨劇 [番外編]
ど~も。ヴィトゲンシュタインです。
筑波 昭 著の「津山三十人殺し」を読破しました。
半年ほど前から突然、古尾谷雅人主演の「丑三つの村」が観たい・・と思い始めました。
本書の津山三十人殺しを描いた1983年の映画ですが、
この大量殺人事件を描いたものとしては1977年の「八つ墓村」も有名ですね。
いろいろと調べてみると、この事件そのものを詳しく知りたくなり、
「丑三つの村」を観る前に、まず1981年刊行後、加筆・修正されて2005年に再刊された
364ページのノンフィクションを読んでみることにしました.。
寅さんとショーケンの「八つ墓村」は子供の頃にTVで観て以来、5回以上は観ています。
なんといっても前半の落武者が殺されてさらし首に・・というシーンと、
ラストシーンで山の上から八つ墓村を笑いながら見下ろす落武者が怖かったですねぇ。
最近流行の「影武者」を知ったのは黒沢明ですし、「落武者」ならこの映画です。
そしてショーケンの父が頭に懐中電灯2本、日本刀と猟銃で村人を惨殺する回想シーン。
容赦なしっていうか、ハリウッドの西部劇でもあんなに女子供を問答無用に殺しませんから、
物凄いインパクトがありました。「祟りじゃ~」も流行りましたね。
鍾乳洞で犯人だとバレた小川眞由美がショーケンを殺そうと追いかけるシーンも恐ろしかった・・。
この小学生当時、もしロードショーで観てたら、本当にオシッコちびってたような気もします。
その後、村人30人殺しのシーンが実話だったということをなにかで知ったわけですが、
ひょっとすると、「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ・・」で知られる
「丑三つの村」が公開された時なのかも知れません。
この映画、なんで観に行かなかったのかな?? と考えてみたら「R-18」指定だったようです。
前置きが長くなりましたが、本書は2部構成になっており、第1部は「事件」です。
昭和13(1938)年5月21日に岡山県の集落で起こった大量殺人事件。
事件を伝える朝日新聞の記事に、駐在所の巡査が提出した詳細な報告、
22歳の犯人、都井睦雄が犯行前にしたためた遺書全文などが淡々と掲載されます。
その遺書には自分の病気を肺結核と信じ、近所の2人の女性に対する恨みつらみが・・。
そして自分が精神異常者ではなく、覚悟の死であることも強調します。
また、数年前に嫁いだ姉と、からくも難を逃れた関係者たち、
特に睦雄の遺書に名前を挙げられていたマツ子らの当時の供述も印象的です。
105ページから第2部の「犯人」へ・・。
大正6年生まれの都井睦雄の生い立ちが1歳ごとに章になっている構成で、
2歳の時に39歳の父が肺結核で死去すると、翌年には24歳の母が同じ病気で・・。
後見人となった祖母と3つ年上の姉との3人暮らしで成長します。
小学校では成績も優秀、しかし16歳の時、肋膜炎となり、自宅静養を言い渡されます。
卒業後、自宅の農家の手伝いもせず、ブラブラと過ごす睦雄。
19歳となり、1つ年上の唯一の友人から「大阪で女を紹介してやる」と言われ、
娼婦を相手に童貞を喪失。
すっかりエッチにハマってしまった睦雄は部落内の人妻、マツ子に「関係してくれ」と迫るのでした。
本書では事件の2年前、1936年に東京で起こった「阿部定事件」を大きく取り上げています。
エッチの最中に絞め殺して、チンチン切り取っちゃった・・というあの有名な事件ですね。
睦雄はこの事件に大変興味を示し、安倍定の調書の地下出版本を写し取るほど。。
おぁっ、ついでタマタマも切り取ってんのか。。
この事件、考えるだけで下半身がムズムズするので調べたことはなかったんですが、
1976年の「愛のコリーダ」ってコレが題材だったんですねぇ。
藤竜也は好きですが、いや~、こういう映画は苦手です。。
どっちかって言えば、クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」の方がイイ気持ち!
実はレビューは書いていませんが、同じように女性による殺人事件、
「毒婦伝説―高橋お伝とエリート軍医たち」という本を2ヵ月前に読んでいまして、
この主役の高橋お伝とは、明治時代に剃刀で男を殺して、斬首刑になった女性です。
興味深かったのは、その彼女の遺体、特に陰部が切り取られてホルマリン漬けに・・、
そしてその行方を追う著者が、存在するとされる東大に単身乗り込むという部分です。
なぜかというと、ヴィトゲンシュタインが子供の頃からの遊び場だった東大構内には
当時、通称"ミイラ館"と呼んでいた小さい2階建ての建物があり、
そこにはホルマリン漬けにされた「何か」が沢山あったんですね。
真昼間に度胸試しで入った友達も泣き叫んで出てくる・・という恐怖の館。。
去年、たまたまソレを思い出して、記憶を辿ってその建物を探したり・・。
なので、ひょっとしてあの"ミイラ館"に高橋お伝が・・と読んでてドキドキしました。
おおっと、かなり脱線してしまいましたので、話を本書に戻しましょう。
21歳の睦雄といえば、趣味はエッチといった趣で、完全にサカリがついています。
まるで生きがいかのように、あちらこちらに夜這いに出かけ、
ある晩、18歳の娘に夜這いを仕掛けたところ、運悪く母親に見つかってしまいます。
そんなピンチも「ならばあんたでもいいわい」と、その母親に乗り換えるという変わり身の早さ。
もはや、「穴があったら入りたい」ならぬ、「穴があったら入れたい」状態ですね。。
当時、このような部落では夜這いはある程度「文化」でもあったようで、
ここでも睦雄だけの仕業ではなく、旦那にバレても酒を持って謝れば解決という大らかさ。
しかし戦争が始まっているこの時、若い男が病気だと言って出兵もせず、
夜な夜な情交に耽っていれば、悪口と良くない噂が広がるのは避けられません。
やがてブローニング12番口径5連発猟銃を購入し、コレを9連発に改造。
弾は猛獣用のダムダム弾で、日本刀なども手に入れた睦雄。
こうして部落内の自分の敵を抹殺する計画が粛々と進み、
昭和13年5月21日の午前1時ごろ、遂に凶行が始まります。
まずは育ててくれた祖母が不憫だと、その首を斧で一撃のもとに切断。
そして家を飛び出すと、頭に2つ、胸に1つの電燈を光らせた3つ目の悪魔は、
2時間の間に老若男女30名を殺害し、3名に重軽傷を負わせるのでした。
この犯行場面は非常にリアルかつ詳細を極め、各家の間取りも掲載しながら、
睦雄がどのように侵入して、ナニを喋り、誰をどのように殺したかを描きます。
岸田家の70歳のたまばあちゃんは「頼むけん。こらえてつかあさい」と哀願。
「ばばやん。顔をあげなされ」と銃口で顔をすくい上げてズドン!
「八つ墓村」の山崎勉にも勝るとも劣らない迫力ですね。
凶行後、山へと逃れ、再度、簡単な遺書をしたためた睦雄。
猟銃を胸に当て、両手で銃身をしっかりと握り、右足の親指で引金を・・。
その瞬間、猟銃は3尺ほど吹っ飛び、睦雄は即死。
結核による絶望と部落民への憎悪、そして「安倍定に負けないような、
どえらいことをやって死にたいもんじゃ」と語っていたとされる睦雄の自己顕示欲・・。
これらが空前絶後の大量殺人の動機だと推測しています。
本書を読んでる最中に山口県周南市「5人連続殺人事件」が起こりました。
山間にある集落の4棟の民家が次々と襲われたこの事件。
なんだか似たようなことが起こったなぁ・・とニュースを見ていました。
今のところ詳しい動機と被害者たちの軋轢などの関係はわかっていないようですが、
タイミングといい、なんとなく不思議で複雑な心境です。
読み終えて、早速amazonに「丑三つの村」のDVDを注文。
昨日、ちょうど届いたところです。
今日にでも観ようと思いますが、睦雄を演じた古尾谷雅人も自殺してるんですよね。
う~ん、あまりそういうことは気にせず、映画として楽しんでみたいと思います。
若い田中美佐子も出てますしね・・。
筑波 昭 著の「津山三十人殺し」を読破しました。
半年ほど前から突然、古尾谷雅人主演の「丑三つの村」が観たい・・と思い始めました。
本書の津山三十人殺しを描いた1983年の映画ですが、
この大量殺人事件を描いたものとしては1977年の「八つ墓村」も有名ですね。
いろいろと調べてみると、この事件そのものを詳しく知りたくなり、
「丑三つの村」を観る前に、まず1981年刊行後、加筆・修正されて2005年に再刊された
364ページのノンフィクションを読んでみることにしました.。
寅さんとショーケンの「八つ墓村」は子供の頃にTVで観て以来、5回以上は観ています。
なんといっても前半の落武者が殺されてさらし首に・・というシーンと、
ラストシーンで山の上から八つ墓村を笑いながら見下ろす落武者が怖かったですねぇ。
最近流行の「影武者」を知ったのは黒沢明ですし、「落武者」ならこの映画です。
そしてショーケンの父が頭に懐中電灯2本、日本刀と猟銃で村人を惨殺する回想シーン。
容赦なしっていうか、ハリウッドの西部劇でもあんなに女子供を問答無用に殺しませんから、
物凄いインパクトがありました。「祟りじゃ~」も流行りましたね。
鍾乳洞で犯人だとバレた小川眞由美がショーケンを殺そうと追いかけるシーンも恐ろしかった・・。
この小学生当時、もしロードショーで観てたら、本当にオシッコちびってたような気もします。
その後、村人30人殺しのシーンが実話だったということをなにかで知ったわけですが、
ひょっとすると、「皆様方よ、今に見ておれで御座居ますよ・・」で知られる
「丑三つの村」が公開された時なのかも知れません。
この映画、なんで観に行かなかったのかな?? と考えてみたら「R-18」指定だったようです。
前置きが長くなりましたが、本書は2部構成になっており、第1部は「事件」です。
昭和13(1938)年5月21日に岡山県の集落で起こった大量殺人事件。
事件を伝える朝日新聞の記事に、駐在所の巡査が提出した詳細な報告、
22歳の犯人、都井睦雄が犯行前にしたためた遺書全文などが淡々と掲載されます。
その遺書には自分の病気を肺結核と信じ、近所の2人の女性に対する恨みつらみが・・。
そして自分が精神異常者ではなく、覚悟の死であることも強調します。
また、数年前に嫁いだ姉と、からくも難を逃れた関係者たち、
特に睦雄の遺書に名前を挙げられていたマツ子らの当時の供述も印象的です。
105ページから第2部の「犯人」へ・・。
大正6年生まれの都井睦雄の生い立ちが1歳ごとに章になっている構成で、
2歳の時に39歳の父が肺結核で死去すると、翌年には24歳の母が同じ病気で・・。
後見人となった祖母と3つ年上の姉との3人暮らしで成長します。
小学校では成績も優秀、しかし16歳の時、肋膜炎となり、自宅静養を言い渡されます。
卒業後、自宅の農家の手伝いもせず、ブラブラと過ごす睦雄。
19歳となり、1つ年上の唯一の友人から「大阪で女を紹介してやる」と言われ、
娼婦を相手に童貞を喪失。
すっかりエッチにハマってしまった睦雄は部落内の人妻、マツ子に「関係してくれ」と迫るのでした。
本書では事件の2年前、1936年に東京で起こった「阿部定事件」を大きく取り上げています。
エッチの最中に絞め殺して、チンチン切り取っちゃった・・というあの有名な事件ですね。
睦雄はこの事件に大変興味を示し、安倍定の調書の地下出版本を写し取るほど。。
おぁっ、ついでタマタマも切り取ってんのか。。
この事件、考えるだけで下半身がムズムズするので調べたことはなかったんですが、
1976年の「愛のコリーダ」ってコレが題材だったんですねぇ。
藤竜也は好きですが、いや~、こういう映画は苦手です。。
どっちかって言えば、クインシー・ジョーンズの「愛のコリーダ」の方がイイ気持ち!
実はレビューは書いていませんが、同じように女性による殺人事件、
「毒婦伝説―高橋お伝とエリート軍医たち」という本を2ヵ月前に読んでいまして、
この主役の高橋お伝とは、明治時代に剃刀で男を殺して、斬首刑になった女性です。
興味深かったのは、その彼女の遺体、特に陰部が切り取られてホルマリン漬けに・・、
そしてその行方を追う著者が、存在するとされる東大に単身乗り込むという部分です。
なぜかというと、ヴィトゲンシュタインが子供の頃からの遊び場だった東大構内には
当時、通称"ミイラ館"と呼んでいた小さい2階建ての建物があり、
そこにはホルマリン漬けにされた「何か」が沢山あったんですね。
真昼間に度胸試しで入った友達も泣き叫んで出てくる・・という恐怖の館。。
去年、たまたまソレを思い出して、記憶を辿ってその建物を探したり・・。
なので、ひょっとしてあの"ミイラ館"に高橋お伝が・・と読んでてドキドキしました。
おおっと、かなり脱線してしまいましたので、話を本書に戻しましょう。
21歳の睦雄といえば、趣味はエッチといった趣で、完全にサカリがついています。
まるで生きがいかのように、あちらこちらに夜這いに出かけ、
ある晩、18歳の娘に夜這いを仕掛けたところ、運悪く母親に見つかってしまいます。
そんなピンチも「ならばあんたでもいいわい」と、その母親に乗り換えるという変わり身の早さ。
もはや、「穴があったら入りたい」ならぬ、「穴があったら入れたい」状態ですね。。
当時、このような部落では夜這いはある程度「文化」でもあったようで、
ここでも睦雄だけの仕業ではなく、旦那にバレても酒を持って謝れば解決という大らかさ。
しかし戦争が始まっているこの時、若い男が病気だと言って出兵もせず、
夜な夜な情交に耽っていれば、悪口と良くない噂が広がるのは避けられません。
やがてブローニング12番口径5連発猟銃を購入し、コレを9連発に改造。
弾は猛獣用のダムダム弾で、日本刀なども手に入れた睦雄。
こうして部落内の自分の敵を抹殺する計画が粛々と進み、
昭和13年5月21日の午前1時ごろ、遂に凶行が始まります。
まずは育ててくれた祖母が不憫だと、その首を斧で一撃のもとに切断。
そして家を飛び出すと、頭に2つ、胸に1つの電燈を光らせた3つ目の悪魔は、
2時間の間に老若男女30名を殺害し、3名に重軽傷を負わせるのでした。
この犯行場面は非常にリアルかつ詳細を極め、各家の間取りも掲載しながら、
睦雄がどのように侵入して、ナニを喋り、誰をどのように殺したかを描きます。
岸田家の70歳のたまばあちゃんは「頼むけん。こらえてつかあさい」と哀願。
「ばばやん。顔をあげなされ」と銃口で顔をすくい上げてズドン!
「八つ墓村」の山崎勉にも勝るとも劣らない迫力ですね。
凶行後、山へと逃れ、再度、簡単な遺書をしたためた睦雄。
猟銃を胸に当て、両手で銃身をしっかりと握り、右足の親指で引金を・・。
その瞬間、猟銃は3尺ほど吹っ飛び、睦雄は即死。
結核による絶望と部落民への憎悪、そして「安倍定に負けないような、
どえらいことをやって死にたいもんじゃ」と語っていたとされる睦雄の自己顕示欲・・。
これらが空前絶後の大量殺人の動機だと推測しています。
本書を読んでる最中に山口県周南市「5人連続殺人事件」が起こりました。
山間にある集落の4棟の民家が次々と襲われたこの事件。
なんだか似たようなことが起こったなぁ・・とニュースを見ていました。
今のところ詳しい動機と被害者たちの軋轢などの関係はわかっていないようですが、
タイミングといい、なんとなく不思議で複雑な心境です。
読み終えて、早速amazonに「丑三つの村」のDVDを注文。
昨日、ちょうど届いたところです。
今日にでも観ようと思いますが、睦雄を演じた古尾谷雅人も自殺してるんですよね。
う~ん、あまりそういうことは気にせず、映画として楽しんでみたいと思います。
若い田中美佐子も出てますしね・・。