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桜花―極限の特攻機 [日本]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

内藤 初穂 著の「桜花―極限の特攻機」を読破しました。

遂にやってしまった日本軍戦記・・。
先月、靖国神社内の「遊就館」に行き、2Fの天井から吊るされた「桜花」のレプリカを見て
「なんじゃコリャ!」と衝撃を受けました。
帰って来るなり、1999年の再刊で330ページの本書を購入しましたが、
なんせ日本軍は将兵も兵器も全く知らず・・という、"ド"の付く素人ですから
ベテランの方々にお叱りを受けないよう、頑張って感想を書いてみます。。

桜花.jpg

昭和19年(1944年)夏・・、三浦半島にある海軍航空技術廠。
今後を見越した「将来機」の開発を担当する三木忠直技術少佐は、
グライダー爆弾の案を持ち込んできた人物と対面することに。
当時、ドイツからは伊号潜水艦でMe-163ロケット戦闘機「コメート」や、
Me-262ジェット戦闘機「シュワルベ」の資料が届き、コレを実機に復元中。
また、無人の有翼爆弾の「V1号」についても情報が入って来ています。

Me 163_Me 262.jpg

案を持ち込んできた太田正一海軍少尉は図面を広げて仕組みを説明。
「敵艦の近くまで一式陸攻で運び、適当なところで投下後、搭乗員が滑空降下しながら
敵艦に向かって針路を定めます。ロケットを噴かせて敵機をかわし、
体当たりで轟沈させます。一発必中です」。

人間が乗って体当たりする・・という説明を聞いた三木少佐は、
「なにが一発必中だ。そんな物が造れるか。冗談じゃない」と激高します。
しかし戦局を憂いている太田少尉も怯みません。「私が乗ってゆきます。私が」。
こうして始まった人間爆弾機「桜花」の開発。
全長6mの機体の前方部分に1200㌔爆弾を搭載するのです。

Ohka.jpg

10月には桜花専用の特攻部隊「第721海軍航空隊(神雷部隊)」が
岡本大佐を指令に、野中五郎少佐を陸攻飛行隊長として発足します。
しかしその頃、レイテ湾の敵艦隊、特に空母を叩く必要に迫られた日本軍は
250㌔爆弾を抱かせた零戦による体当たり攻撃を決定。
神風特別攻撃隊」を名乗った24名の若い志願パイロットが整列します。

250 kg bomb  Zero.jpg

「諸子はすでに神である。神であるから欲望はないであろう。
ただ、自分の体当たりの成否を知り得ないのが心残りであろう。
しかし、戦果確認機が見届けることになっている。
その戦果を必ず諸子の霊に告げ、上聞にも達するようにする。
安心して征ってくれ」。

Navy_Kamikaze_Lieutenant.jpg

空母1隻を撃沈、4隻を撃破したこの特攻は成功とされ、
訓練中の桜花隊にも志願兵がやってきます。
これまでの出撃で格別なのは、風防を開け、
白いマフラーをなびかせながら片手を振ってゆく恰好の良さ。
それなのに格納庫の人間爆弾を見て、目標空域まで母機の仮席に乗っていく・・
と知ってガッカリする隊員も・・。
「艦上攻撃機だと、死ぬとき誰も看取ってくれないぞ。一人ぼっちだ。
でも、これなら母機の連中が見ている前で恰好良く突っ込める。
物は考えようだよ」。
この事故も起きる新兵器のテスト・シーンはまるで「ロケット・ファイター」のようですね。

Yokosuka MXY7-K1 Cockpit.jpg

11月、完成した「桜花」50機が巨艦空母「信濃」に乗せられ、基地に向け出港したものの
米潜水艦アーチャーフィッシュによって葬り去られてしまいます。
う~む。。出だしは最悪ですね。
そして陸攻飛行隊長の野中少佐は、桜花作戦に疑問を呈します。
「俺は必死攻撃を恐れるものではない。しかし桜花を吊った陸攻が
敵まで到達できると思うか。援護戦闘機が我々を守り切れると思うか。
そんな糞の役にも立たない自殺行為に、部下を道連れにするなど真っ平だ」。

彼は続けます。
「運よく敵まで辿り着いても、司令部は桜花を投下した陸攻は
すみやかに帰投して、再び出撃するのだと言っている。
同じ釜の飯を食った部下が肉弾となって敵艦に突入するのだ。
それを見ながら自分らだけが帰れると思うか。
桜花を投下したら、俺も飛行機も、別の目標に体当たりを食わせてやる」。

Commander Goro Nonaka.jpg

南九州にある神雷部隊の各基地は米艦載機による空襲を受けることもしばしば・・。
そして1945年3月21日、偵察機から空母2隻を含む、敵機動部隊発見との報告が。
遂に「桜花」初陣の時。
野中少佐の18機の陸攻に、指揮官機以外に吊り下げられた「桜花」15機、
直接護衛の戦闘機32機、間接護衛23機という陣容です。

MXY-7 Ohka.jpg

出撃隊員は遺書をしたため、すでに今生とは決別。
20歳の嶋村一等飛行兵曹・・、
「これより私は笑いながら唄いながら散ってゆきます。
今春、靖国神社に詣ってください。
そこには幾多の戦友と共に、桜花となって微笑んで居ることでしょう。
私は笑って死にました。どうか笑ってください。
泣かないで私の死を意義あらしめてください」。

こうして飛び立っていった桜花攻撃部隊ですが、
整備不良のために護衛戦闘機の約半数が帰還してきます。
レーダーで探知した米空母ホーネットとベロー・ウッドからは
48機のグラマンF6戦闘機が発進し、野中のベティ(一式陸攻)に襲い掛かります。
その結果は野中隊の全滅に終わるのでした。

ohka-pilots.jpg

制空権が確保できない状況では、足の遅い7人乗りの一式陸攻は分が悪く、
桜花搭乗員1名だけでなく、一式陸攻の7名も犠牲になることから、
神雷部隊でも零戦に50番(500㌔)爆弾を抱かせた、爆戦との併用が検討されます。
戦艦でも空母でも桜花の一発で撃沈させるという「大物食い」の自負に
支えられてきた隊員たちは50番爆弾を抱いたところで、
威力は桜花(1200㌔爆弾)の半分にも満たないじゃないか・・。
そんな葛藤も最後には、
「桜花でも爆戦でも、俺たちの命が必要だと言うなら、死のうじゃないか」
と、結論付ける者もいれば、「俺はあくまで桜花で死ぬ」と決意する者も・・。

G4M2e_with_Okha_and_crew_1945.jpg

米軍の沖縄上陸を遅らせるための敵艦船攻撃。
岡村指令から命ぜられた人数の出撃搭乗員の選定をする林分隊長。
死地に赴く一人一人を指名するのは分隊長の任務とはいえ、23歳の身には残酷です。
桜花搭乗員表の真っ先に自分の名前を書いて指令に提出しますが、
「君は最後だ。その時はわしもゆく」と、「必死」の時が与えられるまで、
「死刑執行人」の役割を果たすことを暗に命ぜられるのでした。

4月1日の第2次桜花攻撃も全機失敗に終わり、
上陸した米軍によって沖縄の飛行場では、怪飛行機「桜花」が無傷のまま発見されます。
そして彼らにとって想像を絶する自殺攻撃機には「BAKA」と名付けられるのです。

MXY7-K1_Ohka_(Baka-11).jpg

4月6日には戦艦大和と呼応する航空総攻撃の「菊水一号作戦」が発動。
神雷部隊の50番爆戦「第三建武隊」18機を含む、海軍特攻機60機が出撃。
それとは別に海軍特攻機150機、陸軍特攻機60機も出撃するという、大特攻作戦です。
最終的に十号まで実施された菊水作戦の様子が、桜花部隊を中心に描かれ、
空母や戦艦を撃沈した・・と報告するも誤認が多く、
実際、撃沈できたのは駆逐艦に留まります。
もちろん大型艦にも大きな損傷は与えていますね。

U.S.S. Bunker Hill suffering the attack of an Yokosuka MXY-7 Ohka..jpg

一方、本土決戦を想定し、ターポジェットの改良型「桜花四三乙型」も開発され、
三浦半島の基地や、比叡山でのカタパルト発進も計画。
ターポジェットは例のMe-262「シュワルベ」を復元した「橘花」の原動機として
テストが繰り返され、その実用化を待つばかり。

そうか、先日、「勲章と褒章」という本を読んだばかりですが、
文化勲章のデザインが「橘花」でした。日本人には意味がある名前なんですね。
しかし「橘花」が試験飛行にこぎつけ、日本初のジェット機が空をよぎったのは
終戦間際の8月7日・・。

test_flight_of_the_Nakajima_Kikka.jpg

桜花を着想した太田中尉は、桜花に乗りたい一心で操縦の手ほどきを受けたものの
適正なしと判定され、多くの戦友を死地に送ったという事実と、
「戦争犯罪人は厳重に処罰される」というポツダム宣言が彼の心を責め立て、
自殺を匂わせたまま練習機で飛び去って行きます。

生き残ってしまった岡本指令は、3年後、鉄道自殺を遂げ、
さらに4年後には4本の桜が神雷部隊戦友会から靖国神社へ献木され、
「神雷桜」と名付けられます。
現在、気象庁はこれを標準木の一つとして、サクラ前線の通過を宣言するのでした。

Sakura cherry blossoms in Yasukuni Shrine.jpg

2日で読み終えましたが、2回ほど泣きました。。
コレを書いている途中では、キーボードが滲んで叩けなくもなりました。
ナチス・ドイツの「特攻」兵器としては「ヒトラーの特攻隊」のBf-109を使ったものや、
桜花のような親子飛行機の「ミステル」を紹介した本も読みましたが、
日本の特攻隊のような悲惨さは感じたことがありません。
特攻を美化するつもりはありませんが、
現在の一般市民を巻き込んだ「無差別自爆テロ」とは一線を画すべきでしょう。

Ohka (replica)_Yasukuni Shrine Museum.jpg

「神風特攻隊」を"カミカゼ"ではなく、カッコ書きで"しんぷう"と書かれているのも
印象的でした。本書を読むと、妥当なようにも思いますね。
その他、いろいろと調べているところですが、
設計を担当した三木少佐は戦後、初代「新幹線」のデザインにも携わったとか、
野中隊全滅の様子は、米戦闘機のガンカメラに収められ、カラー映像で見られるなど。。



桜花について書かれた本もたくさん出版されています。
「人間爆弾と呼ばれて―証言・桜花特攻」や、「神雷部隊始末記」、
また、林分隊長について書かれた本も発見しました。
「父は、特攻を命じた兵士だった。-人間爆弾「桜花」とともに-」というタイトルです。
う~ん。コリャ、大変な世界に足を踏み入れてしまいましたね。。

先月、靖国神社に行った際には、すでに桜は散っていましたので、
来年はいつもの上野公園ではなく、「神雷桜」を・・。









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