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続・クルスクの戦い -戦場写真集北部戦区1943年7月- [パンツァー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ジャン・ルスタン著の「続・クルスクの戦い」をようやく読破しました。

南部戦区を扱った「クルスクの戦い―戦場写真集 南部戦区1943年7月」を読んだのが
3年半前ですから、かなり時間が経ってしまいましたが、
ようやく古書を3800円で購入しました。
2007年に出た 367ページの大型写真集ですが、マンシュタインやホト、武装SS、
プロホロフカの大戦車戦、といった有名なキーワードもあまりない「北部戦区」というのは
逆にあまり知らないので、新鮮で楽しめそうな気がします。

続・クルスクの戦い.jpg

まずはいつものように20ページほどカラーイラストで始まります。
Ⅲ号戦車にⅣ号戦車マーダーⅢフンメルといった自走砲に
第3戦車連隊、第35戦車連隊、第33戦車連隊などのマークもカラーで・・。
特に第33戦車連隊は「プリンツ・オイゲン」。
武装SSの山岳師団や、重巡にもこの名前は使われていますね。

prinz eugen 33. panzer rgt.jpg

本文は「準備段階」として、この「ツィタデレ作戦」が発動された経緯が解説されますが、
グデーリアンモーデルマンシュタインはいずれも、戦略上、用兵上の観点から
この作戦には反対であったものの、楽観的なクルーゲによるヒトラーヘの進言、
そして「当時すでにリッベントロップがモロトフと接触するなど、
ソ連との単独講和への道が探られつつあり、交渉が開始されていた」としています。
このような噂は聞いたことがありますが、本書は言い切ってますね。。

General_Model_at_Kursk.jpg

そしてモーデルの第9軍の戦力を表も使って細かく分析。
6個装甲師団のⅢ号、Ⅳ号戦車中心で、自走砲と突撃砲も以外にも
第505重戦車大隊のティーガー31両に
第656重戦車駆逐連隊はフェルディナンド91両、ブルムベアが42両
この準備期間の写真もいくつかありますが、「ティーガーの車上での結婚式」
という写真 ↓ が笑えます。

Pz.Abt. 505 Tiger.jpg

7月5日から始まった「ツィタデレ作戦」の様子をドイツ側の戦闘記録で紹介しつつ、
場合によっては2ページぶち抜きの大きな写真も登場しながら進みます。
野原で第9装甲師団の礼拝が従軍牧師によって行われている写真の反対には、
跪いて軍旗に忠誠を誓う、ソ連軍第4親衛戦車旅団・・、良い構図ですね。
いくらナチスといっても軍人には神が大切な存在でありますが、ソ連では・・。

このように本書は度々、ソ連側の写真も出てきます。
そして最初にカラーで紹介されていた第2装甲師団第3戦車連隊の連隊章である
「双頭の鷲」のマークがハッキリと写ったⅣ号戦車の写真も良い感じです。

2PzDiv fighting in the summer 1943.jpg

表紙の写真もキャプション付きで出てきました。
こんなタイトルの写真集の表紙ですから、一瞬、フェルディナンドかと思ったものの、
第2装甲師団第74機甲砲兵連隊所属の、ヴェスペ自走砲でした。
「女性兵士も多数投入していた」とソ連の女性兵が写った写真も出てきましたが、
彼女は衛生中隊のようですね。

soviet-russian-soldier-nurse-kursk.jpg

あのルーデル大佐も出撃したシュトゥーカ急降下爆撃機部隊もちょこちょこと・・。
特に対戦車用に搭載された37㎜機関砲でKV戦車を仕留めるガンカメラからの
連続写真ていうのは、不鮮明ながらも生々しい。。
擲弾兵や空軍連絡員、砲兵などの写真も印象的なものが多くて、
"クルスク戦 = 戦車" ではないのも実感できます。

battle_kursk_0085.jpg

Ⅲ号突撃砲G型の主砲の交換シーンも珍しい写真です。
「師団長の乗った指揮戦車が立ち往生」というちょっとした回想が出てきますが、
書いているのは第4装甲師団の師団長、片眼鏡フォン・ザウケンです。
そうですか・・。ココで戦ってましたか。

Dietrich_von_Saucken.jpg

装甲弾薬運搬車の写真も鮮明でした。
整備員が現地改造した砲塔を撤去した戦車ですが、
手榴弾避けの金網カバーが設置されていて、まるで野鳥の罠のような雰囲気ですね。

Kursk.jpg

「赤十字」のマークのついたホルヒ製のワゴンを検分するソ連兵の写真は印象的です。
「東部戦線では赤十字のマークさえ安全保障にならなかった」と書かれているとおり、
100発以上の弾痕が見受けられます。
とある衛生兵の報告もあったりして、やっぱり独ソ戦はキッツイなぁ。。

独ソ双方の"戦闘"という意味では、どっちが残酷・・なんてことはないと思いますね。
本当にルールのない、殺るか、殺れるかの戦い。。
そんな極限状態に何週間も身を置けば、それまでの彼らの常識も吹き飛ぶんですね。
「赤十字」のマークを目にしたら、敵であっても今まで人間として心配していたとしても、
例えば、弱った奴らを簡単に殺せる・・、看護婦さんを強姦できる・・、といった具合。。

battle_kursk_14.jpg

フンメルや装甲兵員車など、各種戦闘車両の写真もバラエティに富んでいて
楽しめましたが、なおさらティーガーっていうのは、存在感が凄いと思いました。
フェルディナンドやブルムベアの写真も出てきますが、
ティーガーには斜め前から見た姿など、全体像に凄味があるんですね。
こんなBlogを読んでいる方は、タイガー・ウッズ(Tiger Woods)のことを
心の中ではついつい「ティーガー・ウッズ」と呼んでいるハズです・・。

opération Zitadelle_Sturmpanzer IV.jpg

最後には「結論」として、北部戦線の戦闘をドイツ軍側から総括します。
「第9軍は、ジャブを打つように戦車部隊を投入した。
素早く、小出しに、針で突くように。
南方軍集団が楔形隊形での投入を実施したのと対照的である。
結果として、ソ連軍の戦線を打破する力は失われた。
過度に慎重な攻撃手法を採用したのは、グデーリアンの有名な金言・・
"平手で打つより、拳で殴れ!"に背くことだった」。

battle-of-kursk-german-elefant.jpg

そして独ソ双方の損害を事細かに洗い出し、7月18日にヒトラーが「作戦中止」を宣言せず、
南方軍集団が圧力をかけ続けたまま、もしも続行されていたらとして・・、
「マンシュタインは正しかった。それが勝利をもぎ取る唯一の方法だった。
彼は「ハンマー」になろうとした。そして彼の南方軍集団がハンマーならば、
第9軍は、たとえ弱くても「鉄床」でなければならなかった。
だが、前提条件として最初の2日間を過ぎた時点で、
北部戦区における攻勢は即座に中止されるべきだったのである」。

konec kurské ofenzívy.jpg

このように南部、北部の攻勢作戦を合わせて、この「ツィタデレ作戦」が理解できるわけですが、
最後の最後になって、真っ先にこの失敗の責めを負うべき人物・・として
中央軍集団司令官のクルーゲが写真付きで紹介されます。
「彼が戦況に関する現実的な知識を全く欠いていたことにある」。
いや~、めちゃめちゃ厳しいなぁ。。

von Kluge.jpg

本書の最初にグデーリアン、モーデル、マンシュタインが触れられた際に、
彼らが装甲兵総監、中央軍集団の第9軍司令官、南方軍集団司令官であることなど
一切、書かれていないことからも、本書はそれなりの知識を持っている人向きだと思います。
朝日ソノラマの「クルスク大戦車戦」を一度、読まれていると良いですね。
端折りましたが、日ごとに変わる戦局の様子、攻勢から防御へ・・も詳しく書かれ、
写真以外の部分でも勉強になりました。

こりゃ、「南部戦区」を今一度、読み直さないといけませんが、
大日本絵画の大型写真集は、「ヤークトパンター戦車隊戦闘記録集」もありますし、
今年の3月に出たばかりの「西方電撃戦: フランス侵攻1940」 もまだ。。
そしてウカウカしていたら、今月の22日には「ナチス親衛隊装備大図鑑」が・・。
コレは以前に紹介した「ドイツ軍装備大図鑑: 制服・兵器から日用品まで」のシリーズで
「日本軍装備大図鑑」に続く、原書房の大型本です。
おそらく原著は「Meine Ehre Heisst Treue: Inside the Allgemeine SS」でしょう。
むひ~、もうダメだ、こりゃ。。

Inside the Allgemeine SS.jpg

クルスク戦のオマケ動画です。ど~ぞ。



















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