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マルタ島攻防戦 [英国]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

P.シャンクランド、A.ハンター共著の「マルタ島攻防戦」を読破しました。

先月の「潜水艦の死闘」で、この地中海はマルタ島の戦いがあったこともあり、
本棚にあった1986年、262ページの朝日ソノラマを選んでみました。
「マルタ島の戦い」は過去に読んだドイツ空軍もの、ドイツ海軍ものでも触れられていましたが、
ドイツ陸軍の誇るロンメル元帥ファンからしてみれば、
目の上のたんこぶであるこの島に英軍が頑強にしがみついたことが
北アフリカでの敗北の大きな要因のひとつとも言えるという、まことに厄介な島でもあります。

マルタ島攻防戦.jpg

第1章では「地中海のかなめマルタ島」として、1942年夏までのこの島を巡る状況を振り返ります。
ドイツ・イタリア枢軸軍は北アフリカ北東岸ギリシャ、そしてクレタ島を手に入れ、
ロンメルが東部地中海、エジプトのアレキサンドリアにも手を伸ばしています。
一方の英国艦隊は危機の迫るアレキサンドリアから主力艦隊が撤退し、
地中海の西の入り口、スペインのジブラルタルの艦隊も極東からの要請で大きく戦力が削減。
このアレキサンドリアとジブラルタルのほぼ中間に位置する「マルタ島」ですが、
手の届くところにはイタリアのシシリー島もあり、周囲はすべて敵という、
中部地中海における、敵に占領されていない英国の唯一の要塞として存在しています。

Malta.jpg

そんなマルタ島の存在をロンメルの参謀長バイエルラインが苦々しく語ります。
「マルタ島の空軍と海軍の基地が睨みを利かし、かつ支配権を持っている限りは、
我が方の前線を進め得る可能性も、ナイル・デルタを占領できる望みもない・・」。
ヒトラーとドイツ国防軍は、前年のバルバロッサ作戦がロシアの冬将軍の前に潰え、
1942年夏の再度の攻勢に向けて準備中。

Fritz Bayerlein.jpg

そんな忙しいなか、マルタ島の重要性をヒトラーに説くのは、
独ソ戦とは直接関係のないレーダー海軍総司令官です。
ヒトラーはモスクワ前面に展開していたケッセルリンクの第2航空軍をそっくり南イタリアに送り、
ロンメルのアフリカ軍団を空から援護しつつ、マルタ島を空爆によって粉砕するという
ヘラクレス作戦」が発動されるのでした。

Rommel_&_Albert_Kesselring.jpg

枢軸軍の猛爆により、マルタ島の住民25万人と18万人の軍隊に飢餓が訪れようとしています。
これまで輸送船によって支えられていた食料、オイル、石炭、そして弾薬も激減し、
重責で疲れ果てた島の知事、ドビー将軍も、ジブラルタル総督のゴート子爵へと交代。
6月にはマルタ島の救援のため、大量の物資を積んだ大規模な輸送船団が派遣されますが、
なんとか2隻の商船が辿り着いたのみであり、重油と石油の欠乏は絶望的なまま。。
次に予定されている8月の輸送船団が失敗すれば、島は降伏を余儀なくされます。

Operation Pedestal.jpg

こうして、最後の決死の輸送船団の物語が始まるわけですが、
本書の原題は「マルタ・コンボイ」で、訳せば「マルタ島輸送船団」といったところでしょうか。
船団護衛艦を含め、多くの艦艇が含まれていますが、
本書の主役は最も必要とされる石油を積んだタンカー「オハイオ」です。

ohio.jpg

名前からもわかるとおり、米国で建造された"大きな体でも足も速い"最新タンカーで、
船長に任命されたのはイーグル・オイル社の39歳の若手英国人船長、メーソン。
危険極まりない輸送船団も商船の乗組員は軍人ではなく、国のために命を懸ける船乗りたちです。

Captain of the Ohio, Dudley Mason.jpg

この輸送船団をイタリア艦隊から守る支援艦隊は、戦艦ネルソンとロドネイを中心としたZ艦隊。
サイフレット提督率いるこの艦隊は航空機攻撃に備え、
ヴィクトリアス、インドミタブル、イーグルといった空母5隻も配し、その他、
巡洋艦3隻、駆逐艦15隻という大艦隊です。
そしてバロー少将率いる船団直衛艦隊はX艦隊と呼ばれ、巡洋艦4隻、駆逐艦11隻、潜水艦8隻。
これらが、敵からの攻撃に応戦するわけです。
しかし重要なのはオハイオを含めた14隻の商船。彼らが無事、辿り着くことが全てです。
いよいよ8月11日、ジブラルタル海峡からマルタ島に向けた「ペデスタル作戦」が始まります。

Operation Pedestal2.jpg

この1942年8月にはロシア向けの輸送船団が中止されていたことで、
この地中海に強力な護衛艦隊を集めることが出来たわけですが、
ロシア向けが中止になったのは、7月にあの「PQ17船団」壊滅されたことによるんですね。
ここでも独ソ戦線と北アフリカ戦線がリンクしていることを知りました。

operation_Pedestal_on_its_way_to_Malta.jpg

もちろんこんな大艦隊が集結していることを枢軸側も見逃しません。
初日にはいきなりU-73のローゼンバウムが、空母イーグルを撃沈。
魚雷を抱いたJu-88He-111、36機編隊が迫りくる夜の暗闇の中、1500mの高度から降下。
護衛船団から全火砲が火を噴き、ハリケーン戦闘機も敵編隊に突っ込みます。

The aircraft carrier HMS Eagle sinks after being torpedoed.jpg

Ju-87シュトゥーカやイタリアのサヴォイア雷撃機 、夜になれば高速魚雷艇の攻撃と、
イーグルに続き、空母インドミタブルも大きな被害を受け、
イタリア艦隊が出撃したとの情報から、強力なZ艦隊は「心から成功を祈る」と信号を送って、
ジブラルタルに引き返すのでした。

hms_nelson.jpg

バロー提督の乗船する旗艦、巡洋艦ナイゼリアも被害を受け、舵も利かなくなって旋回するのみ。
同じく巡洋艦マンチェスターもイタリア魚雷艇2隻の攻撃の前に大爆発・・。
仲間の商船も次々に餌食となっていきます。
後方に位置するオハイオも、その姿からタンカーであるのは一目瞭然で、
枢軸軍の目標No.1であることも彼らは自負しています。

それにしても本書の枢軸軍は単なる殺人マシーンの敵でしかありませんが、
イタリア軍の頑張りと戦果は、いまだかつて読んだことないほどですねぇ。

HMS MANCHESTER, enjoy cigarettes during a lull in the action..jpg

8月13日の朝を迎える頃にはたった4隻となってしまった商船。
60機のシュトゥーカがイタリア戦闘機に護衛されて、オハイオを目標に
恐怖のサイレンを鳴らしながら突っ込んできます。
この作戦のために、強力な火器を装備し、プロの軍人も乗り込んでいるオハイオ。
飛行機の破片が降り注ぎ、、至近弾による振動、船橋は大波をかぶってタンクも浸水。
混乱の中、司厨長のミークスが驚いた様子もなくコーヒーとサンドウィッチを持って現れます。
「大変なお仕事で。船長」。
そして20機のJu-88の攻撃によって、電動燃料ポンプが壊れ、エンジンも停止してしまうのでした。

Ju-87s returning to their base.jpg

壊れたドイツ機の機体が船橋に横たわり、船は傷つき、壊れ、動けなくとも、
疲れ果て、呆然とした乗組員たちとオハイオは、なおも戦い続けます。
そして1機の爆撃機が右舷から迫ると、船橋の機関砲でバラバラとなって消え失せますが、
その直前に投下された爆弾が、物の見事にオハイオの中央に命中。
何とか浮かんでいるだけのオハイオは今や見捨てられ、その間にも
3隻の生き残りの商船はマルタ島民の歓喜の声に迎えられてグランド・ハーバーに入港。

ohio is hit by a torpedo.jpg

護衛の駆逐艦隊は最も大事なオハイオを救うため、まるで肩を貸すかのように
両サイドに張り付いて曳航するという作戦に。
僅か5ノットでゆっくりとマルタ島を目指すオハイオと2隻の駆逐艦。
そしてJu-88の編隊が諦めずに迫りますが、マルタ島を基地とするスピットファイアがコレを迎撃。
最後の最後にはUボートまでが、獲物を逃すまいと姿を現すのでした・・。。

SS Ohio is heavily supported by two destroyers as she enters Grand Harbour.jpg

読んでいる途中で本書と同じタイトルの「マルタ島攻防戦」という映画が
1953年に製作されていたことを発見しました。
主演はオビ=ワン・ケノービこと、名優アレック・ギネス。
この4年後に彼が主演するのが「戦場にかける橋」ですね。
本編には実際の記録映画が結構挿入されているそうで、
本書のペデスタル作戦も登場し、その部分は実写にもなっているようです。

Malta-Story-dvd-cover.jpg

原著は1961年と古いですが、著者2人はこの「ペデスタル作戦」に参加していたそうで、
そのためか客観的な目線ではなく、とても臨場感に溢れたものとなっています。
本書の主役を務めたタンカー「オハイオ号」が沈没寸前でフラフラになりながらも
両脇を駆逐艦に支えられ、歓喜をもってマルタ島に辿り着くと、
自分でも予想していなかったほど感動してしまいました。。
やっぱり海の男たちの話っていうのは古今東西、良いもんですねぇ。





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ドイツ戦車隊 -キャタピラー軍団,欧州を制圧- [第二次世界大戦ブックス]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

ダグラス・オージル著の「ドイツ戦車隊」を読破しました。

「重戦車大隊記録集〈1〉陸軍編」に挑戦する前に、ちょっとウォーミングアップを・・、
ということで、今年の春に「無敵! T34戦車」を読んで以来、気になっていた
「第二次世界大戦ブックス」の一冊を選んでみました。
ドイツ戦車部隊を扱ったものでは、以前に「ドイツ機甲師団 -電撃戦の立役者-」も読みましたし、
未読ですが、「ドイツ装甲軍団―グデーリアン将軍の戦車電撃戦」というのもあったり、
「無敵! T34戦車」と同じ著者による本書は、上記2冊といったいナニが違うのか・・?
原題は「ジャーマン・アーマー」で、「ドイツ軍の装甲車」って訳して良いんですかね?
そしてこの翻訳版はやっぱり副題が恥ずかしいほど素晴らしい。
表紙も「キャタピラー軍団が欧州を制圧」している図ですね。。

ドイツ戦車隊.jpg

第1章「ドイツ戦車隊の誕生」では、1916年、ゴロゴロとやって来た英国の菱形の怪物戦車
「ドイツ陸軍暗黒の日」として、決して忘れられないものとなると、
翌年、ドイツ軍も32㌧の「A7V」戦車を開発。
そして重量148㌧、77㎜砲4門に、機関銃7丁、戦車兵22人が搭乗する桁外れの怪物戦車「K型」
を紹介します。コレは日本では「Kワーゲン」と呼ばれているやつですね。
しかしベルリンの工場でほぼ完成していた2台の「K型」戦車は、充分なテストを行う前に
1918年11月、連合国管理委員会の手によって破壊されてしまいます。

K_Wagen.JPG

続いて、新生ドイツ陸軍のためにソ連との秘密協定を締結する10万人軍隊のゼークト将軍
新進気鋭の戦車信奉者であるグデーリアンも登場し、彼の回想録を引用しながら、
保守派の騎兵などとの戦い、逆に馬嫌いの新首相ヒトラーの支持を得る様子などが紹介されます。

1933年、クルップ社によって「訓練用戦車」であり、「農業用トラクター」という略称を与えられた
二人乗りの「Ⅰ号戦車」が誕生します。
1937年までフォン・トーマによって「スペイン内戦」で盛んに使われたⅠ号戦車ですが、
敵対戦車砲に完敗・・。トーマは出来る限りの敵のソ連戦車を鹵獲して部隊に編入。。
本書では、鹵獲したT-26戦車と並んだⅠ号戦車の写真も出てきますが、
一見しただけで、その力の違いが分かります。
なんてったってⅠ号戦車は砲塔にあるのは「機関銃」ですからね。。

Panzer I.jpg

Ⅱ号戦車はMAN社製。搭乗員も1人増えて、3人乗り。そして武装は、
「恐るべきとは書きにくいが、とても良くなっていた20㎜砲」が搭載。
装甲の厚さや、速度、エンジンなど、Ⅰ号戦車と比較しながら、なかなか専門的な解説です。

そして1935年には3個装甲師団が創設され、戦車以外にも機械化を進める必要が・・。
軽装甲兵員輸送車は「夢のような万能車両」と紹介され、
「Sd Kfz250」や、大型の「Sd Kfz251」も写真付き。

sdkfz251_1942.jpg

より大型な中戦のⅢ号戦車の開発が始まると、機械化部隊総監は50㎜の
大型口径砲を推奨しますが、陸軍兵器局はすでに歩兵部隊が装備している
37㎜対戦車砲を標準装備することを望みます。
その結果、ポーランド戦フランス戦で誤りであったことが判明し、50㎜砲への変更が始まりますが、
ヒトラーの工学的慧眼は短砲身ではなく、高初速の長砲身にするよう言明。
しかし陸軍兵器局は途方もない不服従行為で、ヒトラーの命令を無視した短砲身砲を搭載。
この行為が、独ソ戦初期の決定的な時期にドイツ軍が苦杯をなめる結果になったとしています。

Panzerkampfwagen III Ausf. L.jpg

手間をかけてゆっくりと生産されたⅣ号戦車。ポーランド戦には初期型が211両出動します。
その後、改良に改良を加えられ、長砲身の75㎜砲を装備して、ドイツ戦車部隊のエースとなります。
また、チェコ製の35(t)戦車38(t)にも触れ、これらのドイツ軍戦車と、
当時のフランス軍主力戦車、ソミュアシャールB1戦車、英軍のマチルダとの比較も行います。

SS-Division_Hitlerjugend_Panzer_IV.jpg

中盤は「西方電撃戦」の戦車部隊の活躍を、やっぱりグデーリアンを中心に紹介し、
続く北アフリカ戦線もロンメル中心で・・。
こうして「バルバロッサ作戦」へと進むと、ドイツの将軍たちについての著者の見解。
「ドイツ軍司令官たちは変化する戦争の性質を的確に理解した預言者のような集団ではなく、
誰一人として、一度に10個以上の戦車師団を使った作戦計画の起草や、
実戦を経験した者はいなかった。グデーリアンでさえ、例外でなかったのである」。

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対するソ連軍については「ソ連軍機械化部隊の創設者トハチェフスキーが銃殺され、
スターリンのえこひいきによって、かつての第1騎兵軍の大ベテラン、
ブジョンヌイティモシェンコヴォロシーロフのような者を返り咲かせた。
ただ、このなかにジューコフが含まれていた。運命の女神が彼を
戦争史の中で輝ける金字塔として残しておいたのだ」。

Zhukov_at_the_Tiger_tank.jpg

「当時、戦車軍団を指揮していた聡明なマンシュタイン・・」、
他にも第4軍参謀長ブルーメントリットの話なども登場しながら、独ソの攻防が語られますが、
そこはやっぱり「第二次世界大戦ブックス」。写真が良いですねぇ。
この部分では初見のマンシュタインの写真もありました。
そして強敵T-34とKV戦車の前にドイツ戦車工業界はパニックに陥ります。
T-34がいかなる戦車か・・というところは、さすが「無敵! T34戦車」って感じですね。

T34_german.jpg

1942年4月の総統誕生日に向けて、Ⅵ号戦車「ティーガー」の試作車が大急ぎで用意。
88㎜砲を備え、絶大な火力と装甲を持って就役した最強戦車ですが、
この戦車は快速で運動性の良いT-34に対抗するモノではなく、
むしろ、防衛戦になれば効果的な役割を果たすだろうと期待されたモノです。

tiger_tank.jpg

一方、その厄介なT-34を圧倒するために開発されたのがⅤ号戦車「パンター」です。
さらに回転砲塔を持たない分、量産が可能な自走砲類も、種類ごとにⅢ号突撃砲を筆頭に、
駆逐戦車「エレファント」、突撃戦車「ブルムベア」なども写真つきで登場。
東部戦線の戦いもスターリングラードハリコフクルスクの戦いと続きます。
また、このパンターがT-34/85をも凌いでいたと、著者が考える理由は
「ソ連戦車兵はソ連戦車より、鹵獲したパンターに乗りたがっていた」ということです。

PzKpfw V.jpg

1943年には西側連合軍の上陸が迫る西部戦線も重要になってきます。
防衛を任されたロンメルの「自筆の空挺作戦防止策のスケッチ」が出てきたり・・。
コレは凄いですねぇ。初めて「ロンメルのアスパラガス」のスケッチを観ました。

そしてどことなくパンターに似ている「新型ティーガー」、ティーガーⅡ、
またの名をケーニッヒスティーガーと呼ぶ怪物戦車が登場します。
さらに自走砲も大型化され、128㎜砲を備え、最強とされる「ヤークトティーガー」、
同様に駆逐戦車に改良されたパンターである「ヤークトパンター」も。
生産台数はそれぞれ48両、380両としています。

Jagpanther.jpg

まだまだ「マーダー」に、「ナースホルン」、「ヘッツァー」といった自走砲、
37㎜高射砲を積んだ「オストヴィント(東風)」と
20㎜高射砲4門を積んだ「ヴィルベルヴィント(旋風)」といった対空戦車などにも触れ、
連合軍のシャーマン、クロムウェル、チャーチル、ファイヤフライとも比較。

Hitler_inspiziert_Jagdpanzer_38-t__Hetzer.jpg

ノルマンディの戦いでは、たった1両のティーガーが「戦史上偉大な単独戦車戦を展開した」として、
ライプシュタンダルテの若いSS将校が英機甲連隊の戦車とハーフトラック25台を撃破した・・と
紹介します。ヴィットマンという名前が出てこないのが、逆に新鮮ですね。

バルジの戦いを経て、最後には「超重戦車マウス」について語られます。
「はつかねずみ」と名付けられた188㌧の怪獣の生産にダメ出しをしていますが、
ココでは「クルップ社の試験場で「マウス」を視察するヒトラー」の写真にビックリしました。
本書の写真は良いものがほとんどですが、コレだけは胡散臭いですよ。。
お持ちの方はぜひ確認してみてください。

Panzer VIII Maus.jpg

「無敵! T34戦車」では、「ソ連戦車を主役とした「独ソ戦記」といえばわかりやすいでしょうか。」
という感想を書いていましたが、本書もさすが同じ著者だけあって、
ドイツ戦車の開発と運用を中心とした、ドイツ装甲部隊の興亡といった趣で、
この2冊は独ソ両軍戦車を扱った「姉妹編」と言えるかも知れません。



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愛と欲望のナチズム [ナチ/ヒトラー]

ど~も。ヴィトゲンシュタインです。

田野 大輔 著の「愛と欲望のナチズム」を読破しました。

9月に出たばかりの本書は、「ヒムラーとヒトラー―氷のユート​ピア」と同じ、
「講談社選書メチエ」からの紹介となりますが、何と言ってもタイトルが良いですねぇ。
「ナチス = エロ」というイメージを持った方もそれなりにいらっしゃるとは思いますが、
まぁ、「ナチ女秘密警察 SEX親衛隊」とかいう洋ピン映画も沢山作られましたし、
SSの黒服がSMボンデージっぽく扱われたりしてますからね。。しかし本書は
「産めよ殖やせよ。強きゲルマン人の子を大量に得るために性の解放を謳うナチズム。
従来の定説を覆し、欲望の禁止ではなく、解放により大衆を支配しようとした
ナチズムの生政治の実態・・」という、「欲望」こそ人並みですが、
「ナチズム」を勉強中で、「愛」に飢えているヴィトゲンシュタインには個人的に興味深い、
296ページのマトモな研究書です。

愛と欲望のナチズム.jpg

まず第1章では、ヒトラーの「わが闘争」から、彼が考える「性道徳」についてです。
早期の結婚を激励し、若い夫婦に健全な子供を産ませるという人口、人種政策。
そして上流社会の親たちが娘を金持ちの男に嫁がせるのは、「愛の売春化」であり、
「精神生活のユダヤ化」といった、愛を欠いた金目当ての結婚は、娼婦と同じ「不道徳」なもの・・、
というヒトラーなりに真剣な主張も含まれていたとしています。

hitler_Goebbels_Gretchen.jpg

また、本書ではSS機関紙「黒い軍団(ダス・シュヴァルツェ・コーア)」からの引用も多くあります。
キリスト教の倫理に基づく「未婚の母や私生児」に不道徳の汚名を浴びせる、
当時の保守的な性道徳を否定し、「婚外性交は決して妨げることはできない」と、
健全な欲望は肯定されますが、もちろんそれは女性に向けられたものだけです。

男性同士の同性愛は「国家政治的危険」とみなされ、徹底的に撲滅が図られ、
自慰行為でさえ「精子の浪費」と呼ばれて、危険視されます。
こうして第2章の「健全な性生活」では、ゲーリング研究所での同性愛者に対する
精神療法が詳しく書かれます。
例えばゲシュタポは同性愛を区別していて、「1度だけ逸脱した者」や「誘惑された者」は、
保護観察として精神療法の対象となりますが、「常習犯」や「複数の相手を誘惑した者」は、
強制収容所送りです。いわゆる「ピンク・トライアングルの男たち」というわけですね。
もう、この本は読もうと思いつつも、なかなか手を出す勇気がありません。。

The Nazis forced gay men to wear pink triangles in concentration camps during World War II.jpg

第3章は「男たちの慎み」と題して、狂信的なモラリストであるSS全国指導者ヒムラー
SSを中心として、彼らの性-政策の論理を追います。
もちろんヒムラーのゲシュタポに「男色撲滅課」があったくらいですから、
彼の同性愛嫌いは大変です。
ヒムラーの試算によればドイツには100万人から200万人の同性愛者がおり、
この数字はドイツ人男性の10%が子供を作らないことを意味します。
また、1934年に「長いナイフの夜」で絶滅した突撃隊(SA)が、トップであるレーム自ら
同性愛者であり、戦闘的な男性集団に同性愛の害毒が容易に蔓延することを
レームの舎弟であった彼は理解しており、またそれを恐れてもいるのでした。

himmler Röhm.jpg

そしてSS隊員が「他の男性とわいせつ行為を行った」場合、死刑に処し、
軽度の場合でも6年以上の懲役刑が総統命令で決定して、満足するヒムラー。。
政府は多産を激励して「母親十字章」を制定し、SSも「レーベンスボルン協会(生命の泉)」を設立し、
人種的に申し分ない女性の中絶を防止して、出産できる機会を与えます。
しかし結局はこの施設で生まれた子供は12000人に留まるのでした。

Lebensborn-Abzeichen.jpg

戦争が始まると、帰休兵が若い娘と出会えるようにと、
ダンスや催しを大規模に組織するよう総統命令が出されます。
1940年7月のフランス降伏までに、「国防軍の催し」が約10万回開催され、
休暇の楽しみ以外にも、結婚と出産の増加も意図されています。
そして売春婦の逮捕は控えめにして国防軍御用達の売春宿も方々に設置。

BDM Belief and Beauty Society hand out presents to wounded soldiers at an entertainment evening..jpg

続いては「美しく純粋な裸体」の章で、第三帝国におけるヌードの位置づけを考察します。
1933年に「肉体訓練同盟」の機関誌である「ドイツ裸体文化」が刊行を認められ、
以降、いくつかのヌード写真を掲載した雑誌類が刊行されます。
しかし、これらは決していかがわしい「ポルノ」や「エロ本」ではなく、
あくまで、芸術的な視点で美しい肉体美を表現したものです。。
ですから、↓ のような写真で興奮したアナタは「アウト!」ですよ。

Suren_mensch-und-sonne-nackt-skifahren-u-turnen-fotos.jpg

ドイツ芸術展に出展された絵画にも裸体画が多くを占め、マティアス・パドゥアの「レダと白鳥」なども
ヒトラーに賞賛されます。本書は数ページごとに白黒で小さいながらも写真が掲載されており、
コレがなかなか珍しいものが多くて楽しめます。
ゼップ・ヒルツの「農村のヴィーナス」という絵画も写真付きで紹介されていますが、
「窃視を楽しむ男性の視線に応じるかのように艶めかしく輝いている」と、確かにエロティック・・。

Sepp HilzBäuerliche Venus, 1939.jpg

このような文化統制の全権を握っていたのは宣伝大臣のゲッベルスですが、
大臣自身が女好きで、女優の卵に片っ端から手を出していたエロ親父ですから大変です。
キャバレーの裸のダンスも容認し、「ヒラー・ガールズ」も大衆的な人気を博すことに・・。

Hiller-Girls.jpg

また、ドイツ女子青年団(BdM)には、健康で美しい肉体への喜びが求められますが、
過剰な肉体的鍛錬は、女性本来の優美さを抹殺する恐れがあります。
ゲッベルスは語ります。「女子は優雅で美しく見えなければならない。
適度な肉体訓練は役立つが、腕や脚に隆々とした筋肉が付いたり、
歩兵みたいな歩き方になってはいけない。ベルリンの少女たちが
男みたいにされていくのを許すわけにはいかない」。

Bund Deutscher Mädel.jpg

さらにこの問題はSS全国指導者の悩みの種でもあります。
「娘たちがしっかりと背嚢を背負って田舎で行進しているのを見ると災難と感じる。
女性が男性化するとなると、もう同性愛への道は遠くない」として、
高い知性と優美さを兼ね備えた女性を養成するエリート学校の創設を夢想するのでした。

German sailors flirting with a group of BDM.JPG

第5章「欲望の動員」では、歓喜力行団(KdF)が登場。
うたい文句は「喜びを通じての力」ですから、なんとなく展開が想像できますね。
グストロフ号やロベルト・ライ号といった豪華客船クルーズでは
毎晩船上でダンスと情事が繰り広げられ、救命ボートにコッソリ乗り込んだカップルも
夜中に何度も引きずり出さねばなりません。
そしてハンブルクのレーパーバーンは当局によって清潔な売春街となり、
そこは歓喜力行団の船旅の、安全で楽しい訪問地になるのです。

KDF Ship Robert Ley on its maiden voyage. L Mrs. Ley, and Hitler.jpg

親の目の届かないヒトラー・ユーゲントやBdMのキャンプやハイキングも問題に・・。
総統に子供を贈るよう教育されて育った少女たちは、自らの不品行を正当化し、
14歳から20歳の少女たちの性交と妊娠の報告も多くなり、
13歳の少年少女が3人ずつ集まって一緒にわいせつ行為に耽ったり、
15歳の少女はフランス人捕虜と倒錯的な性交をして「ドイツ人よりもあれがずっとうまい」と語ります。

RAD boys & girls.jpg

そして捕虜を相手にするのは少女だけではありません。
ドイツ人男性の多くが戦場へと旅立ち、売春宿で過ごしている時、妻たちは
ポーランドやチェコ人の外国人労働者とも親しく付き合い、2万人もの私生児が生まれます。

国防軍には女性補助員もいるわけですが、
「兵士たちはみな、最もだらしない男でさえ、女性補助員と結婚したくないという点で
意見が一致している」とある兵士は証言します。
「彼女たちの性病感染は第1次大戦を上回るほど増加している」と、
その身持ちの悪さを批判し、「将校用マットレス」と呼んでいたり・・。
国防軍の売春宿の話はこの章にもしっかりと書かれ、強制収容所の売春宿についても同様です。

helferin.jpg

正直、日本人の著者によるナチス本というのは当たり外れがあるので心配でしたが、
本書は完全に「かなり当たり」の部類に入りました。
最後の60ページは注釈なので、実質230ページですが、
ヴィトゲンシュタインよりもちょっと若い、著者の京大卒の教授が
ベルリンの連邦文書館などに通いつめて、一次史料による裏付けに挑んでいるようです。
その注釈の部分もかなり興味深く、うまく本文に反映して欲しかったと思わせるほどですし、
ヒトラーの考え方や、ヒムラーのSSだけでなく、ゲッベルス、ロベルト・ライなど
ナチ党幹部の性に関する考え方にも触れて、ナチスとしての相変わらずの一貫性のなさや、
1930年代と戦争の始まった1940年代との必然的な違いも極力わかりやすく書かれていました。

This girl is all for Nazism.jpg

特に「BdM」についてコレだけ赤裸々に書かれたものは読んだことがありませんでしたし、
ヒトラー・ユーゲントの本が何冊も出版されているなら、
BdMに特化した本があっても良さそうなものだと思いました。
本書では彼女たちの青少年全国指導者、フォン・シーラッハやアクスマンが
ほとんど登場しないので、不品行に対する有効な施策すらなかったのか・・など、
日本には隠れBdMファンが多い??ですから、ウケそうな気もしますね。





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